これまで「更新履歴」に書いた由無し事をまとめてみました。
というか,自分で何を書いたか忘れないための備忘録みたいなものですね。

 【国民医療費、過去最高の37.4兆円=高齢化などが影響】
 この「高齢化による医療費の増大」問題の根源は,「病気とは何か」という定義の問題でないかと思います。つまり,
[正常値から外れたものは異常]⇒[異常だから病気]
 
という考え方で本当にいいのか,ということです。

 高齢者に起こる加齢現象や加齢による変化を全て「病気」とみなせば,高齢者が増えれば増えるほど医療費がかかるのは当たり前です。だって,加齢による変化(例:耳が遠くなる。足腰が弱くなる。皮膚が弱くなる。食べたものをうまく飲み込めない。寝たきりになる。床ずれができる)は高齢者には誰にだって大なり小なり発現するものだし,それは生物学的な自然現象であり,自然な変化だからです。つまり,高齢者に見られる「加齢による変化」を病気の範疇に入れてしまえば,治療すべき「病気」はどんどん増えます。高齢者が増えているんですから・・・。

 しかし,このような見方は,「高齢になることは病気である」と言っているのと同じではないかと思います。高齢になれば必然的に起こる変化を「病気」とするのなら,それは「年を取ることは病気である」というのと同じです。そして,現代の日本の医療は,「加齢による自然変化はすべて病気であり,病気であるから治療しなければいけない」と定め,それをセントラル・ドグマとして突っ走り,その結果として医療費増大に四苦八苦している,というふうにしか見えません。私もあと10年で高齢者の仲間入りですが,その私の目から見てもこれは異常だし,おかしいと思います。明らかに,初期設定が間違っています。
 この状態を例えて言えば,「歳をとって頭髪が白髪になるのは病気だ。病気は治療しなければいけない。だから,高齢者の白髪の白髪染めは保険診療の対象である」と言っているようなものです。

 進むべき方向性は次のどちらかしかないと思います。
  1. 今まで通り,すべての加齢変化は「病気」とみなし,保険診療の対象とする。
  2. 加齢変化は生理的変化にすぎないのだからそれは病気ではないと考える。
 
 要するに,加齢変化から「病気」を一旦切り離し,その上で「病気とは何か」を再定義し,その定義に適合するもののみを保険診療の対象とし,その定義から外れるものは全て「加齢による自然変化」と考え,保険診療と別枠で扱うべきです。
 もちろん,高齢者は「昨日まで白髪染めが無料で買えたのに,有料になるのはおかしい。白髪は病気だ」と騒ぐと思いますし,この主張を無碍に断るのも気の毒な気がしますが,やはりどこかで「これは病気だ。これは病気でない」の線引をすべきじゃないかと思います。

 従来は「正常値から外れたものは異常であり,異常なものは病気である」という考え方をしてきたと思います。そして,その「正常値」は「高齢者が少ない従来の世界」での検査データから得られたものです。いわば,「若い人が多く,高齢者が少ない」世界での正常値です。
 しかし,高齢者が増えてくると,この「正常値」が足を引っ張ります。恐らく本来は,正常値とは年齢補正をしなければいけないものなのでしょう(=つまり,正常値とは各年齢層ごとに定められるべき数値)。それなのに現状では,「正常な加齢現象・年齢補正すれば異常でないもの」まで「異常値」に含まれています。これらが全て「病気」の範疇に入れられ,医療の対象になっています。これでは,高齢化すればするほど医療費が増大するのは当たり前です。

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【医師なりすまし男逮捕…病院事務3か月経験のみ】
 忘れた頃に起こるのがこのような「ニセ医者」騒動です。こういう事件が起こるとマスコミは「医師免許証をきちんと確認すれば防げる詐欺事件だ」と報道しますが,これはちょっと無理な気がします。以前書いたように,医師免許証は小学校や中学校の卒業証書と同じサイズで,顔写真は入っていません。つまり,医師免許証を提示されたとしても,それで本人を確認する手段にはならないのです。しかも,病院に入職する際に求められるのはせいぜい「医師免許証のコピー」ですから,偽造しようとする悪意を持つ人が何らかの手段で医師免許証のコピーを手に入れたら簡単に偽造できるはずです。
 意志に「国民の健康を守る」役目を期待するのであれば,医師免許証は運転免許証同様,顔写真付きのICカードにすべきです。そうしない限り,今回のようなニセ医者騒動はまた必ず起きます。

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 同僚の先生から「患者のデータを管理するコツ」についての質問をいただきました。膨大な患者のデータをどのように管理するかは,医者の永遠のテーマの一つです。実は私、この問題については最初にコンピュータに手を触れた1991年当時から試行錯誤を重ね,悪戦苦闘してきた分野なのです。
 市販のデータベースソフトを利用したこともあるし、その市販のデータベースソフトの出来の悪さに呆れ果て,自分でデータベースソフトをゼロからプログラミングして、自作ソフトでデータ管理をしていた時期もあるくらいです(・・・一応,アマ・プログラマーです)

 そして、ここ10年くらいは大体次の方法に落ち着きました。例えば,「高橋一郎」さんが顔のすりむき傷で受診したら次のようにします。
  1. [患者データ]というフォルダの中に,[たかは_高橋一郎_顔面擦過創]という名前のフォルダを作る
  2. このフォルダに高橋一郎さんのデータを全て放り込む
  3. 画像はJPEG,文章はテキストファイル,その他のデータはCSVファイルに統一
 
 こうするメリットは次のとおりです。
  1. フォルダ名が平仮名のため,後でデータを追加する時に患者を見つけやすい。
  2. 漢字名のフォルダにすると漢字のASCIIコード順に配列されるため,患者を見つけにくい(例:ASCIIコード順だと新井さんと新田さんが並んでしまう)
  3. 病名で患者を探す際は,OSのファイル検索機能を利用する。
  4. JPG,テキストファイル,CSVファイルという最も汎用な形式にしているため,Windows,Unix,iOS,Android OSでも使い回し可能。OSのバージョンアップがあっても同じファイルが読み込める。
 

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 火力発電所の技術者さんからの「人食いバクテリア」についてのメール。
 下記の読売新聞の記事、素人目にも突っ込みどころ満載です。
 昨年1.6倍に、とありますが、実際は発症数が一昨年が123人、昨年が198人、今年は更に増加気味というものですが、この位の発生状況であれば、交通事故や階段からの転落などに比べはるかに小さなリスクです。更に、菌自体はありふれている、の記述で煽ってますが、冷静に考えれば菌が存在しても発症・致死の確率は極めて低いということです。

 しかしもっと許せないのは、国立感染症研究所が予防法として傷の消毒を勧めている点です。急増の原因すら分からず、かと言って消毒の有無を統計的に比較もせずに、どういう根拠で消毒が有効だと言えるのでしょうか?国立の研究機関が効果の証明されていない「おまじない」を予防法として発表することを、厚労省はどう考えているのでしょう?
 なお、国立感染症研究所は下記のような研究報告を公表しています。これを学生に読ませて記者のつもりで新聞記事を書かせ、読売の記事と比較させれば格好のメディア・リテラシーの勉強になるでしょう。
 そのうち,「人食いバクテリア」についても本格的に勉強してみようかと思っています。この説明を読むと,すでにゲノムの解読は終わっているようなので,コラーゲンなどのタンパク質を破壊する毒素とゲノムの関連性がわかれば,いずれ制御可能になるかもしれません。「筋肉や脂肪を短時間で浸食」するとありますが,破壊のターゲットとなっている生体分子が何なのか,気になります。

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 三鷹市で湿潤治療をしている糖質セイゲニスト,いりえ内科の入江先生からの「うがい」に関するメール。
 そうなんですよね。私もかねがね「うがい」は少なくともウイルス感染症予防には意味は無いと考えています。だいたい「風邪」の定義もはっきりしませんから

 日本人は、なにかというと「うがい、マスク」が大好きで、どこへ行っても根拠もなしに「うがい、マスクを励行」となっています。これはある意味糖質制限の「米食は日本人の古来からの食べ物で必要不可欠、主食=米」という発想に近いものがあると思っています
 マスクは自分の持っているウイルスの拡散防止に役立つかもしれないが、「予防」効果ははなはだ疑問ですが世間ではごちゃまぜになっていると思っています。

 以前、マスクがインフルエンザ感染予防に有効という記事がありましたが、これもはなはだアヤシイと思っています
 マスクを登下校と掃除の時だけ装着させて授業中はつけないというのが、そもそもよくわからない。一定時間、閉鎖空間に閉じ込められる授業時間こそマスクを付けることに意義があるのではないでしょうか?実際、臨床の場ではインフルエンに罹患した子どもたちは自分の席の周囲の子供が感染していると、うつされることが少なくないようです
 また、なによりもマスクをつけた群とそうでない群の違いですが、少し考えるとマスクを装着した群は「それじゃ気をつけなくちゃ」と普段以上に生活様式に気をつけている可能性があると思います。例えば普段よりも手洗いを励行していたりするかもしれません。
 このような実験はそもそも不確定要素が多い小学生で行うことにムリがあるのではないでしょうか?

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【<アフガニスタン>問題の映画、閲覧不可能に】
 宗教なんて,所詮は不合理で非論理的なものなのだから,第三者が信者に対してあれこれ言うのは野暮というもの。だから,今回の「ムハマンド批判映画」も野暮の骨頂です。それは,「キリスト批判映画」をYouTubeに載せたらどうなるかを想像すればわかります。キリスト教徒もイスラム教と同様,大反発するだけでしょう。
 エホバへの信仰もイエスへの信仰もムハマンドへの信仰も,第三者から見れば滑稽ですし,ブッダへの信仰も第三者から見れば滑稽です。
 滑稽さに優劣はないし,どちらの神が素晴らしいかを問うのも,どちらの神が滑稽かを貶し合うのも意味が無いことです。いわば,五十歩百歩,目くそ鼻くそです。全人類がこのような「宗教なんて所詮は目くそ鼻くその違いしかない」ことに気がつけば,宗教紛争なんてなくなります。目くそのために死ぬか,鼻くそのために殺すなんて,バカらしくてやってられませんからね。

 でも現実には,目くそと鼻くそは違うとか,目くその方が鼻くそより素晴らしいとか,目くそと鼻くそを一緒にするなといきり立つ人が多いし,目くそと鼻くその違いを証明することに生涯をかけて取り組んでいる人が多いのです。だから,この「目くそ・鼻くそ問題」には触れず・触らず・問題にせず,というスタンスをとるのがオトナの知恵です。そういうオトナの知恵がわからない連中を野暮と呼びます。

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 外科の先生が,『ほんまでっかTV』のおおたわ史絵先生の発言はおかしい,とメールをお寄せいただきました。
 以前も上記番組で‘おおたわ史絵’氏の発言に疑問を抱きメールを差し上げたことがあるかと存じます。
 本日の‘ホンマでっかテレビ’の放映で‘U度熱傷の水疱は破ってはいけない’との発言がありました。確かに‘水疱’も湿潤環境でありますが、私は早期に水疱膜除去し‘プラスモイスト’などで被覆し良好な経過をみております。
 もちろん‘おおたわ氏’は何がどの様にとの自身の意見に対する根拠発言もなく‘うるおい治療’に対する言及もありませんでした。タレント内科医師の‘安易な発言に辟易’した次第です。
 現在の熱傷の教科書には「水疱は潰さずに保存。潰してはいけない」と書かれています。"おおたわけ"先生・・・じゃなくって,"おおたわ"先生は教科書を読んでしゃべっているだけです。教科書を覚えるのはお得意のようです。
 これらの教科書には「それじゃ,水疱が破れないためにはどうしたらいいのか? 万一,水疱が破れたらどうすればいいのか?」については全く書かれていません。これは要するに,「レントゲン写真で骨折を見落としてはいけません」とは書いてあるけど「骨折を見落とさないためのコツ」は書いていない整形外科の教科書,あるいは「神様を信じなさい」とは書いてあるけど「神様が信じられなくなったらどうしたらいいのか」は書いていない宗教書と同じです。
 要するに,「水疱が破れないための工夫」が書いてなければ,「水疱を破るな」は机上の空論なんですよ。"おおたわけ"先生・・・じゃなくって,"おおたわ"先生はこのあたりに気がついていないようです。教えられたことを覚えるのは得意だけど,習ったことを疑う能力は欠如しているタイプのお医者様かな?

 いずれにしても,マスコミに出て医学について話す医者であるならば,自分の発言に自己矛盾はないか,机上の空論はないか,常に注意をはらって発言すべきです。机上の空論を撒き散らすだけなら素人にだってできますから。

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 数ヶ月前から治療をしている「バージャー病による足指難治性潰瘍」の患者さん(30代女性。ご主人はアメリカ人。バージャー病の診断をしたのは複数の大学病院)が,昨日話してくれた内容です。
 夫(=アメリカ人)
「どの病院に行っても足を切断しないと言われる。でも,私は切断なんて嫌。私,どうしたらいいの?」
 
と愚痴をこぼしたら,彼はこう言ったんです。
「〇〇子(奥さんの名前ですね),君はなぜ自分を信じないんだ。君は自分が正しいと思う道を進むべきだ。足を切断されたくなかったら,「足を切断しなくていい」という医者を探して,その先生を信じてついていけばいいだけじゃないか。難しいことじゃないさ。自分を信じて自分らしく生きていけば,道は必ず見つかるさ」
 
 この夫の言葉を聞いて,医者の言葉に振り回されていた自分が馬鹿みたいに思えました。そういうわけで,今,先生の外来に来ているんですよ。
 アメリカ映画には嫌というほど登場する「自分を信じて」と言う言葉ですが,こういう意味だったのかと目からウロコがボロボロ落ちました。アメリカ人の考え方は,筋が通っていてちょっと格好良いです。

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 プラスモイストDCがアトピー患者の乳頭部のトラブルに著効した,という報告を産婦人科の先生からいただきました。ご連絡,ありがとうございます。
 プチ糖質制限ですが、私もご多聞に漏れず健康診断での中性脂肪やLDLが正常範囲になり、体重も高校生の時と同じくらいです。その分角砂糖だったのか、と雑感しております。

 さて、今回はお礼を申し上げたくメール致しました。
 うちの妻はアトピー持ちで、時々乳頭から浸出液がじくじく出て痛みがあることがあったようです。ワセリン塗布もあまり功を奏さず、どうしようかと思っていた折に先生のサイトで拝見し、試しにプラスモイストDCを使ってみることにしました。
 これが大当たりで、くっつくことなく浸出液を吸収してくれるため非常になおりが早く、妻も喜んでなぜか私の株が上がりました。残念ながら場所が場所だけに写真は残してはいませんが、よく考えてみたら産婦人科の領域でも授乳婦さんの乳頭トラブルは結構多いはずです。(大抵助産師任せになってしまっていますが)いつか試してみようと考えております。

 開発に大変苦労されたかと存じますので、改めて敬服の思いです。
 まずは御礼までに。
 お役に立てて嬉しいです。今度は産婦人科の患者さんにも使ってみてください。母乳パッドだとくっつきますが,プラスモイストDCではくっつかず,浸出液のも吸収してくれ,しかも創表面は乾燥しません。

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 私は昨日,「大学で熱傷を診ている教授にとっての関心事は救命できるかできないかだけ」と書きましたが,それについて患者側の視点からのメールです。
 患者は体の不調を直して欲しい。
  • 病気、怪我が直るというより、体が元に戻ることが目的。
  • 命にかかわる等重症の場合は、落ちたQOLは泣く泣く許容するが、病気怪我でQOLが落ちたが、別の治療でQOLが保持できるならその治療は失敗。
 
 ところが、医者は、症例を治すのみ。
  • 熱傷は皮膚移植でもなんでも傷跡が残ってもやけどがなおれば成功
  • ガンも切ってなくなれば成功
  • 死にそうな人はとりあえず救命すれば成功
 
 この医者の視点には、症例を治しても人間を治すということが抜けているのではないでしょうか。もちろん治らない、というのがあるので、その点はしょうがないと思います。

 病院の設計も、症例、病態、臓器等で区分され、対象患者に合わせているわけではないかなと。これは経済合理性から難しいかもしれませんが、やはりとにかく症状を治すのだという目的なのかな、と思ったりします。

 と、ちょっと受けるサービスと供給するサービスのミスマッチなような気がしています。
 外来通院で治療中の患者さん(都内某大学病院形成外科からの脱走患者)との雑談(?)です。事故による足背〜第1趾,第2趾の挫滅・開放骨折で,大学病院では同側大腿からの遊離大腿皮弁移植を行なっています。
 手術を受けた足背はグロテスクでまるでホラー映画です。こんな状態になるなんて全く予想していなかったし,とてもじゃないけど人前でこの足は出せません。自分で見ても気持ち悪いですから。
 でも,形成外科の医者はみな,「きれいに治っていますね。皮弁もきれいに生着していますね」と言います。私にはどこが「きれい」なのかさっぱりわかりません。これを「きれい」と言えるのは,患者の視点で治療を評価していないからでしょう。私にはそうとしか思えません。
 これは要するに,[医者が提供できる治療技術(例:熱傷に対する皮膚移植)]と[患者側が期待するサービス(例:熱傷創がきれいに早く治ること)]がミスマッチというか,まるっきり異なっていることにすべての原因があります。
 医者は,自分に可能な医療技術(この場合は皮膚移植)を提供することが治療だと思っていますが,実は患者側は「皮膚移植をして欲しい」と望んでいるわけでなく,「ヤケドを治して欲しい」としか思っていないのです。ところが,医者の方は「皮膚移植をすること=熱傷治療」と考えていて,「皮膚移植を患者も望んでいる」と勘違いしています。

 これはつまり,東京駅に「盛岡まで行きたい」という客が言っているのに,運転士が「私の電車は甲府に行きます。甲府に行きましょう」と強引に電車に乗り込ませているのと同じです。あるいは,「私はつけ麺が食べたい」という客に,「この店はタンメンしか作りませんので,タンメンを食べなさい」と命令するのと同じ。

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 医学教育に関連するメールをいただきました。もしかしたら,かなり当たっているかも・・・。
 それから、これはタブーなのかもしれませんが、学生時代にいわゆる「おりこうさん」だったお医者さんには、アスペルガー傾向のひとが多いはずです。日常生活に適応障害をおこすようなアスペルガー症候群は、人口の1%位、それほどではないが、アスペルガーの特徴をもっているひとは10%位いるといわれていると記憶しています。本当に頭がいいかどうかは別として、ペーパーテストていい点を取れる人(つまり、医学部に進学してしまう人)のなかには、アスペルガー率がさらに高まると考えられます。アスペルガーの人は、カメラアイ的な能力がある人が多く、教科書などを写真で撮ったかのように頭の中に記憶できるからです。

 アスペルガーの人は、こだわりが強い、想像力が乏しい、変化を嫌う、共感力に乏しい、行間を読み取るのが苦手、ひとと対等な関係を結ぶのが苦手で、支配的か被支配的な関係になりやすい、などの傾向があると思います。つまり、この傾向をもった者同士が、討論しても全くかみ合わないことになります。また、ストレス耐性が低いことが多く、決まり切ったことを反復して行う分には高い処理能力を発揮するのですが、過度に忙しくなったり、全く新規の場面に出くわしたり、マルチタスク的な状況になったりすると、パニックになったり、ふだんからは考えられないようなとんでもない言動にでたりすることがあります。

 アスペルガーの人は不器用な人が多いともいいますから、手先が器用な形成外科の先生には、そんなにいないのかもしれませんが、医者同士の議論がかみ合わないのを見たり、先生のHPにでてくる「とんでも医者」のレポートを読んだりすると、こんなことも原因のひとつかなと考えてしまいます。

 実は、ぼく自身もアスペルガー傾向の人間で、患者さんの気持ちなどを、頭では理解できても、心で感じ取ることができず、長年苦労してきました。何回も医者を辞めようかと思いました。でも、他に何ができるわけでもなく、苦しみながら仕事を続けてきました。仕事の関係でアスペルガーを含めた発達障害のことを勉強する機会が増えるにつれて、「もしかしたら、自分はこのアスペルガーなのでは。患者さん(実際はこどもの母親)と上手にコミュニケーションとれないのはそのせいだったのか。」と気づいたのです。それは決してショックではなく、むしろ、自分でも何だかよくわからないのにいろんなことがうまくいかない理由がわかったような気持ちになり、安堵感と、これなら自分を変えられるかもしれないという希望を感じたのを記憶しています。それからは、失敗例を決して無駄にせず、経験値としてひとつずつひとつずつ積み重ねてきました。こころで感じ取るのが苦手でも、頭で理解し記憶するのは得意なので、数多くの対応をパターンとして頭に蓄積することにより、失敗が減り始め、患者さん(母親)にも信頼される場面が増えてきました。正直言いますと、コミュニケーションのずれから、いまだにお叱りのことばをいただく場面があるのですが、最終的には、「ぼくは、ぼくらしくやればいい。」と自分で自分を認めることにしています。

 個人的な経験から言わせていただくと、まずは「気づき」が大切です。患者さんの気持ち(痛み)がわからない、患者さんをいつのまにか怒ってしまうお医者さんは、それを仕事の忙しさのせいにしないで、一度「アスペルガー」について勉強していもいいかと思います。きっと変われると思います。

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【<反日デモ>中国人が中国人所有の日本車を壊すなんて!この愚行を日本人はきっと笑っている―中国紙】
 例によって,尖閣列島問題について,すごくお馬鹿なことを考えてみます。もちろんジョークなんで,真に受けないでくださいね。

 2日ほど前,魚釣島に上陸した香港などの活動家の皆さんを強制送還しましたが,この皆さんを勾留もせずにあっさりと帰国させたのは,中国政府としては一番困ると思うのです。日本政府が数日間でも勾留でもしてくれればまだ騒ぎようがあるものの,あっさりと釈放されては「振り上げた拳」の降ろしどころがありませんからね。

 ということは,中国の愛国者の皆さんが一番困るのは,「尖閣諸島に上陸した中国の活動家を逮捕するどころか,丁重に扱って東京観光・京都観光を数日させ,手土産を持たせて中国に送り返す」という方法なんですよ。「ようこそ! 我が国の領土にきていただき,ありがとうございます。皆様,大歓迎です!」って対応されたら,中国政府も中国の活動家の皆さんも,これには打つ手がないはずです。
 「そんなことしたら,中国の漁船が大挙して尖閣諸島に来てしまうだろう」という人もいると思いますが,ここはひとつ太っ腹に全員もれなく東京・京都に招待して,日本の銘菓詰め合わせセットを進呈してお帰りいただくのです。一人20〜30万円もあれば十分実現できそうですから,100人来たとしても3000万円程度でしょうから,官房機密費あたりでなんとでもできるはずです。

 これをしたら,世界的には「日本は太っ腹だよなぁ。自国の領土への不要侵入者を大歓迎して手土産まで持たせるなんて普通できないぞ! 尖閣諸島が自国の領土だという揺るぎない根拠があるからこそ,こういう格好いい対応ができるんだろうね。余程の自信がなければこんな事できないよ。日本,かっけー!」となるでしょうし,中国でも「今,尖閣諸島に行けば,お土産欲しさと思われてしまう。それでは中国の面子が丸潰れだ。魚釣島への上陸は当分禁止!」と対応せざるを得なくなります(・・・多分)
 あるいは,東京や京都ではなく,中国人に知られていないマイナーな観光地にお連れして大歓迎し,その観光地の観光大使かなんかに任命しちゃう,という手もあります。すると,世界のマスコミも「日本が中国の侵入者を招待したのは,なんと東北の鄙びた温泉地だった。秘湯めぐりの旅に中国人も感動!」って報道してくれて注目を集めたりするでしょうから,東北の温泉も観光客が増えて日本側にもメリットになるはずです。

 もちろん,「そんな弱腰なことをしたら,世界中から馬鹿にされるだろう! 外交は弱腰ではイカンのだ!」と非難する人はいると思いますが,弱腰でいいんです・・・最後に勝てばいいんですから。
 悪意に対しては悪意で対応できますが,(見せかけであっても)善意に対しては悪意で対応できないのが人間です。善意を悪意で裏切った人間や国家は尊敬されません。それこそが「国としての面子」でしょう。

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 シャンプーレス・ボディソープなしで3年になりますが本当に不思議なのは体臭が減ることですよね・・・。もちろん汗をかけば汗臭くはなりますが、シーツがにおわないです。なのでついついまだ大丈夫?とか思って洗濯のペースが落ちてしまいます・・・だめ主婦です

 あと、面白いのは、ボディソープもシャンプーも使っている旦那のバスタオルが良くふく部分だけ黒ずんで汚いことです。この汚れが塩素で漂白しないと全く落ちません! 私や子供のバスタオルは古くなってきた汚れのみで旦那のタオルのような汚れ方をしません。洗剤でゴシゴシ洗ってるはずなのにバスタオルが汚いとはどういうことなのでしょうか・・

 それから今年の夏はコストコで買ったとてもしょっぱい(笑)ミックスナッツやスッパイマン(味付け乾燥梅)を持ち歩いて汗をかいたら水分とともに子供にとらせていたらアセモになりません!!!これはびっくりです!
 毎年夏は小児科でシッカロールローションのようなアセモ予防?の白いローションをもらっていてもアセモがひどく洗っても治らず、最終的にリンデロンなど使っていたのですが塩分とアセモは絶対に関係あると思います!私も長年夏には肘内側のあせもは毎年必ずなっていたのですが、今年は痒くなってもあせもになりません。
 痒くなったら洗ってナッツをパクリ。しばらくするとウソのような痒くなくなります。あの狂いそうになるかゆみがおさまるので本当に驚いています。周りに広めているのですが、ポカリスウェットではなく、ぬるい味噌汁を水筒に入れて持ち歩くママもいます!!
 塩分をとるとアセモにならないようだ,という観察,面白いですね。以前,「汗疱の原因はどうやら塩分不足らしい」という投稿もありましたし,夏に多い皮膚疾患の原因は実は・・・なんてことになったら面白いです。

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  1. 蜂刺症
    • 数例、温水治療を試みましたが、あまり劇的改善がみられておらず中止しました。
      ムカデや水棲動物は、ヒトよりも体温が低く、蜂やトリなど飛翔する生物の体温は高いことが多いです。
      ムカデやクラゲの毒は、温水での失活が期待できると思います。蜂毒は、自身の体温で失活しないことから、温水での失活は期待できないようです。
      ステロイド+キシロカイン局注は劇的に効きました。最近はもっぱら、こちらばかりで治療しています。
  2. 口内炎
    • アルロイドGという内服薬があります。アルギン酸溶液です。
      ステロイド外用ができないときの窮余の一策として、これを口に含んでしばらく待って、飲み込むという治療を時折しています。残念ながら、劇的に効いたという感想はまだ聞いていません。
  3. (雑談)トリインフルエンザ
    • トリインフルエンザ感染マップでは、ヒトでの感染は熱帯に集中しています。
      これはトリの体温と、気温による高めのヒト体温が関連しているためではないかと思います。裏返すと、現時点ではヒトインフルエンザのようなパンデミックは起こりにくいと思います。
      CDCの回し者ではありませんが、突然変異による低温での活性をもつウイルスや、ヒトインフルエンザとの交雑があると、スペイン風邪のようなちょっと恐ろしいことになりますが。。。
 ハチと温度の問題は面白いですね。
ハチの体温というページを見ると,セイヨウミツバチは巣から出発するときは36℃,花を訪れているときは31℃,巣に帰るときは30°。ニホンミツバチはそれより体温が高く,花を訪れているときは41℃,巣に帰るときは40℃だそうです。

 ちなみに,ニホンミツバチの天敵はオオスズメバチですが,ニホンミツバチは上限致死温度のわずかな差(ニホンミツバチは48〜50℃,オオスズメバチは44〜46℃)を利用して,オオスズメバチを取り囲んで温度を46℃以上にあげて殺すのは有名です。
 一方のセイヨウミツバチは上限致死温度がニホンミツバチより低く,オオスズメバチに対しては大群で取り囲んでオオスズメバチの腹部を圧迫することで殺すのだそうです。

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 薬剤師です。
 漢方薬になるのですが、立効散(ツムラ110)でのうがいが疼痛緩和に効果があるといわれています。添付文書上の適応は抜歯後の疼痛、歯痛となっているのですが、局所麻酔作用のある生薬が含まれており、立効散を溶かしてうがいをすることで口腔内の疼痛を緩和する効果があるといわれています(保険適応外使用にはなりますが)
 ツムラの会員ページより見ることのできる
小児科領域の漢方治療の資料においても紹介されています。(添付資料のP3 表4の中段あたり)
 また、成人のヘルペス口内炎ではありますが、口内炎の疼痛緩和に効果があったという症例もありましたので、一緒に添付していますので、ご参考になればと思います。

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 大正富山医薬品のMRです。口内炎の治療薬ですが、本当に細々ですが、弊社でも扱っております。アフタシールと申しまして、アフタッチのジェネリックです。
 主成分はアフタッチと同じステロイドのトリアムシノロンアセトニドですが、アフタッチより薄いのが特徴です。口内炎の大きさにもよりますし、発生箇所が1〜2箇所なら使えるかと思います。

 欠点は次の3点です。
  1. 小児にステロイドを使うのか?という問題
  2. 粘着力が強くなかなか剥がれない、という問題
  3. 10枚で1シートになっており、10枚単位でしか処方できない
 
 1については親会社の大正製薬に、成分がNsaidの「口内炎パッチA」があり、OTCですので医療保険対象外ですが、一応対応できます。
 2については、自然に剥がれるのを待つしかなく、小児がムリに剥がそうとすると、かえって悪化させてしまう可能性もあります。
 3については、申し訳ございません、としか表現できません。

    ⇒
添付ファイル

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 今、われわれ小児科では、夏風邪の代表的疾患である手足口病が流行っています。
 基本的に無治療で自然回復を待つだけではあるのですが、口内炎、とくに舌に大きな潰瘍性の口内炎ができると、水分摂取さえもままならず、外来で困ることがあります。かといって、点滴するほどでもないし、根性で水分だけは飲んで欲しいという感じになってしまいます。
 治療薬の候補として、口内炎用の軟膏やワセリンなど考えられますが、舌だと塗りにくいうえ、すぐとれそうな気がします。形成外科専門の先生にお聞きする内容ではないかもしれませんが、傷の治療という観点で、何かいいアイデアはございますでしょうか?
 キシロカインゼリーの塗布も考えてみるのですが、実際にやったことはありません。安全性が気になるからです。あとは、蜂蜜などで潰瘍部分をコーティングしてしまうとか・・・
 何かアイデアがありましたら、ご教示のほどよろしくお願いいたします。
回答をいただきました。
 私は口内炎にはケナログ軟膏を出すのですが、塗り方は 毎食前後 としています。ケナログはびらん面に皮膜を作ってくれますから、食べる直前に塗って食物がしみるのをなるべく減らしながら食事をしてもらいます。
 さらに食後は、その膜は取れてしまっているでしょうから、口をすすいで再度塗り直して創を被服し、次の食事まで治癒が進むことを期待しています。
 私はよく口内炎ができるのですが、処置用のキシロカインゼリーを綿棒に付けたのを病変部に痛みがなくなるまで押し当ててい ました
 まれにキシロカインアレルギーがあるので注意は必要ではありますがしっかりと食事摂取できますよ
 舌への外用薬の塗布は唾液や舌の運動によってすぐに効果が薄れてしまいます。歯科用レーザーを潰瘍部に照射することによってかなり除痛することができます。治癒も早くなる気がします。
 当院ではレーザー照射後患部をガーゼやティッシュなどで水気を取りワセリン等を塗布するよう指導しています。
 口腔外傷の方に,キシロカインビスカスを出して,感謝された事があります.キシロカインビスカスを処方されては,どうでしょうか?

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 「爪下血腫を自分で治しました」というメールをいただきました。もちろん,医療は素人の方です。
 引っ越し作業中にドアで左手薬指を挟んで爪下血腫ができてしまい、夜中に痛みが増してきたので、先生のサイトで調べて「血抜きをすれば痛みは減るはず」と理解しました。
 そして血抜きの方策を考えたのですが、ゼムクリップやライターは荷物のどっかにまぎれているし、彫刻刀も持っていません(あったとしても片手では無理)。だから代わりに日曜大工用の工具箱に転がっているドリル刃で血抜きの穴をあけてみました。

 使ったのは直径1.5mmのドリル刃で、電動ドリルに取り付けやすいように根元に六角の台座がついているものです。これをあくまで手回しで使うので、時間はかかりましたが、血抜きできて痛みはずいぶん楽になりました。
 なるほど,これは考えましたね。電動ドリルの刃を手回しして爪甲基部に穴を開けたわけね。先端は18G針のように鋭くないので爪床を傷つける心配もないし,比較的大きな穴がしっかり開くので,プラスモイストなどで覆って軽く圧迫しておけば血腫の再発も少ないはずです。
 ちなみに,18G針で開けた穴はたいてい翌日詰まっていて,かなりの確率で血腫が再発しています。これは18G針で開けた穴がすり鉢状をしているためです。

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【ウガンダのエボラ出血熱、首都カンパラでも死者】
 致死率が高いことで非常に有名なエボラ出血熱がウガンダで蔓延中! 現時点では20人が感染して14人が死亡!
 ・・・というぐらいに非常に恐ろしげなんですが,2008年のこちらの記事を読むと,発見されて30年以上経ちますが,合計死者数は600人のようです。つまり,日本の交通事故死亡者の1ヶ月分程度ですし,インフルエンザによる死亡者数に比べると数桁少ないです。
 こちらのサイトでは,発生地,発生年ごとに感染者数と死亡者の数を詳細にまとめていますが,見て分かる通り,アフリカ大陸以外の発生はほとんどゼロです。これほど,人間が頻繁に行き来しているのに,エボラウイルスはアフリカ大陸内に留まっています。これは一体何を意味しているのでしょうか。可能性として私が考えつくものを列記しています。
  • エボラウイルスの本来の宿主は,アフリカにしか生息しない動物で,しかも移動能力は小さい。
  • 『宿主⇒人間』感染が主で,『人間⇒人間』感染はそれほど多くない
  • 「人間⇒人間」感染するためには,ウイルス側がかなりハードな条件をクリアしなければいけない
  • 致死率が高すぎて「人間⇒人間」感染が起きにくい
 
 こんな感じかなと思っています。

 しかし穿った見方をすれば,この映画のレビューに書いたように,
エボラ出血熱が恐ろしい伝染病であるのは事実だとしても,それを人類の危機と(拡大して)宣伝してきたのはWHOでありCDCだ。
 そしていつの間にか,CDCにとってエボラは予算分捕りのための手段になったのではないか?
 
という側面も否定できないはずです(7月11日のこのコーナー参照)

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 スポーツドリンクの糖分が気になったので,ちょっとググってみました。いやはやビックリ! 無茶苦茶な量が入ってますぜ。
 
 スポーツドリンク界の王者といえば,もちろん大塚製薬のポカリスエットですが,最初のサイトを見ると500mlボトルに33.5gもの糖分が入っていることがわかります。同種のドリンクで最も高い糖分含有量です。しかも,3番目のサイトによれば,ポカリスエットの糖分は果糖ではなく「砂糖系」であることがわかります。つまり,「コーヒー用スティックシュガー11本分の砂糖がそのまま入っているらしのです。
 その量の砂糖を500mlの水に溶かしてみたのが2番目のサイト。とてもじゃないけど甘くて飲めないシロモノだそうです。ところが,その甘ったるい砂糖水にレモン汁数滴とお塩を加えると,あ〜ら不思議,甘くないスポーツドリンクに大変身! しかも冷やすと甘さがさらに気にならなくなるんだとか・・・!

 ってことはだ,ポカリスウェットって単なるデブ製造飲料じゃん。スポーツした後に冷やしたポカリスウェット500mlを一気飲みしたら角砂糖(3〜4g/1個)を10個貪り食っているのと同じ,1,000ml飲んだら大さじ(砂糖9g)7杯の砂糖を一気飲みしたのと同じってことだ。「スポーツでカロリーを消費したから糖分がいくら入っていても大丈夫!」なんて考えてスポーツドリンクを飲んでいたら,デブまっしぐら,糖尿病まっしぐら,間違いなしだな。子供をお馬鹿なデブにしたかったらスポーツドリンクを飲ませろ,だな。

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 今日の朝,「熱中症予防に塩味だけドリンクが売れるんじゃないか?」と書きましたが,それに関連してのメールをいただきました。
 仰るとおり巷にあふれている市販のスポーツドリンクは糖分が相当含まれているので飲む気になりませんね。大量に汗をかく場合、スポーツドリンクは結構問題があります。
 スポーツドリンクに含まれる塩分濃度は0.2〜0.3%程度のようです。一方、汗の塩分濃度は通常0.5%程度だそうですが、大量発汗時は汗腺での塩分再吸収が追いつかない為、体液の塩分濃度の約0.9%近くになると云われています。
 大量発汗時にスポーツドリンクだけで水分を補っていると、塩分が不足して低ナトリウムによる熱中症の危険があるし、糖分は摂り過ぎるし非常に身体に良くない気がしてしまいます。

 しっかり塩分だけをとれるドリンクが欲しいところですが、なかなかありません。理想的な塩分濃度は生理食塩水ですが、美味しくないので私は大量に汗をかく時は味噌汁を飲みます。
 味噌汁の塩分濃度は体内とほぼ同じ0.9%なので、大量発汗時は理想の飲み物かと思われます。パック式のインスタント味噌汁は汗っかきな私の夏の必需品です。

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 朝日新聞の記事がかなり変,というメールです。
その1. バカ企画
 東京ローカルかも知れませんが「白球の文化を科学する」というタイトルの連載があり、1週間か10日位前に↓の内容の記事(要旨)がありました。
『以前は激しい練習に耐えることができず、野球の成績もいま一つだった。誰かが3合飯を食うことを提案し、実施してみたところ、3合食えるようになったら激しい練習に耐えることができる様になり、野球の成績も上がった。これをマネする学校も出てきた。取材した記者が3合飯に挑戦したが食べきれなかった』
 この内容のどこが科学的なのですかね?3合飯を食った球児の多くは野球引退後もバカ食い癖が治らず、膵臓を痛めつけたツケが回って糖尿病予備軍になるか、すでに正規軍!?になっているのではないか、と想像しています(どうでもいいですけどね)。
 3合飯球児を追跡調査し「科学的に分析」した結果を是非報道して欲しいところです。

 こちらで紹介されていた、糖質制限しながらフルマラソンや、ウルトラマラソンを完走した方がいることを知ったらきっとひっくり返るほど驚くでしょうね。
 そもそも炭水化物を摂取してスタミナはつくのでしょうか?シロウトの勘ですが、どうもウソ臭い気がします(専門知識をお持ちの方、教えて下さい)。
 現在でもマラソンランナーの多くはレース前に大量の炭水化物を摂取するそうですが、空腹状態でマラソンを走ることはできないのでしょうか?レースの途中で給水する際、同時にスタミナ補給も可能ではないか、と思っていまるのですが・・・

その2. 料理記事の記載内容
 夕刊に「料理メモ」というコラム記事(ほぼ毎日?)があり、料理の材料や手順の他にカロリーと塩分の数値が記載されています。
 先日、『当方は現在血糖コントロール中なので、炭水化物と糖質の量も記載して欲しい』旨のメールを出しましたが、ナシのつぶてです。
 糖質制限中の当方としては「カロリーと血糖値の高低は関係ない」ことや「塩分制限と高血圧の関係」が疑わしいことがわかっていますので、ぜひとも炭水化物や糖質量を知りたいのですが・・・。6月14日朝刊の「糖質制限」紹介記事は、一体何だったのでしょうか?

その3. 週刊朝日の記事
 先ほど書店で今週号の週刊朝日を立ち読みしました。今、参議院議員に「糖質制限ダイエット」が広がっているとのこと。中には1年で13kgのダイエットに成功したセンセイもいるとのことです。
 私は物心ついた頃から40年間,朝日新聞を毎日読んでいましたが,10年前に定期購読を止めました。止めてみると,読まなくても全く困らないことがわかりました。
 もちろん,新聞紙がないと困ることはあります。ガラスや瀬戸物が割れた時に包んで捨てるときに新聞紙は便利なんですよ。逆に言えば,ガラスや瀬戸物が割れなければ使い道がないのが新聞です。
 断捨離が流行っていますが,断捨離ってもいいものの筆頭が新聞ではないかと思います。

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 昨日紹介したパンデミック映画《コンテイジョン》のレビューで,「この映画ってWHOとかCDCとかの宣伝映画じゃないの?」と書きましたが,このことについて,かつてWHOの職員だったという方からメールをいただきました。
 さて「コンテイジョン」に関する、特にWHO,CDCの感染症対策偏重に関する先生の論評ですが、かなり当たっていると思います。私も以前WHOで勤務したことがありますが、感染症対策課という部門は2003年のSARS騒ぎ以降焼け太りし、ありとあらゆる機能(薬剤や防護具、検査キットの備蓄、検査、果ては新聞、TV等メディアの監視、広報宣伝担当者等々)を包含して膨張しておりました。現在は多少収まっているようですが、肥満症やそれに関連した脳血管障害の予防などへ割くべき予算は相変わらず少ないようです(既に離職しているので現状はあまり知りません)

 私自身は現在も公衆衛生的な仕事に従事するため名前や所属は秘匿して頂きたいのですが、感染症対策と非感染症対策(母子保健やたばこ対策などを含め)はバランスが重要で、現状のWHOやCDCの感染症対策偏重政策にはかなり懐疑的に見ております。
 というわけで,私の邪推は案外,いい線いっていたみたいです。喜んでいいんだか,悲しんだほうがいいんだか・・・。

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 内科の先生からの「塩分制限」に関するメールです。
 本日の塩分摂取に関する記事ですが非常に興味深かったです。そこで少し考えてみました(あくまでも思いつきですが)

 東北地方は従来塩分摂取量が多く、そのために高血圧症の方が多いように言われてきたと思います。それじゃあ、なぜ塩分摂取量が多いかというと従来から言われているのは「寒さを凌ぐためには塩分を多く摂る必要があった」というものです
   例えばこれ→
http://www.tfu.ac.jp/tushin/with/200408/11/01.html

 まあこれはこれで良いとして,さらにつっこむと「寒さを防ぐのに塩分摂取が有効である=塩分感受性がある」と考えて良いのかもしれません。「塩分感受性がある」ということは「高血圧症になりやすい」ということになるのかもしれません。

 本題はここからなのですが、近代までの長い時間の経過の中で逆に「塩分感受性のない人間は、十分な栄養を取れない環境下では寒冷地では生き延びれなかった。すなわち子孫を残す年齢まで生存できないことが多かった」と考えることはできないでしょうか?そうやって「塩分感受性の遺伝子を持たない個体」は淘汰されて「感受性のある個体」が生き延びたとも考えられないでしょうか?おそらく戦前までの東北地方の方は「塩分感受性」のある方が多数を占めていたのではないかと推察できるかもしれません

 そのため東北地方には「高血圧症の患者さんが多くなった」とも思えるのですがいかがでしょうか?東北では昔は50歳前後でいわうる脳卒中で亡くなられた方が多かったように聞きますが、それはとりあえず50歳くらいまで生存することを考えた場合には「塩分感受性」であることが必要であったのかもしれないと考えてしまいます。要は70歳以上生存することよりも50歳前後まで確実に生存することが必要だったのではないでしょうか?そう考えると「塩分感受性遺伝子を持つ」ということは栄養状態の良くない寒冷地で生活するのには必要なことだったのではないかと思います。

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 「汗疱と塩分不足」の発端となったメールを寄せていただいた方(素人の方です)からの追伸です。
 汗疱の症状改善に役だった例があったようで嬉しい限りです。
 現在の世の風潮としてとかく誰に対しても「減塩!減塩!」と叫ばれており、まるで塩が毒かのような扱いを受け、その結果知らず知らずのうちに「塩は出来るだけ摂らない方がいい」「塩を摂らない方が健康的」などと思ってしまってる人が非常に多いと感じております。私も実際数年前までは漠然とそう思っておりました。

 しかしふと疑問をもち色々調べてみると塩分摂取を控えるようにという理由がどれもはっきりした根拠が無く、逆に塩分不足による弊害の方が非常に多いのではないかと思うに至りました。
 塩分過剰により
   ・高血圧になる
   ・胃がんになりやすい
   ・腎臓に負担がかかる
 この様な事が云われておりますが、どれも疑問に思うことばかリです。

 高血圧に関しては今日紹介があった食塩感受性もそうですし、胃がんになりやすいというのは東北の人が胃がんが多いのと食塩摂取量が多いのを結びつけているだけで明確な理由がありません。塩分が胃がんを招きやすい理由として胃に食塩という刺激物が入る事によってガンになりやすいなどと説明している先生もいますが塩酸から保護されている粘膜が食塩なんかでダメージを受けるでしょうか?

 又、腎臓は塩分を排出するので塩分が多いと負担がかかるなんて話も腎臓の塩分排出の仕組みから考えたら噴飯ものだと思います。糸球体で血液を物理的ろ過した水分から尿細管で塩分を最吸収する事を考えると塩分(ナトリウム)が少ないほど腎臓は仕事をしなくてはならず、ナトリウムが多いほど楽が出来るという事になると思うのですが。

 昔に比べると熱中症で倒れる人が非常に多いような気がします。(これはデータを調べてないのではっきり言えませんが)
 高校駅伝で脱水症状でリタイヤしたり学校の屋外授業で倒れる事例も相次いでるのは、慢性的な塩分不足の人が増えている結果という可能性も考えられます。

 一昔の人が消毒しないとバイキンが入って大変になるよという呪縛に縛られていたように、塩分に関しても大部分の人が控えなきゃいけないという呪縛にしばられているのではないかと思います。
 消毒や糖質制限と同じように間違った呪縛にとらわれて不健康な生活を送っている人が健康的な生活を取り戻せるよう、塩の重要性についても話題としてとりあげていただければ幸いです。

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 塩分と高血圧について早速教えていただきました。
 まず,心療内科の先生から。
 三石巌氏の書。減塩指導する医者の愚かさが記載されています。
 そしてもう一つ。
 塩分制限と高血圧の話ですが、これが正確です。 ⇒食塩感受性
 糖質制限同様、個体差があるものと理解しております。ご参考になりましたら幸甚です。
 「すべての人に減塩を勧めるのではなく、食塩感受性の人だけに勧めるべきであるという考え方が強くなってきている。減塩で血圧降下が期待できるのは食塩感受性者だけであり、しかも、その比率が低いものであることも分かってきたからである」というのを読んで,ちょっとびっくり。私の高血圧に関する知識,間違っていたんだ。

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 6月5日のこのコーナーで紹介した「汗疱の原因は塩分摂取不足では?」というメールを紹介しましたが,茨城県のにしぼり整形外科の西堀先生からこんなメールをいただきました。
 先日、両手足の汗庖の患者さんが受診しました。3か月前から急に出現し、3か所の皮膚科に通い、ステロイドの概要による治療を受けたけど、良くならずに当院を受診しました。
 その時、先生のHPに汗庖と塩分不足の話が出ていたのを思い出し、その点について患者さんに聞いてみました。

 すると、汗庖ができる1か月前に心筋梗塞を起こし、主治医から塩分を1日6g以下に制限するように言われたそうです。もともと屋外で働く肉体労働者で、去年までの夏は塩をなめながら水を飲んで脱水症の予防をしていたそうです。
 塩分不足が原因でしょうと説明したら、患者さんはすごく納得がいったようで、「今までの皮膚科では病状の説明も何もなく軟膏を処方されただけだったのに、ここに来てよかった。」といたく感心されてしまいました。

 ところで、肉体労働者の塩分摂取を6g以下に制限するのは、脱水症になってくれと言っているようなものです。以前、読んだ「健康神話に騙されるな」という本には、塩分をかなり厳密に制限しても血圧は2〜3oHgしか下がらないと書いてあって、塩分制限て本当に必要なのかな?なんて考えてしまいます。
 この「漢方と塩分不足」,「高血圧対策としての塩分制限の妥当性」についてご存知の先生がいらっしゃいましたら,ご教示いただけましたら幸いに存じます

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 昨日(5日),ヒッグス粒子関連で駄文を書きましたが,なんと本職の素粒子物理学の専門の先生からメールをいただきました。まさか,こんなサイトをご覧になっているとは!
 今日のエントリーは,ちょっと自分が叱られている気になってしまいました。国民の税金で勉強させていただき,今また研究をさせていただいていて,果たして自分はそれに見合う成果(見合う,というのをどう測るかも分かりませんが)を出せているのか,今は特に研究が遅れ気味なので耳が痛いです。
 今困っている人の役に立つ,例えばお医者さんが追いかけている「人体」のような超多体系には手を出さず、既知の理論、原理を足がかりに解ける問題だけを追いかけているのが物理屋なのかもしれません。

 素粒子物理学がものすごい額の予算をいただいて途方もない実験施設を作り,人々の理解を超えた方向に進んでいるのは事実です。でも、素粒子物理学はその副産物としてインターネット(WWW)や,スーパーコンピューター,がん治療にも応用されている加速器技術など生み出したりもしていますので,どうぞどうぞ温かく見守っていただきたいと思います。

 ちなみに、円形加速器はLHCが最後だと思います。というのも、荷電粒子ビームを曲げて円形にする際にエネルギーが逃げてしまうため,これ以上の高エネルギー状態を作るのはむずかしいからです。
 次があるとしたら
線形加速器(ILC)です。莫大な予算が必要な超大型の施設,という点では変わりないですが。
 それに対する私の返答です。
 まさか,本職の素粒子物理学の先生からメールを頂けるとは思ってもいませんでした。ちょっとびっくりしています。

 科学の発見について「それって何か役に立つんですか?」と尋ねるのはマスコミの習性ですが,もちろんこれは本来はナンセンスな質問です。
 例えば,9世紀イギリスでのコムギの生産量が正確にわかったところで,それが私達に役立つ訳ありませんから・・・。でも,9世紀イギリスのコムギ生産を是非知りたいという人がいたとき,その研究はナンセンスだ,と言うのは間違っています。
 自分が知りたいことをとことん調べるのが,科学本来の姿です。だから,ヒッグス粒子を見つけたい,反物質がなぜ宇宙で極端に少ないかを知りたい,ビッグバン直後の宇宙の状態を再現したい,9世紀イギリスのコムギ生産高を正確に知りたい・・・という科学者がいるのは当然だし,その知識欲は科学者であれば当然のものです。

 問題は,「9世紀イギリスのコムギ生産高を正確に知るためには,タイムマシンを建造するしか手段がなく,それを作るには途上国10カ国分の国家予算のカネがかかる」という場合にどう判断するかです。

 また,別種の問題もあります。その分野の研究が果たして本当に正しい方向に向かっているのか,もしかしたら袋小路に向かって進んでいるだけではないのか,ということが,研究している当の研究者にはわかりにくいことです。科学の歴史を紐解くと,「みんなで袋小路に向かって研究していた」ことは珍しくありません。みんなで渡れば怖くないと,袋小路に突進していたわけです。医学にはこういう「袋小路みんなで突進@研究」で死屍累々です。こういう研究に投じられた研究費も労力も全て無駄だったわけです。しかし,研究している当人にとっては,それが袋小路かそうでないかはわかりません。

 いずれにしても,個人がポケットマネーで研究できていた牧歌的時代には,こういう問題はなかったでしょうね。科学者個人が個人のカネかパトロンのカネで研究していた時代には,「袋小路行き研究」をしていてもせいぜい本人が破産する程度でしたが,多数の研究者が国家予算規模の予算を使って研究しなければならなくなった時代では,被害はヘタをすると国そのものに及びます。つくづく,難しい時代になったものです。

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 医学の学会と製薬メーカーの問題についてのメールもいただきました。
 今月、日本小児皮膚科学会というのが群馬でありますが、ほぼすべての演題が、製薬企業スポンサードになっています。
 外科は対象患者が年々減っていくと思いますし、内科は製薬企業にのっとられていく。
 最終的にどうなるのでしょうか。
 学会主催者側(今回は群馬大の小児科と皮膚科)は企業名が併記された発表しかないプログラムを見て,「演題がたくさん集まってよかったなぁ」と喜んでいるのか,「企業がバックについて研究しかないの? 最近の学会,ちょっとおかしくなってきたなぁ」と思っているのか,「メーカーがバックについて乗って当たり前っしょ」と気にもとめていないのか,どちらでしょうか?

 私も以前,地方の研究会を主催していたことがありますが,毎回,演題が集まらなくて苦労したものです。他の先生方に聞いても,「演題が集まらない・研究テーマがない」と苦労なさっておられるようです。恐らく,他のいろいろな学会でも似たり寄ったりじゃないかと思います。
 つまり,どんな学会でも研究を進めればすすめるほど,研究テーマがなくなっていくのです。「学会は成熟するほど発表が少なくなる」と言い換えてもいいかもしれません。医学の歴史を紐解くと,どんな学会も最後は自然消滅していったことがわかります。その分野を研究し尽くせば,あとはやることがなくなるのですから当然です。

 「企業バックの研究しかない。医師の自発的研究がない」というのは,多分,そういうことでしょう。

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 ボディーシャンプーを止めてみたら・・・という女性からのメールです。
 最近、糖質制限の話題が多く、シャンプーレスからこのサイトを見ている身としてはちょっと寂しい限りなので、今日は私が体験したボディシャンプーレスの効果についてご報告したく、メールをいたしました。

 当方女性ですが、ボディシャンプーをやめてから、おしりや性器まわりの臭いがほぼなくなりました。
 以前は夏など特に、拭き忘れかと思うくらい下着が臭うときがあり、お風呂のときはそれは懇切丁寧に(陰部を)ボディシャンプーで洗っていたものですが、これは体臭なんだと諦めていました。

 それが、ボディシャンプーをやめたらスッキリ治ったんです! そして、オリモノの量も激減して、オリモノシートフリーになりました。今は汗だくになった日でも下着はほぼ無臭です。
 今まで、洗いすぎで正常細菌叢がやられていたと考えると、すべての説明がつきそうです。もし災害があって数日着替えができなくても、ストレスなくいられそうな自信がつきました。
 世の中には、「彼女のあそこが臭い」と悩んでる人がいるようですが、ぜひ教えてあげたいです!

 なお、我が家では夫もボディシャンプーレスなので、あまったボディシャンプーは風呂掃除に使っています。湯あかが綺麗におちるので、我が家では風呂掃除用マジックリンも買わなくなりました。ボディシャンプーレスといっても、掃除や料理のあとには手を洗うのに石鹸を使うこともあるので、使いまわしができてちょうどいいです。

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 「水いぼ」関連のメールを頂きました。
 ペンレス保険適応通知を添付します。

 「学校感染症に関する統一見解」が日本臨床皮膚科医会の会員ページよりダウンロードできます。
P 99表2「学校感染症に関する統一見解(児童生徒・保護者向け)」(注:学校感染症第三種「その他の感染症」に関する日本臨床皮膚科医会の統一見解として平成16年12月に公表され、平成20年6月、日本小児皮膚科学会との共通見解になりました。)
4)伝染性軟属腫(みずいぼ):幼児、小児によく生じ、放っておいても自然に治ってしまうこともありますが、それまでには長期間を要するため、周囲の小児に感染することを考慮して治療します。プールなどの肌の触れ合う場ではタオルや水着、またプールのビート板や浮き輪の共用を控えるなどの配慮が必要です。この疾患のために学校を休む必要はありません。
共用を控えればプールに入れるということとも解釈できそうです。

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 内科の先生からの「水いぼ」関連メールです。
 2003-2004年ごろの研修医向けの雑誌に(JIM?)下記のような保護者への説明の例がありました。これに賛同してパクッて使用しております。近くの保育園、幼稚園は1か所ずつこの方針を受けて入れてくれました。

 顔面でかゆがり赤くはれている場合は除去しています。広がり続けたときも除去しています。プールに入りたいときも仕方なく除去しています。ペンレステープなどは使わず1%キシロカインを用い27G針でほんの少し膨隆するくらい局麻するとアドソン攝子でむしっても全くいたがりません。一度に10個でも20個でもとれます。取った後はワセリン+採血用のブラットバンをはると翌々日にはだいたい治癒しています。原本を見つけることはできませんでした。
【みずいぼ】
 みずいぼ(伝染性軟属腫)とはみずいぼウイルスが感染しておこる小さな水ほうをつくる病気です。小さな丘状の水ほう様のぶつをつくります。つぶすと白い小さな固まりが出てきます。この中にはウイルスがたくさんいます。これが感染していきます。また、周りに湿疹ができる性質を持っています。

【治療】
  1. つまんでとる。特殊なピンセットでつまんでとります。中から白い芯が出てきます。いくら手早くしてもかなり痛いものです。
  2. 塗り薬:硝酸銀など塗る治療です。焼くので痛みがあります。硝酸銀を塗る方法は40%のものを直接塗ったり、小麦粉で硝酸銀をまぜたり、痛みの少なくなる方法をいろいろ考えられていますが、今ひとつです。硝酸銀を使うと後が焦げたようになります。それで治ってしまうのならいいのですが、何回もしなければならない場合があります。子どもの負担になります。また、治癒すると跡が白くぬけたようになります。直前にキシロカインを塗ってから処置をする方法もあります。
  3. のみ薬:あまり効きません。

【治療の考え方】
※6ヶ月から1年半くらいで自然に治るのでほっておく手があります。ほとんどの教科書(小児科のものでも皮膚の病気に関しては)は皮膚科の先生が書いているので、すぐに取りなさいと書いていますが、実はほっておいていいと私は考えています。
 なぜかというと、取ってもまた出てくるからです。目に見えないくらい小さいものが残っていて、取りきれないものがたくさんあるからです。その度に取らなければならなくなります。みずいぼウイルスに対する抗体ができるまでは続きます。
 みずいぼをとるのは簡単ですが、子どもは大変痛がります。数が多いときは本当に残酷な感じです。自然に治り、できていてもほとんど悪さをしないものに対して、こんな痛い思いをさせるのが本当の治療といえるでしょうか。  また、プールでうつると行って、プールに入れないのもおかしい。手や接触でもうつるのですから。

※硝酸銀の治療法も工夫されたものも含めていろいろやってみましたが、いまいちです。治るまでゆっくり待てばいいでしょう

※季節によっても考え方が違います。夏前に急に増えることが多いです。少ないうちに取るのでしたら、季節も考慮に入れる必要があります。

【注意】
  1. かゆみがあるので、かきむしることがあります。爪をよく切っておきます。周りに湿疹のできる性質がありますので、この湿疹は治療します。
 保育園や幼稚園の先生への手紙を書いてみました。
幼稚園・保育園園長殿

 水イボの季節になりました。感染するということで水イボを取らないとプールに入れないということで、取るようにいわれて受診されますが、以下の理由で取る必要がないと思います。
  1. 取った後、見た目で見えなくてもウイルスは存在する。つまり治癒していないので感染しないとはいえない。
  2. 自分が抗体を作って治癒していなければ、すぐに再び出てくる。おっかけっこになる。
  3. 目に見えないほどの小さいものまでは取りきれない。
  4. プールで移るという確証はない。
  5. 紫外線とプールの強い塩素のため感染する可能性は低い。
  6. ピンセットで一つ一つつまんで取るため非常に痛い。硝酸銀の方法は焼け跡が残る
  7. ほっておいても自然に治る。出たからといって、大きな問題にはならない。
  8. 非常に痛いため、医師を大変怖がるようになる。キシロカインを塗っていても痛いものは痛い。
 私は以前、押さえつけて大泣きさせて水イボをがんばって取っていましたが、今は以上の理由で痛い思いをさせて取る必要はないと考えています。

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内科の先生からの「水いぼ」のメール
 水いぼについてですが、「水いぼ」、「医師会」と検索すると、各地の医師会の(公式?)見解がいくつか出てきます。
 また、学校保健法施行規則が平成11年4月1日より一部改正され、
  1. 「水いぼ」は単に「通常登園停止の措置は必要ないと考えられる伝染病」
  2. 「原則としてプールを禁止する必要はない」 ただし、重症な場合はビート板や浮き輪の共用をしない。
ということが公に認められているようです。公に認められているわけですから、プール禁止としている施設への反論の決定版となると思います。

 当院での対処ですが、放っておいてもなくなることもあり、増えることもあり、かいて傷やとびひになることもあるし、現にとびひになって来院する場合もあるので、そのことおよびプールに関する話題を説明の上、除去を希望する場合には取り除いています。

 私見ですが、除去することで傷を修復する機転が働くのか(免疫力が活性化する?)、除去していない水いぼもなくなることがあります。一時的に増えてもしてもいずれなくなってい くので、全て取りきらなくてもよいようです。

 ちなみに、ペンレスは、H24.6月から水いぼ除去の際にも保険適応となりました。
 というわけで,「水いぼだからプールに入れてはいけない」というのは学校保健法施行規則違反ということになります。

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 小児科の先生からのメール。
 学会で見解を出すことは意味があります。以前、手足口病の出席停止期間で、保育園ともめたことがあって、小児科学会でこういっていたから、とつっぱねることができました。はじめはなかなか、折れてくれなかった保育園も、次第に本人の調子さえ良ければ、登園できるようになりました。
 こういうときは権威の笠を借りるのもよいなあと思いました。

 水イボごときでプールに入れないのは、こどもがかわいそうです。親のエゴではなくて、管理者の問題だと思っています。アトピーでひっかき傷のある子がプールに入ることの方がよっぽど問題ではないでしょうか。
 咽頭結膜熱も診断をつけてしまうと、プールの水を全部かえなければいけない、といわれて、それ以来病名をつけるのをやめました。

 泣き叫ぶくらい痛い処置なら、やらなければいい。もっと痛くない治療がいっぱい紹介されているので、それをやってあげればいいと思います。(本当は必要ではないけれど。)
 こどもが泣くのをみるのは嫌です。

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 ある皮膚科の先生からの「水いぼ関連メール」です。
 水いぼの問題ですが、私は極力治療したくありません。労力だけ多く、儲けは微々たるもの。私の知り合いの皮膚科医でも好んで治療する人はいません。まず無治療で経過をみることを保護者には勧めます。基本的には親の強い希望により仕方なく治療します。

 その誘因は、学校でプールに入れてもらえないことです。学校、保護者の意識が変わらない限り、この問題は解決しません。

 ちなみに無治療の場合、私の経験では短い子で半年、長い子では3年以上かかります。平均しても1、2年はかかると思います。
 その間、プール禁止は酷でしょう。水いぼがあってもプールOK、プールに入るからには水いぼをうつされて文句は言わない、というコンセンサスが得られない限り、治療せざるを得ない状況は続くのではないでしょうか?

 ある小児科医のメールに出ていた、【無治療の時の感染率も変わらなかった】というのは本当ですか? そんなデータをどうやってとったのでしょうか?ちょっと怪しくないですか?
 これに対し,私が「誰かが音頭を取って皮膚科学会,小児科学会を巻き込んでの「エビデンス作り」を立ち上げ,「科学的根拠のある水いぼ治療」のガイドラインを策定する必要があると思うのですが・・・」と返事したところ,次のようなレスをいただきました。
 そううまくはいかないと思います。いくらガイドラインがあっても、今の時代、いくら無害とは言え、自分の子供が水いぼをうつされかねない状況を許容する保護者は少ないと思います。うつされるのが嫌ならプールに入るな、という論理は社会的に通らないでしょう。

 じゃあ、どうすべきか?良い案はありませんが、個人的には、水いぼがあったら学校のプールは我慢するしかないと思います。多分、子供自身はあんな思いをしてまで、学校のプールに入ろうとは思ってません。大体は親のエゴです。本人が頑張って治療するというならする、嫌なら学校のプールは諦めて個人的にこっそりプールに行く、しかないんじゃないでしょうか?
 データとか、エビデンスとか、ガイドラインとかの問題じゃないと思います。

 感染率の問題は、水いぼ治療した場合としない場合の他者に対する感染率を調べるのは現実的には不可能だと思います。私が怪しいと言ったのはそのデータではなく、そんな話があったとメールした小児科の先生がうる覚えで言っているのでは?ということです。実際は、治癒までの期間に有意差はなかったという話で、感染率までは言及していなかったのではないかと推測します。
 確実に言えることは,何が最適な治療かわからないまま,今年もまた「水いぼの季節」がやってくるということです。

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 水いぼについて,ある小児科の先生からのメールです。
 10年以上前だったと思いますが、札幌だか、北海道だかのたぶん小児科医会で、水イボをとった時と、とらなかった時の治癒までの期間を調べたのが、朝日新聞に載っていて、じつは治癒までの期間はかわらなかったという結果がでていました。
 つまりは消毒と同じで、見えるものやとりやすいものだけとっているのであって、小さいものには手をだしていない、ので、本人が水イボウイルスに対する抗体を得なければ、治らないそうです。あと、そのときの結果では感染率も変わらなかったそうです。

 以前背中一面に水イボがでたこどもがいて、赤ちゃんだったので、お母さんもかわいそうだからとらない、と言っていたのが、あるとき急にすーっとへこんでいったのを見たことがあって、それ以来、まわりから、横やりが入らない限りは、積極的にとりにはいきません。聞かれたときは、1-2年たてば、治るよと言っています。
 もっとも、本当の治りがけは湿疹が周りにできて、とても痒いので(つまりは炎症がおこってウイルスが排除されるのでしょうが、そのときは弱いステロイドをだします),ひっかいてとびひになってひどいことになったこともあったし、わたしは見ていませんが、100個以上でた子もいたそうです。

 スイミングスクールや保育園、幼稚園の対応は、ほとんど、できたら取れ、とらなければプールにいれないという方針です。
 水イボ程度で大騒ぎしなくても、と思うのですが、集団生活だとそうもいかないのでしょうね。結局取り切れなくて、一夏プールに入れないこどももいました。
 保育園や幼稚園を説得するのは大変なので、お母さんにはとらなくても治るけど、プールにはいるためには仕方ないよね、などと話をしています。なんか、この構図、湿潤療法に似ていますね。

 基本的に皮膚科はとる、小児科はなるべくとらない、なので、お母さんの強い希望があったときは、さんざん皮膚科で待たせるのはかわいそうなので、治療します。結局ここでことわっても、皮膚科に行くだけなので。
 皮膚科の開業医は、申し訳ないけど、信用していません。周りの皮膚科は、軟膏はすぐ混ぜるし、アズノールとコンベックとか、いらないじゃない、という薬を平然と出すし、ゲンタシン軟膏なんてきかないし、もうちょっと勉強してくれても、と思います。

 自分の専門は逆に新しいことをとりいれにくいということなのでしょう。これも湿潤療法の構図そのものですね。

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 三鷹市で湿潤治療をしている入江先生からこんなメールをいただきました。
 先程、顔面がカサカサに乾いて一部湿疹になっていた乳児が来院しました。実は一週間前にワクチン接種で来院し、ついでに顔の湿疹が気になったことで診察を始めた子供でした。
 皮膚科でプロペト+ヒルドイドを混ぜたものを塗布していたがなかなか良くならないとのことでした。
 当院で悪化した部分にはキンダーベートを塗布し、保湿としてプロペトを広範囲に塗るように指示し、さらに石鹸による洗顔は避けるように指導しました。
 本日再診したところ完璧と行かないまでもかなり改善しているようでした。何よりもお母さんが「石鹸を使わなくなったら明らかによくなった」とのことでした。
 このようなことがあると「洗顔に石鹸を使う」ことの危うさがひしひしと実感されます
 私も以前書きましたが,「傷を石鹸で洗え」と指導している医者がいますが,科学のイロハも知らないバカ医者ではないかと思います。「洗え,洗え!」なんて,あんたはアライグマか,と言いたいです。
 皮膚の様々なトラブルの原因の一つが石鹸であることは間違いないと思います。実際,石鹸(特にボディーソープ)の使用を止めさせるだけで脂漏性湿疹,乳児湿疹,アトピー性皮膚炎の症状が軽快することが少なくありません。

 また,「プロペト+ヒルドイド」という使い方をしている先生も多いですが,せっかくのプロペト(=白色ワセリン)の治療効果をヒルドイドが打ち消してしまいます。なんでこんなお馬鹿な使い方をするんでしょうか。ヒルドイドは保湿剤だと思い込んでいる人がいますが,ヒルドイドは「強力な皮膚乾燥作用」を持つ薬剤です。

 ヒルドイドといえば,肥厚性瘢痕の治療によく使われています。私も随分使ったことがありますが,一例として有効だった症例は見たことがありません。「鰯の頭か加持祈祷」程度の有効性かなと思っています。その意味で,ヘパリン類似物質を主成分とする「小林製薬のアットノン」も同様でしょう。こんな薬をあたかも新薬のように販売する小林製薬,ナイスでございます。

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【<高橋克也容疑者>松本死刑囚を「尊師」、写真も大切に保管】
 昔,「共産主義は英語で言えば "communism" ,アルコール依存症(いわゆるアル中)"alcoholism"。同じ "ism" なら前者を「共産中毒」,後者を「アルコール主義」と呼んでもいいのではないか。両者の違いは日本語への翻訳の問題でしかない」という文章を読んだことがあります。その頃はロシアも中国もバリバリの共産主義国家でしたから,ずいぶん乱暴な話だなぁ,と思ったものです。

 上記の記事を読んで,なぜかこの話を思い出しました。テレビのコメンテーターは「いまだに解けぬマインドコントロール」というしゃべっていますが,彼の態度を「オウム真理教に対する信仰心=マインドコントロール」と考えるのはおかしいです。昨日も書いたように,54歳の人間にとっては「今さら引き返せる年齢ではない」,「自分の人生を否定されてはかなわない」という意識しかありません。それはマインドコントロールとは無関係であり,「30代なら引き返せるけど50代なかばになると引き返せない」という違いしかありません。

 さて,話のついでに「現代日本における共産主義」について考えると,現在の日本における共産党って,ちょっと「いたい存在」ですよね。共産主義の本家本元のソビエトはとっくの昔に潰れているし,中国共産党だって共産主義革命なんてアホな事は言っていません。共産主義革命はいわば,20世紀前半から後半にかけての壮大な実験であり,その実験はすでに失敗に終わっています。そういう共産主義を党名につけているだけで,私は「ちょっとイタイなぁ」とと思ってしまいます。
 かと言って,日本共産党の方々が日本を共産主義国にしようと活動をしていないことも明らかです。そんなの無理なことは彼らが一番良く知っているはずです。それなのに彼らは「共産党」という言葉にこだわり続けています。
 だからといって,「共産党員は共産主義のマインドコントロールがいまだに解けていないからだ」とは言えないでしょう。なぜ共産党という言葉に拘るかというと,「今さら共産主義という党名を捨てたら,自分の過去を全て否定することになる」からでしょう。止めるに止められない,という心理じゃないかと思います。

 要するに,堅い信仰と呼ぶか,マインドコントロールと呼ぶかは呼ぶ方の都合なんですね。"alcoholism" をアルコール中毒(=マインドコントロール)と呼ぶか,アルコール主義(=論理的に考えて選択した)と呼ぶかという問題と同じです。

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【高橋容疑者、留置場で蓮華座組み教団の儀式も】
 こういうニュースにコメンテイターは必ず「まだ,マインドコントロールが解けていないのでしょうか」とコメントしますが,それは違うんじゃないかと思います。マインドコントールではなく,オウム真理教を否定したら自分の人生の20年間を「全く意味がなかった20年間だった。ただ無意味に年を取っただけの人生だった」と認めることになるからなんですよ。
 だから,自分でも馬鹿馬鹿しいと内心思いながらも,意固地になってマントラを唱えて蓮華座を組んでいるのです。むしろ,馬鹿馬鹿しいと思っているから余計熱心に,人前ではマントラを唱えるのかもしれません。

 何しろ高橋容疑者は私とほぼ同年代の54歳です。もう人生をゼロからやり直す気力はないでしょう。人生をやり直したくなければ,それまでの人生を肯定するしかありません。むしろ,それまでより一生懸命に「自分の人生は意味がある」と信じなければやっていけないはずです。
 ここでオウムの教えを否定したら人生はゼロからの出発になりますが,しかし,最後までオウムの教えを守っていたら,それで一発逆転になる可能性はゼロではありません(オウム真理教が国教化される可能性だってありますからね)。だから,54歳のオッサン信者はかたくなにオウムのマントラを唱え,蓮華座を組んでいるのです。

 何やらこのあたりは,従来の治療(=消毒+軟膏ガーゼ+皮膚移植)に固執している先生方に重なって見えますが,私の目の錯覚,あるいは気のせいでしょう。

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【「特定看護師」導入が無慈悲な激務に輪をかける?】
 特定看護師制度が導入された時に,医療現場でどのような問題が起こるかを丁寧に説明している記事です。はっきり言えば,有害無益な構想です。
 なんでこんなロクデモナイ制度が考案されたかというと,もちろん裏があります。雑誌「エキスパートナース」の内部事情を告発するメールを以前紹介しましたが,ここにもあるように,WOCナースなどの認定看護師制度をたちあげて認定看護師を養成したのはいいけれど,瞬く間に過剰状態となり,その救済策として特定看護師制度をぶちあげた,というわけです。

 この「認定看護師」について医師はあまり知りませんが,認定システムを知るとびっくりしますぜ。その取得に最低でも50万円,多い人では200万円以上かかるのです(学校が近くになければアパートを借りて住まなければいけないから)。しかも,半年間は病院を休んで学校に通わなくてはいけません。それがWOCなどの認定看護師です。

 これがいかに異常かは,医師の「認定医制度・専門医制度」と比較するとわかります。認定医にしろ専門医にしろ,かかる金は「受験料の数万円+毎年の学会費(1〜2万円くらいかな?)」だけです。また,病院の業務を休む必要もありません。
 もしもこれが「認定医になるためには200万円準備し,半年間病院を休み,授業料50万円の学校に通わないといけない」という制度だったらどうでしょうか。多分,そんなのに付き合う医者はいないと思いますが,いかがでしょうか。50万円と聞いただけで「アホくさ!」ですよね。
 ところが,看護師さんたちは50万円を払って,病院を休職して学校に通っているのです。200万円を準備してWOCの資格を取得しているのです。医師の側からすると,なにか変なのですが,看護師サイドからするとこれが普通らしいのです。

 では,そうやって誕生した認定看護師はどういう業務をするかというと,普通業務がほとんどで,認定看護師としての知識が生かされるのはごく一部です。毎日褥瘡患者の処置だけしていればいい,というわけではないからです。
 となると,高いカネを出して認定看護師になった意味がありません。となると,看護協会側としてはその「意味」を新たに創設する必要があります。それが特定看護師制度ではないかと思います。

 「WOCナース(創傷・オストミー・失禁看護)とは言っても,一日中その専門の仕事をしているわけではない」と書きましたが,これは医者の専門医と比べるとその違いは歴然としています。例えば脳外科の専門医は一日中脳外科医として仕事をしていて,脳外科以外の仕事は多くありません。これは耳鼻科の専門医,眼科の専門医,精神科の専門医も同じです。余程の異常事態にでもならない限り(例:大規模災害が起こりいっぺんに多数の怪我人が発生),専門医は自分の専門の仕事をします。

 一方,WOCナースは一日中,ストマケアと褥瘡ケアをしているわけではありません。一日の業務の大半は病棟や外来の業務であり,ごく一部の時間だけストマケアや褥瘡処置をするだけです。「私はWOCなのだから,褥瘡とストマケア以外の仕事はしません」という主張は通りません。
 となると,半年間も病院を休職して学校に通い200万円もかかったのに・・・という不満の声が上がるのは当然です。しかも,認定ナースは毎年どんどん増えています。このあたりは,弁護士を増やすだけ増やしたのに仕事が無いという法曹増員問題と根は同じです。

 こういう不満を解消する手段はひとつしかありません。「褥瘡ケア,ストマケアは専門知識を持つ認定看護師だけが行える看護業務である」と決めることです。こうすれば,わざわざ大金を支払ってWOCナースになった意味があるというものです。あとはその方向で制度改正するだけです。おそらくそれが今回の特定看護師制度につながっています。
 もちろんこれで問題は解決するように見えますが,一つ盲点があります。素人でもほぼ間違いのない褥瘡治療ができる「褥瘡のいわゆるラップ療法(OpWT法)」が世の中に広まっていることです。穴あきポリ袋と紙おむつさえあれば,骨が見えている褥瘡でも治療でき,おまけに治療材料や薬品の知識も入りません。さらに,褥瘡の病態についての知識も不要です。「褥瘡なんて専門知識がなくても治せるんじゃん」ということに皆が気がつき始めています。
 となると,「素人でも治療できるものを,特定の看護師しかできないものにする」という方向性が妥当なのか,ということになります。これは例えて言えば,誰でも普通にしている手洗いという行為を,手洗い認定看護師だけができる行為と定めるようなものです。

 ちなみに聞いたところによると,認定看護師の学校(というのかな?)はここ数年,定員割れの状態が続いているそうです。

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 30代女性からシャンプーレスについてのメールをいただきました。
 シャンプーレスについてはもう2年になります。
 きっかけは、ある日気付くとフケが落ちるようになり、猛烈なかゆみが出てきました。薬用シャンプーを使っても改善せず、臭いまで発するようになったので皮膚科にかかりましたが改善しませんでした。インターネットで色々調べるうちに、界面活性剤が元凶だったとわかりましたが、躊躇していました。
 思い切って誰にも合わない休日の前夜に石鹸不使用、お湯シャンプーの入浴を実践した所、かゆみがぴたりと止まりました。いつも風呂あがりは顔や首元に赤く斑点のようなものが出来ていましたがそれから出来なくなりました。風呂で体が温まって赤くなってると、今まで気にもしていませんでしたが、これも洗顔料やボディソープの影響だったのです。
 最近、頭皮湿疹の薬が出ていますが、CMやドラッグストアで見るたびに「シャンプーを止めればいいのに」と思います。
 しかし、人にはなかなか勧めることができませんし、2年経ってもカミングアウトしたのは数名だけです。

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 汗疱と塩分不足についてのメールをいただきました。
娘は汗疱で足裏の皮がべろべろとむけることがよくありました。6月に入って、皮をひっぱって赤むけにしてしまったところ、6/5のサイトを見てびっくり。
 塩分不足!!!
 気づきませんでした。思いもしませんでした。

 彼女はとても汗かきです。こんなに涼しい今日でも、朝駅まで10分歩くだけで汗だく。
 積極的に塩分を取るようにトライしたら…。劇的改善しました。分厚く、黄色みのかかった足裏の皮膚がきれいになくなり、もうすぐ皮むけ完全終了です。毎日写真をとっておけばよかった。

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【微生物は鉱物の“電線”で電子を交換】
 土壌中の細菌と微生物,植物が半径数百メートルに渡る巨大な共生生命体として生きていることは知っていましたが,まさか種類の違う細菌同士が,導電性鉱物を「電線」として電子のやり取りをしているとは想像もしていませんでした。
 だって,「電子のやり取り」とは「呼吸の本質」ですよ。呼吸とは何かといえば,電子のやり取りで生じたプロトンの濃度差によりATPを作ることにほかなりません。ということは,土壌中の細菌,岩石の中の細菌は「全体として呼吸している」ということになるはずです。つまり,導電性鉱物が存在する範囲すべての細菌が種類の壁を超えて「呼吸=ATP産生」を共有・融通しあっている,という壮大な仮説すら浮かび上がります。まさに大興奮です。

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【鳥の登場が昆虫の巨大化を阻止?】
 生物学ヲタク,古生物ヲタクならワクワクしながら読んだと思います。石炭紀(3億年前)は大気中の酸素濃度が高く,ネガネウラなどの巨大昆虫が地上を支配していたのに,ジュラ紀(1億5千万年前)の酸素濃度の上昇の時期に昆虫が巨大化しなかったのはなぜなの,という疑問に明快に答えてくれる研究成果です。

 両者を分けたのは呼吸システムだったと思われます。昆虫の場合,酸素の取り入れと二酸化炭素の排泄は気門で行われ,その基本は「拡散」です。拡散の速度は温度に依存し,ATPの産生量はミトコンドリアが処理できた酸素の量に依存しますから,昆虫ではATPの量は温度(=分子の拡散速度)に依存します。
 一方,鳥類はその祖先である獣脚類から受け継いだ「気嚢」という優れたガス交換機能を持ち(だから,鳥はヒマラヤ山脈より高く飛べる),しかも,ミトコンドリア外膜は哺乳類のミトコンドリア外膜よりスーパーオキサイドを通しにくいという特性を持っています(このためか,鳥類は一般に同体重の哺乳類よりはるかに長命)

 この両者がジュラ紀にぶつかったわけです。もちろん,気門で呼吸する昆虫に勝ち目はありません。その結果,中型〜大型種は鳥類が制覇し,今日に至ります。
 一方,体のサイズが小さければ,気門でも十分な酸素が取り入れられ,逆に,体温を維持するために大量の食料を必要とする鳥類より,変温動物の昆虫のほうが有利になり,小型種は依然として昆虫の天下です。これは体重10グラム以下の鳥類はハチドリなどに限定されていることからも明らかです。

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 汗疱について,メールをいただきました。
 汗疱について書かれておりましたが私自身の経験がお役に立てばと思いメールさせて頂きました。
 先に結論を申し上げますと、汗疱は「塩分不足」が原因で、塩を摂る事で簡単に改善するのではないかと思っております。

 私自身(現在44歳)若い頃から手足が荒れやすく、手足が汗疱又は掌蹠膿疱の症状が良く出てました。(病院で診断した事が無いのでどちらかはわかりませんが)
 一度水泡が出始めると手全体の皮が一度全部剥けるまで広がり、全部剥けると一度おさまるのですがしばらくすると又水泡ができ始め皮がむけるを繰り返していました。
 手荒れにはワセリンが良いという事を夏井先生のサイトで知り、風呂上りにワセリンを塗る事でかなり改善ししばらく綺麗な状態が続いていたのですが、この春にいくらワセリンを塗ってもまるで効かない状態になりました。その頃は身体全体の肌の調子が悪く、めったに出来ない顔にもニキビが出来る始末。
 ビオチンや亜鉛を摂取してもまるで改善しなかったのですが、ふと思い出して塩を毎日5g程度摂るようにしたら2〜3日ですっかり綺麗になってしまいました。
 数年前気付いた事ですが、実は私はかなりの汗かきで、計算すると夏場は汗+排泄物+尿で最低15g程度塩分を排出していると思われるにもかかわらず、もともと薄味が好みなので食事からは6g程度しか塩分を摂っていないので慢性的塩分不足になっていました。
 私の場合塩分不足になると食欲減退、関節痛、肌荒れ、歯茎が腫れやすくなるなど抵抗力の低下等を感じていましたので、夏場は特に塩をたくさん摂るようにしてましたが、冬場は特に摂取してませんでした。
 今年は涼しい日が続いていた為まだ塩を増量して摂る時期では無いと思っていたのですが、手が荒れだした頃はある理由により毎日2Lくらい汗をかいてまして、完全な塩分不足となっていたのです。

 ネットで汗疱を調べますと、「多汗症」の人が「夏場」に発症する事が多いとの事なので実は汗疱は単なる塩分不足で発症している人が多いのではないかとも考えられます。

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【一触即発のアジア領海問題 引き金を引くのはウロチョロする中国漁民】
 中国側の事情が非常によくわかる記事です。中国近海での乱獲による漁獲量激減と渤海の原油流出事故が重なり,遠くの海に行かざるをえない事情とか,もともと自分たちの海だったという意識とか,いろいろな問題が絡んでいるようです。
 ただ,中国近海で無計画に魚を獲り尽くして魚のいない海にしたように,南沙諸島やスカボロー礁でも無計画に魚を取れば,やがてその漁場も荒廃して魚がいなくなる,と言うことに気がついていません。つまり,中国に欠けているのは漁業における長期的ビジョン,持続可能な漁業をどう構築するかというビジョンです。
 今の中国に本当に必要なのは「沿岸で魚を育てて増やし,それを食料にする」という発想です。近くで魚が獲れなくなれば遠くに行けばいい,という発想から脱却することです。

 ちなみに,中国は大陸面積の割に海岸線が短く,しかも海岸線が単調です。このため伝統的に,海より川や湖に親しんできたようです。だから,中華料理は淡水魚がメインであり,海水魚の料理は非常に少ないという特徴を持っているのだそうです。

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【エイズ新規患者、最多の473人 11年確定値】
 そういえばエイズというウイルス感染症があったっけ,というくらい影が薄くなってしまったのがエイズです。2011年を通じての新規発症患者が473人というのは多いのか少ないのか微妙な数字ですが,その他の疾患と比べてみると,小児の神経芽腫の発生は200人,再生不良性貧血は600人,上咽頭ガンの発生数は500人,悪性黒色腫の患者は1,500〜2,000人,インフルエンザによる死者は150〜600人(2007〜2010年),交通事故の死者数は4,000人,餅を喉につまらせての窒息死は1,000人・・・というのと比較すると面白いです。

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【ジョブズのような人材を輩出できないと悩む中国、その元凶は自分自身なのだが…―米メディア】
 「中国では学生が公然と教授の見解に異を唱えることなど到底できない」とありますが,このような状態について以前読んだ本では「これは科挙の弊害だ」と説明していました。

 科挙はご存知のように中国の管領登用試験で,西暦598年に始まり,1905年の清朝末期に至るまで1300年間も続けて行われてきた,まさに中国文化の根底をなすシステムです。
 科挙には様々な科目がありましたが,重要視されたのは四書(論語,大学,中庸,孟子),五経(易経,書経,詩経,礼記,春秋)で,それらを全て丸暗記するのが最低レベルだったとか(・・・というふうにその本では説明していました)。要するに,大昔の文書を丸暗記することが要求されたわけです。
 このため,四書五経の内容に疑問を持ったり,批判するすることはご法度になったらしいです。四書五経が正しいことを前提に科挙という制度が組み立てられていますから,四書五経の内容を疑ってしまうとシステム全体が崩壊してしまいます。このあたりは,聖書を否定したらキリスト教が崩壊し,イスラム教ではコーランに疑問を持つことが許されないのと同じです。この結果,「正しいことは既に決まっていて,我々はそれを覚えるだけでいい」としか発想できない人間しか生み出せなくなったんだとか。
 同様の現象はイスラム国の大学で教鞭をとったことがある日本人の学者も述べていて,この先生によると,某国の大学には「丸暗記することは得意だが批判精神がない」学生しかいなかったそうです。

 ちなみに,私が漢方医学の考え方が合わないのは,漢方の基本的な考え方・基本原理が1000年以上前にすでに定まっていて,後世の医者はそれを暗記することで成り立っているからです。要するに,漢方の教科書の内容が正しいことを大前提に組み立てられているように見えるのです。
 教科書の内容は間違っているかもしれない,という疑いを持たずに教科書を読むのはおかしいと思うんだけど・・・。違うかなぁ?

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【最初の四足動物は歩けなかった】
 最初の陸棲動物であり,魚類と両生類をつなぐ位置にいるのがイクチオステガですが,「その四肢は歩くためのものではなかった。歩ける構造ではなかったからだ」という最新の研究を伝える記事です。

 ちなみに,イクチオステガが海中から陸地を目指した理由は「鉄」を必要としたからだ,という考えがあります。原初の海水(=還元的環境)では豊富だった鉄イオンが,シアノバクテリアによる酸素排泄で増加した酸素で酸化されて酸化鉄となって沈殿し,鉄イオンが海水中で欠乏したからです。しかし,鉄イオンは酸素呼吸にも様々な酵素にも必須な元素として使われていたため,不足したから別の元素,というわけにはいきません。
 一方,陸地には造山運動で酸化鉄が地面に露出し,河川の水には海水より多くの鉄イオンが含まれていました。だから,イクチオステガは鉄イオンを求めて河口に移動し,そこを生活の場としたのでしょう。もしも他の動物が「河口に鉄が豊富にある」ことをまだ気がついていなければ,そこは新たなニッチとなります。
 しかし,安定した環境である海中とは異なり,河口は不安定な環境であり,何より,乾燥という致死的な危険と背中合わせです。そこでイクチオステガは・・・というのが,私が考えるストーリーです。

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 乗馬が趣味という方からのメールです。
 湿潤治療をネットで知り,以後は自分でワセリンと台所ラップで傷を治しています。
 ちゃんとした保護剤で湿潤療法してくれるかと期待して受診した、「作りだけはけっこう今風の皮膚科クリニック」では、ドクターがナースに「ヒビテンで消毒」と一言で心底がっかりしました。
 私の顔の傷があっという間にキレイに治ったので、同じところで乗馬をしている仲間はみなケガをしたら湿潤療法ををしているようですし、私自身、ロッカーにワセリンを常備しています。

 さて、本日メールいたしましたのは、標記のネットTV、少し古い情報なのですが、本年の1月にインプレスウォッチビデオというところの
「スタパビジョン」内の「そしな」というコーナーで湿潤療法が紹介されていたので、お知らせする次第です。1/17付、#88に「湿潤療法用パッド特集」として紹介されています。

 実は私、先生のサイトに「湿潤療法をしている医師」として掲載されている、東京都江戸川区の小松川クリニックの櫻本先生の指導で、2年ほど糖質制限をしています。糖尿病ではありませんが、喘息などのアレルギーがあるもので、血糖値をあまり乱高下させない方がいいだろうということで始めたのですが、もともとが肉好きなのでまったく苦にならず体調もすこぶる良好、この生活につき合わせた夫も10kg減量できて言うことなしです。
 湿潤療法も糖質制限も、理屈はとてもシンプルで医者ではないわれわれ素人には「そりゃそうだ」とすぐ納得できるものなのに、お利口なドクター達にはなかなか受容できないのですね。
 ちなみに,上記のスタパさんの番組ではプラスモイストも紹介されています

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 先日,小学校1年生のアトピー性皮膚炎の患者さんが受診されました。乳児期からのアトピーでさまざまな皮膚科を受診し,数年前から脱ステロイド治療をする皮膚科クリニックに通っているのだそうです。ご両親の話によると,たしかにステロイド軟膏は使わなくなり,医者からは「もう治ったから通院しなくていい」と言われているそうですが,ご両親はその説明に納得できず,何とかならないかということで私の外来を受診されたそうです。
 なぜ,納得できないかというと,顔は痂皮だらけだし,痒がって常に手足を掻いているからです。ステロイド軟膏は使っていないけれど,アトピーの症状は何一つ解決していないからです。素人目に見ると,アトピーは全く治っていません。
 そこでご両親に湿潤治療について説明し,「治らなかったらごめんね」と最初から謝ってからデュオアクティブを貼付。処置方法を指導し,2日後に再受診して頂きましたが,ものの見事にきれいな顔になっていました。そして,張っているところは痒くないらしく,「手にも貼って!」とお願いされる始末。よかった,よかった。
 それにしても,アトピー性皮膚炎の治療とは何なのか,脱ステロイド治療とはステロイドをやめれば治療終了なのかと,いろいろ考えさせられた症例でした。

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【日本医科大病院で11人院内感染か】
 「うち6人が死亡したが、いずれも死因はもともと抱えていた病気によるもので、アシネトバクターとの因果関係はないという」という記事の内容が正しいとすれば,この11名の死を「院内感染」として報道するのは間違いであり,さも一大事のように報道する事自体が間違っています。いくら抗生物質への耐性を持っていたとしても,その細菌にもともと病原性がなければ何の問題もないからです。

 以前にも書きましたが,MRSAは増殖速度が非耐性黄ブ菌に比べて5倍ほど遅いという結果が出ています。なぜ遅いかというと,耐性遺伝子(=抗生物質を分解する酵素を生産するのに必要な遺伝子)の分だけゲノムサイズが大きくなり,遺伝子複写に時間が掛かるためでしょう。細菌という生物は分裂速度の速さでコロニーが作れるか作れないかが決まり,分裂が遅い細菌は速い細菌に絶対に勝てません。そのため,自然界の細菌は不要不急の遺伝子をどんどん捨てて身軽になろうとする傾向があります。

 これは要するに,荷物を持たずに100m走るのと20kgの荷物(=耐性遺伝子)を背負って走るのではどちらが先にゴールに到着できるか,というのと同じです。MRSAは重い荷物を背負ってレースに参加していて,かたや非耐性菌は何も背負わずに身軽です。当然,非耐性菌は軽快に走り,MRSAは最後尾をノタノタ走ります。
 MRSAがこの生存レースに生き残るためには,重い荷物を捨てて身軽になるしかないし,荷物を捨てない状態のMRSAは自然界では生きられません。

 しかし,MRSAが背負っている重荷が役に立つことがあります。人間様が抗生物質を使ってくれた時です。この時,荷物を持たない身軽な非耐性菌は全て死にますから,最後尾をのたのた歩いているMRSAがその時点では先頭に立ちます。しかし,重荷を背負っていることに変わりはないためスピードは相変わらず亀のごとく遅く,身軽な非耐性菌がどこからかやってくれば一気に追いぬかれてまたどん尻に逆戻りです。ここで人間様が気を利かして抗生剤を何度も投与してくれると,MRSAでもようやくゴールに辿りつけ,コロニーを作れるわけです。

 このように考えると,耐性菌が病原性を持つということは,二重に重荷を背負っていることだとわかります。20kg(=耐性遺伝子)でも嫌になるくらい重いのに,さらに20kgの病原遺伝子・毒性遺伝子を背負わされるのですから,もう動くに動けません。つまり,耐性菌が病原性を持ったらそれこそ分裂もままならないはずです。
 というわけで,今回問題のアシネトバクターは多分,病原性はほとんどないと思われます。臓器に取り付いたとしてもコロニーを作るには医者が繰り返し繰り返し,複数の抗生物質を投与して援助してくれることが必要です(つまり,医者がアシネトバクターの育ての親)。首尾よくコロニーを作れたとしても,そこから病気を起こす毒素を産生するのはまた一苦労のはずです。

 細菌が強い毒性を持つということがどれほど大変かは,破傷風菌やウェルシュ菌を見るとわかります。この2つは感染すると人間を殺すほど強い毒性を発揮しますが,その毒素を産生するために他の遺伝子を持つ余裕がなくなり,生存に絶対必要な必須アミノ酸合成遺伝子を失ってしまったくらいです。

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 昨日書いた「漢方薬の新薬開発はどうなっているの?」という疑問に対し,ある薬剤師さんからの回答です。ありがとうございました。  非常にわかりやすい,明確な説明です。

 更にもう一歩踏み込んでいくと,漢方治療の基本理念(正と邪のバランスがドータラコータラ,陰と陽のバランスがドータラコータラ)そのものが間違っているという可能性を漢方の先生たちは考えているのかな,というのが気になります。
 もちろん,「そこを疑ったら漢方医学は成立しないよ」という声が聞こえてきそうですが・・・。

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 こういう初心者みたいなことを質問するのはすごく恥ずかしいのですが,昔から疑問だったことがあります。それは
  • 漢方で新規の漢方薬の開発はどうなっているのか?
という疑問です。ご存じの方がいらっしゃったら,是非教えていただきたいのです。

 なぜこんな疑問を持ったかというと,数年前に
「紫雲膏は傷に塗っちゃダメ!」と書いた時,ある漢方の先生から「昔から使っている軟膏がダメとなるとちょっと困りました」とメールをいただいたからです。どうもその先生の文面を読むと,「漢方では使える薬剤が昔から決まっていて,新しく付け加わる薬剤はない」という風に読めたからです。

 この疑問は,「従来の漢方薬の分類には含まれない全く新しい植物が見つかって,それが明らかな治療効果を持っていた時,それは漢方薬として使われるようになるのか」と言い換えてもいいですし,「昔からの漢方の治療理論が間違っていた場合はどうなるのか」と言うこともできます。
 西洋医学の場合,治療理論の間違いとか基礎理論の間違いなんて珍しくありませんが,漢方医学の場合はそこら辺はどうなんでしょうか。

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【米大統領選で話題の“モルモン教”総本山を直撃(上)】
 へぇ,モルモン教(正式には末日聖徒イエス・キリスト教会)ってそういう宗教だったのか,というこれまた目からウロコの記事です。

 アメリカ独立の13州とはプロテスタントの宗派(メソジストとか長老派とかクエーカーとか)ごとに異なった入植地に入って,それが13あったために13の州が独立,という具合に覚えていましたが,モルモン教の場合にはアメリカ独立後に誕生したもので,キリストと交信した預言者がつくった教義に基づく宗教だったんですね。ヨーロッパではショパンが活躍していた時代です。
 そのモルモン教徒の総本山である教会があるのがユタ州であり,州都のソルトレークシティですが,もともとは西部開拓の時に見つかった巨大な塩湖しかない荒地に,他のアメリカ建国以来のプロテスタント宗派からカルト扱い(とは言っても,カトリックから見ればプロテスタントはカルトであり,ルター派プロテスタントから見ればメソジストもクエーカーもカルトですけどね)されたモルモン教徒が,他から迫害されずに心ゆくまでモルモン書を信仰するために入植し,作り上げた街であり,州なんですね。現時点では,ユタ州の人口(220万人)の70%がモルモン教とのことです(ちなみに,アメリカ全体では800以上の宗派があるそうです)
 そういうモルモン教の信者が増え,しかも経済活動も活発である様子がこの記事からわかります。
 ちなみに,私が知っているモルモン教との信者といえば,ケント・ギルバートさん,ケント・デリカットさん,斉藤由貴さんあたりです。

 ちなみに,モルモン教では,お酒はもちろんのこと,コーヒー,紅茶,お茶まで禁止されていますから,私は絶対に入信無理だし,私がモルモン教会の入口に立っただけで「こいつは邪教徒!」と警報装置が鳴ることでしょう。
 それにしても,お酒も駄目,お茶も駄目,コーヒーなんてもっての外という,「みんなで我慢大会教」としか思えない宗教の信者が移住して巨大な街を作ったというのがすごいというか,ちょっと信じられません。もちろん,向こうからすれば「酒なんか飲んでるお前のほうが異常」なんでしょうが・・・。

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【害虫の殺虫剤抵抗性は共生細菌が原因】
 「昆虫が殺虫剤抵抗性を獲得するのでなく,昆虫の共生細菌が耐性遺伝子を獲得して分解しているのだ」という研究ですが,多分これが正解でしょう。カメムシのライフサイクルからすると,遺伝子レベルで変異して耐性能力を獲得したとするには無理があります。
 一方,土壌や湖沼には遊離溶存型DNAが大量に存在し,それらが遺伝子としての機能していることは確認されています。つまり,土壌やも湖沼は巨大な遺伝子プールなのです。
 そして,細菌という生物は,どんどん遺伝子を変えていくのが基本的性質です。そのための,「新たな遺伝子導入の場」として土壌や湖沼が利用されているらしいのです。
 このように考えると,「昆虫の遺伝子でなく,共生細菌の遺伝子が変わるのだ」という考えは頷けるものです。

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 頭皮の悩みからシャンプーなし生活に踏み切った女性からのメールです。
 シャンプーなし生活、続いています。そこで、発見があったので報告します。
 石鹸シャンプーの際、リンスにはクエン酸やお酢を薄めて使うそうなのですが、これで髪を洗ったらどうなのかと思って試してみました。私の髪の長さは肩くらいなのですが、洗い上がりがしなやかになってビックリしました!

 ちなみにやりかたは
お湯で丁寧に頭を流す
     ↓
洗面器に大匙1杯くらいのお酢を入れ、お湯をこぼれない程度に入れる
     ↓
その洗面器の中で頭皮を洗う
     ↓
お湯で軽くすすぐ
です。
 石鹸生活についてまとめてあるサイトなど参考にしたのですが、それらによると、お酢は匂いが気になるからクエン酸の方が良いかもしれないと書いてあったりするのですが、私は全然匂いは気にならないです!

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 ある病院の皮膚科の先生からのメールです。
 不定期で訪問している施設で、入所者に対して入浴時石けん使用を中止したところ、それまで多かったかゆみを訴える患者さんが激減したそうです。

 事の発端は、しばらく前の訪問の時でしたが、あまりにかゆみを訴える患者さんが多いので、ふと思って入浴のことを聞いてみたら、「毎回、入浴の際はしっかり石けんで体を洗っています」との返答を得たことにあります。「そのせいで乾燥してかゆいのかもしれないから、思い切ってやめたらどう?」と、提案してみたのです。看護師はよく理解してくれましたが、介護士は「今までずっとそうだったし、石けんを使わなくてきれいになるのか?」と、かなりの反発があったそうです。それでも事情を説明してもらって施設内でコンセンサスを得て、その後試験的に石けん使用中止としていたそうです。そうしたら、それまでいた数多くのかゆがる患者さんが激減したようです。

 介護士にとって、石けんを使わないで入浴介助をするというのが、手抜きのように思われたのでしょう。やや感情的な反発もあったそうですが、それでもしっかり理解して踏み切った勇気には、ちょっと敬服しました。今ではすべてのスタッフが協力的だそうです。
 おかげで、それまで大量に使っていたステロイド外用剤や保湿剤が不要になり、石けんの分も合わせると経済的にも労力でも大きな負担軽減になっているそうです。よかれと思ってしているサービスが、実はかえって逆効果だったというのは、他にもいろいろありそうですが、石けん使用中止はわかりやすく結果が出ますね。

 体に落屑が大量にあって、「不潔!」なんてスタッフに言われていた利用者さんが、実は白癬だったというケースもありました。
 石けん使用中止は、他にも広がっていくと良いと思いました。
 「よく石鹸をつけて一生懸命洗ってさしあげるのが介護士の仕事」と思い込んでしまうと入所者の痒みと皮膚の乾燥が悪化します。考えてみたら当たり前の事なんですが,石鹸で洗うことが業務の一分になっているとそれに気が付かなくなります。
 私の外来でも,乾燥肌と痒みで受診された患者さんには一番最初に「ボディーソープとナイロンタオルの使用を止めなさい」と指導しますが,これだけで症状がなくなる患者さんが結構いますね。

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【抗菌縫合糸、SSIリスク減らさず】
 詳しくは本文をお読みいただくとして,私からすると「手間と時間と金をかけてなんておバカな研究をしているんだろうか。よほど暇なんだろうか?」というのが率直な感想。
 CDCを頂点とする感染対策の世界では,「術後創感染(SSI)を起こす細菌は手術中に手術創から侵入する」ということを大前提にしています。だから,「手術室を無菌にして,手術中に無菌操作をして,さらに抗菌効果のある縫合糸を使えば細菌は侵入せず,SSIも起こらない」という風になります。この大前提が正しければいいのですが,実はこの大前提自体が間違っています。
 現実に起きている創感染を見ると,[受傷後,長い日数が経ってから発症する創感染が多いのです。これは低温熱傷の自然経過を見ても明らかです。創感染を起こす細菌は受傷時だけでなく,それからかなり時間がたってからでも侵入すると考えなければこの現象は説明できません。何しろ創感染の起炎菌は20分に一度分裂しますから,手術時に細菌が入ったとすれば数時間後には細菌数は限界値にまで増え,この時点で感染症状が起きなければならないはずです。なぜこんな簡単なことにCDCが気が付かないのか,私には理解できません。
 今回の「抗菌縫合糸を使ってもSSIは減らない」というのはまさに,「術中に侵入する細菌をいかに減らしてもSSIは制御できない」ことを証明するものでしょう。

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 外出するときはほぼ必ずAndroidの7インチ・タブレットを持って出る。外出先でネットを見たり,初めての街でGPSを使いながら目指すお店を探したりと便利だからだ。Bluetooth接続のキーボードもあり,文字入力も格段に便利になった。だが,「タブレット+外付けキーボード」でノートパソコンになるかというと,それには程遠いのが現実だ。既成の情報を閲覧するのにはタブレットPCは非常に便利なデバイスだが,情報の閲覧以外のことをしようとすると全く非力である。
 「タブレット+外付けキーボード」でできるのは簡単な文章や定型文を入力することだ(少なくともAndroidタブレットはそうだ)。それ以外の「複数のネット情報をコピーして貼り付け,それらを元に自分なりの文章を作る」とか,「以前に書いた文章を参照しながら,新たな文章を創作する」とかしようとすると,とたんに困難に直面する。狙った文字列のコピーをするだけでも面倒だ。もちろん,画面に表示されている文字列を狙って指で長押しすればコピー開始となるのだが,OS自体にカーソルという概念がないため,実際に押すまでどこが押されるかわからないのだ。
 それと,外付けキーボードで文字入力は可能だが,コピー&ペーストがキーボードでできないため,非常に効率が悪い。ノートパソコンだとキーボードから手を離さずにあらゆる操作ができるが,「Androidタブレット+外付けキーボード」ではそれができないのである。また,コピー&ペーストにショートカットキーが使えないのも痛い。それまで日常的にできていたことができなくなるのは,非常にストレスだ。
 というわけで,「Androidタブレット+外付けキーボード」を仕事に使うのは諦め,仕事はノートパソコンかポメラDM100で行い,暇つぶしに音楽を聞いたり動画を見たりネットを見たりするのはタブレットPCという棲み分けになっていて,外付けキーボードはお蔵入りである。

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 ある皮膚科の先生からのメール
 ちょっと思いついたのが、健康優良児のことです。
 昔、確か健康優良児の表彰みたいなことがあって、真っ黒に日焼けした子供が表彰されていたように思います。かつて、黒く日に焼けると健康になると信じられていて、行政でも日焼けを奨励していたのでしょう。
 ですが、よく考えると、健康だから外で活動でき、結果的に黒くなっただけであって、黒いから健康だったわけではなかったのです。当時、さんざん日に焼いたであろう人々に、シミやしわが目立っており、顔面などに皮膚癌も散見されます。日焼けの後遺症とも言うべきですが、一方、お花のお師匠さんを長年続けてこられた方は、屋内生活が長かったせいか、高齢でも皮膚は意外なほどにきれいです。
日に焼けて黒くなる⇒健康になる
ではなく、
健康である⇒日焼けができて黒くなる
ではなかったか、と思います。
 今でも学校のプールは、ほとんど屋外ですね。あまり好ましいものではないと、個人的には感じております。

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 [m3.com|カンファランス]の質問回答者になってよくわかりましたが,医者は2種類に分かれます。
  • 見知らぬものを見たら後ずさりして目をつむる医者がいる一方,見知らぬものを見たら前に出てそれが何か確認する医者がいる。
  • 未知のものを最初から否定する医者がいる一方,未知のものを知りたいと思う医者がいる。
  • 教科書に書いてあることと違う現象を見た時,教科書が正しくて自分の目がおかしいと考える医者がいる一方,自分の目が正しくて教科書が間違っている可能性を思いつく医者がいる。
  • 自分の知識は正しいと思う医者がいる一方,自分の知識は間違っているかもしれないと考える医者がいる。
  • 未知の現象に対し過去の教科書を参考にする医者がいる一方,未知の現象に過去の教科書は役に立たないと考える医者がいる。
 多分これは人生観の違いなんでしょう。前者のタイプの医者の口癖は「何か起きたらどうするんだ」です。「消毒を止めて何か起きたらどうするんだ」,「無菌室での手術を止めて何か起きたらどうするんだ」,「抗生剤を投与しないで何か起きたらどうするんだ」と,何か起こることを心配して毎日暮らしています。

 こういうタイプの医者は,世界初の種痘を行ったジェンナーを「何か起きたらどうするんだ」と非難し,世界最初の虫垂炎手術をしたマーフィーを「何か起きたらどうするんだ」と否定し,世界初の胃癌手術をしたビルロートに「何か起きたらどうするんだ」と抗議し,世界で最初にペニシリンを投与した医者を「何か起きたらどうするんだ」と非難を浴びせるんでしょう。

 確実に言えるのは,こういうタイプの医者は新しいものを生み出すことはないということであり,私はこういうタイプの医者の考え方が理解できないということです。
 こういうタイプの医者の得意技といえば「頭ごなしの否定と揚げ足取り」ですから,議論をしても意味がありません。「何か起きたらどうする」医者との不毛の議論に付き合って時間を無駄にするより,目の前の患者さんを治す方がよほどいいや。

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 「ソ連・ロシアにおける最高指導者のフサとハゲの弁証法的交代現象」はご存じの方はご存知でしょう。要するに,「頭がフサフサとハゲハゲが交互に来る」という法則なんですが,これを一番最初に発見したのは私の知るかぎり,漫画家の片山まさゆき氏(麻雀漫画で有名な人ですね)で,1985年に「モーニング」に連載していた漫画『ウォッカ・タイム』 で披露されたと記憶している。実際に,歴代の大統領を時代順に並べると見事に「ハゲとフサ」が交互に並んでいて壮観であり,昨日のロシア大統領選挙でもこの法則は破られていない。まさに「片山まさゆきの法則」である。
ニコラス1世
ハゲ
アレクサンドル2世
フサ
アレクサンドル3世
ハゲ
ニコラス2世
フサ
レーニン
ハゲ
スターリン
フサ
フルシチョフ
ハゲ
ブレジネフ
フサ
アンドロポフ
ハゲ
チェルネンコ
フサ
ゴルバチョフ
ハゲ
エリツィン
フサ
プーチン
ハゲ
メドジェージェフ
フサ
プーチン
ハゲ

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 このサイトで紹介して以来,一部で超話題の「ネットやドラッグストアで買える超安いハイドロコロイド被覆材」リーダー ハイドロ救急パッドですが,ある先生から次のようなメールをいただきました。
 話題のリーダーハイドロ救急パッドですが,当院のデュオアクティブETを駆逐してリーダーハイドロ救急パッドに入れ替えたと試算したところ,年間約40万円のコストダウンになることが分かりました。
 数年前にハイドロサイトを駆逐したとき,年間100万円のコストダウンになりました。世の中ではいまだにハイドロサイトが多数使われているそうですね。DPC病院でこんなものを使うなんて信じられません。おそらく,国公立病院でコスト意識が希薄なのではないでしょうか。
 病院に雇われている以上,病院の利益になるように行動すべきと思うのですが。
 [DPC病院なのに高コストのハイドロサイトを使っている医者・看護師]は初等算数ができてないんでしょうね。四則演算ができれば,どっちが得なのかはすぐに分かるはずなんですがけどねぇ。もしかしたら,「コスト」という言葉を知らない浮世離れした病院なのかも・・・。
 とりあえず,DPC病院でコスト削減をうるさく言われている先生方は,ハイドロサイトからリーダーハイドロ救急パッドに切り替えるだけで,年間100万円以上のコストダウンになるみたいですから,是非試してみて下さい。

 さらに言えば,今年の春,複数のメーカーからドラッグストア向けのハイドロコロイド被覆材が販売される予定,という情報があり,某メーカーから「新製品を使ってみて下さい」と連絡をいただいていますが,値段はキズパワーパッドと横並びでありリーダーハイドロの数倍です。薬局の店頭に同じ機能で値段が数倍違う商品が並んでいたらどちらを選ばれるか,ということを全く考えていない新商品です。
 リーダー ハイドロ救急パッドの登場でハイドロコロイド被覆材は,「治療効果をうたえば売れる時代」から「値段の勝負」の段階に入っています。つまり,キズパワーパッドよりどれだけ安いかをアピールしなければ売れない時代であり,消費者はようやく値段で選べるようになったのです。しかし,医薬品メーカーはそれに気がついていません。従来通りの[キズパワーパッドそっくり商品]を出せば売れると考えています。

 日本で最初の家庭向けハイドロコロイド「キズパワーパッド」が販売されたのは私の記憶では1997年か8年ころです。当時,テレビコマーシャルも流れ,ジョンソン・アンド・ジョンソンはかなり力を入れていました(聞いたところによると初年度の宣伝費は億単位だったとか・・・)。その努力が実ってこの商品は次第に知られるようになり,「市販の乾かさないキズ絆創膏といえばキズパワーパッド」くらいの認知度はあると思います。ブランド力といっていいでしょう。
 その数年後,類似商品がポツポツと登場し,2007年頃から数が増えてきます。ただ,商品の種類は増えたものの値段はどれも同じ,横並び一線状態でした。ハイドロコロイドはまだ市場規模が小さいため,競争原理,市場原理が働かず,似たようなものを似たような値段で売ってそれで満足していたわけです。

 そういうぬるま湯敵状況に風穴を開け,家庭用ハイドロコロイド市場にいわば価格破壊をもたらしたのがリーダー ハイドロ救急パッドです。これまでの「キズパワーパッドとそのそっくりさん」の値段の1/3以下で,しかも治療効果は同じですから,今まで20万円のノートパソコンしか売っていなかったパソコンショップに,ある日突然20万円パソコンの隣に 「機能も性能も同じ7万円のノートパソコン」 が並べられたようなものです。これでようやく消費者に「値段の違い」という選択肢が提示され,高いのを買うか安いのを選ぶかは消費者次第,という市場として健全な状態になったと言えます。

 ハイドロコロイド自体の値段は非常に安いです。以前,デュオアクティブの製造原価,ハイドロサイト(ポリウレタンフォーム被覆材)の製造原価について聞いたことがありますが驚くほど安いく薬九層倍どころではありません。つまりこれまでは,それしか商品がなかったから,メーカーの言い値で買わざるを得なかっただけのことです。
 というわけで,家庭用ハイドロコロイド絆創膏を販売するメーカーは今後,キズパワーパッドのブランド力との競争と同時に,リーダー ハイドロ救急パッドとの値段の競争に晒されることになり,「傷が早く治るので買ってください」という戦略では売れないことは明らかです。売るためには,リーダー ハイドロ救急パッドと競争できる値段設定にするか,これまでと全く異なる剤型の物を開発するか,2つに1つでしょう(治療効果での差別化は不可能だから)

 ちなみに,全く新しい被覆材の形態としては,例えば [創面に噴霧すると速やかに固まり,内側はしっとりとキズを保護する] タイプのものが考えられます。ポリウレタンでなら技術的には十分可能ではないかと思われます。

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【鳥フル致死率は過大評価 H5N1,米研究者が指摘】
 CDCもWHOもこれまで「H5N1型の鳥インフルエンザが人間に感染すると致死的である」と繰り返し発表し,警告してきました。それを受けて日本では「白鳥にエサをやってはいけない! 野鳥に近づくのも危険!」と大騒ぎになりました。どうやら,そのもとになったデータが捏造であることが分かりました。
 なぜこんなことが起こるのか。なぜ科学者は捏造を続けるのか。理由はこの本を読めばわかります。私なりにまとめると,
  1. 誰しも自分の研究分野は重要なものであって欲しいし,他人からも重要な研究と認識されたい。だから,ちょっと大げさなデータを出してしまう。
  2. 重要で重大な研究であると政府が認識してくれるほど,多額の予算がつく。だからつい「データを盛る」。
 要するに,研究や実験が職業になった時,そこには捏造する輩が出現するだけのことです。他人の出した研究結果を「統計処理がきちんとしてあるから正しい/一流雑誌に掲載された論文だから正しい」と鵜呑みにする方がおかしいのです。

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【赤ワイン研究者が論文ねつ造 「健康にいい」説に水を差す】
 このニュース,J-CASTしか報じていないみたいだけど,本当なのでしょうか?
 もしも本当だとすると,「猛毒ダイオキシン」「環境ホルモン」「マイナスイオン」と同じ,一番最初のインチキ研究・論文に世界中が振り回された,という典型です。

 そのカラクリはこの本に詳しく書かれていますが,その根本的な原因は「発表された研究の追試を誰もしていない」点にあります。なぜ誰も追試をしないかというと,追試をしても業績にならないからです。業績として評価されるのはすでにされた実験の追試ではなく,新しい発見について書いた論文だけだからです。だから,どこかの誰かが「ポリフェノールの一種,レスベラトロールに抗酸化作用,抗癌作用あり」という論文を発表すると,それを確かめる実験をする研究者はおらず,研究者は揃って「抗酸化作用・抗癌作用を持つ他のポリフェノール」の研究しかしないのです。これは現代科学界の最大の欠点です。このシステム上の欠点をうまくすり抜けたのがマイナスイオンや環境ホルモンです。一番最初に書かれた論文に対し,「この実験って本当なの?」と追試する研究者がいなくなったために,インチキ研究が排除できなくなったのです。
 なぜこうなってしまったかというと,理由は単純で《研究が仕事/論文を発表することが仕事》になったからです。好きな研究生活をして飯が食える時代は科学者にとってはいい時代ですが,飯を食うためには《評価される研究》を剃る必要があり,追試は《評価される研究》ではなくなったため,誰も追試しない時代になってしまっただけです。

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 2月20日のこのコーナーでニューズウィークの「フェイスブックは本当はかなりヤバイんじゃないか」という特集を紹介しました。医局のフェイスブックユーザーの先生もこの記事を読んで,「全然知らない人がなぜか知り合いになっていたりして,ちょっと気味が悪い感じがしていたんだけど,やはりそうか,という感じですね」と話していました。
 この問題について岡田斗司夫さんが「これは下着の上着化だ」と説明しています。映画《理由なき反抗》でジェームズ・ディーンがTシャツ姿で登場した時,「下着姿でみっともない」という反発や戸惑いのほうが圧倒的多数だったそうです。下着のシャツは外に見せて着るための衣服ではなかったからです。しかし,次第にジェームズ・ディーンのまねをしてTシャツで歩く人が増え,カラフルなデザインのTシャツが出現して,いつの間にかTシャツは上着と同じ扱いになりました。岡田さんによるとフェイスブックとは「それまで下着だった個人情報を表に出して共有し,上着とする過程」なんだそうです。この比喩は見事です。

 要するにザッカーバーグは「服なんか着てないで裸になろうぜ」と考える「情報ヌーディスト」なんですね。服を着ているのが嫌で嫌でたまらない,人間は本来裸で生きるべきなんだ,という考えの持ち主です。そして,裸で暮らすことの快適さと自由さを皆に広めたいし,皆もそうやって裸で生きるべきだと考えているようです。
 「自分は裸で暮らすのが好き」という個人がいるのは構わないし,それを他人に広めるのも個人の勝手です。しかし,裸になるのは嫌という人や,他人の裸を見たくないという人にまで「服を脱げ! 裸になれ!」と強要するのは間違いです。裸になりたい人がヌーディストビーチでフルチンで泳ぐのは構わないけど,その格好で歩く姿は私は見たくないし,自分でもフルチン姿で外は歩きたくないです。

 普通の「裸主義者」はヌーディストビーチで我慢するんですが,ザッカーバーグは「どうしたら世界中の人間が裸で暮らせるようにできるか」を徹底的に考えたわけです。その答えは「上着を脱いで下着で歩かないといけないというルールがあるけど,すごく便利で快適な町」を作ることにしたのです。下着になれない人は町に入れないけど,下着になるだけで,こんなに便利に暮らせる町なんだと宣伝したのです。下着だけなら裸よりは抵抗がないし,何より町が便利なもんだから,次第に住人が増えていきます。
 そして,町長さんはどんどん便利な機能を追加していきますが,そのたびに下着をちょっとずつずらして裸を見せることを要求したんですよ。そうすると,「下着の町」はいつの間にか「裸同然の町」になります。でも町の機能は他の町と比べ物にならないくらい整っているし,住人が増えれば増えるほど便利になる機能が満載です。
 もちろん,「裸になるのはいいけど,それで商売なんかしてないですよね」という住民からの疑問は上がりますが,それに対しては町長さんは「みなさんの裸の写真は撮影していないし,それを外に出すこともありません。安心して裸になって下さい」と悦明しています。かくして世界のあちこちに「かつては下着の町,今は裸同然の町」が出現し,ついに住人は8億人を突破したというわけです。

 そこで,ニューズウィークの記事に戻ります。これは要するに,町長さんの「皆さんの裸の写真は撮影しないし,それを他の人に見せることもしませんよ」というのが嘘で,実は裸の写真を業者に売って儲けていて,それどころか自宅でのプライベートの様子まで無断で撮影しまくっていて,それを高値で業者に売っていた,ということです。

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 「いつもの生物学の先生」から,こんな鋭い指摘が! 大阪の「粉モン文化」についての考察です。
 大阪のコナモン文化ですが,自給率14%の小麦に依存している文化(讃岐うどん・ラーメン文化も同じく)ですので,旧連合国(合衆国,カナダ,オーストラリア)と戦争したら,一気に崩壊です。どちらにせよ,これからずっと格安で小麦を日本に売ってくれる保障はありませんので,徐々に衰退していく可能性はあります。これもまた,たかだかここ100年の文化ですから,小麦の自給率が上がらない限り,世代交代で変わりますね,たぶん。
 大阪の粉モン文化も讃岐うどんも,実は極めて脆弱な基礎の上に成立している食文化なんですね。なぜ小麦粉はこんなに安いのか,を考えてみるのも一興です。「安いのには理由がある」のです。そういう訳で,大阪人と香川人はアメリカやオーストラリアと仲良くした方がいいです。

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 飛行機や新幹線の中で「ニューズウィーク日本版」をよく読みますが(薄い割に中身が濃く読みごたえのある記事が多いから),2月22日号では「フェイスブックの落とし穴」という特集があり,かなり刺激的な内容となっています。
  • フェイスブックの利用料はなぜタダなのか。利用者は現金ではなく,「個人情報」をフェイスブックに売り払い,フェイスブックはそれを広告主に売りつけている。つまり,タダのように見えるだけ。
  • フェイスブックの利用者はフェイスブックの顧客ではなく,広告主に売る商品でしかない。
  • フェイスブックは個人情報保護に関するルールを次々に変更し,利用者がますます多くの個人情報を暴露しなければならないように仕向けている。つまり,一方的な「料金値上げ」をしているが利用者は気がついていない。
  • フェイスブックの「タイムラン」は利用履歴を全て他人に晒す新機能だが,今後,すべての利用者に強制使用するように狙っている。現時点での「タイムラン」では見せたくない履歴を削除することは可能だが,極めて煩雑な手順が必要で,大部分の人が削除を諦めるように設計されているようだ。
  • 会員たちがフェイスブックにログインしていない時にも,利用者がどのサイトを訪れているかを追跡していたことを,フェイスブックは昨年9月に認めている。
  • ザッカーバーグ自身が記者会見に応じることはなく,常に懇意な2人の記者としか話さない。
  • 8億人のユーザーを持ち,個人情報の宝庫であるフェイスブックはウイルス攻撃の格好のターゲットとなる。フェイスブックのユーザー認証システムに弱点があることが確認されていて,実際に侵入されている。
 私は今のところ,「新しいものを覚えるのが面倒だし,覚える時間もないし,使ってなくて困ったこともいない」のでフェイスブックは使っていませんが,仕事や就活で必須という人も多いと思います。その意味では「便利な必携ツール」です。また,「自分の個人情報なんて隠しておくほどの情報じゃないから気にしないよ。タダで便利ならそれでいいの」という人も多いかもしれません。
 しかし,8億人の個人情報をアメリカの一つの私企業が集めているという事実は,何やら薄気味悪い気がします。フェイスブックの運営がうまくいっている間はまだしも,経営がおかしくなった時には恐らく,集めに集めた個人情報が一気に闇市場に流れることもありえます。

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【生命の始まり,海ではなく陸地だった?】
 現在定説である「最初の生命は深海底の熱水活動域(熱水噴出孔)で誕生した」に対し,今回の新説は「陸上の火山性の熱泥泉で最初の生命が誕生した」というものでして,「海水中には蛋白合成に必要なカリウムが少ないが,火山性熱泥泉には豊富だ」というのが根拠となっています。

 原著を読んだわけではないのでなんと言えませんが,この説の弱点は,当時の地表に降り注いだ強烈な紫外線を防ぐ手立てがない点にあると思います。つまり,最初の生命体が火山性熱泥泉に誕生したとしても,紫外線ですぐに損傷・分解されてしまい,安定した生態系を作りにくいはずです。
 そして何より,乾燥から身を守る手立てがありません。地表に最初の生命体が登場したのはシルル紀初期であり,それ以前には陸上生物の痕跡は見つかっていません。つまり,紫外線と乾燥という環境は生物にとって極めて酷烈だったのです。つまり,火山性熱泥泉に最初の生命体が出現したのであれば,その後の生命体の痕跡がかつての陸地から見つかっていないことが説明できません。

 また,この記事では「原始の海水中にはカリウムが少なく」という記述がありますが,これは明らかに誤解で,カリウムが海水中で少ないことはどうでもよく,熱水活動域にカリウムが含まれていれば,それで十分のはずです。生命体にとって海水は「体外環境」でしかなく,生命体は「海水中」で誕生したわけではないからです。
 最初の生命体のサイズが現在のバクテリアやアーキアのサイズだとすれば,せいぜい,直径数ミクロンの範囲でカリウムが豊富なら,それ以外の海水中にカリウムが少なくても問題はないはずです。これなら,熱水活動域を生命誕生の場として矛盾はありません。

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【内閣支持率30%に下落,民主支持急落16%】
 最近,やたらと新聞社は世論調査をしては内閣支持率を発表してませんか? 今回のものは読売新聞のものですが,同じ日に産経新聞も内閣支持率を出しているし,その4日前にはフジテレビ,6日前には日本農業新聞,10日前にはJNN・・・という具合です。何かあるたびに,あるいは何もなくても暇があれば世論調査をしている感じです。
 もちろん,世論調査をして国民の意識を探ることは重要ですが,もともとの「世論調査のサンプリング数」を算出する数式自体がなんだか訳のわからないシロモノですし(何しろ,「世論調査 サンプリング数」をGoogle検索すると,なんと私のサイトが一番上にヒットする! 世論調査をしているマスコミから「この数式の出典を教えてほしい」と逆に質問される始末だ),この程度のサンプリング数で1%上がった,下がったと報道するのって,本当に意味があるんでしょうか。

 それより重要なことは,「それではこれらの報道機関は,政治とはどういうものか,についてどう考えているのか」という問題です。何かあるたびに世論調査をするのですから,その行き着く先は「国民に支持される政策(=人気のある政策)を選ぶべき/国民に支持されない政策はするな」となります。要するに,新政策を提案する前にまず世論調査を行い支持率の高い政策だけ行え,ということになります。世論調査を頻繁に行う社会の行き着く先はそこでしょう。
 だったら,国の問題は全て国民投票して決めたらいいんじゃないの,ということになりますよね。原発問題も,震災からの復旧計画も,TPPも国会議員数も,保険料率の問題も,年金問題も,何でもかんでも国民投票にすれば話は単純で,世論調査する必要もなくなります。これが報道機関が考える理想の社会でしょう。そのために彼らは,暇さえあれば世論調査をしているのでしょう。
 マスコミの世論調査の発表を見るたびに,こんなことを考えてしまいます。

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 以前から,「シャンプーレスの温水洗髪にするとフケ・カユミ・抜け毛が減る」こととか,「洗濯洗剤は使っても使わなくても同じ」とか,日常的に何気なく使われている界面活性剤の問題について取り上げていますが,ネットを見ていたら,「ずっと口内炎に悩まされていたが,歯磨き粉を界面活性剤入りから入っていないものに変えてみたら口内炎が治った」という記述を幾つか見つけました。界面活性剤の機能を考えると,「界面活性剤入り歯磨きによる口内炎」はいかにもありそうな話です。
 それにしても,「傷を石鹸で必ずゴシゴシ洗わせるアライグマ医者」なんて問題もあり,界面活性剤に対する信仰心と愛着は人類のDNAにこびりついているかの如く強大にして強力です。「とりあえずビールと枝豆」,「とりあえず消毒」みたいなもので,「とりあえず界面活性剤」なんですね。

 ちなみに,合成界面活性剤による口内炎のおそれがある人は,こんなものがあるみたいです

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【哺乳類,大型化に2400万世代】
 陸上動物の場合,「表面積は体長の2乗に比例して増大し,体積(=重量)は3乗に比例して増大する」という数学が直接的に作用するため,重量をちょっと重くなるとそれを支える骨を太くしなければならず,骨が太くなるとそれを動かす筋肉も太くする必要があります。しかし,重量は「長さの3乗に比例」,骨と筋肉の断面積は「長さの2乗に比例」ですから,単純にサイズだけ大きくしても重量を支えられません。つまり,骨の場合には骨皮質の構造とか,骨皮質と骨髄の比率などを根本から作り変えるしかないし,筋肉の場合には単位体積あたりの収縮力を変えるとか運動様式そのものを変えるとか,血管に分布する血管の密度も変える必要が出てきます。巨大化することにメリットがあっても,簡単に巨大化できるわけではないのです。
 逆に,体のサイズを小さくする場合には,「長さの2乗に比例」と「3乗に比例」の差はどんどん小さくなりますから,縮小化は単純なミニチュア化でもなんとかなります。

 ふと思ったのですが,体重が1トンを超える現生陸上生物はそれほど多くありません。せいぜい10〜20種くらいじゃないでしょうか。一方,体重100グラム以下の陸上生物はげっ歯類だけでも2000種ほどいたと思います。つまり,小さなサイズほど多様性に満ち,巨大サイズの生物に多様性はありません。これは,現在の地球の陸地環境では,巨大化することで得られるメリットよりデメリットが大きく,小型化することのデメリットよりメリットが方が大きいからでしょう。

 そういえば,体重が30〜50kgは哺乳類としてはかなり特殊な生き方をするものばかりです。木の実を食べようとしても体が重くて梢の木の実は取れないし,100kg超サイズの草食動物のように長大な消化管にセルロース分解菌を住まわせる余裕もありません。もう少し小さければ,あるいは,もう少し大きければ工夫のしようもあるんだけどなぁ,というのがこのサイズの哺乳類です。もちろん,ホモ・サピエンスもこのサイズの生物です。

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 先日(2月3日)の本コーナーで「爪が剥がれた傷を石鹸でゴシゴシ洗い,患者が痛がったらお前は頭がオカシイと精神安定愛を処方したバカ医者」のことを書きましたが,こんなメールをいただきました。
 爪が剥がれ患部を石鹸で洗われ,痛がったら「到がりすぎ」だと精神安定剤を処方されたという方の件を拝見してメールを送らせていただきます。3年前の出来事です。
 まず,診察した医者(外科の〇〇医師)は患部を見るなり,「こんな症状は年間1.2例しか見たことない」と言いました。私が乳腺炎の切開をうけた時に「医師は局部麻酔をうつ」とは言ったものの麻酔は全く利かないまま,腕を動かすだけで激痛の走る乳腺炎の胸をメスで切られ膿みを力づくで押し出され拷問のような激痛をうける処置でした。
 あまりの痛みに悲鳴をあげ暴れ,医師看護師男女4人に両手両足を抑えられての外来での処置です。
 意識が戻った時には腕に点滴をされていて「あまり暴れるから点滴で精神安定剤を入れたから」と言われました。
 力づくで押さえて膿瘍切開,なんて1850年代以前の話か,戦時下のアフガニスタンとか医薬品不足の北朝鮮の話かと思っていたら,21世紀の日本にもあるんですね。
ペアン先生,コッヘル先生の末裔なんでしょうか。一度,その病院に見学に行ってみたいです。19世紀の医療現場が21世紀に見られるなんて,滅多にありませんからね。
 それにしても,「乳腺炎は一年間で1例しか見ない珍しい病気だ」と患者に説明する外科医って大丈夫なんでしょうか。この犠牲者があとで助産婦さんに「乳腺炎ってそんなに珍しい奇病なんですか?」と訊ねたら大笑いされたそうです。

 ちなみに,あらゆる膿瘍は「痛みなしに切開」可能ですし,そうすべきです。きちんと皮内注射すればどんな膿瘍でも痛みはありません。逆に言えば,皮内注射という基本手技すらできない未熟な医者が,そこらにいるということです。

 というわけで,もしも粉瘤・乳腺炎で切開を勧められたら,医者に「先生はきちんと局所麻酔ができますか? 局所麻酔をして痛くなく切開してくれますか? もしもできないのであれば,こちらで医者を探します」と宣言するしかないです。それが嫌なら「麻酔なしの切開」を甘んじるしかありません。「化膿しているから局所麻酔は効かない」という医者は,間違いなく局所麻酔の基礎知識が欠落している医者です。そういう医者からはさっさと逃げ出した方がよろしいかと・・・。

 ちなみにこれは神●○県のYK市にある病院で,地元民は「▼▲病院でなく死人病院」と噂しているそうです。自分の健康を守るためには,この病院の外科は受診しないほうがいいかもしれません。

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 昨日,雨戸に右示指を挟んで爪が剥がれた,という患者さんが受診されました。受傷直後に中核病院の救急外来を受診したそうですが,なんとも凄まじい治療を受けたそうで,あまりの痛さにこんな病院で治療は受けたくないと憤慨してネットを検索し,当科を受診されたのだそうです。患者さんの話をまとめると次のようになります。
  • 石鹸で創部をゴシゴシ洗えと命じられ,医者に爪の剥がれた患部を石鹸でゴシゴシと洗われた。
  • あまりの痛さに「痛い!」と悲鳴をあげた。
  • 医者は「お前は痛がりすぎ,騒ぎすぎだ。そんなに痛いはずがない」と言い,精神安定剤を処方。創部はガーゼで覆うのみ。
 この「傷は石鹸ごしごしバカ」がこの病院にかぎらず,なぜか全国的にはびこっています。
石鹸(=界面活性剤)で傷を洗ったら痛いのは当たり前だと思うのですが,そういうことを知らない医者はやはりおバカさんじゃないかと思います。
 それにもましてこの医者がおバカさんなのは,傷を痛がっている患者に対し精神安定剤を処方していること。これは医者としては救いようのないおバカさんでしょう。この医者が研修医だとすると,「痛がる患者には精神安定剤を処方しろ」と教えている指導医がこの病院にいるとしか思えません。

 というわけで,研修医の皆さん,傷は石鹸で洗ったらダメ! 傷を痛がる患者に精神安定剤を処方するのもダメだよ。

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【県が豪雪対策本部 「平成18年」に匹敵の恐れ】
 私は雪国秋田で高校まで暮らし,その後はずっと仙台にいて,今年から東京暮らしとなります。つまり,次第に南下しているわけですが,秋田には絶対に戻りたくありません。冬の秋田の「日の差さない空の暗さと雪」で生活するのは辛すぎるからです。生まれて初めて仙台での冬を過ごした時,何より感動したのは「冬なのに空が明るい。太陽が見える」ことでした。

 人が暮らしている以上,道に降った雪はどこかに移動させないと人間が移動できないし,屋根に積もった雪はすぐに降ろさないと家が潰れます。雪かきと雪下ろしがどれほど重労働かは実際にやってみるとわかりますが,それが毎日毎日続くのです。しかも,豪雪地帯ほど住民は減り,高齢化が進んでいます。
 「冬の間だけでも住民は中心部のマンションで暮らす」なんてことでも考えない限り,地方自治体は雪対策費用で破綻してしまうんじゃないかと思ってしまいます。「生まれ育った家で暮らしたい」なんて言っていられる状況ではないような気がします。

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 時々,「粉瘤の治療をしてほしい」と県外から受診される患者さんがいらっしゃいます。「デキモノが腫れてきたので近くの病院に行ったら,炎症が起きているときは切開できない。抗生物質で治まってから切開する」と説明されたものの,なかなか炎症が治まらず,いつになっても治療が始まらない,ということで,県境を超えて受診されるケースがほとんどです。
 しかし,
以前にも書いたように,粉瘤は感染している時こそ手術しやすいし,感染していない時期のほうが難しいのです。これは「粉瘤の治療とは何をすることか」という問題なんですね。つまり,
  • 「粉瘤の被膜を破らずに取ることが粉瘤の治療の目的」
       ⇒⇒炎症が起きていると被膜が破れやすいから治療できない
  • 「被膜を除去することが粉瘤治療の目的」
       ⇒⇒炎症が起きていると被膜が周囲組織から遊離していて押し出すだけで取れることが多い。だから簡単。
       ⇒⇒炎症が起きていないと被膜ががっちり付いているので取るのが大変
 今までは「被膜を破らずに取らなければいけない」と考えていたのですが,考えてみたら,皮膜が破れようが破れまいが,被膜が取れさえすればいいのです。粉瘤の内容が創内にこぼれたって別に構わないのです。
 発想を変えると治療が簡単になる,という例かもしれません。

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 EBMが最初に日本に紹介された頃(1997年頃?)、「昔は偉い先生が言ったことがそのまま信じられてきたが、これからは科学的根拠に基づいた正しいことをする時代だ」ともてはやされたことを覚えている。当時は「なるほど、これからは科学的根拠に基づいた治療の時代なんだな」と思ったが、現状を見ると、「どこかの偉い人が言ったこと」が「どこかの誰かが書いた論文」に置き換わっただけにしか思えないのだ。
 例えば、「消毒をしなくても創感染しないというエビデンスはあるのか?」と噛みついてくる先生が以前はたくさんいたが、その先生たちに「では、エビデンスとは何ですか?」と尋ねると、答えは決まって「論文があるかどうかに決まっている」だった。要するに、エビデンスと言ったところで、どこかの誰かが書いた論文があるかどうかであり、その論文の内容が正しいかどうかを問題にした先生には出会ったことがなかった。

 その論文(実験)が正しいとはどういう条件を満たしていればいいのだろうか。統計処理をしているから正しいのか、RCTを行っているから正しいのか、一流雑誌に掲載されているから正しいのか、査読されているから正しいのか、同じような論文が多数あるから正しいのか、何となく正しそうだから正しいのか・・・そのあたりが何ともあやふやなのである。
 つまり、「こういう条件を満たしていれば科学的に正しい」という基準をまず作らなければいけないのに、そのあたりのきちんとした説明を私は見たことがないのである(EBMの提唱者であるDavid Sackett先生の原著にはこのあたりはきちんと書かれていたと思うが,なぜか原著を読んでいる先生にも出会ったことがない)

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【地中の葉で線虫を捉える食虫植物を発見】
 発想を変えると,「最も初期の陸上植物は独立栄養生物でなく,線虫やバクテリアを食料にしている生物だった」という可能性も考えられます。植物が栄養分を吸収する現場である根冠は,土壌バクテリアとの共生で成立している世界であり,極めて複雑な共生関係で成り立っています。これが,最初期の陸上植物に最初から備わっていたとは,ちょっと考えにくいからです。
 となると,土壌バクテリアとの共生が成立するまでの間,陸上に上がった最初の植物は線虫やバクテリアを食べていたのではないかと・・・。

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【幹細胞注射でマウスの“若返り”に成功】
 この記事の説明文,おかしくないですか? この記事を要約すると,次のようになります。
  1. マウスは通常寿命は2年だが,早老症マウスは生後21日で死亡する。
  2. その早老症マウスに筋肉由来の幹細胞を注射したら,早老症マウスの寿命は71日と3倍以上に伸びた。
  3. これは人間で言えば,80歳の老人が200歳まで生きられるようになるのと同じだ。
 どこがおかしいかというと,「これは人間で言えば,80歳の老人が200歳まで生きられるようになるのと同じ」という部分です。実験はあくまでも「正常マウスの1/30の寿命しかない早老症マウスの寿命が3倍にのびた」というだけのことで,「早老症でないマウスの寿命が3倍延びた」訳ではありません。
 つまりこれは,「平均寿命3歳の病気の人間に幹細胞を投与したら9歳まで生きられるようになった」ということであり,「80歳の人間が200歳まで生きた」ということではありません。

 それは置いとくとしても,「医学の発達により健康な高齢者がどんどん増える」というのが本当に望ましいことなのか,私にはわかりません。地球上の淡水の量は有限ですし,地表面で生産できる食料の量も有限だからです。
 健康で丈夫な高齢者が増えるということは,彼らが生きるための水と食料をどこかから調達してくる必要が生じ,「新たな農耕地,新たな淡水」が見つからない限り,「他の世代が利用している水と食料を奪う」しか選択肢はないはずです。
 だから,「寿命をのばす技術が可能に」という記事を読むたびに暗澹たる気持ちになります。年寄りがいつまでも生きている世界はまともじゃないですし,おかしいです。私は今年55歳になりますが,自分が90歳,100歳になっても生き続けている様子なんて想像したくもありません。そんな状態はまともじゃないです。

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 以前から雑誌「エキスパートナース」について色々書いていますが,ついに次のようなメールをいただきました。是非,掲載して欲しいとのことですので,掲載しちゃいます。「エキスパートナース」からの反論がありましたら,私までお寄せ下さい。
 一時,エキスパートナースという雑誌とかかわりがあり,ひどい目にあったことのある医療関係者です。ここのところのこの雑誌のあまりの無尽ぶりに怒りがよみがえり,メールを差し上げたことをお許しください。
 この雑誌が,褥瘡学会や,真田,溝上氏などWOC関係者のご用達雑誌であることは,もはや言うまでもありません。とくに,今回の記事(12月9日の本コーナー)は,先生は被覆材カタログと切っておられましたが,もう1つ深い意味があり,これは少しばかり世間をにぎわしている「特定看護師」の啓蒙活動の片棒を担いだ記事であるのです。この特定看護師制度は,真田氏をはじめとする一部のWOCナースが,診療報酬の加算効果で過剰育成で低迷傾向になったこの領域を活気付けるため,非常にポリティカルに乗っかってきているわけです。
 そこに相乗りする出版社も非常に公益性を欠くもので,いわゆるクズ雑誌です。
 そもそも,このエキスパートナースの発行人である有賀洋文,そして編集人である森紀子は,読者ニーズは横に置き,褥瘡学会やWOCナース集団のご機嫌取り,記事は褥瘡褥瘡のオンパレード。見事に広告役を果たしています。褥瘡学会が海外講師を呼ぶ際に資金を援助したり,理事クラスの方々の飲み代を払い,とある学会では100万以上の接待費を使ったこともあるなど,見事な癒着ぶりです。
 (中略)
 さらに〇〇氏にいたっては,社内でセクハラを繰り返すもそれが黙認される現状。その被害にあい,心の病に陥るスタッフがおるにもかかわらず会社は放置。拒否した社員は追い込んでリストラ。いまも病院に通うスタッフもおります。小学館という大会社を親会社に持ち,さらに女性が多くを占める看護雑誌を出版しているとは思えない所業です。
 先生のクズ雑誌という言葉に胸がすく思いでしたので,冒頭に書いた御礼とともに一言だけご報告をさせていただいた次第です。
 なお,上記の(中略)に何が書かれていたんだろう,と興味を持たれた方はメール下さい

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【アノマロカリスの眼,レンズ3万個?】
 カンブリア爆発の大スター,アノマロカリスの眼についての新知見です。これによると,アノマロカリスの眼は複眼で,一側の眼は恐らく3万個の個眼の集合体だったそうです。ちなみに,昆虫の目が複眼ですが,個眼の数は現在のハエで2,000個,トンボが20,000個ですから,5億年前のアノマロカリスの複眼はそれよりはるかに多い個眼で構成されていたことになります。

 カンブリア爆発を「眼の獲得」という視点で見事に説明したのが『眼の誕生』という本でした。眼がないために温度やpHや各種イオン濃度の変化で環境を捉えていた時代(エディアカラ紀)と,視覚による情報で環境を知覚する時代(カンブリア紀)では情報量が桁違いに多くなり,視覚情報を処理するために中枢神経系が必要となり,視覚により得られる膨大な情報に反応するために運動系が発達した過程が見事に描かれていました。そして,アノマロカリスが捕食していたであろう三葉虫が,現在の昆虫と同等の複眼を備えていたことはわかっていますし,その三葉虫を捕食するためには,さらに優秀な複眼と俊敏な運動機能が必要だったはずです。
 そして同署では,エディアカラ紀の生物の「外胚葉の光センサー」が「三葉虫の複雑な複眼」に進化するのに大して時間がかからないことも解き明かしていました。そしてこれが「中枢神経系は外胚葉由来でなければいけない」理由なのです。

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 昨日,ある先生からの「湿潤治療は知的作業だが,従来の創傷・熱傷治療に知性は不要」というメールを紹介しましたが,工学系の方からこんなメールをいただきました。ううむ,鋭い! というか,これが普通の感覚ですよね。
 昨日の更新で紹介されたメールにあった「湿潤治療は知的な医師にしか実践できない」という件に関して,学生時代,「科学は多数決ではない!」と教授に怒鳴られた出来事を思い出しました。
 論文に載っているから正しい,という意味の主張をした私に対して,強烈な,そして目が醒めるような一言でした。

 医学にはEBMという医学独特の考えがあるそうですね。この,論文,学会の方針や権威のある組織のガイドラインに従った方法で仕事をするという医療独特の形態は医療レベルの底上げをしている陽の部分と,ガイドライン原理主義者が跳梁跋扈する一因にもなっている陰の部分がある,そんな気がします。(全くの当てずっぽうです)
 科学者にとって普遍的に頼れる武器は,数学,法則,自分の頭の3つでしょう。そこに自分の分野の様々な枝葉がつく,と。
 「ゲーベンクリームみんなで塗れば怖くない」の状態にあるお医者様は,数学,法則,自分の頭のいずれか,またはすべてが欠如していて,枝葉だけで勝負しているのかもしれませんね。足りない部分は「エビデンス」が補ってくれる,ということでしょうか。

 ところで我々工学屋の現場には「品質で工程を管理する」という素晴らしい言葉があります。もうちょっと噛み砕くと,「いい畑かどうかは,そこでとれた作物を食えばわかる」としてもいいでしょう。つまり,良い品物ができるならば,その製造に関わる人・材料・機械・方法は良い。品物が悪いなら,作り方が間違っている。ということです。

 これを医療に適用すれば患者が痛がらず,従来の治療に比べて良い結果が得られ,そしてその結果に患者が満足しているのならば,その治療方法は良い治療方法である,ということでしょう。
 他院から逃げてきた患者さんが笑顔で帰って行かれるのであれば,それはよい治療です。治らないなら間違った治療法です。
 ゲーベン先生方には,自分の患者さんが笑顔で帰って行かれるのかどうか,興味はないのでしょうか?
 私には自分の工場で作った製品がいい製品かどうか,お客さんが満足してくれているかどうか,それがとても気になります。満足してくれなければおまんまの食い上げです。
 お客さんが満足しないのに食いっぱぐれない職業があるなんてちょっと羨ましい限りです(という知性のない先生への嫌味)。
 「科学は多数決ではない」のですが,なぜか医学界は「多数決で正しさが決まる」世界です。でも,医者の大多数は医学の世界しか知らないから,それが異常だとも思いません。

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 かなり早い時期から湿潤治療を行なっているある外科系の先生からのメールです。非常に鋭いです。
 最近,気づいた事があります。
 湿潤治療は実は極めて,知的作業である事です。一方,消毒し,ゲーベンを塗布するのは,機械的,「知」を要しない治療です。何も考えず,漫然と治療するのが,旧来の治療です。しかし,湿潤治療は,極めて知的作業です。
 何故か,それは,創部の繊細な観察と,創部の変化を知的に考察することが必要だからです。私の同僚にも,消毒を漫然と行う医師がいます。そういう医師からは,治療を取り上げます。なぜなら,創部の観察,評価が出来ないからです。
 そう言う意味で,湿潤治療は,知的でない医師には無理だと気づきました。未だに,ゲーベンを漫然と塗布するのは,知的考察を要しない=考えない治療と思います。
 湿潤治療で,上手くいかないのは,そう言う医師が,湿潤治療を行い,観察をしないから,上手くいかないのです。そう言う意味で,湿潤治療を広げるのは,大げさに言えば,知的医師が不足しているからです。
 医師は基本的に,知的職業と,世間では理解されています。しかし,知的考察が苦手というか,無理な人間が,多いことに気づきました。先生が,ゲーベン治療に怒るのは,良くわかりますが,上述の,私の考察が全てだと思っています。
 日暮れて道通しですね。何も考えず,ゲーベンを塗っていても非難されないなら,その方が楽だからです。
 私もこれが真相かなと思っています。

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 アメリカ在住の方から,「アメリカ人とハイドロコロイド被覆材,Neosporin」に追加情報。なるほどなぁ,という情報ばかりです。
 Neorsporinは,私もワセリンベースなのでいいものかと思って息子に塗ってみたのですが,患部が赤くなってぶつぶつと湿疹が出て来て焦りました。その時,neosporin allergyで検索したら沢山の事例が出て来たので即刻使用を中止した次第です。

 さてハイドロコロイドですが,これは普通のバンドエイドと一緒の棚に売られています。また
バンドエイドのサイトにも湿潤治療のことが書かれています
 しかしながら,病院のERではまったく湿潤治療は実践されていません。靴ずれ対策用と思われているというコメントがあったように,Blister Healという名前が付いていたりして,一般人には用途が誤解されているのではないかと思います。私が交通事故の後に使ったのはこの製品ですが,普通の人ならぱっと見て擦過傷に使うとは思えないでしょう。
 またBand aidやこちらで大手の薬局であるCVSでは,Advanced healing bandageなどという名前で売られているので,普通の怪我には使わないものだと思っているのだと想像します。

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 先ほどの更新で,アメリカの方々の「ハイドロコロイドは市販されているが,小さいサイズのものしか販売されていないから,いざ傷に貼ろうとすると大きさが足りなくて不便なんだよね」という意見を紹介しました。ここで日本なら,「ならば,サイズの大きなものを販売して自由に切って使えるようにすればいいよね」という方向に進むんですが,アメリカではそうならないです。なぜかというと,すごく不器用だから・・・。アメリカ在住の方からのメールです。
 アメリカ人ははさみを使いませんね。こちらの学校では授業ではさみやカッターを使うことはありません(安全管理上,そういうものは一切教室にはないのです)
 だからアメリカ人の手先のモータースキルが残念な状態なんですよね。おりがみなんて教えても折れないし,字はきったないし……。
 はさみやカッターを使いたい人は,After School Programに別料金を払ってArtのクラスをとったりするのです。
 そうか! だからデュオアクティブもハイドロサイトも使用説明書に「切って使わないように」って書いてあるのか。キズのサイズに合わせて切るというスキルがないんじゃ,「切ったら変な形になって使えなくなった。これは欠陥商品だ!」と訴訟を起こされちゃうもんね。

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 最近メールのやりとりをしているアメリカ在住の方に,アメリカでのキズ・ヤケドの治療はどうですかと尋ねたところ,次のような回答をいただきました。やはり,アメリカでは湿潤治療は全く普及していないようです。
> このハイドロコロイド被覆材,実際にどのくらい使われているものでしょうか。

 この点について,10人の友人ママたち(白人4人,黒人3人,インド人1人,韓国人2人)にインタビューしてきました。
  1. 【家庭での,minor injuryのcareは具体的にどうしてる?】
    なんと全員が「Neosporinとごく普通の絆創膏」でした。やはりNeosporinの普及率は相当なものですね。
  2. 【消毒してる?】
    水道水で洗うそうです。
  3. 【(キズパワーパッドを見せながら)これ使ったことある?】
    5人(韓国人2人とインド人1人と白人2人)が,「顔の傷に使ったことがある」そうです。amazingly きれいに治った,と言ってました。あと,面白かったのが,「あ,これ知ってる。靴擦れに使うものなのよね」と言った黒人に対して「そうそう,靴擦れにはコレなのよ」と同調する人が数名いました。なぜもっと普通の傷に使わないのかというと,小さいサイズのものしか販売されていないから,いざ傷に貼ろうとすると大きさが足りなくて断念するのだそうです。

 やけどに関してですが,病院では,白い銀含有のクリーム(ゲーベンと同成分)を塗って被覆材とガーゼ,という処置だそうです。家庭医は(訴訟が怖いので?)やけどはすぐに専門のBurn Centerに紹介するのだそうです。
 うちの近所のUrgent Care(ERと家庭医の中間くらいに位置する,アポイントなしで見てもらえるクリニック)では,『24時間,アイスノン又は氷で冷やしてその後,何も塗らない,触らない事そうすれば跡も残らず自然と治る』と言っているそうです。がっかりですね。
 
「湿潤治療の第一人者」と名乗っている塩谷名誉教授によると「アメリカでは湿潤治療は広く普及している。日本はアメリカに10年以上遅れている」ことになっているんですが,まるっきり嘘であることがわかります。
 また,アメリカではハイドロコロイド被覆材はドラッグストアで売られてはいても,擦り傷やヤケドの治療材料としては認知されていないことがわかります。靴擦れにはハイドロコロイドですが,擦り傷にはNeosporinなんですね。

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 雑誌「Expert Nurse」12月号『ナースが行う“適切な”褥瘡・創傷ドレッシング材の選択』という特集記事を組んでいたので読んでみた。この雑誌は以前,「鳥谷部を出席させないラップ療法座談会」というおバカ企画を何度もしてきたクズ雑誌であるが(・・・こういうクズ企画にホイホイと乗せられて座談会に参加する医者も情けない,というか,科学者としての最低限の常識を持ち合わせていないと思う),今回の記事もまた大いに笑わせてくれた。毎度,ツッコミネタを提供してくれるありがたい雑誌であり,いつも感謝している。感謝しつつ,ツッコミを入れさせて頂く次第でございます。
  • 要するにこれは創傷被覆材などの「治療材料・軟膏販売促進用カタログ雑誌」であり,それ以上でもそれ以下でもない。あらゆる創傷被覆材を漏れなく紹介するのが記事の目的なので,商品の欠点とか,その欠点を補う工夫(=実はユーザーがもっとも知りたい情報はこれ)などは全く書かれていない。

  • 創傷被覆材は連続2〜3週間しか使えない,という創傷被覆材治療最大の問題にまともに答えていない。読者がもっとも知りたいのはこの点だと思うのだが・・・。

  • しかし,それではさすがにマズいと思ったのか,「2週間を越えた場合の2つの解決法」について言及している。

  • 第1の解決法は「非固着性ドレッシング材(=メロリンなど)に切り替える」というもの。一見もっともらしいが,記事で取り上げられているメロリンなどの「非固着性ドレッシング材」を実際に使ってみるとわかるが,創面に固着して剥がすときにすごく痛いのだ。なぜかというと,メロリンは「キズを乾燥させる」ために設計された被覆材料だからだ。つまり,この記事を書いたWOCナースはこのあたりの基礎的知識もないらしい。

  • 本物の非固着性ドレッシング(=OpWT,モイスキンパッド,プラスモイストなど)を薦めた方がいいと思うが,これらはこの雑誌が大嫌いな「鳥谷部がらみのドレッシング」のため,清々しいくらいにスルー!

  • 第2の解決法は「従来からの軟膏とガーゼで治療しましょう」と言うもの。オイオイ,最初の2週間は被覆材で治療し,その後は軟膏でいいなら,最初からずっと軟膏ガーゼ治療でいいとなるはずだ。なにも被覆材治療はない。この記事を書いたWOCナースさん,そのあたりの矛盾に気がついていないのだろうか。頭悪いなぁ。

  • 「コストパフォーマンスと人件費削減に優れた治療の選択が重要」と特集の冒頭に書いておきながら,この特集で紹介されている治療法はコストパフォーマンスが悪く,人件費も削減できない方法ばかりだ。コストパフォーマンス抜群で,人手もかからず,しかも治療効果抜群の方法があるんだけど,それは意地でも取り上げないという姿勢が清々しいくらいだ。

  • それにしても,日本中の褥瘡患者に2週間被覆材を使い始めたら医療費はどのくらい必要かを計算してみて欲しい。まともに初等算数ができる人間なら「褥瘡は被覆材で治療する」なんておバカなことは恥ずかしくて書けないと思う。

  • 病院での褥瘡治療のことしか考えておらず,在宅での褥瘡治療は完全無視しているのは,世の中の流れに逆行していると思う。全ての褥瘡患者が治療のために病院に入院したら,医療現場は崩壊すると思うけど。

  • ちなみに,厚生労働省の試算によると,【14年後の2025年,人口の1/4が65歳以上になり,その40%(=500万人)は死亡する前に半年以上寝たきりになる】となる。私もこの試算は多分正しいだろうと思っている。つまり,国民の20人に1人が寝たきりである。
    では,計算してみてほしい。寝たきり患者の1割に褥瘡が発生するとして,それを被覆材で治療したら医療費はどのくらい必要だろうか。どうやら,日本褥瘡学会にはこういう計算ができる人がいないらしい。

  • そういえば,ラップ療法について一言も言及していないのが,この雑誌の新機軸らしい。以前のこの雑誌の同様企画では「ラップで治療するなんて悪魔の所行」と悪口雑言の限りを尽くしてきたのだから,どうしたのだろうと逆に心配してしまう。多分,出版社の方から「ラップ療法と鳥谷部はNGワードです」と指示があったのだろう。
    出版社としてはラップ療法を取り上げることは絶対にしたくないが,表だって批判することもできず(批判したら私に「このアホ雑誌は5年たってもアホだった」と罵倒するネタを提供するだけ),あたかもこの世にラップ療法は存在しないように装うことしかできなかったのだろう。「目の前に倒れている人がいたら,とりあえず目を閉じましょう。すると見えなくなります」とアドバイスするのと同じだな。

  • よくよく情けない雑誌であり,情けない書き手ばかり揃えたものだと思う。自分たちの治療が正しい,自分たちは信念をもって治療をしている,というのなら,堂々と「ラップ療法なんて正しくない。よい子は絶対にしないように!」と書けばいいのである。それが科学と言うものであり,科学者が最低限守るべきモラルである。まぁ,このクズ雑誌に科学を説くのは,馬に念仏を教えるようなものかな。
 「Expert Nurse」はこれからもツッコミどころ満載のクズ企画をどんどん掲載してほしいと切に願う次第である。

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【アレルギーのギモンお答えしますSP】
 NHKの朝の番組「朝イチ」を見ていた人から,ゲストの先生の無茶苦茶な話に笑ってしまいました,とメールが入っております。
 NHKの朝イチ アレルギーの特集でしたが,上出先生突っ込みどころ満載でした。特に笑ったのは昔は「ステロイドを野放図に使っていたから治らなかった」。いまは「使用量が少ないから治らない」と言う点ですね。
 この上出先生という方は,「アトピーはステロイドでかならず治るし,治らないわけがない。治らないのはステロイドが効かないのではなく,量が多すぎるか足りなすぎるからだ」とおっしゃっていたようですが,「では,どの量が適量なのですか?」と質問すると答えていただけるのでしょうか。多分,どのくらいが適量かは永遠にわからず,いつまでたっても多すぎるか足りな過ぎるかのどっちかじゃないかと思います。
 そういえば江戸落語に,患者が悪くなってからつれていくと「手遅れだ,もっと早く連れてこい」と言い,具合が悪くなる前につれていくと「つれてくるのが早すぎる」というお医者様が登場する噺があったような気がします。

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 「アメリカでの湿潤治療」についてアメリカ在住の方から面白い情報です。
 アメリカにはラ・レーチェ・リーグという母乳育児支援の団体があります。この団体は60年以上の歴史があり,アメリカ小児学会も公認する由緒正しい非政府組織の団体です。
 ここでは,授乳時に児の吸着がまずかったときなどに乳首がきれてしまったときの対処として,
100%純度のラノリンを塗ってmoist wound healingすることが推奨されています。
 アメリカ国内でも,母乳育児経験者でしたらこの方法を知っていると思います。だって,わたしが夏井先生のサイトを発見したとき,「あ,アメリカで乳首にラノリン塗ってサランラップのっけたのと同じだ!」って思ったものですから(笑)

 ちなみにラノリンはソフラチュールに塗られている油で,「羊毛を刈り取ってウールに仕上げる際に副産物として回収されるウールグリースを精製したもの。融点40℃付近の淡黄色の蝋状物質で,高級アルコール及び高級脂肪酸のワックスエステル」で,白色ワセリンに比較するとちょっと獣臭い臭がします。

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 12月5日のこのコーナーで取り上げた「塩谷名誉教授の盗癖,虚言癖」問題ですが,日経の記事にあった「欧米ではすでに湿潤治療は広く普及しているが,日本はそれより10年遅れている」発言について,アメリカ在住の方から連絡をいただきました。  塩谷名誉教授は1931年,つまり昭和6年のお生まれです。14歳の時に敗戦を迎えていますから,もろに「強くて優しいマッカーサー! ギブ・ミー・チョコレート」世代です。この世代には「アメリカ最高! アメリカ文化が世界をリードしている。アメリカ人に日本人は勝てっこない」と脳みそに刷り込まれてしまった人がいます。
 そういう人間が医者になると「アメリカ医学こそが全て! アメリカ医学万歳! 日本医学はアメリカ医学のあとをついていくしかない」と思い込んでしまうし,「日本独自の治療なんて存在しない。日本だけの治療なんて滅相もない。日本人にできることはアメリカで普及している治療をありがたく教えて頂くだけに決まっている」と考えてしまうんでしょう。「アメリカ人の足の裏を舐めろ」と命令されたら,嬉々として一晩中舐めているタイプでしょう。

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【湿潤治療は塩谷名誉教授が第一人者だ!】
 「12月3日の日本経済新聞に湿潤治療の記事がありましたが,塩谷名誉教授が湿潤治療の創始者であり第一人者であると書かれていました。あまりにひどい内容に腹が立ったためお知らせします」という腹立ちメールを複数の方からいただきました。面白いので紹介させていただきます。
 まず,一般市民の方からのメールです。
 ところで,本日(12月3日)の日経新聞別刷り付録(プラス1)に湿潤療法の話が大きくと取り上げられております。
 これによると,湿潤療法は米国で1942年に始まったこと,日本での第一人者は北里大学の塩谷名誉教授なども紹介されております。
 「オイオイ,夏井睦抜きで湿潤療法の話はないだろ」と,私は言いたいところですが,記者が不勉強なのか,はたまた「過激」すぎて夏井睦が嫌いなのか?
 記事によると日本の湿潤療法は欧米に比べると10年から20年遅れているそうですが,本当なのでしょうか。
 ある医師からのメールです。
 日経新聞の土曜日増補版 NIKKEI プラス1の湿潤療法に関する記事です.
 ちょっとググれば,基礎情報が入手できるのに,この記者は下調べすらしてないのでしょうか.夏井先生を差し置いて,塩谷氏に取材をするとは.しかも,文中「欧米では広く認知されている湿潤療法.日本でも,大人に比べ擦り傷などを負うことが多い相中学生とその親や教師などから知られるようになった.」(自然派生かよ!)なんて書いてあり,事実歪曲も甚だしいものです.夏井先生に言及もせず,自らが第一人者の如くのうのうと取材を受ける塩谷氏の厚顔無知ぶりもすごいですが,「塩谷名誉教授曰く『日本の湿潤療法の認知と実践は,欧米に比べ10年から20年遅れている』と話す.」に至っては,氏は認知症ではないかと心配してしまいました.
 このくらい厚かましくないと,名誉教授にはなれないんでしょうね.
 「湿潤療法は欧米で広く認知されている」というのは事実誤認も甚だしいです。実際に欧米で怪我をして治療を受けた人に尋ねてみると,皆さん「消毒して軟膏ガーゼ」で治療を受けていますよ。塩谷名誉教授はそういう実際の医療現場をご存じないです。
 この医師への私の返事です。
> このくらい厚かましくないと,名誉教授にはなれないんでしょうね.
もちろんそうです。北海道大学形成外科の大浦名誉教授は「私が褥瘡のラップ療法を始めた」なんておっしゃっていますから,もしかしたら名誉教授になるためには「過去を都合よく歪曲する。都合よく記憶を改竄する」能力が必要なのかもしれませんね。もちろん,塩谷名誉教授は大浦名誉教授とは違うと思いますが・・・。

 ちなみに,2004年に海外での学会に生まれて初めて出席した時,学会に参加されていた塩谷先生が私に「先生が先頭に立ってどんどん治療を進めてくれるから,ようやくこの治療も知られるようになったよ。治療が普及してきたのは先生の功績だね」と話しかけて頂いたことを今でも鮮明に覚えています(偉い先生に褒められることがほとんどないため,褒められたことは記憶しているのです)。塩谷先生,自分が7年前に言ったことをもうお忘れになったようです。ちょっと心配です。

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 昨日(11月30日),「下腿打撲⇒血腫⇒皮膚壊死・感染は珍しくもなんともない」と書きましたが,その証拠症例にリンクするのを忘れました。これが証拠の画像です。

 実は,こういう症例が非常に多いということに気がついて,「傷がないのに創感染が起きている。ということは,創感染を起こす細菌は傷から入るわけではない。細菌の侵入経路は別経路としか考えられない。ということは,傷を一生懸命消毒しても,抗菌軟膏を塗りたくっても創感染が防げるわけではない。同様の理由から抗生剤の予防的投与もそう感染予防には無効だろう」と理論化するきっかけになったのです。

 そして,CDCの術後創感染(SSI)対策「術後創感染の起炎菌は術中に術創から入る」ことを大前提にし,「術後に別経路から侵入する細菌」については全く考慮していないことに気が付き,これは絶対に間違っていると直感しました。だから,CDCのSSIガイドラインを厳密に守っても,サーベイランスをしても創感染は減っていないのですよ。CDCガイドラインが大好きで,CDCガイドラインは神からの御宣託と信じ込んでいる某先生や某々先生には悪いけど・・・。

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 来週月曜日(28日),TV東京で12月17日放送予定の医療番組系特番の収録があり,私は「ヤケドは皮膚移植しないで治す」側で「ヤケドは皮膚移植をして治す(=日本熱傷学会のガイドライン治療)」側の先生とちょっと討論でも,という予定でしたが,ついに「ヤケドは植皮」側の先生は出演しないことが決まりました
 多数の大学病院形成外科の教授や熱傷治療で有名な先生方にかたっぱしから出演依頼したのですが,誰一人として「討論で湿潤治療をとっちめてやろう」という人はいません。ただ一人,最後まで出演に前向きだった茨城県の土浦協同病院皮膚科 盛山吉弘先生(いろんな所で「湿潤治療なんてダメだ」と悪口を言いふらしたり論文を投稿している御仁ですな)も今日になって「都合がわるいので出演できません」だってさ。まさに敵前逃亡! 文句があるなら面と向かって堂々と主張して欲しいっすね・・・男なんだから。今後は影でコソコソ悪口をいうような卑怯な態度は取らないように・・・男なら!

 ヤケドに対して皮膚移植で治すのが正しいとテレビ視聴者に主張できる絶好の場を私は提供しました。それなのに,日本熱傷学会の先生方も大学病院形成外科の教授たちもその機会を放棄しました。彼らはそんなに後ろめたい治療をしているのでしょうか? 正しい治療だと信じて行なっているのなら,それを堂々と主張したらいいじゃないですか。湿潤治療より植皮治療が優れているって主張すればいいじゃないですか。正々堂々と討論するのが苦手なんですか? そんなにしてまで隠しておきたい治療,治療結果を秘密にしたい治療をしているんですか?

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 佐賀県の脳外科の先生から面白いメールをいただきました。なんと,長年悩んでいた口内炎がおしゃぶり昆布で治りそうだ,というメールです。
 小学生の頃からもう40年近く年数回の口内炎に苦しんできました。最近はイソジンうがい液を綿棒に着けて潰瘍部に1分くらい押しつけると,激痛ですが白いふやけた被膜が除去され,幼弱肉芽らしき赤い組織が露出し,その後は痺れているうちに痛まなくなり,白い被膜は再び付着したままでしたが,気にならずいつ治ったのか分からない状態でした。
 今回綿棒攻撃が手緩かったのか,改善なく,日頃創の過湿潤にアルジサイト(アルギン酸塩被覆材)を使用しながら昆布の話をするのを思い出し,おしゃぶり昆布をあてがってみました。そのままでは傷に塩を塗る痛さでしたが,少しなめてやわらかくなったものを舌で運び,歯と創の間に置きます。りっぱな白苔の付着した状態から,午前中の外来の間に,やけどの中に出来てくる島状の粘膜ができたように見え,午後もなるべくあてがって過ごし,朝3時に起きて見たのですが,中央にきれいな口腔粘膜が再生しているように見えます。まだどこか圧痛はありますが,こんな途中経過を見たことがなかったし,簡単便利なので投稿いたします。
 私には口内炎が無いので試せませんが,口内炎でお悩みの方はダメもとでためしてみるのも悪くないと思います。
 ちなみに,アルギン酸塩被覆材の原料は昆布の一種のラミナリアです。また,北欧のバイキングは経験的に「傷口を海藻で覆うと痛くない」ことを知っていたという言い伝えもあります。更に,第二次大戦中,ドイツがUボートでイギリスを海上封鎖しようとしたため,一時アメリカから綿花がイギリスに輸入されず,ガーゼが作れずに困ったことがあったそうですが,この時,「綿花も植物なら海藻も植物。ならば海藻からガーゼみたいなのが作れないか」ということになり,「海藻ガーゼ」が作られたことがあったそうです(実物がどういうものだったかは不明ですが)。その後,ドイツの敗戦で安価な綿花が入るようになって海藻ガーゼは廃れたらしいのですが,もしもそのままこの海藻ガーゼ(原理的にはアルギン酸塩被覆材と同じでしょう)が使われていたら,創傷治療の歴史が変わったかもしれませんね。

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【危機にひんするギリシャの「緩さ」】
 ギリシャって何で食っている国なのか調べてみたら,主要産業は観光なんですね。第一次産業も第二次産業も基幹産業と呼べるほどのものはないのですが,何しろ国全体が古代ギリシャの遺跡だし,風光明媚なエーゲ海はあるし,観光資源的にはすごく恵まれているわけです。だから,観光で食っていけるわけですね。
 考えてみると,過去の遺跡にしろ風光明媚な風景にしろ,それは「過去の遺産」です。頑張ったのは古代ギリシャ人と地球であって,現代ギリシャ人は一切努力せずにそれらを手に入れていることになります。つまり,過去の遺産とその利子だけで食っていることになり,必死に働いてモノを作って売って生計を立てる必要はありません。だからこそ,労働者の4人1人は公務員,なんていう状態でも国が成り立っていたんでしょうね。
 農業にしても工業にしても,それで食うためには努力と計画と計算が必要です。しかし,観光客が向こうからやってきてお金を落としてくれるのなら努力は要らないし,計画を立てる必要もありません。
 だから,一旦経済が破綻し始めると,そこから抜け出すことは難しくなります。観光業で収入を増やすには観光客を増やすしかなく,余程の努力と工夫をしない限り現状以上の観光客が押し寄せることはないからです。

 「過去の遺産で食っている」といえば産油国も同じで,こちらは2億年前の遺産で食っています。地下に埋まっているものを掘り出すだけで巨額の富に化け,一旦堀当ててしまえばあとはその後の努力はほとんど不要でしょう。多分,「働いて食っている」という意識は皆無のなずですし,おそらく,富を作り出す難しさを感じることもないでしょう。そして,そういう巨額のアブク銭がオイルマネーとして金融市場に流れ,それが現在の「歴史的円高」の一因となっているようです。
 個人レベルでは不労所得というのは嬉しいものですが,国家レベルでの不労所得というのはいずれトラブルを起こす原因なのかな,なんて思ったりします。

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【TPP早期参加表明を=「農協は何をしていたか」と批判―仙谷氏】
 TPPについてはいろいろ議論がありますが,「農業はTPPで崩壊する」という主張はおかしいです。仙谷氏も言っているように,TPPに入ろうと入るまいと,日本の農業は老衰死寸前だからです。「農業就業人口の国際比較」を見ると明らかですが,スペインやイタリアは農業従事者が各年齢層でほぼ同じ数,フランスでは30代,40代が一番多くなっていますが,日本だけは60代以上が極端に多く(平均年齢66歳),しかも年齢が上がるほど比率が高くなるという状況です。
 これを医者に例えてみるといかに異常かわかります。病院に行っても市中のクリニックに行っても,見かける医者は高齢者ばかりで30代の医者はほとんどいない,という状態と同じです。こういう業界,職種に未来はあるんでしょうか。平均年齢66歳ということは,5年後にはどうなるんでしょうか。
 要するに「日本農業を守るためにTPP参加反対」という論理が成立するのは「TPPに加入しなければ若い農業従事者が増える」となる場合だけだと思うのです(・・・数学的に考えれば)
 結局,農協が守ろうとしているのは農業ではなく農協でしょう。農協にとって農業なんてどうだっていいのでしょう。だから,平均年齢66歳という状態を異常とも思わないのです。食料自給率なんて,TPPを受け入れなくてもどんどん下がります。農業従事者が減り,生産量が減るからです。もしも本気で農協が「食料自給率向上」を目指すのなら,大規模集約型の農業への転換を農協主導で進めるべきであり,それ以外の方法はありえません。つまり,農業従事者が減少しても大丈夫なように,少人数で大規模耕作する方向です。
 しかし,農協がこの方向を打ち出すことはないでしょう。「少数の大規模農家」より「多数の小規模農家」の方が農村票の数が多いからです。もちろん,農村票を目当てにしている代議士にとっても同じです。

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【パンダが竹を食べる謎を解明】
 竹を主食とする哺乳類は実はパンダだけではありません。マダガスカルの霊長類,ヒロバナジェントルキツネザルやハイイロジェントルキツネザルは竹を主食としていますが,これは例外的な存在で,その他には竹を主食とした生物はいないようです。
 そこでパンダですが,竹しか食べていないことは確実ですが,竹の主成分であるセルロースを分解できるのは地球上では細菌だけであるため(草食動物も,草食の軟体動物も,シロアリも,セルロース分解酵素は持っていない),パンダの腸管にはセルロース分解菌が共生・常在しているはずと考えられてきましたが,今回の研究でそれがようやく確認されたようです。
 ここでも,「細菌の圧倒的多数は培地で培養できない」という現象が研究を妨げたようです。
 ちなみに私のヤマ勘では,「ホモ・サピエンスがパンダを竹食に追い込んだ」とするのはちょっと無理っぽい気がします。

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【ペスト菌、600年前から変化せず】
 細菌フェチにとっては驚愕のニュースです。何とペスト菌(Yersinia pestis)は600年前から今日まで,全く遺伝子的変異を見せていないのです。これは通常の細菌学の知識からは理解し難い現象です。なぜなら,細菌はプラスミドやファージの形で外部から遺伝子を取り入れ,変異していくからです。実際,湖沼や土壌からは溶存型DNAが見つかり,それらは遺伝子として機能することがわかっています。つまり,湖沼や湖は細菌にとって「巨大な遺伝子プール」であり,そこから新たな遺伝子を調達しているという考えもあります。高速ネットワークで相互に連絡しあっているクラウド型コンピューティングのようなものです。
 しかし一方で,頻繁に変異を繰り返すウイルスにしても細菌にしても,「種の壁」は厳然として存在し,インフルエンザウイルスはいくら変異を繰り返しても狂犬病ウイルスに変化することはないし,大腸菌がβ-プロテオバクテリアに変わることもありません。恐らく,インフルエンザウイルスにはインフルエンザウイルスであるためのアイデンティティがあり,大腸菌には大腸菌であるアイデンティティがあるため,と考えられています。
 現代でもペスト菌感染は起きていますが,抗生剤が著効するため,診察した医師が正しく診断すればほぼ確実に治ります。つまり,ペスト菌は抗生剤の猛攻撃を受けているのに変化しようとしない,ということになります。
 なぜ,ペスト菌は抗生剤に対して耐性を獲得しないのでしょうか。可能性として私なりに解釈すると,「ペスト毒素を作るゲノムのサイズが大きすぎて,他の基本的代謝システムが必要最低限のものしかなく,新たに抗生剤耐性遺伝子を獲得すると代謝システムそのものが働かなくなるなどの不都合が生じるから」ではないかと思います。要するに,新たな耐性能力を獲得するとペスト菌としてのアイデンティティが保てなくなる,という「遺伝子の極限状態」ではないかと思われます。だから,600年間,変わるに変われなかったのではないでしょうか。
 もう一つ可能性があるとすれば,ペスト菌はウェルシュ菌のように必須アミノ酸の代謝系を失っていて,「狩り」をすることでしか増殖できない細菌になってしまった,というものです。つまり,「不完全な代謝系しか持たないから,生存に必要なアミノ酸は外部から調達するしかない/中間宿主を殺してアミノ酸を得るしかない」という生き方です。
 いずれにしても,600年間,遺伝子変異がない細菌がいるという事実に大興奮です。「細菌とはどういう生物なのか」を知る上で,大きな手がかりになるような気がします。

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【ノーベル経済学賞に米2教授】
 いまだに価値がわからないのがノーベル経済学賞です。ノーベル経済学賞は受賞者に経済的恩恵はもたらしていると思いますが,人間社会全体に本当に貢献しているんでしょうか。しかも,経済学賞の受賞者がアメリカに偏っている(過去69人の受賞者のうちアメリカ人は49人!)のはなぜなんでしょうか。アメリカの経済理論が人類の福祉に貢献しているからでしょうか。
 上述の『天皇はなぜ生物学を研究するのか』には,「身分や階級を否定して建国したアメリカは,<稼いだ者勝ち>という価値観を拠り所にするようになった。単位時間にいくら稼ぐかが,ピアニスト,画家,企業の価値とみなされた」とありますが,これって案外,正鵠を射ていないでしょうか。そういう<稼いだ者勝ち価値観>の延長線上にあるのがノーベル経済学賞のような気がします。
 いずれにしても,「ノーベル経済学賞,ノーベル平和賞は人類の福祉と幸福に本当に貢献しているのか?」を検証すべき時期ではないかと思います。

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 ある方から次のような質問をいただきました。
 先日、マスコミの両論併記について指摘されていましたが,もう一つ大きな問題点が有ると思います。
 学説を紹介するにあたってその学説がどの段階のものなのか素人にはわかりにくい点です。実験結果が得られただけなのか、統計処理を済ませたものなのか、多くの研究者による追試が行われているものなのか、長い期間をかけて疫学的手法でメタ解析が行われたものなのか,はたまた単なる思いつきなのか、見分けがつきません。
 科学的確かさがどの程度ある学説なのかを科学報道、医学報道には徹底することが大事なのではないでしょうか。
 私は次のように回答しました。
 こういうふうに考えてしまうと難しくなっちゃって,面倒くさいから専門家の偉い先生に判断を任せよう,となってしまいます。
 でも,ほとんどのデマ情報,インチキ治療,ニセ科学は中学程度の理科の知識があれば見破れます。まして,高校程度の物理学,化学,生物学の知識があればほぼ完璧に見破れます。これらの基礎科学の知識からはずれていたら「ほぼ確実にインチキ」と断言していいと私は考えます。
 昔,空中浮揚で有名になったインチキ宗教家がいましたが,それに対し,ちょっとした物理の知識があれば「人間が空に浮くわけねえだろ。バカじゃん。常識で考えろよ!」と言えばよかったのです。それなのに,中学や高校の知識(=基礎科学の常識)を忘れちゃったオバカさんたちがまんまと騙されちゃいました。そのオバカさんには有名大学の理学部卒もいましたが,いくら大学で物理学を学んでも基礎科学の常識を忘れちゃいけません。こういうのを「勉強のできるオバカさん/専門分野はプロだけど常識は一般人以下のお馬鹿さん」と呼びます。
 同様に,血液型性格診断も,「水からの伝言」も,マイナスイオンも「バカじゃん! 常識で考えろよ! そんな嘘っぱちに騙される方が悪いよ」でいいのです。
 統計処理だ,疫学だというまえに,基礎科学です。簡単な力学,電磁気学,エネルギー保存則,分子と分子の反応様式,細胞学,遺伝学などの初歩の知識さえあれば十分です。力学や電磁気学の基本法則を否定したら宇宙そのものが崩壊するし,細胞学や遺伝学が崩壊したら全生物が消滅します。基礎科学の知識というのはそれくらい強固で正しいものです。ならば,それを真理として設定し,それを判断基準にすればいいのです。要するに「科学の常識」が判断基準です。

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【サルでもわかるTPP】
 ある医療系のメーリングリストで紹介されていたサイトです。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に大反対の立場からいろいろ述べているんですが,内容はトンデモ系です。都合のいいデータだけを参考にし,すでに科学的に否定されている昔の学説を引っ張り出し,都合の悪いデータは曲解するというよくあるパターンです。
 ここでは「第7章 TPPと遺伝子組換え」を取り上げてみようかと思います。なお,参考文献は『もうダマされないための「科学」講義』 (光文社新書),その他です。



 なお,ここからリンクしているLuna Organic Instituteですが,どうやらマクロビオティックに基づいた健康増進を目指しているようです。しかし,このマクロビオティックというやつがこれまた噴飯物のトンデモお笑い栄養学なんですね。何しろ背景にあるのが「独自の陰陽思想」なんですよ。
 上記の本によると,戦前からマクロビオティックによる食事療法を行なっていた医者が,長崎の被爆者に「爆弾には塩がいい。玄米にたくさん塩を付けておにぎりにして食べろ。塩からい味噌汁を毎日飲め」と指導し,それから被爆者の間で味噌,玄米,塩が放射能に効くというデマが広まったそうです。
 そういえば,福島原発事故直後の中国で塩は放射線に効くと信じて塩を買い占めた人がいたというお笑いニュースがありましたが,この「放射線には塩」というデマの出所は多分,マイクロビオティックじゃないでしょうか。

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某病院形成外科の先生からのメールです。
 私も,小耳症などは医師と患者のギャップは余りに大きいと感じました。術後患者で患側の耳を露出している患者は一人も見たことありません。
 最近私が感じているのは縫合創の瘢痕が不自然なのでは?ということです。露出部のほくろやアテローマなどはくりぬいて解放創にした瘢痕の方が自然な気(生物として?)がするのです。きちんと縫った傷って余りに律儀すぎて・・・
 分層採皮部などなぜ律儀に長方形にしてしまうのだろう・・・・かっこわるいなあと
 形成外科医以外にはちょっとわかりにくいと思いますので,ちょっと補足。
 まず「小耳症」ですが,これは先天性の耳(外耳)の形成不全です。それに対し,形成外科では患者さんの肋軟骨を3本を取り出して,耳の形に組み立て,それを耳の場所に皮膚の下に埋め込んで耳を作ります。どういう耳ができるか,興味をお持ちの方は
Googleで「小耳症」のイメージ検索をすればすぐに分かります。大学病院の形成外科では普通に行われている手術です。
 確かに,手術前の状態からすれば「かなり耳っぽい」ものができますし,大学病院時代の私はそれで満足していましたが,今考えると手術で作った耳は所詮は「イミテーションの耳」であり,「本物の耳」ではないことがわかります。だから「肋軟骨を3本も摘出してこの程度の耳しか作れないんだよな」,という上記の先生の感想は,患者側の立場からすればもまともだと思います。
 「きちんと縫った傷って余りに律儀すぎて」というのも,極めて真っ当な患者さん寄りの感覚だと思います。人体には「定規で引いたような直線」の構造物はなく,あるのは「曲線」だけです。これは自分の顔や手を見てみるとよく分かると思います。もちろん,微妙な曲線に傷を縫う技術はありますが,それにしても「自然な曲線」とは微妙に違っている気がします。
 「分層採皮部などなぜ律儀に長方形にしてしまうのだろう」というのも鋭いと思います。長方形は人体には絶対にない不自然な形です。不自然だから目立ちます。要するに,形成外科では「目立たない自然な傷跡」でなく「目立つ不自然な傷跡」を残す手術を標準的治療として行なっているわけです。

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 病院経営者向け雑誌「集中」10月号に『偽医師にご用心! 証明書類は「医師免許証」のみという問題点』という記事が掲載されていた。
 医者以外で本物の医師免許証を見たことがある人ってほとんどいないと思う。だから,運転免許証みたいなものに「医師免許証」と書いてあれば,大半の人はそれを医師免許証と思ってしまうんじゃないだろうか。
 実物の医師免許証は,見た目も厚さも賞状(B4サイズだったかな? 何しろ私自身,本物を見たのはしばらく前であり,正確に覚えていない)みたいなものである。医籍番号と名前,取得年月日と厚生労働大臣の署名などが入っているだけで,顔写真は貼られていない。つまり,運転免許証とかパスポートのように「本人確認」のための証明書ではないのだ。その意味ではかなりアバウトな証明書であり,社員証よりもルーズだ。何しろ,本人かどうかを確認する手段がないのである。
 さらに,新しい病院に就職する際は医師免許証の提出を求められるが,本物でなくコピーを提出すればいいよ,という病院も多いし,しかも本人と証明する写真は添付されていないのだ。日本全体に顔を知られた医者(例:日野原先生とか鎌田實先生とか)以外では,本人と確認する手段はないも同然である。
 しかも,この医師免許には更新制度はなく,一度発行された医師免許証は一生にわたり有効である。逆に言えば,数十年前にもらった「賞状」を一生涯にわたり医者個人が保管する必要が生じ,これもまた不便なのである。
 欧米諸国のように医師免許を更新制度にするかどうかは別として,せめて医師免許証は「運転免許証サイズ,顔写真入り,ICチップ付き」にして欲しいと,大多数の医者は考えているんじゃないかと思う。

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【<ノーベル医学生理学賞>米仏の3氏に…免疫の仕組み解明】
 iPS細胞の中山教授,今年もまたノーベル医学・生理学賞を逃し,受賞したのは免疫の基礎的研究でした。
 ノーベル医学・生理学賞の選考基準についていろいろ調べて見ましたが,論文の引用件数の多さとともに,社会的影響も加味されるようです。それからすると,「iPS細胞は研究は進んでいるが,iPS細胞によって恩恵を受けた(=病気が治った)患者はまだ一人もいない」ということじゃないかと思います。要するに「iPS細胞開発による社会的影響」は現段階では皆無です。その点が今回の受賞者たち(=免疫過程の基礎的解明)との最大の違いかな,という気がします。
 また,iPS細胞は癌化という問題もまだクリアできていません。仮に今回ノーベル賞を授与し,その後に臨床応用されてがん患者が多発,なんて事態が起こる可能性が残っています。これもネックでしょうね。
 いずれにしても,「iPS細胞による治療技術で多くの患者が命を救われる」までには,まだまだ乗り越えるべき障壁が多いような気がします。

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 大学病院時代の思い出話です。
 患者さんは10歳くらいの男の子で,指の怪我の後 の parott-beak deformity という変形(爪がオウムの嘴のように曲がる変形)の治療のため,同じ指から組織移植をして変形を治す手術(reversed-digital arterial flap)をしたわけです。もちろん,手術の方法を決めたのは私ではなく決められた手術をしただけです。手術は無事に終わり,皮弁も生着し,変形も見事に修正できたました。
 そして,創部がきれいになった頃,「ほら,きれいになったよ」と指を見せたところ,患者さんが泣き出してしまったのです。そして退院して外来通院になりましたが,親御さんから「子供は手術をした指が変になったと毎日泣いています。指を隠して使わなくなりました」と抗議を受けました。
 あの頃は,「手術の方法については術前に十分に説明したし,それに同意したと同意書に署名もしているはずだ。手術だってとてもうまくいったし,変形もきれいに修正できている。それなのに文句を言われてもなぁ」という気分でした。
 でも,今になると患者さんの気持ちが痛いほどよくわかります。怪我をする前のきれいな指に戻してくれると思っていたのに,指全体に傷があり,指の形も変だからです。こんな指にする手術なんて,患者さんは全く希望していなかったのです。それなのに,医者は患者の希望を全く無視して,「parott-beak deformity には reversed-digital arterial flap と決まっている」と機械的に治療法を選択のです。そして,「指先のちょっとした変形を治すために,指全体を傷跡にした」のです。だから,患者さんが泣いて当然なんですよ。
 あの頃は,こういう当たり前の感覚を忘れて手術していました。要するに,「患者の希望」ではなく「医者の論理(=医者の都合)」で手術方法を決め,そうすることが「患者のための治療」だと勘違いしていたのです。
 そういえば,正中顔面裂の患者さんが術後の自分の顔を見て「私,本当に良くなったんでしょうか?」と看護師に言っていたことを後になって知りました。この患者さんのことは今でもはっきりと覚えています。
 形成外科の考える「きれい」と患者さんが期待する「きれい」は乖離していることに遅まきながら気がついた私です。いつもながら鈍くて困っちゃいます。

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 同じ病院の小児科の先生が週2回,外来を見学していますが,私の子供の診察を見て,「2歳以上の子供は親でなく子供に最初に話しかける。子供と雑談をする。何かする時は子供の許可を得てからする」というのを真似してみたそうです。例えば喉を見るときにいきなり口を開けさせるのでなく,「口を開けてもらっていいですか?」と子供にお願いし,「いいよ」と許可をもらってから喉を診察するわけです。
「そうしたら,子供が全然泣かないんですよ。自分から口を開けてくれるから診察もしやすくなりました。で,喉の診察が終わったら,子供にありがとうってお礼を言うと,ニッコリしてくれます。本当に拍子抜けするくらい簡単。子供が泣かない診察ってこんなに楽なものだったんですね。」
とのことでした。

 例えば,診察室に入っていきなり口の中に金属のヘラを突っ込まれたら,大人だって嫌ですよね。何をするんだ,って暴れますよね。子供も同じです。だから子供は暴れるのです。いきなり説明もなしに腕を掴まれたり,口を開けられたり,針を刺されたりしたら,そりゃあ恐怖で泣きますって。
 大人の診察の時には「〇〇しますね」と説明して同意を得るのに,子供の診察の時には説明も同意も求めないというのは,考えてみたら異常なことなんですよ。何か医療行為,診察行為をするならまず患者の同意を得る。それが常識です。
 2歳児だってこっちが一生懸命に説明すれば,かなりの高い確率で説明を理解してくれます。そのためにはまず,その子と仲良くならないといけません。そのためには子供と1分くらい雑談をして「私は君の敵じゃなくて,一緒にアンパンマンの話がしたいんだけど」とこちらの意思を伝えればいいのです。そのためには,初対面の2歳児と数分間対話ができなければいけませんから,そのためのスキルを身につけるだけです。
 子供に最初から「この白い服を着たのは敵!」と認識されたら,その後の診察も治療がうまくいくわけがありません。うまくいかないから力ずくの診察・治療になります。

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【早大に医学部新設打診 茨城県、医師不足解消狙う】
 この記事にはありませんが,地元新聞の書き方は「筑波大学を誘致したのに未だに人口あたりの医師数は全国最低レベルだ(ちなみに,最低は埼玉県,その次が茨城,その次は千葉県。最も多い京都府の約半分です)。筑波大学は医師不足解消に役にたっていない。早稲田大学なら医師不足解消になるのでは・・・」というようなニュアンスで報じています。
 この記事を読んだら筑波大学,怒るだろうなぁ。こんな記事を書かれるくらいなら茨城なんて出ていこうぜって考えるんじゃないでしょうか。
 いずれにしても,「筑波大学があって年間100人の新卒の医者が茨城県で新たに生まれているのに,彼らが県内に定着しないのはなぜか」という分析と反省をしないで早稲田大学医学部を誘致しても二の舞ですよ。要するに,医師不足の解消なんてどうでもよくって,真の目的はでかいハコモノを作ることじゃないかと思います。
 それと,たとえ早稲田大学医学部が無事に誘致できたとしても,第一期生が卒業するのはそれから6年後,そして一人前の医者になるのはその5年後,6年後です。つまり,12年間は「医師不足の解消」には役に立たない気がします。つまり,医学部誘致と医師不足の早期解消は両立しないんじゃないでしょうか。

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【「ら抜き」増加、慣用句誤用 数年後には「考えれない」?国語世論調査】
 私はこの問題は単純に「発音しやすいか,しにくいか」の問題じゃないかと思います。「食べられない」は「られ」と「ら行」が2文字続くため,正確に発音するのが難しいです。「ら行」の連続は日本人にとっては発音が難しいからです。だから「食べられない」は無意識のうちに「食べれない」という感じに「ら」をはしょり気味に発音しているはずです。
 さらに,「食べられる/食べられない」は「食することが可能/不可能」と正反対の言葉ですが,それが可能か不可能かを聞き手が判断するのは「れる」「れない」の部分だけであって,その前の「ら」はどうでもいい部分です。つまり,相手に「私はこれが食べられるのか,食べられないのか」を伝えるためには「る/ない」を強調する必要があり,「ら」と「れ」は重要性が低くなります。
 となると,「食べられない」の発音の候補としては「食べれない」と「食べらない」の2つがありますが,前者は日本語の話し言葉として意味が通りますが,後者は意味が通りません。だから後者は会話用の単語としては採用されにくくなるんじゃないでしょうか。

・・・なんていうのは,何の根拠もない私的なタワゴトですので本気にしないでね。

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【「タバコと肺がんはほぼ無関係」 武田邦彦教授発言は暴論なのか】
 1週間くらい前の記事ですね。医者の側からすると,タバコの害って癌だけじゃないんですよ。だから「タバコとがんの発生は無関係だから,禁煙しても意味が無い」というのは無知を根拠にした暴論でございます。武田教授,いつもながら脇が甘いっすよ。これだから「トンデモ大学教授」って言われるんだな。
 これは切断した指の再接合(再接着)手術をしたことがある医者なら誰でも知っていると思いますが,喫煙者って指の血管が非喫煙者に比べると内腔が細く,しかも喫煙量に比例して細くなっている感じなのです。そのため,ヘビースモーカーが作業中の事故などで指を落とした場合,ノン・スモーカーに比べると手術が面倒だし(何しろ血管が細いから血管吻合自体が面倒),場合によっては指がつかなかったりします。
 また,動物実験でもウサギの耳の血管を顕微鏡で観察しながらタバコの煙を吹きかけると,みるみるうちに血管が細くなります。タバコのニコチンが強力な血管収縮作用を持っている vaso-constrictor だからです。実際,喫煙中の皮膚温は著明に低下することが確かめられています。これで「喫煙は体に無害」というのはあまりに無知で無邪気です。武田教授はもうちょっと勉強するように。
 というわけで,肺がんとの関連性だけでタバコは安全なんてとても言えません。少なくとも,指の怪我が多い職場で働く人は,絶対に禁煙したほうがいいと思います。肺がんにはならなくても,落ちた指が喫煙のためにくっつかなかったとしたら悔やんでも悔やみ切れないと思いますよ。

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 先日,ある総合病院救急室で縫合処置を受けた母指裂傷の患者さんが「抜糸してください」と受診されました。見ると,母指が屈曲できません。もちろん,長母指屈筋断裂です。話を聞くと,受傷直後から動かなかったそうですが,救急で縫合した医師は「僕,専門じゃないんでよくわからない。傷は縫っておいたんで,あとは近くの病院で治療を受けてください」と説明を受けただけのようです。
 もちろん,その病院の整形外科に送り返しましたが,時々こういう患者さんを目にします。救急外来で傷の処置をしたがその後の治療は近くの病院やクリニックで,というパターンです。病診連携が言われるようになってから,「総合病院救急室では初期治療のみ。その後は病診連携の診療所で」というのが普通になりましたが,この場合,初期治療を行った医者はその後,この患者さんがどうなったのかわからないままです。つまり,自分の治療に対するフィードバックがかからず,自分の治療法が正しかったのか,自分の判断は正しかったのか,その後トラブルは起きていないのかを知る機会を失います。その結果,この医者は同じ過ちを繰り返します。
 つまり,「救急外来で処置した外傷を最後まで診る外来」を同じ病院内に作らない限り,この状態は改善されないことになります。

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【菅氏は日本政治の犠牲者、首相退陣は能力の問題ではない―SP華字紙】
【米国、ドイツにも感染した日本病=無能な政治指導者と民主主義―中国メディア】
 「レコードチャイナ」の記事2本です。前者ではちょっと管さんを持ち上げ過ぎというか,褒めすぎですね。それはご愛嬌としても,この2つの記事は日本,そして民主主義国家の政治システムの問題点を取り上げています。
 なぜ日本で短命政権が続くかというと,他の二院制をとっている国に比べ,日本の参議院の力が強すぎて参院の同意を取り付けないと何も決められないのに,ずっと「衆院・参院のねじれ」が続いているからです。いわゆる「頭を尻尾が振り回す」状態です。その結果,「頭」が取り替えられたわけです。
 また,二大政党政治が現代民主主義社会に合わなくなっていることも原因です。社会が大きく2つの階層に分かれていた19世紀イギリスとか,「南の民主党,北の共和党」と地域で支持政党が大きく二分されていた19世紀のアメリカであれば二大政党制は理に適っていますが,現代においては国民の利害関係とか必要な政策は細分化され,2つの政党で全ての民意を組み上げることは不可能です。そして,細分化と同時に社会の大枠としての方向性は似通ってきます。しかし,二大政党が競う形を保つためには相違点を打ち出さざるを得ず(相違点がなければ政党が分かれている必要がなくなってしまう),「相違のための相違」を強調せざるを得ません。その結果,「震災からの復興に力を合わせて頑張りましょう」なんて簡単なことすら協力できなくなります。自党の存在意義を示すためには,相違点を示さなければならないからです。これが二大政党制の問題点です。
 そして,小選挙区制の問題。ご存知のように小選挙区制を創り上げたのは他ならぬ小沢一郎さんですが,現時点で見ると弊害の方がはるかに大きいです。一つの政党から複数の候補者が立候補する中選挙区制では,政党間と同時に政党内での争いとなり,個々の候補者の資質や能力が問われます。選挙区のために何をしてくれるのか,なんてことが問われるわけます(もちろん,このための弊害も大きいですが)。一方,一つの政党から一人の候補者が選挙区に立候補する小選挙区制では,候補者同士の争いというより政党間の争いとなります。つまり,個々の候補者の資質はあまり問われず,政党と党首が全面に出る選挙となります。その結果として,当選者(=議員)は小粒になります(小泉チルドレンとか小沢チルドレンとか・・・)。より明確に言えば「その政党に公認してもらえば政治家でなくても当選できる」事になります。その結果として政党は「選挙に勝てる党首」しか選べなくなり,選挙結果で頻繁に党首が変わります。

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 「週刊アスキー」の樋口真嗣さんのエッセイに「10年前にMacで作ったファイルが,Macで読めなかった。当時のMacで定番中の定番ソフト,クラリスワークスで作ったファイルだ。アップルがクラリスを買収して取り込んだソフトなのに,いつの間にかサポート対象外になっていた」とありました。アップルの自社製品のはずなのに,わずか10年で自分で作ったデータが読み込めなくなったわけです。
 例えて言えば,このサイトの最初期の記事(2001年10月)が2011年に突然読めなくなったようなものです。OSのバージョンアップ,ソフトのバージョンアップにはこういう問題が常につきまといます。

 私はパソコンを使い始めて30年近く経ちます。その間,「昔作ったデータが読めない!」問題は嫌というほど経験しました。98時代のワープロソフトで作った文章も dBase III で作ったデータベースももう読めません。フロッピーディスクやZIPやMOに入れたデータも,ディスクドライブが手に入らなくなった時点で読めなくなりました。記憶媒体(メディア)は手元にあっても,ドライブがなければメディアのデータは読めなくなり,メディアはゴミとなります。
 私はテキストファイルしか信じていません。だから,残しておきたい文書データ,データベースのデータはテキストファイル(データベースの場合はCSV形式)で保存しています。この30年間,変わらずに読めたデータはテキストファイルしかなかったし,搭載メモリの上限に達しない限り,テキストファイルの形ならどんなに巨大なデータでも読み出せるし,読み出すテクニックを持っているからです。ゴルゴ13が最新型のライフルに目もくれずに昔ながらの変形アーマライトに信頼を寄せるように,私はテキストファイルを信頼しています。

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【「すべてのソブリン債務危機の根源を語ろう」】
 ギリシャの経済危機以来,ソブリン債務危機という言葉をしばしば目にしますが,それをわかりやすく説明しています。要するに,国家への融資は本来,極めてリスキーであってよほどしっかりした担保をとっておかなければ融資なんて怖くてできないものなんですね。ところが1970年代になり,莫大なオイルマネーを背景にシティバンクが「国家は破綻しない」ことを前提にどんどん貸付合戦を始めちゃったもんだから,その結果として今日のソブリン債務危機が起きてしまった,ということらしいです。

 こういう記事を読むたびに,オイルマネーがすべての問題の源じゃないかという気がします。オイルマネーは言ってみれば「棚からぼた餅」ならぬ「掘ったらぼた餅」であり,濡れ手に粟で手に入れた富です。親の遺産で遊んで暮らせるみたいなもので,2億年前の地球の遺産で遊んで暮らしているようなものです。
 だから,「オイルマネーの人たち」は基本的に金の有難味がわかっていないのではないか,という気がします。苦労して手に入れた金(例:作物を作って売る。工夫して作ったものを売ってカネを手に入れる)なら有難味がわかるから無駄・無意味なことに使いませんが,「掘ったらぼた餅」で手に入れたオイルマネーだから使い道なんて考えずに使っちゃう。そして「濡れ手に粟」でもっと金を増やそうとする・・・と,そんな気がします。

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【古代の昆虫、巨大化の謎に新説】
 最近読んだ「ナショナル・ジオグラフィック」の記事で一番興味深かったのがこれ。石炭期(3億5900万年〜2億9900万年前)に昆虫が巨大化した謎についての新説です。
 この時期、羽を広げると1メートルにもなるトンボのメガニュウラなどとんでもないサイズの昆虫がいたことは化石から証明されていますが、なぜそこまで巨大化したのかについては「当時の大気中は酸素濃度は30%と高かったため巨大化した」と説明されていました。要するに、酸素濃度が高ければそれだけATPを効率的に作れ、体も大きくなれた、という説明です。
 それに対し、「酸素は多ければいいというわけではなく、高濃度の酸素は生命体にとって毒物だ。その毒から逃れるために体を大きくして単位体積あたりの体表面積の割合を小さくし、結果的に体内の酸素濃度の上昇を防いだ」というのが、この新説の眼目です。
 地球上の生命体にとって酸素は矛盾に満ちた分子です。人間は呼吸といえば酸素呼吸しか思いつきませんが、呼吸の本質は「電子の受け渡しでATPを作ること」であり,水素、二酸化炭素、硫黄など様々な分子が呼吸に使われています。酸素と他の分子との違いは、酸素が圧倒的に効率よく大量のATPを作れることです。
 しかし、酸素は極めて危険な分子です。容易にスーパーラディカルを作り、それが遺伝子を直接破壊するからです。となると、石炭期の大気の30%を占める酸素は、よほどうまく扱わない限りメリットよりデメリットの方が大きかったかも危険な環境だった可能性もあります。そういう意味で,この新説は非常に魅力的です。

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【「世界初のウェブサイト」:WWW20周年】
 世界で第1号のウェブサイトが産声を上げたのは1991年8月6日のことだそうです。もうそんなに経つのかという気もするし,まだ20年しか経っていないのか,という気もします。最初のブラウザ「Mosaic」が発表されたのは1993年ですが,翌年ころから国内のパソコン雑誌は「WEBとは何か,Mosaicで何ができるのか」のような特集を相次いて載せていたと記憶しています。そしてニフティやPC-VANが個人向けのネット接続サービスを始めるのが1994年で,Mosaicの進化系として発表されたNetscape Navigatorが発表され,次第に普及していったと思います(ちなみに,Internet Explolerの発表は1995年)
 私が個人でインターネット接続サービスを利用し始めたのは1995年暮れか96年初めの頃で,当時はリムネットで接続していました。そして,【超絶技巧的ピアノ編曲の世界 ー体育会系ピアニズムの系譜ー】という個人サイトを公開したのが1996年10月で,これが現在の本サイトの前身になります。1996年当時は個人が運営するサイトは存在自体がまだ珍しく,ホームページ作成ソフトは幾つか市販されていましたが使い勝手がはなはだ悪く,ほとんど「使えねぇ」ものばかりでした。
 というわけで,ウェブサイトが誕生して20年,私がネットで音楽情報を公開し始めて15年です。考えてみるとずいぶん遠くまで来たものです。

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 いつもの居酒屋でマスターと「そういえば,私らが子供の頃って,夏には決まって夕立ちがありましたね」という話になった。そうそう,夏と言えばギラギラの太陽と入道雲,そして夕立ち,これが夏の3点セットでした。夏は夕方になると決まって土砂降りが降り,通り雨みたいにパタッと止んじゃう。それが毎日のようにありましたね。
 でもこの10年くらい,夏は何日も雨が降らず,降るのはピンポイント狙撃でもするようなゲリラ豪雨で,降らないところには全然雨が降りません。
 ということは,今の子供達に「夕立ち」という言葉は存在しないんじゃないでしょうか。「夏の風物詩」として知識・言葉としては知っているけど見たことも経験したこともない自然現象のはずです。

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 日本語に英単語を交えて書くことがあります。例えば,「遺伝の本質は DNA であり・・・」なんていう文章です。こういう場合,日本語入力の最中でも [Shift]キーを押しながら入力すると半角入力になって "DNA" となることは皆様ご存知のとおりです。
 ところが時々, [Shift]キーを押しているのに"DNA"と全角入力になってしまうことがないでしょうか。私は,それまで半角英文字で入力できていたのに何かの拍子に全角英文字入力となってしまい,「Shiftで半角入力」に戻せなくて困ったことがあります。同様のトラブル(?)をネットで調べてみても対処法が見つけられません。
 そしたら,偶然,解決法を見つけてしまいました。
  1. [Shift]でDNAと全角入力になっちゃった。
  2. 直ちにスペースキーの右側の[変換]キーを押す
  3. 変換候補が表示されるので半角の「DNA」を選択する。
 これだけでした。

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 ハワイ大学で家庭医療の研修中という先生(かつての教えたことがある先生)からのメール。
 こちらには傷専門のナース(Wound Care Nurse)がいますが,なんだかなあ,という感じです。また,外科ローテの時に,数年ぶりに熱傷のガーゼ交換で叫ぶ患者がいて,見るに耐えられませんでした。まあ,他人の患者だと割り切ってやっていたら,この前自分の患者の傷に何か貼付材を使おうとしたら,クリニックにガーゼと軟膏しかなくてびっくりしました。創傷治療に関し,アメリカから学ぶものはひとつもありません。
 ま,要するに,アメリカの創傷治療は世界最先端と言われていて,創傷治療,熱傷治療,褥瘡治療の専門の先生方は事あるごとに「アメリカでは,アメリカでは」と「出羽守」と化しますが,その実態はこの体たらくです。それにしても,病院に被覆材が全く無く,治療材料は「軟膏とガーゼだけ」というのにビックリ。ハワイってそんなに医療水準が低いのでしょうか?
 ・・・ということは,「前近代的な創傷治療・熱傷治療・褥瘡治療」を学びたいならアメリカに行け,と・・・。(2011/07/25)

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【薬物中毒の一因は塩を求める本能?】
 つまり,「生命を維持するためにはナトリウム(塩)が必須」⇒「しかし陸上では塩が乏しい」⇒「体が塩を自然に欲求するシステムなしには生命が維持できない」⇒「塩欲求システムをゲノムレベルで制御」⇒「なぜか,塩摂取による遺伝子制御と,薬物摂取による遺伝子制御がオーバーラップしてしまった」ということらしいです。
 まだ詳しくわかっていないことが多いようですが,3億6千万前ころ,最初に陸上に上がった動物は鉄を求めて陸地に上がったと考えられていますが,そのためにかなり無理に無理を重ねたことがこの「塩欲求システム」からもわかります。海水中の「浮力があり,塩が豊富にあり,体表が乾燥しない」環境からいきなり,「浮力がなくてまともに重力を受け,塩がほとんどなく,体表が常に乾燥する」陸地に移住するのはよほど切羽詰った事情があったはずです。その,切羽詰った事情とは「海水中の鉄イオン濃度の低下」と考えられています。陸地には塩はないものの鉄は酸化鉄の形で豊富にあったからです。
 その結果,動物は豊富な鉄イオンを背景に効率的なエネルギー産生システムを手に入れて陸上で繁栄しましたが,その代償が「塩」だったといえるかもしれません。そして,塩を求める「本能」を制御するプログラムが,同じ快楽プログラムであるエンドルフィン・システムとかぶさってしまった・・・と。
 多分,こういう理解でいいのかな? (2011/07/21)

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【原子力は20世紀のエネルギーだった】
 先週紹介した記事の2回目。これは面白いです。要するに「石油がエネルギー革命を起こしたように,原子力もエネルギー革命を起こせるのか」という命題に対し,冷静な分析から「否」と答えています。なぜかというと,原子力の技術は20世紀中頃に実用化され,原子力発電所,原子力爆弾,原子力潜水艦と使われているが,放射線医療も含め,使い道は限定されていて,石油のように社会に広く浸透して使われているわけではないから。要するに,原子力は技術としては「枯れた技術」なんですね。今後,改良が加えられたとしてもそれは20世紀の技術の延長線に過ぎず,新しい地平を切り開くものにはなり得ないだろう,というわけです。
 考えてみたら,20年前にはあれほど「次は核融合」と言われていたのに,今では核融合の文字を見ることすらまれです。このあたりは,1960年代には「宇宙こそが次なる人類のフロンティア」と宇宙開発への夢を誰もが熱く語っていたのに,それから50年たった今,「宇宙とか月に行くのはいいとしても,それで何をするの?」とちょっと醒め気味になっているのに似ているかもしれません。(2011/07/14)

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【シャリキンの作り方】
 Daily Portal Zの3年ほど前の記事なんですが,あまりに美味しそうだったので実際に試してみました。とは言ってもやることは簡単で
  1. 空になったペットボトルに焼酎を入れて冷凍庫に入れる
  2. 翌日,シャーベット状になった焼酎をグラスに押し出す
  3. ホッピーを加える
と,これだけなんですが,これが美味いのなんのって,ちょっとビックリ。そうか,焼酎って冷凍庫に入れると完全に凍らずにシャーベットになっちゃうんだ。
 美味しく飲むコツとしては「シャーベット焼酎」をグラスに入れ過ぎないことですね。多すぎると「ほとんど焼酎」になってしまい,すぐに酔っ払います。また,ホッピーでなく炭酸系のジュースで割るのも美味しそうです。
 ちなみに,以前,ズブロッカを冷凍庫に入れて常備していたことがあったけど,ズブロッカ(=アルコール度数40%)は凍らずにトロっとするだけなんですね(・・・これが美味!)。その点,アルコール度数がズブロッカの半分の焼酎はシャーベットになってしまうようです。(2011/07/14)

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【ヒステリックに糾弾するだけでは政治は変わらない! ラッセルの民主主義論から考える「国民自身の過ち」】
 「ダイアモンド・オンライン」の記事。まだ民主党が政権を取る前から,ある政治家は「菅さんだけは総理にしてはいけない。彼はもともと子どものように短絡的な部分があり,それが悪い方に転ぶと,自分のためになると思えば思いつきで何でもやってしまう」と看破した政治評論家がいたそうです。その「総理になるべきではない人間」が総理大臣に居座っているわけですな。そしてこの記事は,「そういう民主党を選んで政権を与えたのは紛れもない私たちだ。そもそも政権担当能力のない政党を政権につけてしまったのが私たちだ。この政治的惨状から我々は教訓を得て,次に生かさなければいけない。それでも,どこかにきっとしっかりやってくれる人材がいるはずだ」と結んでいますが,これはちょっと尻切れトンボ。そこから先どうするのか,どうしたらいいのかについては,読者に委ねる形になっています。
 問題の本質は「本当に民主主義というシステムは最善なのか? 複数政党から政権運営を委ねる相手を選ぶ以外に方法はないのか?」という事に行き着くのではないかと思います。
 この記事では「民主党を選んだのは他ならない私たちだ」と書いていますが,「政権担当政党として自民党以外に民主党しかなかった」というのが事実です。選びたくて民主党を選んだということも事実だけれども,自民党が嫌だったら民主党しか選べなかった,というのも事実です。政党政治だから政党を選ぶしか方法がなかったのです。
 その政党はどうやってできたかというと,「政権を担当して国を運営したい」と人たちで考えが近い人達が集まってできたものです。つまりその時点では,政権担当能力があるのかないのかわかりません。「俺達に政権を任せてくれないだろうか。俺達ならいい政治ができる」と自薦しているだけで,いわば「政治家@自称・政党@自称」に過ぎません。国政を託す相手として私たちは,そういう「自称」の政党からしか選べないのです。このダイアモンドの記事に欠けているのはこの視点です。

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 どの書店の科学書コーナーに必ずあるのが『利己的な遺伝子』を初めとするリチャード・ドーキンスの著書である。イギリス生まれの動物行動学者であり,同時に,進化論などの専門的な内容を素人が読んでも理解できる文章にできる得難いサイエンス・ライターでもある。まさに「ドーキンス本にハズレなし!」である。彼がとりわけ力を入れて書いている分野が「進化論は科学的に正しい。創造論は誤りであり,進化論を認めないのは愚かである」という立場からの啓蒙書であり,『進化の存在証明』『盲目の時計職人』あたりがそれに相当する。
 しかし,『神は妄想である―宗教との決別』あたりになると,この人はアメリカ人相手に不毛な議論をふっかけているようにしか思えない。この本は「神は存在しない」ことを極めて論理的に,いわば詰将棋のように証明していくのだが,この本を読んで「そうか,神様ってのはいないのか。実在を信じるほうが間違っているのか。俺は聖書と牧師に騙されていたのか。目からウロコだ!」と信仰を捨てる人がいるかといえば,一人もいないと思う。なぜかというと,神の実在を信じているアメリカ人は誰一人としてこの本を読まないからだ。なぜ彼らが読まないかというと,読みたくないからだ。彼らは「神様を信じましょう」という本や聖書は読みたいが,「神様なんていやしない。聖書は間違い!」という本は絶対に読みたくないのだ。アメリカは本来,聖書を学んで神様に祈る目的で作られた国なのだ。本質的に「宗教と国家は不可分」である国の住人たちに「宗教のために進化論を否定しているのはアメリカだけだ。宗教と科学は別物だ」といくら言ったところで,のれんに腕押し,糠に釘ではないかと思う。
 だから,ドーキンス先生はこういう本の執筆に時間を取られるのは不毛であり,アメリカ人なんて最初から相手にしなければいいのに,と思うのだ。アメリカ以外の国では「科学と宗教は別物。進化論は正しい考えであり,清書の記述が進化論的に間違っていたとしても,そんなの気にしない」というのが常識になっているのだから,アメリカの宗教おバカさんなんて放っておけばいいのである。

 多分人間という生き物は,信じたいものを信じ,見たいものを見るだけで,信じたくないものや見たくないものからは目を逸らすのだ。まして,信じているものが自分のアイデンティティそのものである場合,信じているものを否定されることは自分を否定されることと同義になってしまうのだ。
 よく,「素人でも湿潤治療の素晴らしさ,正しさが理解できるですから,専門家の先生ならもっと簡単に理解できるはずです。それなのに,治療について知らない医者がいるのはなぜでしょうか?」というメールをいただくが,理由はこれと同じだと思う。つまり,「理解力が不足しているから理解できない」のではなく,「信じたくないから理解したくない・触れたくない」のである。(2011/07/11)

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【世代別選挙区を採用したら議席配分はどうなる?】
 これまでこのコーナーで何度か選挙制度について書いてきましたが,日経ビジネスオンラインでも何度か取り上げられています。今回の記事ではスウェーデンの国会議員の平均年齢47歳,というのに驚きます。65歳以上の議員は2%しかいません。かたや,この「日出ずる国」の国会議員の平均年齢は52歳,60歳以上の占める割合は30%を超えています。
 そして,有権者も年々高齢化していくために,どうしても高齢者に有利,若年者に不利な政策ばかり施行されます。要するに,この国は若い世代を搾取の対象としてみていないということです。こういう国に未来はありません。未来を作るのは老人でなく,若者だからです。若者を大事にしない国は,大地震がなくても,原発事故が起こらなくても,早晩滅びます。老い先短い世代に阿る政治ばかりしている国に未来があるわけありません。
 この記事の中で取り上げられている「世代別選挙区を拡張し,平均余命に応じて議席数を配分する方式」なんて面白いと思うし,私は大賛成です。(2011/07/07)

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 先日,「手足の外傷では心臓に近いところを縛る」のは止めて欲しい,と書きましたが,ある看護師さんから
学研発行の「新・中学保健体育」という教科書の59ページに止血帯法として,止血帯をきず口より心臓に近い位置でしめる,と書かれています
と教えていただきました。ありがとうございます。
 ちなみに,下図のように下腿遠位の傷からの出血を止めるために下腿近位をいくらきつく縛っても,骨間動脈は最後まで開存しているため,[心臓に近い方を縛る]⇒[全然出血が止まらない]⇒[もっときつく縛る]⇒[一旦出血は止まる]⇒[その後,傷口からまたジワジワと再出血]・・・となります。また,手の怪我に対して前腕を縛ると,小さな傷からでもびっくりするくらい大出血します。私は「手背の1センチの傷で手首を縛り,バスタオル1枚が出血でぐっしょり」という例を数例経験しています。
 また,この教科書には確かに「止血法としては最終的な手段です」とは書かれていますが,それだったら「最終手段以外の止血法」を最初に書くべきであり,むしろそちらの方を主体に説明すべきです。なぜかというと,「最終手段の止血法が必要な外傷」に出くわすことは生涯に一度あるかないかですが,「最終手段が必要ない外傷」は日常的に経験するからです。だから,「傷口に手を当てて圧迫し,足を心臓より高く上げる」という止血法をまず書くべきです。外国語の授業でまず最初にバスク語とかフラマン語を教えることはないですよね。それらを覚えても日常で使うことはまずないからです。教えるなら英語とか中国語とか,日常的に使う機会のある言語です。それと同じです。
 これじゃまるで,「心臓病には心臓移植をします。これは最終手段です」と書いてあって,他の治療法は全く書いていない医学の教科書と同じです。(2011/07/06)

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【「ユダの福音書」の持つ意味】
 「ユダの福音書」やナグ・ハマディ文書については,先日紹介した『血みどろの西洋史 狂気の1000年』でも詳しく紹介されていました。  この「ユダの福音書」の由来ですが,1978年にナイル川河畔の洞窟内の墓から見つけられた4冊のパピルスに書かれた写本の一冊です。そのうちの2冊はナグ・ハマディ文書(1945年発見)に含まれていたものと同じであり,3番目が「ユダの福音書」です。ちなみに,4番目の写本は損傷が激しく,復元できなかったそうです。
 現在,キリスト教の福音書はヨハネ,ルカ,マタイ,マルコ伝であり,もっとも古いのは西暦70年頃に書かれた「マルコの福音書」と「Q文書」で,それぞれ関連性なく独立に書かれています。その後,西暦80年頃,「マタイ」と「ルカ」が「マルコ」と「Q」を参照にして書かれ,西暦100年前後に「マルコ」,「マタイ」,「ルカ」を参照して「ヨハネ」が書かれ,一方の「Q」は歴史から消えます。
 私は聖書については全く知識がなく,バッハの『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』でイエスの生涯について知りました。バッハの描く壮大な世界に圧倒されましたが,それでも「なぜイエスはユダが裏切るとわかっていて,ユダを放置したのか」と不思議に思いました。「師を裏切る」という不道徳な行為を弟子がすると前もってわかっているなら,師匠イエスは弟子ユダをたしなめるのが本筋ではないかと思ったからです。しかし,「マタイ」,「ルカ」,「マルコ」,「ヨハネ」をいくら読んでもこの疑問は氷解しません。
 しかし,「ユダの福音書」やグノーシス主義の解釈からすると,この「ユダの裏切り」の意味は明白・明確です。ユダはイエスの意図を汲んで敢えて師を裏切ったフリをし,そのことによってイエスの教えは完成します。実際,このような視点にたつとユダの行動もイエスの言葉も首尾一貫し,「マタイ」や「マルコ」のような矛盾点はありません。
 しかし,キリスト教をローマ帝国の国教とする過程でグノーシス主義も「ユダの福音書」も異端として弾圧されます。ユダを裏切り者とし,ユダ以外は裏切らなかったという欺瞞の物語を作る必要がローマ帝国にあったからです。そのため,「イエスも使徒も信徒も全てユダヤ人だった」という事実も邪魔になり,そのために,「イエスはユダヤ教(=ユダヤ人)と対立して処刑された」というお伽話をでっち上げ・・・ということらしいです。

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【菅首相の“ドン引き発言”で考えるリーダーの品格】
 そうなんだよ。菅直人さんってリーダーとして格好良くないんだ。彼の言動を見ていると,こういうリーダーになりたいなと思わせるものもないし,こういう人がリーダーであってほしいな,とも感じさせないんだよ。むしろ,「こういうタイプの人間が会社の上司じゃやってられないよ」とか,「管さんタイプの上司でなくて本当によかったよ」,という感じなんですね。管さんみたいな言動をする教授だったら,医局員はやってられないですよ。

 この記事を読んで思い出したのが,私が医者になって最初に就職した病院の外科部長です。彼は本当に格好良かったです。豪快で男気にあふれていて,しかも手術は丁寧で繊細。ああ,いつか自分もこういう外科医になりたい,ちょっとでもこういう外科医に近づきたいと思っていました。
 とりわけ忘れられないのは,ある手術で私の1年先輩が取り返しの付かないミスをした時のことです。その時,この部長が下した決断には本当にしびれました。その度量の広さに感動しました。人生の師匠に会うとは,こういうことをいうのだなと思いました。
 この「師匠」に比べたら,私なんてまだまだ足元にも及びません。

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 宮城県で湿潤治療の普及に尽力されていた柿澤秀行先生がご逝去されました。私より若い,まさに働き盛りでの理不尽な死です。
 柿澤先生は2008年の頃から積極的に湿潤治療を行い,何か不明の点があるとすぐに質問メールを寄越してくれる,とても勉強熱心な先生でした。一度もお会いしたことはありませんが,その誠実な人柄はメールの文面からにじみ出ていました。
 しかし,2010年10月初めのメールに愕然としました。そこには,治療不可能な悪性腫瘍が自分の体に見つかったことが淡々と書かれていました。事実だけが淡々と綴られたメールの文面が痛切でした。医師であるからこそ,気休めの言葉も気休めの慰めも通用しないことは明らかでした。
 そして,メールには次のような文章が続いていました。
 湿潤療法に関しては残りの人生のライフワークと考えており,講演活動も可能な限り行っていきたいと考えています。明日,早速小児科医のカンファランスで30分ほどの時間をいただけましたので講演を行います。その他にも保健婦さんや保育園の保母さん達にも講演を行いたいと考えています。
 人生の最期に湿潤治療に出会えてよかったです。私は人生の節目節目に,素晴らしい師匠との出会いをしてきました。夏井先生は,私にとって最後のお師匠さまと考えております。
 この文面を読んで,私は泣きました。そして,彼のメールに「泣きました。言葉を失いました」としか返事が書けませんでした。それ以来,柿澤先生が「湿潤療法は残りの人生のライフワーク」と言ってくれた言葉の重さをずっと感じています。

 ご冥福をお祈り申し上げます。私もいずれそちらの世界に行きますから,その時また,治療のこととか医学のことを話しましょう。

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 先日書いた,[ポロシャツはなぜ横縞ばかりなのか]という疑問に[スライサーで指を切っちゃったけど,ワセリン+ラップで簡単に治しちゃいました]さんからこんな情報をいただきました。恐らくこれが決定版か。
 ところで,縞模様の件ですが,Tシャツはニット地(編み地)で横糸のみなので,縦縞はプリントするしかありません。シャツ地は平織りなので,縦糸の色を交互にして縦縞を作るのが簡単です。
 なお布は縦にはあまり伸びませんが,横には伸びるため洋服の裁断には布目を縦にそろえないと服の形がゆがみます。
 というので,いかがでしょうか。
 なるほど,これなら納得! またひとつ,物を覚えました。

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【欧州大腸菌,死者35人に 感染源,独産モヤシと特定】
 ついに O-104 の感染源はモヤシと断定された模様です。そこで思い出すのが1996年〜97年の日本で発生した 0-157 による食中毒です。こちらの方はカイワレ大根が原因とされ,当時の菅厚生大臣はテレビでカイワレ大根をモシャモシャ食べるというパフォーマンスをしていました。懐かしい思い出です。あのカイワレ大臣が今は総理大臣ですから,月日のたつのは早いものです。
 本当にモヤシやカイワレ大根が原因なのかという問題は置いとくとして,この二つの野菜に共通しているのは水だけで栽培できるという点です。工業的にはそれでは効率が悪いため,栄養分を添加した培養液で育てるらしいのですが,何しろこの培養液はあらゆる栄養分が含まれているため,通常の水よりも細菌が増殖しやすくなります。そのため,一日に何度か培養液に紫外線(だったと思う)を照射して滅菌しているらしいのですが,この時,紫外線耐性がわずかに高かったり,通常の細菌より分裂に時間がかかる細菌が生き残るらしいのです(・・・と,以前読んだ本には書いてあった・・・と記憶している)。だから,耐性菌や毒性の強い細菌は元々の細菌より分裂が遅いため,生き残ってしまうのではないか・・・と考えられます(・・・本当かどうかは不明だけど)
 もしも今後,同様の病原性大腸菌が水耕栽培の野菜から次々見つかるような自体になった場合,唯一の対処法は,[培養液を消毒するのでなく,毎日入れ替えする]くらいしか思いつきません。

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【日本人は本当に強いリーダーを求めているのか?】
 中国は強いリーダーでないと対外的な問題も国内問題(=少数民族問題など)も収拾が付かなくなってしまうため,強いリーダーが出てくるのを待っていては手遅れになります。だから,小さな組織をまず運営させ,それがうまくできた人間を今度は中規模組織を運営させ,それでうまくいったら・・・というシステムで巨大組織を運営する能力のあるものを育てています。そしてそうやって育てたリーダーにだけ巨大な権力と責任を持たせているらしいです。
 日本の場合には,[そのうちリーダーが出現するだろう]という偶然だのみです。偶然,リーダーの資質を持った人間が現れてくれればいいですが,そうそう都合よく,優れた資質を持った人間は出てきません。リーダーは生まれるものではなく,生み出すもの,育てるものなんじゃないかと思います。
 以前にも書いたことですが,学級委員長の経験がない生徒には生徒会長は無理です。組織のまとめ方は段階を追って学んでいくしかないからです。

 考えてみると不思議なんですが,医者になるにも教師になるにも弁護士になるにも,そのための長年の勉強をして試験に合格しないとなれません。税理士も建築士もフグ調理師も公務員も気象予報士も同じです。
 しかし,政治家にだけは誰でもなれます。資格試験もないし,資格を取る必要もないし,特別な学部や専門学校に通う必要もありません。つまり,アマチュアでもなれる数少ない職業です。もちろん,資格も試験もなしに就ける職業はたくさんありますが,それらに比べると政治家の場合には職業に付属する権力と金の桁が違います。
 なぜ議員や政治家は無資格でもいいのか。政治家や議員とは専門知識が必要のない職業だからでしょうか?

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 久しぶりに鳥谷部師匠からメール。そのまま引用しちゃえ!
 京都大学皮膚科の宮地教授(=日本褥瘡学会理事長)が昨年の学会で発言している内容がネットで公開されています。宮地先生,正直すぎます。なんと[学会は(業界の)ロビー団体である]と正直に認めているのです。
 [より安価な創傷被覆材の開発]はとっくの昔に終わっているし…そうか,この学会は終わっているんだ!
  1. 第12回日本褥瘡学会 特別発言[ラップ療法―日本褥瘡学会の見解] 京都大学大学院皮膚科教授 宮地 良樹
  2. 第12回日本褥瘡学会 特別発言[ラップ療法―日本褥瘡学会の見解] 京都大学大学院皮膚科教授 宮地 良樹
 それはそれとして,歴史と名誉ある日本褥瘡学会からすれば[鳥谷部のラップ療法]なんて吹けば飛ぶようなもんです。横綱と序の口,世界チャンピオンと4回戦ボーイ,セコムと心張り棒,月と10ペンスくらい違います。
 だから,横綱たる日本褥瘡学会は泰然自若として横綱相撲をすればいいだけのことで,[たかがラップ療法]と鷹揚に構えていればいいのです。日本褥瘡学会の治療が正しく,ラップ療法と比べものにならないくらい治療効果がよければ,黙っていても褥瘡学会の治療は普及し,ラップ療法は消え去ります。何も,[ラップ療法をするな]なんて騒ぐ必要はなく,ラップ療法が自滅するのを待つだけでいいのですよ。[金持ち争わず]です。

・・・・って,最近,似たような文章ばかり書いているな。

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 [3.11]のあたりから急に右目の視力が落ち,なんか変だなと思いつつも仕事が忙しすぎて・・・という生活が3ヶ月ほど続きました。実は私,4年前に[右目のぶどう膜炎]に罹患したことがあるのです。さすがにぶどう膜炎の再発ではシャレにならないため,病院近くの眼科医院を受診しました。
 そしたら,眼科の先生はたった一言,[先生,白内障ですね]。そして続けて[白内障のためにぼやけて見えて,近視も急速に進んだんですね。とりあえずメガネで何とかしますが,いずれは手術したほうがいいと思います]とのことです。
 そうか,白内障か。要するに,目玉が老化し始めたということなんだ。[人間は目,歯,〇〇から老化する]というけど,要するに,体の各パーツの耐用年数の期限切れなんだ。これが老化というものかと,改めて感じ入りましたね。
 ここで確実に言えるのは,もしも私が野生動物だったらもう生き延びられないということです。片方の目がぼやけてしまったら,もうその段階で獲物を取ることはできないし,敵から逃げることもできません。白内障になった動物は餓死するか,食われて死ぬしかないのです。
 歳をとると,このあたりのことが極めてリアルに感じ取れます。

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 [3.11]以来の政治の無策ぶりと,政治家以外の人間の奮闘と働きぶりの間にはあまりにも違いがあり過ぎないだろうか。特にここ数日間の内閣不信任決議を巡る与党と野党のドタバタぶりを見ていると,もしかしたら政治家だけがレベルが低いのではないかと思ってしまう。
 もちろん世の中には,政治のレベルは国民のレベルの反映である,というような言葉がある。その国民にお似合いの政治家しかいない,と言い換えることができると思うが,これは当たっていないのではないだろうか。

 代議士はもちろん,私たちが選挙で選んだ選良である。しかし,私たちが選べるのは立候補した人間だけなのだ。立候補者の中に優れた政治家がいなくても,投票獲得数が少なくても,定員分の議員は選ばれてしまうのだ。政治家としての資質があろうとなかろうと,おバカさんだろうとトホホさんだろうと当選してしまうのだ。
 もちろん,国民の中の優れた人が政治家になれば理想的だが,優れた人は最初から政治家を目指さなくなったのではないだろうか。そうとでも考えない限り,毎年毎年首相が替わるような体たらくは説明できないと思う。要するに,政界だけで優れた人材が払底しているのだ。

 例えば自民党党首の谷垣禎一氏だが,彼の父親(優れた政治家だったらしい)は生前,[禎一は性格的に争いごとが嫌いで政治家向きではない。この子は政治家になってはいけない]と言っていたらしい。しかし,父親の死去に伴い,後援会が禎一氏を担ぎ出したのだという。その結果,現在は自民党総裁であるが,彼の言動を見ていると政党党首としては力不足であり,なにより政局を読む勘が悪すぎる。多分,人間としてはすごくいい人だと思うが,政治家向きの人間ではないと思う。そして自民党はこういう谷垣さんを党首にするしかないほど人材が払底しているし,民主党も社民党も共産党も,人材不足・人材払底という点ではどっこいどっこいなのだ。
 少なくとも私は,民主党政権が今後も続くとして菅さんの次の党首の顔が浮かばない。それらしい顔をした人物がいないのである。

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【国会 菅首相,自民党などからの退陣要求に「責任放棄できない」と続投への意欲強調】
 みんなが震災復興のために活動しているのに,国会方面だけはお仕事をしていません。こういう状況を見て,こちらも対抗策として(?)おバカな提案をします。
  • 国会議員は「震災・津波復興部」か「政局部」のどちらかに所属しなければいけない。
  • 「政局部」はクラブ活動として好きなだけ政争と政権奪取ごっこをしていいが,政治には一切口を出してはいけない。あくまでも活動範囲は政局のみとする。また「政局部」には部費は出さない。
  • 「震災・津波復興部」は超党派のクラブ活動であるが,震災からの復興のためのあらゆる権限を持つが,個々の議員はそれぞれ別個に復興のための政策を提案しなければいけない。
  • 「震災・津波復興部」の部員は「◯月までにはこういう仕事を完成させる」と期限付きで政策を打ち出し,期限までに達成できれば特別報酬を出し,達成できなければ議員歳費没収とする。
 このアイディア,悪くないと思うんだけどなぁ・・・。

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 例の「ユッケ食中毒」事件ですが,
  • 病原性大腸菌は1000年前から地球に出現した家畜の腸管常在菌(家畜にとっては有益で無害な菌)
  • ただし,家畜腸管内では病原性大腸菌は優勢種ではない
  • 大腸菌の分裂には酸素が必要(大腸菌が代謝を完全に嫌気性代謝に切り替えるのは大変らしい)
と言う事実から考えると,結構昔から食肉の表面に付着していた細菌だろうという気がします(肉の内部に入ると酸素がないから分裂できない)。それなのに,これまで韓国でも日本でもユッケで食中毒が起きていなかったというのは,肉表面のトリミングをしっかりする,という「業界内の常識的作業」が極めて有効であり,そもそも病原性大腸菌自体が牛腸管内で多くなかったからだったからでしょう。
 しかし,儲けを経営(=儲け)を第一に考えるとトリミングで捨てる分のお肉がもったいない。そこで試しにトリミングを止めてみたけど何も起きなかったのではないでしょうか(何しろ,病原性大腸菌は腸管常在菌では超マイナーな存在なので,滅多に付着しないはず)。そして,この焼肉チェーン店ではそれに味をしめてトリミングをやめちゃった(どうやら,このチェーン店のマニュアルには「トリミング」という作業自体が記載されていなかった模様)
 ところが,何らかの原因で牛の腸管内で病原性大腸菌が増えなければいけないような事態になり,普段より病原性大腸菌の付着量が増えてしまい,トリミングを止めたチェーン店を狙い撃ちしたように食中毒患者が大量発生・・・というシナリオじゃないでしょうか。

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 どんな病院,会社にも防災マニュアルがあります。もちろん,私の病院にも膨大精緻な防災マニュアルがありますが,今回の震災では全く役に立たなかったことが判明しました。防災委員会の先生が言っていましたが,「平時に作ったマニュアルは所詮,平時に作ったものであって,本当の緊急時には使いものにならない。緊急時にまず何をしなければいけないか,何を最優先にするかは本当の緊急時にならないとわからない」のです。
 恐怖を感じるほどの揺れが来た時に患者さんをどこに誘導したらいいのか,水道も電気も止まった病院で何ができるのか,入院患者さんの食事はどうするのか,トイレはどうするのか,ガソリンが入手できない場合の職員の出勤はどうしたらいいのか,薬の流通がストップした場合の薬の処方はどうしたらいいのか・・・などは,本当の緊急時にならないと絶対に気がつかない問題でした。
 これらの問題を踏まえて,「本当に使いものになるシンプルな防災マニュアル」を作っているところです。本当の大災害に見舞われると,平時に想定した被害程度なんて,所詮は机上の空論だったことがわかります。想定外のことは平時には絶対に予測できないし,予想外の災害に対して事前に対策を作ることは不可能です。

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 どうでもいいことなのだが,「匿名で失礼とは思いますが・・・」という書き出しでの匿名質問メールをよくいただく。「匿名で失礼」と認識しているなら,なぜその失礼な匿名行為を改めないのだろう? 同様に「長文で失礼しました」というのも嫌いだ。「長文で失礼」と認識しているなら,なんで短くまとめた文章にしない? 質問項目を箇条書きにすれば分かりやすい短文にできるのに・・・。質問項目が多岐にわたり,長文でなければ相手に伝わらないのだったら,最初に堂々と「長文です」って書けばいいじゃないか。だらだらと文章が続いて何が質問したいのかよくわからない長文を書いておいて,「何が質問したいかよくわからないと思いますが,よろしくお願いします」って書かないで欲しい。
 もちろん,これらはメールの決まり文句なんだろうが,こういう文章を一日に数通読まされる身になって欲しい。あなただってきっと,「失礼と認識しているのに,なぜそれをする?」という気になってしまうと思う。
 「失礼って書いたから失礼じゃないよね」というのは書き手側の勝手な思い込みに過ぎず,読まされた方にとっては「失礼」以外の何者でもないのだ。「ごめんと謝ったから,もういいよね」と勝手に謝られても困るのだ。

 こういうのが気に触るってことはつまり,私も年をとった,ってことである。

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 先日のテレビ朝日の取材の際,「なぜ先生は消毒の害を自分の体で実験するというとんでもない方法を見つけだしたのですか?」という質問をいただきました。それに対する私の答えです。
 「たとえば,目の前にラーメンがあったとします。それが美味いか不味いかはどうしたらわかるでしょうか。私なら四の五の言わずにまず食べてみます。そして美味しいか不味いかを判断します。」
 「しかし,今の医学は違うんですね。まず最初にラーメンガイドを探すんですよ。そして,他の人がどう評価しているかを調べるんですね。要するに,自分で食べずに判断するんです。でも,それはおかしいだろう,自分で食べずに味がわかるわけがないじゃないか・・・と思うんですね。」
 「消毒も同じでどのくらい傷が深くなるのか,消毒すると痛いのか痛くないのかは自分で体験してみない限りわかりません。だから,自分の体で実験したのです。発想は単純です。」
 ちなみに,このように
ラーメンの味に置き換えてみると,医学の問題点が様々見えてきます。例えば,「1000人中740人がうまいと判断したラーメンと,742人がうまいと判断したラーメンのように微妙な差しかない場合,統計処理をすると有意差ありとなる」とか,「ラーメンガイドをエビデンスと呼ぶ」とか,「ラーメンガイドに載っていないラーメンの味は判定できない・・・エビデンスがないから」とか,いろいろ敷衍できます。

 もちろん,お医者様の中には「ラーメン屋と医学を一緒に論じるとは言語道断! 医学は高尚な学問だ」とお怒りの方もいらっしゃると思いますが,私には区別がつかないんですよね。特に学会とラーメンの系列店,どっちがどっちか見分けがつきません。多分,目が悪いんでしょうね。

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 これまで何度か「被災地でも美味しくお料理,パッククッキング」と紹介してきましたが,言いだしっぺが未経験というのも格好悪いなと思い,やってみましたよ,「初めてのパッククッキング@誰でもできる焼きそば編」です。ちなみに私は,最後に料理を作ったのは32年くらい前かな? というくらいの筋金入りの料理素人・ほぼ料理童貞です。部屋にはお鍋もまな板も包丁も食器もありません。
 というわけで作ってみましたが,呆気なくできちゃいました。味もごく普通の焼きそばで,油を一切使っていないのでメタボおっさんにちょうどいい感じです。材料は「3個入り焼きそば 178円(生麺タイプ)」と「もやし」,調理器具は以前買った「ティファールのパチもん」です。作り方と言ってもこんな感じ。
  1. 1袋の焼きそばと適量のもやしをポリ袋に入れる。
  2. 焼きそばについている粉末ソース1袋をそばともやしの上にふりかける。
  3. ポリ袋の中の空気を完全に抜いて口を固く縛る。
  4. 「ティファールのパチもん」に300mlくらい水を入れ,ポリ袋も入れ,スイッチオン。
  5. 沸騰してスイッチが切れたらそのまま5分放置。
  6. 5分後,もう一度スイッチオン(保温機能がある電気ポットならこれは不要)。沸騰したらさらに数分間放置。これにて調理終了!
 コツはポリ袋の空気を完全に抜くことと,口を固く縛ることくらいでしょうか。もちろん,電気がなくても鍋があってお湯(海水でも川の水でも大丈夫)が沸かせれば作れますし,お皿がなければポリ袋を破って袋から直接食べてもいいので,一段と被災地向きです。しかも,鍋もポットも汚れません。パッククッキングの強者になると「鯖の味噌煮」や「蒸しパン」まで作れるそうですが,この「もやし焼きそば」なら私のような料理ド素人でも遊び感覚で作れますし,私ですら食べられるものが作れたのですから,失敗する人はいないはずです。ちなみに,電気ポットのサイズが小さかったり,保温機能がないものの場合,熱の通り方が不均一になるので,普通サイズで保温機能がある電気ポットの方がいいようです。
 というわけで,「卵を入れたら横手やきそば風になるのだろうか?」とか「キャベツやピーマンなら包丁・まな板がなくても手でちぎるだけで大丈夫そうだな」とか「ベーコンとか入れたらさらに美味くなるはずだよな」とか,次なる改良バージョンを考えたりしています。
 とりあえず,パッククッキング:簡単レシピ集などを見て,私にも作れそうなものが他にないか,調べたりしています。 (4/18)

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 私が20代の頃に夢中になって読んだのがローレンス・サンダースの連作警察小説『7つの大罪』シリーズだった。ディレイニー警察署長を主人公とする作品で,キリスト教の説く「人間を罪に誘う7つの欲望(暴食,色欲,強欲,憂鬱,憤怒,怠惰,虚飾,傲慢)」をテーマに年に1作づつ発表されたが,5作目で最後となったと記憶している。どれも大作であり,重厚な語り口が魅力的な作品だった。
 その第4作目か第5作目に,主人公が部下のブーン警部に署長昇進試験についてアドバイスするシーンがあった(とは言っても,なにぶんこの小説を読んだのは30年近く前なので,記憶はちょっとあやふやだが)。ディレイニーは「警察署の前で数百人のデモ隊が騒いでいる。警察署長である君はどう行動すべきか,という問題が手を変え品を変えて出題される。君はここでどう答える?」とブーンに質問するのだが,正解は何だろうか?
 正解は「部下を呼び出し,あのデモ隊をとっとと追っ払えと命令する」である。つまり,「部下に具体的な細々とした指示を出す」は不正解なのである。要するにこのこの設問は「騒乱をどうやっておさめるか?」を質問しているのでなく,「警察署長の仕事と警部の仕事の違いが分かっているか?」を問うているのである。
 最高責任者は問題解決のための方向性(・・・ここでは「デモ隊を解散させて追っ払う」)をまず最初に決め,それを部下に伝え,具体的方法は部下(現場)に任せるべきなのである。細々とした解決法をチマチマと部下に命じるのは責任者の仕事ではなく,そこら辺がわかっていない警部は昇進試験に受からないのである。

 菅総理の様子を見ていて,不意に思い出したのがこのディレイニーのエピソードだった。菅さんは絶対にこの質問の意味が分からないだろうし,まず間違いなく試験に落っこちると思う。
 というか,首相資格試験,大臣資格試験,国会議員資格試験をすべきじゃないかと思う。でないと,無能な首相と無能な大臣と無能な国会議員が排除できないし,国会議員とはどういう仕事をするのかがわかっていない議員ばかり増えてしまう。

 以前,講演会後の懇親会で,研修医に「リーダーとは何か?」と質問を頂いたことがあります。酔っ払いながら,私がひねり出した答えは「進むべき方向を決める。そのための具体的な方法については部下に一任し,口出ししない。成功したら部下の功績にする。失敗したら自分が責任を負う」だったと思います。すごく格好いい答えですが,なんのことはない,上記のディレイニー署長の受け売りだったんですね。ううむ,ちょっと恥ずかしいなぁ。
 あの研修医,この文章に気がつかないでいてほしいなぁ・・・。(3/29)

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【前原外相辞任 政権運営,視界ゼロ 野党は解散へ攻勢】
 どうも今の日本の政治は,政局(政治の動向のこと。政治的混乱に伴う権力争い,政党の争いのことですね)に政治という実務が振り回されている感じです。政治主導でなく政局主導・・・ってか。本来なら国民の安全とか生活とか,国益とか外交とかについての決めなければいけないことが山積みなのに,何かあると政局絡みの動きになってしまった,何一つ決められない状態です。
 そこで,いつものように暴論を一つ。政治家の皆さんで政局方面が好きな人達はクラブ活動として政局争いごっこをしてもらうと。ただしその人達はあくまでも「政局クラブ」ということで政治にはタッチさせないと。そして,外交問題でどうしても人材がいたら必要なら閣外だろうが民間人だろうが官僚だろうが,必要な人(=「政局クラブ」会員以外ね)が集まって議論して方向性を決めてもらうと。そして大枠を決めたら,あとは各部署がその大枠の方向性を守りつつ,現場の判断で責任をもって遂行していくと。もしも前原さんの能力が外交問題解決に必要なら,献金問題とは別にその能力を発揮してもらえばいいだけの話です。
 ま,要するに,政局マニアは政治に口を出すな,ってことです。政治とはあくまでも実務ですから。(3/7)

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【落日のブルーレイディスク,変容する記録メディア】
 ブルーレイディスク(BD)はなぜ,普及を見ないまま凋落の一途を辿りつつあるのか,という記事です。私は単に「記憶容量の小さなメディアはデータ保存用には向かないから」と考えます。

 以前,ピアノ楽譜の収集を行っていた頃,海外のピアニストやコレクターから送られてくる楽譜コピーの保管が悩みの種でした。本棚はすぐに一杯になってしまうし,コピー譜であるため,本棚に並べるのも一苦労です。
 そこで,楽譜をスキャンしてPDFファイルにするようにしましたが,今度は,そのPDFファイルのバックアップをどうするかという問題に直面しました。貴重なファイルですからハードディスク(HDD)がクラッシュでもしたら目が当てられません。しかも,当時使っていたノートパソコンのHDDはそれほど大きくなかったため,いずれ一杯になる日がくるのも明らかです。
 そこで,データをCD-Rに焼いて保存することにしました。しかし,CD-Rの枚数が3枚,4枚と増える頃になると問題が起きました。当時は,楽譜をスキャンするたびにCD-Rに追加していたため,同じ作曲家の楽譜が複数のCD-Rに分かれてしまい,必要な楽譜を探すために全てのCD-Rを開いてみなければ見つけられなかったのです。
 これは,「CD-Rのファイルのデータベース」を作ることで解決しましたが,何しろ,海外から毎日のように新しい楽譜PDFファイルが送られてくるため,データベースを作るのも面倒になってしまい,「CD-Rにデータは保存しているが,必要なデータがどこにあるのかわからない」状態でした。その後,DVD-Rの時代になりましたが,それでもすべての楽譜を入れるには2枚のDVDが必要で,問題の根本解決にはなりませんでした。
 結局,大容量の外付けHDDが手軽に買えるようになったことで問題は解決し,たまりにたまった「データは入っているが,どこに必要なデータが入っているかわからない」CD-RとDVD-Rは全てゴミ箱行きになりました。

 そこで話はBDに戻りますが,テレビ番組を録画して保存する場合,HDDとBDではどちらが簡単かというと圧倒的に前者です。50GBのBDには高画質の動画20時間分が記録できますが,この程度ではすぐに一杯になるのは目に見えています。そして次第にBDが増え,その結果,「あの番組,どのディスクに入れたっけ?」となるはずです。それだったら,8,000円で買ってきた1TBのHDDにまとめて放り込んだほうが絶対に楽です。
 データは保存してあるだけでは意味がなく,保存したデータを瞬時に引き出せてこそ意味があります。だから,動画を保存するメディアとしては4GBのメディアと40GBのメディアは大同小異,五十歩百歩です。データ保存の新規格メディアとしては,既存メディアの100倍以上の容量差がないとメリットが生まれないのです。(3/2)

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 「首吊り」という日本酒についての思い出。何しろ10年前のことなので,忘れないうちに書いておこうと思う。
 今から10年ほど前,それまで務めていた山形の病院を辞める際,ある被覆材メーカーのMRさんが送別会を開いてくれることになった。「どこかご希望のお店はありますか?」と尋ねられた私は迷わず,「《カレーと吟醸酒の店》の日本酒コースがいい」と伝えた。私が週に2回ほど食べに行くお店で,4人がけのテーブルが3つくらい,あとはカウンター席だけという感じだった。
 この店について説明しようとすると長くなるので先を急ぐが(・・・急ぐ必要もないけどさ),この店のマスターは「首吊り」という製法の日本酒(発酵した日本酒のもろみを酒袋に入れて酒袋の口を縛ってそれを天井から吊るして自然落下させ,「しずく」を集めて造った酒。この方法だと,一般的に行われているもろみに圧力をかけて酒をとる方法と違い,雑味が混入しないで非常にクリアなすっきりした日本酒本来の風味がはっきり出る。ただし手間がかかりすぎ,とんでもなく高価になるのが唯一の欠点)のコレクターとして有名だった。
 「首吊り」は高価で私には手が出なかったが,マスターおすすめの酒は手頃な値段なのにどれもとても美味しかった。そういうマスターが選んだ日本酒4種類と,その酒に合う肴をおまかせで出してくれるのが「日本酒コース」である。もう二度と山形に来ることはないだろうと思い,この店を選ばせてもらった。

 送別会当日,プロパーさん3人と私はテーブルについた。最初は檜の一合升に入った淡麗辛口な酒と刺身盛り合わせだったと思う。最初の一合はあっという間に空になり,次の酒になった。飲み口がやや濃厚になったが,酒と肴の相性は絶妙だった。その後,芳醇でさらに濃い口の3番目の酒と揚げ物の組み合わせになった。酒が淡麗辛口から濃厚甘口に変化するとともに,酒の肴の味付けは濃くなり量は控え目になったのがわかった。そして,最後の4品目の日本酒が運ばれた。びっくりするほど芳醇な美酒だったが,もうこの頃になると,酒に弱いMRさんは顔が真っ赤になり,ちょっと辛そうだった。
 これで本来の「日本酒コース」は終了のはずだったが,マスターはニコニコしながら一合升4個を運んできて,「これはお店からのサービスです。是非,飲んでみてください」と言うではないか。とは言うものの,すでに全員,四合飲んでいて,二人は「もう飲めません」状態だった。しかし,マスターの「是非,香りだけでも楽しんでください」という言葉に,口を付けてみた。

 その酒を口にした瞬間,驚愕した。何だ,この香りは! 何だこの旨さは! 今まで飲んだ美酒と次元が違う味わいの深さだ! こんな日本酒,飲んだことがない!

 ベロンベロンの四人組が,緩めたネクタイを締め直して,この酒を飲んだ。そしてマスターは「これが日本酒の最高峰,首吊りです」と種明かしをしてくれ,4つの小さな皿を持ってきた。そして,「この酒に合う肴はちょっと思いつきません。これに合うのはこの入浜塩田で作った塩しかないと思います」と言った。「首吊りと最高の塩の組み合わせ」はまさに夢のようなだった。

 この宴会からもう10年近く経っているため記憶が美化されている可能性はあるが,あの夜,4人の酔っぱらいがネクタイを締め直して「首吊り」を飲んだことだけは今でもはっきりと憶えている。

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 外傷治療や熱傷治療では感染が起きているかどうかが重要で,その際,炎症所見(痛みと発赤),特に疼痛の有無で判断すべきであることはこれまで何度も説明してきた。
 これはこれでいいのだが,問題が一つある。疼痛という症状は患者本人にしかわからないものだ,という点である。つまり痛みは,体温とか白血球数とかCRPのように数値で示すことができないし,どのくらい痛いのかを定量化することもできないのだ。これでは「科学的治療」と言えなくなってしまう。
 しかし,その数値化も定量化もできない「痛み」に対し,ベクトルという概念を導入(・・・ちょっと大袈裟)すると問題はかなり解決する。それは,「昨日より痛いですか? 痛くないですか?」という質問だ。これで「痛みの絶対値」はわからなくても「痛みの変化(=ベクトルの向き)」がわかるからだ。
 もしも「昨日より痛くないです。昨日よりは楽になりました」と答えてくれたら心配はない。治療はうまく行っていると判断していい。しかし,「昨日より痛いです」とか「昨日とあまり変わっていません」と患者さんが答えたらヤバい。それは,治療が奏功せずどこかに感染巣が残っていることを意味するからだ。
 もちろん,「昨日の痛みよりひどくなったか,楽になったか」も所詮は患者本人にしかわからないものだが,それでも「痛みを数値化」するよりははるかに正確な情報が得られるのは確かだ。「今日の朝の温度は何度か?」と問われても答えられないが,「昨日と今日ではどちらが暖かいか?」と問われればほとんどの人が正確に答えられるはずだ。人間は絶対値はわからなくても,変化はわかるのだ。これは,絶対音感がない人でも,二つの音の高低は聞き分けられるのと同じだ。(2/24)

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【最大産油国サウジアラビアが抱える爆弾】
 サウジアラビアはもちろんスンニ派が多数を占め,アルサウド王家を支える軍も警察も政府もスンニ派で固めています。しかし,産油地帯ではシーア派が多く,彼らが王家に対する不満を爆発させたら・・・という記事です。
 イスラム教に全く縁のない人間には,スンニ派もシーア派も同じ神様を信じているのになぜ血を血で洗う抗争を続けているのか理解しにくいところで,スンニ派とシーア派についての教科書の説明(四代目カリフのアリーがどうたら,こうたら・・・というやつね)を読んでも,だからそれがどうしたんだよ,とチンプンカンプンです。
 そういうわけで,私の解釈。多分,あまり間違ってはいないと思いますが,間違っていたらごめん。

 スンニ派とシーア派の違いとは極論すると,ペルシャ民族(=イラン人)とアラブ民族の民族抗争みたいなものです。アラブの民が信じるのがスンニ,ペルシャの民が信じるのがシーアです(ちなみに,「ペルシャのシはシーアのシ」と覚えると一生忘れません)。そのため現在でも,イランではシーア派が絶対多数であり,それ以外のアラブ民族(=大雑把に言えば,アラビア半島に暮らしている人たち)はスンニ派が多数を占めています。
 歴史的に,ペルシャ民族は「俺達は栄光のペルシャ文化を持つ栄光の民族だぜ」と威張り,「アラブなんて荒くれ者の野蛮人」と見ていました。逆に,アラブの民はペルシャの民を,「何かというと昔のことを持ち出す,いけ好かないスカした野郎」と見ているわけですね。
 そんな中でスンナ(=開祖ムハマンドの言行録。「これをしろ,これはするな」ってなことが書いてあるらしい)を絶対視してこれを厳密に守ろうと主張する「スンニ派」がアラブの間で広まったらしいです。「スンナを信じるスンニ派」ですね。それに対し,ペルシャの民は「元々,俺達の国で始まったイスラム教なのに,アラブの野郎どもがスンナの通りに行動せよ,なんてバカな言いやがっている。俺達エリートはそんなバカな教えは信じないもんね」と新しい宗派としてシーア派が誕生しました(・・・こういうのを観てきたような嘘,といいます。鵜呑みにしないでね)
 こういうわけで,シーア派は物事を現実的に解決しようとし,スンニ派はスンナを見て問題を解決しようとします。つまり,シーア派にとってはスンニ派はカルト宗教だし,スンニ派からみるとシーア派は原理原則を守らないいい加減な宗教ということになります。同じアラーの神を奉じている以上,お互いは不倶戴天の敵となるわけです。
 ・・・というふうに私は解釈していますが,あくまでも私の解釈ですので,鵜呑みにしないでね。(2/23)

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【売れないDVD 洋画は4分の1に 地デジに画質負け】
 「洋画DVD(販売用)に至っては5年前の4分の1」というのは目を覆わんばかりの惨状と言っていいでしょう。しかもレンタルも落ち込んでいるし,頼みのブルーレイディスクも思ったほど売れておらず,映像ソフトの2割にも達していないそうです。
 「地デジになってDVDより高品質の映画がテレビで見られるから」と説明していますが,これは果たして正しいのでしょうか。私は単に「映画DVDを買うなんてお金の無駄」という「画像データの化けの皮」が剥がれたためじゃないかと思います。「画質がいいからその映画を所有したくなる」わけでなく,それを繰り返し鑑賞したくて購入・所有するからです。
 数年前から,書店やコンビニで映画DVDが格安で売られていて,「おお,これは昔見て感動した映画だよ」と簡単に買えるようになったんですが,実際に買ってみると,一度見たらそれで十分だということに購入者が気がついてしまったのではないか,と思うのです。
 私は年に100本ほどの映画DVDをレンタルで見ていて,それをDivXファイルで保存していますが(1TBのハードディスクは映画ファイル保存用となっています),実は,繰り返して観た映画はほとんどありません。2度,3度と繰り返してみたものもありますが,それはお気に入りのシーンを見るためで他のシーンは全部すっ飛ばしてみています。
 ところが,これは映像に特有の現象で,音楽の場合には通して聴きます。映像のないCDは何度も繰り返し聴くのに,その演奏の様子が見られるDVDは繰り返し見ないんですよ。オペラと違って,器楽曲の鑑賞に映像は要らないようなのです。
 そういえば,良い小説は何度も繰り返して読んでも飽きないのに,その小説が映画化されると1回見ただけで満足してしまうというのは,なぜなんでしょうかね。(2/17)

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 私は高校卒業まで秋田で暮らし,医者になってからも数年間,横手市(秋田有数の豪雪地帯)で暮らしたことがあるので知っているが,雪の凄さは半端ないのである。量もすごいが重さがすごいのだ。日本海側の雪は湿って重いからだ。このような雪はスコップで持ち上げようとすると「腰にくる」。そういう重い雪が地表一面を覆っているのである。
 昨年末からそういう雪が毎日毎日,降り続いているのだ(先週始めから雪は降り止んだが)。自然災害という意味では,いわば台風が毎日吹き荒れているようなものだ。私は18歳の時に秋田を離れて仙台(=寒いけど雪は降らない・積もらない)で暮らすようになったが,もう二度と秋田には帰りたくないな,あの雪はゴメンだなと思ったものだ。
 さて,雪が屋根に積もれば降ろさないと家が潰れるし,道路に積もったらその雪をどこかにやらないと交通がストップする。だから除雪する必要があるが,雪は次から次へと降ってくるから,雪が降る限り除雪に終わりはない。これが「一回きりの災害」と違うところだ。そういうわけで,日本海側の東北各県では除雪のための予算が既に尽きてしまったそうだ。

 こういう現状を別の面からみるとどうなるか。多分,「広い面積に人々が暮らす」,「市域の拡大こそが市の目的」という現在のシステムが雪国では破綻寸前だ,ということではないかと思う。
 戦後の日本の都市が一貫して目指したのは「都市の拡大」だった。都市が拡大すれば人口が増え,人口が増えれば税収が増えるからだ。だから,大都市も地方都市も小都市も地域の拡大を目指した。しかしこれは,人口増大を前提にしたシステムだったのだ。
 そして日本は「人口が増えない」時代に突入したわけだが,それでも都市は「拡大こそ命」の考えを改められなかった。宅地を広げたほうが税制上有利になるシステムが健在だったからだ。その結果どうなったか。どの都市も「広い面積に人がパラパラ暮らす」ところばかりになってしまった。実際,地方各都市はどれも「人口集中地域は拡大したが,人口密度はどの地域でも減少」しているのだ。
 その結果,市の仕事であるインフラ整備(市道の整備,除雪,ガスや水道の維持・整備など)が維持できなくなった。広い面積に市域が拡大してしまったためだ。その象徴の一つが,「今年の除雪費が既に底をついてしまった!」という豪雪地帯各都市の悲鳴なのだと思う。
 何しろ雪は,その地域にまんべんなく降るのだ。雪に埋もれるのは,その地域全体なのだ。人が密集する部分にもパラパラ住む部分にも例外なく雪は降るのだ。これが台風や洪水といった災害との違いである。つまり,今年の「除雪費がもうない!」という理由は「豪雪だったから」+「市域が広がったから」という混合なのだと思う。今年の豪雪がいつまで続くのか,来年も再来年も同じようになるのかはわからないが,人間の居住パターン(=市域の拡大こそが善,という地方自治体の論理)が変わらない限り,恐らく同じことが繰り返されるだろうと思う。そしてこの「都市インフラが整備できない」というのは豪雪地帯の都市だけでなく,やがて日本全体の地方都市で起こるはずだ。人口が減少するために税収が減り,広い市域全体の生活インフラを維持・整備することがやがて不可能になるからだ。

 これに対する対策は一つしかない。「広い面積にパラパラと人が住む」ことを止めるしかない。つまり,市域の拡大を制限し,縮小する方向に舵を切らない限り,問題は解決しないと思う。(2/17)

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【八百長疑惑 事実なら厳重処分】
 両国方面からぼやき声が聞こえてきました。一部聞き取りにくいところがありましたので,正確な内容ではないことをお断りしておきます。
 相撲と言ったって所詮は興行,商売です。ガチンコでぶつかったら怪我しちゃって,相撲どころでなくなること,皆さん,ご存知でしょう? 相撲を15日間見たいんだったら,八百長だ,慣れ合いだなんて言わないでくださいよ。相撲は私たちにとっては職業,つまり飯の種です。怪我をしたら私らは飯が食えなくなるんですよ。常識で判断してくださいよ。
 大体,柔道にしてもボクシングにしても体重制でしょう? 格闘技では体重が大きくものを言うからです。重いのと軽いのがぶつかったら,ほとんど重い方が勝つのが格闘技です。だから,よりガチンコ度の高いボクシングでは細かく階級を分けているんです。それなのに,相撲は無差別級で体重が倍以上違う力士がぶつかり合うことだってあるのですよ。それで,体重が軽い力士も重い力士も同じような勝ち星を挙げているんですから,「何かある」のは当たり前,暗黙の了解です。それを口に出さないのが日本の伝統ってやつでしょう? それを八百長だなんていうのは野暮ですよ。
 あーあ,それにしても,なんで明治時代に「相撲は国技だ。格式だ」なんて言っちゃたんだろうね。国技なんて柔道に押し付けて,相撲は興行です,伝統芸能です,って言っちゃえばよかったんだよ。それなのに,自分から「相撲は国技」なんて言ったもんだから,そのあとの俺達が苦労するんだよ。いい迷惑だよ。
 相撲協会も,もう法人なんてやめちゃって株式会社スモーとかにしちゃったほうがいいよ。そうすれば誰からも文句を言われないよね。

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 人生設計という言葉がある。医者だったら例えば,40歳までに開業しようとか,大学に残って50歳頃までに教授になれるように頑張ろうとか,大学医局から派遣された病院で定年まで勤めようとか,そういう「予測できる自分の未来の姿」である。医者だったら40歳くらいになったら,自分の将来の姿はかなりの精度で見渡せるのではないだろうか。
 しかし私の場合,幸か不幸か湿潤治療を勝手に始めてしまったばかりに,50代半ばになろうとしているのに,人生設計ができなくなってしまった。つまり,10年後の自分がどこでどういう仕事をしているのか,まるっきり予測がつかなくなってしまったのだ。自分が創り出した湿潤治療なのに,いつの間にか「治療に人間が振り回されている/治療が人生のご主人様」ということになってしまった。

 湿潤治療に没頭してしまった結果,「外傷患者だけ治療する医者/形成外科医なのに形成外科の手術をしない医者」になってしまったが,これで医者として食っていけるのかがまず不安だった。駄目ならどうしようと,毎日不安だった(何しろそういう医者の前例がないから,予測が全く立たなかった)。それでもなんとか,「手術をしない形成外科医」でも食っていけるようになったが,いつの間にか53歳になってしまい,今更開業する年齢ではなくなった。
 となると,勤務医という選択肢しか残っていないが,その場合は「一人外来」をするしかないから(医者が二人必要なくらいの仕事量はないから),後進を育てて仕事を任せて楽をする,ということは無理そうだ。そうなると,仕事量は定年まで減らないことになってしまう。臨床現場で患者を治療するのは大好きだし,外来を毎日するのは苦ではないが,これがあと10年続くとなるとちょっと考えてしまう。
 しかも,さまざまな外傷・熱傷だけでなく,一部(?)の皮膚疾患まで治療のターゲットとなってしまい,今後さらに治療の適用範囲が広がる可能性もでてきてしまった。つまり,治療対象が広がるにつれて未知のトラブルにも見舞われるだろうから,それらへの対処法を見つける役目も私だろう。つまり,医者を辞めるまで臨床現場を離れるわけにはいかないようだ。繰り返すが,湿潤治療が私のご主人様なのである。

 それにしても,50代半ばになろうとしている医者なのに,人生の先行きがこんなに見えない事態になろうとは想像していなかったな。

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 私の弟が高校生の頃(・・・と言っても,もう20年以上前である)に作った小話の一つが「メンデルとグレーテル」である。もう,作った本人も忘れているかもしれないが,忘却するにはちょっと惜しいネタなので,さらにネタを追加してまとめてみた。・・・とは言っても,後半になるほど「無理しているなぁ」感が漂ってしまった。こりゃ,笑えないよな。
  • 【メンデルとグレーテル】
     メンデルとグレーテルは仲のよい兄妹でしたが,家が貧しかったため森の中に捨てられます。でも,帰ってくる時の道しるべになるようにと兄のメンデルはポケットにあったエンドウ豆を道ばたに落としました。兄妹は魔女にだまされてお菓子の家に連れて行かれたりしましたが,何とか魔女を倒し,家に帰ることができました。
     その時,兄のメンデルが巻いたエンドウの種が発芽し,実を付けていました。そしてメンデルは「黄色の丸:緑の丸:黄色のしわ:緑のしわ」=「9:3:3:1」であることを発見しました。

  • 【ヘンデルとグレーテル】
     ヘンデルとグレーテルは仲のよい兄妹でしたが,家が貧しかったため森の中に捨てられます。でも,帰ってくる時の道しるべになるようにと兄のヘンデルはポケットにあったカエルの卵を道ばたの水たまりに落としました。兄妹は魔女にだまされてお菓子の家に連れて行かれたりしましたが,何とか魔女を倒し,家に帰ることができました。
     その時,あのカエルの卵はすでに孵っていて道ばたの沼でオタマジャクシになっていました。そのオタマジャクシを五線譜に書き留めると美しい曲になり,ヘンデルは「水上の音楽」と名付けてジョージ4世に献呈しました。

  • 【ハムテルとグレーテル】
     ハムテルとグレーテルは仲のよい兄妹でしたが,家が貧しかったため森の中に捨てられます。でも,帰ってくる時の道しるべになるようにと兄のハムテルはポケットにあった「ジュウイ」の種を道ばたに落としました。兄妹は魔女にだまされてお菓子の家に連れて行かれたりしましたが,何とか魔女を倒し,家に帰ることができました。
     家に帰ったハムテルは種から生まれた多くの「獣医の卵」たちに囲まれて楽しい学生生活を送りました。

  • 【ヘーゲルとグレーテル】
     ヘーゲルとグレーテルは仲のよい兄妹でしたが,家が貧しかったため森の中に捨てられます。でも,帰ってくる時の道しるべになるようにと兄のヘーゲルはポケットにあった「ドイツ・カンネンテツガク」の種を道ばたに落としました。兄妹は魔女にだまされてお菓子の家に連れて行かれたりしましたが,何とか魔女を倒し,家に帰ることができました。
     そしてヘーゲルは道ばたにローゼンクランツ,ヘニング,マルクス,エンゲルスという名前の弟子たちが生まれたことを知り,ヘーゲル学派と呼ばれました。

  • 【ゲーデルとグレーテル】
     ゲーデルとグレーテルは仲のよい兄妹でしたが,家が貧しかったため森の中に捨てられます。でも,帰ってくる時の道しるべになるようにと兄のゲーデルはポケットにあった「メタ・スウガク」の種を道ばたに落としました。兄妹は魔女に騙されてお菓子の家に連れて行かれたりしましたが,何とか魔女を倒し,家に帰ることができました。
     そしてゲーデルの蒔いた「メタ・スウガク」の種からは大きな木が育っていて,不完全性定理という花が咲いていました。

  • 【メーテルとグレーテル】
     メーテルとグレーテルが銀河鉄道に乗る話を作ろうとしましたが,肝心の『銀河鉄道999』を全然知らないので,ここでおしまい!

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 他の病院救急室でスキン・ステープラーで縫合された頭部裂創患者が受診された。その人によると,縫合した若い医者(研修医かな?)は「局所麻酔は痛いけど,ホチキス(=ステープラー)の方は痛くないから,麻酔せずにすぐにホチキスで縫いますね」と言って,いきなりステープラーで傷を縫合したらしい。それで,自宅に近い当院で抜鈎となったわけだが,その患者さんは「痛くないと説明されて縫われたけど,すごく痛かったよ」とのことだった。麻酔なしでホチキスを打てば痛いのは当たり前のことである。
 局所麻酔の注射は確かに痛いが,細い針でゆっくり注射するとあまり痛くないし,程なく無痛状態になりその無痛状態は1時間以上続く。一方,ステープラーは注射針より太い針だから刺せば注射針より痛いし,麻酔もしていないためその後もずっと痛い。要するに,医学の常識があれば「局所麻酔よりステープラーの方が痛くない」なんてトンチキな説明はしないはずである。
 なぜ,縫合した若い医者は「局所麻酔は痛いが,ステープラーは痛くない」と説明したのだろうか。理由は想像するしかないが,たぶん,その病院の先輩医師がそのように教えたからだろう。
 そして,その先輩医師は長い医者人生の中で,「本当にステープラーを直接刺しても痛くないのだろうか? 痛くなく局所麻酔をする方法は本当にないのだろうか?」と考えたこともないし,工夫しようと思ったこともないのだろう。こういう医者にしか指導されなかった若い医者は本当に不幸だと思う。
 こういう,「ものを考えない,工夫もしない」医者に指導された若い医者がその後,同じような「ものを考えない,工夫もしない」医者にならないことを祈るばかりである。

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 医者や看護師にとっては余りに日常的すぎるが,患者にとっては余りに非日常的なものに「入院」がある。医者は気軽に「手術しないと治りませんので,今週中に入院して下さい」と言うが,これを患者の立場に立ってみるととんでもないことではないだろうか。
 入院というのは日常生活の全てを放棄することで成り立っている。仕事を休み,育児も家事も全て放棄しないと入院はできないのだ。
 例えば,検査結果を聞きに行った病院でいきなり「明日入院して下さい」と言われたら何が脳裏に浮かぶだろうか。私ならまず,外来の患者をどうしよう,というのが脳裏に浮かぶ。1日や2日なら外来休診の通知を出すだけで何とかなるが,1週間,2週間となるとそれでは無理だ。家庭の主婦で近くに実家があって祖母が健在なら「おばあちゃん,何とかして!」で何とかなるが,そういう実家がなければ途端に途方に暮れるはずだ。主婦がいて成り立っていた家庭は,主婦がいなければ数日で機能停止してしまうはずだ。
 病院では「入院治療」が余りに日常的すぎるため,日常の延長感覚で気軽に「では入院して治療ね!」と言ってしまうが,それは患者と患者家族に「非日常生活」を強いるものだ。そして多分,そういう異常さに全く気がついていない医者が結構いる。

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 ちょっと面白い経過の患者さんが受診された。
自宅の犬に右前腕屈側を噛まれ,傷が浅かったために特に治療もせずに治った。しかし21日後に同部が突然腫れてきたため受診。高度の腫脹と発赤,圧痛を認め,抗生剤の点滴を4日連続。5日目に発赤の中心部に波動を触知したため切開し,排膿した(膿の性状から黄色ブドウ球菌と思われる)。以後は順調に経過。
 何が面白いかというと,傷が治って20日間異常なかったのに21日目に突然感染を起こした,という点だ。普通なら「噛まれた際に創内に入った細菌が20日間分裂せずに眠っていて,21日目に突然増殖を始めた」,あるいは「噛まれて創内に入った細菌がゆっくりと増殖して21日目に感染症状を起こした」と説明すると思うが,これって本当なのだろうか。
 なぜかというと,感染起炎菌は黄色ブドウ球菌と思われたからだ。この細菌はご存知のように20〜40分に一度分裂し,40分に一回分裂するとしても
24時間後には6.8×1010倍に増えるのである。
 つまり,仮に「20日間分裂しなかった」とするなら,[当初は分裂できない環境だった]⇒[20日後に突然,分裂できる環境に変化した]ことになる。つまり,皮下組織の状態(=物理的・化学的性状)が20日目で激変したことになり,これはどう考えても不合理だ。
 となると,唯一の合理的説明は,「噛まれた直後に脂肪組織内などに血腫ができて吸収されずに残り,20日目ころに黄色ブドウ球菌が何らかのルートで侵入して血腫に接触し,増殖して感染を起こした」しかないと思う。多分,これが正解だろう。

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【抗生物質を壊す多剤耐性菌,国内定着の恐れ】
 真核生物(動物や植物,カビ,アメーバ・・・)の「遺伝子」と,細菌の「遺伝子」は全く意味合いが異なります。細菌にとって遺伝子は共有物であり,地球全体が巨大な遺伝子プールであり,ネットに繋がったコンピュータでクラウド上のデータにアクセスするように,細菌たちは自己のアイデンティティを壊さない範囲内でどんどん遺伝子を取り入れては組み込んでいきます。つまり,世界のどこかで誕生した耐性遺伝子は,必ず日本の細菌に入ってきます。それが嫌なら鎖国して人的交流を遮断するしかありません。
 この記事の感染者は80代女性で病院の入院患者であり,何らかの病気の治療で入院していたのでしょうから,耐性菌侵入は防ぎようがありません。耐性菌が死ぬのが許されないとしたら対策はただ一つ,「病院に入院しない。抗生剤を使わない」だけです。
 それと,「細菌が検出された」⇒「その細菌が死因である」とはならないことです。毎度書きますが,colonizationとinfectionを混同してはいけませんが,現実にはこれは混同されています(実はCDCも混同しています)。これでは正しい対策が取れるわけがありません。
 いずれにしても,たかが耐性菌が出たくらいで医者もマスコミも大騒ぎ,という愚行はそろそろおしまいにした方がいいと思います。

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【フランス文化の一部,タバコを守れ!】
 過去のフランス映画を観ていると,ほとんどすべての登場人物がタバコを吸っています。それが当時のフランスの文化だから当然です。同様に,2000年以前のアメリカ映画でも大多数の人間が喫煙者です。これは江戸時代を舞台にした映画にチョンマゲを結った人間しか登場しないのと同じです。
 だからといって,「喫煙シーンがある映画を排除すべき」というのは間違いです。同様に,「サルトルがタバコを吸っていたのだから喫煙は正しい」というのも間違いだし,「喫煙できなければフランス文化の伝統が破壊される」と考えるのも間違いです。タバコは慣習であり,慣習は文化の一部ですが,一つの慣習が消えても文化のアイデンティティが消失するわけではありません。チョンマゲを結わなくなっても日本文化の本質は変わらないのと同じです。

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【プリオン:空気感染は「非常な少量でも致死」】
 「口⇒気道⇒脳」という経路でプリオンが感染した,と記事では説明していますが,それはさすがに無理があるんじゃないでしょうか。
 プリオンは209個のアミノ酸から構成されるタンパク質で分子量は33,000〜35,000です。一方,物質が脳に入るためにはblood-brain barrier (BBB) を通る必要がありますが,BBBは分子量500を越える分子は通しません。つまり,病原体である異常型プリオンが脳に入るためには「アミノ酸に分解されてBBBを通り,脳で異常型プリオンとして再合成される」か,BBBが機能していないか,どちらかが必要になります(・・・他に可能性があるのかなぁ?)
 このあたりについて,きちんと説明されているんでしたっけ?

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【再生可能エネルギーだけの未来は来るか】
 これまで何度か書いていますが,再生可能エネルギー(=非化石エネルギー)だけで人間活動をまかなえるか,という問題の本質はエネルギーを作り出す技術にあるのでなく,創りだしたエネルギー(=電力)を貯蔵・移動する技術にあると考えています。
 例えば太陽光発電なら,赤道直下の砂漠一面に太陽光パネルを置いて発電すれば大量の電力を作り出せますが,砂漠で作った電力を都市に運ぶ手段が限られている点に問題があります。石油のように「砂漠から都市にタンカーで運ぶ」ことができません。逆に言えば,電気を貯める軽量・単純なシステムを発明できたら,世界のエネルギー問題は恐らく解決します。

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【看護師不足に悩む手術現場,担当者ら不安拭えず】
 看護師さんの仕事の中で手術室の器械出しというのはかなり特殊な部類です。というか,そもそも「看護」なのかという疑問もあります。器械出しには普通の意味での「看護」の要素はありません。患者さんと会話することもないし,患者さんの不安を取り去ることもできません。
 しかも,器械出しの技術は極めて特殊なため,他の看護業務(病棟勤務や外来勤務)と共通する要素はほとんどありません。しかも,手術が高度になるにつれて覚えることはどんどん増えます。そのため,器械出しのベテランになればなるほど他の看護業務に移動しにくくなります。他の看護業務との共通点がまるでないからです。つまり,看護師としての「つぶし」がきかなくなります。看護師さん本人にとって,これはあまり嬉しいことではないと思います。
 というわけで,器械出しは医者の仕事にしてしまえばいいんじゃないでしょうか(・・・もちろん,医者も不足しているけどね)。医者なら手術の器械・器具のことは熟知しているし,特に教育も不要です。私も大学病院時代,緊急手術なのに看護師の手配がつかないことがあって,ぶっつけ本番で器械出しをしたことがありましたが,何の支障もなく手術できました。ま,私でもできるんですから,外科医なら誰でもできるんじゃないでしょうか。

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【<腸内細菌>免疫異常を抑制,潰瘍性大腸炎の治療法に期待】
 マウスによる実験で,記事を要約すると次のようになります。
  • 無菌環境で飼育したマウスの大腸では,免疫異常を抑える "Treg細胞" が少ない。
  • そのようなマウスにさまざまな腸内細菌を接種したところ, "Treg細胞" が増加して正常になった。
  • 潰瘍性大腸炎やクローン病の患者は健康な人に比べ,クロストリジウム属の腸内細菌が大幅に少ないという報告がある。
 とても面白い実験なのですが問題点がひとつあります。「患者の腸内にクロストリジウムが少ないのはなぜか?」という問題です。つまり,「患者の大腸がクロストリジウムの生息に適さない環境であるためにクロストリジウムが少ない」という場合,クロストリジウムを外部から投与したとしてもそのクロストリジウムは腸管内で生息できないはずです。今回の「無菌マウスでクロストリジウムを投与したら "Treg細胞" が増加した」というのは単に,「無菌マウスの腸管はクロストリジウムが生存できる環境だった」というだけのことです。
 これは「草原が砂漠になって森林がなくなった」という現象に例えると分かりやすいと思います。木が生えなくなったのは環境が木の生息に適さなくなったためです。だから,砂漠に木を植えても木は生息できません。今回の「無菌マウスにクロストリジウム」は「砂漠に木を植える」実験ではなく,「無理やり木を切り払った土地に木を植えたら元通りの森になった」というだけです。つまり,今回の実験はそのままでは,「砂漠になった土地を森に戻す」のには役に立ちません。
 問題の根本は「腸管内にクロストリジウムがいない(=森林がなくなった)」ことではなく,「本来いるはずのクロストリジウムが住めなくなったのはなぜか(=なぜ木が生えなくなったのか)」です。潰瘍性大腸炎患者の腸管内クロストリジウムの減少は病気の「原因」ではなく「腸管という環境の変化による結果」ではないでしょうか。

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【ウィキリークス騒動どころでは済まない? 迫り来る「21世紀型サイバー戦争」の現実】
 以前にも書きましたが,情報・通信テクノロジー(IT)と原子力はよく似ています。共に,人間が産み出したものなのに,人間が制御しきれていない点です。もちろん,どちらも人間の生活に多大な貢献をしていますし,人間生活を便利にしてくれました。しかし,一旦悪意を持って使われるとその被害を未然に防ぐことも,被害の拡大を防ぐことも不可能です。使われたらそれまでです。
 原子力における核兵器は,ITにおけるサイバーテロです。どちらも,一旦使われたらそれに対処する方法はありません。せいぜい,「悪いことに使っては駄目だよ」と良識に訴えることくらいしかできません。
 しかし,人間はどうしても好奇心を抑えられないし,使えるとなると使ってみたいし,一旦開発の方向に進んでしまうとトコトンまっしぐらに進んじゃうんですね。その先に地獄が待っていようと悪魔が口を開いて待ち受けていようと超危ない橋がかかっていようと,お構いなしにまっしぐら。その結果が今日の状況でして,人間は自分の手で創りだしたものに振り回されています。
 別の言い方をすると,「人間の脳味噌は車や電報くらいまでは使いこなせる能力があるが,核兵器やITを使いこなせるくらいには賢くない」ということではないでしょうか。
 サイバーテロと核兵器は同じと書きましたが,両者には決定的な違いがあります。「核兵器は個人で開発も使用もできないが,サイバーテロは個人でもできる」点です。つまりこの点において,サイバーテロは核兵器より制御が難しいかも知れません。そんな技術を私たちは手にしてしまったようです・・・使いこなす知恵を持たずに・・・。
 Wikileaksにしても国家機密情報は手にしたもののそれがどういう価値があって,どういう使い道があるかについては全く判断できず(・・・というか,手にした情報そのものに対する興味自体がないのかな?),判断できないから「もってけ泥棒」状態で大開陳しちゃったのでしょう。要するに「盗んだものを道端に置いておく」以外の知恵がないわけです。

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【口腔細菌3分以内99.99%死滅 東北大チーム効果確認】
 この研究,おかしいと思います。基本的なところで間違っています。なぜそれに気が付かないのか,不思議です。
 この方法が効果があるのは唯一,「口腔は本来無菌の環境で,歯周病は無菌のところに細菌が入ったから起こる」というのが正しい場合のみです。つまり,「細菌がいる異常な状況」を「無菌な正常の状態」に戻す,というのならこの滅菌法は意味があります。
 しかし,口腔は無菌でないし,無菌でないから歯周病が起きたわけでもないはずです。順序としては[歯周ポケットができる]⇒[そこに細菌が入る]⇒[歯周病(感染)が起こる]という順序であって,[細菌が入る]⇒[細菌が歯周ポケットを作る]⇒[歯周病が起こる」ではないはずです。だから,細菌を全滅したところで歯周ポケットは残っているし,ポケットが残っていれば細菌はすぐに増殖し,殺菌前の細菌だらけの歯周ポケットに戻ります。
 これを,[草原が環境が変わって砂漠になりサボテンしか生えなくなった]という例を考えるとよくわかります。これは[草原が砂漠になった]⇒[サボテンが生えた]という順序であり,[草原にサボテンが生えた]⇒[草原が砂漠になった]という順序ではありません。草原にサボテンは生えないからです。だから,サボテンを抜いても砂漠が草原に戻るわけはありません。サボテンが生えたから砂漠になったのではなく,砂漠になったからサボテンが生えたからです。
 つまり,[歯周病の治療として細菌を全滅させる]というのは[サボテンを抜いて砂漠を草原に戻そう]というのと同じ発想じゃないかと思います。要するに,そもそもの研究の発端そのものが間違っています。

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 次のようなメールをいただきました。
家族が犬に腕を深く噛まれ,近くの病院を受診しました。診察した医師は傷を縫合し,最新の治療だからとシートのようなものを張り,最新の治療だから数日間そのままにして1週間たったら受診するように説明しました。しかし,その夜から腕がパンパンに腫れてきて,痛みがひどいため別の病院を受診し,抜糸してもらったら膿が大量に出て・・・
と言うような内容です(一部変えています)。もちろん,動物咬傷を縫合するなんて言語道断治療ですが,こういう言語道断医者の治療は逆に,いろいろなことを教えてくれます。
  • 中途半端でいい加減な聞きかじり知識で堂々と治療を強行する医者が世の中にいる。
  • こういう医者は本質的に勉強嫌いである。
  • 一般的に,不勉強と怠惰は不治の病である。だから,こういう医者は今後も同じ治療を続けるだろう。
  • 聞き覚えの知識を「それって本当? 正しい知識なの?」と確かめるのは面倒,一度覚えた知識を更新し続けるのはもっと面倒・・・というタイプの医者も確実に存在する。
  • そもそも,外科の教科書には動物咬傷の治療についての体系的記載がほとんどないし,治療方針について明確に書いてあるものもほとんどない(・・・と思う)。すなわち,(私が治療法をまとめるまで)医学界には「動物咬傷についての正しい知識」そのものが存在しなかった(・・・と思われる)
  • 動物咬傷はそもそも症例数が少ないため,一人の医者が1年間に経験する患者は多くて数人程度だろう。だから,動物咬傷の知識を仕入れてもそれを生かす場は少ないし,前回の治療経験が次に生かせない。
  • 縫合されて傷が化膿した場合,多くの患者はその医者を受診せず,他の病院を受診するようだ。最初の医者が信頼が置けないと患者が判断するからだ。だから,最初の医者は自分の治療でトラブルが起きていることを知らない。だから,自分の治療の間違いに永遠に気がつかない。だから,次の動物咬傷患者が来たら,また傷を縫合する。
  • 仮にこの患者が「縫合されて化膿した」状態で縫合した医者を受診したとしても,この医者は自分の医療行為(=咬傷を縫合した)が創感染の原因だったことにはまず気がつかない。そういう知識がないからである。だから,医者に「お前の治療で化膿した」と抗議しても,化膿した原因は自分にないと考えているから,多分相手にされない。

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【焦げた食べ物は健康に悪いの?】
 昭和50年代,新聞や週刊誌の紙面を「焼け焦げで癌になる。焦げには猛毒のダイオキシンが含まれる」という記事が飾った時期がありました。あの頃の私たちは「焼け焦げ=ダイオキシン=発がん性」という図式を刷り込まれました。その結果,落ち葉を焼くのも危ない,小正月のどんど焼きも危険だ,ということになり,どんど焼き中止,なんてこともありましたっけ。
 その後,実はダイオキシンは猛毒物質でもなんでもなく,焼け焦げを食べても癌にならないことがわかりましたが,そういう情報は一切報道されませんでした。あれほど大々的に「焼け焦げで癌になる」と報道したなら,同じくらいのスペースを使って「焼け焦げは安全,ダイオキシンの発がん性は低い」と報道するのが筋なんでしょうけどね・・・。
 そういえばあの頃,新聞の一面を連日,「環境ホルモン」という文字が飾っていましたが,その後ぱったりと「環境ホルモン」報道はマスコミから消えます。やはりガセネタだったようです。

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 ある方から,ひどいアトピーがプラスモイストで治ってしまった,というメールを頂きました。悪化せず,治ってよかったです。
 妻は以前から,時折アトピーの症状が出ていましたが,先日,とてもひどくなり,見るも無残な傷になりました。痒みもひどく,夜も眠れない状態が続きました。
 ものは試しとプラスモイストを購入し,ワセリンを塗って患部を覆ってみたところ,数分で痒みは我慢できる程度に落ち着き,その日から眠れるようになりました。本当にアトピーが湿潤治療でよくなるのか不安でしたが,杞憂でした。治療開始から6日目でほぼ完治してしまいました。ステロイドを使わなくてもなんとかなることもわかりました。「傷を治せば痒くなくなり,痒くなくなれば掻かなくなってアトピーの症状は治まる」という先生の説は,私の妻に限って言えば正しかったです。
 たとえアトピーが再発したとしても,これで治せるということが分かり,怖くなくなりました。
 たかが一例,されど一例です

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 昔,何かの本で「世界中の猫の大半は自分の好物を知らず,食べることもなく死んでいく」というようなことが書いてあった(・・・と記憶している)。猫は魚(特にアジとか)が好きだが,一方,猫は水が嫌いな動物だ。ところが困ったことにアジは岸から離れたところを泳ぐ魚であり,自然界の猫は絶対にアジを捕ることができない。アジを食べられるのは日本のように飼い主がアジを与えてくれる猫だけなんだよ・・・ということらしい。
 なにぶん,何十年も昔に読んだ本なので本当かどうかは不明だが,これを不意に思い出してしまった。外来種問題を報じるテレビを見ていた時だ。例えば,「アカミミガメ(通称ミドリガメ)が日本のあちこちで増えて日本固有種のイシガメの生存を脅かしている」なんていうニュースがそうだ。
 だがこれを,「アカミミガメは日本にやってきて初めて,自分の好物に出会え,自分に生存に最高に適した環境に出会えたのかも」と考えるとどうなるだろうか。史上初めてアジを食した猫みたいなものだ。大好物が豊富にあり,水質も生まれ故郷の沼よりいい。となると増えて当然だ。オイオイ,それじゃイシガメが困るだろう,となるが,それはイシガメも同じで,実は世界のどこかにイシガメの天国があるかもしれないし,そこでイシガメは我が世の春を謳歌し,その地の固有種を圧倒したりするわけだ。ただ,アカミミガメは幼体の時は小さくて色がきれいだから商品になって世界中に売られたが,イシガメは地味なために他の国に連れて行ってもらえなかっただけのことだ。
 要するに,アカミミガメが外来種となりイシガメが固有種であるのは,単に人間側の「色彩の好み」の問題でしかない。アカミミガメもイシガメも本来は移動能力が低いため,元々の生存環境を越えて分布を広げて外来種として迷惑がられるためには,人間の助けが絶対的に必要なのである。
 地球上にはいろいろな生物がいるが,その大部分はたまたま偶然に生存することになった環境で生きていて,そのほとんどは「本当の好物」を食べる機会も,「最適の生活環境」で生活することもなく生きているんじゃないだろうか・・・なんて思ったりする今日この頃である。

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【尖閣ビデオ流出,守秘義務違反は問題の本質ではない 誰もが「情報素材」を公開できる環境にどう対応するか】
 この記事を読んで思ったのですが,IT化って原子力に似てませんか? どちらも人間が創りだしたものでとても便利なのですが,人間が制御しきれていない点で共通しています。
 特殊相対性理論の e = mc2という公式から質量とエネルギーが等価であることが明らかになり,原子力エネルギーが「発見」され,原子力発電に結実したわけですが,そこでメルトダウン級の事故が起きれば人類には制御できないし,燃えカスであるプルトニウムの処理という問題も完全に解決されていません。そして地球上には「作ったけど使えない核爆弾」があふれ,超小型核兵器がテロリストの手に渡ったらどうするんだよ,という問題もあります。つまり,原子力の利用はできていても完全に制御できていません。 核エネルギーの利用法はどんどん広がっていますが,それはいわば「技術の一人歩き」状態で,制御する方法はだれも知らないのです。要するに,性善説に立って所有者の良識を待つしか制御方法はありません。
 デジタル化技術もこれと同じではないでしょうか。世界がネットで繋がり,地球のどこにでもデータが送れ,誰でもデータが閲覧でき,世界中の人とすぐにでも情報交換ができる世の中になりました。まさに夢のような世界です。反面,一旦流出したデータを制御する方法はないし,盗もうと思えばどんなデータも盗めます。情報を盗もうとする悪意の前でデジタルデータほど脆いものはありません。その意味で,ネット化技術やデジタル化技術を人間は真の意味で制御できないままに利用法だけが独り歩きして勝手に進歩を続けているようなものです。これはまさに,核エネルギーと同じ状態であり,性善説を前提に使用者が良識を持って自制するだろうということを期待して運営されています。
 ふと思ったのですが,もしかしたら,グローバル化経済もこれらを同じではないか,という気がしてきました。グローバル化とは要するに,生産地・生産者と消費者・使用者の距離を離すことです。もちろん技術的には可能です。そして,生産者・作成者が善意と良心を持っていれば安全性も確保されます。性善説を前提にすれば,必ずうまくいくシステムですし,安全性が脅かされることもありません。問題は,性善説が通らない相手が出現した時です。
 もちろん,所有者の良識だのみという点では果物ナイフもゴルフクラブも縄跳びの縄も同じで,これらは悪意を持って使えば凶器になりますが,核兵器やIT情報やグローバル経済とは被害が及ぶ範囲がまるで違います。また,ゴルフクラブを凶器に使った個人を特定することは難しくありませんが,デジタル情報を盗んだ人間を特定するのは非常に困難です。これはグローバル経済でトラブルが起きた場合にも言えます。
 技術的に可能であればそれをやってみたくなる,それをどんどん推し進めたくなる人間の性ですが,技術的に可能なことがどこに向かっているのかは誰にもわかっていません。

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 「この名前,全然読めないよ」という名前の子どもが多すぎて(というか,いかに読めない名前をつけるかという競争を親どうしがしているみたいです),近頃ではちょっとやそっとでは驚かなくなりましたが,以前,見学に来た先生から,「ララ桜桃(ららさくらんぼ) 」ちゃんという名前の赤ちゃんを受け持ったことがあったと聞いたときには呆然としてしまいました(ちなみに,「ララ桜桃」が名前で,これに高橋とか鈴木という苗字が付きます)。こうなったら,「ポポ檬果(ぽぽまんごう)」とか「ルル甜瓜(るるめろん)」なんて子どもが出現するのも時間の問題かもしれません。
 まぁ,こういう名前は読もうと思えば読めるんですが,ネットを見ていると「無知な親が間違った知識でつけた読めない名前」というのがたくさんあってびっくりします。例えて言えば「日本」と書いて「ちゅうごく」と読ませたり,「馬」とかいて「しか」と読ませるような感じで,悲惨な名前がいくつも見つかります。特に宇宙関係がすごいです。
  • 「木星」と書いて「びいなす」ちゃん ⇒ヴィーナスは金星,木星はジュピターです
  • 「明星」と書いて「じゅぴた」ちゃん ⇒明星は金星です
  • 「宇宙」とかいて「あーす」ちゃん ⇒Earthは地球,宇宙はCosmos
 「木星(びいなす)」ちゃんが友達から「お前の父ちゃんと母ちゃん,木星をヴィーナスと思っている馬鹿!」と虐められるんだろうなぁ・・・と思うと,胸が痛みます。

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【日本の野球には「窓が足りないんじゃないですか?」】
 英語では家畜のことを "livestock" って言うんですね(ちなみに "dead stock" といえば農機具のこと)。それにしても "livestock" ですか。「生きている貯蔵品」という感じで,「とりあえず今は生きているだけの食べ物」という感じなのかもしれません。それじゃ,「クジラやイルカを殺すのは可哀想で,豚や牛は可哀想じゃないんですか? どちらも同じ動物でしょう?」という論理が通じないわけですね。牛や豚は "animal" だけど「生きている貯蔵品」だから殺すのは当然,一方,クジラやイルカは "animal" だけど「生きている貯蔵品」じゃないから殺しちゃ駄目,という論理なんでしょう。どうりであの連中と話が通じないわけだ。

 ちなみに,漢字の「畜」の字はもともと「栄養分をたくわえて作物をやしない育てる黒い土のこと」の意味だそうです。

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【「コレステロール高めが長寿」に日医など猛反発】
 どうやら「日本医学界+日本動脈硬化学会」 vs 「日本脂質栄養学会」の論争みたいです。私はこのような代謝疾患については全く門外漢なので,どちらが正しいかは分かりませんし,コメントのしようがありません。
 というわけで,全然違う方面から考えてみます。

 高脂血症治療薬のリピトールが世界一売れた処方薬だということはご存知だと思います。私の記憶では,2001年から2009年まで連続して,売り上げトップはリピトールだったと思います。
 一方,高脂血症にはそれ自体には自覚症状がなく,健康診断で血液検査をしてもらい,それで初めて「自分は高脂血症だった」と知るわけです。このあたりは「北斗の拳」に似ています。「北斗の拳」ではケンシロウは倒した相手に「お前はもう死んでいる」と宣言します。その言葉で初めて,相手は自分が死んでいることを知ります。ケンシロウに指摘されるまで,自分が死んでいることを自覚できなかったわけです。高脂血症はこれと似ているわけですね。
 さて,ここで,この記事にある「悪玉コレステロール 140mg/dl以上なら異常」という数値を思い出してください。この値が130mg/dlなら「高脂血症」患者は倍増するでしょうし,150mg/dlなら患者は半減するはずです。要するに,基準の数字で患者はいくらでも増やせるわけです。基準値を超えていれば健康人から病人になるからです。つまり,「世界一売れた薬のリピトール」はすべて高脂血症の基準値が創り上げたものと言えます。もしもこの数字が145mg/dlだったらリピトールはこれほど売れなかったはずです。高脂血症には自覚症状がなく,病気かどうかの判断は血液検査のデータしかないからです。

 な〜んて書いてみましたが,何の根拠もない下衆の勘繰りですので,気にしないでください。素人のタワゴトですから。

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 ピアノサイトを作っていた頃からの知人で腸の病気で治療を受けている人がいます。3ヶ月前に人工肛門を作り,今回はそれを閉じる手術を受けるとのことでしたが,それに関連して次のようなメールを頂きました。
いやあ,3ヶ月の間,ストーマと生活を共にしたのですが,結局,全く慣れることがありませんでした。
「身体の一部」と言うには,異物感が強すぎますね。
 医者や看護師にとっては人工肛門は日常的に目にする「治療手段の一つ」に過ぎませんが,一般市民の感覚からするとかなり異様なものではないかと思います。
 医者の側からは「これしか方法がないので慣れてもらうしかない」となりますが,患者の側からすると「こんな,四六時中,糞便が見える袋が腹に付くなんて,聞いてないよ」状態ではないでしょうか。「現代医学で最もみっともない外見の治療法」と言ってもいいと思います。これしか治療法がない,これをしないと死んでしまうと言われれば諦めるしかありませんが,それでも嫌なものは嫌だし,見栄えの悪いものは見栄えが悪いのです。「命が助かるなら人工肛門だろうがなんだろうが。俺なら喜んで作ってもらうね」と言える医者はどのくらいいるんでしょうか。
 また,皮膚への接着部分はハイドロコロイドで,確かに「皮膚に優しく接着力も強い」ものですが,それだって完璧な素材ではありません。これほど医学が発達しているのに,人工肛門の基礎技術は1980年ころとほとんど変化していないような気がします。これは専門医,専門看護師の怠慢ではないでしょうか。高度先進医療だ,ES細胞だ,iPS細胞だと騒がれている一方で,この「無進化ぶり」はどんなものでしょうか。
 そろそろ,あっと驚くような発想による人工肛門の新手術法やデバイスを考える医者がいてもいいような気がします。
 「人工肛門とはこういうものだ」と考えてしまった時,思考停止に陥ります。もちろんそれで医師に不都合はありませんが,患者は現実に困っているのです。

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【日本のイスラム教徒永眠の地は 土葬の墓,住民ら反発】
 土地が広くて人口が少ない国だった土葬だろうと鳥葬だろうと風葬だろうと構わないけど,平地の狭い国には土葬は馴染まない気がします。時間の経過とともに,土葬にともなって墓地の面積が広がり,生きている人のための土地が減るからです。土葬を続けていけば,やがてすべての土地は墓地となり,その時点で人間は墓地の上に暮らすしかなくなります。土葬に執着する宗教はそこのところが判っていません。

 ちなみに私は,死んだらそれまで,死体は生ゴミと思っています(10数年前に父親が死んだ時からそう考えるようになりました)。私はそう遠くない時期に死にますが(何しろ50代なかばですから),死んだら火葬にして骨は粉々に砕き(生ゴミなのだから焼却するのがベストの選択),そこらの海に適当にバラ撒いてもらえばそれで十分,戒名もお墓も不要と考えています。死んだ人間のために生きている人間が苦労するなんて馬鹿げているからです。もちろん,そう考えていない人の方は多いでしょうから,他の人が死んだら立派なお墓を立てることを否定しませんが,少なくとも私自身の死にはお墓も供養も不要です。

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【エプソンダイレクトはどこを目指しているのか 〜PC事業撤退という噂の真偽を聞く】
 エプソンのパソコンに関し,ネットで色々な噂が飛び交っていたが,少なくともPC事業を撤退することはなさそうである。
 というわけで,「エプソンと私」という昔話を少々・・・。
 エプソンというと,今では「プリンタとスキャナで有名だけど,パソコンも作っていたっけ?」という印象だと思うが,私にとっては忘れられないパソコンメーカーである。私が生まれて初めて自分で稼いだカネで買ったパソコンはエプソンの286-Fというノートパソコンであったし,私が生まれて初めて原稿料を頂いたのもエプソンのユーザー雑誌だったからだ。
 286-Fが登場したのは1990年だ。当時,パソコンといえばNECの98シリーズであり,マックは金持ちの道楽,仕事をするなら98,という時代だった(ちなみに,世界初のノートパソコンを販売したのもエプソンでPC-286NOTEを1989年6月に売り出していて,東芝の伝説の名器Dynabook J-3100SSはそれより20日ほど遅れて販売開始だったようだ)。当時のパソコンでは日本語表示と日本語入力をどうするかが大問題であり,NECの98シリーズはOSとは別個に日本語の入力と表示を扱う機能を持たせたため,日本語が自由自在に使える唯一のパソコンだったのだ。
 そんな中で満を持して1989年10月にNECが売り出したのが初代98ノート(9801-N)であり,その2ヵ月後,エプソンは286-Fを発表した。要するに,「まともに日本語が使える持ち運びのできるパソコン」の誕生である(ちなみに,エプソンの最初の286NOTEは値段が45万円と破格の高値だったため,ほとんど売れなかったようだ)。そして私はエプソンの286-Fユーザーとなった。
 当時の98シリーズのデスクトップパソコンにはハードディスクはなく,2基の5インチフロッピーディスク(FD)ドライブがあるのみだった。AドライブにOSとソフトの入ったFD,Bドライブにデータファイルの入ったFDを入れてから電源ボタンを押すのが当時のお作法だった(ちなみに,ウィンドウズの起動ディスクはCドライブでAとBが欠番となっているのはこのためとか・・・)。問題は,98ノートにしても286ノートにしても,2基のFDDを搭載するスペースがなかったことだ。そのため,NECもエプソンも1.2MBのRAMディスクと1基のFDDを備え,「ソフトが入ったFDを最初に入れてパソコンを立ち上げ,システム起動後にソフト・プログラムをRAMディスクにコピーし,それからソフトFDとデータ用FDを交換する」という方式を編み出した。それが9801-N,286-Fである。
 両者に違いはないように見えたが,実はエプソンの286-Fの方が自由度が高く,1.2MBのRAMディスクを2MBの不揮発性RAMと入れ替えることが可能だった。つまり,ハードディスクのように使えたのだ。2MBというと今ではデジカメの画像1枚分にも足りない微々たる容量だが,何しろ当時主流だったフロッピーの容量は1.2MBだったから,2MBという容量は工夫次第ではいろいろなことができたわけで,パワーユーザーは日々,様々な工夫を加えていった。
 そんなわけで,私もその2MBにいろいろな機能を詰め込むことに熱中した。日本語入力用の辞書を極限まで削り(管理工学研究所の日本語入力システム「松茸」はカスタマイズできる日本初のFEPだったため,こういう芸当ができた),ソフト切り替え用のバッチファイルを書き,データベースソフトを自作し,やがて日常の仕事の全てが2MBだけでできるようになった。そしてそんな工夫を,エプソンのユーザー雑誌の葉書に書いて送ったわけだ。
 その数週間後,エプソンから封書が届いた。バッチファイルなどを添えて雑誌に投稿して欲しいという正式の原稿依頼だった。私はすぐに投稿し,それは雑誌に掲載されてささやかながらも原稿料が振り込まれた。当時私は医者になって6年以上経っていたが,医学雑誌への投稿はしたことがなかったから,医学論文を書くより先にパソコン雑誌に原稿を書いていたわけである。

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 今でこそ,タモリといえば「日本のお昼の顔」ですが,彼がデビューした当時の芸はそれはそれは凄かったです。彼の最初期のLP『憧れのおワイ航路』は毒気をたっぷり含んだ超一流のパロディーレコードになっていて,私はそれこそ,レコードが擦り切れるまで繰り返し聴いたものでした。当時のタモリで最も有名なのが「デタラメ外国語」であり,とりわけ有名なのが「四ヶ国語麻雀」でした。
 なぜかそんなことをふと思い出し,もしかしたらYouTubeにあるんじゃないかと思って探したら,あるじゃありませんか。いやはや,すごい時代になったものです。中でも,黒柳徹子さんがいきなり「次はロシア語でお願いします」と無茶振りする「はとバスツァー@各国語バージョン」はすごいです。深い知性と広大な知識に裏打ちされたタモリの芸は,もはや至芸とも言うべき高みに達しています。「北京放送」も思想模写,音声模写,ラジオ放送模写が錯綜する空前絶後のものとなっています。
 これを見て思い出した昔話です。藤村有弘さん(1934-1982) という芸人がいました。40代半ば以降の人間には「ひょっこりひょうたん島のドン・ガバチョの声」といえばわかると思います。実は彼はデタラメ外国語の達人でした。まだ彼が若かった頃,ある人が彼をフランスから来日した超有名シャンソン歌手に紹介し,「ほら,あれをやって見せてよ」とリクエストし,それを受けた藤村さんは,得意のデタラメ・フランス語を披露したそうです。
 それを聞いたフランスの有名歌手は「あなたのフランス語は完璧だ。こんなに美しく発音されたフランス語はパリでも滅多に聞けない。しかし不思議なことに,あなたが何を話しているか,私は一言も理解できない」と言ったそうです。
 そんな藤村さんとタモリの奇跡のコラボがこれ。「聞いたとおりに喋れる」能力を持つ二人が絶妙のデタラメ・中国語で即興の掛け合いをするという,前代未聞の瞬間的即興芸です。ついでに,藤村さんの超絶的デタラメ外国語もご堪能下さい。

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【海洋生物のセンサス,十年の成果を発表】
 海洋生物について人類はまだ何も知らないことがよくわかります。それにしても,600年前から生きているチューブワームに驚きます。地球上の動物で最も長寿な生物と思われますが,地上の動物では考えられないものです。
 ちなみにこのチューブワームは口も肛門も消化器も持たず,体内に共生するイオウ分解菌が熱水噴出孔から噴出す硫化水素を分解し,彼らが作り出す栄養のおこぼれをいただいて生きていますが(それでも体長2メートルくらいまで成長できる),イオウ分解菌を体内に取り込めるチャンスは孵化してから3日以内に限られているそうです。口があるのはこの3日間だけで,それ以後,口は退化するからです。この3日間でどのようにして適切な細菌を選択して飲み込むのかは全くわかっていません。このチューブワーム一つとっても,人類は知らないことだらけです。

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 とんでもないアイディアを思いついちゃいました。全国一律に「市議会議員の報酬は市民の平均年収と同じにする」のです。もちろん,県会議員の議員報酬はその県の県民の年収と同じ,国会議員の議員報酬は国民の平均年収と同じですね。もちろん,市民(県民・国民)の平均年収が上がれば自動的に議員報酬も上がるようにしておきます。これってよくないですか?
 市民の年収くらいのはした金で議員の仕事ができるか,という人は議員になってもらわなくていいんですよ。どうしても議員報酬をもっと欲しかったら,頑張って市民の年収が上がるような政策を実行に移せばいいわけです。これぞ,頑張れば報われるシステムですね。しかも,「金を貰えないのなら議員なんてやってられないよ」という議員さんたちがいなくなり,一挙に議員定数削減もできます。
 ううむ,考えれば考えるほどいいアイディアだと思うんだけど,議会では絶対に採択されないだろうな。河村市長,このアイディア,どうですか?

 これとは関係ないけど,私のもう一つの持論は「未成年の子供の数に応じて親の投票数を増やせ」です。つまり,未成年の子どもが2人いたら両親は2票さらに投票でき,子どもが4人いたら4票多く投票できる,というシステムです。
 国の未来は子どもが握っているのに,彼らの意志は選挙では反映されません。一方,老人は死ぬまで投票権を持っています。だから,年寄りに都合の良い政策を打ち出す候補者は票を集め,子供のための政策を打ち出す候補者には票が集まりません。仕事には定年があるのに,投票権には定年がないからです。
 かといって,子供に国政選挙の投票権を与えるのは非現実的です。そこで,親に子供の代理投票させようというわけです。もちろん,とんでもない非常識親だっていますが,大多数は自分の子どもが成人する頃までこの国が潰れないで欲しい思っているはずです。そういう願いを汲み取るシステムが必要ではないかと思うのです。

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 例によって,耐性菌と抗生物質についてのいい加減な論考である。ここも一つ,テキトーに読み流して欲しい。

 新しい抗生物質の開発とそれに対抗する耐性菌の出現は「ニワトリと卵」に似ているが,最終的に勝つのは抗生物質の開発だろうか,それとも新種の耐性菌だろうか。論理的に考えると,最後は「耐性菌の出現」で終わるはずだ。なぜかというと,抗生物質の開発はどこかで行き詰まるはずだからだ。
 抗生物質は作用機序から「DNA合成阻害,RNA合成阻害,タンパク質合成阻害,細胞壁合成阻害,細胞膜変質,代謝阻害」に分けられるが,要するに,「細菌だけを殺して人間には害がない」ものが理想である。だから,「DNA合成阻害」といっても人間のDNA合成阻害をしてしまっては本末転倒なので,細菌に固有の "DNA gyrase" という酵素活性を阻害する薬剤(=ニューキノロン系)が主に使用されているわけだ。
 現在でもセフェム系・ペニシリン系の抗生物質が主流なのは,細菌固有の構造物である「細胞壁」の合成をターゲットにしているからだ。細胞壁は人間にないから「人間には無害で細菌にだけ有害」なのだ。セフェム系抗生剤,ペニシリン系抗生剤は細胞壁の成分であるプロテオグリカンの生成過程を阻害することで細菌を殺しているからこそ,細菌を効率的に殺し,人間は安全なのだ。「プロテオグリカンの生成過程の阻害」は通常,「プロテオグリオカン生成に必要な酵素」を分解するなどして達成されるようだ。
 一方,細胞壁(=プロテオグリカン)合成に関与する酵素の数は決まっている。ということは,その酵素の数以上の種類の抗生剤は作れない,ということにならないだろうか。これは要するに,日本の県の数が47であれば,訪れることのできる県の数の上限は47であって,48以上の県には行けないのと同じだ。プロテオグリカン生成に関与する酵素が50あれば50通りのセフェム系抗生剤が作れるが,51種類目の抗生剤は存在しないはずだ。もちろん,一つの酵素をブロックする手段が複数ある場合もあるだろうが,それにしたって手段は無限にはないから,いずれ限界に達するはずだ。それと同様に,DNA合成阻害型抗生物質の数も有限だろうし,代謝阻害型の抗生物質の数も有限のはずだ。
 もちろん,複数の抗生物質を組み合わせて新たな抗生物質を作るということは可能だが,それにしたって順列組み合わせに過ぎないから,いつかは新しいものが作れなくなる。
 だから,抗生物質の種類はどこかで限界に達し,それ以後,新しい抗生物質は作れないことになるはずだ(・・・と私は考えている)。現在,昆虫や水生生物や土壌細菌をしらみ潰しに研究して新種の抗生物質探しが行われているが,恐らく,「地球のどこを探しても新種の抗生物質が見つからない」日がやってくるはずだ。そして,「最後の抗生物質」が臨床現場で使われ,それに対する耐性菌が数年後に出現し,その時点で人間に打てる手はなくなるはずだ。もちろん,当たらなければいい「予想」だけど・・・。

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 例によって,耐性菌と抗生物質についてのいい加減な論考です。読み流してください。
 もしかしたら,多剤耐性菌というのは人間が創りだした人工物のようなものではないだろうか。人間が日常的に大量の抗生物質を使うようになる前に,多剤耐性ブドウ球菌も多剤耐性緑膿菌も多剤耐性アシネト・バクターも地球には存在しなかったのではないだろうか。耐性能力とは抗生物質を分解する酵素を作り出す能力であり,そもそも抗生物質がない時代には耐性能力を持つ必要はないし,抗生物質のない時代に耐性能力を持つことは細菌にとって生存に不利になるからだ(抗生物質分解酵素を持つことは分裂速度の低下を伴うから)
 もちろん,一番最初の抗生物質であるペニシリンは青カビから作られた「天然産物」であり,この物質に抵抗力のある細菌もいたと思う。だが,その抵抗力が生存に有利になった細菌はあくまでも「青カビに接触している細菌」に限られ,それは全細菌のごくごく一部に過ぎなかったはずだ。
 しかし,20世紀後半に作られた抗生物質のほとんどは化学工業的に合成された物質であり自然界には存在しないものだ。だから,それへの耐性能力は突然変異によって生まれたものと考えるしかないと思う(・・・このあたり,ちょっと自信ないけど)

 その意味で,多剤耐性菌は自動車とか兵器とか携帯電話と同じで,人間が作り出さない限りこの地球には存在しないものだ。となると,多剤耐性菌感染症で人が死ぬのは,交通事故で人が死んだり,兵器が人が死んだり,携帯電話を使った詐欺で人が騙されるのと同じではないだろうか。このアナロジーでいくと,「多剤耐性菌感染で人が死ぬことはあってはならないことだ」というのは,「交通事故で人が死ぬことはあってはならない」,「兵器で人が殺されることはあってはならない」,「携帯電話を使った詐欺で騙される人がいることは許されない」というのと同じだ,ということになる。これを実現するためには,抗生剤を作らず使わず,自動車を作らず走らせず,携帯電話を作らず使わず,とするしかないはずだ。クルマがなければ交通事故は起きないし,携帯電話がなければ詐欺に使うこともできない。
 耐性菌という文字を見ると,多くの人,マスコミは「耐性菌で病人が死ぬなんてあってはならない異常事態!」とヒステリックに考え,思考停止してしまうが,そういう人たちは「交通事故で人が死ぬなんて本来あってはならないこと」,「兵器で死ぬ人がいない世の中にしよう」と言っているのと同じだと思う。

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【ゴキブリの脳から新たな抗生物質?】
 この記事だけ読むと,ゴキブリの脳から抽出した抗生物質で耐性菌問題は解決,なんて考えてしまいますが,多分それは間違いでしょう。新たに見つかった「新抗生物質」はしばらくは有効でしょうが,いずれ細菌の方が耐性能力を獲得し,やがて効かなくなるはずです。
 ゴキブリ君は2億年前から地球上に生きている強靭な昆虫であり,上記の「MRSAや病原性大腸菌に効く天然抗生物質」を持っているから2億年間,病気にならずに生きてこられたんだろうと考えがちですが,これは間違いです。MRSAも病原性大腸菌も自然界には存在しなかったからです。病原性大腸菌やMRSAとゴキブリの脳が接触する機会がなければ,そもそも病原性大腸菌やMRSAにとってその「ゴキブリ脳の抗生物質」は存在しないのと同じです。だから,何もわざわざさらなる耐性を獲得する必要もなかったというだけのことです。
 多分,昆虫を調べれば新しいタイプの抗生物質,抗菌物質は続々と見つかると思いますが,それを臨床で使い始めたら恐らく数年で耐性菌が出てくるだろうことは,今から予言しておきます。

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 仙骨部褥瘡の写真である。まだ壊死組織は残っているし臭いもあるが感染症状(=疼痛,発赤)はないので,創周囲の皮膚の汚れを拭いて落としてOpWT(=穴あきポリ袋+紙オムツ)で覆っておくだけでいい。今時,この程度の褥瘡を見て「ポケットがあるから切開。壊死組織があるからデブリードマン。ゲーベンクリームかカデックス。しっかり創内を洗浄!」なんて考える医師・看護師は時代遅れですよね。

 まぁ,そんなことはどうでもいいが,こういう褥瘡を見ていていつも考えることがある。この壊死組織は細菌にとってどういう環境なんだろうか,写真で見ると厚さ数mmくらいの壊死組織が創面(=肉芽面)の上を覆っているようだが,これって細菌にとってどういう状態なんだろうか・・・と。
 細菌の大きさはだいたい1μm,つまり1/1000mmである。1mmの厚さの壊死組織といえば体長の1000倍に相当する。人間で言えば1500m,つまり1.5kmもの厚さだ。要するに,この壊死組織の一番下の部分にいる細菌にとっては,人間の上に厚さ1.5kmの巨大なものが覆っているようなものじゃないだろうか。ちょっと想像すると,その1.5kmの塊が全てが同じ均質だとと考えるほうが無理な気がする。水っぽいところもあればそうでないところもあるだろうし,酸素の多いところも少ないところもあるはずだ。もちろん違いはわずかなものだろうが,細菌にとってはその「僅かな違い」が一大事なのである。なぜかというと,細菌という生物は,自分の周囲半径数μmの環境が全てだからだ。数μmの環境のわずかな違いで他の細菌や微生物と棲み分けして生きているのが細菌なのである。
 そのように考えると,このわずか厚さ数mmの壊死組織でも細菌にとっては巨大・広大な環境であり,数μmごとに微妙に変化する酸素分圧とかイオン濃度とかタンパク質の組成でいろいろな種類の細菌や微生物が棲み分けていると考えるほうが自然だ。
 となると,この褥瘡を培養して細菌検査をするってどうよ,と思ってしまう。褥瘡の表面をぬぐって得られた細菌と肉芽面近くの細菌が同じということは考えにくいし,壊死組織の内部は嫌気性環境のためここに暮らす細菌は通常の培地では生えてこないだろう。
 また,「この褥創は感染している(・・・という診断自体が間違っているわけですが・・・)からゲーベンクリーム!」と塗りたくったところで,それは細菌にとっては「環境の変化」に過ぎず,環境が変化すればその環境に適した別の細菌に居場所を明け渡し,自分はもっと暮らしやすい環境を見つけるだけじゃないかと思うのだ。

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 例によって耐性菌の話を書くが,医者・医療関係者(の一部)もマスコミ(の全て)も,耐性菌という言葉を見ると思考停止してしまっているような気がする。つまり「耐性菌⇒抗生物質が効かない恐ろしい細菌⇒耐性菌で病気になると死ぬ」という単純な思考パターンに入り込んでしまって思考が停止してしまっているのだ。
 だが,いくら耐性菌といえどもそれですぐに人体に有害なわけではない。それは次のように考えるとわかる。
  • 「多剤耐性菌能力」と「その細菌が人体に対する毒素を持っていること」は別
  • 「傷口に定着していること」と「傷が化膿していること」と「病気を起こすこと」は別
  • 「患部に感染症状があり患部から耐性菌が検出された」としても,それが「感染起炎菌であるということ」は別
  • 「患者が死亡したこと」と「患者から耐性菌が検出されたこと」と「死因が耐性菌による感染であること」は別
 私が医者になった頃はMRSAが大きくクローズアップされた最初の時期だったように思う。あの頃はまさに「MRSA魔女狩り」状態であり,MRSAは悪魔の如く恐れられていた。抗生物質が効かないからだ。だから例えば,入院患者の小さな傷からMRSAが検出されたら問答無用で個室に隔離していた。悪魔を閉じ込めて封印するためだ。
 ちなみに当時,私は大学病院の一番下っ端の医者だったが,「MRSAが検出されたら隔離」というのはどうなんだろうかと思っていた。全ての患者の傷の細菌培養をして全員からMRSAが出てきたら全員を個室に隔離しないといけなくなってしまうからだ。これはどう考えても不合理だ。もちろん,下っ端の私はそんな疑問をおくびにも出さなかったけどね。
 そして何より,MRSAが検出された傷が治らないわけでもないし,MRSAが検出された患者さんがMRSAにより重体になったわけでもなかった。つまり当時の私には,なぜMRSAを大騒ぎして特別扱いしなければいけないのかが理解できなかった。もちろん,下っ端の私はそんな疑問をおくびにも出さなかったけどね。
 結局,いつの間にか「MRSAが見つかったら個室隔離」という対策は不要になった。だが,新たな多剤耐性菌が発見されるたびに医療現場は同じような騒ぎになったし,今回の「多剤耐性アシネト・バクター」はその延長線のような気がする。
 1941年にペニシリンの販売が始まり,「細菌感染にはペニシリン」が医療の常識になったその日から耐性菌は誕生した。だって,細菌だって生きていかなければいけないんだもの。つまり,耐性菌の生みの親は現代医学である。多剤耐性アシネト・バクターを生み出したのも医者である。自分で産み出しておきながら発見すると大騒ぎ,というのは何かおかしくないか?

 ちなみに昨日も,慢性膿皮症の患者さんが他院から紹介された。患部の皮下にはアリの巣のように瘻孔が形成されている。もちろん,「皮膚にできた傷」は黄色ブドウ球菌にとって絶好の環境だから黄色ブドウ球菌が定着しているし,治療として抗生物質が投与されているからMRSAが検出される。まさに自然現象である。
 ここで前医は,MRSAが検出されているという理由でバンコマイシンを長期に投与していたようだ。MRSAがいるから慢性膿皮症が治らない,MRSAさえいなくなれば治るはずと考えたのかもしれないが,これなども「細菌(耐性菌)が見つかったから病気の原因だ」という思考停止の典型である。
 MRSAだ,多剤耐性緑膿菌だ,抗生物質が効かないアシネト・バクターだと大騒ぎする前に,すべての医者は細菌学を基礎から学び直したほうがいいんじゃないかと思う。細菌とはどういう生物かも知らずに対策を立てるのはナンセンスだし,大騒ぎしても何も解決しない。まず相手を知ることだ。対策を考えるのはその後でいい。

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【<帝京大院内感染>「2月に菌の増加把握」防止担当医ら供述】
 例によって暴論を書きます。
 病院は病人がいるところです。とりわけ,大学病院はより重症の病気の人がいるところです。当然,「何とか生きているが,いつ死んでもおかしくない」状態の人が多数います。それが大学病院です。そういう人を一日でも長く生かすために抗生物質も使うし免疫抑制剤も使うし,体にはさまざまな管が入っています。これは細菌側から見ると,普通では増えないようなひ弱な耐性菌が生きていける環境になっています。だから,大学病院でこういう院内感染が起こるのを100%防ぐのは不可能です。要するにこれは不可抗力の事故と同じです。泥棒に絶対に入られない家を作れないのと同じです。
 「院内感染は一例も起きてはならない」,「病人が院内感染で死ぬなんて言語道断」というのがマスコミの論調ですが,これこそ暴論というべきでしょう。感染症で死んではいけないというのなら,病人は何で死んだらいいのでしょうか。感染症で死ぬのは不幸で,感染症以外で死ぬのは幸福だとでも言うのでしょうか。
 今回の帝京大学病院はこの耐性菌による死亡の第一例目に過ぎません。いずれ,どの大学病院でも発生します。
耐性菌で死ぬ人をゼロにするのは簡単です。医療を19世紀に戻して抗生物質以前の時代に戻すだけで達成できます。そうすれば耐性菌は発生しなくなり,耐性菌で死ぬ病人もいなくなります。クルマを廃止すれば交通事故がゼロになるのと同じです。

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【スーパー細菌「パニックになる必要はない」】
 あらゆる抗生剤が効かないスーパー細菌がニュースになっている。まだ情報を集めていないのでどう判断すべきかよくわかっていないのだが,これまで何度も登場した「抗生剤が効かない恐怖の細菌」列伝を回想すると,それほど大したことはないような気もするのだ。
 これまでも,セフェムもペニシリンもカルバペネムも効かない細菌は何度か登場した。抗生剤が効かないということは人類はその細菌に対する武器がないということだ。いかにもこの細菌で人類は危機を迎えそうだが,局所的・個別的な被害はあったものの,人類を危機に陥れるような活躍はしていない。

 「多剤耐性菌は分裂速度が遅い」というのは生物学の大原則のようだ。耐性能力を獲得するためには新たな遺伝子を獲得する必要があり,そのために遺伝子の複写に時間がかかってしまうからだ。
 今回の「スーパー細菌」の世代時間はまだ調べられていないと思うが,分裂するのに要する時間は長いと予想される。このため,同じ環境で生息する他の細菌との競合になった場合,優勢種になることはないはずだ。つまりこの細菌が安定して生息できるニッチとは,他のあらゆる微生物が生息していない「無菌的環境」をどこかに見つけるしかないはずだ。問題は,そういう「細菌が生息できるが他の細菌が全くいない」場所をこのスーパー細菌が見つけられることができるか,である。

 すでに細菌が定着している環境があり,そこに新しい細菌が入り込もうとしている状況を考えてみよう。この新しい細菌がその環境で優勢種となるためには,以前から定着している細菌より速く分裂(=世代時間を短くする)するしかない。早く分裂するしか,そこで棲息域を獲得できる手段がないからだ。そのためには分裂速度を上げるしかなく,分裂の遅い細菌はその環境に侵入することすらできない。
 自然界とは,このような「分裂速度競争」に勝った細菌がそれぞれのニッチを獲得していることで作り上げられているのだ。
 新たに生まれた「新種の耐性菌」はこのような環境に放り出されるわけである。彼らにとってはかなり過酷な環境であり,生き延びるのは難しいのではないかと思われる。
 細菌にとって人体は「生息環境の一つ」に過ぎず,既に常在菌などの生息域になっている。こういう場に放り出されたスーパー細菌が生き延びるとしたら,医者が持続的に抗生剤を投与して他の細菌の殺してくれなければいけない。

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【モスク建設問題,全米レベルの争点に拡大】
 「なぜわざわざその場所を選んでモスクを建てる?」というのが自然な考えじゃないでしょうか。モスクを建てるのは自由だけど,建てるにしても場所を選ぶのが良識というものだと思います。
 アメリカ政府としてもニューヨーク市としても,モスクを建てたいという申請に対し,それを拒否することは法的にも建前上もできません。「自由を何より重んじる」という建前があるからです。恐らく,モスク建設側はそこらも読んでグランド・ゼロにモスクを建てようとしているのでしょう。
 「斧は切ったことを忘れるが,切られた木は痛みを忘れない」というのはどこかのことわざだったと思います。どの国もどの民族もどの文化も,ある時には「斧」であり,ある時は「木」でした。だから,「木」であった被害者意識を理由に今度は「斧」になろうとします。かつて「斧」であったことを忘れて「木」として振舞おうとします。
 今回のグランド・ゼロのモスク建設問題がどのように決着するかは全く不明ですが,イスラム側は「斧」になってはいけないと思います。そういう遠慮なり配慮なりがあってもいいと思います。グランド・ゼロ跡地でなければ祈れない,ということではないのですから・・・。

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【ホメオパシーと自然なお産の奇妙な関係】
 自然に備わっている能力,とは何かを鋭く追求しています。
 お産は「自然な現象」です。しかし,他の動物と異なり,人間の場合には「自然にお産させる」ことは極めて危険です。簡単に赤ん坊が外に出られないような体の構造をしているからです。おまけに赤ん坊の頭は大きいです。だから,「自然にお産する」時代は出産は常に死と隣り合わせでした。お産という自然現象からすると,人間の体は欠陥商品です。「自然なお産」というのは言葉としては美しいですが,人体の構造を無視した幻想に過ぎません。

 欠陥商品といえば,人間の皮膚も欠陥商品です。大気中という環境でしか生活できないのに,大気中では皮膚の傷はなかなか治らないからです。傷を治す能力は人体に「自然に備わって」いますが,その能力は「自然状態」では発揮されず封印されたままです。だから,皮膚の傷を治すには自然にありえない「湿潤状態」という人工的環境を作り出さざるを得ません。しかも,傷を治すために湿潤状態を作ってやると,今度は傷の周りの皮膚にトラブルが起きてきます(接触性皮膚炎が起きたり,汗疹ができたり・・・)。皮膚の傷を治療していると「なぜこんなに融通が利かないんだ」と皮膚に文句を言いたくなることがよくあります。
 自然な状態では絶対に発揮されない能力を「自然治癒力」と呼ぶのは,私にとっては腑に落ちません。生まれながらに備わっているが,人為的にしか引き出せない能力,それが創傷治癒です。
 「手作り化粧品では必ずグリセリンを入れますが,これはどうでしょうか?」という質問をよく頂きます。私は化粧品の研究者ではないのでよくわかりませんが,非常に乏しい化学の知識からすると「グリセリンは保湿剤」という化粧品業界の前提自体がインチキではないかと思います。
 グリセリンは水素結合で水分子と結合します。その意味では「水分子を保持」します。しかし,「水分子を結合している」ことと,「結合した水分子を他の物質に与える」ことは全く違っています。「金持ちは金を沢山持っているが,他人に分け与える能力を持っているわけでない」のと同じじゃないかと勝手に解釈しています。
 分子の結合の強さでいうと,水素結合はワンデルワールス力の10倍の強さです。このため,水分子同士が水素結合で繋がっている「水 H2O」は,「水素結合で連結していない同じ分子量の他の物質」よりはるかに沸点が高いらしいです。ということは,水素結合を切り離すにはそれ相応のエネルギーを外部から投入しなければならない,ということでしょう。もちろんこれは,グリセリンでも同様であり,グリセリンと水分子を切り離すにはエネルギーが必要はなずです。
 さらに,健常な皮膚はそもそも水を吸収する能力を持っていません。
 以上から,皮膚にグリセリンを塗ると,汗腺から出た汗と不感蒸泄の水分はグリセリンに吸着されるだけで,皮膚の水分量自体は変化しないはずです。
 というわけで,健常な皮膚にグリセリンを塗っても悪さはしないと思いますが,傷のある皮膚に塗ったら確実に状態を悪化させるんじゃないでしょうか。  このように考えますが,化学の専門の先生がいらっしゃったら,正しい知識をご教示いただけないでしょうか。

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 一昨日のテレ朝「スーパーJチャンネル」の放送後,またもたくさんの質問メールを頂きましたが,その多くが「心臓の手術の傷跡が盛り上がって困っている。何とかできないのか」,「婦人科手術の傷がケロイドになりひきつれてて痛い。湿潤治療で治らないのか」というものでした。
 もちろん解答は簡単で,「術後のケロイドなどは形成外科で治療しています。全国どこの形成外科医でも治療できますので,お近くの病院の形成外科を受診してみてください」です。
 形成外科医からすると「ケロイド,瘢痕拘縮は形成外科で治療する・治療できる」のは常識なのですが,問題は,それを知っている医者が形成外科医だけという点にあります。つまり,ケロイドを発生させる確率の高い手術をする心臓外科医や産婦人科医は,手術の結果生じたケロイドの治療法を知らないし,紹介先も知らない,ということになります。だからこそ,すりむき傷の治療でテレビに出た私にケロイドの治療に関する問い合わせが殺到しているのでしょう。
 この問題の解決は簡単です。心臓外科や産婦人科の専門医試験に「術後ケロイドの治療は形成外科に紹介する」という項目を付け加えるだけです。これだけで,救われる患者さんはかなりいるんじゃないかという気がします。

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【酷暑 断食中断OK UAE政府 「健康害する恐れ」】
 ご存知のようにイスラムの世界ではラマダン(断食月)期間中は,太陽が登っている間は食べ物どころか唾さえ飲み込むことが許されません。さすがにそれでは,今年のような猛暑(UAEでは50℃を超える日もあるとか)ではいくらなんでも水分補給をしないで屋外労働するのは生命の危険がある,という非常にまともな判断です。
 ところが,このUAEの判断に対し,サウジアラビアの宗教界が「イスラム教の根源を踏みにじるものであり許されない」と猛反発しているそうだ。「命より宗教が大事」というのがサウジアラビアの立場のようです。

 ちなみにラマダンの時期は毎年異なります。イスラム暦(ヒジュラ暦)で決めるからです。イスラム暦は太陰暦であり,1ヶ月は29.5日となり,1年は354日となり,1年ごとに太陽暦と11日ずつずれていきます。つまり,3年経つと1ヶ月季節と暦がずれていきます。普通なら,これではすごく不便なため(季節と暦が全然合わないため,農業などにはまるで使えない),昔の日本のように「閏月」を置くのが常識なんですが,イスラム暦ではそれすら邪道と考えているようです。だから,真夏にラマダンがきたりして,生活上,とてつもない不便を強いられることになります。ここでも「生活より宗教が大事」という論理が働いているようです。

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【不明者は20都道府県計87人 100歳以上,新たに12人】
 ふと思ったのだが,人の生き死には国家が把握しておくべき情報なのだろうか。
 もちろん,正確な人口を把握するのは大切な仕事という気がしないでもないが,なぜ正確な人口を知る必要があるのか,何のために人口を知るのかと考えると,なかなか必要性が浮かんでこない。私が思いつくのはせいぜい,地方交付税は地方自治体の人口に応じて交付されるかとか,議員定数の計算に必要だからとか,その程度の理由くらいしか思いつかない。
 他にもっと大切な理由があるのかもしれないが,個人としての国民が受けるメリットはほとんどなく,「マスとして地域」が受け取るメリット程度である。どう考えても,国民一人一人の生死をお上が把握したことによるメリットは,一人一人の国民には還元されていないような気がする。
 家族が死んだら死亡したことを地方自治体に届け出るが,それは,届け出ないと火葬場で死体を焼却できないし,遺骨を埋葬できないからだ。死体をそこらに放り投げておくと法律に触れるからだ。要するに,死亡したことを届け出ないと罪になるからであり,逆に,死亡したことを届け出たことによる実利はあまりない。届け出ることが義務だから,届け出ないと罪になるからというような,消極的な意味合いしかない。

 その地域に暮らす人間の数を正確に把握したいという欲求はいつ生じたものだろうか。多分,「税金を簡単に徴収したい」と考えた為政者がいて,住民の頭数で納税額を決めたら簡単じゃん,と気づいたのが最初じゃないだろうか(・・・単なる思いつきなんで根拠なし)。いわゆる「人頭税」である。だから彼らは住民に,「子供が産まれたら申告せよ,親が死んだら申告せよ。申告を怠ったら重罰に処す」としたわけだ(・・・単なる思いつきなんで根拠なし)。住民の方は,税金を取られるのもイヤだが,申告しなかった場合の罪の方が遙かに重いから,嫌々ながら申告する方を選ぶ。かくして,地域住民の数は正確に把握でき,徴税もスムーズに進むわけだ(・・・単なる思いつきなんで根拠なし)
 さすがにこれでは「やらずぼったくり」だから,「住民の数に応じて自治体に金を配分しますよ」とか,「住民の数に応じて議員の数を増やしますよ」とかでバランスを取ったつもりになったのだろう。単なる邪推だけど・・・。

 「100歳以上の人たちが生きているか死んでいるか,行政は全く把握していません」という報道をみると,それはけしからん,行政は責任を持って住民を把握すべき,という方向に議論が進んでしまうが,これはどうなんだろうか。
 例えば,私は自分が死んだとしても,その情報は身内の数人が知ればいいだけだと思っているからだ。私が死んだことを地方自治体に知ってほしいとは思わないし,地方自治体が金をかけて私が死んだことを調査してほしいとも思わない。誰にも知られずにどこかでのたれ死にしたとしても,それは私の勝手である。
 人口を正確に把握することにそもそも意味があるのか,あったとしても,それは誰のための情報なのか,ということは問い直されるべきだと思う(もちろん,遺族年金なんて問題も絡んでくるけどね)
 仮に,人口を国家が把握すべきだとしても,それはサンプル調査で十分なはずだし,いくつかの地域を徹底的にサンプル調査した方が,よほど正確な値が得られるような気がする。

 ちなみに,国家が「すべての国民の生死」を把握するのは簡単だ。生まれたときにマイクロチップを体のどこかに埋め込むだけでいい。そうすれば,野垂れ死に死体がどこの誰かはすぐに分かってしまうし,「行旅死亡人」という言葉も死語になるはずだ。もちろんこれで「100歳以上の行方不明のお年寄り」はいなくなるが,それが幸せな社会かどうかは別問題だ。

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 「これって細菌の目からするとどうなんだろう」とよく考えます。
 例えば,「厚さ1ミリの壊死組織」は細菌からすると「体長の1000倍の厚さを持つもの」です。人間に例えると,体長の1000倍というと1〜2キロになります。1000メートルというと,ふもとと頂上では生えている植物は違うし,生物相も違います。となると,厚さ1ミリの壊死組織だって,表面と一番下では細菌叢は異なるんじゃないだろうか,なんて考えたりするわけです。
 あるいは,0.01mmの隙間は私たちにとっては「隙間のない状態」ですが,細菌にとっては体長の10倍もの隙間,人間では10メートルの隙間です。これからすると,「物理的に細菌の侵入を防ぐ」なんて夢物語にしか思えなくなります。人間にとっては「封鎖したつもり」でも,細菌にとっては「隙間だらけのスカスカ状態」だからです。

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【手を使わずに楽譜をめくるiPadアプリ】
 私がまだピアノサイトを運営していた頃,絶版となったありとあらゆるピアノ楽譜をPDFファイルに変換しようという試みをしていました。現在のGoogleのプロジェクトみたいなものです。そしてその頃から,「ピアノの譜面台を液晶にして楽譜PDFファイルを表示できるようにし,左足で譜めくりできるような機能をピアノのペダルに加えたら,古今東西のあらゆるピアノ楽譜を収めて,しかも譜めくりも楽なピアノが作れるよね」と考えたりしました。
 あの当時(今から8年前)では,これはまだ夢物語でしたが,ついにiPadで現実のものとなりつつあるようです。すごい時代になったものです。とはいっても,iPadの画面はピアノ楽譜には狭すぎます。ピアノ楽譜を表示するためには,A3より大きなサイズの液晶が必要です。そして,指使いなどを書き込めるような機能も必要です。もちろん,手を使わずに譜めくりできる機能も必須です。
 このような機能を全て備えた「液晶譜面台」を持ち,ハードディスクに古今東西の楽譜データを収録したピアノが作られたら,ピアノ演奏家,ピアノ愛好家にとっては夢のようなピアノが実現するはずです。

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 宴会などの席でよく,テレビ出演ではどのくらいの出演料をもらえるの,という質問をいただきますが,実は全くゼロ,無報酬です。プロダクション・芸能事務所に所属していらっしゃる先生ならギャラが出るのでしょうが,私のよう「一般の医者」の場合には出演料は一切出ていないはずです(・・・もちろん,私だけ無料という可能性もあるけど・・・)。ボールペン1本を貰えたらいいほうです。
 長時間の収録でお弁当が出たことはありましたが,そのスタジオへの移動は自腹でしたから,冷静に計算するとマイナスなんですね。もちろん,治療の宣伝をしてもらっているんだから足代くらい自分で出すのは当たり前なんですけど。

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【<医学系学会>「利益相反に指針」2割 透明性確保進まず】
 例えば,高脂血症という病気があります。「総コレステロール値が220mg/dl以上」なんて基準があるそうで,この値以上になると高脂血症という病気であることがわかり,内服薬治療が始まります。ということは,「230mg/dl以上」という基準にすると患者は恐らく半減し,「210mg/dl以上」という基準にすると患者数は倍増するはずです。2008年ころまで,世界で最も売れた処方薬は高脂血症治療薬のリピトールで10年間,首位の座を守っていましたが,高脂血症の基準値がもうちょっと高い値に設定されていたら,もしかしたらリピトールは「世界で最も売れている処方薬」ではなかったかもしれません。

 要するに,高脂血症にしろ高血圧にしろ,基準値によって患者数は増えたり減ったりします。これを私は「北斗の拳」と呼んでいます。北斗の拳ではケンシロウに「お前はもう死んでいる」と言われないと相手は自分が既に死んでいることに気が付きませんが,高脂血症では医者に「お前はもう高脂血症だ」と指摘されて初めて,相手は自分が患者だと知るのです。もちろんこれは,他の代謝性疾患にも言えます。ケンシロウの役を「基準値」が果たしているわけです。
 高脂血症の基準値を決めたのは高脂血症の専門家です。当然,高脂血症治療薬の開発に携わった医者もいるし,血中コレステロールの値と心血管疾患の発生について研究したい者もいます。その研究には莫大な資金が必要であり,その金は天から降ってくるわけはないので,誰かから出してもらわなければいけませんが,高脂血症の診断や治療に無関係の人間が金を出すわけはありません。金を出すのはあくまでも「関係者」です。
 そうやって,「高脂血症の基準値を210mg/dlにするか,220mg/dlにするか,230mg/dlにするか」という議論が学会で始まるわけです。値をわずかに低くするほど患者が増え,薬の売上は上がります。医者にとってもメーカーにとってもうれしい話です。
 こういう疾患に対し,利益相反を排除することは本当にできるんでしょうか。

 例えば,肺炎の患者が病院を受診するのは「熱が出て呼吸が苦しい。何とかしてくれ」という場合ですし,骨折の患者は「足を強打して痛くて歩けない。もしかして骨が折れているんじゃないか?」と受診します。そこらを歩いている人に「肺炎の検査をしませんか,骨折かどうか調べませんか?」と声をかけても相手にされません。要するに,外傷にしろ感染症にしろ,病院を受診するかどうかは患者が決めます。ケンシロウ先生の役割はせいぜい,「もしかして骨折してませんか?」という患者の予感に決着をつけることに過ぎません。
 このあたりが,「検査データを見て初めて異常に気がつく」多くの代謝性疾患との違いです。検査を受けに来た人の大半は自分が異常であるとは気がついていないため,ケンシロウ先生に「お前はもう高脂血症だ」と言われて突然患者に変身するわけです。

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【小惑星ルテティアに「超接写」】
 「別にたいしたことない写真」のようですが,被写体の小惑星ルテティアのサイズ(直径134km),撮影した彗星探査機ロゼッタとルテティアの距離(3162km),そしてロゼッタの速度(秒速15km)がわかると驚きます。
 まず,ルテティアのサイズですが,直径134kmというと東京都(東西90km,南北28kmくらい)より遥かに大きいです。東京駅から直線距離で伊豆の下田,日光が130kmですから,「東京から伊豆半島全体」が星になって宇宙空間に浮いているわけです。
 探査機ロゼッタと小惑星ルテティアの距離は3162kmですが,これは東京駅から計測すると中国の成都,モンゴルの首都ウランバートルまでの直線距離に相当します。
 さらに,探査機ロゼッタの速度は秒速15kmですから,「東京駅〜日光の直線距離なら9秒」という超高速です。時速にすると,54,000km/hrとなります。地球の周径が4万kmですから,40分ほどで地球1周しちゃう,ものすごいスピードです
 というわけでこの写真は,「東京都全体より大きな小惑星」に,「ウランバートルまで近づいた」「東京〜日光を9秒で移動する観測機」から撮影した写真なのです。これってすごくないですか?

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 参議院選挙では「民主党の負け」が確定だが,そもそも日本に二大政党制は必要なんだろうか。二大政党制とはそもそも,社会が二つの階級(階層)にわかれているとか,国が二つの地域に分かれて争っているとか,そういう社会背景をバックに生まれたんじゃないかと思う。要するに,社会の要請として二つの政党が生まれる必然性があったのではないかと思う。
 ところが,現在の日本ではそのような状況はない。だから,二大政党のマニフェストを見ても,どちらかを選べと言われても困ってしまう。Aという政策では民主党支持,Bという政策では自民党,Cという政策では別の政党,D政策では民主党と自民党が共通・・・という具合に,政策ごとに国民の支持はキメラ状態だと思う。要するに,民主党の政策を全面肯定して民主党に投票する人もいなければ,民主党の政策を全面否定するために自民党候補に投票する人もいない。要するに,個々の政策については「是々非々」という態度の人がほとんどではないかと思う。
 こんなことなら,各項目・各争点ごとに国民投票でもした方がよほど「民意」に叶うんじゃないの,なんて思ってしまうが,直接選挙制を取るカリフォルニア州で何が起きたかを見れば,これもまずいことがわかる。少数意見,少数派の抑圧に選挙制度が使われてしまったからだ。
 要するに,「人口が少なくて,多民族国家でなくて,住民の考え方が均質」なら直接民主制が最も効率がよく,「人口が多く,考え方が雑多だったり多民族国家」な国家では,どんな選挙制度にしても必ず弊害がある,ってことか。「多数決で決めるけど,少数派の意見も尊重」というのは建前としてはありだけど,最初から矛盾しているもんね。

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 顔面多発裂挫創の若い女性がみえられました。前日の交通事故によるものですが,茨城県の中核病院の一つで縫合処置を受けたらしいですが,その際,「この傷はきれいに治らない。傷跡は必ず残る。ケガをしたのだから諦めろ」と説明を受けたそうです。
 その説明に怒り心頭の患者さんは,治療が終わった待合室で携帯電話でネット検索してすぐに本サイトを見つけ,こんなにきれいに治せる病院が近くにあるのならそちらで治療してもらおう,「この傷はきれいに治らない」という病院では絶対に治療を受けたくない,ということで翌日受診されました。
 もちろん,多発裂挫創ですからすぐにきれいにとはいきませんが,1週間も経てば結構きれいになるし,さらに1ヶ月くらい経てばほとんどの部分はかなり目立たなくなるだろうと確信を持って断言できます。患者さんと親御さんには治療例の写真を見せながら,「傷一つないとはいかないけど,このくらいまでなら治るよ」と説明しましたが,とても安心されたようでした。

 
以前も書いたことですが,最近は患者に対する病状説明,治療説明ではまず最初に「治らないことがある」「重篤な合併症が起こる可能性がある」という言葉から始めるのが常識です。万一,患者から訴えられた時のために,前もって「治らない病気(ケガ)であり,合併症が起こって死ぬこともある」と説明しておくわけです。最初から「あなたはこの病気で死ぬことがある」と言っておけば,どんな合併症が起きても患者は最初から死ぬと信じていますから合併症ごときで訴えられることはないだろう,という計算が働いているわけでしょう。
 要するに,医者の保身のためなら,患者が絶望しようと知った事ではない,自分の説明で患者が絶望して自殺しようが自分さえ訴えられなければいい,という考えにたった説明法と言っていいでしょう。

 しかし,私はこういう考え方が大嫌いです。患者の不安を取り除くことが医者の仕事であり,不安を取り除くことが治療の第一歩だと思っているからです。だから私は怪我人やヤケドの人が受診されたら,まず最初に「これは○日くらいで治ります。傷跡もそんなに目立たなくなります。安心してください」という言葉で治療を始めます。

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【ラノベの「表現流用」でまた絶版 「作家として最もやってはいけない行為」】
 デジタル書籍が一般的になり,「文章を書くこと」と「それが本として流通すること」の垣根が極めて低くなったら,こういう「表現流用」は今後ますます増えるんでしょうね。
 従来の出版形態だと,出版社の目にとまらない限り本は出せず,「文章を書く⇒出版する」の間には膨大な数の「垣根」がありましたが,その「垣根」が低くなれば誰でも「本の書き手」になれるために「本の書き手」が増え,出版物(=デジタル書籍)が増加します。一方,内容をチェックする「プロの編集者」の数はすぐに増えませんから,必然的にチェックは甘くなります。
 同時に,「とりあえず出版して売れるだけ売り,表現流用が見つかったら絶版にする」という姿勢の出版社が増えていくと予想されます。デジタル書籍として出版することで手一杯で内容のチェックをする時間も人材もないからです。別の言い方をすれば,「読者にチェックを丸投げ」ということになります。

 な〜んてことを書いていて,「これって医学や科学ではもうあたりまえだよ」ということに気が付きました。詳しくはこの本をお読みいただきたいのですが,この本では,科学の分野全体で「文献重視,文献量重視の風潮は必然的に,科学雑誌,医学雑誌を増やし,さらにこれが論文氾濫にさらに拍車をかける」というように説明しています。一方で「科学論文,医学論文の99%は引用されない(=まともに読まれていない)」という現実があります。つまり,日々量産される論文は「書き手の実績」になるのみで,「科学の発達にはほとんど全く関与していない」ということです。
 当然,論文の内容チェックは甘くなっていきます。論文の書き手ばかりが増えて,内容をチェックするプロの編集者は増えていないからです。誰もが引用する有名論文では内容はチェックされますが,読まれもしない論文の場合,「読み手によるチェック」はありません。つまり,盗用しようがウソを書こうがやりたい放題,の世界になっていきます。「科学論文の99%は引用されない」からです。

 というわけで,上述の本の解説にも書きましたが,英語の医学論文を1年間で10編書くのなんて簡単です。それこそ素人にもできます。日本国内の〇〇大学医学雑誌に掲載された英文論文(=その大学内でも誰も読んでいない)のタイトルと著者名を変え,本文にもちょっと手を加え,国内の▲▲大学医学雑誌に投稿しちゃうのです。もちろん,海外の超マイナー雑誌でも構いません。そういう超マイナー雑誌では査読も内容チェックもしていないからです。超マイナー雑誌の論文に手を加えて国内の◆◆大学医学雑誌に投稿してもいいでしょう。国内の「●●大学医学雑誌」はインターネット検索で内容が調べられませんから,盗用がバレる可能性は限りなくゼロです。まして,「重箱の隅を爪楊枝でほじくる」ような実験についての論文の場合,そもそもその分野に興味を持っている研究者自体が極めて少ないため,そういう分野の論文を狙えばバレる可能性はほぼないはずです。

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 ある女性から,乾燥肌について次のようなメールを頂きました。
 これまで毎年のように秋口になると腕や下腿の乾燥肌がひどく,激しい痒みに悩まされてきました。
 そこでこのサイトを見て,穴あきポリ袋とワセリンで治るんじゃないかと思い,穴あきポリ袋の代わりにラップに切れ目を入れて創部を覆い,ワセリンを併用してみました。同時に,ボディソープは捨て,週に1日だけ石鹸で体を洗い,他の日は湯船に浸かるかシャワーのみにしてみました。洗髪は極少量のシャンプーだけで,ハンドクリームがわりにワセリンを使っています。
 そうしたら,今年の冬は痒みに悩まされることなく,快適に過ごせました。本当に助かりました。
 ラップに切れ目を入れるのはナイス・アイディアですね。ボディソープとシャンプーを思い切ってやめてみたのも良かったと思います。なにはともあれ,長年苦しめてきた「痒み」がなくなってよかったです。

 こういう症例を多数見てくると,病名はなんであれ,「痒み」を主症状とする様々な皮膚科疾患(アトピー性皮膚炎,〇〇皮膚炎,痒疹,皮膚掻痒症・・・)の「痒み」は,創面(皮膚)の乾燥が主な原因であり,ボディソープで洗う,シャンプーをするといった日常動作が増悪因子ではないかと考えてしまいます。同時に,これらの疾患に抗ヒスタミン剤がほとんど効いていない理由も見えてきます。これらの「痒み」の発言に,そもそもヒスタミンが関与していないのです。だから,抗ヒスタミン剤をいくら投与しても「痒み」はよくなりません。

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 そういえば,27日の東京中野サンプラザでの講演のあとで,何人かの先生から「近くの創傷ケアセンターに患者を紹介したら消毒,ゲーベンガーゼの治療をされて傷が深くなった。なぜ,湿潤治療でないのに創傷ケアセンターと名乗っているのですか?」という質問されました。翌日の美容外科学会の会場でも講演後,同様の質問をいただきました。
 結果から先に書くと,
ミレニア社が各地の病院に作っている「創傷ケアセンター」は駄目治療を行っているところが多いようです(全てダメとは言わないけど)。同社は「アメリカの先進的糖尿病足の治療を日本に導入する」ことを目的に設立され,「アメリカ医学が世界の最先端,アメリカの治療に間違いはない」ことを前提にしています。だから,アメリカにない治療は間違っていると考えています。だから,消毒とゲーベンのような時代遅れの治療(=アメリカでは最先端の治療)をしている医者がいるわけですね。
 とりあえず,本サイトの「湿潤治療医師リスト」に載っていない「創傷治療センター,創傷ケアセンター」への受診,患者紹介はちょっと考えてからにした方がいいと思います。「アメリカで行われている一時代前の傷治療」を受けたいなら別ですが・・・。

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これまで沖縄料理で唯一未体験だった2大巨頭,ヒージャー(山羊)汁とイラブー(ウミヘビ)汁をついに食べてしまいました。
 ヒージャー汁は匂いが強烈なことで知られていて,かの東海林さだお氏も「一瞬にして鼻が曲がり,顔まで曲がってしまった」,「山羊小屋に3年間敷き詰めた藁を東京ガスで煮込んだような強烈な臭気」と表現されているほどです。
 で,食べてみましたが,これは楽勝でした。確かに「これは獣の匂いだな」という匂いですが,肉の臭みは大したことはないし,あえて言えば汁にちょっと独特なケモノ臭があるくらいで,これなら十分に食べられます。
 ちなみに,一緒に行った南部徳洲会病院の先生から「これを食べちゃうと,夜眠れなくなっちゃって困るよ」と注意をいただきました。もちろん,体の「あの部分」が元気になりすぎちゃう,という意味なのですが,私の場合,待てど暮らせど,反応なし。ううむ,話,違うじゃないか。

 で,翌日はイラブー汁。薬膳の材料で真っ黒な鱗に包まれた蛇肉とテビチ(豚足)を煮込んだものでしたが,こちらの方は普通の薬膳スープと美味しいお肉,といった感じでした。ウミヘビの肉は癖がなく,真っ黒な皮も美味し食いただきました。
 ちなみに,食堂のおやじさんから「これを食べちゃうと,夜眠れなくなっちゃって困るよ」と注意をいただきました。もちろん,体の「あの部分」が元気になりすぎちゃう,という意味なのですが,私の場合,待てど暮らせど,反応なし。ううむ,話,違うじゃないか。
 というわけで,ヒージャーもイラブーも,私の体と相互作用することなくただ通過したのみでございました。強いて言えば,夜遅くまで飲んでいたのに,翌朝の二日酔いの程度がちょっと軽かったのが「効果」だったかも知れません。

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 日本形成外科学会から今年もまた「年会費未納。とっとと金を払え!」という督促状をいただきました。もちろん,会費なんて払うつもりはありませんから,速攻でゴミ箱に捨てました。
 なぜ年会費を払わなくなったかというと,
ここにも書いたように徳島大学形成外科教授(現在の日本形成外科学会理事長)から,「こんな熱傷治療(=湿潤治療)を続けるなら形成外科の専門医として認めるわけにいかない」と恫喝されたからです。学会理事(当時),大学教授という地位と権威を振り回してペイペイの医者を脅したわけですね。
 確かに,「大学病院形成外科が皮膚移植しないと治らないと断言した症例が,ラップで2週間で傷跡ひとつ残らず完治した」なんて症例を提示し,「現時点では,熱傷で大学病院形成外科・皮膚科を受診するのが最も危険」と言われちゃ,日本形成外科学会理事長としては聞き逃すわけにはいかなかったんでしょうね。
 でも,恫喝された方もこのまま引き下がるのも癪です。一寸の虫にも五分の魂ですよ。私はこういう恫喝を前にして,「わかりました。熱傷の湿潤治療は止めますから,どうか日本形成外科学会専門医として認めてください」と泣きついて謝るほど頭がよくありません。逆に,こんな恫喝に屈するくらいなら学会を辞めてやる,専門医の資格もいらない,とキレちゃったわけです。地位と権力を振りかざす相手に泣き寝入りしたら男が廃りますよね。

 学会から抜けてみるとわかりますが,実に清々しい気分です。学会に意味のない無駄金(=学会費)を払う必要もないし,専門医の資格を維持するために役に立たない講習会に参加する必要もなく,論文を書くためのネタ探しに汲々とすることもなくなりました。何より,「学会から追い出すぞ」と脅されても怖くない,というのがいいです。講演で演者紹介の際,「〇〇学会評議員,▲▲学会理事,◇◇学会専門医」なんていう肩書きが全然ないのがちょっとカッコ悪い程度です。
 というわけで,来年の今頃もまた「学会年会費を払え!」と督促状が舞い込むでしょうが,その時また,このコーナーに同じ話を蒸し返そうと思っております。書かれるのが嫌なら,督促状を送ってこないでね。
 それにしても,学会の方から勝手に「学会から出て行け!」と言っておいて,「でも年会費だけは払えよ!」というのがこの学会です。こういうのを私は業突張りと呼びます。

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 虫刺されで受診される患者さんが増えてきましたが,フィルム材(オプサイト,テガダーム,パーミロールなど)かハイドロコロイド被覆材(デュオアクティブ),プラスモイストを貼るだけで痒みはすぐに治まるようです。ステロイド軟膏も抗ヒスタミン剤も不要です。虫に刺されたことによる皮膚炎が痒みの発端ですが,その後は乾燥が痒みを増強させるようです。
 というわけで,痒みに関する従来の理論(=ヒスタミンが局所で遊離して末梢神経に作用して・・・)が根底からひっくり返ってしまうんではないかと・・・。

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【iPadを買って,使って,考えた電子書籍に保守的な日本出版業の未来】
 本の書き手という立場から考えた電子書籍の可能性,という記事です。「私が出版社だったら,印税を5倍にして有能な書き手を囲ってしまうんだけど」というあたりは面白いです。

 これに関連してですが,本の書き手という立場から,電子書籍のメリットの一つは「1冊の本にするために内容を無理やり水増ししなくても済む」ということじゃないかと思います。例えば,新書1冊を書こうとすると最低でも値段は580円くらいですから,それに見合うページ数(200ページくらいかな?)が必要になり,本の書き手はそれを文字で埋めなければいけません。
 この文字数を埋めるだけの「書きたいこと」が書き手にあれば問題ありませんが,「この内容なら原稿用紙50枚もあれば十分」という場合が少なくないことです。しかし,本にするためにはそれでは全然足りません。そのため,1冊の新書とするためには,過去の思い出とか,関連するよしなし事とか,あまり関係ないけどちょっと関係のある写真を並べるとかして「水増し」するわけですね。「一冊の本」という「形」にするために必要な水増しです。
 でも,電子書籍なら無理に厚くする必要はありません。原稿用紙20枚で30枚でも1編の論文でも「出版」できます。
 おそらくこれが,電子書籍の最大のメリットでしょう。

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 先週金曜日,千葉県での講演で久しぶりにJR千葉駅に降り立ちましたが,タクシー乗り場がわからず,ちょっと右往左往してしまいました(人に尋ねるのもカッコ悪いし・・・)。そういえば,前回千葉駅からタクシーに乗ろうとした時も乗り場がわからなくてウロウロしたことを思い出しました。私,全然,進歩してませんな。
 それはさておき,千葉駅に初めて行ってタクシーに乗ろうとした人,迷ったことがないでしょうか。皆さん,迷わずにタクシー乗り場に行けましたか?
 千葉駅の場合,正面の入口の脇から入る地下道からでないとタクシー乗り場にたどりつけないのですが,この地下道への入口の表示がすごく小さくて,よほど注意しないと気がつかないのですよ。
 私のこれまでの観察では,普通ならJR駅の正面入口近くにタクシー乗り場があり,路線バスの乗り場はそこからちょっと離れた場所にあります。路線バスは普段からそのバスを利用している人が多く(・・・だから,乗り場が多少遠くてもわかりにくくても迷わない),一方,駅からタクシーを利用する人の多くは観光客,つまり普段その駅を利用しない人だからです。このため,タクシー乗り場は近くてわかり易い場所,路線バスの乗り場はそれよりちょっと遠いところ,という住み分けになっているんじゃないでしょうか。
 その点,JR千葉駅は観光客や一見の客にすごく不親切な構造になっているような気がします。少なくとも,路線バスの乗り場とタクシー乗り場の位置は逆でなければいけないと思います。これでは初めて千葉に来た客に失礼です。

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【太古の海生爬虫類は恒温動物の可能性】
 ちなみに,マグロやカツオは高速で水中を泳ぎ続けられますが,それは体温を常に水温より10℃以上高く維持できるからです。つまり,マグロやカツオは変温動物でなく恒温動物に近いです。運動に必要酵素の活性は温度依存性であり,音頭を一定に保たないと運動できないのです。
 体温を一定に保つ秘密は「血合い」にあります。「血合い」はA-V fistula (ariterio-venous fistula) になっていて,水温が高い場合は「血合い」のA-V fistulaが開いて「血合い」から体表面に血液が流れ,水温が低い場合はA-V fistulaが閉じて体表面(=冷たい水に接している)に温かい血液が流れないようになり,体温の低下を防いでいるわけです。
 以上,寿司屋のカウンターで使える小ネタでした。

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 "Wedge" という雑誌名をキーボード入力していて気がつきましたが,"Wedge" って「左手だけで打つアルファベット」でできている単語です。こういう単語の例としては,"free", "beer", "draft", "dear", "water", "waste", "Severac" (フランスの作曲家) "abstract" なんてのがあります。
 ちなみに「右手だけで打つ単語」としては,"you", "oil""mill", "Phillipin"(正式の国名は複数形の "Phillipines" だけどね)"Philipp""Pollini"(イタリアのピアニスト)なんてのがあります。

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 さて,猫も杓子もオタマジャクシもアメンボもiPadである。パソコン関連サイト,パソコン雑誌を見ても記事の半分くらいはiPadがらみだ。
 もちろん,デジタルガジェット大好き人間の私も興味がある。しかし多分,当分は買わないだろう。使っている暇がないからだ。
 新しいガジェットを購入するのは楽しいし,それを使いこなすのはもっと楽しい。そして,新しいデジタルコンテンツは恐らく,もっともっと楽しい。それは十分わかっている。問題は,そういう「楽しみ」が楽しめるようになるためには,それ相応の時間が必要,という点にある。しかも私は凝り性だ。パソコンをさわり始めると自分でプログラミングが組めるまでにならないと気が済まないし,新しいガジェットを買ったら裏技情報を集めてすべて確かめてみるまで気が済まないからだ。多分,iPadを使うのはすごく楽しいと思うし,使い始めたら寝る間も惜しんでいじくり倒すはずだ。
 問題は,iPadを買ってもそれを楽しむ時間が無いことだ。ホームページの更新ネタを見つけて記事を書き,出版予定の書籍原稿を執筆し,雑誌からの依頼原稿を書き,全国の医者や患者さんからの問い合わせメールへの返事を書き,その上でさらにiPadを触る時間を作り出すのは絶対に不可能だ。どう頑張っても,どう工夫しても一日は24時間しかないからだ。iPadを楽しむためには他の時間を削るしかないが,その「削るべき時間」がどこにもないのである。
 なんてことを書いていたら,小田嶋隆さんも同じようなことを書かれていました。⇒
私がiPadを買うべきでない理由

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【「国民が聞く耳持たなくなった」 最後まで“宇宙人”】
 昨日,テレビで繰り返し流されたフレーズがこれ。今年の流行語大賞を狙っているのかもしれませんが,これを聞いたほとんどの人が,「国民が聞く耳持たなくなった? 国民の耳が悪いのかよ。悪いのは鳩山の口(言葉)だろ」と思ったはずです。
 ちなみに,平成になってからの内閣総理大臣を並べてみました。懐かしい名前が並んでいますね。
  1. 宇野宗佑(1989年6月3日〜1989年8月10日,69日間)
  2. 海部俊樹(1989年8月10日〜1991年11 月5日,819日)
  3. 宮澤喜一(1991年11月5日〜1993 年8月9日,644日)
  4. 細川護熙(1993年8月9日〜1994 年4月28日,263日)
  5. 羽田孜(1994年4月28日〜1994年6月30日,64日)
  6. 村山富市(1994年6月30日〜1996 年1月11日,561日)
  7. 橋本龍太郎(1996年1月11日〜1998年7月30日,933日)
  8. 小渕恵三(1998年7月30日〜2000 年4月5日,633日)
  9. 森喜朗(2000年4月5日〜2001年4月26日,388日)
  10. 小泉純一郎(2001年4月26日〜2006年9月26日,1044日)
  11. 安倍晋三(2006年9月26日〜2007年9月26日,366日)
  12. 福田康夫(2007年9月26日〜2008 年9月24日,365日)
  13. 麻生太郎(2008年9月24日〜2009 年9月16日,358日)
  14. 鳩山由紀夫(2009年9月16日〜)

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 さて,鳩山民主党政権のドタバタを見ていると,その根本原因はマニフェストの各項目(例:子ども手当,普天間問題,アメリカとの同盟,消費税・・・)を同じレベルの問題だとしてしまい,収集がつかなくなったんじゃないだろうか。
 政策には,すぐに実行できるもの,実行可能だが時間がかかるもの,それまでの政策と方向性が違うもの,多方面との事前の折衝が必要なものなど,多種多様である。それを全ていきなり実行に移そうとするからおかしくなる。

 これは病院に例えるとわかりやすい。
 例えば,「病院全体で使っている絆創膏をA社からB社に変更する」のは簡単だ。どこにも根回しもいらないし,多分,絆創膏が変わったことに気がつかない人の方が多いだろうから,突然変えてもトラブルも起きないはずだ。
 これが「局麻剤をキシロカインからカルボカインに全面的に切り替える」とすると,ちょっと大変だ。「どっちでもいいよ」という医者もいるが,カルボカインを使ったことがない医者が多いからだ。だから,入念な事前の根回しが必要になるし,場合によっては「全面切り替え」は不可能だったりする。
 そして,「紙カルテから電子カルテに切り替える」となると非常に大変だ。パソコンが何台必要か,どのメーカーのパソコンにするか,どのメーカーの電子カルテにするか,全職員がパソコンを使えるのか,使えない職員をどうするか,・・・など,問題山積であり,導入には最低でも半年以上の準備期間が必要だ。
 これがさらに「病院移転の計画を白紙撤回して新たな場所に移転する」となるとさらに大変だ。まず何より,新病院を建てるだけの広い土地を新たに見つけるのが大変だし,見つけたとしても購入価格の折衝が大変だし,道路や下水道などのインフラの問題もあるし・・・など,とんでもないことになる。おまけに,既に移転場所が決まっていると,それを見越して投資している業者なんかもいるわけで,その業者だって黙っていない。要するに,移転計画を白紙撤回してゼロから新たに作るのは数年がかりの作業となるし,こんなに面倒なら最初の計画通りでいいんじゃないの,なんてことになったりする。

 要するに,鳩山民主党政権は「絆創膏の銘柄切り替え」と「病院移転計画の白紙撤回」を同レベルに扱ってしまったのだ。
 しかも,各部門間の事前調整もしないもんだから,「包帯の銘柄全面切り替えはマニフェスト」,「人工呼吸器すべて買い換えはマニフェスト」,「病院の廊下に全て手すりをつけるのもマニフェスト」,「電子カルテにするのもマニフェスト」,「新病院は同じ敷地内でなく他の町内に移転するのもマニフェスト」と,各部門がそれぞれのマニフェスト実現を主張し,収集がつかなくなってしまったのだ。

 いずれにしても,民主党のマニフェストとは,「政権が取れるかどうかはわからないけど,政権取れたらこういうのをやってみたいな」程度のものだったと思う。つまり,「お年玉は1万円しかもらえないと思うけど,10万円貰ったらこういうのを買ってみたいんだよね」リストみたいなものである。
 そして,実際に貰ったお年玉が1万円なのに,「政権を取ったから10万円貰ったつもり」になってリスト通りに10万円の買い物をしてしまった,というのに近いんじゃないだろうか。

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【必ず壊れる記録メディアに万全の備えを! USBメモリー3年,ハードディスク5年,DVD-R30年】
【【USBメモリー編】放置厳禁!データの“自然蒸発”に要注意 寿命が来なくてもUSBメモリーからデータが消える?】
 私は作成したデータは外付けハードディスク(HDD)とUSBバスパワーのポータブルHDDに二重にバックアップしています。HDDは必ず壊れるものだからです。だから,動作にちょっとでも異常を感じたら,迷わず新しいHDDに買い換えています。
 でも,USBメモリの寿命についてはよく知らなかったため,この記事の「寿命3年」を読んでちょっとびっくり。SDカードもUSBメモリもデータの保管には不向きなんですね。

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【「国民に不信与えた」=普天間迷走で首相陳謝】
 この迷走劇を医学に例えると次のようになります。
  • 点滴注射するしかない病気の患者がいる。
  • しかし,その患者は点滴が大嫌い。だが,点滴を受けないと死ぬしかないとわかり,しぶしぶ,点滴を受け入れることを決めた。
  • そこに,「点滴という犠牲は許されない。点滴なしに病気は治る」と主張する医者が就任。
  • 彼は早速,患者に「点滴なしの治療」を確約。患者は大喜び。
  • 5月31日までに治療方針を決めると医者は明言。
  • しかし,次第に点滴以外に治療法はなさそうなことがわかってくる。しかしそのたびに医者は「5月31日までに点滴に代わる治療法を行います。私には腹案があります」と公式に発表。
  • そこまで医者が言い切るからには,すごい新治療法を開発中なんだろうなと患者は期待。
  • 5月中旬になり,新任医者は突然,「点滴なしの治療は不可能とわかりました。教科書を初めて読んで勉強しましたが,不可能と書いてありました。これまで私は教科書を読んでいなかったのです。私は愚かな医者かもしれません。点滴を受け入れて下さい」と提案。
  • 患者は「今まで勉強してなかったのかよ? 点滴が必要って,子供だってわかっていることだよ。だから俺たちは点滴で合意していたんだ。それを,あんたが何度も何度も点滴なしで大丈夫って言ったから,俺たちは半信半疑で信じるようになったんだよ。それをいまさら何を言っているんだ,このアホは!」
 多分,こういう事じゃないかと思います。
 患者が「点滴以外の治療が世界の何処かにあるんじゃないだろうか? もっと良い治療が開発されているんじゃないだろうか?」と考えるのは当たり前です。しかし,医者はプロなんだから,患者の治療法を説明する前にあらゆる情報を集め,それがベストの治療法だと知った上で「点滴治療しかありません」と説明しなければいけません。それなのに,治療のプロたる医者が,ロクに勉強もせずに「世界の何処かに点滴以外の治療法があるはずです。私には腹案があります」と言ってはいけないのです。プロがそんなことを言ったら,患者(=素人)はその言葉を信じてしまい,正しい治療を受ける機会を失ってしまいます。
 医者の仕事と政治家の仕事は似ています。最後に現実解にたどり着かなければいけないと言う点です。残念ながら鳩山さんはこれがわかっていないようです。

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このコーナーで紹介した「シャンプーとボディーソープを止めたら息子の乳児湿疹が治りました」という記事についての,ある皮膚科の先生からのメールです。
 それにしても,シャンプーやボディーソープの氾濫は,メーカーの差し金でしょうが,苦々しく思っている医師は少なくないように思います。
 あと,乳児のアトピー性皮膚炎は,食物アレルギーに起因する湿疹で,3歳頃までに自然寛解するものと理解しています。かさかさしてかゆいのは,単に乾燥などによる慢性湿疹で,アトピー性皮膚炎とは区別した方がいいのではないかと考えています。私は,そんなわけで子供さんにアトピーという診断をほとんど行いません。混乱の原因になるからです。成人のアトピー性皮膚炎も,その点ではアトピーと言わない方がいいように思っています。アレルギーが原因でないものをアトピーというのは,そもそもおかしいからですが,アトピーという病名が都合が良いのか,今もって無くなりません。
 指導料が算定できるのが大きな理由でしょうね。アトピー≒難治性皮膚疾患と,大半の患者はすり込まれています。気の毒になります。
 アンダーム軟膏も非常に問題のある軟膏ですが,いまでも小児科の先生は使うんですね。当院ではかなり以前に使用禁止にしています。
 最後にちょっと取り上げられているアンダーム軟膏も問題だらけのようです。そもそもNSAIDs(=解熱鎮痛剤)は湿疹に効かないわけで,それを軟膏にしたところで効くわけがないのだとか。しかし,「ステロイドは怖い軟膏」という風潮に乗って広く使われるようになったらしいです。この軟膏の開発に携わった某皮膚科教授は後に「我が生涯,最大の汚点」と言っているんだとか。
 ちなみに,アンダームの主剤(=NSAIDs)は内服薬として開発されたものですが,副作用が強すぎて使い物にならず,開発が中止される寸前に「今後,ステロイド軟膏の使用が減るだろうから,この副作用の強いクスリを軟膏にすれば売れるんじゃない?」ということで商品化されたんだそうです。開発の経緯からして「とんでも軟膏」だったわけですね。
 現在,アンダーム軟膏はようやく販売中止となりましたが,その代替薬としてスタデルムやコンベックなどが販売されていますが,これらも「NSAIDs軟膏」であることに変りなく,薬理学的に考えて絶対に効かない軟膏なんだとか。

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【身体を基本に計測する。1フィートは足のサイズ。華氏100度は?】
 以前から,温度の単位の「華氏」って何を基準にして作ったんだろうと思っていましたが,この記事を読んだのをきっかけに調べてみました。「華氏」はファーレンハイトさんが18世紀に決めた温度の目盛りで,自分の体温(37.8℃)を100度,彼が測定した一番低い外気温(-17.8℃)を0度とし,それを100等分したものだったんですね。ファーレンハイトさん,ちょっと風邪気味で熱があったのかもしれません。/p>

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【沖縄が嫌悪する「国家のウソ」】
 文中の「そもそも,基地経済は民間経済のように未来永劫,発展していくことはあり得ない」という指摘が「目ウロコ」でした。
 基地を作っていく過程では労働力や資材などの形でお金が地元に落ちますが,基地が一旦完成してしまうと,それ以後は基地(兵士)から地元に落ちるお金は食料品や日用品,遊興費だけではないかと思われます。収入は安定はしますが,大きく増えることはありません。この「基地経済」を増大させるために駐留兵士の数を増やすしかありませんが,そのためには基地面積を増やさなければならず,基地外に居住する地元民の生活を圧迫せざるを得なくなります。極端な話,「基地しかない島」になるとそもそも「基地経済」そのものが消失するわけですね。
 逆に,この基地が農地であった場合,様々な手段を講じることができ,うまくいけば収入アップに繋がります(・・・もちろん,下手すればマイナスになるけど)。少なくとも,基地よりは生産性を上げられます。
 そもそも,軍隊とは何なのか,常備軍を維持するために何が必要なのか,平時における軍隊は国家にとってどんな存在なのか,軍隊の費用対効果はどうなっているのか・・・という様々な問題が脳裏をよぎります

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【早く具体策を!国の口蹄疫対処方針に農家怒り】
 現在の日本の口蹄疫対策は殺処分で,これを人間に当てはめると「一人でも病気にかかったらそのマンション住民は皆殺し,会社で発生したらその会社全員皆殺し・・・」と,すごいことになるわけです。なぜ,狂犬病ワクチンを投与するように,口蹄疫ワクチンを事前に投与しないのだろうかと疑問を持ち,このサイトに行き着きました。専門的に高度な内容まで踏み込み,しかもわかりやすいと言う素晴らしいサイトですが,これを読むと様々な問題が絡んでいることがわかります。
 結局は「口蹄疫が出たら殺処分」が国際的に標準方式となっているため,メーカー側には口蹄疫ワクチンを開発するメリットがないらしいのです。このため,人間の病気に対するワクチン開発の流れに,口蹄疫は完全に取り残された形になってしまったようです。
 しかし,口蹄疫が国内でここまで拡大してしまうと,本当に殺処分の方が経済的に見合うのか,という疑問も生じてきます。口蹄疫やインフルエンザのように感染力が極めて強いウイルス性疾患を,殺処分,すなわち「ウイルスの物理的に封じ込め」ることは,原理的に不可能ではないかと思われます。このサイトにもあるように,このようなタイプのウイルスを完全に人間社会から分離・排除することは不可能であり,このようなウイルスとは共存するしか道がないはずです。

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【全生物は同じ単細胞生物から進化した】
 このサイトを以前からご覧の方には常識と思いますが,地球上の全生物は3つのドメイン,つまり「真正細菌・古細菌・真核生物」の3つに分けられ,真正細菌と古細菌は共通の祖先である "Luca" から発生し,真核生物は古細菌(メタン生成菌)の中に真正細菌(αプロテオバクテリア)が細胞内共生することから発生したと考えられています。
 この記事は,この3つのドメインがばらばらの起源を持つとした場合の確率と,共通の祖先を持つとした場合の確率を計算し,前者である確率は天文学的に少ないことを証明したものです。またこの研究から,真正細菌と古細菌が異なった起源である可能性も否定されるようです。

 人間に病原性を持つ細菌は真正細菌のみであり,古細菌は基本的に真核生物に病原性は持っていません。私の仮説では,これは細胞膜の構造の違いではないかと思います。
 真正細菌と古細菌の違いは「核のヒストン蛋白の有無」,「細胞壁の構造」,「細胞膜の構造」です。真核細胞は「ヒストン蛋白の有無では古細菌に類似」,「細胞膜の構造では真性細菌に類似」していますが,細胞膜の構造が類似しているため,真性細菌は真核細胞と相互作用可能(=病原性あり)だが,古細菌と真核細胞は相互作用がない(=病原性なし)のではないかと推論できます。
 そしてこれは,「消毒薬は真性細菌をターゲットとしているのに,なぜか人間の細胞(=真核細胞)も傷害してしまう」ことの根本理由になります。真正細菌と真核細胞の細胞膜は基本構造が同じであり,消毒薬は細胞膜蛋白を破壊のターゲットにする薬物だからです。だから,消毒薬は真核細胞と真正細菌を区別できず,消毒すると傷が深くなるわけですね。

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 ある小児科の先生から次のようなメールを頂きました。
 実習に来た研修医に湿潤療法の話しをして,化膿とはどのような状態をいうのか質問してみたところ答えられませんでした。化膿のアセスメントもできない者が,化膿と診断するのはおかしいと思わないかとさらに質問すると立ち往生してしまいました。
 今後,「消毒しないで化膿したらどうするのか」と言う質問が来たら,「一つ教えてほしいのですが,化膿ってどのような状態をいうのですか」と逆に聞き返そうかと思っています。化膿した傷とはどういう状態を指すのかすら知らない医者が,「化膿したらどうするのだ」と湿潤治療を非難するのは笑止千万です。
 この先生の指摘はまさに正鵠を射ています。化膿している傷と化膿していない傷の区別もつかない医者がそこらにゴロゴロしているのですよ。そして,傷口から分泌された浸出液(=傷を治す“薬”)をみて,これは化膿している,と大騒ぎしちゃう。例えて言えば,オオカミがどういう動物かを知らない連中が,タヌキやネコを見てオオカミが来たと大騒ぎしているのと同じです。

 そういえば,数年前,院内感染で有名な先生と話をしたことがありますが,その先生が細菌学の知識を全く持っていらっしゃらなくて,びっくりしたことがありました。
 「細菌とはそもそもどういう生物なのか。なぜ,細菌は感染症を起こすのか。すべての細菌が感染症を起こすのか。細菌はどういう条件で増殖できるのか。どういう条件だと増殖できないのか」・・・という知識は,感染症や院内感染を考える上で,最も基本的なものだと思うのですが,こういう知識を全く持たずに「院内感染はどうしたら防げるのか」を論じていらっしゃるようです。
 そしてこれは,CDCも同じです。CDCに欠落しているのは,細菌学の基礎的知識です。だから,CDCのガイドラインは創感染・術後創感染に関しては完全に的外れであり,机上の空論を弄んでいるだけだったりするのです。

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 ある小児科の先生から次のようなメールを頂きました。
 市内総合病院の皮膚科の医者がトンデモ医者です。1歳児の熱湯による右前腕の熱傷ですが,「毎日家で石けんをつけて洗いリンデロンVG塗布ガーゼで覆うように。次の受診は1週間後です」と説明されたそうです。
 たまたま,風邪で当院を受診され,それどうしたのと話を聞き,湿潤療法に変更しました。ご両親は初診時,「軽い熱傷です」と医者から説明を受けていたため,ちょっと大変でした。軽症どころでない深さの熱傷だったからです。
 私は,少なくとも熱傷の経過は数日は毎日観察するのが当然だと思っていますが,専門の先生は違うのですね。びっくりしました。
 こういう皮膚科医,少なくないですね。私が知っている某皮膚科の先生はまさに同じ治療方針,「熱傷患者が来たらゲーベンクリームを処方し,毎日自分で取り替えるように説明し,1週間後に再診」という方針で治療しています。その結果,「発熱した。痛みがひどい。1週間診てくれないので不安」ということで次から次へと私の外来に逃げてくるんですよ。でも,多分この先生は自分のところから患者が逃げていることには気がついていないだろうし,受診してこないのは治ったからと考え,自分は熱傷の名医だと思っているんでしょう。
 皮膚科はもともと内科から分かれた診療科で,出自は内科です。だから,皮膚科疾患(⇒薬で治す⇒内科疾患)を治療するのと同じ感覚で熱傷(=外科疾患)を治療し,内科医が「薬を出しました。自分で薬を飲んで,1週間後に来て下さい」と言うのと同じ感覚で,「軟膏を出しておきました。自分で軟膏を塗っておいて,1週間たったら来て下さい」と言うんでしょうね。そうとしか考えられません。

 とりあえず,内科や小児科の開業医が熱傷を湿潤治療でどんどん治し,「ヤケドをしたら皮膚科でなくあそこの小児科に行くとすぐに治るよ」という常識が広がり,こういう「1週間後皮膚科医」に熱傷患者が行かなくなるようにするしかその地域の熱傷患者さんを救う方法はありません。

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【生殖腺が体外にある新種のクラゲを発見】
 生殖腺の発生についてはこれまで全く考えてこなかったのですが,この記事を読んでちょっと気になったので調べてみると,「生殖腺は中胚葉由来器官」なんですね。一方,中胚葉は三胚葉生物になって初めてできた胚葉です。一方,クラゲは三胚葉生物が発生する以前から存在する二胚葉生物であり,中胚葉は持っていないはずです。となると,この記事でいう「クラゲの生殖腺」はどこから作られた組織でしょうか?
 というか,原初の一胚葉生物(=外胚葉生物)の生殖腺はどうなっているのでしょうか。原理的には,ミトコンドリアを有することで誕生した真核生物は必然的に「性別」と「個体の死」を受け入れざるを得ず,そのことによって進化が加速した,というのが現在のセントラルドグマです。つまり,一胚葉生物(=原初の真核生物)であっても「性別」は必要であり(・・と言っても,性が二つである必然性はなく,三種類以上の性があってもいい),この場合は外胚葉から原初の生殖腺を作るしかなかったはずです。このあたり,どうなっているのでしょうか? 調べてもよくわかりません。
 というわけで,基礎的知識のない私の脳味噌では「一つわかると,わからないことが10増える」状態です。

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 先日,同僚と話をしていて気がついたのですが,私は53年ほど生きてきて,一度も「頭痛」というものを経験していないんですよ。肩が痛いとか腰痛とか腹痛ならわかるのですが,頭痛だけは経験したことがないため,一体どういう風になると「頭が痛い」のか,どういう症状を「頭痛」と称しているのか,さっぱりわからないんですね。「原稿がたまって頭が痛い」とか「税金が多くて頭が痛い」ならわかりますが,「偏頭痛で頭が痛い」というのは言葉としては理解できますが,実際の症状としてはどこがどう痛いのか,どんな風に痛くなると偏頭痛というんだろうかと,頭を捻ってしまいます。
 つまり,一度も食べたことがない料理の味が想像できない,読んだことのない本の内容が想像できないようなものです。

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【日航の路線,16道県が存続要望】
 JALが名古屋空港(小牧空港)から路線撤退を表明し,それに対し,16都道府県の知事が存続を要望・・・ということらしいです。ちなみに,名古屋空港の路線を見ると,秋田⇔名古屋は一日二往復,山形⇔名古屋は一往復,新潟⇔名古屋が二往復・・・です。
 例えば,山形から名古屋に行こうとすると,JRなら,朝9時に山形を出発すれば名古屋に14:00に到着と5時間もかかります。しかし,山形空港から名古屋空港ならたった65分! これだけ見ると,飛行機の圧勝でありJRには勝ち目はありません。しかし,空路には一つだけ弱点があります。到着するのが18:35だけで,これより早くは名古屋空港にたどりつけないことです。しかも,この一便に乗り遅れると翌日の夕方まで飛行機はありません。つまり,山形空港から名古屋空港への飛行時間は65分でも,朝9時に山形を出発すると考えると名古屋空港に9時間かかって到着です。つまり,飛行機の方が圧倒的に遅くなります。
 となると,常識的には飛行機ではなくJRを乗り継いだ方が便利ですし,JRを選ぶ人が圧倒的多数でしょう。山形空港で8時間も時間を潰さなければいけないのなら,さっさと山形新幹線に乗った方が早いです。もちろんこれは,他の路線についても同様です。こんな「低速の乗り物」を選ぶ人はいません。

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【さよならフロッピーディスク,来年3月販売終了】
 オジサン世代のパソコンユーザーにとっては感慨深いニュースです。オジサンがね,一番最初に触ったコンピュータ(当時は「パソコン」という言葉すらなかったんだよ)はカセットテープにデータを書き込むタイプだったんだよ。音楽用のカセットテープだよ。ソフトが起動するだけで延々と時間がかかったよなぁ。その後,ちょっとブランクがあって,次にパソコンに触ったのはNECの98全盛期で5インチフロッピーディスクが2基並んでるやつ。当時のコンピュータは文章書きとゲームにしか使い道が無く,プレゼンテーションソフトなんてなかったから,学会用のスライドは,手描きの原稿を薬メーカーのMRさんに渡して,これできれいなスライドを作ってね,と頼んだりしたものでした。
 3.5インチフロッピーはソニーが開発し,1983年頃からホビー機向けに販売されたようですが,当時は5インチに比べると高価だったため,それほど普及していなかった印象があります。3.5インチのディスクが本格的に普及したのは私の印象では1989年の「98ノート」とエプソンの「286ノート」の販売からでしょう(ちなみに,私が一番最初に買ったノートパソコンはエプソンの286Fでした。もちろん,その数年前から東芝の初代ダイナブックが販売されていましたが,普通に仕事に使えるというものではなかったと記憶しています)
 ちなみに,5インチフロッピー,3.5インチフロッピーの容量は1.2MBですから,今のデジカメの画素数なら1枚の画像も入りません。
 というわけで,フロッピーディスクは消えて行きますが,それでもZIPディスクに比べると比べ物にならない長生きの人生(?)でした。
 そうそう,フロッピーといえば2インチフロッピーディスクというのもあり,ソニーのワープロ専用機などで使われていましたね。独自規格が大好きなソニーならではディスクでして,私も一時期使っていましたが,これは極めて短命の商品でした。

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【分散休日で離散ファミリーは夢を見られるか】
 「5月と秋の大型連休を分散化させる」ことはいいとしても,「そもそも,観光立国ってのはどうなのよ」というエッセイで,内容は鋭いです。「観光立国という発想は村おこしと似てないか?」との指摘には深く頷いてしまうのでありました。

 私は講演で全国各地に出向いていて,まだ行ったことがない県は鳥取県だけです。もちろん,全国の観光地にも行っています。しかし,観光はほとんどしたことがありません。
 札幌には10回以上行っていますが,いまだに札幌駅と大通公園やススキノの位置関係がわかりませんし,時計台も見たことがありません。名古屋には数十回行っているのに名古屋城は見たことがありません。大阪の講演も10回どころではありませんが,大阪城は見たことがないし,道頓堀がどこにあるのかもわかりません。横浜駅と新横浜駅の位置関係もいまだによく分からないし,横浜中華街がどこにあるのかも不明です。超有名温泉地もかなり行っていますが,温泉に入ったことはほとんどありませんし,温泉に入っても3分くらいで飽きてしまうので,することがなくなって風呂から上がってしまいます。同様に,「雄大な大自然」を見ても「絶景の夜景」を見ても,やはり数分間で飽きてしまいます。
 食べ切れない量の山海の珍味が並べられた「温泉旅館(ホテル)の豪華な夕食」も好きではありませんし,駅弁もあまり好きではありません。「駅弁コンテストで上位入賞!」とうたっている駅弁は昔は物珍しさから食べましたが,どれも山海の珍味,地元の肉と魚を詰め込んだだけで,味付けはどれも似たり寄ったりです。おまけに,どれもこれも栄養バランスが極めて悪いです。有名駅弁だけ食べ続けたら,多分3日目には体調を壊すんじゃないでしょうか。要するに,駅弁も温泉旅館の食事も,日常の食事ではなく「ハレの日」だけに提供される特別食であり,「生きるための食事」からは程遠いものです。

 観光というのはつまり,「体に悪そうな豪華駅弁や,温泉ホテルの食べ切れない豪華夕食」を「一見の客(=観光客)」に売って儲けてやろうという産業形態じゃないでしょうか。「いつもの生活を忘れて非日常的なところに来たんだから,食べるものも非日常的なものでいいよね」という暗黙の了解で成り立っています。これは,観光地で売っているお土産も同じです。日常的には絶対に使わない(使えない)非日常的な商品が売り物であり,「一見(いちげん)の客(=カモ)」しか買わない商品です。ボッタクリとわかってもそれを笑って買ってくれる客(=カモ)がいて初めて成り立っている商売です。
 これは裏をかえせば,「カモ」がいなくなった時に崩壊する産業形態であり商売様式だと言うことになります。例えば,エジプトの観光客相手のインチキ商売は,まだ騙されていない人間がいることを前提にしています。一度騙されたら二度と騙されないからです。つまり,エジプトの観光客相手の商売をすべての人が知ってしまったとき,エジプトの観光業は崩壊するはずです。ボッタクリのターゲットである「カモ」がいなくなるからです。そしてこれはもちろん,日本の観光地・観光業についても同様です。

 というわけで,観光産業は「カモ」が次々と生まれてくることを前提に成立している業種だと言うことがわかります。だから,人口が減ってくると必然的に衰退していきます。騙して商品を売りつける「カモ」が少なくなっていくからです。
 現時点では,銀座や秋葉原は中国人観光客で繁栄しています。しかし,同様のショップが中国にでき,同様のものが手に入るようになれば,彼らは来なくなります。
 もちろん,一見の客でなくリピーターが次々と訪れるようになれば,永続的に観光で食っていけますが,これは実際にはかなり難しいです。ほとんどの観光地は,観光客をカモ扱いする商売しかしていないからです。

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【仙谷VS小沢,そして鳩山首相の落ち着きの謎】
 田原総一朗氏のコラムです。マニフェストの扱いをめぐる仙谷国家戦略相と小沢幹事長のバトルについて明確に分析していてわかりやすいです。結局,与党という立場に慣れていない民主党が,与党であり続けることを党の目的にしてしまい,しかし,与党であり続けるためにどう手を打ったらいいかがわからず,その結果として右往左往している・・・というのが「仙谷VS小沢」の本質だろうと思います。
 ここまではわかりやすいのですが,後半の「鳩山首相の落ち着きの謎」について田原さんは匙を投げた形です。鳩山さんの真意が不明だからです。推量すらできていません。この点が,誰の目にも明らかな「仙谷さん,小沢さんの真意」と異なっています。鳩山さんがなぜこの期に及んでも自信満々(に見え),落ち着きはらっていられるのか,説明できる人はだれもいないような気がします。

 昨日も書きましたが,沖縄米軍基地移転についての鳩山さんの状況は「8月31日の夜になったのに夏休みの宿題の工作に全く手をつけていない小学生」とほとんど同じです。もうここまで時間的余裕がなくなってしまうと,「やっつけ仕事でもいいから工作を作る」のも難しくなってきます。天変地異が明日の朝までに起きるのを期待するか,明日の朝までに転校するか,そのくらいしか解決法は残されていません。
 現時点で「5月末までに米軍の沖縄県外移転」を可能にする方法をはほとんどありませんが,次のようなことが起これば可能になります。  ここまでぶっ飛んだ,非現実的発想をしない限り,鳩山さんが明言している「5月末までの決着」は実現しないと思うのですが,いかがでしょうか?

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【蔵書2万5000冊の男が断言 小飼弾「紙の本は90パーセント消えます」】
 紙の本とデジタル本についての正確な分析と,それに基づく未来の予測です。デジタル本の最大の欠点は「再生装置が必要。再生装置がなければ読めない」ことであり,紙の本の最大の長所は「再生装置がなくても読める」ことです。このあたりは,LPレコードとCDの関係と同じです。LPレコードは爪楊枝でも音を取り出せますが,CDはCDプレーヤーがなければ音情報は取り出せません。
 しかし,収納スペースとデータの検索ということを考えると紙の本には勝ち目はありません。本棚にずらりと医学雑誌が並んでいて,そのどこかにハイドロジェル被覆材についてちょっと言及していた論文があったことは覚えていても,その論文を見つけ出すことは不可能です。つまり,物質としての雑誌はあっても,その中の情報は死んでいます。所蔵していても死蔵同然です。
 そういうわけで,紙の本からデジタル本への流れは歴史の必然と言えます。この場合の最大の問題点は,デジタルデータの規格が変化していって,古い規格が読めなくなったときに明らかになります。紙の本は数百年のものでも読めますが,20年前の5インチフロッピーのデータはもう読めません。つまり,すべての書籍がKindleやiPadで読めるようになるのは便利ですが,そのデータフォーマットが50年後,100年後にも続いているかというと,その可能性は極めて低いはずです。最悪の場合,50年前の書籍データが全く読めなくなっているかもしれません。
 これを避けるためには,データフォーマットの標準規格が変化したときに,過去の全てのデジタルデータを新規格データに書き換えればいいのですが,これに膨大な作業が必要です。万一,この「書き換え作業」から漏れた本があったら,その内容は永遠に失われることになります。

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【暴力&裁判沙汰で話題の「デスパ妻」 エヴァ・ロンゴリアの生すっぴんを目撃!】
 「化粧美人は素肌が汚い」というかねてからの私の主張を証明する症例がまた一例増えました。
 とはいっても,ロンゴリアさん,スッピンでもまだまだきれいです。キャメロン・ディアスのスッピンやパメラ・アンダーソンのスッピンに比べたら,まだかなりマシです。シャロン・ストーンのスッピンなんてこんなもんじゃなかったし・・・。

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【米ロ,新核軍縮条約調印=戦略核1550発に削減−「核なき世界」具体化へ一歩】
 あくまでも伝聞情報ですが,現在の最先端の核爆弾ですごく小さいらしいです。ビール瓶くらい,大きめのソフトボールくらいと表現されていますから,エコバッグに入れて運べちゃいます。
 そのため,現在のアメリカ軍の艦船には核兵器は積んでいないんだとか。もしも核兵器を積んでいて盗まれたら,簡単に持ち出せるからです。以前の核爆弾は盗んでも重くて運べなかったけど,今の核爆弾は軽いので一人でも運べるんですね。つまり,軍の戦艦に常時積んでいたら,各テロリストの皆様に「どうぞ持っていって下さい」と言っているようなものです。それを避けるためには,核兵器は軍の中枢に厳重に管理し外には持ち出さないというのが最善の選択となります。
 それにしても,人類はなんと厄介なものを発明してしまったんでしょうか。

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【「玻」の人名使用認めず=両親の申し立て退ける−最高裁】
 他人が絶対に読めない名前を子供につけるのが格好いいんだよね,と思い込んでいる親が多いですが,これは子供にとってはいい迷惑です。そんなに「読めない名前」をつけるのが好きだったら,まず自分の名前を「バカ漢字名前」に改名すべきです。そうすれば,自分が考えた名前がいかに不便で理不尽なものかが身を持って体験できます。子どもに「バカ漢字名前」をつけるのはそれからでいいと思います。親の気まぐれで子供は一生迷惑します。

 なぜここまで書くかというと,私は自分の名前「睦」で小学校の頃,散々苦労したからです。私の名前はこれで「まこと」と読みますが,まず読まれたためしたがありません。ほぼ100%,「むつみくん」と呼ばれます。そのたびに,小学校の頃の私は深く傷ついたものです。「まこと」という名前をつけるなら,なぜ「真」とか「誠」のように,間違いなく読んでもらえる漢字にしなかったのかと親を恨んだこともありました。
 子供の名前は子供のものであって,親の所有物ではないのです。

 これに関連してですが,富士通の電子カルテの患者検索は「カナ検索」,つまり名前の「読み」を入力して患者を検索する方式ですが,これは将来,使い物にならなくなります。名前の漢字はわかっても「読み」がわからない患者ばかり増えるからです。実際,現時点でも乳幼児の患者さんの名前で「読める」名前は5割程度であり,残りの5割は想像力を駆使しても読めません。だから富士通は,「カナ検索」ではなく「漢字検索」を導入すべきです。

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 『Expert Nurse (エキスパートナース) 』2010年 04月号の「褥瘡のラップ療法」特集をお読みになりたい人はご連絡下さい。

 さて,この特集記事を同じ病院の複数の先生に読んでもらいました。もちろん,予備知識無しです。そして,次のような感想をいただきました。 というような感じでした。

 掲示板でカネコ先生も書いていますが,大浦名誉教授の論文は事実の捏造と歪曲と虚言の塊です。真実も事実も書かれていません。嘘で塗り固めた論文を書いて,人間として恥ずかしくないのでしょうか。それとも,嘘を何度も書いているうちに,自分でも真実だと信じ込むようになったのでしょうか。
 大浦名誉教授の盗癖と虚言癖は留まるところを知らず,年々症状が悪化しているようです。もしかしたら,「嘘も百回つき通せば真実になる」というのを狙っているのかも知れませんが。

 そういえば,この「特集」に登場する某先生から,しつこく愚にもつかないクズメール(「クズ」と言ったのは別の某先生です。私じゃありませんので誤解しないでね)が舞い込んでいます。どういうメールか,お読みになりたい方はご連絡下さい。

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 看護雑誌『Expert Nurse (エキスパートナース) 』2010年 04月号がまたまた『どうする? どうなる? 褥瘡の(いわゆる)ラップ療法』というナイスな特集を組んでくれました。「鳥谷部抜きのラップ療法座談会」です。この雑誌,よほど鳥谷部先生が嫌いらしく,以前にも同様の特集をしていましたね。いわゆるひとつの「クズ企画」です。
 だいたい私は,こんな座談会にホイホイと参加する先生方の気が知れません。私なら「なぜ鳥谷部先生を呼ばない。彼を呼ばないでラップ療法の議論をしても意味が無い。彼が出席しないこんな馬鹿げた特集には参加しない。私はそれほど馬鹿ではない!」と席を立ち,こういう特集企画があったことをネットで公開し,雑誌社に公開質問状を出すところです。それが科学の常識だからです。なぜかというと,10年以上前から苦労してラップ療法を一人で始め,工夫を積み重ねて安全な治療にしてきたのは誰でもない鳥谷部先生だからです。
 だから,彼を抜きにラップ療法を議論しても無意味なのです。これは,ダーウィンを抜きにしてダーウィンの亜流を集めて進化論を議論するのと同じです。
 創始者について言及するのは,先駆者に対する最低限の礼儀であり,創始者に対しては最大限の敬意をはらうのが科学者としての常識です。この特集には高名な先生方が参加されていますが,誰ひとりとして「科学の常識」をご存じなかったようで,残念です。
 ちなみに参加された高名な先生方は,鳥谷部の名前を一度も出さずにラップ療法についてあーでもない,こーでもないと議論するという離れ業をしています。恐らく,雑誌社側から「鳥谷部の名前は出さないように」と事前に説明があったか,参加者同士が事前に「鳥谷部の名前はタブーね」と綿密に打合せしたものと思われます。お見事!

 それどころか,「ラップ療法は自分が考え出した治療法なんだよ」と主張する名誉教授(北海道大学名誉教授の大浦,お前だ!)までいる始末です。なんとこの方の論文によると,ポリウレタンフィルムに開けた穴の数と間隔に最大の工夫があり,そこに自分のオリジナリティがあったんだとか。これほど情けない「オリジナリティ」を見るのも久しぶりです。ドクター中松の発明くらい情けないです。この名誉教授(北海道大学名誉教授の大浦,お前だ!),数年前から同様の文章を発表なさっておられますが,他人の功績を盗むことがよほどお好きと見えます。さすが,偉くなる人は違いますな。
 いずれにしても,このExpert Nurse4月号の特集は非常にレベルが低くて読んで笑えます。ある意味,必読と言えます。

 なお,この文章は私の個人的な怒りと義憤から書いているもので,鳥谷部先生の同意をを得ずに書いています。恐らく鳥谷部先生は心が広いから笑って見逃すんでしょうが,残念ながら私は彼ほど心が広くないんで,すぐにこういう事を書いてしまいます。
 なお,『Expert Nurse (エキスパートナース) 』2010年 04月号にはリンクを貼って売り上げに貢献してあげるから,照林社はクズはクズなりに感謝するように!

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【直葬 〜儀式のない弔いを生んだ社会状況】
 生まれ故郷の秋田を出てから30年以上経ちます。田舎には母親が一人暮らしですが,歳も歳ですからいずれ私が喪主として葬儀を上げる日が必ず来ます。十数年前の父親の葬儀の時も喪主を務めましたが,あの時は母親が元気で,事実上母親が葬儀の手配をしてくれたため,私は会葬者に挨拶をするだけの役目でしたが,母親の葬儀となるとそうはいかないでしょう。これが考えるだけで大変なのです。30年以上,年に一度しか秋田に帰らない生活が続いているため,親戚もよく分からないし,知人もいないし,第一,父親のお墓の位置もうろ覚えだったりします。しかも,田舎の常としてお通夜にはお通夜のしきたりがありますが,これが結構大変だったと記憶しています。あれを自分で仕切らなければいけないのかと思うと,正直,やりたくないなぁ,という気分になってしまいます。

 そして,あと25年もすると,今度は自分が葬式をあげてもらう番です。その時,どこで暮らしているかはわかりませんが,少なくとも故郷の秋田でないことだけは確実に言えます。となると,遺骨を秋田のお墓に入れてもらうために子どもたちが遺骨を持って移動しなければならなくなるはずです。これもかなり大変だろうなと思います。
 だから,子どもたちにお墓や葬儀で苦労をかけるくらいなら,葬儀は形だけでいいし,火葬したら灰は海にでもばら蒔いてもらえばそれでいいと考えたりします。どうせ灰は灰であって,それ以上でもそれ以下でもない単なる「炭化したリン酸カルシウムとタンパク質」ですからね。それに第一,子どもたちに墓参りに来てもらったとしてもお墓の中の灰にしか過ぎない自分は嬉しく感じるわけでもないしね。
 というわけでこの記事です。

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【アナログ放送終了まで500日 追い込まれた地デジ】
 皆様ご存知のとおり,来年7月24日にテレビのアナログ波が停止し,地上波デジタル放送に完全移行します。そのあおりを食って,私のアパートのテレビ(超旧式のアナログテレビだぞ)は見られなくなるのですが,私のテレビだけかと思っていたら,全国1500万世帯は地デジに移行できずに取り残されちゃうんだとか。いわゆる難視聴地域のテレビなんですが,それじゃ困るというわけで,それらの世帯には衛星放送で対応するんだそうです。そして,その難視聴地域以外では衛星放送はスクランブルがかけられていて視聴できないんだと。
 となると,「オイオイ,地デジですべての地域を網羅できず,それ以外の地域を衛星放送でカバーするなら,最初から地デジではなく衛星放送にすればいいんじゃないの?」という疑問が生じます。それに答えるのがこの記事です。
 どうやら,地デジでなくて最初から衛星放送一本槍にすべきだったらしいです。そうすればお値段は地デジの1/5以下で済み,おまけに地デジの「難視聴地域をどうするんだよ」という問題も生じなかったとか。
 というわけで,A案とB案の二つの可能性があったとき,「では,AとBではどちらの方がカネがかかるんだ?」と質問し,カネがかかる方を選ぶのがお役所なんですね。

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 現在,『熱傷治療“裏”マニュアル(仮題)』を執筆中でしてこれまでに治療した全熱傷患者の経過を改めて見直している最中ですが,「受傷後250日」とか「受傷後330日」という写真が結構あることに改めて気がつきました。いずれも,上皮化が得られたのはもっと早い時期なのですが,私が患部の写真を撮影していることを覚えていて,「こんなに綺麗になりましたから,写真撮影してください」とわざわざ自腹を切って,安くもない初診料を払ってまで外来を受診してくれたおかげで撮影できたものばかりです。本当にありがたい事です。感謝感激です。
 V度熱傷や全層皮膚欠損を湿潤療法で治療すると,どうしても上皮化までに時間がかかってしまいます。完治までに長期間かかった患者さんには必ず「長い時間かかっちゃってゴメンね」と謝ることにしていますが,ほとんどの患者さんは完治までに時間がかかったことを気にしていないようです。外来通院は週に一度以下だし,普通に仕事はできるし,風呂にも温泉にも入れて日常生活にほとんど制限がないため,さほど苦にならなかったと言ってくださいます。
 よく,「湿潤治療は完治までに時間がかかりすぎるから駄目な治療だ」と批判する人がいますが,それは医者の論理であって患者の評価は別じゃないかと思っています。少なくとも,完治してから半年たって,受診する必要もないのに,わざわざ写真を撮られるためだけに外来を訪れてくれる患者さんは「駄目な治療だ」とは思っていないはずです。でなければ,わざわざ自腹を切って受診はしてくれないでしょう。

 治療がいいか悪いかは医者が判断すべきことでしょうか,それとも患者が評価すべきことでしょうか。もちろん,現在の常識では「治療の良し悪しは医者が判断すべきもの」です。
 しかし私は,これは間違っていると思います。ラーメンが旨いか不味いかは客の評価がすべきであって,ラーメンを作った店主(=治療した医者)が評価すべきではないと思います。

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【「自由」と「民主」は仲良しか? よ〜く考えてみよう/世界は分かったようで分からないものである】
 「自由と民主は仲良しか?」というタイトルに虚を突かれました。自由と民主主義は常に(?)セットで語られる(・・・何しろ,自由民主党なんて政党があるくらいですから)ことが多いため,二つで一つ,という意識を持ってしまうんですね。だから,このタイトルを見るとビックリし,それと同時に,自分はいかにものを考えてこなかったかを思い知らされます。
【自由主義者は,民主主義者のことを「破壊しか知らない馬鹿者」と衆愚政治の代名詞のように言い,民主主義者は自由主義者のことを「弱肉強食の正当化」と非難しました。自由主義の基本哲学は経験論であり,一方の民主主義の基本哲学は合理論です。】
 このように説明されると,「自由主義」と「民主主義」は対立する概念であることがわかります。私にとってはまさに「目からウロコ」でした。

 同様に「仲良しに見えて実は仲良しでない」ものに「自由と平等」があります。自由と平等は相対立概念です。「自由がいいか平等がいいか,二つに一つ。どっちがいい?」という関係です。
 複数の人間を平等に扱うためには,個人の自由を制限する必要があります。走るのが早い人も遅い人も平等に扱おうとしたら,自由に走るのを止めさせるしかないからです。自由に走らせたら能力差,すなわち不平等が露わになってしまいます。だから,万人を平等に扱うためには競争も自由もあってはならないのです。
 その意味で,フランス革命の3つの理想,「自由・平等・博愛」は見事です。自由と平等という共存不可能な「水と油」をミセルにして並立させるのが「博愛」という界面活性剤なんですね。互いを尊重しようね,という「非現実的理想」を想定したからこそ,自由も平等を追求しよう,という本来ありえないことをあたかも実現可能な理想のように提示できたのですね。

 そう考えると,アメリカが建国の理念として「自由と平等」を掲げたこと自体に無理があったことがわかります。なぜアメリカは「博愛」を国是に入れなかったのか。それこそがこの国の成立に関わっているんじゃないかと邪推しちゃうんですね。
 アメリカとは要するに,「イギリスを追い出されたカルト宗教の信者が,それぞれの神様に心行くまでお祈りするために作った国」ですから,そもそも「博愛」とは一番遠い位置にあった人達が作ったわけです。なぜかと言うと,「自分の神様が一番偉い」という人に「他の神様を信じている人も同じように愛する」ことを教えることが「博愛」だからです。

 ちなみに,「他者への愛」を説いたイエス・キリスト様も,実は博愛を説いているわけではありません。新約聖書を読むとわかりますが,彼の説く「愛」は彼の信じる神を信じる人間に対する愛であり,異教徒(=別の神を信じる人達)に対してイエスは「奴らは人間ではなくてマムシのようなもの」として,徹底的に糾弾し,決して心を許してはいけないと説教しています。要するに,イエスの説く「愛」は条件付き・対象限定の「愛」であり,無制限の相手への愛ではありません。まぁ,こう言うところを見ないフリして「キリスト教@博愛の宗教」的な宣伝をする方が悪いんであって,イエス様の責任じゃないですけどね。

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【人によって違う細菌,指紋同様に犯罪捜査に活用も=米研究】
 「キーボードやマウスに残っている細菌のDNAを調べたら,いつも使っている人の手の細菌DNAに一番近かった」という研究結果から,これは犯罪捜査に使えるんじゃないか,ということらしいです。要するに,皮膚常在菌と通過菌のパターンに個人差があることを利用したものですね。
 ただ,この研究をしている人には悪いけど,多分これは実用化しないでしょう。指紋は生涯変わりませんが,皮膚表面の細菌は恐らく,年齢とともに季節とともに変化していくことが予想されるからです。つまり,皮膚の状態が変われば細菌のパターンも変化し,多分,夏と冬でも細菌の種類の組み合わせは変化しているはずです。細菌は生息環境(=皮膚の状態)に応じて,それに最も適応した細菌が互いに影響を及ぼしながら生存しているからです。要するに,同じ庭なのに春と秋では咲いている花が違うのと同じです。
 要するに,皮膚に対する基本的知識が欠落していると,こういうトンチンカンな研究をしてしまうという良い見本じゃないでしょうか。

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【「ひらがなのようなひと」になろう】
 話し言葉と書き言葉は違います。漢字は優れた表意文字であり最小の文字数で最大の情報を伝えてくれます。しかしそれは,文字としてみた場合のことです。日本語には同音異義語が多いからです。
 だから,文字としてみるとすごくわかりやすいのに,そのまま読み上げられると意味がわかりにくくなります。そのよい例が,一昔前にIMEの変換能力を示すために用いられた「貴社の記者は汽車で帰社する」という文章です(汽車というあたりに時代が感じられますね)。文章として目で見ると意味は一目瞭然ですが,会話でこのまま話しても,聞き手には何が何だかわかりません。

 私が初めて学会発表をした時,当時の助教授はこのように注意してくれました。
話し言葉と聞き言葉は違うんだよ。「環指」は漢字で見る分にはいいが,「かんし」と耳で聞いても「監視」なんだか「鉗子」なんだかわからないだろ。だから,発表原稿に「環指」と書いてあっても,読むときは「くすりゆび」と読まなければ聞いている人に意味が伝わらないよ。せっかく相手に聞いてもらうんだから,わかる表現で話さないと発表した意味が無いだろ。
 私が医者になって学会発表するようになり,一番最初に教えてもらったことの一つですが,現在でもこの教えは守っています。

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【五輪フィギュア 採点傾向に変化,ジャンプ回転数甘めに】
 フィギュアスケートには採点基準がある。その基準に合致した演技ができれば得点が高く,基準に合致しない演技はどんなに完成度が高くても得点は高くならない。そういうルールだからしょうがない。
 そうであれば,その基準に合わせて演技を変えていくのは当然の戦略といえる。評価はどうでもいいから自分が好きな演技をしたい,という考えもありだとは思うが,オリンピックで金メダルを取ることを最終目的にするのであれば,採点方法に合わせて演技を組み立てるという方法論しかありえないはずだ。
 100メートル走とか重量挙げだったら,勝敗はストップウォッチや秤があればいい。やり投げや砲丸投げ,走り幅跳びも巻尺さえあれば判定は明快だ。評価の基準は数字だけであり,判定がもめることはない。
 しかし,100メートル走に「走る姿の美しさ,走る技術」という基準が加わるとどうなるか。優劣の判定は一挙に混沌とする。「美しさ・技術」という主観が入るからだ。当然,判定基準に異論が噴出する。
 そういう異論を封じるために,判定する側は基準を数値化する。例えば,大腿と下腿のなす角度,大腿と脊椎のなす角度,下腿と足関節のなす角度で「美しい角度とは何度か」を決め,「美しい歩数」を数値化する。それが美しいかどうかではなく,美しいと決めたから美しいのだ。要するに,パラダイムにしてしまえばいいのだ。
 フィギュアスケートの判定基準はこれと同じではないだろうか。速度といいう数値化できるものを競うスピードスケートとの差異を出すためには,「美と技術」を判定基準に入れるしかなくなり,「美・技術を数値化」する必要が生じたのだろう。「美・技術は判定できるのか?」という根本問題を問わずにとりあえず判定する,と決めるしかないわけだ。無理やり作った人工的基準である以上,審査される側がその審査基準に合わせて演技しなければいけないのだ。

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【120周年「ヱビス」が巻き返し プレミアム・モルツと攻防激化】
 私は,ビールを飲み始めた頃から「ヱビス派」です。「ビールと言えば米・コーンスターチ混ぜビール」が常識だった昭和の御代からただひたすら麦芽100%ビールを作り続け,ドイツに輸出しても「ビール」の名前で販売できる唯一のビールを作り続けたのがヱビスビール(後にサッポロビールに吸収されましたが)だったからです。
 「米・コーンスターチ混入ビール」全盛の世にあって,値段も高いヱビスビールは苦戦を続けます。それでも,本物のビールを飲みたいと渇望する飲んべえに支持され,ヱビスビールは細々と,しかしゆっくりと確実に販路を広げ,やがて「麦芽100%ビール」というニッチを確立しました。長年,ヱビスビールを支持して買い続けたファンとしては,テレビコマーシャルにヱビスビールが登場した日は忘れられない一日でした。ついにヱビスもコマーシャルするくらいメジャーになったんだ,と感動したことを覚えています。
 そして,麦芽100%ビールが商売になるとわかって参入したのがサントリーであり,投入されたのが「ザ・プレミアム・モルツ」です(・・・私の理解では・・・)。勝てるとわかってから参入したようなものです。
 だから私は,プレミアム・モルツは美味しいかもしれませんが飲もうと思いません。ヱビスビールの苦難の道を知っているからです。安全な道を行く企業より,道なき道を先頭に立って切り開いた企業の方がすごいと思うからです。

 これは,アップルやソニー,ビクターやパナソニックのポータブルオーディオプレーヤー(MP3プレーヤー)を,私は絶対に買わないのと同じです。MP3プレーヤーの代名詞がiPodであることが許せないのです。
 以前にも書きましたが,CreativeやiRiverなどの台湾や韓国のミニ・新興メーカーがMP3プレーヤーを開発,販売しましたが,当時のそれらはオモチャ同然,海の物とも山の物ともつかぬ中途半端な商品でした。しかし,このオモチャが指し示す将来の可能性に賭けて,この商品がよりよいものになることを信じて,ごく一握りのユーザーはこのオモチャを買い続けました。
 128MBしか容量がなくCD2枚分のデータも入らないプレーヤーもあったし,ポータブルCDプレーヤーよりはるかに重くてでかいMP3プレーヤーもありました(私,どっちも買っちゃいました)。内蔵メモリを持たずコンパクトフラッシュカードに曲データを保存する形式なのに,純正品のCFカードしか受け付けず他社製品のCFを絶対に読み込まないMP3プレーヤーもありました。その純正品のCFがまた高いのなんのって・・・。もちろん,私は買いましたよ・・・泣く泣く・・・。おまけに1ヶ月で壊れやがって・・・。
 まさに百鬼夜行の状態でしたが,ユーザーは,そうやってゆっくりと成長していくMP3プレーヤーという商品の成長を楽しみながら見守っていたと思います。そしてMP3プレーヤーは次第に,「普通の家電商品」として受け入れられるようになってきました。中小企業が苦労の末に,MP3プレーヤーという「マニア向けのニッチ商品」を「普通の商品」にまで育て上げたようなものです。

 そこで満を持して,巨大メーカーのアップルとソニーが参入します。MP3プレーヤーは商売になるとわかったからです。小規模メーカーが苦労して見つけ出し,努力して作り上げたニッチを,大企業が横取りしたようなものです。小規模メーカーの弱点である「どんくさいデザイン・操作性の悪さ」という欠点を巧みにつき,アップルは瞬く間にMP3プーレーヤーのトップメーカーになりました。見事な戦略です。儲かるメーカーとはこういうものでしょう。
 だからこそ私は,iPodは絶対に買いません。CreativeやiRiverなどの,道なき道を切り開いてきたメーカーを応援したいからです。私にとっての悪夢は,これらの有機ある先発メーカーが潰れ,デジタルオーディオプレイヤー市場をアップルが独占する日が来ることです。

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【「永遠に残るデータの恐怖」とその対策】
 フロッピーディスクがようやく標準装備された頃からコンピュータを仕事に使ってきた世代,という立場から「コンピュータのデータ」ということをちょっと振り返ってみました。
 最初期の頃,個人のデータを保存するのは大変でした。フロッピーディスクはあるものの,ソフトごとにディスクを替えたりしていくうちに,「あのデータはどのディスクに入れたんだっけ?」ということになり,いつの間にか行方不明に,なんてことは日常茶飯事でした。もちろん,ハードディスクはありましたが,個人が気軽に買えるお値段ではなかったんですね。
 一番最初に買ったノートパソコン(Epson 286-F)はもちろんフロッピーディスクのみという機種で,ハードディスクが登載されたノートパソコンを手にいれたのは結構あとだったと記憶しています。ようやく,データをどんどん溜め込める時代が到来したわけですが,それでも「あのデータ,どこに入れたんだっけ?」状態に変化はなく(OSの検索機能が貧弱だったので,人間の記憶に頼っての「検索」が必須だったんだよ),おまけに,当時メインで使っていたワープロソフト(「松」です。いいソフトでした)やデータベースソフト(dBASE III。インタプリタ言語が使えて自由にプログラミングできたっけ)が,その後程なく市場から消えてしまったため,「データはあるのにソフトが無いから読めない」なんてこともよくありました。あの頃は,データはいずれ読めなくなるもの,というのが常識だったんじゃないでしょうか。
 それを劇的に変えたのがGoogleの登場でした。Googleが自動的に集めたWEB上のデータは,Google社の巨大ハードディスクに溜め込まれていつまでも残っていて,いつでも検索・利用できるようになってしまったんですね。
 というわけで,この論文が取り上げる本が書かれたわけでしょう。過去のデータには「忘れたくないデータ」もありますが,一方で「早く忘れてしまいたい,なかった事にしたいデータ」もあるからです。ところが,Googleは「忘れて欲しいこと」と「忘れたくないこと」の区別をしているわけではありません。ここに問題があります。

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【マングース北上危ぐ 鹿児島市で確認8か月 70匹捕獲 専門家「本土の環境に適応か」 侵入経緯不明のまま】
 これまで,もともと南国の生物であるマングースは鹿児島の「寒さ」では繁殖できないと考えられていましたが,どうやら,寒さに耐えるために大型化することで適応しているようだ,という記事です。大型化すると体積当たりの体表面積の割合が小さくなり,体表から熱が逃げるのを抑えることができるからです。ちなみに,「寒冷地の動物は大型化し,熱帯では小型化する」をベルクソンの法則と言います。
 外来生物の問題は人間の経済活動に伴って発生したものです。本来の動物は移動できる範囲と移動手段の制限から,海や高山帯などの障壁を越えることができません。だから種の分離が起こります。しかし,人間が長距離・高速移動の手段を発達させ,広範囲で活動するようになると,それにともなって本来移動できない生物も移動してしまいます。その結果,在来種を圧倒して増えたり,在来種との交雑が起こります。
 外来生物の問題とは,経済のグローバル化の必然の結果といえます。

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【帰化でもダメ,外国力士「1部屋1人」徹底通達】
 日本相撲協会は一体何をどうしたいんでしょうか。恐らく協会の本音は
「相撲を潰すわけにはいかない。しかし,力士の数を日本人だけでまかなうには絶対数が少ないし,日本人横綱もいない。相撲という興行を成り立たせるためには強い外国人力士が絶対に必要だな。でも,外国人力士ばかりになっては相撲の伝統が維持できないよ。相撲の伝統を維持するためには外国人力士を入れない方がいいに決まっている。でも,日本人力士だけでは相撲の興行を維持できないんじゃないか。興行を維持するためには外国人力士が必要なんだよね。でも,外国人力士ばかりでは・・・」
と,本音と建前を堂々巡りしているだけじゃないでしょう。
 現状を正確に分析すると
  1. 日本人は相撲は依然として好きだし,相撲の伝統は大切に思っている
  2. しかし,日本人の若者で力士になりたいと思っている人間はとても少ない。
  3. だが,外国の若者には相撲に興味をもち力士になりたいと考えている人間が結構いる。
と,こういう事になっているはずです。となれば,道は二つしかありません。
  1. 外国人力士を入れずに日本人しか力士になれないと決め,それで相撲が衰退してもそれは仕方が無いと諦める。
  2. 外国人力士を入れて相撲を維持するが,日本の伝統を彼らに押し付けることはしない。相撲もこれからはグローバル化しなければ生き残れない時代なのだと諦める。
この二つです。これ以外の解決法はありません。
 結局,相撲協会は「相撲を維持するためには外国人力士に頼るしかないが,本音では外国人力士に入ってもらいたくない」と言っているだけで,こういうのを自家撞着といいます。
 相撲業界を潰したくなかったら,相撲協会は腹をくくるしかありません。どっちつかずの態度を続ける限り,「朝青龍の悲劇」を繰り返すだけです。

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 【「青色吐息」 福島空港のせつない現状】
 福島空港は,私がまだ利用したことのない空港の一つです。福島県は東京から中途半端な位置にあるし,新幹線駅も二つ(福島,郡山)あるため,飛行機で福島入りする必要性がありません。そんなわけで,今後も福島空港に降り立つことはまずないだろうな,という感じです。
 記事を読んでいると
平成5年度に30万人弱だった乗降客数は順調に伸び,11年度は過去最高の約75万7千人に達した。(中略)需要予測では,22年度で158万人に膨らむはずだった。
という試算にそもそも無理があったことは明らかです。多分,「6年間で2.5倍に増えたから,10年後には現在の2倍に増えてます」と計算しちゃったんだろうな。
 でも,「年間158万人」=「1日あたり4300人が飛行機に乗り降りする」ことを意味するんですよね。福島県の人口が204万人ですから「県民の470人に1人が,毎日必ず福島空港を利用」しなければ達成できない数字なんですよ。というか,JR福島駅の年間の乗降客が147万人ですから新幹線利用客より多くの飛行機利用客が必要なんですよ・・・「年間158万人」を達成するためには・・・。
 こんないい加減な試算を信じてお付き合いしてきたのがJALだったわけか・・・。そりゃ,潰れるわな。

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 【ペリーがパワポで提案書を持ってきたら】
 これはすごい! あのペリーがパワーポイントで「開国の提案書」を作ったらこうなるんじゃないか,という大真面目なお笑い記事です。
 ・・・というわけで,戯れに作ってみました。  ううむ,ツマラン物を書いてしまった。

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 【グリーンピース2被告,初公判で無罪主張】
 異論は多々あると思うが,捕鯨はそろそろ止めていいんじゃないのと思う。なぜかというと,鯨肉を誰も食べていないからだ。
 いつも夕食を食べている居酒屋さんでは鯨の刺身を出しているけど,そのお店でも食べるのは高齢の一人か二人だけで,それ以外では注文する人は全くいないという状態らしい。恐らくこれは,石岡だけの現象でなく,日本全体がそうじゃないだろうか。
 また,鯨肉は食べてみると実はそれほど美味いわけではない。少なくとも私は,牛肉や豚肉の方が遙かに美味しいと思っている。私の味覚が日本人標準かどうかは不明だが,世界を敵に回してまで食べたい味ではないのだ。
 「鯨を食べるのは日本の伝統」というのが農林水産省の言い分だが,もう既にその伝統は失われているのではないかと思う。もしも南氷洋での捕鯨が世界から認められ,捕鯨を再開したとしても,それで得られた鯨肉は日本国内で消費しきれないと思う。恐らく,学校給食に無理に押し付けでもしない限り,鯨肉は余って処理に困るはずだ。
 私は日本全国各地を訪れてその地の料理を食べているが,鯨が主食である地域に行ったことはない。過去には鯨を主な食料源としていた地域があったかも知れないが,少なくとも現代の日本においては鯨は国民食ではなく,なくなっても誰も困らない食材の一つにすぎないのである。

 シー・シェパードははっきり言ってエコ・テロ団体である。こんなバカどもに屈するのは悔しい,こんな連中の言いなりになるのはおかしい,というのは感情的にはよくわかる。しかし,誰も食べていない鯨肉を取るためにこんなバカ連中の相手をするのはエネルギーの無駄だと思うのだ。そして何より,南氷洋での捕鯨を日本が中止して一番困るのはシー・シェパードじゃないだろうか。攻撃相手がいなくなったら彼らは存在意義がなくなってしまうからだ。
 もちろん,農水省には農水省の意地があり,これまでのいきさつもあると思うが,そろそろ「捕鯨は日本の伝統」という呪縛から解き放たれてもいい時期ではないかと思うがどうだろうか

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 【「孤独死」はそんなに大きな問題か ー「いのちを守りたい」連発への違和感,偽善に惑わされまい】
 昨日もNHKの21:00からのニュース番組で「孤独死」問題が取り上げられていましたが,一人で誰にも知られずに死ぬことはそんなに悪いことなのかと,以前から違和感を感じていました。そこでこの記事を読み溜飲が下がる思いでした。
 人間は一度は必ず死にます。いつ死ぬか,どんな状況で死ぬかは事前に選べませんし決めることもできません。つまり,「死」に関してはあらゆる人間は平等です。どんなに大金持ちでも,どんなに高い地位にある人でも,死の時期を選べないし死の状況も選べません。生きている時は不平等でも,死の間際には全ての人間は平等です。
 だから,家族に囲まれて生活している人でも,深夜に心臓が止まれば一人で死ぬしかありません。つまり,孤独死か孤独死でないかは本質的な問題ではありません。
 「死」は誰にも平等に訪れ,理想的な死に方なんてありません。多くの人に看取られたから幸せな死に方ということもないし,誰にも看取られなかったからといって不幸な死に方というわけでもないはずです。誰にも看取られなかったから苦しい死に方をしたわけでもなければ,家族に看取られたから死の苦痛がないということもありません。違いは看取る側の感覚の違いです。
 「孤独死しないように,生前に多くの人とつながりあいましょう,連絡を取り合いましょう。そうすれば一人で死ぬことはありません」というのは大きなお世話です。「孤独死=不幸」という一方的な価値観を押し付けるなよ,と言いたくなります。
 私は自分が孤独死しても構わないと思っています。家族に看取られない死を迎えてもそれは自業自得です。年がら年中,週末には日本の何処かに行っていますから,旅行先のホテルで突然死なんてことが起こることは十分に予測できます。しかし,それがいつかがわからないし,予測もできません。避けることができないから,ジタバタしてもしょうがないのです。

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 メタボ腹囲は科学的根拠なし…線引き困難
 最初にメタボリック症候群が提唱されたのは確か,「内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併すると動脈硬化性疾患に罹患する率が高く,その中心が内臓脂肪型肥満である」,という研究が元になっていたと思います。そして,内臓脂肪型肥満かどうかがわかれば,ハイリスクであるということが強く予想できる,となり,それをうけて厚生労働相が音頭をとって「メタボ検診」なるものが始まったわけです。そして,「内臓脂肪型肥満⇒腹部肥満⇒腹囲を測ればいい」となり,腹囲男性85cm,女性90cm以上なんていう診断基準が決まったわけです。

 ところが調べてみると,日本国内だけでメタボリック症候群の診断基準がなんと5通りもあるじゃありませんか。それを自分の状態に当てはめてみると判りますが,ある基準では立派なメタボ症候群なのに,別の基準ではメタボ症候群ではないと言うことになることがわかります。おまけにこの5通りの診断基準を見ると,腹囲が必須項目であるものもあれば,必須項目ですらない診断基準すらあるのです。オイオイ,それはないだろうと思いませんか。
 これっておかしくないですか?例えば,前腕骨折の診断が5通りあって,ある診断基準によると骨折だが他の診断基準では骨折ではないとなる・・・と,こういうのと同じだからです。

 では,どこでボタンを掛け違ったのか。それは「内臓脂肪型肥満⇒腹部肥満⇒腹囲を測ればいい」というそもそもの発想の間違いです。内臓脂肪を測定するのは面倒だから,他の何かで類推できないか,と考えるからおかしくなったのです。これは要するに,脳腫瘍の診断を頭囲を計って診断できないか,血糖値を顔色(明度と彩度)で判断できたらいいのにな,というのと発想が同じです。最初から安易な方向に走ろうとするから,走る方向そのものを見失ってしまうのです。
 つまり,内蔵型脂肪が重要ならそれを直接測定すればいいだけなのに,それは面倒だから何かで簡単なもので代用できないかという発想がさもしいのです。こういう手抜き根性からは何も生まれません。生まれるのは混乱と不信です。

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 朝青龍,相撲界について昨日,一昨日と駄文を書いていますが,それに対して「これは,伝統の明文化云々より,彼を横綱にしたことが問題の根本である。彼は単に強いだけで横綱の器ではないし,日本文化も理解していない。そういう男を横綱にすべきでなかったのだ」という反論をいただきました。
 歴史的に見てると江戸時代には最高位は大関であり,横綱が番付に登場したのは明治時代になってからです。現在は「大関の位で二場所連続優勝,またはそれに準ずる成績を挙げると横綱審議委員会が推挙し・・・」と制度化されています。しかし,強ければそれでいいのか,横綱とは心技体の全てが抜群に優れているものに限るべきではないか,という意見は常にあり,内館牧子さんは朝青龍が横綱に昇進する際,彼には心技体の心が十分備わっていないと強く反対したらしいです。

 しかし私は,強い大関を横綱にするのは当たり前,横綱昇進の基準は勝ち数で単純に決めるべきだと考えます。「いくら強くても人間性が悪いから横綱にしない」というルールにすると相撲界はやがて崩壊するからです。
 スポーツや格闘技で「強くても人間が優れていないものは評価しない,弱くても人間性が優れているものが偉いのだ」とするとどうなるでしょうか。
  • プロ野球で,オリックスは勝敗数では下位だが,横断歩道でおばあちゃんを助けた選手がいたから優勝とした
  • Jリーグで,大分トリニータはチーム成績は下位だったが,人格が優れた選手が多いので来季もJ1になった
 要するにこれは,入学試験で「お前は試験は最高点を取っているが,性格が悪いから不合格」というのと同じです。これってどうでしょうか。

 なぜこうしてはいけないかというと,点数や勝敗という明確な客観的基準でなく,性格の良さ,目つきの悪さ,人柄の良さ・・・などの主観的な判断が基準になるからです。
 客観的な基準があるから人間は努力します。それが最も公平で明快であり,努力の方向性が明確だからです。しかし,主観的基準では人間は努力のしようがありません。Jリーグの優勝が勝敗でなく人格の優れた選手の数で決まるのだったら,選手はだれもサッカーの練習もしなくなり,努力もしなくなります。サッカーの努力が評価されないからです。そしてサッカー界は崩壊します。
 大相撲も同じです。心技体なんて実体のないものを基準にし,強くても高い地位に登れない,弱くても性格がよい(=相撲協会に楯突かない)相撲取りだけを高い地位につけるというシステムにすると,相撲を一生懸命に稽古しても意味がなくなります。一生懸命に努力しても高い地位につけないんだったら,力士は努力を止めます。適当に相撲を取り,理事会におもねる力士だけになります。それが出世の道だからです。
 だから,最強の男は最高の地位につけるというように評価の基準は単純明快にすべきです。「強さ=勝ち数」という明確な数値で強さを判定し,それによってふさわしい報酬が得られるようにすべきです。もちろん,その数字を基準とすることは妥当か,ということは常に問われ続けなければいけませんが,明確でない基準で評価されるよりは数段マシだし,努力のしがいがあります。

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 朝青龍の問題だが,モンゴルでは「朝青龍が大相撲の記録を破りそうになったので,追い出したんだ」とちょっと騒ぎになっているとか。そりゃ,そうだろうな。なんで解雇を迫られたのかは日本人にとっては何となく判るけど,おそらくモンゴルの人たちにはいまいちピンとこないと思う。
 ちなみに,朝青龍が本当に一般人に手を出していたら(実はこの点に関しても事実はよくわかっていないみたいだが),その時点で完全にアウトだ。ボクサーにしろレスラーにしろ柔道家にしろ,素人衆相手に力をふるうのは御法度だからだ(多分これは世界共通ルールじゃないだろうか)

 今回の問題はもちろん,朝青龍の個人的キャラの占める部分が大きいけど,外国人力士が増える一方である以上,今後も同様の問題は起きると思う。外国人力士が増えれば増えるほど,文化の衝突は避けられないからだ。稽古をしっかりして相撲の伝統を教え込めば相撲の伝統は守られる,というのは日本文化で生まれ育った人間に対しては有効だが,そうでない人間に対しては通用しないのだ。口伝という形式は情報伝達で最も脆弱なシステムだからだ。この脆弱な情報伝達システムに立脚しているのが「相撲の伝統」ではないだろうか。

 ではどうするか。解決策は一つしかない。「相撲の伝統」とされる「暗黙の了解事項」を全て明文化し,相撲部屋への入門時に契約書を交わすしかない。もちろん,英語,ハングル,ロシア語,モンゴル語・・・と各国語バージョンも準備しておくのは当然だろう。何もそこまでしなくてもいい,親方がみっちりと言葉で伝えればいい,という意見もあると思うが,「こういう事をしてはいけない,これをするのはルール違反,ここまでしたら解雇する」と明文化しておかない限り,将来必ず,同様のトラブルが起きるはずだ。
 朝青龍問題に怒るモンゴルの人たちには,「今回の朝青龍の退職はモンゴル人だからでなく,このルールを破ったからだ」と明文化したルールを持ち出して説明できれば納得してくれたと思う。

 文化とか伝統というやつは恐らく,閉鎖社会でしか維持できないものではないだろうか。
 例えば言語を例に取ると,方言同士では同じ日本人同士でも意志の疎通は難しいが(三河弁と土佐弁では会話が成立しないよね),江戸時代では全国各地がその状態で,早い話が山を二つも越したら言葉が通じなかったようだ。山二つ向こうの地域との交流がなければ,そもそも会話をする必要がないし,言葉が通じなくても何の問題もなかったのだ。
 しかし,交通が発達して簡単に移動できるようになると,その地方でしか通じない方言しか話せないようでは仕事にならなくなり,共通の言語が必要になる。そして,共通言語の必要度が高まるにつれて,地域限定言語の必要性はどんどん少なくなっていく。要するに,交通の発達は方言を駆逐していくわけだ。一種のグローバル化である。同様に,異なった文化,異なった価値観を持つ人間が暮らす上では,客観的な「明文化された共通のルール」が必要となるのだ。
 要するに,日本固有の文化は方言みたいなものであり,相撲界特有の伝統はさらに狭い地域にしか通用しない方言である。その村が孤立しているのならいいが,その他の地域と交流が始まったら方言に固執していてはいけないのである。

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 【無生殖で 5千万年を生き延びたワムシ】
 とても面白い記事なのですが,これだけを読んで理解できる人はいないんじゃないでしょうか。なぜかというと,ワムシについての説明がほとんどないからです。
 まず,ワムシというのは原生動物(真核生物)のなかの輪形動物であり,そのほとんどの種類は単為生殖,つまり,卵から孵化したものは全てメスになり,それが卵を産み,卵からまたメスが生まれ・・・というのを繰り返しています。
 ただし,環境が悪化するとオスが誕生し(ここで減数分裂が行われる),メスとの間で有性生殖をします。そこで生まれた卵はすぐに孵化せず,休眠状態となって環境がよくなるまで眠り,目覚めの時を待ちます。ちなみに,一部のワムシは常に有性生殖をしますが,この記事で問題になっているヒルガタワムシは単為生殖のみでオスが生まれることはありません。ここまでがワムシについての基礎知識です。
 一方,原生動物を含むあらゆる真核生物には寄生細菌や共生細菌,そして感染症を起こす細菌が必ずいますが,そのため,感染性細菌に対して宿主は免疫のメカニズムを獲得し発展させました。そして,有性生殖はそれに有利に作用します。有性生殖では必然的に遺伝子のシャッフルが起こるため,多様性が生み出されるというのがその説明です。
 ところが,ヒルガタワムシは基本的に単為生殖であり,遺伝子シャッフルは起きず,これは進化論的に不利に働くはずです。「単為生殖しかしないヒルガタワムシがなぜ感染性細菌との戦いで負けていないのか」という疑問が当然湧いてくるが,その疑問に答える研究がこれです・・・というのがこの記事なんですね。

 というわけでこの研究ですが,「単為生殖するワムシのごく一部」の生き残り戦略としては納得できるものですが,これは,「世界の一部にしかワムシがいない」世界でなら有効な戦略ですが,「世界中にワムシがい棲息している」現状ではあまり有効な戦略とは思えません。逃走先がワムシの生存に適した環境であるなら,既に別のワムシが棲息している可能性が高いからです。
 というわけで,とても面白い論文なんですが,もっと緻密な考察が必要ではないかと思いました。

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 【あかね色の秋田新幹線 「E6系」仕様公開】
 新しい秋田新幹線は確かに格好いいし最高時速も320km/hrです。しかし,この新幹線が悲しいのは「秋田新幹線だけ」では130km/hr以下でしか走れないことにあります。なぜかというと,秋田新幹線と山形新幹線は在来線の線路を走っている「地べた新幹線,踏切新幹線,単線新幹線」だからです。新型秋田新幹線が最高時速を出せるのは,青森からの新幹線「はやて」と連結してからなんですね。「一人で外に出られるのに,外に出るときはいつも親と一緒」みたいな感じです。
 さらに,盛岡から田沢湖線に入るとスピードが半分以下になるだけでなく,途中の無人駅に必ず停車して向こうから走ってきた秋田新幹線が通りすぎるのを待ったりするんですよ。なぜ止まるかって? それはね,単線を走っているからです。おまけに谷底を走っているため,雨が強かったりするとすぐに止まっちゃうし・・・。
 それなのに全席指定で,お値段は新幹線なんですよ。でも,ぼったくりバーみたいな新幹線,って言わないでね。

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 【パンデミックはでっち上げ?】
 「新型インフルエンザ蔓延は人類への大いなる脅威である」とさんざん煽っておいて,一体誰が得したんだ? という疑惑がヨーロッパの専門家の間で広がっているようです。この記事ではWHOと製薬メーカーの癒着ではないかと推測していますが,私は以前にも書いたとおり,WHOの体質そのものの問題だと思っています。 根拠となるのは,以前にも紹介したこの記事です。  WHOは感染症対策に予算の3/4を注ぎ込んでいます。しかしこれは,先進国では現状に即していない予算配分です。先進国では感染症による死者は少ないからです。だから,莫大な予算を計上するためには「パンデミックがすぐに起きても不思議ない」という情報を出し続けている必要があるはずです。私がWHOの担当者だったら絶対にそういう情報を流し,感染症対策に金をかけるのは当たり前だ,今から対策をとっておかないととんでもない大惨事になるらしい,という方向に世論を誘導します。要するに,恐怖感を煽って予算の正当性を主張するわけです。

 今から10年ほど前でしょうか,「エボラ出血熱で人類は存亡の危機に」という報道があふれていたことを覚えているでしょうか。エボラを題材にしたベストセラー小説もあったし映画も世界各地で作られました。漫画「ゴルゴ13」にもエボラが取り上げられていたくらいです。
 それから数年後はマールブルク出血熱騒動です。これも確か,映画になったはずです。そして,SIRS騒動,ニューヨークでの西ナイル熱騒動があり,そして5年ほど前からの「高病原性鳥インフルエンザの人間への感染」騒動があり(あの頃,居酒屋のカウンターで隣の客と鳥インフルエンザが話題になっていたくらいです),そして一昨年からの「恐怖の新型インフルエンザ」です。これらの情報は間違いなく,WHOが意図的に流したものではないかと思っています。なぜなら,エボラや鳥インフルエンザをテーマにした映画ではWHOやCDCの名前が何度も登場し,CDCの担当者が重要な役割を担っていたからからです。WHOがスポンサーか? と思われるほどの露出ぶりでした。

 そして,現時点で確かなのは,この「エボラから新型インフルエンザ」の恐怖の予測が全てが空振りだったということです。もちろん,危険性があるから危機感を煽るのは必要かもしれませんが,全戦全敗ではあまりに勝率が悪すぎます。「ナマズによる地震予知」より確度が低いのでは到底科学的とは言えません。
 もちろん,今日突然,高病原性鳥インフルエンザがヒトからヒトに感染するタイプに変異し,突如として世界中に蔓延する可能性はゼロではありませんが,それを言ったら何でもありになります。

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 わたし的に「いいホテル」というのは,朝起きたらドアの下から新聞がそっと差し入れられている,というホテルです。さらに上のランクは,新聞の種類がリクエストできる,というのがありますが,そこまで行かなくても新聞が入っているだけで「ここはいいホテルだな」って思っちゃいます(もっとすごいサービスってのがあるんでしょうが,泊ったことがないのでどういうサービスなのか想像すらつきません)
 同じ新聞サービスでも,部屋の外のドアノブに新聞を入れたケースがぶら下げられている,というのはちょっとレベルが落ちます。新聞が読めることを内側から察知できないからです。だから,チェックアウトしようとドアを開けて新聞がぶら下がっていることを発見すると,すごく悔しいというか,意味ないよ,って思っちゃいます。
 というわけで,一昨日,シェラトン都ホテル大阪に宿泊しましたが,嬉しかったのは,ドアの下に「新聞をドアノブにかけさせていただいております」という紙が入れられていたこと。なるほど,これならドアの外に新聞があることが判ります。ちょっとしたひと手間なんですが,格段にサービスが良くなった気がするんですね。こういうちょっとした工夫がいいです。

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 看護師さんばかりの講演と懇親会は非常に苦手です。懇親会で質問する人が周りを取り囲んで質問攻めになるのは嬉しいのですが,質問のレベルが低すぎるというか,「それはさっきも説明しただろ」というものばかりだとさすがにウンザリするんですね。例えば今回も,「アズノール軟膏はどうですか?」,「ヒルドイド軟膏はどうですか?」,「イソジンが駄目ならヒビテンはいいですか?」,「気管切開部の消毒はいらないということですが,PEGの消毒は必要でしょうか?」・・・という質問が延々と続くのです。
 こんな質問ばかり続くのでさすがにゲンナリし,「質問をするときは自分なりの答えを出してから,その答えが正しいかどうかを他人に問うべきです。自分の考えなしに質問するのは意味がありません。自分の考えを言わない質問は受け付けません」と宣言。いきなり質問者がいなくなってしまいました。
 ちなみに,その後数人の先生方とお食事会でしたが,こちらの方は面白かったです。特に歯科の先生が二人いらっしゃったため,口腔内常在菌と歯周ポケットの関係,歯周ポケットは原因なのか結果なのか・・・といった問題について討論できたからです。こういう「討論」は大歓迎です。

 以前から思っていることですが,看護師さんは「答えは何ですか?」と質問することが多く,医者は「答えがこうなる理由は何か?」と質問することが多いような印象を持っています。両者は似ているようで全く違います。前者は発展性のない質問,後者は発展性のある質問です。「なぜ」を問わない質問をいくら重ねて知識を得ても物事は理解できません。

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 【裸足で走る方が足への負担は軽い】
 「裸足で走るなんて野蛮」,「道路はいろいろな物が落ちていて裸足では危なくて走れないよ」,「靴を履いて走るから文明人」・・・なんて先入観を捨てると,こんなに面白いことが判明します。特に,[靴を履く]⇒[踵で着地する]⇒[踵の衝撃を吸収しなければいけない]・・・という方向に進化してきた靴メーカーの論理が根本から間違っていて,[裸足で走る]⇒[踵でなくつま先で着地する]⇒[足趾関節〜足関節がバネとして働き衝撃を吸収]⇒[そもそも踵を保護する必要がない]・・・というのが正解だったというのはまさに衝撃的です。
 人類が靴を履くようになったのはせいぜい1万年くらい前だろうし,それまでの700万年間は裸足で走りまわる能力を進化させてきたんだろうから,当たり前といえば当たり前ですね。そういえば,四足歩行する動物で走る際に踵で着地している動物ってあまりいませんね。そういう走り方を受け継いで二足歩行を始めたのが人類ですから,基本は変わっていないということなんでしょう。

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 いつもの居酒屋さんのカウンターで,雑誌「救急医療」の熱傷特集号を最初から最後まで,一字一句もらさず全て読み通しました。2003年1月号ですから,諸先生方が論文を書いたのはその1,2年前と思われますが,どのページをとってもツッコミどころ満載で,B級ホラー映画級に面白かったです。
 死亡率とか救命率などの数字に関してはいいのですが,治療理論や病態説明の部分って,私がまだ真面目な形成外科医だった頃(15年前)と全然変わっていなくて,こいつら,教科書を丸写しして書いたんじゃないの,という部分だらけです。この「熱傷特集号」全体がパクリで成り立っているみたいです。
 こういう「熱傷特集号」を作るために原稿依頼をされた先生方はもちろん,著名な先生ばかりですが,少なくとも彼らの書いた原稿は自分の脳味噌を使って書いていないことは明白です。そこにあるのは「昔の人が言ったことのオウム返し」であり,「昔の教科書のサル真似」だけです。

 オウム返しでいいのならオウムで十分,人間である必要はありません。サル真似でいいのならサルで十分,人間である必要はありません。サル真似とオウム返しだけでいいのなら,コピー機さえあれば本は作れます。
 サル扱い,オウム扱いされて怒った先生たちは,人間に進化してから反論して下さい。オウム返しでもサル真似でもない文章,サルとオウムには書けない文章を書いてください。

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 【7000年近く前に外科手術=前腕切断の人骨発見−仏】
 「フランスで,左腕がひじ関節上部で直線的に切断され,前腕のない推定6700〜6900年前の成人男性の骨が見つかった。切断は重傷の男性を救うための外科手術によるものと結論付けられた」というニュースです。元の論文を読まないとなんとも言えませんが,レントゲン写真で調べたということなので,切断された骨断面に骨再生などの生体反応があったということなんでしょう。
 とは言っても,なにしろ新石器時代ですから,意識のある人間の上腕遠位部を石器だけで「鋭利に切断」できたのか,ちょっと疑問もあります。記事では「肘関節上部」とありますので上腕骨での切断と思われますが,この部分の骨はかなり丈夫なため,ノコギリだけで切断するのも結構大変なんですよね。鋭い歯を持つ石器を肘上部に当て,重い石でも落として切断したのでしょうか。想像しただけで痛そうですが,それでも「鋭利に切断」できたかどうか,ちょっと疑問は残ります。
 それと,「外傷で破損した関節の残存部分が切除され」というのはいいとしても,「止血,感染症予防など高度な医療処置も施されたらしい」というのはどういうことなんでしょうか。「止血」とは恐らく,切断した骨髄の中に現在のボーンワックスのように泥が詰められていたんでしょうね。
 一方,「感染症予防対策」というのは「感染起こしそうな前腕の挫滅部分を予め切断して取り除くことで,将来の感染を防いだ」という解釈なんでしょうが,それをもって「感染症対策」と言い切るのはちょっと無理があるんじゃないでしょうか。なぜかというと,「ケガをした部分が次第に腫れてきて熱が出るようになり,やがて死んだ」ことは経験則として知っていたとしても,「そういうケガ人に対し,ケガの部分を取り除いたら死ななくなった」まではかなり距離があるからです。ケガをした人全員が死ぬわけでもないし,ケガをした人を助けようと思ってけガをしていない部分を切除することを思いついたとしても傷を塞ぐ手段はなかったからです。つまり,多くの症例はこの例のように腕を切断したとしても感染症を起こしたはずです。
 元の論文を読んでいないので何とも言えませんが,「止血」についてはいいとしても「感染症対策」と言い切るのは無理があると思います。

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 【全身透視しても,テロ抑止は困難】
 偶然,数日前にイスラム過激派問題の本を紹介したばかりですが,この「全身透視システム」をアメリカの全ての空港に導入してもテロ行為はゼロにできません。それこそ,「飛行機には衣服を着た乗客も手荷物を持っている人間も乗せない」としたとしても,それでもテロをやる気があればテロを起こせます。人間は工夫するのが好きで,制限が強ければ強いほどファイトが燃えてくるからです。
 これは要するに,「絶対に泥棒に入られない建物を作ろう」というのと同じです。絶対に泥棒に入られないようにするなら,まず最初にドアも窓も塞がなければいけません。外に出られるドアや窓があれば,外から入れるからです。同様に,通気口も塞がなければいけないし,水道やガスも電気も電話も侵入経路になりえます。要するに,外との交通を全て完全遮断し,物質も情報も含めて外にあらゆるものを出さない,外からあらゆるものを入れない,という建物にしなければいけないのです。
 というわけで,航空機テロを未然に防ぐ完璧な方法とは飛行機を飛ばさないか,乗客を乗せずに飛行機を飛ばすしかありませんし,検査を強化してテロを防ぐ,という方法論自体に限界があるか,そもそも無理があるということになります。これは「物理的な方法で細菌の侵入を防ぐ」のと同じで机上の空論に過ぎません。

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 細菌とはどういう生物か,私にはよくわかりません。でも,わからないままでは癪なので,「人間のサイズに置き換えてみるとどうなるか」と考えることで,何とか細菌の世界を想像してみようとします。
 細菌の大きさは1ミクロン前後です。一方,人間の大きさは赤ん坊から大人まで考えて平均をとるとおおよそ1メートルです。1ミクロン=1/1,000mm, 1mm=1/1,000mですから,長さで比較すると人間は細菌より100万倍大きいことになります。
 ということは,例えば細菌にとって直径1mmの水滴とは,人間にとっては直径1km,深さ1kmの巨大な湖になります。0.1mmの水滴ですら直径100m,深さ100mの巨大プールです。直径100メートルの空間があれば,人間はしばらく暮らせますし,直径1kmの空間だったらもしかしたら一生そこで暮らせる大きさです。つまり,一滴の血液,一滴のリンパ液があればそこで十分に暮らせるということになります。
 同様に,細菌にとって0.01mmの隙間は人間にとって10mの隙間であり,0.01mmの隙間は細菌にとっては開っぱなしのドアという感じでしょう。人間にとって0.01mmの間隙は限りなく隙間のない状態ですが,細菌にとってはそうではないはずです。

 では,厚さ5mmの壊死組織はどうなるかというと,人間にとっては5kmの厚さの組織であり,富士山の山頂より高くなり,表面から底面まで歩いて1時間かかる厚さです。5kmもの厚さがあれば,その表面と内部では物理的・化学的環境は全く違いますから,壊死組織表面で生存する細菌と内部で生存する細菌は全く違っているはずです(・・・というか,同じ細菌が生きていると考える方がおかしい)。つまり,壊死組織表面を培養して細菌が同定できても,その細菌が5km下の組織で感染を起こしている細菌と同じという保証はありません。むしろ,細菌の種類が異なっていると考える方が自然です。
 もちろん,このようなアナロジーで細菌の世界が理解できるわけじゃないですけどね。

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 ある方から教えていただいた「残虐衝撃映像」です。とは言っても,これは大多数の世界中の病院で毎日行われている「医療行為」なんですけどね。この医者様は傷を治そうとして,一生懸命,心を込めて大量のイソジンを傷の中に力一杯注ぎ込んでいるんですよ。恐らく,今日も同じ治療を受けている人が日本のあちこちにいるはずです。  無知に基づいた熱心な善意ほど恐ろしいことはありません。傷を深くする稿かしかなく,痛みだけはしっかりと与えてくれる行為が「治療」と呼ばれ,患者さんはそういう無知医者に「治療をしてくれてありがとうございます」と頭を下げる,これが医療現場の現実です。

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 【日本の近代化と翻訳 世界の常識にさからった明治政府】
 フランス文化について学ぼうとしたら,通常はフランス語を学び,フランスに留学します。ドイツ文化を学ぶなら何をさしおいてもまずドイツ語の勉強です。これが他国の文化を学ぶ王道です。しかし,明治の日本はそういう王道を歩もうとせず,欧米の書籍を日本語に翻訳して勉強しました。それはなぜなのか,という記事です。
 ちなみに,個人的に一番面白かったのが,書き言葉,話し言葉としての「共通語としての日本語」の成立に翻訳文が果たした,という部分です。江戸時代には日本全体に通用する「日本語」はありませんでした。当時の日本にあったのは津軽の言葉,越後の言葉,京都の言葉,薩摩の言葉であり,現在でも薩摩弁と津軽弁では会話が成り立たないように,江戸時代では生まれ育った地域が異なる人同士では会話はほぼ不可能だったそうです。
 江戸時代の手紙には「候文(そうろうぶん)」が使われていましたが,これは話し言葉が通じない日本人同士が互いに意思疎通をするために編み出された人工的共通語みたいなもので,候文があったから越後の武士と豊後の武士は話し言葉は通じなくても書き言葉で意志を疎通できたわけです。これは,吉原における「ありんす言葉」と同じです。
 そして明治では,翻訳文が新しい日本語の標準になったのでは,というわけですね。なるほどね。

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 【日本で電子ブックを成功させるには】
 以前,電子ブック関連の論説を紹介しましたが,ここでも再販制度が電子ブック普及を阻止していることが説明されています。「これまで日本の出版を守ってきた独自の制度である再販制度を維持することが,日本の出版業界の健全な発展に必要不可欠だ。電子書籍の販売は再販制度になじまず,再販制度を破壊するものだ」というのがその論拠です。
 この問題に対し,この論説では「馬車事業と鉄道事業」を持ち出して見事に説明していますが,同様の問題はこれまで社会構造の転換期にいつも起きてきたものです。地動説の時代になると天動説しか知らない天動説の専門家は失業したし,明治維新では武士が大量失業したし,武士がいなくなると刀鍛冶も職を失います。自動車が普及すると馬車を作る職人は失業します。
 やがて先進国では書籍も雑誌も新聞もダウンロードして読むものが主流になります。紙の書籍のメリットとデメリット,電子ブックのメリットとデメリットを天秤にかければ電子ブックに移行しないということはありえないからです。日本の出版界があくまでも再販制度を守るつもりなら,日本だけ完全に鎖国して海外の電子ブック情報を一切国内に入れない限り不可能です。

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 【タリバンを相手に「勝ち目」はない 「戦の終わり」を宣言した米国と,事実上「単独支援」を表明した日本】
 アフガニスタン,パキスタンの現状とタリバンについての本を時々読みますが,読めば読むほどタリバンを武力制圧は不可能であることが判ります。パキスタン政府とパキスタン・タリバンの関係も複雑ですが,それより面倒なのはアフガニスタンの状況です。民衆に全く支持されていないカルザイ政権を欧米が支持している点にあります。
 アフガニスタン復興の象徴として民主選挙で選ばれたのがカルザイさんで,当時の日本のマスコミ,政治評論家は彼を「政治指導力のある高潔な人物」と持ち上げていましたが,軍閥を重用し,ケシの栽培を促してアヘンの輸出で富を得,腐敗政治の象徴と国民に見られているようです(さまざまな報道でこの情報は一致しています)
 そして,タリバンの兵士を生み出す組織としてのイスラム神学校の問題も,アフガニスタンの貧困問題と無関係ではなく,そもそも公的教育の実施にアフガニスタン政府が無関心であることがそもそもの原因と言われています。
 タリバンを力でねじ伏せようとしても絶対に不可能です。オバマ政権は「撤退期限を決めてなおかつ3万人増派する」という奇策にでましたが,恐らくこれは全く効果がないだろうということは誰が考えても判ります。同時に,岡田外務大臣が考えるような「民生支援」は,現在のアフガニスタンでは絵に描いた餅,机上の空論です。

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 その仙台での宴会でご一緒させていただいたのが,元ベガルタ仙台の育成部GKコーチの高橋範夫さんです(ちなみに今シーズンからファジアー岡山のコーチに移籍されます)。2001年にお子さんの怪我をきっかけに病院での傷治療に疑問を持たれてメールを頂いたのがそもそものご縁でして,その後,NHKの「ためしてガッテン!」やフジテレビの「とくダネ!」にも出演していただき,治療の普及に努められていらっしゃいます。
 今回初めて「生ノリヲ」にお会いできましたが,とても理知的で誠実な人柄で,こういう人だから2001年というごく早い時期から湿潤治療に関心を持たれたのだなと納得しました。ちなみに,翌日講演もしていただきましたが,「生まれて初めての講演で緊張しています」とのことでしたが,とてもわかりやすく論理が明晰な講演でした。
 岡山に移られても頑張ってください。

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 湿潤治療で傷を治す医者は偉いのか。傷なんて,創面が乾かないようにして傷が治るのを邪魔するの使用を止めると勝手に治ってしまうのだから,そういう治療をしている医者は偉いわけではない。だから私は偉くも何ともないし,大したことをしているわけでもない。偉い医者とは,自然に治らない病気を治せる医者だ。自然に治るものを手間隙かけて治す医者はすごいことをしているわけではないし,威張るのはおかしい。だから
  • 褥瘡を治してもまた再発するし,「褥瘡が再発しない状態」にもできないから,褥瘡の治療は偉くない。
  • 陰圧吸引療法(VAC)でなくても深い傷は治るのだから,VAC療法は偉くない。
  • 3度熱傷はラップだけで治るので,3度熱傷を保存的に治す私は偉くない。3度熱傷に植皮して治す治療はもっと偉くない。
  • 培養皮膚移植も実は全然偉くない。
  • ゴミ袋だけで治る傷なんだから,傷治療用のフィブラストや各種軟膏も偉くない。
  • 放っておいても勝手に治る深くて広範な組織欠損なんだから,それに対する遊離組織移植術も偉くない。

 「なんだ,湿潤治療ってたいしたことないんじゃん。素人でも治療できるんじゃん」,と言われるようになるのが私の理想です。

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 【「脱・白衣」広がる 子の緊張和らげ,清潔な服で診察】
 確かに白衣を見ただけで緊張する患者さんはいるけど,それって白衣に恐怖を感じているのでなく,医療行為への恐怖(=医者に対する恐怖)がまず最初にあり,それが「白衣が怖い」と転化しただけのことで,「白衣を着た医者は怖いけど,ポロシャツの医者は怖くない」とはならないはずです。変えるべきは白衣ではなく,その病院で行っている治療法ではないでしょうか。衣服を変えるような小手先の工夫をするのでなく,もっと根本的なところで工夫すべきではないかと思います。

 私は外傷患者しか診ていませんが,ヤケドでも挫創でも「子供は泣かせない,泣いたまま子供を帰さない」ことを大原則にしています(・・・たまに泣かせちゃうけど・・・)。外来から子どもが泣いて出てきたら,負けだと思っています。
 また,たとえ2歳児でも本人が納得しない治療行為はしない,本人が納得するまで可能な限り説明して説得することにしています(これを外来で実際に行っていることは,外来見学に来られた先生がご存知でしょう)
 また,アナムネは患者本人(=子供)から直接取るようにしていて,両親と話すのは事実関係を確認するときだけです。ちなみに私の得意技は,初対面の幼児とすぐに仲良くなること,彼らから直接アナムネを聞き出すことです。

 私の外来に来る子どもたちは全員,けが人だったりヤケドの患者ばかりですが,外来は患者さんの遊び場みたいなものです。傷の処置が終わったら,「また明日も遊びに来てね」が合言葉となっています。
 だから私は白衣のままで,ポロシャツにする必要は全くありません。

 ちなみに,外来見学は随時受け付けていますので,「外傷の幼児が泣かない外来があるわけない」と疑っている先生は,是非見学にきてください。子どもが泣かない外来は簡単に実現できます。

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 【「うつ百万人」陰に新薬?販売高と患者数比例】
 抗うつ剤のSSRI(パキシル,デメロールなど)が発売されて,それにともなって製薬メーカーの「うつ病啓発キャンペーン」が盛んになって,それに参加した医者が何でもかんでも「この人はうつ病」と診断するようになり・・・という解説です。
 高脂血症という検査異常が「病気」として認識され,「病気なら治療が必要」になり,メタボ検診で「自分は高脂血症という病気だ」と認識した患者が病院を受診し,その結果,リピトールは「世界で一番売れている処方薬」の座を維持し続けています。
 要するに,病気は発見されるものであり,「これは病気だ」という新レッテルが貼られた瞬間,それは社会からも「病気」として認識されます。問題は,医者にとっても患者にとっても,病気Aと病気Bの軽重の違いがよくわからなくなり,病気AとBが同列に扱われるようになります。つまり,肺癌も高脂血症もうつ病も同等となり,肺癌が治療されるようにうつ病も治療されるようになります。

 ちなみに私は,高脂血症のような「検査値異常病」のことを「北斗の拳」病と密かに呼んでいます。「お前はもう死んでいる」と言われて初めて自分が死んでいることを認識するのと,検査データを見た医者から「君は病気だ」と言われて自分が「病気」であることに気がつくのは,同じ構図だからです。
 ちなみに「北斗の拳」病は自覚症状がなく,探そうと思うと患者予備軍が沢山いるため(何しろそれまで「病気」として認識されていなかったからね),見つけたら莫大な富(=薬の売り上げ)を生み出します。しかもそれに,薬好きの国民性が加わると鬼に金棒です。

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 実家の母親(70代半ば)が,「今月になって町内会で2つも葬式があって大変だった」,と言っていた。確かに年金生活で月に2回の香典は痛いよな,と思う。そんな母が言ったこと。「75歳になったら自分より年上の葬式には香典を出さなくてもいい,という法律を作ってくれないかねぇ」。
 高齢者ばかりの田舎ではこういう法律は必要かもしれないな,と妙に納得しました。

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 【一般市民による心肺蘇生で生存率向上−消防庁統計】
 生存率が向上することがはっきりと数字で示されました。要するに,「専門家を増やすことにより救命率を向上させる」のではなく,「素人にできることは素人にしてもらい,それで救命率を向上させる」方が効率がいい,ということじゃないでしょうか。
 ここで「AEDは専門知識を持った専門家が扱うもの。素人が触ったりできないように法律を整備し,1年間の講習を受けた人にだけ使用許可証を出すようにしよう」・・・なんて方向に持っていっちゃいけないのです。方向性としては,初めてAEDを使った人でも間違いなく簡単に作動するAEDを開発する方向が正しいと思います。

 ここでどうしても思い出すのは,日本褥瘡学会の「褥瘡は専門医,認定看護師が治療するもの」という方針です。OpWTで素人でも処置できる褥瘡なのに,治療現場から素人を締め出すことに汲々としています。やはり,こういうアホ学会,潰すしかないなと思ってしまいます。

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 【肉のうま味が分からない?=「主食は竹」の一因か−パンダのゲノム解析・中国など】
 この解説記事では,
「肉の消化酵素の遺伝子がそろっている一方で,植物の繊維の主成分セルロースを消化するのに必要な遺伝子がなく,腸内の微生物群に依存していると考えられる」
と説明していますが,肉食動物が草食動物になるのは実はとてつもなく大変なことです。
 まず,哺乳類はおろか,節足動物まで含めてもセルロースを自力で分解できる動物はいません。セルロースを分解できる地球上の生物は大雑把に言えば細菌のみです。だから,セルロース分解細菌との共生なしに植物を栄養源にできる動物はいないのです。植物を栄養とするためには,加熱などの物理作用や特殊な薬剤での化学作用でセルロースを分解する必要があり,それができなければ,セルロース分解細菌の助けを借りるしかありません。
 一方,セルロース分解細菌はどこでも生存できる細菌ではなく,生存に最適の物理的・化学的環境とエネルギー源が必要です。だから,「これまで肉食だったけど,明日からは草食」とはいきません。腸管粘膜の状態などがセルロース分解細菌の生存と増殖とセルロース分解に最適の状態になっている必要があります。
 ましてパンダは,竹という特殊な植物に適応した食性を持つ動物です。竹を食べる動物がほとんどいないのは,竹は若葉にアルカロイド系の毒を持つ植物であるためらしいです(このあたりはうろ覚えの知識なんで間違っている可能性がありますが)。このため,例えば霊長類で竹を主食ととしているのはキツネザルだったかインドリの3種類くらいです。
 また,肉食に最適の消化管(=タンパク分解酵素を分泌する消化管)と,草食に最適の消化管(=セルロース分解細菌が生存するのに最適な消化管)では,消化管の基本構造を変える必要があり,気が遠くなるような膨大な作業が必要です。
 このように考えると,本来肉食であったパンダが竹を主食とできるまでに,どれほど膨大な時間が必要だったかがわかります。「肉がなかったら竹をお食べ」というわけにはいかないはずです。

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 先週,英語の日本語翻訳の問題を取り上げた記事を紹介しましたが,この問題についてちょっと追加。

 日本の英語教育が「英文を読む」ことに偏重し,「英語を話す」ことを軽視(というか無視)してきたのはなぜかというと,明治政府が「欧米の優れた文化を取り入れなければ日本は潰れてしまう。そのためには,欧米の文献を読めなければいけない」と考え,「英文を読むこと=英語教育」と決めたかららしいです。この目的のためには,英文法を学ぶことが最重要と考え,文法重視の英語教育が始まったんだとか。
 しかし,「英語を学んで欧米人と対等に会話をしよう」とは考えていなかったため,「英語会話教育」はそもそも想定していなかったんですね。「欧米人が書いたものを理解できるようにするのが英語教育の目的」だったからです。

 このあたりは「日本人と漢文教育」と同じです。奈良時代から明治中期まで,日本人にとっての「教養」とは「漢文が読めること」でした。優れた中国の文化を取り入れるためには漢文が読めればいい,という構図です。そこで,返り点を漢文に入れることで「漢文を日本語として読む」方法を案出します。ちなみに,菅原道真が最高の文化人,学問の神様と呼ばれたのは,漢文がスラスラ読め,中国人と同レベルの漢詩が作れたからです。
 奈良時代から現代まで漢文の読み方は学校で教えますが,「中国語」を教えているわけでないことに気がつきます。中国人と会話することは最初から想定外だったからです。あくまでも,中国人が書いた中国語の文章を「漢文」として読むことだけが目的なんですね。

 というわけで,1400年前から日本人と外国語の関係は変わっていないのかもしれません。

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 【暗闇50年,ハエ「進化」…1400世代飼育】
 1400代を経て,ショウジョウバエの生殖行動が変化することにより,通常のハエと交尾しなくなったということです。なんと遺伝子そのものも変化しているようです。
 それにしても,なんと息の長い実験でしょうか。飼育実験が始まったのは1954年,つまり私が生まれる前です。それからおそらく,専任教授は3〜4人変わっているはずですが,いつ実験結果がわかるともしれない忍耐強い実験を続けてきたことに何より驚き,感動します。凄いことです。

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 【入院患者の27% 高血圧症が持病】
 高血圧にしても糖尿病にしても,自覚症状が出るのは病状が進行して末期になってからです。それまでは自覚症状はありません。病院で血液検査をして,「あなたは高血圧(糖尿病)だ」と医者に指摘されてはじめて,自分が病気だと気付くだけです。
 このあたりは,「北斗の拳」と同じで,ケンシロウと戦った相手は,ケンシロウに「お前はもう死んでいる」と言われるまで,自分が死んでいることに気がつきません。それと同様,「お前はもう糖尿病だ」,「お前はもう高血圧だ」とケンシロウ先生に指摘されない限り,本人には気がつきようがないのが糖尿病であり高血圧だ,ということになりそうです。
 ということは,高血圧や高血糖の基準値(=人為的恣意的線引き)をちょっと下げると「高血圧患者」は倍増し,基準値を上げると患者は半減することになります。これが商売に直結すると,すごくおいしい商売になるわけです。例えば,世界で一番売れている処方薬と言えばリピトールですが,これはもちろん「高脂血症の患者が増えた」というこことなんですが,見かたを変えると,ケンシロウ先生が「お前はもう高脂血症だ」と指摘してくれたからリピトールを飲まなければいけなくなった,ということにもなります。ということは,高脂血症の基準が140ng/dlでなく150だったら,そんなに売れなかったはずです。
 以前紹介した『感染症は実在しない―構造構成的感染症学』では,こういうところにも切り込んでほしかったですね。

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 事業仕分けを見て思ったのだが,「予算」というのも不思議なシステムである。
 普通なら「病気になったのでこのくらい金が必要です」と請求するはずなのに,「来年はこういう病気になる予定なので,このくらいの医療費を予算として要求します」というシステムだからだ。こういうシステムでは必然的に「来年は大した病気にならないだろう」と考えるのではなく,「大病にかかるかもしれない,大怪我をするかもしれない」と過剰に請求することになるのは人間の性(さが)だろう。
 要するに,「必要とされる額より多め」の請求をするのが常識となり,貰えるなら請求しないのはバカ,予算額を使いきらないのはもっとバカ,となるはずだ。そして何より,予算を請求した時点ではその請求額が適正なものか過剰なものなのかは請求した本人を含め,誰にもわからないと言う問題点がある(未来は予測できないもんね)。それが適正だったか過剰だったかは,翌年にならないとわからないのであり,わかった時点ではすべての予算は使われているのである。これが毎年繰り返されるわけだ。
 もちろん,会社とか自治体とか国家のレベルになると「未来予測型予算請求」でないとうまく運営できなくなるからなんだろうけど,「今,この料理が食べたいから注文しよう」ではなく,「来年食べたくなるであろう料理はこれなので,前もって注文しとくね」というシステムは,本当に最善のシステムなのだろうかって,ちょっぴり疑問に感じたりして・・・。

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 【レコ大にEXILEら!優秀作品賞など決定】
 「レコード」を聴いたことがない世代って,どの年齢層以下なんだろうか。多分,「レコード大賞」という言葉を聞いて「レコード」の意味がわかっていない世代っているはずだよね。
 CDとLPレコードについてちょっと調べてみると,CDがSonyとPhilipsから開発されたのが1981年,CDのシェアがLPレコードを上回ったのが1986年,1988年になるとCD:LP=9:1となり,ほぼこの年にLPレコードは市場から姿を徐々に消していったようです。つまり,昭和の終焉に期を合わせるようにLPレコードは消えていったわけでして,1988年ころに10歳だった人より下の世代は,LPレコードを見る機会がほとんどなかったはずです。
 というわけで,「レコード大賞」という名称を,「カセットテープ大賞」,「MD大賞」,「フロッピーディスク大賞」,「Zipドライブ大賞」,「98大賞」,「MS-DOS大賞」,「CPM大賞」,「TK-80大賞」,「真空管大賞」・・・と置き換えてみるとちょっと面白いです。

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 【時間切れまで猶予なし 家電リサイクルの2011年問題】
 工業製品は時間の経過とともに必ず劣化します。「モノ」の宿命であり,「モノ」はエントロピーの増大に抗することが不可能だからです。
 2011年7月のアナログ波停止に伴う大量のブラウン管テレビの廃棄が起こることが予想されますが,これは,テレビ本体の劣化でなく,情報伝達方法の切り替えに伴ってアナログテレビというシステム自体が劣化した,と考えることができます。
 従来なら,劣化した「モノ」は発展途上国などに運ばれ,再利用されてきました。劣化した工業製品であってもまだ十分に使えるからです。エントロピーでいうと,溜まったエントロピーを発展途上国に吐き出しているのと同じです。その結果,先進国では低エントロピーのきれいな工業製品が並び,発展途上国では劣化した高エントロピーの工業製品が使われるということになります。要するに,便利で文明的な生活とは,どこかに「高エントロピー化してきて不便になった工業製品」の捨て場があってこそ可能なのです。
 しかし,「エントロピーの捨て場」はいつか満杯になります。そして,「エントロピーの捨て場」獲得競争が始まります。現時点ではマレーシアがその場であり,そのマレーシアもそろそろ一杯になりつつあるらしいのです。

 それに対し,「先進国で劣化したモノは先進国で使えるモノに変えて先進国で使おう」という動きが出てきました。リサイクルです。これは一見,まっとうな方針に思えますが,実は盲点があります。劣化して低エントロピー状態になったものから,高エントロピー状態のモノを作るには,エネルギーが必要だということです。
 実際,ペットボトルをリサイクルするためには,石油からペットボトルを作る以上のエネルギー(=石油)が必要となります。リサイクルでエコな生活,というのは実は,高エネルギー投入が背景に隠れているからこそ可能なものではないかと思います。

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 「いわゆる進化論」に対する反論・疑問は今でも主張されていて,その一つが「Intelligent Design(ID)」という考えのようです。要するに「こんなに複雑で精妙な器官がランダムな突然変異と自然淘汰でできるわけがない。超自然的な知性(インテリジェンス)によってデザインされているとしか思えない」という主張です。ま,要するに,聖書馬鹿,聖書原理主義のアメリカの宗教おバカさんたちからの反論ですね。

 進化論の考えを確立させたダーウィンですが,最後まで彼を悩ませたのが「眼」であったことは有名です。彼は自然淘汰による種の分離はほぼ間違いないと確信していましたが,目のような複雑な器官が自然淘汰で作られるのは無理ではないか,ということに最初から気が付いていたそうです。
 同様に,カンブリア紀の大爆発についても,なぜこんなに短期間(といっても数千万年ですが)にこれほどまでに多様な動物が進化したのか,それは自然淘汰では無理ではないか,という疑問も常に提出されてきました。何しろ,6億万年前に2胚葉動物(クラゲなど)が生まれてから数千万年間,似たような動物しかいなかったのに,5億3000万年前のカンブリア紀に入ると一挙に多様化して現在の動物の「すべての門」が誕生するのですから,当然の疑問です。突然変異と自然淘汰によって生物の多様性が生まれたのなら,一定の速度で多様な生物に分化していくはずではないか,という疑問が出されたのは当然のことです。

 最初の「眼」の問題については,以前紹介した『眼の誕生 −カンブリア紀大進化の謎を解く−』のなかで見事に説明されていて,超自然的な「知性」の関与なしに目が進化した過程が解き明かされています。また,カンブリア大爆発の問題については,「化石になって残っているのはリン酸塩の硬い殻をもつ生物だけで,それを持たない動物は化石にならない。先カンブリア紀からすでに動物の多様性は始まっていたという証拠がある」という反論がなされています。
 ちなみに,IDに対する反論というと,こういう記事もありますインテリジェント・デザインと矛盾する古代魚

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 【肺の無い新種のアシナシイモリを発見】
 鼻孔,肺,足のない陸上生活する両生類の一種,アシナシイモリの新種が発見されたというニュースです。陸上生活をする生物で体表で呼吸する生物といえば昆虫ですが,両生類で完全な陸上生活する種類はなかったような気がしますがどうでしょうか。
 そして,今回のアシナシイモリの体長が11センチというのも面白いです。昆虫の体長と同サイズだからです。
 昆虫は体表にある気門から空気(酸素)を取り入れていますが,積極的に空気を取り入れる臓器がないため,気門からの空気の取り込みは主に拡散によるものだったと思います。一方,体表面積は体長の2乗に比例し,体重は3乗に比例します。このため,大きくなると単位体積当たりの体表面積の割合が小さくなり,単位体積当たりの酸素の量が低下します。このため,現在の地球上には直径5センチを超える昆虫は存在しません(石炭紀に巨大な昆虫がいたのは,当時の大気中の酸素濃度が現在より高く,平均気温も高かったためといわれています)
 新種のアシナシイモリが11センチというのは,恐らくこの「昆虫のサイズの上限」と同じではないかと思われます。もちろん,偶然の一致にすぎない可能性もありますが・・・。

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 【ブルーレイに未来はあるのか 新作ソフトはDVDの1割という現実】
 それまで標準的だった記録メディアが新しいメディアに置き換わることは何度もありました。私が記憶しているだけでも,LPレコードがCDに,テープデッキはカセットテープに,カセットテープはMDに,MDはmp3プレーヤーに,家庭用ハンディビデオの記録媒体は8ミリビデオ,HDD,そしてSDカードなどと変化し,家庭用のビデオ再生専用メディアはVHSからDVD・・・と変化してきました。より小さく,軽くという変化です。
 今回のブルーレイは「ポストDVD」という位置付けと思われ,売り文句は大容量化です。つまり,ブルーレイはDVDより多くの情報を入れらるため,より高画質,高音質の映像が記録・再生できる,というメリットがあります。
 それなのに,なぜブルーレイはメーカーが力を入れているほど売れていないのか,というのがこの記事です。

 で,私の個人的な感想ですが,メディアの変遷では,大容量化のメリットは小型化,軽量化とセットでなければ意味がなかったと思うのです。確かに,ブルーレイで再生された画像は美しいですが,その違いは従来のDVDの画像と比べると高品質の大画面で見てなんとかわかる程度で,通常の家庭での映画鑑賞ではその画質の違いはあまり意味がないような気がするのです。そのわずかな違いにユーザーがどれほどの価値として認識するかということです。
 しかし,ブルーレイの大容量を生かして,「DVD20枚組の人気シリーズが1枚のブルーレイに収められ,しかも値段はDVDの2倍程度」となれば,おそらくブルーレイは一気に広まっていくでしょう。大容量化による小型化であり,DVDの収納場所が足りないという問題を一気に解決するからです。
 もちろん,これにはメディア提供側が反対するでしょうから,実現は無理ですけどね。

 そうこうしているうちに,ブルーレイの背後にはSDカードなどが迫っています。なんと,次世代規格のSDカード(SDXC)は2TBまで拡張可能だからです。つまり,DVDの数百倍の容量を持っています。現時点でもSDカード(SDHC)は32GBのものが8000円前後で売られているし,microSDカードも16GBのものが5000円以下となっています。つまり,DVDの容量は大きく上回っていて,映画などの動画記録・提供メディアとしては十分すぎる容量です。映画DVDがSDカードでも販売されるようになったら,おそらく一気に「映画はSDカードで」となるような気がしますがどうでしょうか。

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 2歳の頃から全身の痒みがあり,どこの病院,大学病院,皮膚科医院でも原因不明,治療法なしといわれた15歳の方が遠方から受診されました。何でも,私の本(光文社新書)をご両親がお読みになり,駄目もとで受診されたそうです。全身のカサカサの乾燥肌と掻き崩してできたと思われる糜爛が多発していました。
 いろいろな大学病院皮膚科で診断できないものが私にわかるはずがありません。でも,感想肌で痒くて掻いてさらに痒くなっているのなら
プラスモイストで何とかなるんじゃないの,とバカの一つ覚えでプラスモイストを試験的に右上肢にだけ貼付。1週間後に来てもらいました。
 で,1週間後の昨日,受診してもらったら,なんとほとんど治っているじゃありませんか。貼付直後から痒みがなくなったそうです。

 何で治ったのか,そもそもそれは何だったのか・・・というあたりを医者(=私)が全然わかっていない,というところがすごく格好悪いですが,とりあえず治ってますので,突っ込まないで下さい。

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 ゴキブリは排尿しない:その優れた代謝系が明らかに
 ここにも体内常在菌との見事な共生が見られます。ゴキブリは,通常の動物では体外に排泄される尿酸を体内に溜め込み,窒素源が不足した環境になると〔尿酸⇒アンモニア⇒アミノ酸〕と分解して利用できる形にするのですが,その際,共生細菌が活躍していた,という記事です。
 人間の場合,老廃物である尿酸を尿と言う形で排泄するために大量の水を必要としますが,ゴキブリの場合,この水すら必要としないわけで,過酷な条件でも生きていける見事な適応戦略となっています。

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 村上春樹が「世界」でどう読まれているかなんて,気にする理由あるの?
 この記事を読んで幼い頃の記憶を思い出しました。

 私は1957年生まれですが,小学校1年生になった頃から,毎月自宅に「少年少女世界の名作文学」(恐らく小学館)が一冊ずつ配達されていました。確か全50巻だったはずです。黄色い箱に入った分厚いハードカバーの子供向けの文学全集で,カバーをはずすと表紙を世界の名画が飾っていたことを今でも思い出します。
 この日経BPの記事で「文学全集は1950年ごろからの約20年間が2度目の好況期となったヒット商品だった」とありますが,私が育ったのはまさにこの時代だったのです。

 私は,この毎月届けられる本が楽しみで,届くたびにむさぼるように読んだものでした。読書好きとしての私の下地はこの時期に作られたものかもしれません。私に,『車輪の下』,『罪と罰』,『ジャン・クリストフ』,『ギリシャ神話』,『ユリシーズ』,『タラス・ブーリバ』などを教えてくれたのはまさにこの全集でした。そしてこの文学全集は子供向きのダイジェスト版でしたが,巻末部分に作家の生涯やその作家の他の作品の要約などがまとめられていて,読者をさらなる奥深い文学の世界に誘ってくれる素晴らしいものでした。
 そして私が高校生の頃,自宅には河出書房の全100巻くらいの「世界文学全集+日本文学全集」が毎月一冊ずつ届くようになりましたが,今考えると,まさにあの頃は「文学全集の時代」だったのでしょう。
 その後私は,平井和正のウルフガイ・シリーズ,J.G.バラードのSF全作品,大江健三郎の全作品,開高健の全作品,ヒギンズやマクリーンの冒険小説・・・という具合に「世界名作文学」の世界から飛び立ちましたが,読書体験の原点は小学生の頃,毎月自宅に届く小学館の「少年少女世界の名作文学」だったと思っています。

 ふと思い返すと,私は村上春樹は一冊も読んだことがありません。一体どういう小説を書いている人なんだろうと気にはなりますが,これだけ多くの人が読んでいるんだから,自分一人くらいは読んでいなくてもいいよね,と思っちゃうんですね。
 そして,夏目漱石も「坊ちゃん」しか読んだことがないし,森鴎外は一冊も読んでいません。芥川龍之介も恐らく「蜘蛛の糸」くらいしかまともに読んでいないはずです。そういえば,太宰治も全然読んでいないし,直木三十五も読んでいません。そういえば,「戦争と平和」も「嵐が丘」も「怒りの葡萄」も「誰がために鐘は鳴る」も読んでなかったな。これらの作品,恐らく読まないままに死んじゃうんだろうな。

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 日本には二大政党制は合わない?
 なぜ自民党が大敗したのかについて,これまで自民党を支えてきた社会の構造そのものが消失したという事実を説明し,麻生首相をはじめとした自民党首脳がその変化に全く気がついていなかったと鋭く指摘しています。そしてさらに,中選挙区制度にあった「自民党立候補者同士が争う」システムが議員の新陳代謝をもたらし,それが「名ばかりでやる気のない議員」を淘汰してきた事実を明らかにし,「親に言われたから議員になったが,政治的理念を持っていない」世襲議員が安泰であり続けられる小選挙区制の問題を糾弾しています。そして,現在の日本の社会に欧米的二元論的「二大政党制」は必要なのか,求められているのか,という問題に及びます。

 「成熟した社会になるためには二大政党制が必要」というのも,実は単なるパラダイムなのでしょう。二大政党制は目的ではなく手段です。しかし,手段は容易に「達成すべき目的」にすりかわり,いつの間にか,手段が達成されたから社会がよくなる,という論理にすりかえられます。
 「国家とは畢竟,何のために存在するのか」という最終目的を常に国民が自問自答し続けなければ,国家は国家自体の利益を追求するようになり,呆気なく国民を裏切ります。

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 自民党から民主党への政権交代を見ていると,政権交代と言うのは難しいものだなぁと思ってしまう。新政権は必ず旧政権の「負の遺産」を背負わされるからだ。つまり,ゼロからのスタートでなくマイナスからのスタートにならざるを得ないのだ。
 政権交代が起こるは旧政権にいろいろなトラブルが起きたとか,政権運営や経済運営がうまく行かなくなったとか,そういうのがベースにある。そういうのがあるから,旧政権に見切りをつけて新政権が選ばれるわけである。うまくいっていたら,その政権でいいわけで何も交代させる必要はない。
 だから,新政権が政権に付いた時点では,経済はガタガタ,外交問題は先送り,なんてことになっている(ここらはオバマ政権発足当時のアメリカを見ているとよくわかる)。それらは本来,旧政権下で起きた問題だから旧政権が解決すべきものなのだが,旧政権にはそういう能力も意思もなく,問題放置のまま新政権に解決が委ねられる(=丸投げされる)わけである。
 新政権側は,このような問題があることを攻撃材料にして旧政権側を退陣に追い込むわけだが,いざ政権についてみるとこの「負の遺産」処理が,自分たちの考える「理想の政策」実現の前に立ちはだかっているわけだ。

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 またもや,褥瘡の問題についてです。褥瘡に興味がない方は読み飛ばしてください。
 先日の「研究会」でも,「日本褥瘡学会のガイドラインは使えない。このガイドラインを熟読したとしても,目の前の褥瘡患者の褥瘡をどう治療していいか全くわからない。全く使えないガイドラインだ」という発言がありました。もっともな発言です。
 では,なぜこのガイドラインは「使えない」のでしょうか。それは「増改築を繰り返した病院」と同じだからです。

 日本褥瘡学会の治療ガイドラインは,旧時代の褥瘡治療(=軟膏とガーゼによる乾燥治療)と新時代の褥瘡治療(=湿潤治療)が混在しています。古い各種軟膏(これにはゲーベンやアクトシンのようなクズ軟膏が含まれる)と創傷被覆材が同じ水準で扱われているため,このガイドラインを読んだ人は「軟膏を選択するように創傷被覆材を選択しなければ褥瘡は治療できないのだな」と思ってしまうし,そんな選択は自分にできないから,誰か偉い先生に教えてもらおうと言うことになります。
 なぜ,こうなったかというと,「古い時代の治療」を切り捨てない,切り捨てられないからです。これが「増改築を繰り返した病院」です。

 増改築ばかりしている病院をご存知と思います。迷路のような廊下・階段,統一性のないデザインのために迷いやすく,どこに何があるかわかりにくいはずです。最新の治療機機を導入しようにも入り口も廊下も狭いために搬入できないし,患者の動線が悪いために作業効率も悪いというのが,こういう「増改築病院」に共通する特徴です。患者を入院させたまま増改築するため,古い病院の構造を残さざるを得ず,新旧の構造物が混在してしまうために使い勝手が最悪となります。

 「日本褥瘡学会ガイドラインにラップ療法を入れてもらおう」というのは,こういう「増改築病院に新しい病棟を増築してそこで診療させてもらう」のと同じです。ただでさえ見通しが悪い学会ガイドラインなのに,そこにラップ療法を加えたら,さらに見通しが悪くなり,旧態依然とした軟膏治療とラップ療法は同列のものとなります。
 例えて言えば,竪穴式住居と書院造とパルテノン神殿とベルサイユ宮殿がゴチャゴチャにくっついている病院の一角に,ラップ療法という新時代の部屋をくっつけるようなものです。こんなゴチャゴチャしたガイドラインにスマートで洗練されたラップ療法を追加してどうするんだ,という気がします。

 ではどうするか。新しい使い勝手のよい病院を作るなら,まっさらな土台の上に新しく設計して新病院を作るしかありません。今ある病院に増築しようと考えてはいけません。今ある病院を全部破壊して新地(さらち)にし,ゼロから治療ガイドラインを構築すればいいのです。増改築を積み重ねても,使い勝手のよい病院にならないのと同じです。

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 さて,先週金曜日に大阪での「創傷ケア研究会(別名,褥瘡のラップ療法研究会)」に参加し,しょうもない話をさせていただきましたが,そろそろこの会から足を洗うと言うか,足抜けしようと思っています。
 当初,この会合は「ラップ療法をして迫害されている志士たちが一年に一度集まって気勢をあげる飲み会」として発足しましたが,日本褥瘡学会に治療を認めてもらうためにきちんとデータを出そうという活動方針が決まり,その方向で活動をしていこうとする先生方が増えていきました。そして恐らく今後は「普通の学会」に変貌していくことが予想されます。
 もちろん,「私的研究会から普通の学会へ」という医学によくある流れなので非常に喜ばしい変化だと思いますが,私はもともと学会が嫌いなこともあり,こういう変化に付いて行けそうにありません。そういうわけで,「老兵はただ消え行くのみ」という先人の言葉どおり,研究会からいつの間にか消えていった,というのも悪くないなと思っています。

 多分,私が性急過ぎるのでしょうが,関係者が一年に数回,一堂に会して研究成果を披露しあい,活動方針を決めていく「学会というシステム」そのものが時代にそぐわなくなっていくんだろうと予想しています。
 人間の歴史では長らく,「情報は人間が運ぶもの」でした。運ぶ手段は飛脚だったり郵便配達人だったり,鉄道だったり自動車だったりと変化しますが,基本的に「人間が情報を運ぶ」ものでした。人間が運ぶのですから,研究成果という情報を皆で持ち寄るには「情報運び屋」である研究者が一堂に集まったほうが効率的ですし,意見交換するためにも直接顔を合わせて討論するしかなかったのです(例:郵便しか情報伝達手段がない時代では,意見交換を郵便でするのは手間と時間がかかりすぎる)

 もちろん,以前から私たちの身の回りには電話とファックスはありましたが,電話は音声情報だけしか伝えられないために情報の正確さを欠き,ファックスは画像は送れるものの解像度が低く学術的な目的には全く使い物になりません。つまり,電話とファックスは「会場に自分でスライド持って行き,それを見せながら話す」方式の代替手段にはなりませんでした。
 要するに,情報の移送手段のスピードと,その手段が保障する情報量の問題です。医学の場合は,まず後者(=情報量)が重要で,前者(=情報の伝達速度)は後者が保障されてから問題になります。だからこそ,いくら電話が普及しても,それで学会の形態が変わることはなかったし,何より電話は,複数の人間に同時に情報を伝達する能力を持っていませんでした。

 しかし,インターネットは「情報の質」の問題と「情報の速度」の問題を短期間で飛躍的に向上させ,同時に,複数の人間で情報を共有できるかという問題も軽々とクリアし,さらに,複数の人間が互いに意見をリアルタイムで交換できる手段も提供しました。つまりこの時点で,医者同士が一箇所に赴いて情報を持ち寄らなくても,医学情報を共有しそれについて議論できる手段が得られたことになります。
 私はこの時点で,学会を開き,医者が一つの学会場に集まる必然性はなくなったと考えています。学会でなければできないことがなくなったからです。

 もちろん,医者同士が一堂に介することが重要だ,医者同士がお互いに顔を合わせて議論することが何より重要だ,という意見が現時点では大勢を占めていることは知っています。しかしこのままでは,「医者が情報を携えて移動する速度」は,「ネットによる情報伝達速度」にどんどん離されるばかりです。恐らくこのままでは数年後には,「ネット上で結論が出た問題について,学会で事後承諾する」だけになってしまうのではないでしょうか。
 「褥瘡のラップ療法」はインターネットを最大限に利用したからこそ,急速に医療現場に広まりました。そうであれば,「学会を作らないのに,ネットで情報を流し,医療現場にデファクト・スタンダードとして定着した世界初の褥瘡治療」というスタンスを狙ってみるのも悪くない気がするのです。

 そういうわけで,私は「外傷の湿潤治療」については学会も研究会も作らず,ネット上で情報を流し,困ったことが起きたらネット上で討論して解決法を模索する,という試みを続けていこうと思います。

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ことあるごとに「自然治癒力」という言葉で紹介されるのが「傷の湿潤治療」ですが,「自然治癒力」と紹介されることに違和感を感じています。創傷治癒のシステムは確かに「自然に」備わっているものですが,哺乳類ではその能力は「自然には」発揮されず,むしろ封印されているからです。つまり,傷は「自然のまま」では治癒しません。傷が治るためには,自然のままに放置しては駄目で,「人為的」に湿潤環境を作ってやる必要があるのです。つまり,「自然に備わっている能力」なのに,それが働くためには「人為的で自然にない環境」が絶対に必要なのです。しかも,創傷治癒のための最適の環境を保つためには,人間側が絶えず創面の状態を観察し,最適の状態を維持するために手間隙かける努力が必要です。
 これを「自然治癒力」と呼ぶのはおかしくないでしょうか。自然に放置しておけば勝手に治るものではないからです。

 もちろん,傷は放っておいても治ります。しかし,「放っておいても治る」状態にするまでが大変なのです。私はよく「傷は放っておいても勝手に治る」と説明しますが,「放っておいても治る」状態を作るのに10年かかりました。「自然に治る」現象は自然に起きないため,自然をねじ伏せるたゆまぬ工夫が必要だったからです。
 そして何より,「自然治癒力」という言葉が薄っぺらでうそ臭くてインチキ臭くて,大嫌いなんですね。某テレビ局の「エコ」と同じくらいにインチキ臭いからです。

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 天敵を使った害虫駆除,豊かな環境が鍵
 アメリカを世界一の食料生産基地にしたのは,広い耕地面積に単一の作物を効率よく作る技術です。見渡す限りのトウモロコシ畑,というやつですね。もちろん,人間の目からすると一面の食料なんですが,トウモロコシの葉を好む昆虫にとっても「見渡す限りの食料」となります。そういう昆虫を人間は「害虫」と呼びます。問題は,本来ならその「害虫」を捕食したり,寄生したりする「天敵」にとって「トウモロコシしか生えていない畑」は決して生活しやすい環境でないことです。
 今回の研究は,単一作物だけでなく,さまざまな植物を同時に育てて多様な生態系を作って捕食昆虫を定着させ,結果として害虫を駆除してもらう,という研究であり,生態学的に見れば当然の結果といえます。ただ,農業という立場から見れば,収穫や植え付けの効率はかなり落ちます。

 ただ,アメリカの農業の根本的問題点は別にあるような気がします。そもそも地下水に頼っている点です。アメリカが大農業国になれたのは「広大でかんかん照り」だったからです。つまり日照は十分にあります。足りないのは水でした。
 その問題を解決したのは地下水による灌漑の技術です。だから,水と太陽がふんだんにある農地に変わったのです。問題は,太陽は(ほぼ)無尽蔵だが,地下水は無尽蔵ではない,というところにあります。地下水は極めて限られた資源であり,今日降った雨が地下水になるにはきわめて長い時間が必要です。
 というわけで,このあたりの問題を根本的に解決できなければ,いずれアメリカの農業は凋落・崩壊するような気がします。

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 SOSを発する遺伝子操作トウモロコシ
 どうやら,遺伝子組み換えにより「害虫に食べられると土壌中の線虫を呼び寄せる化学物質を出す」能力を組み込み,農薬を使わずに害虫の害を減らそう,という試みのようです。確かに発想としてはエレガントなんだけど,実際にはどうなんでしょうか。と言うのは,宿主と寄生生物の関係は「害虫(この場合はある種の甲虫)とそれに寄生する線虫」という単純なものではなく,複雑なネットワークの中で成立しているからです。特定の関係だけ取り出して害虫を制御しようとしても,それはやがてネットワーク全体に影響を及ぼすはずです。

 これは創傷治療で言えば,特定の細胞成長因子(サイトカイン)だけを抽出して治療材料にしたフィブラストスプレーと同じです。複雑なネットワークで機能を果たしているサイトカインの中で,特定のサイトカインだけ投与してもネットワーク全体がうまく働くわけがありません。実際,フィブラストスプレーを投与した創面に肉芽は上がってきますが,その肉芽は非常に不安定で,血流に乏しく,ある日突然崩壊したりします。恐らく,線維成分の増生に毛細血管増生がついていない感じです。だから崩壊するのでしょう。
 上記の遺伝子組み換えトウモロコシもそうなるんじゃないのかなぁ,という気がするのです。

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 “痕跡器官”とされた脾臓の役割解明
 詳しいことは記事を読めば判りますが,脾臓には単球が多く,その単球が心臓発作などで傷ついた心臓の修復に駆りだされ,活躍しているとのことです。
 個人的に面白かったのは記事の後半の「虫垂は下痢性疾患の多い時代では,腸内細菌の貯蔵庫,供給源となっていた」という部分と,「肘や膝,肩には側副血行路が発達しているのに,それより重要な心臓や脳の大部分に側副血行路がないのはなぜか」という部分です。前者は毛穴と皮膚常在菌の関係を思わせ,常在菌と人間の共生関係の深さを物語るものですし,後者はこの地球に発生したばかりの人類の体がどのような哲学を基に初期設計されたかを教えてくれます。

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 【国際数学五輪,日本2位=過去最高,副島さん総合トップ−物理も全員メダル】
 どんな問題が出ているんだろうと思いましたが,こんな問題が出ているんですね。で,一番やさしそうな「2009年 日本ジュニア数学オリンピック予選」の問題,解けるかなと挑戦。第1問の3つの直角二等辺三角形の面積の問題,これは簡単です。ABとOCの長さが1:2になっていることに気がつくとすぐに解けます。
 一つ飛ばして第3問。力任せでも答えは出ますがそれでは美しくありません。すごくエレガントな解法があるはずだと考えている最中です。分子と分母の数列の収束値の範囲を絞り込む方法がありそうだけど・・・。

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 自民党はなぜ駄目になったのか。それは,ひたすら「天才」の出現を待っていたからではないだろうか。そして,小泉純一郎という「一種の天才」が登場してしまったため,待っていればそのうちまた天才が現われるだろうという期待を持ってしまい,それが自民党をダメにしたのではないだろうか。

 次々と新しい天才やリーダーが出現している業種がある一方,そうでない業種も一方にある。その違いは「天才(=次世代リーダー)」を作るためのシステムがあるかどうかではないだろうか。
 なぜかと言うと,そういう「天才」はそうそう都合よく出現しないからだ。だから,いつか出現するかもしれない天才を待つより,見所のある若い人間を鍛えて才能を引き出し,天才に育てる方がはるかに確実である。
 何しろその業界は,そういう「天才」がいなくなったら消滅の危機に立たされるのだ。例えば,将棋の世界で若き天才がいなくなり,高齢者の名人や棋聖ばかりだったらどうなるだろうか。恐らく,将棋を目指す若い人間は少なくなり,業界そのものがやがて自然消滅する。だからこそ,「若き天才」を次々に作り出す必要があるのだ。そして将棋界は奨励会という「天才育成システム」を作り上げたのではないだろうか。これは野球でもサッカーでも同じで,それがうまくいっているからこそ,次々に「次世代のスター(=リーダー)」が生まれている。
 逆に,このようなシステムを作る努力をしてこなかった業界では「若き天才」は登場せず,高齢の人間がトップに立っているのではないかと思う。

 では自民党はどうなのか。もちろん,「天才育成システム」を作る努力もしてこなかったし,その必要性も感じてはいなかった。その結果,政治リーダーが一人もいない政党になってしまった。
 この20年間の自民党総裁(=総理大臣)の顔ぶれは【竹下⇒宇野⇒海部⇒宮澤⇒橋本⇒小渕⇒森⇒小泉⇒安部⇒福田⇒麻生】と変わった。これらの顔ぶれを見直してみて改めて,凡庸な政治家ばかりだったことに気がつく。派閥の力学で総理総裁にはなれたが,彼らは高い政治能力や政治家としての見識を持ったいたわけではなかった(と思う)。要するに,歴代の自民党総裁の顔ぶれを見ても,自民党は20年前からどんどん劣化していたのである。

 しかし,2001年4月に小泉純一郎という変人がトップにたった。自己の信念を貫くために非常識な手段を用いることも躊躇せず(例:郵政総選挙),しかも,言語を操る能力はまさに天才的であり,大衆に訴えかける能力は歴代の総理大臣ではぬきんでていた。まさに突然変異である。だからこそ,2005年の郵政選挙で自民党は圧勝した。
 だがこれが結果的に,その後の自民党を窮地に追い込んでいく。「小泉と言う突然変異的天才による勝利」を「自民党の勝利」と錯覚してしまい,「自民党だから勝利できた」と考えてしまった。だから,その後の総裁選択を小泉以前の「凡庸路線」の継承で十分だと考えた。何か困ったことが起きても,そのうち破格の天才が登場し,自民党に大勝利をもたらしてくれことをひたすら待った。
 だが,「天才要請システム」作成を怠ってきた自民党には,「天才」が出現することもなかった。「かつて天才が出現し,自民党の危機を救ってくれた」という成功体験がアダになったのだ。神風が吹くことをひたすら祈った第二次大戦末期の状態と同じである。

 結局,自民党と言う組織は恐らく20年前,30年前から劣化し,土台が腐っていたのだ。しかしそれを,「時々登場する突然変異的天才」がもたらしてくれた政治的勝利が覆い隠してきてくれたのだ。いつかそのうち,神風が吹くように天才的政治家が現われるはずだと祈っているうちに,気がついたら自民党という建物は崩壊寸前になっていた。奇跡による成功体験の恐ろしさがここにある。

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 【"サムライ甲虫"海を渡る オオサカエンシス,北米でアブラムシ退治】
 「北米では針葉樹のツガに対するツガカサアブラムシの被害が深刻だ。一方,日本でツガカサアブラムシが生息しているにもかかわらず被害がない。これはマキムシモドキ科の甲虫がこのアブラムシを捕食するからだ。したがって,この甲虫を北米に導入すれば,ツガの被害は防げるはず」という論理です。このような論理はしばしば目にしますが,本当に正しいのでしょうか。
 なぜかと言うと,このアブラムシとそれを食べる甲虫の2種類の生物のみで生態系が出来上がっているわけでないからです。

 生態系は複雑なネットワーク構造と相互作用の中で成立しています。「AがBを食べ,BがCを食べ・・・」という単純な構造ではなく,「AをBは食べるが,その消化のためにはCという腸内細菌が必要で,その腸内細菌の遺伝子の中に入っている2種類のウイルス遺伝子が必要で,そのウイルスの遺伝子が発動することで捕食したBをはじめて分解でき・・・」という多重ネットワーク,あるいはロシアのマトリョーシカ人形のような関係があって,それが成立して初めてAという生物もBという生物も生きられるからです。
 そして,このネットワークは,これらの複数の生物が同時に暮らしている生態系でのみ維持されています。

 だから,「AはBの捕食者だから」という理由でAをその地域(=Aが生息する本来の生態系でない)に導入してもうまくいくのだろうかと,恐らく最初はうまくいっても,どこかでとんでもないことになるんじゃないか,と危惧してしまうのです。「ハブ退治にはマングースを野山に放てばいい」というのと同じだからです。

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【民主第一党でも不安。人材不足が最大の問題】
 「選挙時にポストを提示して公募にかける」ことから「参加型民主主義」を実現しよう,という提案,とても面白いです。いずれにしても,自民党で人材が払底しているように,民主党の人材も豊かという状態から程遠いのが現状です。

 なぜ政治の世界が人材不足になったのか。理由は恐らく,政治家を作るシステムが日本にないからです。
 例えば,成績がいいから,という理由で医学部に入学する人がいたとします。しかし,6年間の医学部での解剖実習などの教育とその後の医師国家試験で,医師に向かない人間はふるいにかけられます。これは,弁護士になりたいと思ってもまず法学部に入らないといけないし,その後に司法試験という大きな壁がふるいになっているのと同じです。
 ところが,政治の世界にはこのような「ふるい」がありません。親が政治家だったからと自分も,と政治の世界に入るだけで,その後に「政治とはそもそも何なのか,何のために国会議員が存在するのか」という教育を受けるわけでもないし,政治家になるための厳しい資格試験があるわけでもありません。要するに,政治家不適格者でも国会議員になれます。

 アメリカで大統領になるためには1年間に及ぶ選挙戦を戦い抜かなければいけません。その間に,不適格者はどんどんふるいにかけられて排除されます。そして1年後,あらゆる意味で大統領にふさわしい人物だけが残ります(一部に例外はあったけど・・・)。これこそが「政治家,政治的指導者を作るシステム」なのでしょう。
 翻って日本は「政治家,政治的指導者を作る」システムがなく,「政治家,政治的指導者が出現するのを待つ」システムと言えそうです。だから,いつの間にか中央政界に「政治家」がいなくなり,与党も野党も人材不足に陥ったのでしょう。p>

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 シャンプーを使わない洗髪に関して,一般の方から次のような驚きのメールをいただきました。
 実家の父の加齢臭がひどい,ということでシャンプーレスを勧めました。実行してすぐに臭いが取れた!と喜んで続けておりましたところ,なんと,薄くなって地肌が露出していた頭頂部に毛がはえてきたのです。本人は頭頂部の変化には気がつかない様子でしたが,母が驚いて報告してきました。
 それから,母は同窓会に出かけては男友達(禿)をつかまえてシャンプーレスを布教してまわっております。何人かに効果が出始めているようなので,シャンプーのせいで禿げてしまっている人もたくさんいるのかもしれませんね。
 私自身の「シャンプーレス生活」の経験から,シャンプーをやめて温水洗髪だけにすると抜け毛が明らかに減ることは確認していますが,なんと,禿げ頭(失礼!)に毛が生えてきたそうです。しかも,一例だけでなく複数例から・・・。

 ということは,毛生え薬は簡単に作れる,ってことですよね。「霊験あらたかな毛生え水」とか適当な名前を付けて高そうなボトルに水道水を詰め,シャンプーを止めさせてその「毛生え水」を振り掛ければ,禿げ頭から毛が生えてくるのです。こりゃ,大儲けできるぞなもし。

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 【パイナップルで肉は柔らかくなるのか】
 酢豚を食べている人の9割がたが「酢豚のパイナップルって邪魔臭いし,美味しくないよね」と鬱陶しく思っているんじゃないでしょうか。私も「パイナップル鬱陶しい」派です。でも,「パイナップルはお肉を柔らかくするために入れている」という「常識」があるもんだから,パイナップルだけ皿の端っこよけて置いています。
 「この常識は本当に正しいの?」と立ち上がったのがデイリーポータルの食べ物系ライター,高瀬さん。いつも美味しそうな,読むだけでお腹がすいてくる実験を次々と考案しては実行している方ですが,今回も「本当にパイナップルでお肉は柔らかくなるのか」について,その他の「お肉を柔らかくしてくれそうなもの」と比較実験をしています。
 結果については上記の記事で一目瞭然ですが,何より素晴らしいのは「柔らかくなったのは判ったが,それと美味しさは結びついているのか」を実際に食べて検証している点です。その結果,「柔らかくはなるが,だからといって美味しくなっているわけではない」という結論を出しています。これぞ科学の精神じゃないでしょうか。

 恐らくこのパイナップルは,質の悪い硬い肉しか手に入らない時代に,硬い肉を何とかして食べられるようにしたいという工夫から生まれた生活の知恵ではないかと思われます。そしてこの習慣が定着するうちに,やがて,「肉にはパイナップルがつきもの」となって儀式化し,柔らかいお肉が食べられる時代になったのに惰性的にパイナップルが使われている,という構図じゃないかと思います。そして,「お肉はパイナップルで柔らかくなる⇒お肉が美味しくなる」という誤解が検証されないまま「常識」になった,ということでしょう。その意味で,実際にお肉を食べてみたという高瀬さんの姿勢は素晴らしいと思います。
 ちなみに,「当初の目的が忘れられ,儀式として残っている」のはパイナップルだけじゃありません。医療現場のそこかしこにこういう「パイナップル」があります。

 ちなみに,このような実験記事に対し,「RCTをしていない,統計処理をしていない,Nが1では話にならない,パイナップルで肉が美味しくならないことを証明した過去の論文はあるのか」と文句を言ってくる連中がいます。EBMお馬鹿さんです。

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 高齢者の交通事故死最悪ペース 大阪府警が対策 無理な横断やめてね
 高齢者ばかり増える社会になるということは,車の運転をするのも高齢者,歩行者も高齢者という社会になるということです。だから,高齢者の加害者・犠牲者が増えるのは自然な成り行きです。
 高齢者の交通事故死を減らそうという大阪府の方針は判るけれど,この方針を突き詰めていくと,「高齢者は交通事故で死んではいけない,病気で死んではいけない,インフルエンザでもガンでも死んではいけない」となりませんか?

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 ウジ虫エキスで傷の治りが早まる
 「ウジの消化液から壊死組織融解物質と創傷治癒促進物質を抽出した」という研究です。欧米の研究者は本当にウジが好きですね。
 これは,いわゆる「マゴット治療」の延長線上にある研究と思われます。そしてその根拠となる事実は,昔ながらの「ウジ虫のわいている傷口の方が清潔な傷口よりも治りが早いという臨床事実」だけのようです。

 以前から,マゴット治療については疑問を持っていますが,今でもその考えは同じです。ウジがいようといまいと,人間の肉芽組織は蛋白分解酵素を分泌し,肉芽上の壊死組織は湿潤環境下では速やかに融解しているからです。
 この記事では「ウジ虫のわいている傷口の方が清潔な傷口よりも治りが早いという臨床事実」を論拠に揚げていますが,「清潔な傷口」がどういう状態なのかが不明です。ウジが生きていける環境(=ウジは乾燥状態では生きていけない)は基本的に湿潤環境であり,一方,「清潔な傷口」=「乾燥して細菌のいない清潔な傷口」という意味であれば両者を比較するのは無意味です。case-control studyになっていません。

 さらにこの記事では,「ウジの消化液を抽出して軟膏とし,壊死組織の上から投与する」という使い方をするようですが,これは上述の「壊死組織の表面からの分解」と同じであり,物理的に考えると極めて効率が悪いのです。そして,ウジの消化液は恐らく加水分解酵素でしょうから,水分のない壊死組織表面では壊死組織融解作用は発揮できないはずです。要するに,純粋に科学的に考えれば考えるほど,この治療には効果はないはずです。

 とは言うものの,「欧米の治療は世界最高の治療」と信じている連中は日本医学界に多いから,早速飛びつく研究者がいるんだろうな。こういう連中が,「ウジウジ」と騒ぐんだろうな。鬱陶しいな。こういう連中を「五月蝿い」って言うんだな。

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 カンザス州の中絶医が教会で射殺,大統領が非難声明発表
 ここ数年,アメリカの犯罪数は減少しています。その理由は,よく言われる「割れた窓効果」ではなく,人工妊娠中絶を認める州が増えたからといわれています。つまり,「望まない妊娠,中絶もできない」⇒「産んでも育てられない」⇒「育児放棄」⇒「子供は犯罪するしか生きる手段がない」⇒「犯罪者増加」⇒「望まない妊娠増加」・・・という悪循環が断ち切られたから,というのが理由らしいです。
 この分析は,アメリカを研究するアメリカ以外の国ではほぼ常識となっているようですが,アメリカ国内では議論にすらなっていません。人工妊娠中絶を論じること自体がタブーだからです。なぜタブーかというと,国を作ったそもそもの理由が否定されるからです。

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 毒で獲物を仕留めるコモドオオトカゲ
 「コモドオオトカゲは口の中に特殊な細菌がいて,咬まれた動物は敗血症を起こして死ぬ」と信じられていました。私は以前からこの説はおかしいと思っていました。確かに,コモドオオトカゲに咬まれた動物は数分後には動けなくなりますが,数分で敗血症を起こすのだろうかと疑問だったからです。
 そして今回の研究ですが,どうやら溶血型の毒を持っていて,咬んだ際にそれを獲物に注入して殺す,ということが明らかになったようです。

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 電子カルテで診断書を書くために患者を「カナ検索」していてふと気がつきました。最近の子供たちの「読めない名前」はカナ検索では検索できないのです。例えば,次に上げるのは実際に外来を受診された子供さんですが,皆さん,読めますか?
聖稀,心暖,結愛,菜心,心,琉生,碧咲,澪希,愛珠
 恐らく,絶対に読めないはずです。だから,名前の読みがわからないので「カナ検索」は不可能です。多分近い将来,「カナ検索」でなく「漢字検索」が必要になるんじゃないでしょうか。

 最近は,人に読めない名前が格好いい,と考える親御さんが増えてきたのか,絶対に読めない名前の子供が多いです。でも,他人に読まれない名前で苦労するのは,子供さん本人じゃないかと思います。
 ちなみに私の名前は「睦」と書いて「まこと」と読みます。実は小学校の頃,この名前が嫌いでした。絶対に「まこと」と読まれず,「むつみ」と読まれるからです。女性に間違われたこともあります。だから,この名前が嫌いでした。なぜ,普通に読める漢字の名前をつけてくれなかったのか,親を恨んだこともありました。
 名前は子供の持ち物であって,親の持ち物ではありません。親の趣味でつけられた名前を,子供は一生背負わなければいけないのです。親の「一時のノリ」で名前をつけられて困るのは子供です。少なくとも,小学校時代の私はそうでした。

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マイバッグの死角 万引対策に苦慮
 コンビニやスーパーのレジ袋の使用を止めると本当に二酸化炭素が減少に役立つのか,というと全く役に立ちません。無意味です。それは「地球に優しい」ごっこに過ぎません。
 掘り出した石油からガソリンなどの各種燃料を作り,プラスティックを作り,繊維を作り・・・と,色々なものを作って最後に使い道のないものが残り,そこから作ったのがペットボトルでありレジ袋です。つまり,ついこの前まで捨てていたものから作ったのがペットボトルとレジ袋です。
 だから,レジ袋をいくら減らしても石油消費量は変わりません。レジ袋を使わなくなれば,これまでレジ袋作りに使われていた成分が,従来どおりに「ごみ」として捨てられるだけです。これはペットボトルも同じです。
 逆に,レジ袋を廃止すれば,それに変わる商品を作る必要があり,それには必ずエネルギー消費を伴います。それが「捨てられる石油成分」から作られるなら問題はありませんが,「そうでない石油成分」から作られるのであれば,結果的に石油消費量は増えます。

 本気で「人間活動に伴う二酸化炭素増加を防ぐ」のなら,ターゲットはレジ袋でもペットボトルでも割り箸でもありません。車の製造を縮小し,車の運行と飛行機の運航を制限するだけで,石油の使用量は大幅に減少します。「エコ」を前面に打ち出した番組を作っている某テレビ局も,自局番組の放送時間を短くすれば本格的な「エコ」が達成できます。
 そういう本質的な議論をせずに,目に付きやすいレジ袋を槍玉に挙げるからこんな万引き事件が・・・・。
 レジ袋を早く復活しましょう。ペットボトルの分別・リサイクルもさっさと止めましょう。これらは,無駄にエネルギーを浪費するだけの「エコごっこ」です。ペットボトルのリサイクルをやめるだけで,石油消費量は減少します。

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ヤマハ,台湾と英国のピアノ生産子会社を解散
 ピアノについてちょっと書きます。

 19世紀後半は「博覧会の時代」でした。その博覧会の目玉商品は,ピアノと兵器でした。要するに,ピアノも兵器も最先端技術を披露するのに最適の商品だったのです。
 ピアノの生産にはピアノ線を作る技術,外枠(フレーム)を鋳鉄で作る技術,鍵盤を押してピアノ線がハンマーで叩かれるまでの精妙で精緻な仕組みなど,最先端の技術と科学が必要でした。だからこそ,科学が猛烈なスピードで発達した時代である19世紀では,博覧会の目玉商品はピアノだったのです。

 同時に,この時代,ピアノは嫁入り道具であり,ピアノが弾けることは貴族の娘にとって「結婚必須アイテム」でした。その結果,ツェルニーやハノンをはじめとする「練習曲集」が量産され,「ピアノ教師」という職業が生まれました。「ピアノが弾ける」ことが上流社会の子女の必修科目だったため,それを教えることで食っていけるようになったのです。
 そして,「貴族の娘の花嫁修業」だったピアノ演奏は,やがて「裕福な市民の娘の必須アイテム」として広がっていき,「居間にはピアノがあるもの」というのが常識になっていき,ピアノは広く普及していきます。

 楽器としてのピアノの改良競争はやがて,「大きな音を出す」競争になり,当初木製楽器だったピアノは鋼鉄の楽器に生まれ変わります。木製楽器だった頃のピアノはせいぜい,十数人を相手にして聴かせる楽器でしたが(つまり,貴族のサロンが演奏の場),鋼鉄のピアノはコンサートホールの隅々まで音を届ることが可能になりました。
 これに「ピアノが弾ける大量の素人」が加わったことで,不特定多数を相手にする演奏会,つまりピアノコンサートが可能になり(それまでの演奏の場は貴族のサロンであり,聴衆は特定少数だった),ピアニストという職業が生まれます(それまでは,自作の曲のオーケストラ曲の指揮をしながら,リズムを取るためにピアノを弾くスタイルが普通だった)
 素人でも演奏できるようになったため,プロとして食っていくためにはとんでもない超絶技巧が必要となり,それが新たな演奏技術の開発競争を生み,華麗で演奏困難なピアノ曲が次々と作られるようになります。

 一方,ピアノが弾ける素人たちは「簡単に弾けるが華麗な演奏効果を持つ曲」を求めます。その結果,おびただしい数のピアノ曲が作曲されます。
 その頂点にあったのが,あの『乙女の祈り』です。8小節の短いメロディー(と言うより,単なる分散和音)とそれに続く単純な変奏曲ですが,「簡単に弾けるのに難しそうに聞こえ」,さらに結婚を夢見る若い女性の心をくすぐる曲のタイトルともあいまって,この曲は19世紀半ばのヨーロッパで爆発的に売れ,一般書籍を抑えての超ベストセラーになります。
 ちなみに『乙女の祈り』はもともと『かなえられた望み』という曲と2曲セットで作曲・販売されたことは有名。もちろん,「結婚を夢見て,その望みがかなえられて素敵な旦那様とゴールイン」というストーリーで作曲されたのですが,なぜか『かなえられた望み』の方は暗い地味な曲です。

 この手の話を書くと止まらなくなってしまうので,ここらでやめときましょう。

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“いくら洗っても”綺麗にならない手【外科医のつぶやき】
 このサイトの読者にとっては,これは常識中の常識ですよね。

 要するに「細菌のことは知らない,細菌感染についての基礎的知識も知らない。しかし,院内感染対策についてのガイドラインは熟知している」という勉強好き(のお馬鹿さん)医師・看護師が先頭に立つと,こういう愚かな手洗いチェックを始めます。しかも,自分が正しいことを前提にしているから使命感があり,考えを改めたり反省することもありません。こういう連中が暴走すると,まさに,手がつけられません。
 勉強嫌い(のお馬鹿さん)が権力を握ると世の中が壊れていきますが,勉強好き(のお馬鹿さん)が権力を手にすると世の中が窮屈になります。

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 昨夜,いつもの居酒屋さんでマスターと話をしていて,「政治家として活動するための資格試験が必要ではないか」ということで意見が一致した。親が政治家だったと言う理由だけで,政治的能力がない人間が政治家になるのはおかしいし,何より,国民の迷惑だからだ。
 経済,歴史などに関する一般常識に加え,日本語以外の外国語の初歩的会話能力(国会議員なんだから当たり前でしょう)なんかの試験があり,これに合格しない限り政治家にはなれないようにするのだ。そして,政治家として守らなければ義務,してはいけないことを明記しておいて,それに違反したらその時点で有無を言わさず免職にしますよ,というのをルールとして明文化しておく。
 公務員になるにも警察官になるにも裁判官になるにも医者になるにも気象予報士になるにも資格試験は必要です。政治家はそれらとは比べ物にならないくらい大きな権力と金を扱う仕事ですから,資格制度にするのが当然じゃないかと思うのだ。ま,政治家の皆様は嫌がるでしょうが・・・。

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 以前は新しいソフトやハードの使い方を覚えるのが大好きで,それがちっとも苦ではなかった。新しいOSが発表されたらいち早く導入していたし,ソフトのバージョンアップには瞬時をおかずに対応していた。とにかく,コンピュータ業界の変化について行くこと自体が好きだったのだ。バージョンアップで新たに何ができるようになったのか,自分の目で確かめたかったのだ。

 それがいつの頃からか変わってきた。できればOSはバージョンアップしたくないし,OSの新機能を使ってみたいとも思わないし,ソフトは今まで使っていたものを使い続けたいし,新しいソフトが便利だと思っても使い方をこれから勉強するのが面倒に思えてきた。
 どうせバージョンアップしたところで,自分の脳みそが変わるわけじゃないし,バージョンアップしようが新しいパソコンに買い換えようが,仕事の内容が変わるわけでないし,もっと多くの仕事ができるようにもならないし,仕事のスピードも昔と変わっていないことに気がついてしまったのだ。
 これが「歳を取る」ということなのだろう。

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足白癬について質問がありました。私は皮膚科医ではないのでよくわからないのですが,高齢者の足白癬についてはちょっと考えることがあります。高齢者の足白癬とは,白癬菌しか棲めない皮膚になったから白癬菌が定着しているだけではないのか・・・と。
 つまり,
〔皮膚が萎縮〕⇒〔皮脂腺や汗腺なども萎縮〕⇒〔皮膚常在菌の最優勢腫Propionibacterium属の生存に適さない状態になる〕⇒〔その他の皮膚常在菌も栄養不足のために減少〕⇒〔しかし,白癬菌には最適な状態である〕⇒〔白癬菌が優勢になる〕
という経過があり,皮膚上の細菌を調べると白癬菌のみが検出されるために「足白癬」という病名が下されているだけじゃないでしょうか。

 では,この白癬菌を消すためにはどうしたらいいのか。

 解決法は一つしかありません。白癬菌が棲めない状態にすること,つまり,正常な皮膚に戻して皮膚常在菌のみしか生存できない皮膚にすればいいのです。萎縮した皮膚を萎縮していない皮膚に戻せばいい・・・要するに,高齢者を若返らせればいい・・・。
 もちろん,これは無理です。若返りを不可能にしているのは熱力学第2法則,つまり宇宙普遍の法則です。若返らせることは時間の流れを逆転するしかないからです。
 ということはつまり,「白癬菌しか棲めなくなった皮膚」を「白癬菌が棲めない健常な皮膚」に戻すことは不可能だということです。たとえ,抗菌剤で白癬菌をゼロにできたとしても,皮膚が「白癬菌しか棲めない皮膚」である以上,いずれまた白癬菌が繁殖します。白癬菌しか棲めない環境,白癬菌に絶好の皮膚だからです。

 このような生態学的な発想をせずに,「皮膚から白癬菌が検出されるのは異常だから,消毒と抗菌薬で白癬菌を殺せばいい」と安易に考えても無駄ということではないでしょうか。

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「美味しんぼ」作者,ブログでシー・シェパードと豪を猛批判
 彼は以前から,日本の食文化を守るためには捕鯨は必要と発言なさっていますが,さすがに彼の主張には無理があります。1月26日のこのコーナーでも書きましたが,次のような状況だからです。

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キッチン焼き肉の悦楽
 ここに「カラムーチョ,ドンタコスを焼いて食べると感激するほど美味い」とありますが,やってみるとわかりますが,これは本当に美味いです。焼き過ぎるとすぐに焦げるのでさっと焼くのがコツです。

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IWC議長,日本の沿岸捕鯨容認も=南極海での調査縮小条件−米紙
 日本国内の報道しか見ていないと,どうしても「日本国有の捕鯨という伝統を無視して,頭のいい鯨を食うなという非科学的な理由で反対する反捕鯨国」と見てしまうが,実はこれは大間違い。
 現在,捕鯨を行っているのは日本以外にノルウェー,デンマーク,ロシア,アイスランド,そしてアメリカ合衆国があるが,日本以外の国が行っている捕鯨は「自国の領海内」であり,いずれも「先住民の生存のため」に行われている。それに対し,日本が行っているのは「南氷洋での調査捕鯨」であり,「日本近海での伝統文化としての捕鯨」はほとんど絶滅寸前だ(船は5隻のみ,乗組員は31人しかいない)。しかも,日本国内での鯨肉の供給量も価格も,ここ数年,下がりっぱなしなのだ。要するに,消費者にとって鯨肉はあってもなくてもいい食品として認識されていることを意味する。
 ということは,「南氷洋での調査捕鯨」は既に商売として成立していないわけだ。そしてこの調査捕鯨に対し,税金が投入されているのはもちろん言うまでもない。世界中を敵に回して調査捕鯨を強行しても,誰の利益にもならないのだ。利益を得るのはお役所だけである。
 日本固有に地域文化としての捕鯨を守ろうとするなら,IWC議長の提案を受け入れるべきだと思う。

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 そういえば,鳥谷部先生のサイトの掲示板に褥瘡治療での栄養管理,NST介入への疑問がちょっと話題になっていました。私は以前から「褥瘡治療に栄養を,亜鉛を」には疑問を持っています。高齢寝たきりの患者に栄養を入れれば入れるほど,さまざまなトラブルが起こることを見てきたからです。
 そろそろ日本褥瘡学会は「褥瘡治療には栄養管理が必要」なのかどうなのか,それを提唱した当事者として,その有効性を科学的に検証するのは義務でしょう。それをしなければ「学会」ではありません。
 ちなみに,「科学的検証」といっても方法は簡単ですよね。褥瘡を単一の治療法(例えばOpWT)で治療しているがまだNSTが介入していない施設で高齢寝たきり褥瘡患者を2群に分け,片方にだけNSTを介入させ,患者の状態の変化を観察するだけです。2週間もすれば結果が出ます。恐らく確実に,NSTが介入して栄養を入れたほうが,患者の状態は悪化するはずです。
 「それって人体実験じゃないの?」という疑問,鋭いですね。もちろんその通りです。つまり,「褥瘡患者にせっせと栄養を与える」ということ自体が,そもそも人体実験なんですよ。

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 さて,今年5月21日に始まる裁判員制度である。幸い(?),私の周囲ではこれに当たっちゃった(?)人はいないようだが,いつ当てられ(?)てもおかしくないわけである(どうもこの制度に関しては,本当や嫌なのに無理やりやらせられてしまった,という感覚になってしまう)。何でこんな制度が始まったかというと,Wikipediaによると
国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに,司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。
ということらしい。まぁ,常識的に考えると,「裁判官の皆さんが市民感覚からずれているから市民を裁判に参加させる」よりは,「裁判官に市民感覚を持ってもらう」方がはるかに簡単だったような気がするが,この制度を作った人たちは気がつかなかったようだ。今から考えると,「市民感覚」からずれた人たちが作った制度だったようだ。

 というわけで,突如,「政治員制度」を提案しちゃうのだ。制度の趣旨は
国民の政治参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを政治に反映するとともに,政治に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることを目的とする。
である。定額給付金に意固地になっている首相や,高級官僚の渡り鳥保護ばかりしている官僚に操られている政治屋どもに,市民から任意に選ばれた「政治員」が国会や閣議に参加し,首相や閣僚や野党党首に対し,「国民の7割が役に立たないと思っている制度になぜこだわっているのだ。あんたはおかしい! さっさと辞めていただきたい」と言っていいいよ,そしてその意見は政治に反映させるよ,という制度だ。もちろん,裁判員制度に倣い,こちらの方も「重要な政治問題,重要な法案」だけに「政治員」が参加するようにしたっていい。

 裁判官に市民感覚を導入するなら,政治にも市民感覚を導入だ。どうだ,文句あるか。

 なんだか,こっちの方が急務という気がしてきたぞ。裁判員制度に疑問と不安を抱く声は,実施まであと4ヶ月となった今でも絶えないが,こちらの「政治員制度」の方は反対する市民ははるかに少ないと思うがどうだろうか。むしろ,それなら俺もやりたい,仕事を休んでも政治員になりたい,私を是非「政治員」に選んでくれ,という人の方が多いような気がする。
 というか,このくらいやらなければいけないくらい,この国の政治システム,政策決定システムはおかしくなっていると思う。

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 いつも夕食を食べている居酒屋さんが休みだったため,近くにあるトンカツ屋さんでご飯を食べた。黒豚を使ったトンカツで有名なお店らしい。食べてみると確かに美味しいし,「このトンカツは塩だけで食べてくださいね。ソースは絶対にかけないで下さい」という店主のこだわりも納得できるものだった
 しかし,このお店の前を毎日通るのだが,それほど客が入っているようには見えないのだ。美味なトンカツを食べながらその理由を考えてみた。
  • トンカツを売り物にしているため,メニューは数種類のトンカツ定食だけ。そのため,トンカツ定食を食べに来る客しか入らない。
  • 行列のできるラーメン店は沢山あるが,行列のできるトンカツ店ってあるんでしょうか。
  • 「あそこの店はトンカツが美味しいから,今度宴会をあそこでやろうよ」とはならない。トンカツ定食しか食べ物がないからだ。宴会会場でみんながトンカツ定食を食べるのはありえない。
  • 飲食店では,酒で儲けるか(酒は利益率が高い),客の回転率を上げて儲けるか,それしか方法はないと思う。しかし,トンカツ定食だけでは酒を飲む客は入らないし,空腹を満たしたいだけの客にとってはトンカツ定食は値段が高すぎる(通常,トンカツ定食1食分でラーメン2〜3杯食べられる)。要するに,ビジネスモデルとして問題がある。
  • トンカツは50歳を越すと重すぎる食べ物だ。これはどうみても20〜30代向けの食べ物である。だから,明治から昭和40年ころまでの「若者が多い」日本には必要とされたが,現在の高齢化社会にはどうなんだろうか。
  • トンカツ専門店はどういう客をターゲットにしているのだろうか。高級な肉をちょっと食べたい金持ち老人向きでもなければ,安くていいからたっぷり肉を食べたいという若者向きでもない。前者なら本格的レストランに行くし,後者なら食べ放題の焼肉店に行くだろう。
  • トンカツ定食は栄養学的にはどうなんだろうか。たんぱく質と脂質とでん粉だけが飛びぬけて多く,その他の栄養分はほとんど提供されない(キャベツの千切りはあるが,これで野菜が足りているはずがない)からだ。これなら,中華料理店の「野菜炒め定食」の方が(脂肪は多いけど)栄養のバランスが取れているし,食費も半分で済む。
  • そういえば,蕎麦屋,うどん屋,寿司屋で出す料理はどれもこれも「栄養学的に偏ったものばかり」である。どれも,野菜が絶対に不足していて,要するに「食事」としては不完全である。だから,私のように外食人間には,寿司しか出ない寿司屋や,天ぷら蕎麦やもり蕎麦しかない蕎麦屋は「食事をする店」にはならない。

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 <レジオネラ菌>重肺炎の原因,感染報告が5年間で5倍に
 このレジオネラという細菌は以前にも説明したとおり,自然界ではアカントアメーバなどのアメーバ(これは真核生物)の細胞内共生体である。そして宿主であるアメーバは水中では細菌群が生存のために作っているバイオフィルムに付着して生活している。バイオフィルムはもともと,外の環境に左右されずに内部環境を保つための保護物質であるため,消毒などに対しては極めて抵抗性が強く,その結果アメーバ内部のレジオネラはさらに強力に守られれていることになる(要するに,バイオフィルム内で細菌たちは外部から隔絶した状態で生きているわけだ。だからバイオフィルムを破壊してはいけないのだ)。おまけに,アメーバは生活環境が悪化するとcystという形に変化し,加熱にも消毒薬にも物理的洗浄にも耐えられる構造となる。もちろん,レジオネラもアメーバ内部でしっかり守られることになる。そして,環境がよくなるとまた元の生活型アメーバに戻るわけだ。
 そして,アメーバ内のレジオネラはある条件下で遊泳能を持ってアメーバの体外に出て,あるものはエアロゾルに含まれて人間の肺胞に到達する。そして通性細胞内寄生性という能力を発揮してマクロファージの内部に入り込んで悪さを始めるわけである。

 というわけで,いくら浴槽を洗おうと風呂釜を消毒しようとレジオネラ肺炎を完全に防ぐことは困難だということになる。「水を貯めて使う」という人間の生活習慣そのものがアメーバの生存に最適だからだ。

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 <臨床研修>1年に短縮へ 医師不足で10年度から
 どうやら,現在2年の臨床研修を1年にして,研修する診療科も内科や救急など少数にする,という見直し案らしいです。背後にあるのはもちろん医師不足です。泥縄的見直し,という言葉がちらついて見えます。

 そもそも,臨床研修制度は何を目的にしたものかといえば,厚生労働省は次のように明記しています。
臨床研修は,医師が,医師としての人格をかん養し,将来専門とする分野にかかわらず,医学及び医療の果たすべき社会的役割を認識しつつ,一般的な診療において頻繁に関わる負傷又は疾病に適切に対応できるよう,プライマリ・ケアの基本的な診療能力(態度・技能・知識)を身に付けることのできるものでなければならない。(厚生労働省:臨床研修制度の概要より)
 要するに,専門馬鹿医者ではなく,広くプライマリ・ケアの知識を持った医者を育てよう,というのが目的だったようです。ということは,厚生労働省が考える「プライマリ・ケアができる医者」を育てるのに2年では長すぎて1年で十分だ,と考えているのでしょうか。

 しかし,「1年研修するだけでプライマリ・ケアができる医者は育てられる」というのは机上の空論です。なぜかというと,人間は忘れる生き物だからです。使っている知識は忘れませんが,使わない知識はすぐに忘れてしまうからです。人間の脳みそはそのようにできているからです。

 私は東北大学を卒業しました。この大学では,現在の臨床研修制度を30年以上前から行っていて,卒後すぐに医局に入局する医者と,とりあえず市中病院で数年間研修し,それから医局に入局するパターンの二つがありました。私は後者の道を選択し,2年間,市中病院で外科,内科,麻酔科を研修し,そのあと大学に戻って形成外科に入局しています。この2年間で気管内挿管,心肺蘇生,全身麻酔の管理など,一通りのことは一人でできるようになりました。プライマリ・ケア医としてはいっぱしのことはしていたと思います。
 しかしそれから,はや20年,全ては忘却のかなたです。今では気管内挿管もできなければ点滴を入れることすらありません。採血だって怪しいものです。心電図も読めませんし,腹部エコーもできません。25年前は毎日のように点滴を入れ,気管内挿管し,人工呼吸器を一人で管理できていたのに・・・。

 要するに,使っていない技術はすぐに錆び付きます。必要ない知識はすぐに忘れます。必要な知識を保持するのすら大変で,必要のない知識を記憶にとどめておくほど人間の脳みそは暇でないのです。
 しかも,治療機器も診断機器もどんどん進化します。私が研修医の頃使っていた人工呼吸器なんて,今は骨董屋にも置いていないでしょうし,今の人工呼吸器を使おうと思っても使い方がわかりません。これは要するに,昔のダイアル式黒電話しか知らない人間に,携帯電話を渡して電話しろというようなものです。黒電話しか知らない人間はたとえ相手の番号をボタンで押せたとしても,通話開始ボタンを押すことを知らないのです。

 つまり,プライマリ・ケアができる医者になるためには,一生涯,プライマリ・ケアの勉強が必要であり,常に知識を更新し続けなければいけないのではないでしょうか。2年間で覚えた技術や知識は,2年使わなければ使い物にならなくなるのです。

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 以前このコーナーで紹介した熱傷患者さんですが(11月26日の記事参照),順調に回復し,形成外科医が「これは植皮しなければ治らない」と断言した部分もすでにかなりの部分が上皮化しています。もちろん,瘢痕拘縮も起こらず,普通に走り回っています。以前の主治医の診断は全て間違っていたことがわかります。
 この患者さんのお母さんは次のように話していらっしゃいます。
 以前通院していた病院では,主治医(上記の形成外科医)の先生に会うたびに,「これは重症熱傷だから手術しないと治らない。皮膚移植をしないと絶対に治らない。植皮をしないと歩けなくなる」とばかり説明を受け,手術を受けさせることが親の義務だと思っていました。だから,この病院に来て,「これは手術しなくても治るよ。これは重症熱傷でもないから簡単に治るよ」と言われてもすぐに信じられず,こんな軟膏もつけない治療を受けていたら,今に歩けなくなるんじゃないかとずっと不安でした。でも,実際に治ってくる様子を見て,細菌ようやく安心できました。
 今考えると,あれは医者による洗脳だったのですね。患者の親を洗脳して不安に陥れ,医者の都合のよい治療を押し付けるための洗脳だったのですね。
 もちろん,この「洗脳」は上記の医者だけがしているのでなく,日本中のあちこちで今日も行われています。形成外科医だけでなく,全ての診療科の医者にこういう「洗脳医」はいます。

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 過去の分析で将来起こることを予測できるだろうか? 日曜日朝のテレビでの経済学者や政治評論家の「今後どうなるか」という予測を聞いて,ふとそんなことを考えた。だって,1年前の週刊誌を読み返してみると,経済学者,経済評論家の予測はほぼ100%外れているんだもの。
 政治学も経済学も,過去どんなことが起きたのか,現在はどういう状況なのかについての分析は可能だが,それが未来の政治や経済とどうつながるのだろうか? 未来の政治や経済の状況が現時点と同じであれば予測できるだろうが,変化してしまったら予測はできないはずだ。これは歴史学と経済学と政治学は「過去と現在の分析」しか研究の手段がないということを意味していないだろうか?
 もちろん,だから政治学はおかしい,と主張しているのでなく,そもそもそういうものではないのか,と言っているだけである。

 ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを分析して,ベートーヴェンが書いたであろう33番目のソナタを作曲できるだろうか? 彼の第1番から第3番までのソナタしか知られていなかった場合,突然見つかった「ハンマークラヴィア」はベートーヴェンの作品として認定できるのだろうか?
 シェイクスピアの全戯曲を分析したら,新しいシェイクスピアの戯曲を作れるだろうか?
 ショパンの全作品を知っていれば,目の前の楽譜の曲がショパンの曲であるのかないのかは判断できるが,ショパンかもしれない未知のピアノ曲が発見されたとき,譜面だけからそれがショパンかどうかは判断できるのか?

 過去と現在のデータから未来の状況を予測する,と言うのはつまりそういうことではないかと思う。

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 皮膚科に何ヶ月通っても湿疹が良くならず,逆に広がって困っている,という患者さんが受診されました。両側下腿の広範な湿疹(接触性皮膚炎でいいのかな?)があり,痒みがひどいとのことでした。
 そこで,馬鹿の一つ覚えとばかりにプラスモイストを貼付しました。2日後には痒みは全くなくなり,滲出液もほとんどなくなり,患部はほぼ上皮化していました。
 こういう症例,実はすごく多いのです。こういう症例を見るたびに,もしかしたら,現在の皮膚科の軟膏を基本とした治療体系はどこかおかしいのではないかと感じてしまいます。疾患の病態像分析そのものが間違っている可能性が高いからです。

 何が間違っているかというと,治療方法そのものが病状を悪化させたり,病状を修飾しているからです。基剤がクリームだったり高浸透圧の軟膏を治療として患部に塗ればそれだけで病状は悪化しますし,水疱性疾患の患部をガーゼで覆えば患部の乾燥のために病状は悪化します。
 しかし,それに気がつかずに治療をしていれば,基剤やガーゼによる悪化は「自然の病状の変化による悪化」に見え,それが「病気の自然経過」に思えてしまいます。これが「治療法による病態の修飾」です。要するにこれは,糖尿病治療薬の中に血糖を上げる成分が含まれているようなもので,その薬を飲ませて血糖が下がらないことを「糖尿病の自然経過」だと勘違いするのと同じです。

 なぜこのような現象が起きるかというと,これまでは主剤の薬効の有無だけが注目され,基剤の問題がないがしろにされてきたからです。主剤に薬効があるから治療薬だ,という論理で治療体系が組み立てられてきたからです。
 これは次のように考えればよくわかります。「安全性が確認されている食材で作った鍋なら安全か?」という命題です。有害物質が全く検出されない食材(=主剤)をいくら揃えても,それらを煮る水(=基剤)に砒素や有機水銀(=クリームや高浸透圧基剤)が含まれていたら,出来上がった料理は安全ではなく人体に有害なものとなります。

 さらにここで面白いのは,私は皮膚科の知識はほとんど持っていない点にあります。何しろ,この患者さんの下腿の所見をなんと表現すればいいのか,何という病気なのかすら知らないのです。しかし,病気のことを一切知らないのに,なぜか治せるし,実際に治っているのです。ということは,少なくともこの患者さんの治療に関しては,これまでの皮膚科の専門知識は全く無効だと言うことになります。つまり,「専門家は診断できるが治療できず,素人医者は診断はできないがなぜか治せる」のです。
 まさに,医学における怪奇現象なんですが,なぜこのような怪奇現象が起こるかを説明しようとすれば,皮膚科の病態分析自体がおかしいから,治療体系そのものがおかしいからだと結論付けざるを得ません。もちろん私は,皮膚科の全ての疾患がそうだと言う気もないし,個々の皮膚科の先生を非難しているわけでもありません。現実として,こういう現象が起きているということを言っているだけです。

 以前から,皮膚科の治療薬,熱傷の治療薬に新薬が発売されないことを不思議に思っていました。他の分野の治療薬はどんどん新しい薬が発売されているのに,なぜか皮膚科の治療薬だけは数十年前のものが使われていて,新薬と入れ替わることがありません。古くても効果があるから使っているのだ,という解釈もあるでしょうが,私の目には「新薬が開発されないから,薬の新陳代謝が起きていないだけではないか」と映るのです。
 どこかで「皮膚科の治療体系はもう完成され,新しいことは何一つ必要ない。これまでの軟膏を使っていれば全て治るのだ」という発想がどこかにあるからではないでしょうか。だから,製薬会社もあえて新薬を開発しないのではないでしょうか。

 今ある軟膏類を後生大事に使っていくという道もありますが,恐らくその先には未来も発展もありません。現在の治療以上の治療効果を求めるなら,根本的な発想を変えるしかないのです。要するに「皮膚科とは軟膏で治療する診療科である」という定義すら考え直すべきなのです。
 「湿疹は皮膚科の軟膏では治らないけれど,あそこの神経科医院に行くと肌色のシートを張ってくれてすぐに治るよ」という時代になってからでは,もう遅いのですから・・・。

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 坐骨結節の褥創について考えてみたこと。
 この褥創に対し積極的に手術をしている形成外科医が多いが,
それに対しての批判はすでに書いたとおりである。今回はそれとは別に,この褥創の本態について考えてみたわけだ。

 坐骨部褥創は脊髄損傷(脊損)の患者さんにだけ発生し,それ以外の人には発生しない。つまり,脊損でない人には坐骨部褥創は発生しないし,脊損でなければ坐骨部褥創を心配する必要はないし,予防する必要もない。
 つまり,坐骨部褥創の発生に脊損は必要条件となる。ということは何を意味するか。「脊損と言う障害の一部分症状が坐骨部褥創だ」と言うことになる。要するに,脊損に伴うさまざまなトラブル(=下肢が動かない,下肢の知覚がない)の一つが坐骨部褥創であり,脊損と無関係に発生する坐骨部褥創はないということだ。
 だから,脊損が治れば坐骨部褥創は治ることになる。逆に,脊損であれば,いつ坐骨部褥創が発生してもおかしくない。つまり,脊損が回復不能である限り,それに伴う坐骨部褥創は「根治」という状態はないことになる。褥創がない状態はあるが,それはあくまでも「Pre-坐骨部褥創」であることに変わりはない。

 さてここで,肺炎球菌による肺炎を考えてみよう。細菌性肺炎にとって咳嗽は一部分症状である。もちろん,「脊損=肺炎球菌」,「坐骨部褥創=咳嗽」というアナロジーが成立する。
 細菌性肺炎の治療のターゲットは肺炎球菌であり,抗生剤投与をすれば肺炎は治る。しかし,一部分症状である「咳嗽」にターゲットを定めて咳止め薬をいくら投与しても肺炎は治らない。当たり前である。
 だから,細菌性肺炎の治療のターゲットが肺炎球菌であるように,坐骨部褥創の治療のターゲットは本来,脊髄損傷でなければいけないはずだ。しかし,現時点では脊損は治療不能である。そういうわけで,坐骨部褥創の手術はあくまでも対処療法に過ぎない,という位置づけになる。
 というわけで,脊損の坐骨部褥創を治療するのは,細菌性肺炎に鎮咳薬だけを投与するのとまったく同じと言う結論になる。

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 週に一回はどこかのホテルに泊まっているが,ホテルの朝食というやつがちょっと苦手である。新聞もテレビもないからだ。実は私,一人で食事をしているときには活字か映像がないと食べられない人なのである。「ホテル最上階からの眺めを楽しみながらの食事」が好きな人もいるだろうが,私はどんな美しい風景でも数分で飽きてしまうため,風景しか見るものがないと手持ちぶさたになってしまう。
 でも,手元に新聞やマンガ雑誌,週刊誌があったらもう大丈夫。とにかく,下らない情報でもいいから,食べている際も何か情報に触れていないと食べた気がしないのである。だから,ラーメンでも食べるか,なんて時はまずコンビニに立ち寄って週刊誌をを購入し,という手順が必要になってしまう。何か読んでないと食べられないのだからしょうがないのである。多分,貧乏性なんだろうな。だから,高級ホテルのレストランで一人で食事,なんてのが一番困るんだ。こういうところには新聞もマンガ雑誌も置いてないし,テレビもないからね。

 だから,バーのカウンターに一人で座ってお酒を飲むのも実はちょっと苦手である。情報が何もなくて飽きちゃうからだ。それよりは,ファミレスみたいなところで漫画の本でも飲みながら酎ハイでも飲んでいるほうがずっとお酒がおいしいんだよ。
 そして,「バーの一人酒」以上に苦手なのが,「胸の谷間が開いた服をきているお姉さんが隣に座ってお酌してくれるお店」である。あ〜あ,やっぱり貧乏症だな。

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 いつもの居酒屋でのマスターとの会話。

 以上,物知りマスターと酔っ払い客の雑談でした。

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 「医療の素人・単なるサッカーファン」という方から「私,彫刻刀で爪下血腫と陥入爪を治しています」というメールをいただきましたので,その驚きの方法を公開します。プロにはこういう発想は絶対にできないという方法です。実にすばらしいです。
 こういう常識を超えた発想に出会うとうれしくなります。

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 昨日このコーナーで,熱傷治療について「専門医でなければ治療できない外傷から,専門医でなくても治療できる外傷へ」という変化が起こるはずだと書きましたが,このような変化は社会普遍の現象と言えます。

 例えば,昔は桁の多い計算の結果を早く出そうとしたらソロバンしか方法がありませんでした。しかしソロバンで計算ができるようになるまでにはかなりの修練が必要ですし,誰でも簡単に速く計算できる手段ではありませんでした(実際私は,小学校の頃習った覚えがありますが,最後まで習得できずじまいでした)
 しかし,電卓の出現で桁の多い数の計算は,誰でも瞬時にできるようになりましたし,電卓での計算法を学ぶ必要もありません。数字が読めて四則演算の記号さえわかれば幼稚園児でも答えが出せます。同時に,ソロバンを習う人の数も激減しました。難しくて複雑な方法より,簡単でシンプルな方法が選ばれるのは当然だからです。

 文字が読めない人が多い社会なら,文字が読めるだけで商売になります。しかし,教育が一般的なものになり,誰でも文字が読めるようになると,文字を読むことで商売にしていた人は失業します。だから,文字を読んで商売にしていた人にとって,義務教育は商売敵ということになりますし,失業の直接の原因はまさに義務教育化だったことになります。
 しかし,社会全体から見れば,失業者を生むかもしれないけれど,皆が文字を読める社会になったほうがはるかにメリットがあります。

 同様に,熱傷専門医だけが熱傷を治療できる世の中より,内科医でも精神科医でもとりあえず治療ができて簡単に治せる方法が普及した世の中のほうがいいに決まっています。
 こういう簡単な原理がわからないのが熱傷治療の専門家と大学の形成外科です。なぜわからないかは,皆様,わかりますよね。

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 各地での講演後の質疑応答で熱傷治療(と植皮),褥創治療について,立場の違いが完全に考え方が異なっていることがわかります。
 例えば,熱傷治療と植皮については専門医とそれ以外の医者は次のように考えています。
  • 熱傷専門医(=形成外科医,熱傷学会所属医)
    • 熱傷治療には特殊な専門知識と特殊な治療手技が必要であり,専門家でなければ治療できるわけがない。
    • 植皮をしなくても治るというが,植皮をすれば治るのだから植皮術は必要な治療手技である。
  • 非熱傷専門医(=内科医,小児科医,形成外科医以外の外科医)
    • 熱傷については全く知らないが,ラップとワセリンで治るなら治療してみよう。それで治るなら患者も増えるし・・・。
    • 植皮をしてもしなくても治るなら,植皮しないで治したほうがいい。

 これは褥創治療の専門家を任ずる医師と看護師(WOCナース)にも見られます。彼らは「褥創治療には特殊な知識が必要で,その特殊な知識を持っているものにしか治療できないものである」と考え,「ゴミ袋さえあれば,素人でも褥創治療ができる」と説明すると猛反発します。恐らく彼らは,「褥創は特別な病気」だと思い,褥創治療は心臓外科手術や内視鏡手術と同レベルに難しいものだと信じているのでしょう。

 ある病気が専門家でなくても治療できるものとなったとき,誰が一番困るか。もちろん専門家です。では,誰が喜ぶか。もちろん,専門家以外の人間全てです。これは要するに,触診と打診と聴診だけで肺炎を診断するには名人芸と特殊能力が必要だったが,レントゲンの登場で駆け出しの医者でも看護師でも診断できるようになったのと同じです。

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 先日の丸亀市医師会での講演会の質疑応答で,二人の形成外科の先生がヒステリックに「保存的治療より植皮が優れている。同じ治るならVACの方がいい。ソフラチュールは痛くない」とまくし立て,聞く耳持たず状態だった。これまでも同様の「聞く耳持たず」の質問をしてくる医者がいたが,決まって形成外科と皮膚科の医者だった。ああ,また来たな,という感じだった。
 そりゃそうだろうな。自分がこれまでしてきたことを根底から否定されたのだから。だから,重箱の隅をつつくような質問をして,自説をまくし立てるのだろう。
 だが,こういう先生方は現実の世界が動き出していることを知らないし,もう既に,こういう先生方の治療が患者に否定され始めていることを知らないだけなのだ。

 あるところで開業されている泌尿器科クリニックの先生がいて,数年前から湿潤治療を積極的に行っているのだが,彼のクリニックを受診する熱傷患者や外傷患者が増え,それに伴って初診患者が増えているのである。もちろん彼は熱傷治療なんてそれまでしたこともないし,恐らく熱傷治療の教科書も読んだことがないはずだ。それなのに,熱傷患者が増えているのである。
 そして,このクリニックに熱傷患者が来るということは,それまで熱傷患者を扱っていた皮膚科や形成外科に患者が行かなくなったということと同じだろう。
 これは何を意味するか。市民の間の口コミで「ヤケドをしたらあそこの泌尿器科のクリニックがいいよ。皮膚科に行っちゃ駄目!」という認識が広がり始めているとしか考えられないはずだ。つまり,患者は皮膚科とか泌尿貴科とか熱傷専門医という看板で医者を選ぶのでなく,「痛くないヤケドの治療」をしているかどうかで選んでいるのである。

 医療は客商売である。客が来てくれないことには成り立たない業界である。そして,客に選ばれる治療を提供すれば客が増える業界である。客に選ばれなくなった治療は消えるしかないし,客に選ばれない治療しかできない医者は食っていけなくなるだけのことだ。

 私が医者になった頃,胃潰瘍は外科医が手術して治す病気だった。恐らくあの頃は,胃潰瘍の手術の名医がいただろうし,胃潰瘍の手術で食っている外科医が沢山いたはずだ。
 しかしその後,H2ブロッカーが開発・販売され,胃潰瘍は内科医が内服薬で治す時代になった。胃潰瘍患者で外科で手術してもらおうと考える人はいなくなった。恐らく,胃潰瘍手術で食っていた外科医は困ったはずだ。H2ブロッカーなんて碌でもないものを発明しやがって,と呪ったはずだ。
 しかし,患者は手術より薬を飲んで治す治療を選んだ。そして,胃潰瘍を手術する外科医は絶滅して行った。

 ある疾患の治療の歴史を見ると,治療担当診療科の変化を伴っていたことがわかる。虫垂炎は19世紀後半までは内科医が治療するものであり,その後,外科医が治療する時代になった。そして今は,内視鏡医が治療する時代になった。その変化に伴い,患者がいなくなって困った内科医,外科医が生まれたはずだ。

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 日本の医学界(そして多分,世界の医学界)にはエビデンス馬鹿,RCT馬鹿が多くて困る。RCTで証明されていないものは信じない,医学的に正しいということはRCTで証明されたことである,と考える大馬鹿ちゃんである。こういうお馬鹿さんは,次のような命題について考えてみてね。
  • 青酸カリで人が死ぬかどうかはRCTを行ったデータがないと信じられない。100人に青酸カリを飲ませ,飲まなかった100人と比較して死ぬかどうかを調べるべきだ。
  • クロストリジウム菌によってガス壊疽が起こるかどうかはRCTで証明されなければ信じられない。クロストリジウムを創内に入れた100人と入れなかった100人で調べ,本当にガス壊疽が発症するかどうかという実験をすべきだ。
  • 皮膚を切ると血が出るというが,それをRCTで確認した論文がないと信じられない。100人の皮膚を切り,切らなかった100人と比較して統計処理すべきである。

 化学や物理や生理学で確認された事実についてはRCTを行う必要はないし,RCTをしても証明できません。このあたりが全然わかっていない大馬鹿ちゃんが多くて困っちゃいます。
 RCT大馬鹿お医者様からの反論を心よりお待ち申し上げております。

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 私が幼い頃,"Made in USA" といえば全世界の憧れの商品だった。何しろその頃,日本で「外車」といえばそれはアメリカ車だったし,そのほかにもアメリカ製の商品が沢山輸入されていた。その頃,アメリカは物を作って海外に売る国だった。
 現在,"Made in USA" はどこにもない。"Made in Japan" ,"Made in German" ,"Made in France" ,"Made in Italy" ,"Made in Korea" ,"Made in China" ・・・はあるのに "Made in USA" がない。アメリカは物を作らない国になったからだ。
 ではアメリカ人は何をしているのか。他人の金を右から左に動かして金を儲けを得る職業につく人間ばかりになった。優秀な人材ほどそういう職業につくようになった。そして,より巧妙に金を動かして儲けが上がるように,システムはより複雑になっていった。それをアメリカ中の優秀な頭脳が支えた。しかし,あまりにも複雑膨大なシステムになってしまったため,証券がどこでどう繋がって動いているのか,誰も把握できなくなってしまい,制御できなくなった。
 そして,システム崩壊の日が近づいているようだ。
 通勤路のど真ん中に大きなネズミの死体が転がっていたのは10日ほど前だった。どうやら車に轢かれて死んだらしく,ぺしゃんこの状態だった。車がすれ違えないくらい狭い道のアスファルトの上の死体は土に返ることはなく,その後何度か車に轢かれて,毎日,新たな内臓を撒き散らしながらゆっくりと腐敗していくしかなかった。
 これが都会だったらどうなるか。恐らく,数日でネズミの死体は跡形なく消えているはずだ。都会の偉大なるスカベンジャー,ハシブトガラスが始末してくれるからだ。
 しかし,ここ石岡ではこのネズミの死体が10日以上,原型をとどめている。なぜか。それは,カラスが少ないからではないかと考えている。実際,他の都市に比べて石岡市街でカラスの姿を見ることはとても少ないような印象がある。農村平野地帯の石岡とはいえ,このような平野は通常,ハシボソガラスの天下のはずだ。これまで,カラス天国とも言うべき都会で暮らしてきたから,この「カラス不在」はとても不思議である。

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 朝青龍,八百長報道は「全くのウソ」
 こういう報道を見ていると,「相撲は神聖で特別な国技」という嘘,いわばパラダイムが崩壊しかかっているだけじゃないかと思う。

 相撲とは何か,スポーツでも真剣勝負でもなく,単なる「興行」である。つまり,走り幅跳びとかフェンシングとか重量挙げなどのスポーツでなく,プロレスやプロ野球に限りなく近いものである。
 興行とは商売であり生活の手段である。プロ野球は1年間で140試合をこなすことで生活費が得られるし,相撲は15日間6場所,そして地方巡業を勤め上げてはじめて生活できる。つまり,連日試合に出られる頑丈な体でなければ使い物にならないし,雇うほうもできるだけ頑丈な人間を採用する。プロ野球選手もサッカー選手もガタイがいいが,それは,もともとガタイのいい人を優先的に採用しているからである。140試合毎日出場できる体力と体が最低条件だからだ。

 まして相撲となると,猛スピードで突っ込んでくる150キロの相手との勝負を15日間毎日行うわけだから,自分もそれと同じ体にならなければ最初から勝負にならないし,普通の体型の男だったら間違いなくあの世か病院行きだ。だから,相撲の興行を行うためには150キロ級の頑丈な男を数十人集めないと15日間の興行は行えないのだ。
 ところが,通常の日本人は150キロになるのは難しいし,150キロで俊敏に動くのはもっと難しい。だから,通常の食事の数倍量の食事を無理矢理摂らせ,太るのに効率的な生活のパターンを強い,その上で運動能力を高めている。言ってみれば業界ぐるみのドーピングのようなものだ。だから,糖尿病にはなるわ,痛風にはなるわで親方衆の寿命は日本人の平均寿命よりはかなり短いことになる。

 相撲に八百長はないというのは言葉のあやで,もちろん,真剣勝負なんてしていられないのは常識だ。毎度真剣勝負をしていたら怪我人だらけになり,一場所で相撲界は潰れてしまう。
 力士は相撲協会から給料を貰っているサラリーマンである。要するに,相撲協会という一つの会社の中に高砂部屋とか時津風部屋という部署に分かれて所属し,技と体力を見せ合っているわけだ。サラリーマンである以上,誰しも長く勤めたいし,怪我をして休みたくない。これは相手の力士も同じだ。勝つことにこだわって相手に怪我をさせるわけにはいかないのだ。怪我人が多数になると,相撲興行自体が行えず,結果的に自分も失業してしまうからだ。

 相撲に八百長なしと言い張るなら,給料制でなく勝った力士への賞金制にして,勝ったほうが総取り,負ければ賞金ゼロとすればいい。これで八百長はなくなるはずだ。もちろんその結果,怪我人だらけになって相撲業界全体が崩壊するけど・・・。

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 現在,光文社新書の原稿を書き進めていますが,そろそろ「熱傷治療に見るパラダイムの構造」なんてあたりを書こうかと思っています。
 現在の標準的熱傷治療のどこが間違っているか。それは,治療行為(=消毒し,軟膏ガーゼで創面を乾燥させる)そのものが熱傷の状態に影響・悪化させているのに,その「治療による悪化」を「熱傷の自然な経過」と混同している点にあります。これは要するに,肺炎の治療薬に咳を悪化させる成分が含まれているのに,「このように治療の経過中に咳がひどくなるが,これは自然の経過である」と教科書に書かれていて,その「自然に悪化した咳」に対する治療をしているようなものです。

 これはどういう状況なのか。たとえて言えば,100年前の地図を搭載したカーナビ情報で運転する車のようなものといえます。100年前の地図情報でカーナビがガイドし,それに従って車を走らせているわけですから,通ろうとしても行き止まりだったり,道そのものがなかったり,広い道路が目の前にあるのに表示されません。その結果,運転者は右往左往してなかなか目的地に到着できません。それが標準的熱傷治療の現状です。
 ところが運転者にはカーナビしか目に入らないため,目の前に広い道があることに気がついていません。現実を見ないでカーナビ画面しか見ていないからです。このカーナビが熱傷治療の教科書でありガイドラインです。

 普通なら「このカーナビはおかしい」と気が付きそうなものですが,何しろ熱傷専門医は専門医になったときから「このカーナビだけが正しい」と教え込まれてきたため,カーナビがおかしいという発想だけができません。逆に,カーナビがおかしいんじゃないのと言われると逆ギレする始末です。なぜなら,「運転(=治療)することはカーナビ(=ガイドライン)通りにすること」だからです。

 ちなみにパラダイムシフトとは必然的に,専門家の専門知識が紙くず同然になって専門家としての地位を失う現象を伴います。専門家の失業です。
 天動説の専門家は「天文学の専門家」でしたが,地動説へのパラダイムシフトが起きた時,天動説の専門知識は紙くず同然,役立たないものになったのと同じです。要するに,天動説という「古い地図」が役に立たなくなった時代になっただけのことです。その業界の専門家ほど,その業界のパラダイムシフトに抵抗しますが,それはこういう単純な図式があるからです。

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 湿潤治療や外傷の治療について多くの方から質問,相談を受けます。それはそれで非常に嬉しいのですが,反面,治療をしていて判断に困った時に私が相談する相手がいないというのはちょっと辛いです。8年近く,一人外来をしているからです。また,幸か不幸か,全く新しい治療に足を踏み入れてしまったために従来の教科書の記述も全く役に立ちません。嫌でも自前の脳味噌で何とか解決するしかありません。
 こういう状況にだいぶ慣れて来ましたが,最後の決断がつかない時は誰かに相談したくなります。
 それと,たまにでいいから,治療とか創感染とか今後の方向性とか,そういうのを議論したくなります。医学だけでなくて色々な事に幅広い知識を持っていて,物事を深く考えるのが好きな人が近くにいてくれないかな,なんて思ったりします。一人で思索をめぐらせるのも好きですが,新しい方向に考えを進めるきっかけがなかなか得られないんですよね。

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 以前から「シャンプーを使わず,温水のみでの洗髪」をしていますが,最近相次いで,女性の読者からの「私もシャンプーを止めました」というメールをいただいています。そしてほぼ全員が という感想でした。
 また,「息子(乳児)の頭から酸っぱい臭いがして気になっていたため,思い切ってシャンプーを止めてみました。そうしたら臭いがなくなりました」というメールもいただいています。私も実感していますが,枕カバーの臭いは毎日シャンプーをしていた時期の方が強く,シャンプーを止めると臭いが減ります。

 ちなみに,△社のシャンプー「ツ○キ」のTVコマーシャルがよく流れていますが,美容師さんの間では,「○バキを使うと髪の質が悪くなる,髪の毛の艶がなくなる,髪の毛がパサパサになる」という評価なんだとか・・・。

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 いつも夕食を食べている居酒屋のマスターとの雑談。
  • 「福田首相の突然の辞任,どう思います?」
  • 「あれは,2代目,3代目の人間しか政治家にいなくなったからじゃないですかね。今,どこの会社に2代目の社長がいます? 大きな会社ではいないです。自分の息子に社長を継がせているのは3流以下の会社ばかりで,いずれその会社は潰れます。」
  • 「確かにそうだね。料亭でも会社でも,2代目はうまく行っても3代目で潰しちゃうもんな。落語家だって俳優だって息子や娘に継がせた例は多いけど,大概下手だよね。」
  • 「大体,辞める時ってのは何がしかトラブルが起きて辞めるわけですよ。だから本来は,そのトラブルを治めるとか,同じようなトラブルが二度と起きないようにシステムを修正するとか,そういう対策をとってから辞めるのがトップの仕事です。トラブルをそのまま放置して辞めるのは,トップとしては最悪の姿でしょうね。」
  • 「なるほどね。バイトのお兄ちゃんなら「かったるいからバイト辞めます」で済むけど,そういう理由で店長が辞めちゃったら駄目だよな。そんな店,すぐに潰れるよ。」
  • 「結局,2代目,3代目のボンボンばかりで,人間的にもまれることもないし,困ったことがあっても親や周囲の人が何とかしてくれたんでしょう。そういう人ばかりが政治家になっているから駄目。でも,そこらの会社の社長に政治を任せたら,今の日本の問題も財政赤字も10年くらいで解決しちゃうんじゃないですか。そういう能力がない社長だと会社は潰れてますから。」
  • 「人材が払拭しているのは政治の世界だけなんだな。」

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 先日の日本褥瘡学会では「3年以内にラップ療法(OpWT)についての扱いを決める」と明言されたとか。どうも,治療の一つの選択枝として認めるんじゃないの,という観測もあるようだが,どうなんでしょうか。
 そんなことより,OpWTが普及すると学会が恐らく瓦解することになるんだけど,そこまで学会側は読んでいるのだろうか。例えば次のようなシナリオだ。
  1. (学会が認めようと認めまいと)OpWTは在宅を中心に普及しつつある。研修医や医学部学生で湿潤治療はもはや常識になっている。素人にも知識が少しずつ広まってきた。
  2. 褥瘡治療が,褥瘡についての知識があまりない医者や看護師でもできるものになる。なにしろ,穴あきポリ袋さえあれば治療できるのだから。
  3. 手術の出番が少なくなる。
  4. 形成外科医はすることがなくなり,学会から離れる。
  5. 軟膏を使わなくても褥瘡治療ができる。軟膏の出番がなくなる。
  6. 軟膏が使えないから皮膚科医も学会から離れる。
 そしてこれは以前にも指摘したことだが,褥瘡の研究会を作ってみるとわかるが,テーマがすぐになくなってしまうのだ。局所治療,全身管理,予防と来て,その次のテーマがなくなってしまう。それでもまだ,現時点のスタンダードの日本褥瘡学会の治療マニュアルだといろいろな軟膏の使い分けとか,被覆材の使い分けなどの「いかにも難しそうな専門知識」が必要そうに見えるが,これもOpWTを覚えてしまうと,このような知識が全く不要になってしまう。するとさらに研究テーマがなくなってしまう。

 そしてその次の段階として,苦労して学会に参加しても得られるものがないのでは,ということになってくるはずだ。学会とは最先端の専門知識に触れる場であり研究を披露する場だが,そういう「場」を日本褥瘡学会が提供し続けられるのか,極めて疑問だ。何しろ,専門知識がなくても褥瘡が治療できてしまうからだ。
 現在,褥瘡学会の発表は "Wound Bed Preparation", "Critical Colonization" というヨコモジが大流行だが,これは要するに,学会側が無理矢理ひねり出した研究テーマだと思う。実際,これで少なくとも,3年分くらいの研究テーマはひねり出せそうだ。しかし,OpWTをしてみるとわかるが,こういう概念は全く不要というか,そういう概念が登場する余地がないのである。

 要するに,OpWTは「褥瘡治療の化けの皮」を剥がしてしまったのだ。褥瘡なんて,学会を作って研究するほどのものではないということを示してしまったのだ。

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 ある講演会後の懇親会での立ち話。
  • 【下肢切断の義肢装着に伴う断端形成部のスキントラブルがどうにかできないか】
    • 歩くための道具だが,必ずしも足の格好をしていなくてもいいのではないか,という視点から基本設計をする必要があるのではないか。
    • 膝と足首の2関節である必要もないかもしれない。

  • 【ゲーベンクリーム】
    • ゲーベンクリームを傷に塗ると痛いし,傷も確実に深くする。
    • どうしてもゲーベンの効果(私はそれに対しても疑問を持っているが)が治療上必要というのであれば,痛みを生じる成分を除去したゲーベンとか,傷を深くする成分を除去したゲーベンを開発する,という方向に進むのがまともな医学の考えだ。
    • それなのになぜ,大昔に開発されたゲーベンなどを無批判に使っているのだろうか。痛みという副作用があるのは明らかなのだから,さっさと見切りをつけて新しい軟膏を開発すればいいのに・・・。

  • 【日本褥瘡学会への医師の参加が減っているようだ】
    • 褥瘡学会での医師の発表が年々減っているような感じがある・・・確かめたわけじゃないけど。
    • 数年前はもっと医者が参加していたし,発表していたような感じがする。
    • 医者の関心を惹く学会でなくなったということではないか。

  • 【植皮になる熱傷が本当に少なくなり,手術件数が減って病院に文句を言われている。これだけが悩みの種だ】
    • ある形成外科の先生との会話。
    • 現時点で,湿潤治療で最大の利益を得るのは患者さんだけど,最大の損失を蒙るのは熱傷治療を一生懸命にしている形成外科医と皮膚科医のうちで湿潤治療をしている医者だね。
    • 考えてみると,江戸時代までは代書屋,つまり,他人の手紙を読み上げたり手紙を書いてあげる職業があったが,教育で識字率が上がるとともに廃れて行った。時を読めない・書けない人が多ければ代書屋は職業として成立するが,時代が変わると廃業するしかない,というのが単に熱傷治療で起こりつつあるだけではないか。
    • いずれにしても,「形成外科は植皮で稼ぐ」時代ではなく,職業としての形成外科も構造改革が迫られる時代になるはず。そして,植皮しかできない形成外科医は使い物にならなくなるのでは。

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 各地でさまざまな先生たちを相手に講演をしていると,ある専門分野の専門家ほど,その専門分野での変化に反発するというのは,今も昔も同じ現象だということを今更ながら感じ入ります。これは天動説のアンチテーゼとして地動説が唱えられたとき,天動説の専門家(=当時の天文学の専門家集団)ほど激しく反発し,死ぬまで天動説を説いて回ったのと同じです。天動説は彼らにとってはいわば「飯のタネ」ですから,全力を上げて飯のタネを守ろうとしたのでしょう。
 つまり,パラダイムシフトが起きたとき,旧パラダイムの専門家は素人より無知な集団になってしまうのです。熱傷で言えば,湿潤治療が普及してしまえば素人でも熱傷を治療するようになるのに,熱傷治療の専門家は従来の軟膏治療をより強く推奨するという状況になるはずです。

 そして,専門家ほど治療手段にこだわりを持っています。形成外科は皮弁手術にこだわりを持ち,皮膚科医は軟膏治療にこだわりを持ち,内視鏡専門医は内視鏡にこだわりを持ちます。
 そして形成外科の場合,いつの間にか,皮弁手術をすることが治療の目的になります。要するに手段と目的の取り違えなんですが,皮弁手術に自信があり研究熱心な先生ほど,「皮弁手術することが治療の目的」という錯覚に気がつきにくいような傾向があります。
 そして,皮弁手術でなくても治る,なんてことを言われると,このタイプの先生は頭に血が上ります。皮弁手術ができるのにそれをしないのは形成外科の風上にも置けない,なんて猛烈に抗議してきます。別にその先生本人を否定しているのでなく,皮弁手術を否定しているだけなのに,彼にとっては手術は自分の分身みたいなものですから,手術を否定されるのは自分を否定されるのと同じに感じてしまいます。こうなると,冷静な議論すらできなくなります。
 もちろんこれは,他の診療科でも同じで,例えば骨頭置換術の名人の先生は「骨頭置換はもういらない」という発言は決して許さないでしょう。

 推理小説では「この事件で誰が一番利益を得るのか」が重要な情報ですが,かつての医療の世界に起こったパラダイムシフトをこの観点から分析すると,いろいろ見えてきます。

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 『テキストエディター「WZ EDITOR」が5年ぶりに更新,v6.0のプレビュー版を公開』なんてニュースがありました。大多数の人にとっては,WZって何? 程度の話題だと思いますが,私にとっては大ニュースです。なぜかというと,私が日常で最も頻繁に使っているソフトがWZ Editorだからです。本の原稿を書くのも,ホームページのHTMLファイルを作るのも全てこのソフトです。テキスト・エディターはテキスト入力するためのソフトですが,WZの前身であるVZ Editor,さらにその前身のEZ Editorの時代から考えるともう20年近いお付き合いで,体の一部になっているような感じです。

 このエディターはHTMLファイルを読み込むと自動的にHTMLタグ自動的挿入機能がオンになるため,HTML入力マクロを組み込んだWZ Editor 4.0は私にとって最強のエディタでした。その後,5.0にバージョンアップしましたが,HTMLソース入力がシームレスでなかったため,また4.0に戻した経緯があります。それほど4.0は使いやすく,完成度の高いものでした。
 とは言っても,WZ Editor 4.0はWindows 3.1アーキテクチュアをベースに作られたものであり,Windowsのバージョンアップが進めば早晩使えなくなることは明らかでした。その意味で,最初からXP/VISTAアーキテクチュアをベースにしたWZ Editorが登場したことは朗報です。
 早速,ベータ版をダウンロードして使ってみようと思っているところです。

 それにしても,EZ Editor,VZ Editorの頃の話しを始めると止まらなくなります。

 フリーソフトとして産声を上げたEZ Editor 0.98はテキストエディターとしてのあらゆる機能を持ちながら,ファイルサイズが極限まで切り詰められていたために動きが軽快で,MS-DOS 2.11の乏しいメモリ環境でも高速で動きました。当時主流だったNECのPC-9801の型番号を元に,プログラムサイズを9801バイトきっかりに収めたプログラマ魂になによりしびれました。当時,パソコン(=PC-9801)用のワープロソフトとして管理工学研究所の『松』とジャストシステムの『一太郎』が普及し始めた時代でしたが,あの頃のワープロソフトは動作が重く,気の効いた文章書きはEZかMiffesで文章を書いていたんじゃないでしょうか。

 そして,市販ソフトのVZ Editorが誕生します。当時としては画期的な常駐機能を備え,しかも超強力なマクロ機能を備えていました。しかも値段はその他のエディタの半額以下!
 このマクロはBasicライクな構造化言語の強力なプログラム機能を持ち,付録にこのマクロで作ったゲームの「テトリス」が添付されていたことからも,そのプログラミング能力の高さがわかりました。
 私はこのマクロに魅せられました。何しろ,ファンクションコールまでマクロでできるのですからできないことがありません。しかも,コンパイルしているわけでもないのに高速でプログラムが動きます。もともとプログラミングが好きだったこともあり,このマクロで,論文作成用のアウトライン・プロセッサのマクロ(引用文献の番号の自動振り付け機能,引用文献の自動配列機能など,論文作成に必要な機能は全て盛り込みました)を皮切りに,ゲームソフト・マクロ(マイン・スウィーパーやトランプゲーム),データベースソフト,スクリーン・セイバーを次々に作り,挙句の果てに,「日本形成外科学会認定医問題・自習用マクロ」なんてものまで作ったのを記憶しています。それほどこのマクロは強力で魅力的でした。

 当時,VZ Editorの発売元,ビレッジ・センター社のパソコン雑誌(当時はまだインターネットがなく,パソコン雑誌全盛時代だった)があって,ここにマクロ投稿欄がありましたが,ほとんど毎号,私の投稿マクロが掲載されていたことを懐かしく思い出します。
 そういえばあの頃は,『The Basic(通称「ざべ」)という雑誌があり,VZ Editorのソースコードの解析やらマクロの裏技やらの記事が満載で,私にとっては毎号毎号が宝物で,「ざべ」の最終号は涙なしには読めなかったです。一度だけ「ざべ」に投稿が掲載されたことがあり,舞い上がる思いでした。医学雑誌に論文が掲載されるよりはるかに嬉しかったからです。

 そしてMS-DOS⇒Windowsへの転換に伴い,VZ EditorはWZ Editorにバージョンアップします。かねてから定評のあったファイル管理機能を独立させ,メーラー機能も備え,grep検索もデフォルトで装備し,エディタとしては依然として最強の存在でした。しかしこの頃から,マクロ機能はより高機能化を目指し,その結果として,マクロ言語はC言語ライクになります。
 その頃,インターネットが普及し始め,個人でホームページを持つ人がポツポツで始めます(その一人が私)。しかし当時,ホームページ作成ソフトにろくなものはなく,私は手作業でHTMLタグを打ち込んでサイトを作っていました。そこでWZ Editorは「HTML作成用マクロ」で対応します。これは本当に使いやすく,現在もこのサイトの更新は「WZ 4.0+HTMLマクロ」で行っています。

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 さて,私の名前の「睦」は「まこと」と読む。かなり珍しい読み方であり(もちろん,正式の読み方であり広辞苑にも載っている),これまでの51年の人生では「むつみさん」と呼ばれることが圧倒的に多かった。自分の子供の名前に珍奇な漢字,珍奇な読み方をつける親が最近ムチャクチャ多いが,やはり当たり前に読める名前,普通に読める名前の方がいいと思うよ。
 何が一番困るかというと,電話で自分の名前の漢字を相手に伝えるのが大変なのだ。私の名前くらいだったら「睦まじい,という漢字です」とか「陸地の陸という漢字の左側が目になっている字です」といえばいいが,最近,外来を訪れる子供の中には,この名前の漢字をどうやって相手に伝えるんだろう? と人事ながら心配になってくる名前が多い。

 そういうもんだから,
「男子五輪代表が合宿公開/レスリング」というニュースの中に「笹本睦」という選手の名前が「まこと」だと知って,ちょっと嬉しくなったりするのです。笹本選手,頑張ってください。
 ちなみにネットで調べてみると,「睦でまこと」さんの有名人は次の二人くらいしか見つからなかった。多分彼らも「むつみさん」って呼ばれて育ったんだろうなぁ・・・本名だとしたら。

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 その実家の仏壇には父の遺影と私の姉の遺影が並んでいます。姉は私が生まれる前に死んだため,私はこの写真でしか知りません。この姉のことを覚えている人間は,もう母親しかいません。母親がこの世を去ったとき,かつて1歳半で死んでいった幼女がいたという記憶は永遠に消え去ります。
 私の父が死んでから既に13年ですが,父のことを覚えている人間も次第に少なくなるのでしょう。長年,中学の教師をしていましたから,もしかしたらその頃の教え子で覚えている人もいるのかもしれませんが,その教え子たちも中年に達しているはずです。また,かつて父の同僚だった人たち,釣り仲間だった人たちも,一人,また一人とこの世から消えていっています。人が死ぬということは,その人が保っていた記憶も死ぬということなんだな,と仏壇の写真を見ながらしみじみ思いました。
 人は二度死にます。一度目は生物としての死,そして二度目は死者の記憶を持つ人間が死に絶えることによる死です。

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 ある講演会後の宴会で出た話です。
  • エビデンスがないからラップ療法が広まらないのではない。知られていないから広まらないのだ。エビデンスを提示しても広まるわけではないような気がする。
  • ラップ療法に反対する医者は,自分で褥創治療をしていない医者ばかりのようだ。だから,観念論で治療に反対しているだけ。この人たちを説得するのは不可能(・・・褥創治療の実情を知らないから)
  • 外傷の湿潤治療にしろ褥創のラップ療法にしろ,実際にやってみた医者や看護師で反対する人はいない。
  • 湿潤治療について全く知らない研修医は,今やほとんどいない。彼らが自分の意思で治療できるようになったら,旧来の傷の治療も褥瘡学会が推奨する治療も,自然消滅するのではないだろうか?
  • 一般市民が湿潤治療を体験してしまったら,旧態依然とした傷の治療,やけどの治療をしている病院(=大学病院,大規模総合病院)の治療を希望する患者はいなくなり,患者が拒否するようになる。つまり,医者が消毒したくてもできない時代になる。
 このように考えてみると,EBMの論理はパラダイムシフトに対応できない,むしろEBMはパラダイムの転換を妨害するのではないだろうか。既存の論文に証拠を求めるからである。だから,例えばラップ療法のエビデンスをいくら積み上げてもそれで治療法を変える看護師はいないだろうし,消毒の組織障害性に関するエビデンスをいくら積み上げても,それで消毒を止める医者はいないだろう。
 チョンマゲを結っていた江戸時代には「チョンマゲをする必要はない,チョンマゲはしなくてもいい」というエビデンスはなかった。チョンマゲをしろ,チョンマゲをしなければおかしい,という常識しかなかったからだ。チョンマゲ医者(=消毒医者・消毒看護師)にチョンマゲを止めさせるためには,「チョンマゲをしない」ことが常識となり,チョンマゲ医者以外のすべての人間がチョンマゲをしていない世の中にするしかないのである。
 つまり,エビデンス(=論文)を出すことではなく,世の中を変えるしかないような気がする。

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 「秋葉原の歩行者天国を当面中止に」
 これってどうなんだろう。歩行者天国であろうとなかろうと,イカれた奴が大量に人を殺そうと思ったらどこでもできるからね。それこそ渋谷や新宿のスクランブル交差点なんかにダンプで突っ込むとか,アメ横で刃物を振り回すとか,いくらでもできるからだ。悪意を持った人間が何かをしようとしたら,それを防ぐことは不可能である。

 これは要するに,家に泥棒が入ってきたようなもので,侵入に使われた窓だけを閉鎖しよう,というのが今回の「歩行者天国中止」と同じ。しかし,泥棒が入れそうな窓は他にもあるし,窓以外にも入れそうなところはある。つまり,「泥棒が入った窓だけ閉鎖する」というのは何の解決にもならない。
 ではどうするか。悪意を持った人が入ろうとするとは入れない建物がないことをまず認め,泥棒が入ることを前提に,早めに感知するとか,いかにも入れそうな窓をわざと作ってトラップを仕掛けるとか,そういうことしかないような気がする。

 ちなみに,「絶対に泥棒が入れない建物を作ろう」という命題を考えるのも面白い。  つまり,「絶対に泥棒が入れない建物」とは人間が住めない建物,ということになってしまう。要するに,泥棒に絶対に入れない建物とは,中に住んでいる人が外に出られない建物,外部とのあらゆる連絡手段が一切ない建物である。

 ちなみに,この「絶対に泥棒が入れない建物」とは,「カテーテル刺入部の感染を絶対に起こさない処置法は何か」,「術後創感染を絶対に起こさない処置法はあるか」,「絶対に創感染を起こさない熱傷治療とは何か」という命題のアナロジーである。
 カテーテル感染を絶対に起こしたくないと思ったら,唯一の解決法はカテーテルを入れないことである。術後創感染をゼロにすべきと思ったら手術をしないことである。交通事故ゼロにするために最も簡単なのは,車をすべて廃止するか,車と人間の接触を一切なくせばいい(例:車はロボットが運転し,人間社会と完全に遮断した社会を作ってそこで車を走らせる)のと同じ。

 「でも,車は便利で廃止することはできないし,治療でカテーテルは絶対に必要」と考えるなら,事故や感染は必ず起こることを前提にしてシステムを組み立てるしかないのだ。

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 以下の推論はあくまでも「報道された内容」が根拠なので,実際には違っているかもしれないよ,ということは最初に断っておく。

 
「整形外科で点滴後に女性死亡,11人入院 三重・伊賀」について,同院の院長先生は看護師「点滴作り置きしていた」 患者死亡の整形外科と回答したようだ。また,「点滴毎朝作り置き,血液から細菌 院内感染の疑い強まる」というのも明らかになった。どうやら,「細菌汚染されていたのは点滴薬剤か点滴ルートのいずれかしかない」という昨日の私の予想があたってしまったようだ。

 だが,この報道中の院長先生の「私の指示を無視して,看護師が勝手に薬剤の作り置きをして使っていた」という弁明には疑問を抱く。その根拠は次の通り。  これが正しいとすれば,院長先生は一人で一日300人の患者の診療に当たっていたことになる。一人で診察・診療できる患者数の上限は恐らく,1時間当たり12〜15人くらいだろうから,食事もとらずに朝から晩まで診察したとしても80人から100人が上限だろう。残りの200人はリハビリだけ,注射だけで医師の診察なし,と考えなければ計算が合わない。もちろん,大学からの応援医師が毎日3人くらい来ていたら300人の外来患者をこなせるかもしれないが・・・。

 しかも,今回の事故が起きたのと同じ点滴を毎日100人に行っているという。ということは,外来患者の3人に一人は同じ点滴をしていたことになる。これは医学的に見て異常ではないだろうか。外来患者の3割以上が同じ症状で,同じ治療が必要で,同じ点滴が必要だったという事態は,常識では考えられないと思う。恐らく,医師の診察なしに点滴が行われ,しかもその点滴の内容は医師の指示なしに最初から作られていたのだろう。それが「作り置き」だし,「作り置き」しておかなければ,1日100人の点滴をこなすのは難しいはずだ。
 逆に言えば,点滴内容が初めから決まっていたからこそ「作り置き」が可能になり,100人の患者をこなせたのだろう。

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 後期高齢者保険制度とか高齢者医療の問題の根源は恐らく,老化とか老衰という自然現象に付随するさまざまな「変化」を「病気」と考えていることにあるんじゃないだろうか。
 「病気」だと思えば治療対象になり,何が何でも治療して状態を改善しよう,改善しなければいけない,全力で改善しよう・・・という方向に走ってしまう。
 だが,物事全て「原因と結果」であり,「原因」が除去できれば「結果」は自然に改善する。だから,治療のターゲットはあくまでも「原因」でなければいけない。例えば細菌性肺炎の場合,細菌と言う「原因」を除去する方向で治療をすれば肺炎は治るが,咳とか痰などの「結果」だけ治療しても状態は改善しない。肺炎は肺炎のままだ。
 それと同じに考えれば,老衰に付随するさまざまな現象(例:寝たきりになる,褥創ができる,意識レベルが落ちるなど)を治療することには意味がなく,唯一意味がある治療とは「老衰を改善する」,つまり,若返らせることしかない。もちろん,これは不可能だ。
 高齢者医療を考えるには,まず,「老衰」と「病気」を同一視するのか,区別するのか,というあたりから考え直す必要があるんじゃないだろうか,と思っている。

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理学部を卒業してから医学部に入り直して医者になったという人から聞いた話。
  • 理学部時代,教授に論文を見てもらったら「君の考えがかかれて以内から駄目だ」と叱られ,
  • 医者になってから論文を書いたら,教授から「君の考えは書かなくていい。他の論文からの引用をもっと入れろ」と叱られた
 そういえば昔,ある先天異常症候群の症例報告の論文を書いたとき,自分の考えを書きまくったら,やはり教授に呆れられましたのを思い出します。「自分の考えを書くな,他人の論文を引用しろ」というのが医学論文なんですね。

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 「ブログでうるおい治療について取り上げました」というメールをいただきました。ボーイスカウトのリーダーをされている方で,私の本のイラストを書いてくれているChimaさんのお知り合いとのこと。しかも,私の講演を聴きにいらっしゃったこともあるそうです。治療をご紹介いただき,ありがとうございます。
 こういう,いわば医療の素人の方からのメールをいただくたびに,「パラダイムシフトは専門家から起こったことはない」というのはいつの時代でも普遍的事実なのだなと再確認しています。

 現在,傷の治療に関しては開業医の先生,小規模病院の先生が先頭に立ち,知識を得た素人の方がそれに続き,大規模病院と大学病院が一番後ろにいて,まだ走ろうともしていない・・・というのが現状ではないかと思われます。
 実際,全国各地の大学病院の研修医や看護師さんから「診療科でちょっと違いますが,当大学病院ではそこかしこで消毒のオンパレードですし,熱傷も褥創もゲーベンクリームです。全然治りません。どうしたらいいのでしょうか?」というメールをよくいただきますが,どうやら,全国各地の熱傷専門医が揃って保守化しているみたいで,「熱傷治療は消毒して軟膏ガーゼ,感染したらゲーベンクリームに決まっているだろ!」と19世紀の局所治療に固執しているようです。そして,その保守化傾向が以前より強まっているようだ,という研修医からのメールをいただくこともあります。

 要するに,専門家は専門家なるがゆえに,自分が信じる治療を主張するしかなく,その結果,上記のボーイスカウト・リーダーの方のような「目覚めた素人・知識のある素人」よりはるかに遅れを取ってしまう,という現象が起きてしまうのでしょう。パラダイムシフトは専門家集団から起こらない,というのはそういうことです。

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 日経BPに "Safety Japan" というサイトがあり,結構いい記事が載るのでよく見ているが,先日,大前研一さんの「新福岡空港にみる財界人の駄目さ加減」という秀逸な記事があった。
 福岡空港といえば,日本一便利な空港であり,私も大好きだ。何しろ地下鉄5分でJR博多駅に到着できる。だから,空港でチェックインした後,地下鉄で博多に戻ってヨドバシカメラでも覗くかな,なんてことが簡単に出来る。他の空港ではこういう芸当はとても出来ない。他の空港から主要JR駅に戻ろうとしたら片道30分は覚悟しなければいけない。
 その福岡空港に移転の動きがあるらしい。しかも,移転推進派(=地元財界)は海上空港を作ろうとしているのだ。もちろん,今よりかなり不便になる。でも,推進派にとっては便利か不便かなんてどうでもよくて,より金がかかる所に空港を作りたいだけで,これは他の「作ったはいいけれど不便で誰も使わない空港(例:広島空港,松本空港・・・)」と同じ構図だ・・・というのが,大前さんの論旨だ。論理明快,真っ当至極な正論である。

 その中でももっとも鋭い指摘が「日本の空港は今の都道府県別ではなく江戸時代の藩の単位で作られる」という部分。なるほど,青森県に二つ空港があるのは南部藩と津軽藩,秋田も山形も藩ごとに空港を作ったから二つになったのか。見事な分析である。

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 私が所属しているあるメーリングリストで,「海軍五省」として知られる標語(?)が紹介されていました。私は以前,漫画家の東海林さだお氏のエッセイでこの言葉に出会い,いい言葉だなと記憶に留めていたものです。
  • 一,至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか(真心に反することはなかったか)
  • 一,言行に恥ずるなかりしか (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)
  • 一,気力に欠くるなかりしか (気力に欠いてはいなかったか)
  • 一,努力に憾(うら)みなかりしか(努力不足ではなかったか)
  • 一,不精に亘(わた)るなかりしか(不精になってはいなかったか)
 これはそもそも,海軍兵学校で昭和の初期に海軍兵学校長の発案により採用されたもの,とされています。 海軍兵学校では,就寝前に目を閉じ,この5つの言葉を胸のうちで復唱し,その日の行いを反省したそうです。
 そして,第二次大戦で日本を占領したアメリカ軍で,この「海軍五省」を知ってそれに感銘を受けた海軍将校が自国に持ち帰り,以後,アナポリスの海軍兵学校で基本精神として現在も使用しているとのことです。

 ちなみに,戦時中,英語を敵国言語として使用を禁じた国と,日本語は敵国言語だからもっと学ぼうとした国が闘い,学んだ国が勝ったわけだが,負かして占領している国からもさらに学ぶものはないか,と考えていたのが1950年頃のアメリカでした。

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 多くの男性諸氏は毎朝,髭剃りをしていると思う。替え刃タイプのものや電動式のものがあり,どの製品がいいのかについて「これだけは譲れない」という意見を持っている人も多いと思う。

 さて,どんなタイプの製品にも共通しているのは替え時が難しいということだ。例えば私は Schick の Quattro というのを愛用している。4枚刃の替え刃タイプである。しかし,いくら4枚刃であっても所詮は刃物。次第に刃こぼれがしてきてやがて切れなくなってくる運命からは逃れられない。
 問題なのは,その刃の減り方が気にならないほど緩やかである点にある。昨日の剃り味と今日の剃り味に違いがないのである。もちろん,新品の刃にした直後に比べると格段に剃り味が落ちているはずなんだが,その時の剃り味なんて覚えていないもんなぁ。おまけに髭が剃れないほど刃こぼれしているわけではなく,普通に剃れているのである。
 だから,なにもわざわざ今日取り替える必要はないな,と思っちゃう。明日も同じくらい剃れるはずだからだ。取り替えるのは剃れなくなってからでいいや,って考えてしまう。かくして,何となく取り替えるタイミングを失ってしまう(・・・って,単なる貧乏症?)

 これって何も髭剃りに限ったことでなく,制度や法律も同じでしょう。できた時にはいい制度(法律)だったけれど,社会が変わったりして次第に合わなくなってきた。だが,運用の工夫で何となくうまく行っている,なんてのがそれだ。
 制度や法律は制定された時代背景が必ずあり,社会が変わっていくと次第に制度や法律との軋轢が起こるのは当たり前だ。軋轢は日々増えていくんだけど,その増え方は目に見えるほどではないし体感もできるほどではない。だから,制度や法律を今すぐ替えなければいけないような逼迫間はない。まさに髭剃りをいつ交換するかと同じである。

 この「髭剃り交換問題」は医療にもあり,その一つが治療法だ。昔からしている慣れ親しんだ治療法を捨てるのは大変だ。「昔からしているし,特に問題があるわけでもないし,何も新しい方法にすることはない。明日も同じ方法でいこう」と考えてしまう。

 どんな制度にも治療法にも髭剃りにも寿命があり,少しずつ劣化していくが,その劣化は日々の生活では気がつかない。世の中,難しいものである。

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 先日,脊損で坐骨結節褥瘡の患者さんが受診されました。褥瘡ができてからずっと安静のために入院生活を続けられていたようです。
 「褥瘡治療のために治療が必要で,そのために入院が必要」というのは一見当たり前のようですが,褥瘡があっても普通に日常生活を送れるし,褥瘡があっても普通に仕事ができるのですから,この入院は不要だったと考えます。要するに,「褥瘡は治さないといけない」と考える主治医が入院を強制したと考えることができます。
 しかし,褥瘡があっても問題ない,褥瘡と共存すれば普通に生活できるよ,とこの患者さんに説明する医者が一人でもいたら,とっくの昔に退院できたし,社会復帰もできたはずです。

 このように,「褥瘡が治らないと退院できない」という理由で入院生活を強いる医者はそこらに沢山います・・・というか,そういう褥瘡治療の専門家だらけです。しかし,患者さんの側に立ってみると,こういう医者は患者さんの大切な時間を奪っていると言えないでしょうか。仕事をする場を奪い,社会で普通に生活する機械を奪っています。
 脊損という根本原因が治らない限り,いくら褥瘡を治しても再発するのですから,褥瘡治療のために入院を強いたり,手術を強いるのは愚の骨頂です。
 「根本原因(=脊損)を治療できない場合には,個々の症状(=坐骨部褥瘡)に対しては対処療法しかない」のは医学の常識ですが,なぜか日本褥瘡学会のお偉方もWOCナースも,褥瘡という個々の症状を治すことを最大の目的にしています。根本原因を除去できなければ,個々の部分症状は治しても再発する」ということに気がつかないんでしょうか。

 褥瘡治療により患者さんは何を得るのか,その治療により患者さんは何を失うのかを,褥瘡が治ることで患者さんは何を得るのか,褥瘡を治すために何が犠牲になるのか,褥瘡治療に携わる医者も看護師も真摯に考えるべきではないでしょうか。

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 私がいつも夕食を食べている居酒屋のカウンターでの雑談。
  • 魚肉ソーセージって美味しいよね。さっとあぶっても美味しいし,フライにしても美味しいしさ。
  • そうそう,添加物だらけなんだけど,私らの年代ではある意味,お母さんの味ですよ。
  • 魚肉ソーセージが好きな人間に悪人はいないね。悪いことを考えている奴は魚肉ソーセージの美味しさがわからないに決まってるよ。魚肉ソーセージを食べているだけで悪人面には見えないもん。
  • 悪い奴がいないといえば,ポテトサラダが好きな人に悪人はいないよね。いかにも純朴で素朴で裏表がない人に愛されるのがポテトサラダ。
  • そうそう。いい加減に潰したジャガイモとシャリシャリのスライス玉ねぎ,そしてちょっと多すぎるマヨネーズは悪人には似合わないよ。
  • 確かに,マフィアのボスとか暴力団の組長がポテトサラダを食べているのを想像すると,かなり笑えるよね。
  • ってことは,魚肉ソーセージ入りのポテトサラダはキング・オブ・善人料理,それが好きな人はキング・オブ・善人ってことですね。

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 ちょっとした手術のTipsです。ばね指手術の術野展開に鼻鏡がとても有用です。腱鞘上まで剥離したら鼻鏡を突っ込んで開くと腱鞘が露出し,指神経は左右に鼻鏡に押しのけられるため,指神経を傷つける危険性がなくなります。あとは助手に患者さんの指をピンと伸ばしてもらうと簡単に腱鞘切開できます。

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 昨日,他院で初期治療を受けた手背犬咬傷の患者さんが来院されました。前医では整形外科医が治療していましたが,治療内容は「咬まれて裂創になっている部分をテーピングで閉じ,セフェム系(第2世代)の抗生剤の点滴,セフェム系の内服薬処方」でした。
 で,どうなったか。もちろん,手背の創は腫れて圧痛があり,局所麻酔をして創を開いたら膿が・・・といういつものパターンでした。当科としてはナイロン糸をドレナージ用に入れて治療終了。

 ここで重要視したいのは,抗生剤が創感染予防に全く無効だったという事実です。抗生剤が感染予防に効いているなら感染は防げていたはずなのに,点滴をしても感染は防げなかったのです。創感染の予防は抗生剤の投与でなく,感染源の除去,つまりこの場合は咬創の創腔にたまる血液などの除去としてのドレナージです。
 この症例に限らず,動物咬傷の治療で「抗生剤投与したがドレナージなし」の症例では感染が起きていますし,「ドレナージのみで抗生剤投与なし」の症例のほとんどは感染が起きていません。つまり,抗生剤投与は感染予防に効果がないのです。

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 大昔に経験したある褥創症例の思い出です。
 認知症(当時はまだ痴呆と呼んでいましたね)があり大転子部の褥瘡がひどいために内科に紹介されて入院となった患者さんで,すぐに私が呼ばれました。黒色壊死を切除し,当時はまだカデックス軟膏を使っていたのでそれを塗布しました。しかし,連日,大量にカデックスを塗布しているのに悪臭は消えません。膿の量も性状も初日と変化なし。また,患者さんは体位交換のたびに顔をしかめたりうなり声を上げていました。

 そして10日ほど経ったある日,大腿の肢位が変なことに気付き,恐る恐る触ってみると大腿部が骨盤と連動していないのです。すぐにレントゲン写真を撮ると,なんと大腿骨頚部骨折でした。そこで局所麻酔をしながら創を広げ,遊離している大腿骨骨頭を局所麻酔下に摘出しました。まさかベッドサイドで大腿骨部分切除することになろうとはと,形成外科医が目にすることが滅多にない大腿骨骨頭を手にして,しばし呆然としたことを覚えています。

 この患者さんの病態を後から考えると,次のような状況だったと考えられました。
  1. 大腿骨頚部骨折がいつかの時点で起きた・・・が,家族は気がつかなかった。
  2. 骨折部が痛くて動けなくなった。
  3. 骨折側の大転子部に褥瘡ができた。
  4. 褥創で入院したために「寝たきりで痴呆の高齢者によくある大転子部褥創」と皆考え,その他の病気については誰も可能性を考えなかった。
  5. 体位交換で唸っていても,それが痛みのためと考えてしまった。
 ちなみに,大腿骨骨頭切除術(?)を受けた後,患者さんは痛みを訴えることもなくなり,褥創もあっけなく治癒しました。どうやら,褥創ではなく,「大腿骨骨折⇒褥創が深くなる⇒骨折面と創面が連絡⇒骨髄炎⇒難治性潰瘍」という潰瘍だったと考えられます。

 患者さんをよく診察しろ,丁寧に触診しろ,五感を働かせろ,想像力を働かせろ,もっと脳味噌をつかえ,ということをこの患者さんから教えてもらいました。
 医者の最良の教師は患者です。治療がいいか悪いかは,患者さん(あるいは傷)が教えてくれます。目の前の患者を見ろ,先入観を持たずに観察せよ,思い込みを極力排除せよ,患者の訴えは些細なものでも無視するな・・・ということをつくづく思い知らされた症例でした。

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 金属学の研究者という方からこんなメールをいただきました。医学の常識は科学の非常識,ということがよくわかります。
 『創傷治療の常識非常識』のamazonの書評に大変否定的なものがあり,その理由は「この常識にはエビデンスがない」からだそうです。実際に痛くなく早く治っているのに,それを医学では「エビデンス」と呼ばないのでしょうか。
 私は金属学の世界で飯を食っている人間です。この世界もやはり新説異説は受け入れにくい環境があります。しかし未知なる現象に遭遇した場合,まずその事実を受け入れ,それがたまたまなのかそれともそこに「何か」があるのかを明確にし,それを定性,定量するのが科学であると恩師から教わりました。
 目前の未知なる現象を追求せず,たまたまとか何かの間違いとか,過去のデータを探しても見当たらないからと言ってしまうようでは,すでに科学ではありません。科学者でない,あるいは技術者でない医者が多いとしたら大変恐ろしいと感じます。「エビデンスがない」という意見に???なのです。
 要するに,未知なる現象に遭遇した場合,まずその事実を受け入れてそれを定性的,定量的に研究するのが科学,過去に書かれた論文を探すのが医学です。自分で考えずに過去の誰かの論文を探すことが医学会の証明法というなら,医学は科学ではありません。というか,新しいことを生み出せなくなります。
 医学はいつまでこんな馬鹿なことを続けるつもりなんでしょうか。過去に証明を求めている限り,未知の現象には対処できません。過去にエビデンスを求める姿勢では,未知の現象を理解できません。

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 昨日,プロ野球の読売についてちょっと書いたが,このチームを取り巻く状況は考えれば考えるほど変だ。
 まず,なぜ「巨人」とよぶのか。通常,プロ野球の球団を呼ぶ際は,親会社名(阪神,オリックス,ヤクルトなど)か英語のニックネーム?(ドラゴンズ,ホークスなど)で呼ぶのが普通である。しかし,「巨人」はどちらでもない。Giantの和訳でしかない。これは要するに,広島を「鯉」,楽天を「鷲」と呼ぶようなものだ。なんでこのチームだけこんな変な呼び方をしているんだろうか。そしてもっと変なのが,このチームだけを「巨人軍」と「軍」をつけて呼ぶことだ。

 確か第二次大戦中は英語が使えなかったため,プロ野球のチームも「猛虎軍」とか「金鯱軍」なんて日本語で呼んでいたことがあったと思うが(うろ覚えなんで間違っているかもしれませんが),戦争が終わってもその呼び名が一つのチームにだけなぜか残り,「読売巨人」,「巨人軍」と呼ばれている・・・なんてのが真相か?
 もしかしたら読売のファンはまだ第二次大戦が終わっていないと思って「巨人軍」と呼んでいるとか,戦時中に郷愁を覚えてその頃の呼び名を変えずにずっと使っているファンが多いからとか・・・?

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 ユーザーの立場から,医療行為や薬剤に値段をつけて見てください。

  •  健常人なら何もしなくても5日ほどでインフルエンザは治癒します。そのインフルエンザの症状を3日で軽快させる薬剤があったとしたら,あなたならいくらの値段をつけますか。1万円? 5000円? 3000円? 1000円?
  •  分層皮膚採皮創は湿潤状態を維持しておけば2週間で上皮化します。それを1週間に短縮する治療薬があったとして,それにあなたはいくら払いますか。3万円? 1万円? 3000円?
  •  坐骨結節褥創を筋皮弁で手術し,褥創は一旦治ったが,退院した翌日にドライブしたあと発熱し,3日目に排膿して傷が開き,褥創は再発しました。このような筋皮弁の手術,あなたは値段がいくらなら受けますか? 30万円? 10万円? 1万円? 1000円? ただでもしない?
  •  下腿に湯たんぽで低温熱傷になり,通院中です。直径5センチの深い傷になり,保存的治療なら3ヶ月かかりますが入院は必要ありませんし,仕事を休む必要もありません。通院は週1回です。
     一方,植皮をすれば2週間で治癒します。しかし,皮膚を採取した部分も傷になり,手術には入院が必要で仕事を休まなければいけません。このような植皮術,値段がいくらならあなたは手術を受けますか? 30万円? 10万円? 1万円? 1000円? ただでもしない?
  •  2度熱傷の後は治癒直後は目立ちますが,その後次第に目立たなくなり,治療をしてもしなくても,3年もたつとあまり目立たなくなります。
     ある病院では「このクリームを塗ると1年から2年で目立たなくなります」とそのクリームを薦められました。3年を2年に短縮するクリーム,あなたならいくらで買いますか?
  •  寝たきりになり褥創ができました。経口摂取もできず,意識もありません。このような状態の患者さんで褥創があっても,褥創が治っても,生命予後にはほとんど差はありません。このような状態での褥創治療に,あなたならいくらの値段をつけますか?

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 いまだに,「消毒の有害性を言うならきちんとRCT(randomized controlled trial)を行って証明すべきだ」と文句を言ってくる方がいらっしゃいますが,こういう人には「青酸カリの有毒性はRCTで証明されたのか? 青酸カリが人間に致死性を持つことは,100人に青酸カリを飲ませて対照群と比較したことで証明されたのか?」と逆質問することにしています。
 何でもかんでもRCTで,という人はきっと,「時速100キロで走る自動車にはねられた歩行者が死ぬかどうかは,100人の歩行者を車で跳ね飛ばして実験しなければ証明できない」って考えているんだろうね。

 「基礎物理,基礎科学,基礎的生物学により証明されることについては,RCTは不要だ」ってEBMの偉い先生が明言しない限り,こういう「なんでもかんでもRCT」と考える連中が湧いて出るんだろうなぁ。鬱陶しいなぁ。

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 学会の認定医,専門医とは何か。お茶やお花の家元制度と同じです。両者の共通点は次の2点です。
  1. 専門医(=お茶やお花の師範)として認定する上で,学会に入っている期間(=稽古に通った期間)が最も重要視される。つまり,学会(=家元)に一定の金を払うことが前提となる。
  2. 技量や知識は金ほど重要視されない。

 学会認定医(専門医)で一番重要なのはその学会に所属して年会費を払い,学会に出席して学会費を払ったかどうかです。もちろん,専門医になるための試験や実技もありますが,専門知識が十分にあり技量に優れた医者であっても一定期間学会に所属してきちんと会費を納めていなければ専門医になれないわけなので,学会としては技量や知識より金を収めたかどうかを優先していることは明らかです。要するに,上納金を払ったかどうかと同じですね。
 以前から,このからくりに気がついていましたし,現実的に全然利用価値のない日本形成外科専門医の資格を維持するために毎年5万円以上払うのはドブに金を捨てるようなものだと思っていました。しかも,専門医は5年ごと(だったかな?)に更新が必要で,そこでも3万円ほど学会に払わなければいけません。認定委員会の仕事と言ったら,5年間,きちんと上納金を納めたかどうかの確認作業くらいしかないはずです。それに一人当たり3万円もかかるのでしょうか。どういう作業に3万円を使っているのでしょうか。まさにミステリーです。
 ううむ,考えれば考えるほど不合理なシステムです。

 と思っていたところ,先日の四国創傷治癒フォーラム日本形成外科学会専門医認定委員会委員長と思われる徳島大学中西教授から「こんな活動をしていると専門医の資格を取り上げるぞ」と恫喝していただきました。
 これで踏ん切りがつきました。もう,日本形成外科学会に金払うの止めちゃおう。専門医も資格もいらないや。ドブに金を捨てるほど裕福じゃないもん。こんな,研究会という公共の場で他人を平気で恫喝するような薄汚い連中に金を払うくらいなら,ユニセフにでも寄付したほうが世のため人のためだよ。こんな連中に認定してもらわなくても,もういいや。
 と言うわけで,徳島大学形成外科中西教授に感謝する次第です。あなたに恫喝していただかなければ,学会と学会専門医の欺瞞性に気がつかず無駄金をドブに捨て続けていたでしょう。

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 ある先生から「シャンプーを使わない温水のみの洗髪にして4ヶ月たちました。非常に快適です。しかも最近妻から枕のオヤジ臭がなくなってきたね」,と言われたそうです。実はかくいう私も,枕カバーの臭いが軽くなっているんじゃないだろうか,と思い始めた矢先でした。
 もしかしたら,〔歳をとって皮脂腺の機能が落ちる〕⇒〔石鹸とシャンプーでなけなしの皮脂も落とされる〕⇒〔皮膚常在菌叢が乱れる〕⇒〔雑菌が増える〕⇒〔オヤジ臭の原因物質を作る〕・・・なんて筋書きがあるかも。

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 松山市での「四国創傷治癒フォーラム」で講演しましたが,そこで改めて確認したのは,「傷の治療・熱傷治療のパラダイムシフトに関しては,開業医,小規模病院,医療の素人から始まり,大病院,大学病院,大学の形成外科,熱傷学会,熱傷センターが最も遅れていて,恐らく最後まで変化を受け入れられないだろう」という予測の正しさです。

 徳島大学形成外科の中西教授から,「(こういうことをしていると)形成外科学会の専門医を維持できない(つまり,専門医の指定を取り消す)」とご指導(脅し?)をいただきました。この教授に限らず,全国各大学の形成外科の教授もそう思っているんだろうと思います・・・が,しかし,私にとっては「それがどうした。取り消してもいいよ,別に困らないし」であって,脅しにも何にもなっていないのです。だって,もう私は形成外科医の肩書きで働いているわけでないし,形成外科の研修医を指導することもないだろうし,現在の活動をする上で形成外科学会専門医の肩書きはあってもなくてもいいものだからです。
 むしろ,形成外科学会から「専門医」の指定を取り消されたらそれは「形成外科学会・熱傷学会が創傷治療で最も遅れている」という証明になるし,私の活動の最大の宣伝文句として使えるからです。

 長年,大学や学会にいると,そこが全ての世界になってしまい,そこだけが正しい世界だと思ってしまいます。だから,大学や学会の外側からの変化に対しては,それを潰そう,抵抗しようという反応をします。自分たちの世界を守ろうとするからです。パラダイムの中にいることで仕事をしているからこそ,パラダイムシフト(=従来のパラダイムの崩壊)に耐えられないのです。
 天動説から地動説へのパラダイムシフトは当時の学会や天文学者から始まったのでなく,当時の天文学の専門家たち(=天動説の専門家)が死に絶えてはじめてパラダイムシフトが完成したといいます。この現象は,これまで何度か起こったパラダイムシフトでも同じでした。つまり,専門家ほど変化に抵抗するということです。専門家は,世間一般が「地球の周りを太陽が回っているって,いまだに教えているよ」とあざ笑うようになってもまだ,天動説を信じていたのです。専門家は専門家なるが故にパラダイムシフトという大変化に対応できなかったのです。

 そういう意味でも,非常に収穫のあった愛媛での講演でした。

 ちなみに,講演を聴いたという方から「あの形成外科教授,四国の恥です」,「あんなにひどいことを言う教授,馬鹿じゃないかと思いました」,「あの大学教授を見て,大学病院が一番駄目だと言うことがよくわかりました」,「座長,最悪!」というメールを幾つもいただいております。そして,「あんなひどい質問を柳に風と受け流した解答,お見事でした」なんて褒められたりして・・・。

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 例によって,どうでもいいようなことについて思考実験する毎日ですが,今回ふと思いついたのは,「子供の数によって両親(保護者)の投票数を増やしたらどうなるか」です。つまり,子供が2人いたら両親には4票の投票権,子供が5人いたら両親には7票の投票権を与えたら,選挙風景とか政策はどう変わるだろうか,大都市と地方中規模都市での政治的発言力はどう変わるだろうか,という思考実験です。
 いずれ,きちんとした(?)文章にする予定ですが,子供は未来の日本の最大の財産なのですから,子供を沢山育てている親ほど政治的発言力が強くなるというシステム,面白いんじゃないでしょうか。少なくとも,教育の問題や子育ての問題を真面目に考える政治家が今より増えることは確実でしょう。

 何しろこの日本という国は,
先進国の中で最も公的教育への支出が少ない国であり,公立小中学校の3割が耐震基準を満たしていない国なのです。つまり,子供の教育に碌に税金を使わず,授業中に地震が起きたら学校が崩壊しても構わない,子供の教育より橋や道路やダム造りに税金をかけようという国です。こういう国に未来はあるかどうか,私にはよくわかりません。

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 昨年夏受傷の大腿内側全部,面積20×25センチの3度熱傷患者さんを治療中です。ちなみに受傷原因は熱い金属との接触です。
 

 いずれ治療経過を報告しますが,このような熱傷患者を何例も治療していて気がついたことがあります。順調に上皮化が進んできて,あとちょっとというところでなかなか上皮化せず,あとちょっと,という状態が1ヶ月以上続くことが少なくないことです。
 以前は,こういう状態を見ると,治療が悪いんじゃないだろうかと思い,被覆材を変えたり,ステロイド軟膏を併用したり,挙句の果ては植皮の誘惑に駆られたりしていましたが,最近はちょっと考え方が変わってきました。この足踏み状態は実は機能障害がより少ない状態に戻るための準備期間ではないだろうか,足踏みをしているのでなく,最善の状態になるタイミングを体が待っているのではないだろうか,と考えるようになりました。
 なぜかというと,この「あとちょっとで足踏み」の後に上皮化した患部を見ると,肥厚性瘢痕が軽度で,瘢痕拘縮がほとんど起きていないからです。つまり,目の前の症例を見る限り,瘢痕拘縮も肥厚性瘢痕も起きないような状態に成熟するのに時間がかかり,それを待ってからゆっくりと上皮化しているとしか思えないのです。

 以前の熱傷の教科書からすれば,保存的治療では,上皮化に時間がかかればかかるほど瘢痕拘縮や肥厚性瘢痕がひどくなる,というのが常識でしたが,どうやらそれは,「消毒と乾燥」による局所治療の時代の常識であって,湿潤治療には当てはまらないような感じなのです。

 この推論が正しいとすれば,「なかなか治らないのは治療が間違っているから」,「とにかく速く治す事が患者にとって利益になる」,「少しでも早く治して上げたい」という考えは,医者の独りよがりに過ぎず,患者にとって最終的にもっとも大きな利益(=瘢痕拘縮による運動障害がなく,肥厚性瘢痕という醜形をあまり残さない)に直結しないということになりそうです。
 さらに,「傷が速く治るように幹部を安静にする」,「安定した上皮化が得られるように関節部をギプス固定して安静にする」,「運動を控えるように患者に説明する」という方針そのものが間違っていることになります。私の治療例を見る限り,どんどん運動させたほうが瘢痕拘縮は起きていないし(もちろん,乳児の手掌〜手指掌側の熱傷は話が別ね),肥厚性瘢痕になったとしても昔見てきたような盛り上がった瘢痕はここ数年,あまり見ていないのです。つまり,安静にするほど肥厚性瘢痕・瘢痕拘縮になりやすいことになり,従来の教科書の知識は全く通用しません。

 熱傷学会や大学病院の熱傷センター,形成外科の先生たちには受け入れられない概念かもしれませんが,現実の症例を分析するとこのような結論になります。

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 ひょんなことから世界の政治指導者の年齢を調べてみたがこれがなかなか面白いのだ。たとえば,OECD加盟国の現時点での首相(あるいは大統領)を年齢の高い順に並べると次のようになる(誕生日は計算に入れていないので,正確な年齢ではない人がいると思うが・・・)
  • 72歳
    • 福田康夫 日本首相
  • 68歳
    • プローディ イタリア首相
  • 61歳
    • 盧武鉉 韓国大統領
    • ブッシュ アメリカ大統領
  • 57歳
    • クラーク ニュージーランド首相(女性)
  • 56歳
    • ブラウン イギリス首相
    • ホルデ アイスランド首相:56歳
  • 54歳
    • フェルホフスタット ベルギー首相
    • ラスムセン デンマーク首相
    • アハーン アイルサンド首相
  • 53歳
    • メルケル ドイツ首相(女性)
    • エルドアン トルコ首相
    • ユンケル ルクセンブルク首相
  • 52歳
    • サルコジ フランス大統領
    • ヴァンハネン フィンランド首相
  • 51歳
    • カラマンリス ギリシャ首相
  • 50歳
    • ラッド オーストラリア首相
    • ソクラテス ポルトガル首相
    • トゥスク ポーランド首相
  • 48歳
    • ハーパー カナダ首相
    • ストルテンベルク ノルウェー首相
  • 47歳
    • サパテロ スペイン首相
    • グーゼンバウアー オーストリア首相
  • 45歳
    • カルデロン メキシコ首相
  • 42歳
    • ラインフェルト スウェーデン首相
 50代前半の首相や大統領が多く,70代は福田さん一人だけで,60代の首相自体がとても少ない(ちなみに韓国の次期大統領は66歳とのこと)ことがわかる。福田さんから見たらスウェーデンやメキシコの首相は子供の世代である。これは多分,その国で首相(大統領)に求められる資質の違いによるもので,日本では調整力とか老獪さが政治家に求められ,そういう能力が評価されているからという見方もできるが,「政治家には老獪さと調整力」という論理で政治的リーダーを選ばない国が多いということかもしれない(もちろん,高齢の政治家たちが若年のリーダーを前面に出して,裏から好きなように操縦している,という可能性もあるだろうが・・・)

 さて,72歳と42歳では決定的に違っているものがある。「未来」という言葉の持つ切実さだ。72歳の福田さんが20年後に生きている確率はかなり低いが,42歳のラインフェルトさんは20年後はまだ62歳の現役で,恐らく40年後もかなりの確率で生きている。福田さんにとって20年後はどうなっていようと関係ない(知ったことではない?)世界かもしれないが,ラインフェルトさんにとって20年後はまだ現役で働いている世界である。これは大きな違いではないだろうか。
 ラインフェルトさんに子供がいらっしゃるかどうかは不明だが,いるとしてもまだ10代だろうし,これから赤ちゃんができても不思議でない年齢だ。30年後のスウェーデンがどうなっているか,30年後の世界がどうなっているかは自分の子供たちがどう生きられるかに直接かかわってくる問題だ。同じ30年後でも福田さんとラインフェルトさんではかなり意味合いが違うだろうし,切実さの度合いが異なっていると思う。

 福田さんに限らず,現在の日本の政治家の皆さんの議論を聞いていると,衆議院解散の時期はいつにするのが自分の政党に有利か,その際の議席数の読みはどうかが最大の問題のように見える。多数決で物事が決まるのだから多数の議席を取るのが政治の目的になるのは当たり前だが,多数派になること自体が政治の唯一の目的になっているような気がするし,日本の政治家から「30年後の社会はどうなっているのか,その時の世界はどうなっているのか,その時を見据えて政治家は何をすべきか」というような議論を聞くことはほとんどない。
 竅った見方かもしれないが,70代の議員の皆さんにとっては次の選挙で当選することしか興味がないのではないだろうか。彼らにとって次の選挙は切実な問題(何しろ彼らにとって,国会議員は職業同然で,選挙で落ちるのは失業するのと同じ。失業するのを恐れるのは当たり前)だが,20年後の日本がどうなっているかはどうでもいい問題なんじゃないだろうか。

 20年後にほぼ確実に死んでいる人たちに,20年後の社会や世界のことを考えてもらうことシステム自体が無理なのではないかと思う。
 政治とは突き詰めれば,税金として集めた金をどう使うか,どう分配するかというシステムである。その金を1年後の自分の議席のために使う(ばら撒き予算,無駄な道路作りなどはその典型だろう)か,今は我慢してでも10年後,20年後のために使う(子供への教育や小児医療はこれに入る)かでは,大違いである。

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 昨年末(・・・といっても,数日前だけど),ほぼ1年ぶりに生まれ故郷の秋田県のド田舎に帰っていましたが,その町(人口3万ちょっと)1年前よりさらに衰退し,実家の近くには人が住まなくなって廃屋となった住宅が何軒かありました。12月30日に近くにある唯一のスーパーに買い物に行きましたが,道を歩いている人もいないし,遊ぶ子供の姿も皆無です。しかも,結構広いスーパーの店内は年末ということもあって混んでいましたが,子供の姿はほとんどありません。年寄りだけで賑わっていました。なんだか,町全体が老衰の終末期に入っている感じでした。

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 以前にもちょっと書いたことがありますが,私が本の感想を書くのは,本を捨てるためです。このサイトの読者の皆さんへの読書ガイドというよりは,自分の備忘録として書いています。だから,オイオイここまで書いちゃったら本を買う必要がないじゃん,というところまで書いたりします。本を売るための爽快分でなく,覚えておくべき内容を記録しておくためなんだから当たり前です。
 読んだ本を全てとって置いたら,部屋は本で埋もれてしまいます。ただでさえ狭い部屋ですし,私は図書館を開いているわけでもありませんから,新しい本を買うには古い本を捨てるしかありません。
 では,本の価値はどこにあるか。私にとって本は情報を伝える媒体であって,本という物体には価値を感じません。何が書いてあるかだけが重要です。だから,何が書いてあったかを記録したら,もう本は捨ててもいいことになります。あとは,これさえ読めば内容が思い出せる,という文章を作成するだけです。
 本の内容を記録して本は捨てる,という方式にしてから10年くらいたちましたが,「あっ,あの本,捨てなきゃよかったな。取っておくんだった」と後悔したことはほとんどありませんし,万一,その本が必要になったらネットの古本屋さんで購入すればいいだけのことです。
 少なくとも,「本は読んだけど内容を記録しておく気になれない本」があったら,1年以内にその本を読み返したくなる確率はほぼゼロです。1年以内にゼロであれば10年以内にその本が必要になる確率はほぼ完全にゼロです。その本を必要にする人はいるでしょうが,少なくともその本を読んだ時点での私にとって,書かれている情報は必要ない情報だっただけのことです。

 物は捨てて情報のみを残す,ということになりますが,これって昨日紹介した
『宇宙を復号する −量子情報理論が解読する,宇宙という驚くべき暗号』の内容に奇妙に符合するのが面白いです。

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 ひょんなことから,歴代の内閣総理大臣の卒業大学を調べていたら,面白いことに気がついた。昔ほど東大などの国立大卒が多く,ある時期から私立大学卒業者ばかりになっているのだ。例えば,岸信介以降だとこうなる。
岸信介東大法
池田勇人京大法
佐藤榮作東大法
田中角榮中央工学校
三木武夫明大法
福田赳夫東大法
大平正芳東京商大
鈴木善幸水産講習所
中曾根康弘東大法
竹下登早大商
宇野宗佑神戸商大
海部俊樹早大法
宮澤喜一東大法
細川護熙上智大法
羽田孜成城大経
村山富市明大政経
橋本龍太郎慶大法
小渕恵三早大院
森喜朗早大商
小泉純一郎慶大経
安倍晋三成蹊大法
福田康夫早大政経
 つまり,宮澤喜一が最後の東大卒業総理大臣で,それ以後は私立大学のみとなり,しかも,ハイソな大学名が並んでいるのである。昭和の御世なら大学に行っていない人間でも総理大臣になれたが,今は昔である。

 なぜこんなことを書くかと言うと,小泉総理あたりから「総理なりたくてなったんじゃないもん。やれっていわれたからやっているだけで,いつ辞めたっていいもんね」という総理大臣が続いているような気がするからである。それがあまりに露骨だったのが安部総理だったたけで,小泉,安部,福田といずれも権力そのものには淡白なんじゃないかという気がする。例えば小泉さん,頭の中にあったのは郵政民有化だけで,それが可決されれば後は野となれ山となれ,民営化選挙で自分が担ぎ出して手足のように使った新人議員に対しても,もうゴミ扱い。権力というオモチャで遊ぶだけ遊んだから,もう飽きちゃった,総理なんて辞めちゃおう・・・アメリカでプレスリーの真似もできたし・・・という感じだった。福田さんを見ても,総理大臣になってこれをやるんだ,という熱意が全く伝わってこないが,それも同じ理由なんじゃないでしょうか。
 現在の国会議員のほとんどは2世,3世議員である。多分,当の議員たちにとっても,国会議員になるのは親の作った会社に就職してエスカレーター式に社長になるのと同じかもしれない。だから,苦労して就職(=国会議員になる)したわけでもないし,総理大臣になったとしても苦労してまで続けようという気にもならない。2世,3世議員であるということ自体が自分の仕事になっているのだろう。要するに,家業としての国会議員,家業としての政治家である。
 このままいくと,衆議院は貴族院に名称変更してもいいかも。

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 ワセリンを塗っているとあまり寒さを感じないようだ,というメールを北海道の看護師さんからいただきました。そこで私も人体実験。私は病院内では年がら年中,半袖白衣なんですが,右前腕全体にワセリンを塗り,左側には何もせずに屋外(多分,摂氏10度以下)に出てみたら,左前腕はかなり寒いのに,右前腕はちょっと寒いかな,程度で体感温度は全然違っていました。

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 私の外来に来たことがある先生はご存知の通り,私の外来では朝から夕方までずっとジャズのピアノトリオを流していて,これが診療のリズムを作っています。
 というか,外来診察室にはジャズピアノが絶対に合います。交響曲でもオペラでもなく,演歌でもビッグバンドジャズでもJポップでもなく,ジャズピアノです。

 私はもともとクラシック・ピアノ弾きのはしくれで,ベートーヴェン,ショパン,シューマン,ドビュッシーあたりはほぼ全作品を弾いています。そういうこともあって,一時期,クラシックのピアノ曲や弦楽四重奏,室内楽を外来診察室で流してみた時期もありましたが(ちなみに,当時のMP3プレーヤーは現在のポータブルCDプレーヤーよりはるかに大きかった),どれも駄目でした。クラシックの曲は基本的にダイナミックレンジの幅(強弱の幅)が大きく,いきなり大音響になったり,突然聞こえなくなったりして落ち着かないんですね。また,人声が入るとなんだか生々しくて嫌だし,金管も木管も人の声に近くてちょっと合いません。
 で,いろいろ試してみて,最終的にジャズピアノトリオに行き着きました。ピアノとドラムとベースの組み合わせはダイナミックレンジの幅は極端ではないし,聴いていて疲れないし,邪魔にもなりません。そして,ピアノに疾走感があって私の外来のテンポに合うんですね。
 そういうジャズを流しながら,外来で手術をしていますが,患者さんからは「なんだかジャズバーみたいな雰囲気が落ち着きますよ」なんて言われます。

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 「いまどこ? 新幹線マップ」というサイトが結構面白いです。新幹線が今どこを走っているかをリアルタイムに表示するサイトですが,こんなに多くの新幹線が走っているのか,2台の「のぞみ」の距離ってこのくらいしか離れていないのか,なんてことが手に取るようにわかるんですよ。それにしても,JRの技術力ってすごいよなぁ,こんなに走っていて事故がおきていないんだもん。

 ふと思ったんだけど,これが常に新幹線の車中で見られたら,結構楽しいんじゃないでしょうか。全ての座席に・・・なんて夢みたいなことは言いませんが,列車の前後とかに液晶の日本地図があって,そこに走っている全新幹線と自分が乗っている新幹線がリアルタイムに表示されるって,おもしろいじゃないですか。

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 いよいよ冬本番,というわけで冷え症の女性には辛い季節になってきました。といっても,冷え症,簡単に治っちゃうのです。プロスタグランディンの内服薬(オパルモン,ドルナーなど)を内服するだけ。しかも最初の数日間だけ一日6錠飲めばほとんどの人で足がポカポカしてきて,あとは飲み続けなくてもポカポカ状態が続きます。これまでかなりの冷え症女性に処方してあげましたが,どの人も著明な効果です。
 ただ問題は,処方する際に閉塞性動脈硬化症などの病名が必要なことです。若い女性にこの病名はかなり不自然なんですよ。
 そこでどこかのメーカーにお願いなんですが,冷え症を適応病名にした内服プロスタグランディンを作りませんか? 多分,爆発的に売れるはずです。

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 今後の日本で確実に起こる出来事は「死亡者の急増」です。年間の死亡者の統計を見ると,1970〜80年代は70万人前後の年間死亡者で推移していますが,2000年代になると高齢化のために年間100万人が死ぬようになりました。
 そして今後ですが,「日本の将来推計人口」(国立社会保障・人口問題研究所)が出している推計の中間値を取ると,2030年(団塊の世代が相次いで死亡)以降は年間死亡者は160万人になります。つまり現在の60%増です。しかもそのころの総人口は9000万人くらいに減少していることが予想されます。つまり,「死亡者(≒有病者)が急増し,それを治療する医者(医療者)は減少する」という時代が来ます。
 そうなった場合,「病院で死ぬ」ことは維持できなくなりますし,そもそもすべての病気を病院で治療することも不可能となります。

 この問題を解決するためにも,「病気や怪我は病院に行くもの,病気や怪我は医者が治すもの」という意識を変える必要がありますし,適切な医療材料,治療材料がいつでも購入できるようにならなければいけないでしょう。また,先日取り上げた「衣服の上からの注射」も,応用次第では「患者自身が治療できる疾患」を増やす手段となるでしょう。

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 「注射は衣服の上からしても問題は起きない」(The safety of injecting insulin through clothing,Doris R. Fleming et al:Diabetes Care, volume 20, Number 3, March 1997, 244 - 247)・・・というわけで,自分でも体験しました。先日,インフルエンザの予防注射を自分で自分にしたのですが,白衣のズボンの上からいきなり太腿に刺して注射。29Gの針ってほとんど痛くないですね。もちろん注射部位から出血することもないし(ズボンに血もつかない),感染することもありません。何より,衣服をたくし上げる手間がかからないのが簡単でいいです。
 全ての予防注射(で細い注射針を使用するもの。針が太いと出血して衣服が汚れるから)が衣服の上から注射でいいなら,かなりの時間短縮になりそうです。もちろん,現時点では事前に患者さんに十分に説明しておくことが必要で,それが結構手間になりますが,社会全体にこの知識が普及したら医者側はかなり楽になりますね。

 とりあえず,これをお読みの医師の方々,自分の太腿にズボンの上から29G針で注射してみてください。それで何事も起きないこと,非常に簡単で手間いらずであることを自分で試し,実感してみてください。特に「服の上から注射するなんて,何か起きたらどうするんだ」とお考えの医師の方々ほど,自分で打ってみてください。何事も起きませんから。まず何事も,自分で実験してみましょう。判断するのはそれからです。

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 「手術は手術室で行う」と書くと,そんなの当たり前じゃん,と思われるかもしれませんが,私は以前から疑問を持っていて,極力,外来診察室で手術をするようにしています。昨日も,側胸部の10×6センチの結構大きな脂肪腫を切除したばかりですし,指の開放骨折の整復術,腱縫合術くらいなら外来診察室で手術をしています。もちろん皮膚は消毒せずに水道水で拭くのみで,手袋は未滅菌のもので手術していますが,創感染は全く起きていません。

 創感染問題はさておき,私が最も問題にしているのは,手術室に患者さんを連れて行くことが患者さんにストレスを与えているのではないか,という点です。
 手術室は病院の中でもとりわけ,非日常的な空間です。手術室に入る時点で患者さんは裸同然の姿にさせられ(脳外科や心臓外科の手術もしているため普段着では入れない),ペラペラのガウンに着替えさせられます。そして手術室に入りますが,手術台は普通のベッドと違って寝心地はよくないし,天井には巨大な無影灯が強烈な光を放っているし,周りにいる医者や看護師は帽子に大きなマスクで表情も読み取れず,緑色のガウンを着ているだけです。しかも周りには,心電図計か何かわからないい機械が並んでいて物々しいです。手術室に音楽を流しているところもありますが,この威圧的雰囲気では耳に入っているのでしょうか。
 これをお読みの医者や看護師の人は,自分がこのような状態にいきなり置かれた様子を想像してみてください。怖くないですか? 私は怖いと思います。事前にいくら説明したところで,この手術室の雰囲気を全て理解してもらうのは不可能でしょう。手術室の雰囲気は医者にとっては日常の風景です。しかし,そのことに慣れすぎていて,患者には異様な空間だということに気がつかなくなっているだけではないでしょうか。

 たかが顔のほくろ,お腹のできものを取るために,こんなところに連れ込まれたら,患者さんはびっくりしないでしょうか。私はすごいストレスだと思います。
 それだったら,外来診察室のベッドの方が,患者さんにはよほど暖かい雰囲気だと思います。患者さんにとっては,手術室よりは慣れた環境だからです。患者さんにとっては,何度も通いなれた外来のベッドで手術を受けるほうが,安心できるのではないかと思っています。

 もちろん,開腹術や開頭術まで手術室でする必要がないという気はありません。手術に使用する機械が桁違いに多いし,無菌野である腹腔などの手術で細菌が持ち込まれる確率を少しでも低くする必要があるからです(・・・とは言っても,皮膚常在菌が腹腔で繁殖できるのか,という基本的疑問はありますが・・・)。しかし,形成外科や皮膚科で行われる圧倒的多数の手術は,手術室でする必要はありません。

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 現在,病院の一部の外来看護師さんの間でプチブームになっているのがパッククッキングです。以前,『自炊力革命―オヤジたちは家庭内自立をめざす』という本の紹介をしましたが,一人の看護師さんがやってみて「この方法でやったら,美味しい蒸し芋が簡単にできちゃったよ」と同僚に話し,次第に広まってきたようです。ご飯を炊くと同時におかずもできるし,手間もかからないし,何より鍋が汚れないのが言い,ということでした。詳しくは下記サイトをご覧下さい。

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 そういえば,「週刊アスキー」では最近,著作権関連のインタビュー記事を集中連載していて,そのどれもが面白いのですが,特に今週号の岡本教授(政策研究大学院大学)の記事が秀逸で,目からウロコ,という部分が多いです。これだけでも読む価値ありです。例えばこんなところ。
孔子はこう言った。己の好まざることを人に施すなかれ。キリストは,汝の欲するところを人に施せといった。(キリストは)納豆が好きだったらお中元に納豆を贈れと言っているのと同じですよ。多様化の中では孔子の言葉の方が通用するんです。中国は(孔子の頃から)国際社会だったが,(キリストの頃の)パレスチナは国際社会ではなかった
 この喩え,見事だな。自分がジャズが好きだったら相手も好きだろうからジャズのCDを贈りましょう,というのがキリスト様,一方,ジャズが好きでなかったら相手も好きでない可能性があるから贈物としては避けようね,というのが孔子様。これはまさに,閉鎖社会の論理と国際社会の論理の違いだな。キリスト教宣教師の布教活動なんて,言ってみれば「閉鎖社会の論理の,異文化社会への強引な押し付け」そのものだもんな。

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 先日,外来に「お尻のところに傷ができて治らない」という女児が受診しました。聞いてみるとお母さんは毎日,○ロナインH軟膏を一生懸命に塗ってあげていたとのこと。それじゃ絶対に治らないよ。
 で,ワセリンを塗ってあげたら速やかに痛みがなくなり,ニコニコして帰っていきました。めでたし,めでたし。

 このオ○ナインH軟膏,とてもよく売れている商品ですが,傷に塗るととても痛いです。疑問に思う人は自分の傷にオロ○インH軟膏を塗ってみてください。塗ったことを後悔する事になるはずです。何しろこの軟膏,主剤がクロルヘキシジンという消毒薬,基剤がクリームという最悪の組み合わせですから・・・。
 大塚製薬は日本を代表する大会社なのですから,オロナインのようなインチキ薬の製造・販売をそろそろ止めた方がいいと思います。社名に傷がつきますよ。

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 群馬県高崎市から熱傷の患者さんが受診されました。相澤病院時代,なかなか治らない足の傷を治療したことがある患者さんで,湿潤治療の知識は十分に持っています。それで,まだ私が相澤病院にいると思い込んで,わざわざ高崎から松本に行ったものの私はいないし,救急外来で治療を受けたら消毒されてソフラチュールで治療をされたので,こんな馬鹿な治療を受けにわざわざ高崎から来たのでないと憤慨して帰ってこられたそうです。そして,自分でハイドロコロイドを購入して治療し,石岡第一病院に私がいることを探し当てて受診されました。
 「いきなり消毒してソフラチュールなんで,びっくりしました。駄目な病院になったんですね」と言っていました。素人だと思ってでたらめな治療をしちゃ駄目だってことです。いずれにしても,患者が望む治療を提供できないようでは患者さんが困ります。

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 ある先生から次のような嬉しいメールをいただきました。
ツール・ド・フランスなどの自転車ロードレースでは,転倒・落車で擦過傷が多く,その業界では湿潤療法が医療界より速く浸透しております。とくに国内のチームはほぼ常識ととらえているようです。ロードレースの解説をしているチームミヤタのの栗村監督は,解説でも湿潤療法の事を説明してくれます。
 私は以前,松本にいてここの病院には競輪選手が結構受診してくれましたが,とにかく傷が治らないことには仕事にならないので,ラップだろうがなんだろうがいいものはいい,と積極的に取り入れて宣伝してくれていましたが,自転車ロードレースの世界でもそうなんでしょうね。治ればいい治療,治らなければ悪い治療なのです。

 この分で行くと,「傷の治療に関しては大学病院と大病院が一番遅れていて,素人ができる治療もしていないし,治療をしようと個々の医者が思っても実践できない」なんてことになりそうです。組織が大きくなればなるほど保守的な人間の比率が高くなり,全体として保守化する傾向があるからです。
 恐らく大学病院や大病院は,社会全体の常識が変わってしまい,「大学病院で火傷の治療を受けると治らないし,しなくてもいい手術されるよ。行っちゃ危ないよ」と言われるようになってから,湿潤治療を取り入れることになるのかな,という思います。
 いずれきちんと書きますが,現時点では大学病院の熱傷センターなどが19世紀的熱傷局所治療の牙城となって,治療を固守している比率が高いです。大学病院は最先端の治療をしているのは一般常識としては正しい(ことが多い)のですが,熱傷治療に関しては全く当てはまりません。

 もちろん私は,大学病院の医者が悪いといっているのではありません。「組織は巨大になるほど保守化する」というのは,巨大組織が持つ根本的問題点,巨大組織が陥りやすい共通病理であり,個々の医師の意思が通りにくいというだけのことです。

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 褥創学会に所属も参加もしていないのですが,最近の褥創学会ってどういうのが話題なんでしょうか。というのは,褥創治療ってあるところまで行ってしまうと,することがなくなってしまうものだと思うからです。
 以前,山形県の病院に勤務していたとき,山形創傷ケア研究会を立ち上げ,主に褥創を中心に年に2回,研究会を開催していたのですが,5回目,6回目と進むにつれて話題探しが大変だったという記憶があります。当時(もう6年位前になるかな?),「消毒しない,乾燥させない」ということすらあまり知られていなかった時代ですから,最初の数回はこれをテーマにして,あとは予防とか除圧ベッドとか栄養とかを組み合わせたり,会員にアンケートをとってその結果を報告したりと,何とかなりましたが,それ以降は新しいテーマがなかなか思いつかず,何度か同じネタを使い回しして急場をしのいだものでした。
 ま,こういう「あるところまで行っちゃうと,それ以上することがなくなる学会」というのは他にもありますよね。○○学会とか▲▲学会とか・・・。

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 10月1日といえば,当サイトの誕生日です。2001年10月1日に独立したサイトとして産声を上げましたから今日で6歳です。ピアノサイトの頃から考えると,インターネットサイトを作り始めて10年目かな。10年間,ほぼ毎日更新しているのですから,よく続いているな,と思います。
 ちなみに,当サイトを「ブログ」だと思っていらっしゃる方が多くなりましたが,それは間違っています。「インターネットサイト」=「ブログ」ではないからです。ブログはインターネットサイトの一部分を指す用語であり,いわば部分集合です。「トンボ全体」をインターネットサイトとすると,ブログは「オニヤンマ」に過ぎません。
 ブログは要するに,メーカーが提供する簡易型日記サイトサービスのことで,当サイトはこういうサービスを利用していませんので,ブログではありません。インターネットで情報を伝える個人・法人が作っているものは「ウェブサイト」あるいは「インターネットサイト」と呼ぶのが正しく,ブログはその中の一部分です。ブログサービスは非常に簡単にウェブサイトを作れるのが利点ですが,どれも似たり寄ったりの外見になり,各ページ間の関係を論理的に組み立てにくいのが欠点です。
 ちなみに「ホームページ」というのは正確には,そのウェブサイトの開始ページのことを言いますので,「ホームページサイト」=「ウェブサイト(インターネットサイト)」ではありません。インターネットが普及するにつれて,ホームページという用語の誤用も広まりましたね。
 というわけで当サイトの場合,ブログが世の中に登場するはるか昔(?)から作っています。ブログサービス利用も一時考えたのですが,ブログでは論理的な大規模サイトを作れないサービスだと気がつき,利用していません。そんなわけで,「傷の消毒をしないブログでは・・・」というのは間違った使い方なんですよ。

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 創感染について掲示板にも書いたネタなんですが,「抗生剤の予防的投与」は効果がないだろうと思います。といっても,強力な証拠があるわけでなく,他の薬剤からのアナロジーですが・・・。
  • 例えば,腹痛の薬。これは腹痛が起きたら飲みます。腹痛がないときに飲むことはありませんし,腹痛がないときに飲んでも腹痛の予防効果もありません。
  • 例えば,水虫の薬。これも水虫になってから患部に塗りますが,水虫になっていない足に塗っても水虫を予防できるわけではありません。
  • 目が充血しているから目薬をさす,ということはあっても,目が充血しないように目薬をさすことはありませんし,さしたからといって充血予防となることではありません。
 要するに,西洋医学というのは「ある症状が起きたら,それを抑える薬」という対処療法が基本的な考え方です。だから,痛風の薬は痛風で困ったときに飲むし,抗うつ剤はうつ病の患者さんが内服します。それらは決して,痛風やうつ病にならないようにと予防的に飲むことはありません。
 このように考えると,「抗生剤の予防的投与」がいかにおかしいかがわかります。抗生剤とは本来,細菌感染症が起きて発熱などの感染症状が起きて困っているときに服用する薬です。細菌感染症が起きていないときに飲んでも効くわけがありません。
 一体どこの誰が,「術後の抗生剤予防的投与」なんてことを言い始めたんでしょうか。

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 「消毒しなければ皮膚についている細菌が創部(腹腔とか胸腔とか)に入ってしまい,感染するではないか」という考えから術野の消毒がされているわけだが,この論理が間違っているのではないかと気がつきました。皮膚常在菌は腹腔や胸腔では恐らく増殖できないのです。これらの環境では増殖するどころか,急速に数が少なくなるはずです。

 皮膚常在菌とは
「皮脂を栄養源とし,pH5.0〜5.5の状態で増殖する生物」であって,pH7.0前後の中性環境は皮膚常在菌の増殖が抑制されます。つまり,皮膚常在菌がいくら腹腔や胸腔に入り込んだとしても,そこはpH7.0前後の中性環境ですし,唯一の栄養源である皮脂もありません。つまり,これらの環境に入り込んだ皮膚常在菌は,速やかに数が減少するか,VBNCの状態になるはずです。「皮膚についている細菌が患部に入り込まないために消毒が必要」という論理のウソがここにあります。
 皮膚という環境に最高度に適応した生物,それが皮膚常在菌です。だから,皮膚以外の環境では暮らせないし,増殖することすらままならないのです。

 もちろん,皮膚には常在菌以外に通過菌・非常在菌が付着していて,例えばS.aureusなどがそれにあたります。しかしこれらの菌は皮膚を洗えば落ちてしまいますし,洗って落とせない細菌はいません。また,空中を漂っている細菌は通常は酵母などであって,感染起炎菌ではありません。つまり,一度洗ってしまえば,その後,空気中から感染起炎菌がもたらされる可能性は非常に少ないということになります。
 したがって,手術前は執刀部位をよく洗ってしまえば感染はほとんど起きないということになりますし,執刀前に皮膚を消毒するのと洗うので感染が起こる頻度は変わらないのではと予想されます。

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 国境なき医師団のミッションでリベリアに行っていらっしゃったという小児科の先生からメールをいただきました。以前,私の外来を見学にいらっしゃった先生です。
 当初は小児専門病院だったために外傷は治療していなかったようですが,近くの外科系の病院が閉鎖されてからは熱傷や外傷患者さんがたくさん運ばれるようになり,4か月にわたり,プラスモイストか食品包装用ラップ(現地で手に入れたもの),および水道水と白色ワセリンで治療を行ったそうです。その間,20例の熱傷,外陰部潰瘍80例,皮下膿瘍15例などを治療し,ほぼ全例がきれいに早く治り,合併症もほとんどなかったそうです。
 当初,現地の医療関係者は「なんだ,その治療は?」と疑いの目で見ていたそうですが,実際に治っていく子供たちの様子を見てショックを受け,すぐさま湿潤治療のとりことなり,病院全体の治療が変わったそうです。また,国境なき医師団本部でも治療の有用性が話題になったとか。

 戦地や災害地,発展途上国ほどこの治療は威力を発揮すると思っていますが,その意を強くしました。

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 安部ちゃん首相のていたらくを見ていて,彼の姿は「手術をしたことがないが実験論文を量産して外科教授になった」医者とと同じだと気がついた。両者の共通点は,実務経験がない点である。

 今はそんなことがないと思うが(・・・たぶん・・・),ちょっと前までの国立大学の外科系の教授は,人間の手術をしたことがない連中が多かった。教授になるためにはとにかく論文を量産するしかないし,そのためには,培養細胞での実験か,マウスかラットを使った実験をするしかないのである。そうやって論文を量産する以外,大学で教授になる道はなかったのである。
 その結果,「ネズミの手術の経験は豊富だが,人間の手術をしたことはない教授」が生まれることになる。彼がこのまま,ネズミちゃんだけ相手にしてくれれば人間に実害は発生しないのだが,なぜか教授になると,人間のお腹をさばきたくなるものらしい。「○○教授が手術すると大出血なんだよ」というのはこういう教授が執刀の場合だ。
 ま,珍しい話ではない。

 そういう「ネズミ外科教授」が安部ちゃん首相だ。彼に欠けているのは実務能力であり,調整能力であり,人を見極める能力だ。ネズミのお腹をさばいた経験だけで人間の手術をしているから,次から次へとトラブルが起きているのだ。臨床経験があれば「ここを切ると大出血するから注意しよう」とか,「こういう兆候が見えたらやばいぞ」とか,現場で学んできているため,大きなミスは犯さなくなるのだが,そういう経験が皆無である。実際の人間の手術で冷や汗を流したこともなければ,術後管理で眠れない夜を過ごしたこともない医者は「トラブル回避機能」を獲得していない。そういう人間がトップに立って手術するからトラブル続出である。
 安部ちゃん首相の右往左往を見ていると,こういう教授が手術している様子が目に浮かぶのである。

 なんで,こんなに能力のない人間が首相になってしまったのだろうか。もちろん,小泉前首相が彼を後継者として指名したからだ。絶対人気者の小泉君が安部ちゃんを指名したから,エスカレーター式にこいつが首相になってしまったのだ。小泉ちゃんが安部ちゃんを直接指名しなければ,これほどの実務能力のない人間が首相になることはなかったと思う。
 その意味で,実務経験のないお坊ちゃま君を首相にしてしまった小泉前首相の責任は極めて重いと思う。自民党大敗北のA級戦犯は間違いなく小泉君だろう。

 同時に,次世代の政治リーダーを作るシステムを破壊してしまったという点でも,小泉純ちゃんの功績(・・・とは言わないか)は大である。
 派閥を率いることで政治感覚と実務能力と調整能力を磨き,その中で次世代の政治リーダーがて生まれてきたが,現時点では,政治的リーダーを養成するシステムが全くなくなってしまったのだ。学級委員をしてから生徒会長になるというシステムがぶっ壊れてしまったのだ。
 これは要するに,「人間の手術はしたことがないけれど,論文ならたくさん書いた」医者を外科教授にしてしまうシステムと大差ないような気がする。

 安部ちゃん首相の最大の弱点は,ネズミの手術すら自分でしたことがないことだ。そういう人間が掲げる看板が「美しい外科」である。実際の手術を見たことがないから,「美しい外科」という妄想だけが暴走しているのだろう。

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 「献血の時に初流血除去」について質問を受けました。しばらく献血をしたことがなかったのでしりませんでしたら,調べてみたらこういうことですね。なるほど。そこで,基礎的データあるはずだと思って探したら,見つかりました。これです。これからすると,初流血を輸血に使わないのは根拠ありということになりそうです。

 しかし,このデータをよく読むと,「そもそも採血前に消毒すらいらない」という結論になっちゃうんですよ。というか,この論文を書いた先生たち,なぜそのことに言及していないんでしょうか。気がつかなかったのかな? 一言考察で言及していたら,先進的論文となったはずです。

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 埼玉県の中学三年生から次のようなメールをいただきました。
湿潤治療に興味を持ち,勉強しています。また,学校の保健室でも湿潤治療ができるように,いろいろ努力しています。そしてこのたび,心肺蘇生と湿潤治療などの講習会を開くことになりました。突然のメールは失礼と存じますが,湿潤治療についてのアドバイス,資料などがありましたらいただけませんでしょうか。
 メールの文章は中学生とは思えないほどしっかりしていて,年長者に対しての礼を一生懸命尽くして書いた文面になっていて,まずそれに感心しました。そして,治療を知ってもらうために懸命に努力している様子も,文章からひしひしと伝わってきて感動しました。メールを読みながら,目頭がウルウルしてきました。
 この感動は,以前「ホロヴィッツのハンガリー狂詩曲第2番を演奏会で弾きたいので,楽譜をいただけないでしょうか」と小学校5年生からメールをいただいて以来のものです。日本の未来はまだまだ明るいな,なんて思っちゃいました。

 そして同時にパラダイムシフトはこのようにして起こるのだな,と改めて思いました。この中学生のような若い人が増え,某病院救急部部長のような19世紀医者が御臨終を迎えたとき,創傷治療にパラダイムシフトが起こるのでしょう。それを実感しました。この中学生のような人がいる限り,確実にパラダイムシフトは起きます。旧世代がいくら邪魔しても,それが正しい限りパラダイムシフトは必然の未来です。

 中学三年の鈴木君,がんばれよ!

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講演である研修医の先生から「縫合するかしないかの基準は?」という質問をいただきました。もちろん,私の基準は単純明快です。
  1. 局所麻酔の注射をさせてくれるなら絶対に縫合。
  2. 麻酔注射を拒否したり暴れたりする場合は
    • テーピングで何とかなりそうな大きさ,深さ,部位の場合にはテーピングと圧迫。95%の患者はこれで対応できる。
    • 口唇のようにテーピングしても剥がれる場合,眼瞼縁などテーピングが難しい場合,関節部でテーピングしても剥がれる場合で乳幼児の場合は,全身麻酔下に縫合。ただし,そのような例は少ない。

 しかし,ではこの基準に従えば誰でも傷が縫合できるかというとそうではないでしょう。実際,上記の質問をした研修医に「あなたは縫合の仕方,局麻の仕方をきちんと教えてもらいましたか?」と逆質問すると,見よう見まねで何となく教えてもらったような気がする,ということでした。もちろんこれは,この病院に特有な現象ではなく,どの病院の研修医も外傷の治療法については似たり寄ったりの状況でしょう。全国各地の研修医たちは,救急外来当番のときに縫合が必要な患者が来たら外科系指導医に「こうやって縫合するんだよ」と教えてもらう,という方式で教えてもらっているはずです。

 では,これで縫合の仕方が覚えられるかというとちょっと無理です。縫合が必要な患者は一晩にせいぜい一人か二人受診する程度ですし,次に縫合する機会は1週間後です。これでは前回の経験が次に生かせません。これはちょうど,一回5分の英会話練習を一週間に一度だけしているようなもので,これで英会話ができるようになれと言われても無理です。

 それではどうしたらいいでしょうか。英会話ができるようになるのは簡単です。英語しか使えない状況が朝から晩まで続き,それを1週間連日続けたら,どんな人でも日常会話くらいはできるようになります。それを外傷治療に応用するだけです。それがこれまで私が相澤病院で完成させた教育システムです。もちろん,このシステムは2007年6月に崩壊しましたが・・・。
 具体的にいうとこうなります。
  • 顔面と手の外傷の治療がどちらもできる医師を「傷の治療外来」専任とし,日中に救急外来を受診した外傷患者を全て治療する。夜間に救急室で治療をした外傷患者も全てフォローする。
  • 研修医は一人ずつ2〜3週間,その外来で研修を受ける。
  • 局所麻酔の基本,縫合の基本から始まり,熱傷,褥瘡,術後感染創,動物咬傷の治療などを実際の患者さんの治療を通じて教える。

 この方式なら,2〜3週間,ずっと外傷治療を見るしかないわけで,これくらいの期間があれば救急外来で出会う外傷のほとんどを直に教えることができます。実際の患者さんでなければ教えられないことが多いし,患者さんから教わることは万巻の教科書に勝ります。
 また,自分で縫合した傷がどのように治るかを最後までフォローできるというメリットもあります。救急外来で縫合させても,そのあとのフォローができないと研修医へのフィードバックがかかりません。
 このように指導したら,救急外来の外傷患者の8割以上が任せられるようになるし,その病院の救急外来全体の動きもよくなります。これがうまく回るようになると,地域医療全体のレベルも上がります。

 問題は,研修医のためにそこまで考えた診療体制,教育体制を実際に作れるのかというところにあります。

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 雑誌『ちいさい・おおきい・つよい・よわい』から原稿依頼をいただき,あわせて見本誌として同誌の第57号が送られてきました。そのなかの「要注意! 野菜ジュース,サプリメントの不健康な話」という文章はちょっと考えさせる内容でした。
 まず,野菜ジュースの原料の多くは輸入野菜で,輸送距離が長く,そのため,収穫してから飲まれるまでに日数がかかり,この間に栄養価が低下しています。また,輸入野菜では既にカットされたり冷凍になった状態で輸入されるものもあり,さらに栄養価は下がります。さらに,ポストハーベスト農薬がどれほど使われているか,という問題もあります。自分で野菜を食べるなら,その前に洗えば少なくとも表面についている農薬は落とせる可能性がありますが,ジュースとなってしまうとそれも不可能で,農薬も一緒に飲むしかありません。

 「栄養価が下がっているなら,サプリメントでビタミンを取ればいいんじゃないの?」とお考えの人もいると思いますが,サプリメントに含まれるビタミンや栄養素には「天然」「天然型」「合成」の3つがあり,同じものではありません。つまり,果物に含まれるビタミンCとサプリメントや野菜ジュースに添加されたビタミンCは化学的には別物です。合成ビタミンは化学的に活性が高く,さまざまな物質と反応して新しい化合物になりやすいのだそうです。

 もちろん,他の資料などとつき合わせて内容を検証する必要はありますが,感覚的には,「手軽に栄養補給ばかりしていると,どこかでしっぺ返しが来ても不思議がないかな」と感じています。

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 実は今日,5月4日は不肖私の50回目の誕生日です。うわあ,50歳だよ。半世紀だよ。信長の時代なら「人生50年」で,もう立派な晩年だよ。私の父親の死んだ年齢まであと10年ちょっとだよ。どう見ても,死出へのカウントダウンが始まってるよ。
 私が若かった頃,周りにいる50歳の人たちは大人としての風格が漂う人ばかりでした。自分もいつかはこういう「大人」になれるんだろうか,と思っていました。
 で,その年齢に自分が達したわけですが,まさかこんなに落ち着きない50歳になるとはなぁ〜。何しろ,毎週,モーニング,スペリオール,ビックコミックなどの漫画雑誌買ってるもんなぁ。まさか50歳になっても漫画雑誌を読んでいるとは思ってなかったな。

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陥入爪の概念って混乱してませんか? つまり,「陥入爪」と呼ばれている病態は確かにありますが,「爪の弯曲が強い」から困っているのでなく,「爪郭炎が起きる」ことが唯一の症状だからです。
 で,爪郭炎が起こる原因はさまざまですが,足の第1趾に関する限り,その原因のほとんどは深爪,つまり,第1趾の爪の両脇を深く切る,切りたくなる,という生活習慣(?)です。〔深爪する〕⇒〔爪の両脇がお肉(爪郭皮膚)の中に埋もれる〕⇒〔爪が伸びる時にお肉に食い込む〕⇒〔お肉が傷つく〕⇒〔炎症が起きる。痛くなる〕と,こんな経過をたどって症状が出ます。
 つまり,深爪さえしなければ(=爪を充分に伸ばしてしまえば),いくら爪が湾曲していても炎症が起こることはないし(Pincer Nailは極度に爪が湾曲するが,炎症が起こることは極めて稀なのがその証拠),爪が平らで曲がっていなくても深爪すれば爪郭炎が起きます。要するに,爪が湾曲しているという現象と,爪郭炎が起こるという現象の間に因果関係はないような気がします。
 というわけで,「深爪症」「深爪炎」という病名をつけると(・・・病名のつけ方としては変だけど・・・),病態と治療と予防を一言で表現できるんではないか,と思っています。

 考えてみると,以前,陥入爪の治療といえば「湾曲した(食い込んだ)爪の楔状切除」が主流でしたし,その次に来たのが「フェノール法」,その次は「炭酸ガスレーザー」などでした。いずれも,湾曲した爪の外側部分をいかにして切除するか,そのための手段は何がいいか,という治療方法であり,そういう治療法法の開発の歴史でした。これらの方法は要するに,「陥入爪という病気だから,陥入した爪を切除するのが治療」という発想から生まれたのではないかと思います。
 これがもし,「深爪症」という病名だったらどうでしょうか。そうすれば,「深爪しない」「深爪されていても,爪が伸びる過程で炎症が食い込まないように工夫する」という方向で治療(これが現在の治療の主流ですよね)がもっと速く開発されたのではないか,なんて思います。

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 このサイトを読んでいる人の半分は医者だと思いますが,もちろん,学会に参加・登録していますよね。どんなに少なくても3つや4つの学会に参加していると思います。恐らく,10前後の学会に登録している人も珍しくないはずです。
 さて,私ですが,なんと一つの学会にしか所属していません。多分,日本で一番学会に参加していない勤務医だと思います。現在,唯一所属しているのは日本形成外科学会だけです。以前は先天異常学会,熱傷学会,手の外科学会,顎顔面外科学会などに参加していましたが,これらの学会に参加する暇もないし,参加したところで役立つ情報が得られるわけではないし,次第に足が遠ざかり,学会費を払うのも面倒になり,いつの間にか「自然脱会」になってしまいました。
 現在,形成外科の医者としての最低限の義務として日本形成外科学会には学会費を払っていますが,形成外科医としての仕事は「手や顔の外傷,熱傷」のみですから,日本形成外科学会に出席しても得られるものはないし,形成外科学会の認定医になったメリットもないし,認定医を維持するための努力(学会に参加しなくても学会参加費を払い続ける)をする意味が次第になくなっています。

 つくづく,認定医とは「家元制度」だなと思います。
 お茶や生け花の師範になるためには,その流派の先輩師範につき,参加料みたいなのを毎年払い続ければ,誰でも自動的に師範になれます。ここで問題になるのは,「何年間,家元に金を払ったか」だけです。
 これは医者の○○学会の認定医も同じでしょう。問題になるのはその学会に参加して学会費を数年間払っていることだけです。もちろん,認定医になるためには試験がありますが,合格率は結構高いし,もしも司法試験みたいな合格率だったら誰もわざわざ認定医を目指さなくなるでしょう。

 と,ここまで書いて気がつきました。そうか,自分が家元になっちゃえばいいんだ。そして,弟子になりたいという人から金を巻き上げればいいんだ。なんだ,楽勝じゃん。

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 アパートやマンションの風呂場にカビを生やさなくする方法,御存知ですか。一番最後に風呂から上がった人がバスタオル数枚で壁,床,バスタブなどの水分を十分に拭き取り,その上で換気扇をまわすだけです。風呂場のカビは石鹸カスなどを栄養分として繁殖する生物ですから,水があれば生えてくるのは当たり前。だから,水分を取ってしまえば生えにくくなります。普通サイズの風呂場ならせいぜい1分もあれば水滴に至るまで拭き取れますから,カビが生えてからカビ取りの洗剤を使うより効率的です。
 私は
『カビの常識 人間の非常識』を読んで以来,ずっとこれをしていますが,確かにカビはほとんど生えなくなりました。

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 シャンプー,洗濯石鹸を使わないという「人体実験」を続けていますが,普通に生活していると油汚れって,そんなにあるものじゃないということがわかりました。つまり,メーカーが宣伝している「皮膚(髪の毛)の汚れを洗い落として・・・」という「汚れ」は実際にはないようです。
 洗濯石鹸のCMではよく「泥んこ汚れに○○」と宣伝していて,泥や砂の汚れは洗剤で洗わないと落ちないように思ってしまいますが,砂や泥は油ではありませんし,外で遊んでいて衣服が油で汚れることもありません。つまり,泥んこ汚れを落とすのにカチオン系界面活性剤入り洗剤は不要ということです。
 さらに,メーカーが洗剤の特徴として宣伝している「輝く白さ」も「ふんわり柔らか」も「薔薇の香り」も,油汚れを落とすという洗濯石鹸の本来の機能には不要なものです。もちろん,付加価値という言い方もできますが・・・。

 シャンプーをしないとシャンプーの香りがなく,それがなんとなく「きれいじゃない」という気を起こさせますが,よく考えると香りの有無はシャンプーという商品の本質的機能(=汚れを落とす)とは無関係なものです。だから「シャンプーの香りが欲しいからシャンプーする」のは本末転倒です。
 「髪(頭皮)の汚れを落とす」ためのシャンプーだと信じているからシャンプーしているだけのことで,実は髪の毛の汚れは洗剤を使わないと落ちない汚れではないのではないでしょうか。同様に,人の肌も衣類も,洗剤を使わないといけない汚れがつくような事態は,普通の生活をしている分にはそんなに多いものではないのです。
 少なくとも私の頭皮に関する限り,シャンプーを使わずにお湯洗いのみにしてから,フケが本当に少なくなりました。痒みもありません。皆さんも試してみて下さい。もしかすると,シャンプーを使わなくするだけで頭皮のトラブルがなくなるかもしれません。

 このあたりのことが一般に知られてしまうと困るから,メーカーは繰り返し,「シャンプーや洗剤でないと落ちない汚れであなたは汚れている」と宣伝(洗脳とも言う)しているんじゃないか,といううがった見方でもできます。

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Daily Portal Z「洗濯洗剤は必要ないって,ホント?!」という記事はすごいぞ。まさに驚愕の実験結果です。要するに,かなりの量のラー油の汚れ以外は,水だけでも汚れが落ち,洗剤を使った場合と差がありません。しかも,実験方法もしっかりしていて,きちんとした科学実験になっています。

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 お化粧をばっちり決めているときはビックリするほどの美人なんだけど,お化粧を落とすとまるで別人という女性,いますよね。お化粧ってのはすごいなぁ,と感嘆するのですが,こういう人のすっぴんの皮膚を見ていると,すごく荒れているのが判ります。おそらく,皮膚の荒れを隠すためにもバッチリとメークしているのでしょうが,どう考えても,化粧品自体,あるいは化粧という行為自体が皮膚を荒廃させている原因にしか思えないんですよ。
 こういうお化粧が上手な人って,若い頃からお化粧をしてきたはずです。だから,若い頃から肌が荒れてしまい,それを隠すために日常的にお化粧が必要になり,それがさらに・・・という悪循環になっているんじゃないでしょうか。
「肌によい化粧品」とか「肌に潤いを与える化粧品」というのは本当にあるんでしょうか。クリームに含まれる界面活性剤って,本当は皮膚を守っている皮脂を溶かして奪っているだけじゃないでしょうか。

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 この二日間,見学に見えられた形成外科の先生方とずっと一緒だったのですが,そこで気がついたのは,形成外科医が無意識のうちに教え込まれている常識というのがあって,それになかなか気がつかないことです。例えば次のような「ものの考え方」です。
  1. 速く治すことが患者にとって最大の幸福である。
  2. 手術で治すことが最善の治療である。
  3. 保存的治療とは手術できない場合に選択する消極的方法であり,ベストの結果をもたらさないものである。
  4. 手術で治すことが形成外科の治療の目的である。
  5. 形成外科医が見てきれいに治っているのだから,患者は満足している。
  6. 縫合するよりきれいに傷が治ることはありえない。

 最初にあげた「速く治すことが患者にとって最大の幸福」というのは形成外科医にとって当たり前すぎる考えで,指摘されるまでそう思っていたことに気がつかないんじゃないかと思うが,どうだろうか。
 ちょっとした皮膚欠損があって肉芽が上がっていれば,植皮をしてあげて速く治してあげたくなるし,傷の治りが悪い手術創があれば,さっさとデブリードマンして再縫合したくなるし,移植皮膚のつきが悪い熱傷患者がいれば,もう一度植皮をしてあげて速く治してあげたくなる。

 果たして本当に,患者さんは植皮術を望んでいるのか,速く治すための手術を望んでいるのか,形成外科が見た「きれいに治った」状態は患者さんにとっても「きれい」なのか,そのあたりを根本から見直す必要がないのかな,と思っています。

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 臨床医学は結局,臨床症例を分析して普遍的な法則性を導き足していく科学だといえる。しかし,対象となる人体があまりに複雑なため,「ま,取りあえずこんなもんかな」程度の法則をまず決め,それを洗練化していく作業が欠かせない。
 この「臨床例の検討と分析」で重要になるのは,普遍例(と思われるもの)と特殊例(に見えるもの)をどう考えるかだと思う。私は一応,次のように考えることにしている。
  1. 特殊例(例:標準治療をしても効果がない例)を見逃さない。
  2. しかし,特殊例を見て安易に拡大解釈しない。特殊例を安易に一般化しない。
  3. しかし,少数の特殊例の背後に隠れている「別の法則」がないかどうかについては常に考える。
  4. 「特殊を普遍化する」作業とは新たな法則の発見であり,既存の法則の拡張ではない。
  5. 普遍的法則に間違いがないかどうかを常に考える。普遍的法則といえどもパラダイムに過ぎないのだから,それが絶対に正しいわけがない。

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 「患者さんを不安にさせるためにムンテラしているのか」を追加。ありとあらゆる合併症について説明するのが現在の医療現場での常識です。実際,先日当科を受診した熱傷患者さん(実はたいした熱傷ではなかった)は,それまで治療を受けていた県外の総合病院の熱傷センターで,「3度熱傷になって敗血症になることもある。死亡することもある。3度熱傷では植皮が必要になる。術後傷がひきつって手が動かなくなることがある。自然に治した場合は30年後に癌が発生する」と,ありとあらゆる合併症が説明されていました。当然,患者さんとその家族は絶望のどん底で,食事も取れないほど不安がっていました。
 その病院の主治医の説明で欠けている言葉は「この火傷は治るよ」という一言ではないでしょうか。
 医者の保身のために説明していることが患者さんを不安に陥れているような気がします。

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 ちょっと前,CDCガイドラインに基づく院内感染対策として熱心にサーベイランスをしている某病院の方からメールをいただきました。毎月サーベイランスをしているものの,院内感染の発生数は変化していない(=減少していない)ということです。
 ということは,サーベイランスしようとしまいと発生数は変わらないってことです。つまり,随分無駄なことに時間を費やしているわけで,無駄なことに貴重な時間と労力をかけるように命令されているスタッフの方々は,つくづく気の毒だと思います。

 なぜ院内感染の発生数が変化しない(=減少しない)かといえば,どう考えてもCDCの対策に科学的根拠がないからです。机上の空論に屋上屋を重ねたような感染対策を提案しているからです。患者に禁煙させたくらいで術後創感染が減る,なんて,医療現場側から見れば単なる御伽噺です。

 「こんなにCDCの言うとおりにして,毎月サーベイランスをしているのに院内感染がそれ以上減らないのはなぜか?」という疑問があったら,皆さんならどう考えるでしょうか。普通なら,「もしかしてCDCガイドラインがおかしいんじゃない?」と考えませんか? それが常識というものです。レシピどおりに料理を作ったのにまずくて喰えなかったら,レシピがインチキじゃないかと疑うはずです。

 ところが,「CDCは神の声」というお医者様一派がいて,この人たちは「CDCガイドラインは神からの御宣託だ」と考えているようです。だから,「院内感染が減らないのは,CDCのご御宣託をまだ完全に実践できていないからだ。私たちの理解と努力が足りないからだ。もう一度,CDCガイドラインを隅から隅まで読み返そう」って考えちゃうんですよ。
 「CDCは神の声。神の声だから間違っているわけがない」って宣言した手前,いまさらそれは前言撤回できないわけで,まさに袋小路に入り込んでしまったのです。

 恐らく,この先生方は,神様(=CDC)が新しい御宣託(=2007年版ガイドライン)を下してくれるまで,それまでの御宣託を毎日読んでは「神よ,私たちの至らない点をお教え下さい」と祈り続けるのでしょう。

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 私はこれまで,「講演に使用しているファイルを提供するのでご連絡下さい」と書いてきました。そこで,かなりの数のメールをいただくのですが,驚いたことに,自分の名前も所属も書かずに,ただ一行「講演ファイルを送ってください」とだけあるメールが多いのです。全体の1/3くらいがそうです。自分の名前を書くのがそんなに面倒なのでしょうか? 自分の名前を明かすのがそんなに嫌なのでしょうか?
 道を尋ねるなら,まず「恐れ入りますが」って話しかけるでしょう? いきなり「道を教えろ」なんて言わないでしょう? それと同じだと思うのですが,そういう私の感覚の方が間違っているのでしょうか。
 私は,インターネットサイトを開設して情報発信をするようになって10年以上になりますが,昔はこんなことはなかったような気がします。見ず知らずの相手にメールを出す場合は,まず,自分の本名と所属を明かし,それから要件を告げていました。社会人としての常識が通用していました。
 それが,この数年で,かなり崩れてきたような気がします。

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 この関連でいくと,「CDCの感染対策ガイドラインも単なるパラダイムに過ぎない」ということに気がつきます。
 CDCの提唱する「術後創感染(SSI)対策」を厳密に守っても創感染がちっとも減らないのは,解釈がまだ不十分なためではなく,CDCの方針そのものが間違っているからだと考えると簡単に解決します。つまり,「CDCの方針を真に受けてしまったから感染が減らないのだ」と考えればいいのです。CDCといえども,たかが一つのパラダイムです。いつかは破綻する日,馬脚を現す日が必ず来ます。

 ところが,CDCガイドラインを聖書かコーランの如く,金科玉条の聖典として崇め奉っている純真な方々がいて,その方々が「インフェクション・コントロール」業界に集っています。だから,この方々の言うことを真に受けても,院内感染もMRSA感染も期待したほどは減りません。聖典と奉っているCDC自体が間違っているからです。

 いずれ詳しく書きますが,CDCの院内感染対策,術後創感染対策が無意味なのは,「そもそも創感染とは何か,細菌とはどういう生物なのか,何が創感染なのか」という根本を考えていないからです。だから,何がなんだかわからない総花的ガイドラインができてしまうのです。
 この「総花的ガイドライン」は日本褥瘡学会のガイドラインが総花的なのと根は同じです。総花的ガイドラインの特徴は,現場で役に立たないことにあります。

 医学界には「聡明だった看護師がWOCナースになったとたんに石頭ナースになる」という超常現象がありますが(・・・もちろん,柔軟な思考ができるWOCも沢山いらっしゃいますよ),これもパラダイムの視点から解明できます。パラダイムを真実だと信じ込ませる教育を強制的に受けたからです。WOCナースが悪いのでなく,彼女たち,彼らたちが受けた教育(洗脳とも言う)が悪いのであって,彼女たち(彼らたち)に罪はありません。

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 とある「創傷治癒」方面の学会で,ある先生が「ゲーベンクリームで治癒しないとして紹介された症例を,ラップ治療で治癒させた」と発表したところ,司会の先生から「ラップは望ましくない,ゲーベンクリームのアレルギー検査はしたのか」と質問があったそうです。この司会の先生,アホですな。
 「治した治療」を非難し,「治せない薬」を擁護するなんざ,脳味噌が腐っているんでしょうか,それともオツムにおがくずでも詰まっているのでしょう。何より,ゲーベンが治療薬だと思っている無知が救いようがないです。もう少し勉強しろといいたいですが,おがくずが詰まっているんじゃ駄目か。ま,こういうタイプのアホ医者は,アホのまま死んでいくんでしょう。
 それにしても,治療は治してなんぼだと思うのですが,なぜか,治せない医者ほど偉そうに学会で喋るというのも面白い現象です。

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 ちょっと前のニュースだけど,天使を信じる81%,サンタを信じた86% 米世論調査というのがありました。この記事だけだとよくわからないけれど,元データに当たってみると,成人1000人を対象にしたアンケート調査で,羽の生えている例のエンジェルだけではなくて,庭で鳴く小鳥や古い家に宿る精神的存在,果ては道で出会う親切な人まで天使ととらえている人が多いそうである。
 ま,日本人が縁結びの神社にお参りするとか,大学受験前に菅原道真が祀ってある太宰府天満宮をお参りするのと同じような感覚なんだろうか。

 そういう知識を頭の片隅にいれて飛びすぎる教室 (講談社文庫)(清水義範,講談社文庫)を読んでいたら,面白い文章があった。アメリカ映画にはこの天使信仰がしばしば登場しているんだそうだ。そして,天使の象徴はいわばアメリカ人にとってはお約束みたいなもので,その象徴が画面にちょっとでも現れたとたん,彼らは「ああ,この映画は天使の物語なのね」とスイッチが入ってしまうらしい。その象徴は例えば画面をふわふわ飛ぶ一枚の羽だったり,頭の周りが光で包まれたり,そういうものなんだそうだ。そったらこと,オラたち気がつかねぇだよ。でも,そったらことに気がつかねぇと何がなんだかわからないらしいのだ。
 で,そっから先は天使の物語なわけですから,もう何でもあり。空を飛ぼうが時空を越えようが,水の上を歩こう(=パオラの聖フランシス)が鳥と話(=アシジの聖フランシス)をしようが,天使なんだから当たり前に見えちゃうらしい。おまけに,上記の説明にもあるように,アメリカ人はどうやら「純真無垢だけどちょっと抜けている(=頭が悪い)」人間を天使と捉えているらしい。

 ところが,そういう前提知識のないわしらがそういうシーンを見ても「これは天使だ」とは思わないから,「何だ,このシーンは幻覚でも見ているのか? それとも幻想シーン? あるいはもしかしてSF映画? はたまた,深い意味があるシーンなの?」と深読みしてしまうが,何のことはない,天使が何かしているだけなんだって。

 例えばこの本でも取り上げられている《グリーンマイル》という映画。日本では,死刑の恐ろしさが描かれているヒューマンドラマという位置づけで評価されていると思うが,大男の黒人死刑囚が周りの人間の病気や苦しみを吸い出すことができるという能力をどう捕らえるかで見方が違っている映画でもある。普通の日本人からすると,「何でヒューマンドラマにオカルトが入っちゃうの?」と感じてしまうが,どうやらアメリカ人にとってはこの「無垢で頭がちょっと弱い」黒人死刑囚が登場した瞬間,「ああ,彼は天使なのね」と脳味噌のスイッチが入ってしまうらしい。天使の物語と思うと,全て納得がいっちゃったよ。

 同様に《フォレスト・ガンプ》もそうだ。そういえばオープニングで羽がフワフワと舞っていたっけ。あの瞬間に,「おっ,これは天使の映画ね」と気がつかなければいけなかったらしい。なるほど,ガンプの「純真無垢だけど脳味噌がちょっと・・・」というのは天使そのものだ。彼はアメリカの守護天使であって,アメリカの国難を救うという映画だったのね。

 《ナチュラル》という野球映画もなんだかよくわからなかった。なぜ主人公がいきなり天才バッターになっちゃうのか,その過程がまるで描かれていなかったからだ。でも,あの恋人の女性が守護天使だったわけね。帽子が光って輪っかみたいに見えるシーン,あそこで気がつかなければいけなかったのか。

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 数年ぶりで生まれ故郷(秋田県の片田舎。ちなみに,夏井という名字はこの地方にしかない名字です)に帰りましたが,一番驚いたのは町並みというか町の様子が私が小学生だった頃,つまり40年前と全く変わっていなかったことです。あの頃と変わったのは,シャッターが閉まった店,廃墟になった店が増えたくらいで,新たにできた店も建物もほとんど見あたりません。40年前の記憶で街が歩けるというのはショックでした。同じ市内でも,県庁所在地の秋田市に近いところはそれでも,郊外型の大型店舗ができたりして町の様子が変化しているのですが,私の故郷だけ時間の流れに取り残されてしまったようです。

 同様に,秋田駅前も凋落ぶりも目を覆わんばかりでした。秋田駅の西側(従来の駅前商店街)は一見,きれいに再開発されているように見えますが,年末というのに人通りがまばらです。一昨年だったか,秋田駅に直結したイベントホール「アルヴェ」で講演したときにも感じたのですが,若い人が集まる店舗が駅前にまるでないのです。「アルヴェ」は駅舎と直結していますが,単なるイベントホールですし,アルヴェの向こうには住宅街が拡がるだけで,せっかくの建物が街興しに全く生きていません。

 ま,これは,秋田にだけ見られる現象ではなく,全国各地の「衰退しつつある町」に共通してみられるものでしょう。ハコモノ行政でイベントホールや文化会館は使ったものの,それが全く生かされていない・・・というか,そもそも生かそうと言う発想で作った物ではなかった,というのが事実でしょう。「立派な建物にホールを併設すれば市民の文化活動が盛んになるだろう。次々とイベントが入って人が入るだろう」という胸算用で作ったのでしょうが,同様の胸算用で作られた文化会館やイベントホールのほとんど全てが失敗しているのですから,やはり発想そのものに無理があったのだろうと思います。

 そういえば,「アルヴェ」で講演をした際,その後の懇親会で,「どうせ作ったんだから,ここにユニクロとか本屋とかビックカメラとか入って貰えばよかったんだよ。そうすれば,少なくとも恒常的に人が集まる場となるし,集まる場ができれば人の流れも作り出せるし,色々手が打てたんだけど,イベントホールじゃねぇ〜」という意見が多かったことも思い出しました。至極まっとうな考えです。

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 最近思うのだが,医学雑誌や科学雑誌は今後も存続できるのだろうか。
 例えばパソコン雑誌はすでに大幅に衰退している。従来はパソコンの便利な使い方,新製品情報はパソコン雑誌でなければ手に入れられなかったが,現在ではインターネットで手に入らない情報はないし,何より新鮮な情報がリアルタイムに得られるというメリットがある。この点,雑誌はどうがんばっても数週間のタイムラグがあり,新鮮な情報という点では所詮,インターネットの情報にはかなわない。また,あとからでも情報を検索できる,情報が必要になったときにそれが簡単に取り出せるという点でも,インターネット検索の縦横無尽な威力の前では雑誌は全く無力だ。

 私も以前はパソコン雑誌を数誌購入していたが,今では「週刊アスキー」を買うくらいで,それもパソコン以外の連載記事が読みたいから買っているようなものだ。さらにパソコン雑誌の代表的存在だった「月刊アスキー」が一般ビジネス雑誌への転換を図っているのも象徴的だ。日本でのインターネットの黎明期には,パソコン雑誌には競うように「インターネットとは何か」という記事があり,ネットの普及にもっとも大きな影響力を持っていたのがパソコン雑誌だった。しかし,ネットの普及とともに売れなくなってきたのだ。

 一方,医学雑誌はどうだろうか。英語の論文に関してはかなりのものがネットで公開され,Googleで簡単に検索できるし,論文そのものも世界のどこからでもダウンロードも可能だ。まさにインターネットを充分に生かしきっていると言える。他方,日本語雑誌は情報の検索という点では全く非力というか,全く使い物にならない。インターネットで検索しても引っかかってくるものは極めて少ない。図書館などでなければ検索すらできない。
 だから,本棚に並んだ「学会雑誌」は単なる「物」であって,情報が書かれた「本」ではない。雑誌には医学情報は書かれているものの,その中から必要な情報を取り出すためにはあらかじめ付箋でも貼っておかなければ不可能だ。要するにこのような医学雑誌,学会雑誌とは「索引も目次もない本」である。だから本としては使い物にならないのだ。情報は取り出せてこそ価値があるからだ。

 今日の社会では,情報のほとんどはネット上に存在するし,ネット上に存在しない情報は情報でないも同然だ。検索もできず,誰の目にも触れなければそれは情報ではない。従って,医学情報や医学情報こそネット上で公開され,必要としている情報がいつでも取り出せるようにしておくべきなのだ。現在,日本の医学雑誌でネットで論文を公開している雑誌が少しずつ増えているものの,その数は極めて少なく,多くの論文は研究者や臨床医の目に触れることもなく消えていくしかない。

 それだったら,投稿論文はすべてHTMLファイル,あるいはPDFファイルでネット上で公開し,みんなに読んでもらい互いに引用しあったほうが,お互いに役に立つのではないだろうか。何より,書き手だってより多くの人に読んでもらいたいはずだ。われわれが必要としているのは論文の内容であって,雑誌という媒体ではない。現状では雑誌を買わないと論文が読めないから仕方なしに雑誌を買っているだけのことだ。

 こう書くと必ず,パソコンが使えない医者もまだまだ多い,そういう医者には雑誌は必要だ,という反論が必ず出るが,いまやパソコンを使えない医者はどのくらいいるだろうか。さすがに60代以上だと使えない医者が多いかもしれないが,50歳以下では使えない医者は極めてまれだと思うがどうだろうか。少なくとも私の周囲ではそうである。とすれば,あと10年もすれば「パソコンを使えない医者」は大体引退しているはずだ。そうなったら,医学雑誌なんて要らないんじゃないだろうか。

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 私はMP3プレーヤーが出始めの頃から使っていて,これで何台目になるでしょうか。一番最初に買ったのは,CreativeのJukeboxとか言う機種でハードディスクタイプのものでしたが,何しろでかくて「大きさと形はポータブルCDプレーヤー・サイズだけど,厚さが倍でとても重い」ものでした。気軽に持ち運べる重さではありませんでしたが,CDを何十枚も持ち運ぶよりは軽かったため結構使いました。
 その次もCreativeだったかな? ようやく胸ポケットに入るサイズになりましたが,200グラムくらいとずっしり重く,まだワイシャツの胸ポケットに入れることは不可能でした。
 そういえば5年位前,コンパクトフラッシュにMP3ファイルをコピーしてそれを装着するというタイプのものも買ったことがあったっけ(機種の名前,忘れちゃったよ)。軽くてよかったんですが,自社製のCFでないとだめよ,というので,試しに手持ちのCF(もちろん他社製品)を入れてみたら,すぐに故障しちゃいました。試したほうが悪いんですが,あれは悲しかったな。
 その次がiRiverのiHP-120,で,その次がRio Carbonでした。一番長く使ったのはRio Carbonです。

 こういう買い物歴を見ると最近の人は「なんだかマイナーな機種ばかり。なぜiPodにしないの?」と疑問に思うでしょうが,MP3の歴史を切り開いてきたのはCreativeでありiRiverでありRioなんですよ。私にとっては,iPodのアップルもソニーも,Creativeたちが苦労して切り開いた市場が儲けになるとわかった途端に参入してきた新参者であり,漁夫の利を得ているだけにしか見えないのです。だから,iPodもソニーのMP3は使いたくありません。これは,MP3プレーヤー黎明期から見守り,付き合ってきた人間としての意地みたいなものですね。特に,MP3プレーヤーをiPodと総称するのは断じて許せません。

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 皆さん,今年のボージョレ・ヌーボー,もうお飲みになられましたか? 私も飲みましたが,15日の午後7時過ぎに飲んじゃったため公式解禁の4時間前です。つまり,フライングですが,ま,許してください。なぜ許して欲しいかというと,辛い海鮮チゲ鍋と一緒にというか,チゲ鍋を肴にボージョレを飲んでしまったからです。
 恐らく,15日深夜から16日にかけて,日本全国でボージョレ・ヌーボーが飲まれると思いますが,チゲ鍋と一緒に飲んだってのは全国広しといえども私くらいのものじゃないでしょうか。そして,この組み合わせで飲まれたボージョレってのも,この一本くらいじゃなかったでしょうか。両者を飲み食いしてみるとわかりますが,この組み合わせ,ぜんぜん駄目っすね。
 根本的にボージョレと辛口チゲ鍋ってのはぜんぜん合わないですよ。真っ赤なスープで海鮮系チゲ鍋と爽やか系の若いワインってのは,味の方向性が全然違っているし,両者の歩み寄りもなければ協調しようという姿勢すらないのですよ。お互いに,「何でこんなのと私を組み合わせるわけ?」とそっぽを向いているままです。夫婦喧嘩の真っ只中にいる第三者みたいな雰囲気で,居心地が悪かったです。

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 「医療行為に食品を包むラップを使うなんて」とか「安全性が確かめられていないラップを使うのはけしからん」と発表されたり発言されたりする医療関係者がまだまだ多いわけですが,こういう人たちは「皮膚科におけるラップを使ったODT療法」をどう考えているんでしょうね? たとえば手元に転がっている(?)皮膚科の教科書を開いてみてください。そこには商品名付きで「サランラップで覆う」と明記されています。恐らく,日本の皮膚科教科書で「サランラップ」という商標名が書かれていないものは少ないはずです。
 要するに,皮膚科領域では何十年も昔からサランラップ(およびその他の食品包装用ラップ)を治療目的に使っているのです。上記の「ラップけしからん」派の先生方はこの現実をどのように考えられているのでしょうか?

 もしも本気で「ラップを治療に使うのはけしからん」と思っているのであれば,「褥瘡のラップ療法」を問題にする前に「皮膚科でのラップを使ったODT療法」を問題にすべきですし,皮膚科学会に文句を言うべきです。そういうこともせず,「褥瘡のラップ療法」なんてちっぽけな問題だけほじくるのは,理論的に間違っています。
 というわけで,「ラップけしからん」派の先生方は,まず皮膚科学会に「お前らの治療は間違っている」と喧嘩を売るべきです。そういう勇気ある先生のみ,「褥瘡のラップ療法」に文句を言う資格があります。

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 日本褥瘡学会から公開質問状への返事をいただきました。丁寧な回答のように見えて,その内容を読むと今後も杜撰な学会運営を続けるぞ,学会に参加しても講演会場には入れなくてもそれは自分たちの責任じゃないぞ,金はきちんと取るぞ,たかが学会員がグダグダ文句を言うんじゃないよ,と明瞭に書かれています。要するに,これからも日本褥瘡学会はボッタクリを続けるからよろしくね,ということです。慇懃無礼とはこういう文章のことを言います。
 こんな杜撰な回答を寄越すのは,学会側は学会員を舐めきっているからなんだよ。おとなしい羊だから何しても文句が出ないと考えているからなんだよ。こいつら(=日本褥瘡学会)は最初から学会員をペテンにかけようとしているんだぜ。これで怒りを感じないとしたら,皆様,人が良すぎます。

 ま,いずれにしても,日本褥瘡学会は「今後もまともな学会運営をするつもりはない」と正式に回答を寄越してくださいました。それが判っただけでも一歩前進です。そして同時にこの学会は,学会参加者を単なる金づるとしてしか見ていないことも明白になりました。

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 朝日新聞社のサイトに面白い記事があった。「未滅菌ガーゼを手術に使用,265人に 岡山大病院」
 要するに,本来なら消化器外科や婦人科の手術の腹腔内手術に使用するガーゼは滅菌でなければいけないのに,手違いで未滅菌ガーゼを使っていた,ということらしい。265人に対して未滅菌ガーゼを使用したが感染は起きていないと言うことだ。
 ここで,「大学病院ともあろうものがそんな初歩的なミスをするなんてけしからん! 猛省せよ!」と考えるのが常識ある態度なんだろうが,265例で感染なし,という数字はすごいと思わないだろうか。これって通常の手術の術後感染率より低くないだろうか。

 ここは一つ岡山大学は,同じ時期に滅菌ガーゼを使用した手術の術後感染率も発表して欲しいが,恐らく,違いはないはずだ。それなら「腹腔内手術における滅菌ガーゼと未滅菌ガーゼ使用での術後感染率に差はない」という画期的な論文になるはずだ。既にアメリカなどでは「救急室での創縫合において滅菌手袋と未滅菌手袋での縫合では創感染率に違いはない」という論文が出ている。この二つを組み合わせれば,「無菌操作で術後創感染が防げているわけではない」という結果になるではないか。そちらの方が,余程,世のため,人のためじゃないかと思う。

 何しろ,滅菌物を作るために使用されるコストと人手は馬鹿にならないのである。それを日本全国でしているわけである。ところが,その努力で感染率は誤差範囲内だったとすれば,している必要はなくなり,日本全体では莫大なコスト削減になるはずだ。一つ一つは小額だが,何しろ日本の全ての病院でしているため,合計ではとんでもない金額になっていると思われる。医療費抑制効果,抜群である。
 岡山大学では是非,この方面の研究を進めて欲しいと思う。

 要するに,製品化された滅菌前ガーゼに感染起炎菌が付着するタイミングはいつか,ということである。この時,「細菌はそこらにウヨウヨしていて,滅菌していないガーゼはバイキンだらけだ」と考えてはいけないということである。滅菌していないものは不潔で細菌汚染されている,と考えるのは間違っているのだ。

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 日本褥瘡学会の参加者から「学会だと思って参加したら,実はぼったくりバーだった」という声が上がっています(1万円払ったのに会場にすら入れてもらえない),主催者側からするとこんなに美味しい商売はないですね。狭い会場に5000人も集めやがって,と文句を言うのは少数の医者だけで,大多数は看護協会にたてつくなんてそんな恐ろしい,と考えている従順で素直で物言わぬ看護師さんです。
 となれば,一人1万円で5000人参加だからこれで5000万円! 企業展示のメーカーやランチョンセミナーなどのメーカーからはそれぞれ一口100万くらい(もっと多いかな?)。それに学会プログラムに宣伝を載せる製薬メーカーなどからは広告掲載料。
 それに対し,はなから5000人を入れるつもりなんてないから,会場は狭くて安いところでいい。今回の大宮の会場使用料はネットで調べられますが,何千万もかからずに借りられることが判ります。
 というわけで,ぼろ儲け状態じゃないですか。美味しい商売ですよ。

 医者の学会でこんなことをやったら「金返せ!」と騒ぎになりますが,おとなしい看護師さんが主体だから,恐れるものはありません。いくらでもぼったくれます。
 褥瘡学会参加者は学会側から馬鹿にされてんですよ。何やったって文句もいわない連中だと思って,ぼったくってるのですよ。そういうのをおかしいと言わないから,連中,つけあがっているんだよ。君たちを舐めてかかっているんだよ。どんないい加減な運営をしたって会場参加者が増える一方だから,って,たかをくくっているんだよ・・・この連中を騙すのは赤子の手を捻るより簡単だってね。
 いやはや,ぼったくりビジネスの典型を見る思いがします。

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 映画の感想を書いていますが,それについて「原作の小説を読まずに映画を批評するのはおかしい」というお叱りをいただくことがよくあります。もっともな意見に思えますが,これはちょっとおかしいと思っています。映画は映画,原作は原作だからです。このあたりは,原曲とアレンジの関係と同じです。
 小説を元にしてくつられた映画には4種類しかありません。
  1. 小説に忠実ではないが面白い映画
  2. 小説に忠実ではなく詰まらない映画
  3. 小説に忠実で面白い映画
  4. 小説に忠実で詰まらない映画
これだけです。

 要するに,原作に忠実だろうと原作を無視だろうと,映画として面白ければ成功だし,いくら原作に忠実だろうと詰まらない映画は駄作です。映画は映画として単体で完成されていなければ意味がありません。ちなみに,上記の4つの分類をバッハの編曲で言うと次のようになります。
  1. 原作には忠実でないが編曲としては大傑作:グレインジャー編曲の「羊は安らかに草を食み」
  2. 原作には忠実でないが編曲としては凡庸:ブゾーニ編曲の「シャコンヌ」
  3. 原曲に忠実で編曲としても空前の傑作:ブゾーニ編曲の「聖アンのフーガ」
  4. 原作に忠実だがピアノ曲としては全くの駄作:リストのバッハ編曲のすべて

 回りくどくなりましたが,映画は映画として評価すべきだし,原作の知識なしに楽しめるものが良い映画です。原作を読まなければ訳がわからない映画なんて最悪です(例:クリムゾン・リバー)。映画を作るなら,原作を知らない人でも十分に楽しめ,十分に理解できる映画を作るべきです。

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 日曜日の昼のNHKニュースを見ていたら,「献血の血液の中に,採血時に細菌が混入することがあるため,今後は,採血開始直後の血液は使用しないことになりそう」というニュースが流れていました。どうも,輸血に使用した血液中に黄色ブドウ球菌が含まれていて,それで死亡例があったことを受け止めての対処のようです。
 もちろん,採血する場合には皮膚は消毒薬でしっかりと消毒してから採血しているわけですから,消毒薬による皮膚の消毒は万全ではない,ということでしょう。このような採血時の細菌混入を100%防ごうと思ったら,採血する部位の皮膚を切開して,脂肪層から血管を刺せば皮膚常在菌の混入はなくなりますが,それでは献血をする人はいなくなります。逆に言えば,皮膚を消毒してから採血する方法を採る限り,細菌混入の危険性はゼロにならないということなのでしょう。そしてそれをゼロにしようと思ったら,皮膚をはぎ取ってから採血するとか,皮膚を切ってから採血するか,いずれかしか方法はなく,どちらも非現実的です。
 感染制御にはバランス感覚が必要だと思います。

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 最近,飲み会でウケた話。

  • 「先生,今度の演奏会で私自身が作曲した曲を弾きたいんですが,よろしいでしょうか?」
  • 「その曲は以前,弾いている人がいるかね?」
  • 「いいえ,いません。私が先週完成させた曲だからです。誰もまだ弾いていない新しい曲です。」
  • 「他の人が弾いていない曲なんて,エビデンスがないじゃないか。エビデンスがない曲を演奏することは許されない。」



  • 「このお酒,うまいでしょう? 誰も知らない酒なんですよ。でもうまいんですよ。先生,どうですか? この味わい,先生ならどう表現なさるでしょうか?」
  • 「この酒の味わいかね? 以前のこの酒についての評価はどうなのかね?」
  • 「評価ですか? 探してみましたが見つかりません。だからこそ,まぼろしの酒なんですよ。でもこの味わい,銘酒に負けていないと思いますが,いかがでしょうか?」
  • 「以前の鑑定家の評価がないのか? それじゃ駄目だな。この酒がうまいかどうかを評価するためには,昔の鑑定家の評価が必要だよ。エビデンスがないじゃないか。」

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 従来「創感染・術後創感染」とされてきたものにはさまざまな原因のものが混在していて,それらが一緒くたに「術後創感染」とまとめられていたと思います。原因も病態も違っているものを「術後創感染」という一つのカテゴリーで捉え,対策をとっているのが現在の医学です。だから,術後創感染の対策はどれもこれも,焦点がぼやけた総花的なものになってしまい,それをいくら厳密に実践したとしても,創感染はほとんど減らないはずです。これはCDCの「SSI対策」の指針でも同様です。
 術後創感染(SSI)対策には次のような思考が必要なはずです。
  1. 感染起炎菌は内因菌なのか,外来菌なのか
    • 内因菌(常在菌)
    • 外来菌
  2. 感染起炎菌はいったいどこから来るのか
    • 環境(病室,手術室)からか
    • 医師・看護師の手などからか
    • 血行性(菌血症)
  3. 術後創感染にはどのようなパターンがあるのか
    • 感染先行型
    • 壊死先行型・創離開先行型
    • その他
  4. 感染起炎菌はどこで増殖したのか
 たとえば,感染起炎菌が内因菌(常在菌)の場合,予防対策としての「環境の清浄化,医師・看護師の手洗い励行,清潔操作の徹底」をしても意味がないし,壊死先行型・創離開先行型の場合には手術操作を徹底的に見直すことから始めなければ術後創感染は減りません。

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 昨日(30日)の昼頃,松本の街を歩いていたら,和太鼓の音が聞こえてきました。太鼓祭り(?)とかいうのをやっていたようです。ちょっと聞いていたのですが,すぐに飽きちゃいました。リズムが単調すぎるんですね。いろいろな和太鼓があるようですが,音楽的にはずっとズンドコズンドコというリズムが延々と続くだけで,リズムが変わるところがありません。音色も単調で,たまに鐘(というのかな?)の音とかも加わるのですがリズムそのものは単調です。
 要するにこれは,踊るための伴奏であって,演奏を聞かせるものではないような気がします。最近はビジュアル方面を工夫した和太鼓パフォーマンスもあるようですが,肝心の音楽が単調ではちょっと無理があるような気がします。
 どうやら,私の脳味噌は単純なものは好きなんですが,単調なものは好まないようです。

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 そして,移動の間にちょっと読んでいるのが,秘密結社の世界史 (平凡社新書)。ピタゴラス教団(結社),死海文書,カタリ派,テンプル騎士団,薔薇十字団などから,KKK,ナチス,マフィア,カルト教団にいたるさまざまな秘密結社を時代の変遷を軸に説明しています。
 まだ真ん中くらいまでしか読んでいませんが,ヨーロッパ近代の社会に広まった薔薇十字団の秘密と秘儀への興味が,グーテンベルグの活版印刷と関連があった,という説明は面白かったです。要するに,誰も知らない秘密は秘密ではなく,世間に広く「そこに秘密があるらしい」と知れ渡ってこそ秘密である,ということです。実際,印刷技術の普及に足並みをそろえ,薔薇十字団についての研究書がどんどん出版され,噂話を憶測でまとめただけの本がたくさん出版されたとか。しかし,ひとたび薔薇十字団に入ろうと思って関係者を自称する人物に接触を図ると,なぜか蜃気楼の如く手がかりが消えてしまったそうです。
 噂ばかりで実体がない,という意味では人面犬,ツチノコ,UFOみたいなものでしょうか?
 実態がよくわからないからこそ,薔薇十字団にはそれまでにありとあらゆる秘密教団が結び付けられ,薔薇十字団はアダムが作ったとか,キリストは結婚していてその息子が薔薇十字団に関連があったとか,,ありとあらゆるデマの温床になったとか・・・。

 ちなみに,現代のカルトの特徴として,次の5項目が挙げられていた。
  1. カリスマ的リーダーがいて,神よりもリーダーが信者をひきつけている。
  2. 若者をひきつける仕掛けや秘密で入会を誘う。入会したらリーダーへの絶対服従が課せられ,全財産を没収されるといったことは明かされない。
  3. 入会の儀式は非常に速く,反省するひまを与えない。帰って親に相談したりする余裕を与えない。
  4. いったん入ると,抜けるのは困難である。脱会しようとすると,精神的,肉体的な処罰を与える。
  5. 信者から集めた資金の運営は極めて秘密にされる。リーダーはそれを自由に浪費し,ぜいたくに使う。
 実に巧妙なシステムである。そしてまた最近,カルト教団とその犠牲者が明らかになったようだが,そのシステムはこの5項目がそっくりそのまま当てはまるようだ。

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 一昨日,市民向け講座で湿潤治療の講演をしましたが,質問コーナーで「お化粧を落とす際はどういう注意が必要でしょうか?」という質問を受けました。さすがに「想定外」の質問でしたが,そもそも化粧とは肌にとってどういう現象なのか,という風に考えると面白いですね。
 〔化粧をしなければいけない〕⇒〔化粧を落とさないといけない〕と考えると,皮膚にとっては化粧そのものは汚れになるでしょうから,それを落とすとしたら界面活性剤が必要になり・・・ということになります。

 しかし,冷静になって考えると,化粧というのは文化なんですね。これは要するに,江戸時代の人たちがチョンマゲを結っていたのと同じ。江戸時代の人たちは「なぜ自分たちはチョンマゲを結っているんだろう?」とは思わなかったはずです。チョンマゲを結う文化で暮らしていたからです。だからチョンマゲを結うことに対する疑問は生じません。
 ところが,明治維新になり,次第にチョンマゲを結わない人がでてくると,「ところで俺たち,何でチョンマゲを結っていたんだっけ?」という疑問が生じ,チョンマゲを結わなくても生きていけることに気がつき,チョンマゲって面倒なだけで意味がないんじゃないのか,ということになり,やがて誰も結わなくなりました。

 多分それと同じで,現在は「女性は化粧をするもの」という文化の真っ只中なんで誰も化粧をすることに疑問を持たないけれど,文化が変わってしまうと「何で今まで,化粧なんて面倒なことをしていたんだっけ?」ということになるかもしれません。

 と,ここまで書いて,「傷は消毒」,「カテーテル刺入部はまず消毒」,「手術執刀前にはまず消毒」というのも単なる「文化」ではないかということに気がつきます。なんだかもっともらしい理由付けはされているけれど,本当に消毒が必要かと理論的に問われると,「昔からそう決まっているじゃないか」と答えるしかなくなってしまうからです。

 というわけで,「消毒=チョンマゲ」理論の出来上がり!

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 細菌に対する消毒薬の殺菌効果に関する論文のデータを見ていて気がついたのだが,そのほとんどは細菌浮遊液に消毒薬を作用させて調べたもののようだが,これは明らかにおかしい。食塩水に入れただけで「生きているが培養できない状態(VBNC)」に変化する細菌があるし(例:大腸菌),消毒薬というストレスを受けると細菌はVBNCに変化して培養できなくなるが,それと「細菌が死んだ」状態とは無関係だからである。
 「褥創創面の消毒には細菌数を減らす効果があるから有効」といっておられる褥創治療の専門家の先生方もいらっしゃるが,この先生方はもしかして,VBNCと死んだ細菌を混同しているのではないだろうか・・・というより,VBNCということをご存知なのだろうか。

 いずれにしても,細菌と消毒,創感染と消毒に関するあらゆる既存の実験データは,根本から見直すべきではないだろうか。

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 今読んでいるのが『共生という生き方 −微生物がもたらす進化の潮流−』(ウェイクフォード,シュプリンガー・フェアラーク東京)。まだ最初の部分しか読んでいませんが,面白いですよ。
 特に,微生物学の父,ルイ・パスツールが「バクテリア=病原菌」と考えたことが諸悪の根源ではなかったのか,という指摘が面白かった。
 パスツールはバクテリアを,恐ろしい病気をもたらす悪の権化と考え,人間の病気や不健康の原因はバクテリアだと考えていた。また彼は,政治的には保守派であり,彼は大衆 −革命時に王を殺し,貴族に対して恐怖政治をそそのかした− を恐れていた。彼は,平和を破壊した大衆をバクテリアになぞらえた文章をかなり残しているらしい。

 ・・・ってことは,パスツールは実験手技に関しては比類なき研究者にして開拓者だったけれど,単なる不潔恐怖症,強迫神経症だったんじゃないか? パスツールと同時代の学者には「病気の発生には栄養状態とか居住環境とか,そっちの方の影響が大きいと思うんだけど・・・」との疑問(もちろんこちらの方が正しい)に対し,パスツールは「病気の原因はバクテリアに決まっている」と頑としてはねつけた,というあたりも,強迫神経症くさいな。
 パスツールの呪縛から細菌学が決別したのが20世紀後半。しかし,医学界ではいまだにパスツールの呪いにかかった状態で「創感染」とか「感染症」とか「院内感染対策」を考えているのではないだろうか?

 そういえば日本にも,どう見ても不潔恐怖症,強迫神経症としか思えない「院内感染対策の専門家」がいますよね? パスツールの遺伝子を受け継いでいるんだな。

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 雑誌「サイゾー」5月号でライターの山形浩生さんが面白いことを書いていた。安楽死と人工呼吸器の問題である。その文章を一部引用させていただく。
 「その患者たちは,もう回復の見込みはなく,機械に生かされているだけの状態だった。だったらもうその人たちの生の可能性は尽きている。その人たちがこの世でできることはもう終わっている。(中略)
 ある人は(中略)自然に死ぬのを待つのが正しいという。でもそれを言うなら,その人たちの生は,もはや自然ではなかったということも考えるべきだろう。(中略)だから,その自然な死というのも自然じゃない。機械による補助を乗り越えて,さらに頑張って死ななくてはならないわけだ。(中略)機械がつけたハンデを乗り越えて自然死よりさらに数段徹底して死んで見せないと死ねないことになる」
 まさに正論だと思う。頑張らないと死なないんだよね,機械が死ぬのを邪魔するから。

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 熱傷治療に関連してですが,「エクスドライはどうでしょうか?」という質問を時々いただきます。熱傷治療用に販売されている治療材料ですが,これは使っていけない材料だと思っています。これは熱傷創面の浸出液を吸収して乾燥されることを目的に開発されています。そのため,創面は乾燥し,治癒が遅れます。おまけにすごく痛いです。
 私は以前,エクスドライを使ったことがあります。熱傷に被覆材を使用し,2週間以上になったためにエクスドライに切り替えてみました。ところが,患者さんから「これは痛いから止めてほしい。剥がすときに痛くてたまらない」と文句を言われました。そこで,被覆材はもう使えないので窮余の策として食品包装用ラップ(サランラップ)で創面を覆ってみたところ,全く痛みがなくなり,しかも被覆材と同等の治療効果でした。これが現在の「ラップを使った熱傷治療」の始まりでした。
 この「エクスドライは非常に痛い」というのは,使用したすべての患者さんが訴えていますので,恐らく普遍的現象と思われます。
 というわけで,エクスドライの使用はお勧めできません。熱傷で痛いというのは異常事態ですから・・・。この商品を熱傷に使うのであれば,「創面を被覆材(ハイドロサイトなど)かラップで覆い,漏れ出てくる浸出液を吸収する」という目的でしょう。これなら,この商品の優れた吸収能力が100%生かされます。

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 三輪書店の『さらば消毒とガーゼ』の読者カードの中に,次のような感想が書かれていました。
発想のヒントがここに! わたしの本棚は,私も読みたいと思っております。 湿潤治療には反省させられる点が多くあります。私も明日といわず,今日より参考にしたいと思っており実行してみます。(81歳,医師)
 81歳と高齢にもかかわらず,新しい治療理論に興味を持つ知的好奇心,それを理解し受け入れる柔軟さ,そしてそれを実践してみようという前向きの姿勢に感動してしまいました。「消毒しない,乾かさない」と聞いただけで治療にアレルギー反応を起こして拒否する医師が少なくないというのに,この81歳の先生はすごいです。
 人間,死ぬまで勉強だ,とはよく言われますが,まさにそのお手本ですね。こういう素敵なじいちゃんになりたいものです。

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 鳥谷部先生と日本褥瘡学会との争い(もちろん,理は鳥谷部先生にあり,日本褥瘡学会側は論理を欠いている)を傍目で見ていると「専門家ほど考えを変えられない・変えない・変えたくない」という構図がよく見えてくる。
 ラップだろうが穴あきポリ袋だろうが,それまで褥瘡治療に携わったことがない人ほど受け入れて実践するのが容易だしその効果を認めるのに心理的障壁がない。「やってみたら効果があるし,簡単だし,ラップだろうとポリ袋だろうといいんじゃないの?」と,屈託なく受け入れられる。
 難しいのは「褥瘡専門家」である。それまで褥瘡治療を学び,極めてきたという自負があり,それまでに覚えてきた方法がベストだという確信がある。今更,その方法はダメだといわれたら,それまでの自分の人生を否定されてしまう。だからこういう人たちは,全力を挙げてラップ療法を否定しにかかり,重箱の隅をつつくようなしょうもない反論をするか,権威を振り回して頭ごなしに否定しようとしている。ラップ治療に治療効果があるかどうかなんて問題ないのである。否定することが目的になっているらしい。

 これまでの医学の歴史を見ているとわかるが,新しいものを受け入れられないのは専門家と呼ばれる人たちだったことがよくわかる。「傷が化膿するのは治癒の正常過程だ」という説に最後までしがみついたのは当時最高の病理学者だったし,麻酔が開発された時に,「患者の悲鳴が聞こえないのはおかしい」という理由で否定したのは,当時の外科学の最前線にいた名医たちだった。逆に,「痛くないならいいじゃないか」と麻酔法をすぐに受け入れたのは,外科の名医でない医者たちだった。
 要するに,専門家といわれる医者はその分野の常識が正しいときには名医だったが,常識が変わるとその変化に抗し,否定する側に回っていたわけだ。既得権益を守る,ってやつだな・・・多分。

 こういう構図はもちろん,褥瘡治療に限ったものではなく,さまざまな医学の分野にあるんだろうな。治療法を守ることが目的になり,いつしか,患者の健康のために治療をする,という基本を忘れちゃう。
 「治療法を守り,患者を守らない」医者にならないよう,気をつけようっと。

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 アメリカ在住のジャーナリスト,町山智浩氏のエッセイ(サイゾー4月号)によると,以下のベストセラーはすべてでっち上げ,インチキ本であることが確認されているそうです。いずれも感動本に分類されるものだけにその嘘は悪質です。

  • 『"It" と呼ばれた子』(デイヴ・ペルザー)
     著者のデイヴが実母から受けた虐待をありのままに書いた,という触れ込みの感動本で,日本でもかなり売れた本ですが,2000年に「New York Times」がデイヴの弟を取材し,全て嘘であることが判明しています。

  • 『サラ,神に背いた少年』『サラ,いつわりの祈り』(J. T. リロイ)
     7歳の頃から実母に男娼をさせられていた少年の回想記,という触れ込みの感動本らしいですが,実は30代女性が自分で書いた架空小説をノンフィクションとして売り込んだもの。今年1月の「New York」誌がすっぱ抜いています。

  • 『リトル・トリー』(フォレスト・カーター)
     これはチェロキーインディアンのリトル・トリーが祖父から教えてもらったことなどを書いたもので,1976年に出版され,翻訳は現在でも売れている本ですが,作者はインディアンでもなんでもない白人で,おまけにKKKのメンバーにして過激な人種差別主義者であることが暴かれています。もちろん内容はデタラメで,先住民族をネタに金儲けをしただけの本。

 町山さんも指摘していますが,アメリカでも日本でも,同じ内容でも「小説」だと売れないのに,「ノンフィクション」となると売れるんだそうです。最後の本なんかは,本当はたいしたことが書かれていないのに,「インディアンの祖父が私に教えてくれた叡智」なんてレッテルが貼られていれば,陳腐なことも深遠で哲学的な内容に思えてきますから,詐欺師のねらい目としては見事といえましょう。

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 青年海外協力隊としてチリの診療所で看護師として働いている,という方から,とても嬉しいメールをいただきました。
 チリではなぜか静脈鬱滞性の下腿潰瘍が多く,その多くが未治療で,10年以上にわたって大きな潰瘍に悩まされつつも治療を最初から諦めている人が多いそうです。そして,潰瘍があるために入浴もできず,恐ろしく汚い状態の患者さんばかりだったそうです。
 そこで,まず傷と一緒に足を洗うことから始め,足のマッサージの方法を教え,そして潰瘍をラップで包む方法を指導したそうですが,傷が劇的に小さくなり(写真が送られてきましたが,本当に良くなっています),QOLが格段に向上したそうです。しかもラップはチリでも売られていて入手も容易とのこと。チリの田舎でも売られているそうですから,多くの発展途上国でも同様の治療が可能でしょうし,飲み水とラップさえあれば始められるこの治療は,まさにそのような国々の人たち向きかもしれません。ラップが高かったら,洗って再使用するのも簡単ですから,日本から1巻持ち込めば,100人くらい治療できそうです。

 ちなみに彼女は,私のサイトから「傷の話」をダウンロードして,それをスペイン語に翻訳している最中だそうです。頑張ってください。

 こメールに添付された患者さんの写真を見ると,傷も最初は治りたくて治りたくて,ウズウズしていたんじゃないかと思います。でも,治る力は持っていてもその力を発揮できる環境じゃないから,いじけてしまって10年以上経ってしまった。ところがある日突然突然,ラップを巻いてもらって傷が潤い始めたもんだから14年間の鬱憤を晴らすように一挙に治っちゃった。
そんな様子を思い浮かべてしまいました。

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 医学雑誌,とくに毎月学会から送られてくる学会雑誌,活用していますか?
 私は,全国学会への事前申し込みとか認定医更新のお知らせとか,そういう情報のために購読しているようなもので,中身はほとんど読んでいない(何しろここ数年,形成外科の仕事を全くしていないし・・・)。そのため,年の始めに昨年1年分の雑誌をまとめてゴミ箱に捨てることになる。価値がほとんどないからである。
 なぜかというと,索引も目次もない本は,本ではないからだ。いくら学会雑誌をきれいに本棚に並べていたとしても,そのままでは必要な情報を引き出せないからである。これが海外雑誌ならPubMedで検索できるが,日本国内の医学雑誌を対象とした無料検索サービスは現在のところまだないため,情報を簡単に引き出せないようになっていて,活用しようがないのだ。
 これが商業医学雑誌なら背表紙に「特集・抗生剤使用に関するガイドライン」などと書いてあるからまだ利用のしようがあるが,学会雑誌にはそれすらないわけで,情報源としては価値はほとんどない。

 こう書くと,「興味を持ちそうな論文に付箋でも付けておけばいいんじゃない」と反論される人もいると思うが,これも意味がない。「興味のある論文」とはあくまでもその時点での興味であって,時間がたてば「興味の対象」はどんどん変化していくものだ。「将来の興味の中心」を現時点で予想することは細木数子さんでも不可能である。つまり,論文の中身全てが検索できなければ,そこにいくら素晴らしいことが書かれていても,それを将来活用することはできないのだ。

 それならいっそ,学会雑誌の論文なんてインターネットで公開したらいいのではないだろうか。そうすれば,Googleなどで簡単に検索できるし,より多くの人に読んでもらえるはずだ。学会雑誌だって,ゴミに出されるくらいならネットの上で検索・引用される方が幸せではないだろうか。
 どうせ医学論文なんて他の文献の引用に次ぐ引用である。オリジナルの部分がほとんど書かれていない論文だって日本では珍しくないはずだ。医学論文は他の論文からのコピー&ペーストで成り立っているのだから,最初から引用に便利なようにネットに公開しちゃえば手間が省けていいぞ。

 こんなことを書くと,著作権はどうなるんだ,という話になる。そこで,医学論文を書いている全ての医者に問いたいのだが,あなた自身の著作権を守るのが大事なのだろうか,それとも,多くの人にその論文を読んでもらい引用してもらう方が大事だろうか。
 私なら絶対に後者である。どうせ大したことを書いているわけでもないし,著作権を主張するほどの内容でもない。こんなものでよければ,いくらでもコピー&ペースとして欲しいとさえ思っている。読まれずに埋もれるくらいなら,私の著作権なんて守ってもらわなくていいから,無断コピーが出回って欲しい。そして多くの人に読んで欲しい。
 さらに言えば,医学雑誌のほとんどは書店で売れるより,定期購読の方が圧倒的に多い。この点が一般の雑誌,一般書籍と異なっている。一般書籍は長い期間に渡って少しずつ売れるが(短期間に爆発的に売れたらベストセラーだ),医学雑誌は翌月以降になったらほとんど売れないはずだ(特集号はまた別だろうが)。要するに,一般書籍は長期戦,医学雑誌は短期決戦であり,両者は売れ方が違っている。
 まして,学会雑誌は書店で売られることはない。学会の会員にならなければ手に取ることも読むこともできない。つまり,どんなに立派な内容の論文であっても,それは所詮,「死んだ論文」なのである。

 この論文を生き返らせるのがネット公開だと思う。そうすればネット検索に必ず引っかかるし,何ヶ月後でも何年後でも読んでもらえ,引用してもらえる可能性が出てくる。このように考えると,発売から数ヶ月を経過した医学雑誌(特に学会雑誌)の内容をネットで配信することは,著作者や出版社の利益を本当に損なうものなのだろうかと思う。
 少なくとも学会雑誌のネット公開に限れば,従来の著作権とはバッティングするかもしれないが,著作者の利益は全く損なわれないのではないだろうか。

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 先日,雑誌「インフェクションコントロール」の悪口(というか,単なる正直な印象ですね)を書きましたが,この雑誌の出版元,メディカ出版主催のセミナーに勉強のために参加したのはいいけれど,あまりのひどさに呆れ果てたというメールを頂きました。CDCのガイドラインをそのまま復唱するだけの講師がいて,しかもその講演の中で矛盾していることを喋っていたそうです。そこで,「どちらが正しいのですか?」と質問したところ,「ガイドライン制定は別部門なので」とかいって逃げ,さらに質問すると,訳の判らない言い訳でお茶を濁したそうな。
 質問にろくに答えられない講師がする講演って,なんでしょうか? しかもこの講演,有料なんですぜ。こりゃ,詐欺ですね。こういう有料セミナーを開催するのであれば,あらゆる質問に答えられる人に講演させるべきだし,それが最低限のルールでしょう。要するに,メディカ出版社はその最低限のルールさえ知らない出版社だと断言せざるをえません。
 同社はこれからも院内感染のセミナーを開くでしょうが,参加するのは金をドブに捨てるような物です。人の言うことを鵜呑みにするのが得意な人,人に騙されるのが趣味の人,金をドブに捨てるのが好きな人,他人の言葉に疑いや疑問を持ったことがない人以外にはお勧めできません

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 「病院感染対策の専門誌」と銘打った雑誌が【インフェクションコントロール】(メディカ出版)である。以前は面白い論文が載っていたため,定期購読していたが,ここ数年間のあまりの内容のひどさに,ついに定期購読を中止することにした。この雑誌は医学雑誌でなく,宗教雑誌だからである。
 CDCガイドラインという教えをどれだけ正確に記憶しているかを競い合っている連中が集っているだけのお馬鹿雑誌に成り下がってしまったようだ。この雑誌に投稿しようとすると,「私はCDCガイドラインを心のそこから信じています。CDCガイドラインに反することは一字一句書きません」という誓約書(=踏み絵)を書かせているんだろうな。多分,カルト宗教もこんな感じなんでしょう。
 3月号は奇しくも『EBMに基づいた創感染対策 −手術創・褥瘡を中心に−』という特集になっているが,どれもこれもCDCを引用するばかりで,何一つとして科学的議論はない。ただひたすら,CDCの教えを書き写すだけである。これじゃ,医学論文でなく写経である。暇だったら,一つ一つの論文の矛盾点,非論理的な部分を指摘するところである。何しろ突っ込みどころ満載のお笑い雑誌なのである。

 そういえば,この特集のタイトルは笑っちゃいます。『EBMに基づいた創感染対策 −手術創・褥瘡を中心に−』を英語にしてみましょう。どうなるでしょうか。
 A Guideline Based Evidence-Based Medicine・・・??
 えーと・・・,"Based"が二つ重なっていますけど・・・。こういう英語表現って,あるんでしょうか? 英語圏の医者が見たらプッと噴き出すはずです。この特集に論文を書いた先生たち,このタイトルのおかしさに気がつかなかったんでしょうか? 一人くらい,気がついてもよかったと思いますけど・・・。
 私にこの雑誌から投稿依頼がくることは金輪際ないと思いますが,もしも間違って依頼が来たら,「こういう馬鹿なタイトルの特集に論文を書くほど落ちぶれていねぇやい!」って啖呵を切ってやるんだけどな。

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 『人類はなぜ戦争を繰り返すのか』(大澤正道,日本文芸者パンドラ新書)を読む。太古からのさまざまな戦争の諸相を一つ一つ取り上げ,それがなぜ起こったのか,どのようにして終結したのかを解き明かす力作である。

 たとえば,大東亜戦争は自衛戦争なのか,侵略戦争なのか。本書は,どちらでもあると言い切る。侵攻したほうは自衛のために仕方なかったというし,侵攻されたほうから言えば侵略された戦争だと捉える。立場が違うから当然である。立場が違うから戦争になったのだから当然である。立場も利害も一致していたら,そもそも戦争になりようがない。
 そして,物事には必ず両面がある。太平洋戦争に日本を引きずり込んだのはアメリカだった。もちろん,自国の利益のためだ。だが,当時のアメリカ大統領は戦争に参戦しないことを公約にして当選した人物だった。だが彼の本音は参戦だった。そのためには,アメリカ国内に「戦争やむなし」という国民感情を掻き立てる必要があった。当初,ヨーロッパでの戦争への参戦を考えていて何度もドイツを挑発したが,ドイツはそれに乗ってこなかった。そこで矛先を太平洋に向けた。まんまとその挑発に乗ってきた国があった。かくして,真珠湾攻撃。唯一のアメリカの誤算は,被害が思ったより大きかったことだけだったらしい。
 ちなみに,日本の参戦に脅威を感じたのはヒトラーだったらしい。アーリア人至上主義を唱える彼にとって,サルに等しい有色人種がアーリア人に打撃を与えた真珠湾攻撃は由々しき事態だった。

 宗教戦争は「自分たちが絶対に正しい」と考える側が仕掛ける戦争だ。だから,その宗教を信じない連中は悪であり,その宗教を広める(=押し付ける)ことが絶対の正義であり,宗教を信じない連中を殺すことは彼らを天国に導く正しい行為となる。
 経済戦争と宗教戦争の最大の違いは妥協点の有無である。19世紀までの戦争は基本的に前者だったが,20世紀に入り,宗教戦争が続くことになった。「民主主義が正しい」という宗教,「共産主義を広め,世界を平和にする」という宗教,そして「自由な世界を作る」という宗教である。つまり,第一次大戦,第二次大戦は,これらの宗教を信じる勢力が仕掛けた,宗教戦争だった。だから彼らは,それを信じない勢力を殲滅し地上から抹殺するために,おのれの神のために,妥協点のない戦争を戦った。
 宗教戦争の特徴は「善か悪か」という善悪二元論で世界を切り分ける点にある。「世の中には他の神もいるんだよ」という立場は許されず,中立するものを「悪に加担する邪教」と切り捨てるのが特徴だ。

 その結果,宗教戦争を仕掛けた側が勝ってしまった。勝った方は「だから自分たちの神が正しかっただろう」と考えた。神のために戦うことは正しいという立場が唯一の正義になった。そういう体制を作ってしまったのが戦勝国だ。
 「宗教戦争は正義だ,宗教戦争に参加しないのは悪だ」という価値観は,さらなる宗教戦争を生み出した。それが20世紀後半からずっと続き,今日も続いている。神のための戦争だから,途中で妥協することは許されない。「世界に民主主義と自由をもたらすまで,テロとの戦いをやめるわけにはいかない」という信念の元に宗教戦争を一方的に仕掛けてくる宗教指導者がいるのは,そういうことなのだ。

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 一昨日,外来で「小さな大仕事」をした。縫合糸膿瘍の原因となっている縫合糸の除去である。患者さんは4年前に急性虫垂炎で手術を受けた後,1年に数回,縫合糸膿瘍と思われる腹壁膿瘍を繰り返していた。今回は昨年の暮れに何度目かの「爆発」があり,切開とドレナージで治療していたが,なかなか傷が浅くなってくれない。
 膿瘍口の大きさは1センチほどだが,ゾンデで探ると深さは6センチ以上ある。これまでの経過から考えてその最深部に筋膜縫合などの糸があることはほぼ間違いない。だから,それを除去するためには最低でも皮膚を6センチ切開しなければいけないが,問題はゾンデが手術の傷跡とは全く異なる方向に向いていることだ。つまり,「傷のない皮膚」を切開することになるのである。手術瘢痕を切開するのは気が楽だが,傷がない皮膚を切開するのはためらってしまう。
 だが,この状態でドレナージを続けていても埒があかないことは明らかだ。少なくとも,今,口を広げなければドレナージも十分にできないなってしまう。

 というわけで,局所麻酔下に入口部を2センチほど切開を広げた。この時点ではまだ,膿瘍形成の根元である縫合糸探しをするかどうか迷っていた。腹部の脂肪の厚さも結構あるのも面倒だし,第一,切開したところで縫合糸が見つけられるという保証もない。むしろ確率的には,糸が見つからない(見つけられない)可能性の方が高いだろう。切開したけれど糸は見つけられなかった,という状況だけは絶対に避けたい。
 しかし,広げた切開口から瘻孔の深部を探っても縫合糸らしきものは全く触れない。

 ここで10秒考えた末,切開を広げて原因を探ろうと決断。決めてしまえば早いのが外科医である。皮膚切開を一気に伸ばし,厚い脂肪を切開し,瘻孔壁を切開。探ること30秒ほどで,太い絹糸を発見し,切除! 嬉しかったですね。

 こういう症例に悩んでいる医者は少なくないと思う。特に,下部消化管の緊急手術後に創部膿瘍を繰り返すことは珍しくない。原因はほとんど縫合糸であり,これを除去しない限り膿瘍を繰り返すことになる。だが,今回のように「傷一つない皮膚」の下に瘻孔が続いている場合,切開するかどうかはかなり迷うはずだ。今回は幸いにして縫合糸が黒くて太かったので見つけやすかったが,細くて白くて柔らかい縫合糸だったら,それを見つけるのはかなり困難なはずだ。今回はたまたま見つかったようなものである。

 同様の術後の反復する膿瘍症例には今後もぶつかるだろうが,そのたびに切開するかどうかを悩むんだろうな。

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 以前から,ユダヤ教の聖典「旧約聖書」は単なるユダヤ民族の神話をまとめただけのもので,神話なんだから,世界中の民族が持っているそれぞれの神話と似たり寄ったり,どっこいどっこいです。目くそ鼻くそ程度の違いしかありません。ユダヤの神話もイヌイットの神話も,同じくらいに尊くて,同じくらいに馬鹿馬鹿しい。
 神話は神話なのに,神話を事実だと言い張っている民族の方がおかしいのであって,それを宗教にしてしまったことが一神教のそもそもの間違い,世界の不幸の始まりなのです。旧約聖書の記述を真実として信じるのは,日本人が古事記を聖典として信じてヤマタノオロチの骨の化石を発掘しようとするようなものです。
 同様に,何かと言うと「詩篇」の言葉を引用するのは,古事記の一節をことあるごとに引用するのと同じ。詩篇や黙示録の一節は格好良くって,深みがある言葉のように見えますが,アイヌの神話にも似たような言葉があったりします。人間が頭で作ったものですから,似てくるんでしょう。

 どの神話が正しくて,どの神話は正しくない,なんてことはないの。どうせどの神話も法螺が半分,願望が半分なんですから・・・。
 旧約聖書を含め,世界各地に残る神話にはある共通点があります。神様の系図か,支配者までの系図で必ず始まっている点です。家計図を見せびらかして,「どうだ! 参ったか。俺たちはこんなにすごい歴史を持っているんだぞ。お前らとは違うんだぞ」と他の民族に見せびらかすために,とりあえず神様とか王様(支配者)の家系図を作っちゃう。何しろ系図(家系図)ってやつは,一番偽造しやすい文書ですからね。だから,神話の冒頭に書かれている長々とした系図の部分を見ると,人間の発想って昔も今もあまり変わっていないな,と微笑ましくなっちゃいます。

 ま,単なる思いつきなんで,本気にしないでね。

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 昨日の続きだが,医学情報,医学知識の正しさはどうしたら証明できるか,ということが根本的な問題なのである。「RCT(randomized control trial)で証明されたから正しい」というのが大多数の医療者の常識だが,これを医学以外の科学界で主張したら「お前,馬鹿じゃないの?」と,呆れられるのが関の山だろう。

 最近,『医学は科学でない』というようなタイトルの新書が出版された。医学では医者のさじ加減がとても重要だし,第六感もとても大切だ。そんなこと,現場で働いている医者なら誰だって知っている。誰もでも知っている暗黙の了解事項だから,誰も声高に言っていないだけだ。なぜ,こういう安易なタイトルの本をわざわざ書いたんだろうか?
 「人体はブラックボックスなのだから何が起こるかはわからないので,数を集めてRCTしなければ何もわからない」,「個々の患者の個別性を無視できない」という考えと,「医学は科学でなく芸術なのだから,RCTのような科学的手法でエビデンスを集めても意味がない」というのは180度違っているように見えるが,実は同じ穴のムジナである。

 私は,医学は科学の一員たろうとして努力すべきだと思う。科学の一員であるためにどのようにしたらいいかを模索し続けるべきだと思う。RCTのような多数決で決着をつける非科学的手段に頼るのも,昔の論文に論拠を求める逆立ち論理(EBMともいう)に頼るのも,そろそろ止めていいのではないかと思う。そうでなければいつまでたっても,医学は科学界の笑いものである。

 では,医学的正しさはどのようにして証明されるべきか。それは,基礎科学の知識(真理)と,それらを基にした演繹的思考しかないと思っている。
 なぜ,基礎科学の知識をベースにするかと言えば,それらの間違いはすぐにばれるからである。だから私は,基礎科学の知識を立脚点においている。しかも,基礎科学の真理は宇宙不変の真理であり,これは人体においても成立している。だから,基礎科学で証明されたものを医学で否定することは不可能だ。

 もしもあなたが医療関係者だったら,あなたが根拠としている医学論文を虚心坦懐に読んで欲しい。そこに,論文の著者自身による証明が書かれているかどうかを,もう一度確認して欲しい。恐らく,あなたが手に取った論文の99%以上は,「○○の論文に書かれていたように」と,過去の論文を引用し,それで証明したかのように書いてあるはずだ。
 過去の論文に書かれているなら,わざわざ新しい論文を書く必要はないと思うがどうだろうか。

 他人が書いた論文は正しい,という性善説を前提に引用するのはおかしくないだろうか。他人に書いた論文を引用して,自説の正しさを証明すると言うシステムは論理的に間違っていないだろうか。「それを支持する論文が多いから正しい」というのは,「だってみんなも万引きしているじゃないか」と開き直るのと基本的に同じではないだろうか。

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 元日の夕方,NHKのテレビ番組を見ていたら,「科学実験先生」として有名な米村でんじろうさんと,ある小学生の交流の様子が描かれていた。米村さんの紙コップを使った手作り蓄音機をその小学生が自力で作り上げると言う内容だったが,小学生が何度作り直しても,工夫に工夫を重ねても音がならないのである。なんと半年間,この小学生は来る日も来る日も蓄音機と悪戦苦闘するのだ。
 そこで米村先生に,自分の蓄音機のどこが悪いのか教えて欲しいと手紙を出すんだけど,米村先生は答えを教えず,その代わりに自作の蓄音機の心臓部分を送るのだ。「これを見て,工夫してごらん。ガンバレ!」という蓄音機に録音した声を添えて・・・。

 それを参考に,ありとあらゆる工夫を重ねるが,それでも音は鳴らない。でも,その小学生は蓄音機作りを止めようとはしないし,泣き言を言わない。音が鳴らないのは自分の考えが足りないためだ,自分がどこかで間違っているからだ。だから彼は,親に泣きつかず,答えを教えてくれない米村先生を恨まず,答えを誰かに教えてもらおうともせず,蓄音機に一人で立ち向かい,自分ひとりで解決しようとする。

 そしてある日,その蓄音機からついにかすかな音が聞こえてくる。その音を母親にも確認してもらう。それまで黙った見守っていた母親がかすかな音を聞いて息子を抱きしめ,泣き出す。息子も泣いている。最高に格好いい涙だ。
 科学っていいな,科学ってそういうもんだよな,と見ている胸が熱くなった。愚直だけれど,これが本物の科学実験であり,科学の原点だと思う。米村先生に「ここはこうしたらいいんだよ」と教えられて音が鳴ったって,彼もお母さんもちっとも嬉しくなかったはずだ。

 翻って,日本の医者と看護師さん,あまりに安易に,他人に答えを教えてもらおうとしていないだろうか。
  • 「気管切開部のガーゼは必要ですか?」
  • 「胸腔ドレーン刺入部のドレッシングはどうしたらいいのでしょうか?」
  • 「採血をする前の消毒は必要でしょうか?」
  • 「CVカテーテルについてはホームページを読んで理解しましたが,静脈留置カテーテルの場合はどうでしょうか? 人工透析のチューブはどうでしょうか?」
などなど,わからないことは誰かに聞けばいい,どこかに答えを知っている人がいるはずだから,その人から教えてもらえばいい,と考えているからこういう質問するのだろう。ひどいのになると,「それについて書いてある論文を教えてください。教科書を教えてください」と質問してくる。自分で論文を探すのも面倒くさいらしい。手抜きにもほどがある。

 自分の頭で考える,という過程をすっ飛ばして,疑問にぶつかったら脊髄反射の如く質問する。これではいつまでたっても進歩はないし,常に他人の意見任せである。
 それに第一,私が嘘をついたり,間違った知識を持っていてそれを教えたらどうするつもりなのだろうか。私が教えた論文に間違いが書いてある可能性については考えなくていいのだろうか。
 誰が正しいのか,どれが正しいのかは,誰が教えてくれると言うのだろうか。どこかの偉い人が判断するのだろうか,みんなで合議して多数決で決めればいいのだろうか,厚生労働省が判断してくれるのだろうか,CDCが判断してくれるのだろうか。
 他人に判断を委ねるということはつまり,そういうことである。「戦争に行けと言われたので戦争に行きます」というのと,なんら変わりはない。

 誰の力も借りず,自分の頭脳だけで蓄音機を作り上げた上記の小学生に比べると,なんと安易な幼稚な大人ばかりなのだろうか。医者と看護師はいつから,自分の頭で考えることを止めてしまったのだろうか。何か疑問にぶつかったとき,その答えを考えるのは他の誰かの仕事で,自分はその答えを教えてもらうだけでいいと思っているのだろうか。これでは,疑問を持つたびに「これ何?」と尋ねる幼児と変わらない。

 随分嫌味な書き方になってしまったが,実際,私のところに寄せられる質問の多くは,こういう脊髄反射的質問が大多数である。同じ質問をするのでも,自分はこう考えるがどうだろうか,という質問ならこちらも一生懸命に答えようという気になるが,まるっきり考えていない質問に答えるのは,もううんざりである。そんなに自分の脳味噌を働かせずに休ませておきたいのか?

 以前紹介した
「戦争学」の本に,「常に『なぜ』を自問しない者は,どんなに勉強しようとも怠け者だ。頭脳は過去の記録の博物館でもなければ,現在のがらくた置き場でもない。将来の問題についての研究所なのだ」とあった。まさに至言である。

 素人の方からの素朴な質問・疑問なら大歓迎である。時間の許す限り答えるつもりである。しかし,あなたが医療の専門家だったら,質問する前に自分で考えて欲しい。その問題について自分はどう考え,何を私に尋ねたいのかをまとめ,その上で質問して欲しい。医療関係者からの脊髄反射的質問には,逆質問の形式で回答しますので,よろしく。

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 EBM (Evidence-Based-Medicine) についての批判をずっと書いている。EBMは全能でもなければ万能でもない。EBMとは要するに商品テストである。既に製品化された商品の比較をしているのに過ぎない。要するに,「医学版 暮らしの手帳」である。
 このため,EBMを100年続けても,新しい治療は一つも生まれない。EBMの根本発想が後ろ向きなのだから,それが限界である。だから,EBMオンリーになったとき,医学は進歩を止めてしまう。EBMしか認めないと言うのは,医学の自殺行為である。
 いろいろなところで講演すると,EBM信者と思われる先生からの,「この講演で示された新しい考えが正しいかどうかは,エビデンスがあるかどうかで判断する必要があると思います」なんて発言が必ずある。どうやらこういう先生方は,「新しい発想にエビデンスはない」と言うことが理解できないようだ。「新しい考えにエビデンスがあるかどうか」という言葉自体が矛盾していることに,なぜ気がつかないのだろうか。

 エビデンスなんて所詮は他人の書いた論文である。投稿したのは半年以上前だろうし,実験をしたのはさらにその数ヶ月前だ。論文として掲載された時点ですでに,賞味期限が切れている可能性が高い
 要するに今はEBMバブルなのである。恐らく,あと20年もしたら,「昔は何かあるとエビデンスは?,エビデンスは? って,バカみたいだったね」と笑い話になっていてほしいと思っている。でなければ,医学の進歩は止まってしまうと思う。

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 傷ができて,そこに細菌が定着するのは,水たまりができるとそこにアメンボが住み着くのと似ている。水たまりにアメンボが登場するためには次の2つの条件が必要である。
  • アメンボの飛翔距離以内の場所に池や沼がある。
  • その池にアメンボが生息している。
 この条件があれば,水たまりにアメンボが登場することになる。
 ここで重要なのは,水たまりができる前にその場所に生息していた生物(アリやダンゴムシなど)が水たまりで生息するわけでない,ということである。アリやダンゴムシは水中や水面で暮らせないから当たり前だ。

 これと同じで,皮膚に傷ができたときに創面に登場する細菌は普段皮膚に定着している表皮ブドウ球菌でなく,皮膚のどこかに棲んでいて湿った条件を好む細菌なのである。人体の場合は,恐らく黄色ブドウ球菌だ。そして,抗生物質を投与すれば黄色ブドウ球菌の中でMRSAがセレクトされ,やがてMRSA単独の細菌叢となる。

 さて,上記の「水たまりのアメンボ」の運命はどうなるだろうか。もちろん,水たまりが干上がってしまった時点でアメンボはいなくなる(死ぬか,元の池に飛んで戻るかのどちらかだろうから)。アメンボは乾いた地面で生息する昆虫ではないから当然である。
 このアメンボと同様に,傷の面のMRSA(あるいは通常の黄色ブドウ球菌)は傷が治ればいなくなる。MRSAにしても黄色ブドウ球菌にしても,乾いている皮膚で生息できる細菌ではないからだ。だから,傷が治って湿潤でなくなると黄色ブドウ球菌もMRSAもいなくなるのだ。

 では,アメンボ(=MRSA)のいる水たまり(=傷)で,アメンボを一掃する方法とは何だろうか。正解は水たまりをなくすことである。水たまりがなければアメンボは生活できず,新たな生活の場所を求めて移動するか,死ぬしかない。
 では,アメンボを殺す薬(=抗生剤,消毒薬)を水たまりに流すという方法はどうだろうか。多分,アメンボは死ぬだろうが,それらに耐性を持っている水生昆虫か微生物が登場するだろう。水たまりがあれば,そこには必ず生物が出現する。バクテリアも何もいない無生物状態の水たまりというのは,地球上ではあり得ないのだ。

 この例で明らかなように,水たまりをなくすこと(=傷を治すこと)と,アメンボ(=MRSAなどの細菌)を殺すことは無関係であり,アメンボを殺すことは傷の治療に何の解決にもなっていないことは明らかである。さらに付け加えると,アメンボがいようとゲンゴロウがいようと水たまりが干上がる(=傷が治る)ことには無関係であり,水たまりが干上がる条件(=創傷治癒が進む条件)は気温と土壌の性質だけで決まっているのである。

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 週末ごとに新幹線や飛行機で長距離移動しているため,その間の暇つぶしは以前はもっぱら読書でしたが,最近は映画鑑賞です。テレビやDVDを録画できるハードディスクタイプのポータブルAVプレーヤー(MPM-201,もう製造中止だけど)でいろいろな映画(パニックものとかモンスターものが多いけど)を見ていますが,もう一度見たい映画ってほとんどないんですね。このあたりは,気に入ったら何度でも聞きたくなる音楽CDと全く違います。
 パソコンのハードディスクの中には,DivXファイルにした映画が100本ほど入っていて,アカデミー賞受賞の映画もたくさん見ましたが,繰り返して見たのは数えるほどしかありません。

 考えてみたら,クラシックの演奏会がテレビ放映されたものも録画していますが,繰り返し見たものはほとんどありません。神の如く尊敬しているホロヴィッツのホワイトハウスでの演奏の録画も,2度見ただけでした。ホロヴィッツのCDなら磨り減るほど聞いたのに。「画像付きの情報は飽きやすい」のでしょうか。

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 さて,今回の講演の最大の収穫は,『うまい英語で医学論文を書くコツ(医学書院)』などの著作で高名な植村研一先生(浜松医科大学名誉教授)と知遇を得たことです。今回,先生は「上手な学会発表の仕方」という内容で講演されていましたが,「英文論文にこういうタイトルをつけたら,読まれずにゴミ箱行きだ」,「こんなスライドは目が腐る,迷惑だから作るな」,「日本語をそのまま英訳するな」と具体例を挙げて一刀両断し,しかもユーモアにあふれた目が醒めるような講演でした。
 また,その前の私の講演を引き合いに出して,「マイクは左手でポインタは右手,スライドは7行以内,原稿を読まない,常に聴衆から視線をはずさない,話にメリハリをつける,と,あの講演は全ての面で合格ですね」とお褒めいただきました。お世辞半分としても,私が講演に込めているさまざまな工夫の全てに気が付かれておられました。その後の懇親会でも,「俺の本をあげるからさ,先生の本も送ってよ」とお声をかけていただきました。

 それにしても,私の講演以上にハイテンションの講演を聴いたのは初めてでした。2次会に移送するタクシーの車中で,「自分の前にあんなにテンションの高い講演をされちゃ,それよりテンションを下げるわけにいかないだろ。俺も頑張ったんだぜ」と話されていました。人間的にも魅力たっぷりの素晴らしい先生でした。

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 先日,盟友の鳥谷部先生から「医学における統計の意義」という文章を教えていただきました。出典は,かの『Lancet』。その巻頭(?)に書かれた文章とのことです。
After all, as Claude Bernard pointed out so elegantly some 150 years ago, we only need statistics when we do not understand the problem. Where there is complete understanding, statistics become unnecessary. Statistics sometimes seem to be used like a rather neat packaging of ignorance to provide an illusion of knowledge.
(Johannes Borgstein. The Lecture. The Lancet;2002:360:1708)
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140673602116485/fulltext
拙訳
結局,クロード・ベルナールが150年も前に指摘したように,私たちが統計学を必要とするのは,理解できない問題に直面したときだけだ。もしもその問題の本質が完全にわかっているのであれば,統計は不要である。本質を理解できないことを,さもわかったように感じさせてくれるもの,それが統計である。
 胸のすく文章です。痛快,爽快,明快です。

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 講演をすると,その後は質疑応答となります。ここでいろいろな質問を受けるのですが,気になるのは,質疑応答が終わり,講演が終わってから「質問なんですが・・・」と聞いてくる人が必ずいらっしゃることです。一応,質問には答えるようにしますが,こちらは本番の講演後の質疑応答を全力で質問に答えているのですから(質疑応答での質問に全てその場で明確に答えるのはとても大変です。どういう質問が出るかわからず,前もって回答を用意することができないから・・・),これはルール違反じゃないかと思います。少なくとも私は極めて不愉快な気分になります。
 よく,みんなの前で質問するのが恥ずかしいから,という人がいますが,これは質問者の都合であって,回答を求められる側のことを全く考慮していません。だから回答者側は不愉快に感じるのです。質問があるなら,きちんとその場でするのが常識というものでしょう。
 質疑応答は質問するために準備された特別な時間なのですから,質問があるならその中で質問すべきですし,それが講演者に対する礼儀じゃないでしょうか。質疑応答の時間が短いなら仕方ないかもしれませんが,今回の野崎徳洲会病院では十分すぎるくらい時間をとっていましたし,しかも,「他に質問はありませんか?」と何度も念を押しました。それなのに,全て終わってから「私にだけ特別教えて下さい」というのは,虫が良すぎるような気がしますが,皆様,いかがお考えですか。
 今後は,このような礼儀知らずの質問に答えるのは止めようかと思っています。

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 全身麻酔が開発されたとき,それに反対した外科医が少なくなかった,という事実,ご存知ですか。その様子を描いている文章がどこかにあったはずと探していて,ついに見つけました。『外科学の歴史』(クロード・ダレーヌ,白水社文庫クセジュ,1988年刊行)です。現在も出版されているかどうかは不明ですので(多分,絶版だろうな),当時の様子を伝える部分を引用させていただきます。
 手術のあいだの苦痛を効果的になくすこと。これによって得られた進歩は,はかり知れないものであった。
 まず利益を受けたのは患者だった。もはや手術を恐れる必要がなくあったのだ。(中略)一方,外科医の受けた恩恵も大きなものであった。手術を落ち着いて静かに行うことができるようになった。(中略)
 しかし,習慣というものは簡単に変えられるものではない。(中略)ルリッシュは次のような逸話を語っている。リヨンの外科医ジャンスールは動かず意識もない男を前にして,いつものようにすばやく手術を施したが,日頃のダイナミックさはなかった。手術後,彼は,「麻酔は外科を滅ぼしてしまうだろう。外科医の気質もこれでおしまいだ」と語ったという。確かにこれは外科医の特性のうちのあるものに向けての弔辞だった。物に動ぜぬ気質,ルリッシュの言葉を借りれば「青銅で三重に覆ったような」たくましい気質も,患者の眠りの前にしてはもはや無用であった。
 要するに,無麻酔で下肢を切断される患者の悲鳴に臆することなく,心を動かされず,冷静に冷徹にメスを振るうことが外科医に必須であり,麻酔をかけて悲鳴が聞こえなくなると軟弱な外科医しかいなくなる,と嘆いたわけですね。

 そういえば,全麻による無痛分娩が始まった頃の1848年,ダブリンの産婆学校長として有名な人物が次のようにエーテル麻酔による分娩を攻撃したそうです(『外科の夜明け』 トールワルド,講談社文庫,1971年刊行)
 ダブリンでエーテルを産婆術に使用した人があろうなどとは信じられない。普通出産にエーテルを使用することに対する反感は,極めて濃厚である。全能者は −疑う余地もないことだが− 苦痛を分娩にふさわしいと考えているのに,これを,単に回避しようという目的でエーテルを用いることに対する反感である。
 これに対し,クロロフォルムによる無痛分娩を世界で初めて行ったシンプソンは,次のように反論したそうだ。
 ダブリンで乗り物に馬車を使用した人があろうなどとは信じられない。普通旅行する場合に馬車を使用することに対する反感は,極めて濃厚である。全能者は −疑う余地もないことだが− 疲労を歩行にふさわしいと考えているのに,これを単に回避しようというだけの目的で,馬車を使用することに対する反感である。
 ううむ,お見事!

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 「更新履歴を後からも読みたい」というメールを時々いただきます。とりあえず,9月分の更新履歴を別ファイルとして読めるようにしておこうかなと思います。
 そうなるとデザインを変えなきゃ駄目だな? ホームページ作成ソフトを一切使わず,エディタでタグを打ち込んでサイトを作っている私としてはちょっと面倒だったりして・・・。

 こういう話を書くと,「専用ソフトは楽でいいよ。機能も豊富だし使いやすいのに,なんで使わないの?」と不思議に思われると思いますが,何しろ9年前からインターネットサイトを作っているのですよ。9年前といえば専用ソフトがようやく市販され始めたばかりで,それがすごく使いにくく,しかもおかしなタグを入れる癖があったため使い物にならず,「それなら自分でタグを覚えちゃえ」とHTMLタグ辞典を購入して作り始めたのが最初です。もうこうなると,新しいソフトの使い方を勉強するほうが面倒になってしまいます。
 ま,高齢者が新しい機械を使えないのと同じですね。

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 それにつけても自民党の「チャイルド議員(しつこいようだが,小泉チルドレンとも言うらしいが)」先生たちの言動を見ていると,小泉首相の言うことを一言一句,正確に繰り返すことが唯一の正しいことだと考えていらっしゃるようだ。それなら,何も人間でなくてもオウムとか九官鳥が国会議員になってもいいような気がする。
 ・・・と書いていて,これって「CDCの仰るとおり,CDCではこうです」と,CDCのガイドラインをオウム返しに復唱することが唯一の院内感染対策と思っていらっしゃるらしい「院内感染対策専門医・専門看護師」と同じ構図であることに気がついた。人間テープレコーダー,人間ICレコーダーってとこでしょうか。

 政界や医学界でオウムや九官鳥ばかり増えているのは,やはり地球温暖化ってやつなんでしょうか?

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 そして大塚国際美術館へ。ご存知の通り,大塚製薬が作った美術館で,世界の名画1,074を原寸大の陶板に再現し,展示したものです。原画が極めて忠実に再現されていて,それはそれなりに面白かったです。
 しかし,興味のない絵ばかり見てもしょうがないと考え,ゴヤの一点指名でゴヤの展示室へ。ここは凄かったです。夢にまで見た「5月3日」,「5月2日」,「チンチョン公爵夫人」,「ボルドーのミルク売り娘」を見て舞い上がりましたが,それはまだ,「黒い絵」の前座に過ぎませんでした。
 さらにその奥の部屋には,あの「黒い絵」の全てがゴヤの暮らした家に飾られていたのと同じ順番で展示されているではありませんか。そして,最初の部屋に入った時,部屋の奥に飾られている「子供を喰らうサトゥルヌス」が目に入り,入り口で身動きができなくなりました。史上,最も衝撃的,最も恐ろしい絵です。本物でなく模造品だとわかっても恐ろしさに鳥肌が立ち,迫力と迫真性はその前から動くことを許さない力がありました。
 ゴヤの家の2階の寝室に飾られていた「殴り合い」,そして最後の「犬」。私にとって,ゴヤは別格の存在です。一度でいいから,プラド美術館に行って「黒い絵」の原画を見たいと心底思いました。

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 私が常に使っているMP3プレーヤーは "Rio Carbon", 移動の最中にDVDからコピーした映画を見ているのはポータブルAVプレーヤーの "NHJ MPM-201" というマシンです。残念なことに,最近相次いで両社とも,日本から撤退しました。
 MP3プレーヤーは技術的なハードルが低いため,最初に商品化して販売したのは小さなメーカーでした。どうしても携帯できない重さだったハードディスク型MP3プレーヤー, "Creative Jukebox" といった商品を経て次第に小型化され,次第に使いやすいものとなりました。現在使っているRio Carbonはサイズも重さもiPodより小さく,電源の持ちもiPodをはるかに凌ぐ高性能のものです。MP3ファイルのコピーもエクスプローラーで簡単にでき,専用ソフトも要りません。コピー回数は○回まで,なんて無粋なこともいいません。実に使いやすいものです。
 さまざまな韓国メーカーが実に魅力的な製品をどんどん出していたものです。

 しかし,これらの商品が売れるとなると,大きなメーカーが乗り出してきます。その先鞭をつけたのがアップルであり,それを追いかけているのがソニーやパナソニックなどです。これらの大企業が本気で参入してくれば,もう小さなメーカーが太刀打ちすることは難しくなります。現在ある「小さなメーカーのMP3プレーヤー」はいずれ消えていくのでしょう。

 しかし,私にとっては魅力的なマシンが次々に消えることと同じです。これらの大企業の製品はどれも,「著作権保護」にうるさく,ユーザーにとっては使い勝手の悪い商品ばかり作るからです。AVプレーヤーにしても,これらのメーカーが作ると「わが社のパソコンと連動して使ってね」というものになり,その他のメーカーのパソコンで作った動画ファイルをコピーしようとするととんでもなく面倒,なんてものがあったりします。
 その点,MPM-201は使いやすいのです。DVDを何の制限もなしにいきなりコピーでき,それをパソコンに持っていくことも自由です。そもそも「コピー制限」とか「著作権保護」なんて概念を持っていないマシンです。「自分が自分の金で買ったDVDを自分で買ったポータブルマシンで見たいだけなのに,何でそれが自由にできないの?」という普通の人が普通に持つであろう疑問に答えてくれる唯一のマシンです。しかしもうこのマシンは,市場に残っていません。そして将来的に,このMPM-201のような「いい加減な」マシンが出ることはないでしょう。

 Rio Carbonはまだ売られているようだし,いずれもう一個買っておこうと思います。しかしMPM-201はもう入手する手段はないも同然です。手に入るうちにもう一台買っておくべきでした。

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 ハリケーン「カトリーナ」によるアメリカの人的,物的被害は日を追うごとに増えているが,報道を見ていると「アメリカってこの程度の国なの?」という気がしてくる。世界一豊かな超大国って,こんなものなの?
 自然災害といっても,地震とハリケーンは全く違う。地震は突然やってくるが,ハリケーンはあらかじめ来るのがわかっているものだ。来るのが判っているならその被害を最小限に抑えられそうなものなのだが,なぜかアメリカはそういうことは考えていないようだ。ハリケーンが来て大被害が起き,それからいつも大騒ぎしていて,この面では全く学習能力を欠いているとしか思えない。

 アメリカは「自由」を国是として建国された。自由が最も尊いものだと考えている。だから他の国にも「(アメリカの考える)自由」を押し付けてくる。それが正しいことだと信じ込んでいる。
 だから,この国では貧乏になるのも自由,金持ちになるのも自由,災害にあうのも自由であり,それに国家が介入してはならないと考えている。
 アメリカ合衆国憲法には「国家は○○してはいけない」と,国に対する禁止事項ばかりが並んでいるという世界にもまれな憲法を持っている国だが,それは全てこの「自由」を尊ぶ精神かららしい。

 いくら世界一の金持ち国家であろうと,世界一の軍事国家であろうと,「自由」が保たれていようと,国民の生命や財産,健康を守れないのであれば,それはどこか間違っていないか。世界中に軍隊を派遣する前に,自国の人間をハリケーンから守るべきじゃないか。何しろハリケーンは来るのが何日も前からわかっているものなのだ。

 小泉首相とその取り巻き連中(平蔵君とか)も民主党も,アメリカ型の「小さな政府」を目指している。アメリカのような国のシステムにすることが正しいと思い込んでいる。
 これは果たして正しいのか? アメリカ型のシステムにするための「改革」って,本当の改革なのか? アメリカって手本にすべき本当に素晴らしい偉大な国家なのか?

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 「皮膚は生態系だ」と以前書きましたが,以来,ずっと考えているのは,「創面(肉芽面)も生態系ではないか」ということです。こう考えるようになった理由を順不同で列挙すると,
  1. 創面は温度・湿度などから見て絶好の細菌の居住環境である以上,それが無菌になることはありえない。消毒したり抗菌剤を投与しても,菌交代を起こすだけで,細菌そのものは必ず存在する。
  2. 「きれいな」肉芽で覆われている創面は滅多に感染しない。
  3. 上記のような肉芽では,細菌が存在していても治癒は早期に起こる。
  4. 創部痛などを訴える患者さんの肉芽を見ていると,白っぽかったり水っぽかったりしている。
  5. 過剰肉芽になって治癒が遅れているのを見ても,やはり肉芽は白っぽかったり水っぽかったりしている。
  6. となると,感染していない肉芽と感染している肉芽の違いは,間質の水分量などではないか。
  7. 恐らく,きれいな肉芽の表面には黄色ブドウ球菌を中心とする安定したフローラが形成されているのではないか。フローラとして安定していれば他の細菌の侵入を邪魔しているかも。
  8. 黄色ブドウ球菌には発育に最適の環境があり,多分「感染している肉芽」はその最適環境ではないのでは? だからフローラが不安定になり,他の細菌が進入する。これが感染?
  9. 創感染のコントロールとは細菌の除去ではなく,安定したフローラ,つまり適切な水分量に戻すことではないか?
  10. 過剰肉芽で上皮化がストップしているときにステロイド軟膏が著効を示すのは,水分調節をしているからかも。
  11. 「きれいな」肉芽は細菌が深部に侵入するのを防ぐ機構があるのかも。「水っぽい」肉芽はそれがないので感染するかも。

 現在,このあたりについて考えをまとめている最中です。

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