『パラドクスだらけの生命 DNA分子から人間社会まで』
を読んでいます。とは言っても,まとまった読書のための時間を取るのが難しいため,寝る前に10分,朝早起きして10分,という感じですこしずつ読み進めています。やはり面白いです。
そのなかで,ミツバチの針についての面白い命題がありました。ご存知のようにミツバチの針にはギザギザした「返し」があって一度刺すと抜けません
(つまり,釣り針と同じ構造)。しかもこの針は毒腺に繋がっていて毒腺の一部は消化管と強固に繋がっているようです。そのため,敵を刺したミツバチは針が抜けないため,無理に抜こうとすると毒腺と消化管の一部がくっついて抜けてしまい,ハチ本人は死んでしまいます。この「毒針の返し」に意味があるのか,と本書は問うています。
相手を攻撃するためなら,むしろ「返し」をなくして何度でも刺せるようにした方がはるかに相手に与えるダメージが大きいはずです。実際,スズメバチの針には「返し」がなく,何度刺してもハチ本人にはダメージはありません。つまり,ミツバチ本人自身にとって「毒針の返し」にメリットはありません。
また,たとえ「返し」があって毒腺も一緒に抜ける構造だとしても,それと消化管の結合を弱くして,消化管が犠牲にならないようにすればハチ本人は死ぬことはなく,刺した後も働き蜂として普通に働けるはずです。つまり,蜂の巣全体としてみても「毒針の返し」があることはメリットになっていない感じがします。
では,「毒針の返し」とは何なのか,その意味はあるのか,なぜミツバチは「返し」がない方向に進化しないのでしょうか。非常に面白い命題です。
また,幾つもの印象的な文章がありましたが,「民主主義は民主主義を否定する考えを否定も排除もできない」というのがありました。
少数意見を尊重するという民主主義の原則
(・・・タテマエとも言うが)がある限り,民主主義なんてやめて独裁政治にすべきだ,という考えは否定できないわけです。つまり,究極の選択として「民主主義が否定されても,民主主義の考えを貫かなければ民主主義とは言えない」という奇妙な矛盾が生じるわけです。実際,これにより,ナチス政党が「民主主義的に」選ばれたわけです。
本書では何度「コインの表と裏は全く別物のようだが,本質的に分離できない一体のものだ」という文章が出てきますが,それより科学的に正確な喩えは,「磁石のS極とN極は分離できない。磁石をどんなに小さく分割しても,S極だけの磁石にはならない。S極とN極は正反対だが分けられず,一体のものと言える」ではないかと思います。