『歴史とはなにか』 (岡田英弘,文春新書)


 これまでに読んだ歴史関連の本の中で,トップクラスの面白さだった。歴史とは何か,記録とは何か,歴史というのは学問なのか・・・といった,歴史と文明の本質を鋭く追求する超面白本であり,科学の本質に通じる深みがある。歴史に興味があろうがなかろうが,科学に携わる人に広く読まれていい本ではないかと思う。


 最近ずっと,医学とパラダイムの問題を考えているが,その本質は,物事を考える際に既成概念を取り除くことの難しさであり,「何となく正しいと信じてしまっていること」と「(科学的に)正しいこと」の区別を付けるのが難しいところにあると思う。これは歴史でも同様だろう。私たちが歴史書を読んだり歴史を題材にしたドラマや映画を見るときに,つい当たり前と思い込んでいる前提知識が幾つかあって,目を曇らせるのだ。例えば次のようなものだ。

 多かれ少なかれ,このような考え方をしているはずだ。だが,本書はその全てを否定する。歴史は物語であって科学ではない,歴史上の事件には因果関係なんてない,と断言するのだ。その見事な論証は,脳味噌に積もり積もったほこりを見事に吹き飛ばしてくれるはずだ。


 まず,歴史とは時間を巻き戻して過去の出来事を記述するものだが,問題なのは,時間に関する人間の認知に限界があることだ。つまり,人間は時間の進行を体感する方法を持っていない。時計を使わずに15分計れといわれたら,まずたいていの人はできないと思う。まして,2時間とか5時間を計るのは不可能だ。カレンダーに「忘年会」と書いてあれば,「ああ,そういえば12月9日に忘年会があったっけ」と思い出せるが,カレンダーにも手帳にも何も書いていなければ,1週間前の行動を思い出せといわれたら四苦八苦するだろう。余程印象的なイベントがあれば別だが,それ以外の記憶はすぐにあやふやになるはずだ。

 例えば,私も色々なところで講演するようになり,その時に,「どういうきっかけでこの治療をするようになったのか? それはいつ頃か?」と尋ねられることが多くなってきた。すると,研修医時代のエピソードとかを話すことにしているのだが,実はその頃の記憶が正しいかどうかは自信がない。いつ頃から消毒をしなくなったのかもよく覚えていない。なぜかというと,その頃の記録を残していないからだ。だから,何となく覚えていること(それだって本当にあったことか,単にあったと信じ込んでいるだけなのかは定かでない)を適当に並べて,あたかも実際にあった出来事のように説明するしかないのである。

 だがそれは,私にだけある現象でなく,歴史書・歴史上の資料でも同じなのだと本書は見事に説明している。


 公的性格を帯びた文書というのは本質的に,その時代の誰かに読んでもらうために書かれたものだろう。その誰かとは言うまでもなく時の権力者,支配者である。彼らに読んでもらわなければ,書いた意味がないからだ。「後世の人が過去を知るための資料として残すために文書を書く」奴なんて,一人もいないのである。

 それに気が付くと,意図を持って書かれた過去の歴史書や資料は,資料としては二級品であることが判る。一級品としての価値があるのは,家計簿とか請求書とか料金表といった,意図なく書き残された記録だけだろう。


 世界の二大歴史書といえば,司馬遷の『史記』とヘロドトスの『歴史』だ。歴史とはこういうものだ,という規範を作ったのはこの二人である。しかし,両者の歴史観は全く異なっている。なぜかというと,それぞれ書く目的が違っていたからだ。

 司馬遷が『史記』で書きたかったのはただ一つ,「武帝は正統である」という事である。この国には古代から多くの皇帝が帝位についたが,それは天命を受けた皇帝が付いたのであり「正統」である。武帝はその正統を受け継いでいるのだよ,ということを言うために,かの膨大な『史記』を書いたらしい。要するにこの書は「皇帝の正統の歴史」であって,中国の歴史ではないのである。中国国民の歴史なんて彼の意識にはないのである。

 ところが,この『史記』の歴史観がその後の中国人(この中国人という概念がいつ成立したかについても本書では詳しく取り上げている)の歴史に対する考えを決めてしまった。「正統だから帝位につき,正統という点では中国の歴史に変化はない」というのが,その後の中国の史書の大原則になってしまった。だから,その後に書かれた中国の正史は常に,「天下に変化はない」と書かなければいけなくなった。変化があったら正統ではなく,それは現皇帝を否定することになるからだ。そんな正史を書いたら,書いた本人はまず死罪である。死にたくないから,皇帝に喜んでもらえる正史を書くしかないのである。中国の正史とは「そういうもの」であり,事実を書き記したものは正史ではないのである。

 そこで,他の国から使者が来たら,「下っ端の国が貢ぎ物を持って拝謁に来た」と書くのである。皇帝が喜ぶからだ。ここで中国側は「下っ端の国(=属国)」と書くが,書かれた側は家来とも下っ端とも思っていないし,第一,自分の国が「中国の下っ端」とかかれていることすら知らないのである。

 さらに,貢ぎ物を持ってきた国が遠くであれば遠いほど,自分の威光がそこまで及んでいるのかと嬉しくなるので,書き手はつい大袈裟に書いてしまう,というのもある意味当たり前。。だから,国の位置をうんと遠くにあることにして書いてしまう。
 こういう書の一つが『魏志倭人伝』だ。だから,これをいくら詳細に分析しても邪馬台国の位置は判らない。だって,皇帝を喜ばせるために書いた文章だからだ。書いた張本人も,「これは正しいことを書いたものだ」なんて言ってないのである。


 一方のヘロドトスも自分の見方で『歴史』を書いた。彼は地中海文明の変遷をを書き記したが,その基本的な考えは「歴史は変化である,変化は対立・構想により起こる,ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だ」という3点に集約できる。対立,つまり戦争を記録するのがヘロドトスにとっての「歴史」なのである。このヘロドトスの歴史観がそのまま,ヨーロッパ文明の歴史観になってしまった。だから,私たちが学んだギリシャやローマ時代の歴史は戦争のことしか書いていないし,中世から近代までのヨーロッパの歴史も戦争主体の説明が続いている。だから,昔の人たちはのべつまくなしに戦争ばかりしていたんだ,野蛮だったんだな,と考えてしまう。

 要するに,「歴史」の源流とも言うべき『史記』と『歴史』は全く異なるのである。変化のないことが歴史だと言う考えと,変化がなければ歴史ではないという歴史観では一致点はまるっきりないのである。


 一方,我が国最古の歴史書といえば『日本書紀』だ(ちなみに本書では,『古事記』は平安初期に書かれたもので,しかも江戸時代に大きく手が加えられている偽書である,と断定している)。これはガチガチの「公文書」である以上,書いた目的がある。それは,「日本には中国の最初の皇帝が出現する前から天皇がいたんだぞ。その子孫が天武天皇なんだぞ。しかも,中国の皇帝には連続性がないが,日本の天皇は万世一系の血統で繋がっていて,はるかに正統なんだぞ。どうだ,まいったか」という対外的アピール,いわば宣言文なのである。だから,日本書紀の半分を占める神話の部分は日本民族の過去の歴史ではなく,現天武天皇の正統性と,天皇の君主権を説明するために加えられたものと見る方が自然なのだ。大体,文字もない古代の歴史が口伝だけで何百年も正確に伝えられると考える方が不自然なのである。

 ちなみに,何百年も口伝で古代の出来事が伝えられるのは不可能だと思う。その口伝内容を誰がチェックするのか,という問題が回避できないからだ。もちろん,口伝だけをする一族があったとしても,伝えるべき内容が正しく伝わっているかどうかのチェックは第三者がするしかないはずである。いくらその一族が「正しく伝えています」といっても,文字がない以上,口伝内容のチェックは第三者の記憶でするしかないのである。


 と,かなり長い紹介文になってしまったが,これでもこの本のごく一部を紹介しただけである。本書はもっともっと中身が濃いのである。

 例えば,インド文明が歴史を持たなかった理由,イスラム文明に歴史観が希薄な理由,アメリカがなぜあれほど独善的に「自由」を押しつけるのかという理由,マルクスの唯物的史観の背後にあるゾロアスター教の影響,中国政府が世界中の非難を浴びながらいつまでもチベットや内モンゴル自治区の迫害を止めない理由・・・などが,目から鱗が落ちるように判ってしまうのだ。なるほど,中国は「中国国境の中にいるのは中国人(=漢人)であるべきだ」と考えていたのか。

 あるいは,なぜナポレオン戦争以後,ヨーロッパ中に国民国家が次々生まれた理由もよく判るし,それ以前は国家とか国民という意識すらなかったというのも面白かった。要するに,国家とか国民というのは,「ある目的」のために人工的に作られたものだったのだ。そしてそれが,今日の国民国家に繋がるんだけど,現在のイラクの惨状を見ても判るとおり,「とにかく国という枠組みを作ろう」という目標自体が不自然であり,それが混乱の原因になっているようなのだ。

 要するに,国とか国民という仕組みに制度疲労がきているのである。


 いずれにしても,常識に凝り固まった固い頭を軟らかくしてくれる効果は抜群の本である。

 

(2007/02/07)

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