美容というパラダイム


 前回,「お化粧は肌に悪い」と書いたが,化粧とか美容品というのは,要するに河川の護岸工事と同じではないだろうか


 本来の皮膚とは他種類の皮膚常在菌が生存する生態系であり,人間は常在菌に栄養(=皮脂などの分泌物)と生育場所を提供し,その見返り(?)として常在菌は皮膚を弱酸性環境に維持して病原菌の侵入を防いでいる。

 一方,本来の河川というのは川岸に葦などの植物が生え,川底には苔などが生え,他種類の魚が泳ぎ,川岸近くには小魚や昆虫が棲み,それを狙って両生類や鳥も棲んでいる。多種多様な生育環境があり,そこに適応した他種類の生物が生息し,生態系というネットワークを形成している。だから,自然河川は皮膚に似ている。

 しかし,川岸の雑草が汚いという理由で川岸に除草剤を撒いて葦を刈り,護岸をコンクリートで固め,川底の苔で滑ると危険だと考えて苔をはぎ取ってコンクリートで固めるのが文化的だという考えがあった。その結果,河川を中心とした生態系は破壊され,多種多様な固有種は消えて少種類の生物と外来生物などに置き換わっていく。


 化粧とか美容品というのは,実は護岸工事をして葦を刈っているのと同じではないかと思う。「皮膚に付いた汚れとバイキンを洗い落として,化粧水をつけ,乳液とクリームで肌の状態を整え・・・」というを常識だと思っているから,女性は誰しも化粧をして美容品を買い求めているが,これはもしかしたら,生命豊かな森を切り開いて緑のペンキを塗って樹木の代わりにしているようなものではないだろうか。

 皮膚常在菌の生存に必要な皮脂を乳液とクリームに含まれる界面活性剤で溶かして除去し,その上で,常在菌が利用できない油分を補うのは,森の腐葉土を「ミミズや虫がいて気持ちが悪い」という理由ではぎ取り,ミミズや虫が住めないようにアスファルトを敷き詰めるのと,本質は同じだろう。


 ここまで来て初めて,なぜ人間は化粧をするのか,という命題に行き着く。あまりにも常識的な行為なので,なぜしているかといまさら問われても困ると思う。
 恐らく,もっとも原始的な化粧は呪術の手段だったはずだ。超自然的な力を得ようとして,恐ろしげな隈取りをしたりしたわけだろう。そして次第に「美容」という概念が加わっていただろうと思う。

 ここで問題は,「顔の肌を洗って何かを塗る」という行為の中には,「それは皮膚の健康にいいことなのか?」という発想が初めからなかったことである。その後,美容業界は様々な研究をして新商品を出しているが,それらを見ても,「皮膚には皮膚常在菌がいて,それが皮膚の健康を守り,ひいては人間の健康も守っている」という発想は皆無である。皮膚という組織のことを知らずに,皮膚に塗るものを売っているんじゃないだろうかと思う。


 このあたりは,腸内常在菌とはかなり違っていて,腸内常在菌はことあるごとに取り上げられ,ビフィズス菌のことを考えた食生活の重要性についても,一般の人もよく知っている。テレビコマーシャルなどで繰り返し繰り返し,「ビフィズス菌が大事だよ」と流されているからだ。

 このあたりが,存在すら顧みられない皮膚常在菌とは大違いだ。ビフィズス菌のように,「皮膚常在菌を健康に保って,本当の素肌美人になろう」なんて記事が「NONO」とか「ViVi」,「女性自身」あたりに載るようになったらいいのだが,そういう日は来るのだろうか。


 なぜ,美容のために化粧をするのか。それはパラダイムだからだ。「女性は美しくあらねばならないし,美しくあるべきだ」,「化粧で女性は美しくなれる」というパラダイムを皆で信じているからである。このパラダイムが成立する限り,美容業界も化粧品メーカーも安泰である。だから,次々とユーザーを獲得するためには教育が欠かせない。そのために,少女向け雑誌などを通じて化粧法と化粧品情報を載せて小さい頃からこの業界に取り込もうとするし,その試みは成功しているといえる。

 化粧が必要だという科学的証明はない。しかし,女性の誰もが化粧は必要だと思っている。だから化粧はパラダイムなのである。

 しかも,早い時期から化粧を始めてしまうと,「化粧をしない」という選択肢は頭から消えてしまうし,化粧で肌が荒れてしまえばスッピンの状態では外を歩けなくなるから,自動的に化粧品で荒れた肌を隠し続けることになる。要するにこのあたりは,覚醒剤と覚醒剤中毒患者の関係と同じである。

 化粧をするのはパラダイムだから,化粧は必須だと思って毎日しているのだろう。しかし,スッピンで歩くことが当たり前で化粧をするのは原始時代の人間と同じだよ,というのが常識になったら化粧業界は崩壊してしまう。だから,「化粧はパラダイムだ」というのがばれないように,化粧を常識とすべく,化粧業界は日々,努力しているわけだ。


 万一,化粧品で肌が荒れたとしても,「お客様に合わなかったようですね。ではこちらの商品を・・・」と薦めればいい。客も店も「化粧は必需品」というパラダイムを信じているから,化粧品で肌が荒れればそれを化粧品で修正しようとする。「化粧品を使わない」という選択枝がないからだ。

 この「化粧パラダイム」は強力だ。何しろ,パラダイム内部の住人の数はほぼ全ての女性,つまり人類の半分である。この人たち(=女性全て)が「化粧をしない方が肌の状態がよく,皮膚の老化も防げる」ということを誰かが言い始めても,それが世界中の女性に伝わることなんて,まず絶対にあり得ないだろう。パラダイムシフトを起こそうにもこれほど信者が多い場合には不可能ではないかと思われる。

(2007/03/13)

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