私の方法論


 講演会などで「話は理論的に理解できたけれど,本当に早く治っているのかどうか,あるいは消毒しない方が治癒が早いのか,実際の症例でのデータがないと信じられない。この考えをより広く普及させようとするのなら,最低でも100例程度の実際の症例での統計処理したデータが必要ではないか」と言う意見を頂くことがある。

 おっしゃっていることはよくわかるのだが,そういうやり方を否定して理論だてて証明する私のスタイル,そんなに理解できないのかな,とちょっと悲しくなってしまうが,この「最低でも症例100例を・・・」に対する考えを書いてみよう。


 私の2冊目の本『創傷治療の常識非常識』(三輪書店)の序文に書いているが,私の論の進め方は数学であり,思考実験である。これは正しいだろうという事実を公理と定め,その公理を元に論理的に演繹し,示された仮説が証明できればそれを定理とし,さらにそれを元に演繹し,新しい仮説を証明する,という幾何学とか数論などと基本的に同じ方法論を取っているつもりである。

 なぜ,このような方法論を採用しているかと言うと,従来からの臨床医学での証明法,すなわち,実際の症例で治療法を比較し,その結果を統計学的に処理してどちらの方法がより有効であるかを論証する,という方法が胡散臭くて嫌いだからである。


 例えば,傷の治癒について臨床実験してみるのを意味がないとは言わない。だが,外傷というやつは基本的に再現性がなく,一例ごとに異なっているのが特徴であるこれは「破壊現象」に共通の真理でああり,外傷が破壊現象である限り逃れられない宿命にある。そのため,擦過創と言っても深さは症例ごとに異なっているし,もともとの皮膚の厚さ(これは治癒に大きく関与する)だって症例ごと,部位ごとに異なっている。これを全く同じにして実験するなんて,机上の空論である。これらの要素を完全にマッチングさせて比較実験しようとしたら,5例集める事すら不可能である。

 もちろん,分層皮膚採皮創という「人工的な皮膚欠損創」を同一部位に作って実験することも可能だが,それにしたって,「もともとの患者の皮膚の厚さ」まで一致させるのは大変だ。それに大体,熱傷を湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)するようになってから,植皮になる症例がほとんどなくなり,分層採皮創すら私の診察室には存在しないのである。


 「外傷に再現性がなくても,同じような症例を見つけて実験し,統計処理すればいいだろう」という考えもあると思うが,この統計処理というやつがまた好きじゃない。何となく「数学的処理」をしているように見えて,実は騙そうとしている魂胆がミエミエなんだもの(・・・このあたりには偏見が満ち溢れています)


 だから私は敢えて,「公理から演繹して仮説を証明する」方式を取っている。これなら,公理が正しく演繹の方法が正しければ,仮説の証明も正しいと誰だって理解できるはずだ。これ以上に明確な証明法はないと思っているがどうだろうか。

 外傷(=破壊現象)では従来ながらの方法ではきちんとしたデータが取れないという事実を認めているからこそ,新しい証明方法を模索すべきだと考え,その結果として「数学的演繹法」に行きついただけの事である。

 「数学的,生物学的に証明されても,実際の人間を使ったデータがなければ信じられない」というのは,医学は科学ではないと言っているようなものだと思うが,いかがだろうか。


 もしも,私の証明している仮説に興味を持ち,なおかつ,従来通りに数百例の人間を使った比較対象実験をしないと意味がないと思われた人がいたら,どんどん実験して欲しい。実験のアイディアはいくらでもこのインターネットサイトに転がっているはずだし,アイディアなんて無断で使っても構いません。私は「断りなしに使いやがって」なんてケチな事は申しません。アイディアなんて皆で共有すべきものなんですから・・・

(2004/01/07)

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