《ハンニバル・ライジング》 (2007年,イギリス/チェコ/フランス/イタリア)


 ハンニバル・レクター,もちろんトマス・ハリスの小説とそれを基にした映画の主人公である。連続猟奇殺人の犯人にして食人鬼,バッハの「ゴールドベルク変奏曲」などの音楽とやルネサンス美術の愛好家,博識にして美食家・・・それがレクター博士だ。彼が最初に登場したのが『レッド・ドラゴン』,次いで名作と名高い『羊たちの沈黙』,そして『ハンニバル』があり,私は原作小説は全て読んできたし映画も見てきた。

 この《ハンニバル・ライジング》はそのレクター出生の秘密と,なぜ彼が稀代の殺人鬼になったのかの謎解きをする作品らしい。元になった小説はかなり前から出版されているが,私はまだ読んでいない。


 さて,今回の作品はどうだったか。かなり微妙といわざるを得ない。映像的には素晴らしく美しいし,単発のシリアル・キラー映画としてみれば及第点なのだが,これで《羊たちの沈黙》や《ハンニバル》のレクターの特異な性格を納得してくれといわれても,ちょっと困ってしまう。この映画のレクターは単なる復讐鬼であって,その後のレクターの犯罪とは結びつかないからである。


 まず,ストーリーをちょっと紹介。

 時代は第二次大戦中(原作では1952年と書かれているが,これでは時代背景があっていないような気がするが・・・),舞台はリトアニア。少年ハンニバルと幼い妹のミーシャは地域の領主である両親と一緒にレクター城で暮らしていたが,戦争のために山の別荘に移動した。そこでソ連軍とドイツ軍の戦闘に巻き込まれ両親を失ってしまう。二人は山荘に隠れていたが,そこに数人の軍人(?)が侵入し,彼らに囚われてしまう。そして食料が尽き,男たちは生きのびるためにミーシャを殺して食料にする。やがてハンニバルは救い出され,孤児収容所に入れられるが,そこはかつてのレクター城であった。そしてある事件があり,ハンニバルは収容所を脱出する。

 彼は叔父が暮らすパリを目指したが,既に叔父は死亡していて,彼の日本人の妻,ムラサキが一人で暮らしていた。屋敷に引き取られたレクターは,美しい未亡人ムラサキから日本文化と武士の作法を教えられ,剣道を学ぶ。そんなある日,市場でムラサキに卑猥な罵声を浴びせた肉屋の男に激怒し,森の中で彼に日本刀で切りかかり,首を切り落とす・・・かつて日本の武士がそうしてきたように・・・。

 レクターは医学生になったが,ミーシャを襲った凄惨な事件を片時も忘れてはいなかった。そして,リトアニアの山荘の廃墟に戻ったレクターはわずかな手がかりから,妹を殺して喰った男たちの名前を割り出し,まず一人を襲って他の男たちの居所を聞き出して殺す。レクターは一人,また一人と殺していくが,男たちも異変に気がつき,自分たちを狙っているのが誰かを知る。そしてムラサキが捕らえられ,レクターにムラサキを人質にした,という連絡が入る。そしてレクターは,約束の場所に向かっていった・・・というような内容だ。


 まず,いいところから。
 映像はこれまでのレクター・シリーズ(とりわけ第3作目の《ハンニバル》の雰囲気を受け継いでいて重厚にして華麗であり,ムラサキの屋敷の甲胄を照らすロウソクの光の加減などは本当に見事だと思う。また,東ヨーロッパとパリが舞台なだけに古きよき町並みは美しかった。

 若き日のレクターを演ずるのはギャスバー・ウリエルで,さすがにアンソニー・ホプキンスのような凄みには欠けるが,血だらけの顔でにやりと笑う顔は迫力があり,これはこれで適役だったと思う。

 またレクター・シリーズといえば凄惨な殺人シーンがふんだんにあることでも知られているが,今回の《ハンニバル・ライジング》はこれまでの3作に比べても残虐度では負けていないと思った。何度もレクターの脳裏に浮かぶ妹が殺されるシーン,人肉を食べるシーンなどは正視に耐えないという人が多いかもしれないし,レクターが肉屋を日本刀で切るシーンにしても,最後の方で敵の胸にナイフでMの文字(もちろんミーシャの頭文字だ)を刻んでいくシーンもかなりグロい。

 もちろん,レクターの殺し方も単調といえば単調で,その後の作品に見られるような芸術的なまでに華麗(?)なものではないが,若きレクターの処女作(?)ということでそこまで求めるのは酷だろう。

 また,「戦争中に起きた悲劇と,加害者たちへの復讐劇」という範疇の映画とすると,起承転結はしっかりしているし,120分映画としては上手にまとめていると思う。《レッド・ドラゴン》《羊たちの沈黙》と無関係だとすれば,これはこれで面白い映画だと思う。


 だが,問題もかなり多い。

 まず,この映画だけでは,私たちが知っているレクター誕生の秘密が納得できない点が最大の問題。この映画ではレクターは次々と人を殺すが,あくまでも復讐のための殺人であり,道徳的な問題を無視すれば理解できる範疇の犯行である。その点が,その後のレクターの快楽的連続殺人とはどうしても結びつかないのだ。つまり,この映画の殺人は普通に社会で起きている殺人であるのに対し,その後のレクターの殺人はまさにモンスターが人間をもてあそんだ結果としての殺人なのだ。私たちが知っているレクターが誕生するためには,さらに別の物語が必要になるのではないだろうか。

 さらに,その後のレクターといえば,恐るべき博識を持ち,言葉で他人を操る悪魔の頭脳を持つ男だが,そのあたりの描写はこの映画には一切なく,その意味でも稀代のモンスター,レクターに直接つながる手がかりを与えてくれない。

 また,レクターといえば食人であり,犠牲者の胸腺や肝臓を使って見事な料理を振舞うシーンが有名だ。もちろんこの映画でも,二人目の犠牲者の頬の肉を切り取ってキノコと一緒に串焼きにして食べるシーンがある。
 これはこれでいいのだが,これだけでは,なぜレクターが「人肉を食べる」ようになったのかの説明が一切ない。原作の小説ではこのあたりをどう説明しているかわからないが,やはりは丁寧に説明して欲しかった。


 さて,それ以上に大きな問題点はムラサキなる日本人女性を登場させたのに,その役を中国人俳優のコン・リーが演じていることだろう。リーは確かに知的な雰囲気を持った美しい女優だし(・・・鼻翼と鼻尖の形は好みじゃないけど),暗めの画面が多いこの映画ではまさに花が咲いたような美しさが映えている。だが,日本についての知識がいい加減なため,例えば彼女の衣装などは,日本人ならば違和感を感じるはず。

 なぜ彼女でなく日本の女優を使わなかったのだろうか。これが端役だったら文句を言わないが,ムラサキはこの映画のヒロインなのである。これではまるで,和食の名料理人が主人公という映画なので見に行ったら,主人公は中国料理しか作らなかった,というようなものである。

 また,何が何でも紫(ムラサキ)という名前はないだろうと思う。源氏物語じゃないんだから・・・。なぜトマス・ハリスはこんな絶対にありえない名前をつけたのだろうか。それと,レクターの刀の持ち方が滅茶苦茶。ここらも詰めが甘いなぁ。


 それもこれも,なぜ日本人女性を登場させたか,という問題に帰着する。それはムラサキから武士道(?)を学び,サムライの作法を学んだ,という設定が必要であり,レクターが首を切り落とす理由付けにしたいからだろう。それならそれでいいと思うが,肝腎の武士道とか侍の理解が根本から間違っているのだからおかしくなるのだ。

 要するに,カタカナの「フジヤマ,ゲイシャ,ハラキリ,サムライ」程度の知識で原作の小説が書かれ,この映画が作られたのではないだろうか。原作者のハリスは,「ブシドーとサムライを学んだからああいう殺人者になったんだよ」と説明できると思っていたんだろうが,日本人がこれを見たら笑い出すか怒り出すということには気がつかなかったようだ。

(2008/04/07)

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