《クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア》 (2002年,アメリカ)


 ヴァンパイア・レスタトといえば,トム・クルーズ主演のヴァンパイア映画の傑作,『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』ですが,この映画はそのレスタトの映画です。レスタトはトムじゃありませんが,負けず劣らず美しいタウンゼントが演じていて,ま,そのあたりは違和感は少ないです。ただし,ストーリー的には前作との関連性はゼロ・・・というか,レスタトを登場させた必然性が非常に弱いです。

 一つ一つのシーンは非常にきれいだし,完成度は高いのですが,一つの映画としてはムチャクチャな感じで,ストーリーがいろんな部分で破綻しています。ゴチャゴチャとしたエピソードの寄せ集めみたいな感じで,まとまりが非常に悪いです。要するに,豪華だけど詰めが甘いです。


 ストーリー的にはこんな感じ。
 ニューオリンズ(だったかな?)の棺の中で100年間眠っていたレスタトは,ハードロックの響きを聞き,それが新しい時代の王になる手段になると感じて目覚め,ロックバンドにヴォーカルとして参加します。彼はヴァンパイア・レスタトと名乗り,彼の魅力的な歌声で瞬く間にトップグループになります。しかし,自分がヴァンパイアであると正体と明かし,おまけに,ヴァンパイアの秘密を歌にし,さらに「お前たち,いつまで闇に潜んでいるんだ。さあ,出て来い」とヴァンパイアたちを挑発するんですね。そして,デスバレーでの野外コンサートを開催し,自分を殺しに来るヴァンパイアたちと対決しようと計画します。

 一方,マリウスに咬まれてヴァンパイアになった頃のレスタトは,マリウスの館の奥に安置されいる2体の石像を見つけその前でヴァイオリンを弾き,その音で女王の石像が目覚めて腕を動かすという事件(?)を起こし,その腕に咬みつきます。実はその女王は,全てのヴァンパイアの母にして,最も邪悪なアカーシャだったのです。アカーシャは古代エジプトの女王で王と一緒に国中の血を飲み尽くし,挙句の果てにヴァンパイアまで襲い始めたそうですが,石像になってずっと眠っていたらしいです。

 さらにこれに,もう一人の女性ジェシーが絡んできます。イギリスの超常現象研究機関の研究者で,レスタトの歌の歌詞に興味を持ち,そこにヴァンパイアが集う建物であることを見抜き,いろいろあった後,レスタトは彼女を愛するようになります。

 そして,デスバレーでのコンサートでレスタトの歌が最高潮に達したときにヴァンパイアたちが次々とレスタトに襲い掛かります。そしてその時,アカーシャが参戦。

 そのあと,アカーシャはともに世界を征服するためにレスタトを王にすべくある計画を持ちかけ,それを阻止するためにマリウス一派が立ち上がります。しかし無慈悲にして最強のヴァンパイアのアカーシャはあらゆる者をなぎ倒して行った・・・という感じになるしょうか。


 私は映画や小説の内容を簡略化して伝えるのが得意なほうだと自負しています。ですがこの映画の内容はうまくまとめられません。なぜかというと,各々のエピソードの間のつながりが悪く,ストーリーの展開に整合性がなく,脈絡がないからなんですね。

 例えば冒頭,レスタトがハードロックを聴いて目覚めるのはいいとしても,ロックスターを目指す理由が不明だし,ロックスターになる過程も説明不足。確かに,デスバレーでのコンサートのシーンはかなりの迫力なんですが,なんだかロックグループのプロモーションビデオを観ているような感じです。恐らく,「現代の王」=「ロックスター」という図式のつもりなんでしょうが,ちょっと短絡的過ぎません?


 アカーシャは最強・最凶のヴァンパイアにしてはそれほど強くないのもなんだかなぁ,という感じです。「ドラゴン・ボール」みたいな技を次々出すのはご愛嬌としても,あれで死んじゃうってのはちょっと拍子抜け。
 しかも,古代エジプトの女王という設定のため,白人ではなくアラブとかそっち系の女優さんなんですが,ヴァンパイアといえば幽鬼漂うような青白い顔,というのが基本設定なんですから,彼女の褐色系の肌は結構違和感があります。これも計算違いでしょう。そして何より,アカーシャがダイナマイトバディでないため,女王様役としては明らかに迫力不足。ちなみに,アカーシャ役の女優さんはこの映画が遺作となったそうですが,これが遺作というのもちょっと可哀想な気がします。

 女優さんで言うと,ヒロイン役のジェシーは目の醒めるような美人ではありません。超美形のレスタトが,なんでまたこんな垢抜けない女の子に恋するのかな,という違和感があります。どう見ても《インタビュー》のヒロイン役の10歳の女の子に負けているのがちょっと悲しいです。そういえば,ロックスターになったレスタトのところに,マネージャーがファンの女の子2人を連れてきて,レスタトの吸血の犠牲(=食料)になるシーンがありますが,この二人がどちらも美人に見えません(少なくとも私には)。世界的ロックスターなんですから,何もこんなのの血を吸わなくても,と気の毒になります。

 そうそう,アカーシャは100年だか200年前にレスタトによって目覚めたわけですが,例のロックコンサートの場に乱入するまで登場しないのも説明不足というか,脚本のミスでしょう。何しろこのアカーシャさん,エジプトの一つの国を滅ぼすくらい国民の血を吸いまくったのですから,目覚めたらすぐに吸血衝動に駆られているはずです。それなのに,なぜか200年間,おとなしくしています。その間,また眠っちゃったんでしょうか。ここらも説明不足ですね。


 そして何より,レスタトは一体何をしたかったのかも意味不明。ヴァンパイアの秘密をロックの歌詞に載せて暴露し,ヴァンパイアたちを挑発するわけですが,その目的は何だったのか,それがよくわかりませんし,映画の中でも説明されていません。不死の生活に飽きたため,死ぬために仲間たちに殺される道を選び,その死出の旅立ちの場としてコンサートを選んだ,という解釈も成り立ちますが,それだったらさっさと殺されればいいのに,レスタトは襲ってくるヴァンパイアたちを攻撃するのです。じゃあ,何でレスタト君はヴァンパイアたちを挑発したんでしょうか。

 それから,この映画の途中まではレスタトの独白,つまり一人称の視点で進みます。しかし,ロックコンサートのあたりから独白はなくなります。このあたりも,一つの作品としてみた時に統一感がなく,バラバラな印象を与える原因でしょう。


 と,ここまで考えてくると,この映画はなぜヴァンパイア映画なのかという必然性に乏しいことに気がつきます。確かに,マリウスによってバンパイアにされた当時のレスタトの回想部分は,まさに正統派のヴァンパイア映画なんですが,その後,女王様が登場したあたりから,日光に当たっても大丈夫になるとか,女王は人間もヴァンパイアの血も吸ってしまうなど,ヴァンパイア映画の設定をことごとく無視しまくり状態になります。ここまでくると,何でヴァンパイアなの,別にヴァンパイアでなくてもよかったのでは・・・という気になってきます。
 ロックコンサートでのヴァンパイア達とレスタトの決闘シーンにしてもごく普通のバトルでヴァンパイア同士の決闘ではないし,レスタトがロックスターになった過程でも,ヴァンパイアとしての特殊能力が発揮されたわけでもありません。このあたり,ヴァンパイア・レスタトというビッグネームを前面に押し出したのにヴァンパイア映画としての必然性に乏しいという根本的な問題があり,これは致命的欠点でしょう。

(2007/11/30)

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