《耳に残るは君の歌声 The Man Who Cried》 (2000年,イギリス/フランス)


 評価に困る映画である。感動的な題材を丁寧に描いた映画だし,何より音楽が重要なファクターとなっていて,本来なら私の好みにど真ん中のはずなんだが,何かいまいち感が強いのである。戦争とか宗教とか人種問題とか,そういう重い問題を真正面から真摯に描いていて,面白いとか面白くないとかいう評価をするのがはばかられるのだが,万人に受け入れられてしかも感動させる映画となるには,何かが決定的に欠けているような気がしてならないのだ。


 映画の舞台は第2次世界大戦前夜のヨーロッパ。主人公はロシアの貧しい村に住むフィゲレというユダヤ人の少女。母を亡くして父と祖母と暮らしていたが,生活のために父親は「いつかお前を呼び寄せるから」と言ってアメリカに渡る。ちなみに父親は歌がうまく,いつも娘に歌って聞かせていた。しかし,父が旅立ってから祖母と暮らす村は戦火で破壊され,少女は若者たちに匿われて港に向かうが,船に殺到する人の波に飲み込まれ,一人船に乗ってしまう。そして彼女は一人ぼっちでイギリスに上陸する。ここでスーザンという名前を得て,養父母となる夫婦に育てられる。この時,彼女は6歳か7歳くらいだろうか。

 言葉が通じず,他の子供たちに溶け込めなかった彼女だが,ひょんなことから美しい声を持ち,歌がうまいことを見出され,歌の教育を通じて英語を学び,次第に学校に溶け込んでいく。

 10年後,彼女(クリスティーナ・リッチ)は父親に会おうと決意し,イギリスの養父母の元を去り,旅費を稼ぐためにパリのミュージックホールでコーラス・ガールとして働くことになる。そこで同じオペラハウスで働くダンサーのローラ(ケイト・ブランシェット)と知り合い,生活費を抑えるために彼女とルームシェアで同居するようになる。ローラはミュージックホールの花形テノール歌手を誘惑して恋仲となり,一方,スーザンもそこで働くロマ(いわゆるジプシー)の青年(ジョニー・デップ)に惹かれていく。

 しかし,時代は確実に戦争に向かって行く。イタリアではムッソリーニが台頭し,やがてポーランドにナチス・ドイツが侵攻し,フランスで生活するユダヤ人の生活も次第に安全ではなくなっていく。そしてローラはスーザンに一緒にアメリカに渡ろうと提案する。そして彼女はついに父親を探そうと決意する・・・というような映画である。


 まず,いいところをあげると,音楽の使い方が文句なしに素晴らしい。ビゼーの『真珠取りの歌』(・・・だったかな?)が映画全体を支える通奏低音のように繰り返されるが,この切々としたメロディーが実に美しい。その他にもヴェルディやプッチーニのオペラのアリアもいいし,何より,『帰れソレントへ』のピアノ伴奏が心がこもったいい演奏なのである。そして,ロマの演奏する踊りや歌も素晴らしく,とりわけ,スーザンの歌への即興的な伴奏をするシーンは感動的だった。

 また,ロマに対するフランス人たちの偏見,ロシアやフランスでのユダヤ人に対する反感も容赦なく描かれている。ナチスドイツのユダヤ絶滅の狂気が決して突発的なものでないことがわかる。要するに反ユダヤの感情がヨーロッパ社会全体にあり,単にそれを爆発させてしまったのがナチスなのだろう。

 それから,少女時代のフィゲレを演じるクローディア・ランダー=デュークがいい。10歳にもならないのに一人でイギリスで生きていかなければいけない彼女の姿に涙がこぼれそうになる。そんな彼女が歌の才能を見出され,それまで彼女をいじめていた生徒たちの前で歌うシーンは本当に感動的。そして,10年後の彼女を演じるリッチもローラを演じるブランシェットも見事だ。特に,強いまなざしですべてを語ってしまうリッチの演技は本当にうまい。そして,ロマの青年を演じるデップがこれまた最高に格好よく,とりわけ馬に乗っている姿は惚れ惚れするほどの男前だ。


 で,駄目な点について。

 まず,ロマやユダヤ人に関する知識がない理解できないシーンが多すぎる。特に最初の方のユダヤ人の村が焼き討ちにあっているようなシーンは,これだけ見ていると,誰が誰に対して何をしているのかわからないと思う。もちろん,登場人物たちの服装とか髭とかを見れば,それがユダヤ人だとわかるのだが,そういう前提知識がないとちょっと辛いものがある。せめて,何が起きているのかを見ている側に伝える努力をしてほしかった。

 また,パリでロマが集団生活をしていて,ナチスの侵攻の後に大量の紙切れを窓から投げ捨てて燃やすシーンがあるが,一体何を燃やしていたんだろうか。ここも説明がほしかった。

 映画の冒頭,フィゲレが海で溺れそうになるシーンで始まり,これは後半にも繰り返される。どうやら乗っている船が爆撃機で爆撃されたようなのだが,画像を見ているだけではそれがはっきりしないのだ。確かに溺れているところを助けられるのだが,その直後のシーンにつながっていないような気がするし,それが現実に起きたものかどうかも不明。というか,そもそもこのシーンで映画を始めた意味がわからない。それほど重要なシーンには思えないのだが・・・。


 この映画は煎じ詰めれば,歌を軸にした「父を探して三千里」物語なのだが,途中で「父探し」がどこかに行ってしまい,ロマの青年との愛,そしてローラとの友情と裏切りの物語になってしまい,最後の10分くらいで唐突に「父探し」が再開する。これがとても不自然なのだ。このあたりは脚本のミスだと思う。

 それと,この映画では歌がとても重要なファクターであり,父と娘を継ぐ絆も歌のはずなのに,肝心のフィゲレが歌うシーンが後半ほとんどないのはストーリー的に失敗だと思う。ジョニー・デップとのエッチシーンを削ってでもフィゲレが歌うシーンを入れるべきだったのではないだろうか。

 ローラとアメリカに渡ってからの進行がいきなり駆け足というか,全力疾走モードになってしまうのもバランスが悪すぎる気がする。とんとん拍子に父親が見つかるのも変だし,その間,父親が何をしていたのかが十分に描かれていないため,とってつけたような印象しか残らない。これも計算違いだろう。この映画前半が「歴史に翻弄される一人の少女」の「父を探して三千里」の物語だったはずなのに,いつの間にか「女友達との友情,素敵な男性との愛とセックス」に物語にすり替わってしまい,これじゃまずいというので最後に「父探し」を強引に加えました,という感じの楽屋裏が見えてしまうのだ。

 それと後半,ちょっぴり(?)ぽっちゃり体型のリッチの,胸の谷間見せまくり下着シーンが結構あるが,これは必要だったかどうか疑問だ。こういうところに時間をとるから,後半の展開が大急ぎになっちゃったんだと思うし,この映画の散漫な印象の最大の原因は,多分「リッチの胸の谷間」だと思う。


 そうそう,タイトルも変だったな。原題は《The Man Who Cried》なんだけど,"The Man" って誰のことだ? この映画に登場する男といえば,父親とテノール歌手とロマの青年の3人くらいなんだけど,この3人はcryしていないし,他に登場人物はいないし,一体このタイトルはどういう意味なんだろうか。


 素材としては非常にいい映画だし,戦争とか民族とかについて考えさせる作品である。だからこそ,同じテーマで作り直すべきではないかと思う。そうしないと,この映画のテーマがかわいそうだ。

(2007/09/05)

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