《バッファロー・ソルジャーズ 戦争のはじめかた》 (2001年,イギリス/ドイツ)


 戦争映画,軍隊映画だと思ってみると肩すかしを食います。これは平和時の軍隊は何をしているのかを暴いた映画であり,軍隊を舞台とした犯罪映画,悪党映画,そしてサスペンス映画です。作家のロバート・オコナーが自らの体験と取材を元に作った同名小説(ピュウリッツァー賞候補になったらしい)を映画化した作品で,戦争がない時代の兵士たちが暇を持て余し,悪事に手を染めている様子がこれでもか,これでもかと描かれています。

 そしてこの映画に「9.11」事件が絡んできます。この映画の公開が決まった翌日に,あの大事件が起きてしまったからです。「アメリカを守れ,テロを許すな」という大合唱の前に,アメリカ軍の悪事を暴くこの映画の公開は見送られ(そりゃあ,そうだろうな),その後も公開の話しが出ては立ち消え,という数奇の運命を辿った作品なのです。


 映画の舞台となっているのは「ベルリンの壁・崩壊」前夜の1989年のドイツのシュトゥットガルトに駐屯するアメリカ軍基地です。主人公は兵站部(物資や食料の供給をする部署)所属の兵士,レイ・エルウッドです。彼は車窃盗罪で捕まり,従軍するか刑務所かどちらを選ぶかと言われて軍隊を選んだ,という奴です。要するにしょうもない悪党です。

 時代は米ソの冷戦終結が決定的になり,戦争の心配がなくなり,駐屯兵たちはとりあえず戦闘という仕事がなくなった時代です。当然,兵士たちは暇を持て余します。ドラッグに耽る奴もいれば,ラリって戦車を運転してガソリンスタンドを破壊する奴もいます。

 一方,軍のお偉方は出世しか頭になくなり,戦闘がないもんだから,出世の手段としてはゴマスリとオベッカしかなくなります。戦功を上げて勲章をもらい,軍で出世する,というコースがなくなったからです。要するに,駐屯軍全体がだれきっています。

 エルウッドは兵站部,つまり物資補給部隊です。物資を好きなように動かせる地位を利用し,持ち前の悪知恵をフルに働かせ,彼は武器を横流ししたり,床掃除用の洗剤を売りさばいたり,一方でドイツ側から買い付けたヘロインを精製して兵士たちに売りつけたりと,好き勝手やりたい放題です。しかし,軍の上司は出世のことしか考えていないため,全然気がついていません。

 しかし,不正を絶対に許さない新しい軍曹が赴任することから事態が変わっていきます。何とかエルウッドの不正の証拠をつかもうとする軍曹と,軍曹が自分を狙っているとわかって軍曹の娘を口説き始めるエルウッド,そして,厳格な父(軍曹)に反発する娘,そしてこれに軍内部での反発やら,殺人事件やら,トルコ人の麻薬ディーラーがからみ,後半はスリリングな展開が続きます。特に,最後の15分は味方と敵がめまぐるしく入れ替わり,誰もが唸るであろう結末を迎えます。


 こういう映画を見ると,軍隊という組織の特殊性が浮き彫りにされます。

 もちろん,軍隊というのは戦争を仕事とする組織で,戦争をすることを仕事とする人間で構成される職業集団です。戦争時には必要とされる職業集団ですが,問題は戦争がない時代,彼らをどう処遇すべきかという問題が常に付きまといます。職業軍人として国が雇用した以上,戦争がないからといって解雇するわけにいかないからです。

 このような問題が発生したのは実は古いことではなく,西洋ではナポレオン戦争以後のことで,西洋の中世や日本の戦国時代までは生じなかったものだったと思います。たとえば日本の戦国時代の雑兵は基本的に農民で,雑兵募集が出るたびに応募して雇われたようです。つまり,「おらが国の殿様」という意識も薄く,より高い給金を提案する領主につくのは当たり前です。これは西洋中世の傭兵も同様だったらしいです。だから,殿様(領主様)にしても,戦争があったら時に金で雇い入れればいいだけのことで,戦争が終わった後の世話を見る必要もありませんでした。

 それが変わったのはナポレオン戦争でした。ナポレオンは「フランス国とフランス人」という概念を新たに作り,フランス人という意識を持たせ,祖国のために闘うことが最高の名誉だという新しい戦争概念を作り出しました。同時に,徴兵制度という「無制限に兵士を調達できるシステム」を作ったのも彼です。このため,ナポレオンの兵士たちは,フランスのため,名誉のために戦い,金で雇われた他国の兵士たちを打ち破り,無敵だったのです。これが「国民国家」です。

 その後,フランス以外の国も同じシステムを取り入れます。そうでなければ国民国家相手の戦争に勝てなくなったからです。そして,世界各地に国民国家という概念が生まれ,徴兵による常備軍を持つようになります。戦争に勝つために,「国家」「国民」という概念が必要になったのです。

 この意味で,国民国家は戦争をするために生み出された体制です。それで戦争に勝てるようになったものの,逆に,軍隊を維持するためにも戦争を止めるわけにはいかない,というジレンマが生じたのです。兵士は戦争がなくても飯を食わなければいけないし,国は彼らに給料を支払わなければいけません。常に戦争をしていなければ,兵士たちに無駄飯を食わせることになるだけです。徴兵制による常備軍という存在の根本的矛盾がここで露呈します。


 日本の歴史を語るほど詳しくありませんが,江戸時代というのは大量の職業軍人を抱えてしまった時代といえます。しかも,日本全体が平定されて国内戦はなくなり,鎖国したために外からの敵の心配もさほどなくなってしまいます。

 軍人(武士)というのは生産活動に一切関与しない集団です。せいぜい,体制維持のための軍事力として必要なくらいで,それだって最小限で十分です。そこで江戸幕府が採用したのが,各地に武士集団を分散配置してその土地を治めさせるけれど,そこで生み出された富は中央政府が吸い上げる,という巧妙なシステムだったのです。参勤交代もそうだし,地元と江戸に二つの屋敷を造らせるという二重生活を常に強いたのも,目的は同じです。実際,江戸時代の武士たちが経済的に豊かどころかかなり困窮していたことは明らかにされていて,『武士の家計簿─「加賀藩御算用者」の幕末維新─』(磯田道史・著)という本に詳しく説明されている通りです。


 「平時には不要で経済的負担にしかならない軍隊を,平時にいかに維持するか」というのは実に大きな問題です。それは同時に,「職業軍人という職業」とはそもそも何なのか,という根本的問題につながります。この映画の真価は,「平和時に軍隊を維持する事の意味」を暴き出した点にあると思います。

 この映画に文句を付けるとしたら,《戦争のはじめかた》という邦題です。これは《平和時の軍隊》,《暇な軍隊》くらいでよかったのではないでしょうか。

(2007/06/1)

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