《エイリアン・ゼロ》 (2005年,アメリカ)


 トランスフォーマーといえば,モンスター物とかエイリアン物の「しょうもない映画」ばかり配給している会社ですが,やはりこの作品も見所一つないクズ映画でした。数あるクズ映画の中ではまだましな方なんですが,よほどのB級好きでなければ見ない方がいいです。


 まず何が駄目って,登場人物が少なすぎるし,エイリアンの造形がチャチだし,迷彩服の連中が一体誰で,目的は何なのかについての説明が全くないし(・・・少なくとも日本語吹き替え版では・・・),レンジャーの女性と彼女の父親の「葛藤と和解」がうざったいし,迷彩服の連中とこの父親の関係が全然わからないし,隕石が衝突した割には穴が小さすぎるし,エイリアンも拳銃の弾数発で死んじゃうし,ありとあらゆるところが穴だらけの映画です。

 そして,それに輪をかけて俳優さんたちの見事なヘボ演技と,それに合わせたかのような日本語吹き替えのたどたどしさが絶妙なトホホ感を醸し出しています。日本語吹き替えをしたのは多分,ただの素人と思われます。


 これで,もっとムチャクチャひどければキング・オブ・クズ映画という称号が得られたんでしょうが,単に小粒でひどいだけの映画なんで,カルト的人気も得られない,という救いようのなさなさです。

 ま,そういうしょうもない映画なんだけど,トランスフォーマーの手に掛かると次のような壮大なSF映画になっちゃうんだからお見事です。

『エイリアン』シリーズを始めとするSFパニックものの人気要素を全て凝縮した一大エンターテイメント作品が登場!突如隕石に乗って現れた地球外生命体。人間に寄生して内臓を食い破る!
 もちろん,この紹介文の通りの映画だったら面白いのですが,何しろ超緊縮低予算で作らなければいけなかったためでしょう,登場人物は少なすぎるし,舞台となるのは森の中(同じようなところが何度も登場する)と,山小屋だけです。要するに,森の中(広大な森と言っている割には,見ている方にはちっちゃな森にしか思えない)だけで物語が完結しているため,半径500メートルくらいで完結しているエイリアン映画にしか見えません。せめて最後の方で街の一つでも襲ってくれたら面白かったのに・・・。すべて貧乏が悪いんです。貧乏が憎いです。


 それと,最後に二人助かりますが,ヒロインが助からないと言う設定もすごいし,助かる二人に全然必然性がないというのもこのタイプの映画としては逆に新鮮,ってか? もう一つ新鮮なのが,ヒロイン役の女性レンジャーが美人じゃないってことです。別に,「ヒロインは美人でなければいけない」という法律があるわけじゃないけどさ,やはり常識っていうか不文律ってものがあると思います。

 迷彩服集団(といっても4人だけだけど)のボスと,女性レンジャーの父親になにやら因縁があるらしんだけど,それが何かもわからないし,父親が「オレは以前にも同じ奴らに出会ったことがある」と娘に忠告する「奴ら」というのも,エイリアンなんだか迷彩服集団なんだか全然わかりません。

 エイリアンの造形も情けないです。ミミズみたいなエイリアンが足の皮膚を食い破って侵入し,体を内側から喰いながら大きくなって飛び出す,というのはよくある設定ですが,大きくなったエイリアンは,尻尾のあるカエルに角と棘が生えたような形をしていて,ちょっと可愛いです(最近見た韓流映画《グエムル 漢江の怪物》のグエムルちゃんに似ているような気が・・・)。そして,体を食い破って出てきた奴はなんとなく沖縄のシーサーを思い起こさせます。

 そしてこのエイリアンは映画の前半は結構活躍しますが,後半の「迷彩服集団 vs 山小屋に立てこもる女性レンジャーとピクニック客たち」の場面になると,全然登場しません。普通,このタイプの映画では,「山小屋に突入しようとした迷彩服集団(=敵役)にエイリアン軍団が襲いかかってパクパク食べ,山小屋集団は助かったと思ったら,今度はエイリアン軍団が襲ってきた。だが,女性レンジャーの勇気ある行動と機転により,エイリアンを全滅させたのであった。めでたし,めでたし」というのが定石のはずなんだけど,エイリアン君たち,どこかでさぼっていたらしく,顔も見せません。


 というわけで,トランスフォーマーにクズでない映画なし,アルバトロスにゴミでない映画なし,という格言(?)を再確認しました。

(2007/05/16)

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