《プロジェクト・グリズリー》 (1996年,カナダ)


 何とも評価のしようがないカナダのドキュメンタリー映画。なんでも,かの有名な(?)映画監督,タランティーノ(《キル・ビル》シリーズなどで有名)が大絶賛したらしいが,タランティーノ,本当のこの映画を見て絶賛したんだろうか? もしかして,途中で寝てたんじゃないか。この映画を見て本気で誉めたとしたら,タランティーノ君,おかしくないか?

 馬鹿丸だしの映画というのは珍しくない。だけど,登場人物たちが「馬鹿なことをやって映画にしようぜ」と考えていたのか,やっている本人たちは真面目そのものなのに,周りで見ている人には「何だよあいつら,単なる馬鹿じゃん。単に頭が悪いだけじゃん」と見られるのでは大違いである。前者は気高い馬鹿だが,後者は救いようのない馬鹿だからだ。笑うしかない話の内容なんだけど,本人が本気らしいので笑うに笑えないのだ。

 ちなみに配給会社は,数え切れないほどのクズ映画ばかり提供してくれるアルバトロス。アルバトロス,おそるべし! アルバトロス,君の姿は美しいぞ(馬鹿だけど)。こういうのを,本当の愛すべき馬鹿という。


 主人公はトロイ・J・ハートビス。彼はかつて,凶暴なことで知られるグリズリー(灰色熊)に襲われたが,九死に一生を得た経験があった。なぜ,グリズリーは自分を殺さなかったのか,その理由を知りたかった。

 ここまでは我々にも理解可能である。ところが,ここからトロイ君,常識世界から三段跳びで暴走妄想モードに突入する。漫才コンビ「チュートリアル」の徳井君もここまで暴走しないよ,というくらいの妄想一直線を突っ走る。

 さて,自分を殺さなかったグリズリーの真意(?)を確かめたいトロイは,どうしてもそのグリズリーに会いたくなった。そのためには,グリズリーに直に会って問いただすしかない。しかし,グリズリーは凶暴だ。近寄ることもできない(普通ならここでツッコミを入れますよね。大体,自分を襲ったグリズリーをどうやって確認するんだよ,ってね。でもトロイ君,全然気にしていません)


 そこでトロイは防護服を作ろうと思いつく。グリズリーに近寄って襲われても大丈夫なパワードスーツを作ればいいんだ,と考える。それを着たらグリズリーとハグハグして,自分を殺さなかった理由を問いただせるはずだ。グリズリーとハグハグしたとしても,どうやって意志の疎通を図るんだよ,そもそも無理だろ,というまともなツッコミを入れる暇もないくらい,まだまだ暴走が続くのだ。

 何しろこれからトロイ君は,グリズリーに近づくという本来の目的を忘れ,ひたすらパワードスーツの強度を高める方向にひた走るのだ。そのために彼は,7年間で150万ドル(!)を費やすのだ。当初の目的を忘れて,意味のない強化に巨額を投じるトロイ君,君ってもしかしたら,お馬鹿さんじゃないか? ちなみに,この熊用パワードスーツは1998年のイグノーベル賞の安全工学賞を受賞しているそうだ。

 で,とりあえずプロトタイプの防御服ができたんで,直径30センチはありそうな丸太をロープに縛り付けて振り子のように防御服(中にはトロイ君が入っている)に思い切りぶつけるのだ。中のトロイおじさんは大丈夫だけど,まだ,強度が足りない! 熊の牙や爪は鋭いぞ。それなら,アーチェリーの矢が通らないようにしよう。いやいや,それでも足りない。散弾銃で撃ったらどうだ。かくしてパワードスーツはどんどんバージョンアップして強度を高め,野球のバットを持った男たちに滅多打ちにされても痛みを感じない,というバージョン4防護服に進化する。バージョン5になると,時速50キロの小型トラックにはねられても大丈夫だし,断崖絶壁から数十メートル転げ落ちても傷一つない。

 もう,このくらいまで来れば熊に襲われても大丈夫,というか,赤を基調としたパワードスーツの色彩はアラスカの大自然の前では浮きっぱなしだろうから,これを見ただけでグリズリーが逃げ出さないか心配になってくる。グリズリーがハグハグしてくれる可能性はとても低くなってないか,トロイ君。
 だが,彼の妄想・暴走はまだまだ続く。


 バージョン6はなんと,外側から順に合成ゴム,チタン,鎖かたびら(鋼鉄製?),チタン,エアバックという5層構造なのである。燃えさかる炎の中を歩いても大丈夫だ(オイオイ,グリズリーが火を吹くのか?,というツッコミが四方から上がっていると思う。なぜ火の中に入るのか,トロイ君以外は理解できません)

 だが,過ぎたるは猶及ばざるが如し,と昔の人が言っている通りに,強度は完璧だが関節部の可動性が全然ないし,重量も60キロを超えてしまった。転倒しても一人で起き上がれないし,ぬかるみでは一歩も歩けない。それどころか,真っ平らな平地で50センチ歩くのも四苦八苦だ。おまけに,一人で脱ぎ着もできない。だけど,強度は完璧さ。

 そして,山奥のキャンプ場にグリズリーが出没したというニュースが入る。パワードスーツの出番だ。トロイと彼に協力するメンバーたち(叔父さんとか弟とか近所のオッサンとか)はその山に向かう。そしてグリズリーに遭遇できないまま何日も過ごし,ついにグリズリーを見つけ,トロイにバージョン6を着せるんだけど,山間地では全然歩けないことが改めて判明! 山奥にしかいないグリズリーに会うために作ったパワードスーツなのに,舗装道路でしか動けない仕様だったのだ。なんでその前に気がつかないんだよ,お前らは。これじゃまるで,「日本人にしか通じない英会話」,「シャドーボクシング専用の必殺パンチ」じゃないか。

 で,結局,グリズリーにご対面するわけでもなく,パワードスーツの威力を確かめるでもなく,次なるバージョンアップに向けてまだまだ改良するんだぜ,という不毛の開発を,トロイ君たちは続けるのであった。


 私,馬鹿なことを一生懸命にする人間は大好きだ。無駄だとわかっていてもそれをやり抜く人間は大好きだ。みんなに,それは馬鹿だよ,と言われていることを損得勘定抜きに遂行する人間は心から尊敬する。だが,この映画のトロイおじさんは駄目だ。「日本人にしか通じないカタカナ英会話」なのに,発音を工夫しようが語彙を豊富にしようが全然意味がないからだ。

 グリズリーに直に接したい,というのは理解できる。凶暴なグリズリーに近づくために強力な防御服を着るしかない,というのもわかる。グリズリーにあって,なぜ自分を助けてくれたのかを知りたい,というのもわかる。しかし,グリズリーに無事に近づけてもグリズリーとは会話できないのは子供だって知っている。このプロジェクトが最初から破綻していることは小学生にだってわかる。

 「それが駄目なのは小学生だってわかっているじゃん」とトロイおじさんに指摘するのは簡単だ。しかし,その瞬間にトロイ君が自殺でもしないかと心配だから,敢えてそのような指摘をしないだけだ。恐らく,この映画(?)を見たすべての人が,「敢えて指摘するのも大人気(おとなげ)ないし」と考えているから成立している映画だと思う。
 要するに,人の優しさだけをよりどころに成立している世界なんだよ。

(2007/05/10)

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