新しい創傷治療:ゾディアック

《ゾディアック》 ★★★★★(2007年,アメリカ)


 なんて面白い映画なんだろう,なんてすごい映画なんだろう。私は一発ではまってしまった。実際に1960年代から70年代にアメリカで起きた連続殺人事件を素材に,その事件を追う4人の男たちの姿を丹念に描いた作品だが,派手なシーンはないしあっと驚くような仕掛けがあるわけでもない。また,4人の男を演ずる俳優陣もどちらかと言えば脇役級の人ばかりである。しかも150分を超える大作なのだ。これだけ見ると,ただただ地味で長いだけの映画のように思われるかもしれないが,緊迫感漂う映像と緊密な物語の組み立てのため,その150分がすごく短く感じられるのだ。ちなみに監督はサスペンス映画の巨匠,デヴィッド・フィンチャーだが,さすがという感じだ。まだ見ていない人には,超オススメの作品である。

 ゾディアック事件とは1968年から数年にわたって起きた連続殺人事件のことで,次々に殺人を犯しながら新聞各社に「ゾディアック」と名乗って犯行声明を送りつけ,さらに犯罪予告を行うという劇場型犯罪の最初の事件である。このため,新聞で公開される犯行予告に市民は震え上がり,恐怖のどん底に叩き込まれることになる。しかも大胆な犯行声明にもかかわらず,現在でもこの事件の真相,犯人は不明なのだ。アメリカ犯罪史上に残る大きな謎といってもいいらしい。実際に殺した犠牲者の数から言えばゾディアックより凶悪な事件はその後いくつも起きているが,社会の与えたインパクトの大きさはそれらの事件の比ではなかったのである。

 ちなみにこの映画は,事件を執念深く追及した男(新聞社専属の漫画家)が膨大なデータと推理で書き上げたベストセラーをもとに作られている。


 事件は1969年に起きたサンフランシスコで起きたデート中のカップル射殺事件で幕を開ける。早速警察は捜査に乗り出すが,丁度その時,3つの新聞社にゾディアックと名乗る男からの犯行声明が届けられ,それを新聞に掲載しないとさらに次の殺人を起こすと書かれていた。しかも手紙の後半には不思議な記号が書かれていて,それが犯行を解読する鍵だという。そして,新聞に公開された暗号をある歴史学を教える夫婦が解読するのだが,それには「俺は殺人が楽しくてたまらない」と書かれていた。

 事件を担当したのは刑事のトスキー(マーク・ラファロ)とその相棒のアームストロング(アンソニー・エドワーズ)。そしてそれに,犯行声明分が送りつけられた新聞社の一つ,クロニクル社の担当記者のエイブリー(ロバート・ダウニー Jr.)とクロニクル者の風刺漫画家グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)が絡み,それぞれの立場からゾディアックの正体に迫ろうとする。だが,現場に残された手がかりはわずかで,採取された指紋も一つのみ。また,新聞社に送られてきた手紙にも手がかりとなるものはほとんどない。

 そして第2,第3の殺人が起こり,ついにスクールバスの子供たちを狙った大量殺人の予告が出され,市民たちもいやおうなく事件に巻き込まれ,外出禁止令まで出されることになる。

 しかし,わずかな遺留品などから犯人と思われる人間が絞り込まれ,状況証拠から間違いないという人物が捜査線上に挙がるが,肝腎の証拠が何一つないし,筆跡も異なっていた。そして捜査は完全に行き詰まっていくが,なぜかゾディアックからの手紙はぱったりと来なくなり,ゾディアックによる殺人は唐突に終結する。

 大捜査陣を上げての捜査だったにもかかわらず犯人逮捕ができない警察をあざ笑うかのように,ゾディアック事件を素材にした映画が上映され全米中で大ヒットする。それがあの《ダーティー・ハリー》シリーズの第1作目である。

 警察の捜査陣も次第に縮小されていったが,風刺漫画家のグレイスミスは取り憑かれたようにゾディアック事件を独自に追いかけ,最初の事件の被害者が偶然殺されたのでなく,最初から狙われていたのではないかと考えるようになり,一人の男に疑惑の目を向ける。だが彼の筆跡も犯人のものと異なっていた。だがその考えを諦め切れないグレイスミスは誰も考えていなかった可能性に着目し,犯人に肉薄していくが・・・という映画である。


 この映画の優れている点は非常にわかりやすいという点にある。このような過去の事件を素材にした映画ではよく,時系列をバラバラにして幾つかのエピソードを並列させるという手法を用いることが多いと思う。こうすると,実際以上に複雑な事件に見えてくるため,寒客としては非常に疲れる映画になるのだが,この《ゾディアック》ではそのようなあざとい構成にはせず,実際に起きた事件を時系列に描き,それにかかわることで事件に翻弄されていく4人の男たちの人生を鮮やかに描き出している。

 この映画の原作となった本の著者のグレイスミスは事件にのめり込み過ぎて仕事ができなくなり,新聞社の職を失ったばかりか,愛想を尽かした妻は子供を連れて実家に戻ってしまう。そして犯人と思った男にも証拠がなく,彼はそれを一冊の本にする。一方のエイブリーは犯人像に肉薄し,あと一歩かというところまで近づくが,ゾディアックから殺人予告を受け,プレッシャーとストレスから酒と薬物に逃避し世捨て人のように隠遁する。
 トスキー刑事も独自の捜査で犯人を追うが,汚名を着せられて事件担当からはずされ,やがて左遷される。彼の相棒のアームストロングも激務から家庭崩壊の寸前状態に陥り,自ら配置転換を申し出,事件から逃避する。
 ゾディアックは近づく者全ての人生を狂わし,精神を破壊しようとするかのようだ。事件から逃げようとしてもただでは逃げられないし,事件に立ち向かおうとすると狂気に囚われる。4人の男たちがダーティー・ハリーのようなスーパーマンでなく,等身大のごく普通の職業人である点が,この事件に潜む闇の深さを逆に際立たせている。

 また,スリラー映画というとやたらと音楽がしゃしゃり出る作品が少なくないが,この映画の場合は音楽は押さえ気味で完全に映像の背景役に徹していて,それがまた作品全体の質を高めている。とにかく,細部にいたるまでフィンチャー監督の目が行き届いているのだ。


 王道を歩む作品だけが持つ強さを再確認した傑作である。

(2008/11/14)

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