新しい創傷治療:ヴィットリオ広場のオーケストラ

《ヴィットリオ広場のオーケストラ》 ★★★(2006年,イタリア)


 ううむ,評価の難しい音楽映画である。ローマに暮らす移民たちが集まって楽団を作り,困難を乗り越えて演奏会にこぎ着け,聴衆を熱狂させる,という私好みの内容なんだけど,映画としての完成度が低すぎるのだ。その理由はドキュメンタリーだからだ。ドキュメンタリーだからこその感動もすごいのだが,ドキュメンタリーだからこその欠点がもろに出てしまったようだ。最後の7分くらいの演奏が余りにも素晴らしく,感動的だったため,途中のグダグダした部分を削ぎ落として練習の部分と実際の演奏の部分をもっと長くしたら,見事な音楽ドキュメンタリーになったのではないかと思う。それが残念だ。


 内容はこんな感じ。

 ローマ旧市街のエスキリーノ地区は,世界各地からイタリアにやってきた移民が雑多に暮らす地域だった。その中心にあるのがヴィットリオ広場で,ここに古い映画館のアポロ劇場があったが,アポロ劇場は閉鎖されようとしていた。そのとき,地元住民と移民たちの相互理解とアポロ劇場再会を結びつけた計画が持ち上がり,それは「アポロ11号」と名付けられた。移民たちの中で楽器ができる者,歌が得意な者を集めて楽団を作って演奏会を開き,イタリア人と移民を結びつけようという計画だった。

 しかし,演奏家を集めたものの練習場所を見つけるのも大変だし,資金の問題もある。イタリア語ができないメンバーもいて,お互いの意志の疎通すらままならない。何とか初出演の場は決まったが,全員練習する時間も碌に取れないまま,演奏会当日を迎えてしまった。そして,寄せ集め楽団がステージにあがり,タブラとツィンバロンのリズムで演奏は幕を開ける。しかしそれは実質「最初の合同リハーサル」であり,楽団の最初で最後の演奏になるはずだった・・・という映画である。


 まず,映画ラストの10分間のこの楽団の演奏は文句なしに素晴らしい。アラブの伝統音楽とインドの伝統音楽をベースに,様々な楽器が参加し,様々な歌声が加わり,一つの音楽として融合していく様は圧巻だ。よくぞ,一つの音楽作品としてまとめたものだと驚愕し,感動した。アラブとインドとヨーロッパでは,音楽の基本である音階の体系がまるで違っているからだ。そういう基本の考えが異なっている楽器を合わせて合奏することの困難さを全く感じさせない,自由闊達で伸びやかで感動的な音楽になっている。

 しかも演奏曲目は,こういう様々な民族音楽をベースにした新しい曲なのである。この楽団のメンバーがいくら優れた演奏家だったとしても,それはあくまでもインド音楽の演奏家,アラブ音楽の演奏家としての専門であって,それらをまとめて一つの音楽にしようとすると未体験の問題にすぐに直面したはずだ。要するにこれは,雅楽奏者とジャズトリオを組ませて一つの曲を演奏しようというようなものである。クラシックのピアニストとジャズピアニストがセッションする,あるいは長唄とオペラ歌手がセッションする以上の困難さだと思う。だから,最後の演奏に感動する。この楽団の企画者の苦労が報われた瞬間だったと思う。


 だが,映画からはそういう「音楽上の苦労」が全く伝わってこないのである。メンバー集めの問題や練習場所の確保の問題,インド人メンバー間のカーストの問題,当時のイタリアの政権の移民政策の問題は十分に伝わってくるのだが,一つの音楽として完成させる上での大変さがいまいち伝わってこないのである。だから,最後の感動の演奏にしても,「みんなで楽しく演奏しました」的なもの以上に聞こえてこないのだ。これが非常に惜しい。

 要するに,この映画だけ見ていると,雑多な移民から音楽家を捜す苦労,練習場所を確保する苦労,移民とイタリア人が一緒に暮らす苦労は十分に伝わってくるが,肝心の「異なった音楽文化を持つ雑多な演奏家たちが,一つの楽団として完成度の高いオリジナル曲を演奏する」ことの大変さがまるで伝わらないのだ。


 なぜこうなってしまったかというと,理由は一つしかない。これが純粋なドキュメンタリー映画だからだ。

 撮影開始時点ではそれがどういう結末になるかはわからないのがドキュメンタリーだ。最初の発案者中心に撮影が開始されるが,途中でその人物が降りて別の人物が中心になるかもしれないし,最初大問題と思われた事件があっけなく解決するかもしれない。当初の計画とは全く異なった方向に進んでしまう可能性もあるし,撮影時点ではとるに足らない出来事が,後に運動全体の方向性を変えてしまうこともある。つまり,撮り貯めた映像をつなげても,一つの作品にならないことすらあるのだ。

 この映画がまさしくその典型ではないだろうか。

 映画の大半は,集められたメンバーの個人的な悩みや,個人的な葛藤ばかりである。それに,イタリアにおける中国系移民の問題や,移民を排斥しようとするイタリア政府の動き,そしてそれに対抗する移民側の運動がバラバラに提示される。どれも深刻な問題なのだが,この映画を見ているだけでは,それがその後どうなったのか,それがどう解決されたのかは全くわからない。インド人メンバー同士のカーストの問題が起こったことはわかるが,それがどうなったのかは最後にちょっと触れられるだけだ。

 同様に,練習場所や演奏会場の音響の問題が何度も取り上げられているのに,それがどう解決されたのか,解決されなかったのかも不明だし,運営費の問題もどう解決したのか映画では説明していない。

 それもこれも,あらかじめ撮り貯めた映像に,これらを説明する映像が含まれていなかったからだし,諸問題の結末を説明する画像を撮影していなかったからだ。結末がわからないうちに撮影するしかないドキュメンタリーに特有の問題といえる。要するに,ドキュメンタリーにしか表現できない臨場感はあるが,一つの映画作品としては未完成なのである。


 映画の素材としては悪くないし,なにより実話だという強みがある。だからこそ,「実話を元にしたセミ・ドキュメンタリー映画」として作り直してほしい。そうすれば,万人に受け入れられる感動作として蘇るはずだ。

(2009/01/01)

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