新しい創傷治療:トンネル

《トンネル》 ★★★★★(2001年,ドイツ)


 これは素晴らしく感動的な人間ドラマであり,命をかけたスリリングな脱出ドラマだ。

 「ベルリンの壁」と聞いてもそれが何かわからない世代が次第に増えてきたと思う。私らの年代にとって1989年とはつい先日も同然だし(年を取るというのはそういうことである),あの崩れるはずのない「壁」が人々が手にしたハンマーやツルハシで壊され,次々と東ドイツの人たちが壁を越えたあの感動のシーンは忘れられるものではない。しかしそれからもう19年だ。やがて「ベルリンの壁」も教科書で数行触れられるだけの存在になるのだろう。それもまた歴史である。

 だが,かつてベルリンの市街が「壁」で分断されていたのも事実であり、その「壁」で多くの悲劇が生み出されたことも事実である。20世紀後半の50年は人類にとって一体何だったのかを考える上で,避けては通れない存在がこの「ベルリンの壁」なのだと思う。

 そして,この「壁」を素材にした小説や映画は今までに幾つも生み出されたと思うが,その中でこの《トンネル》は恐らく最高傑作のひとつだろう。3時間近い長編だが,東ドイツに残した家族との再会を夢見る者たち,1本のトンネルに一縷の望みを託す者たち,それをあらゆる手段を講じて阻止しようとする者たち,仲間のために命を落とす者たち・・・,そんなさまざまな姿が重層的に描かれて緊迫したドラマが展開されるため,最後まで一気に見てしまった。

 もちろん,西側からの視点しかないとか,東ドイツの人たちが皆にしに脱出したがっていたという風に描くのはおかしいとか,結局、勧善懲悪ドラマに過ぎないのではないか,という批判はあると思うし,一つの視点からの一方的な見方に終始していた点は気になったが,そういう点を差し引いてもまだなお、この作品は傑作だと思う。


 第2次大戦終了時,ドイツの西側は連合軍,東側はソビエト連邦(ソ連)が分割して統治し,それぞれ西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)となった。ベルリン市は東ドイツ国内にあったが,大戦終了時に東側をソ連,西側を連合軍が支配していて,それが引き継がれてしまったため,東ドイツ国内に西ベルリンが飛び地のように存在していたのだ。当初,西ベルリンと東ベルリンの間は自由に行き来できていたが,1950年代後半,東西の冷戦が次第に激化するにつれて,東ベルリンから西ベルリン経由で西ドイツに流出する東ドイツ人が続出した。

 それを阻止するため,1961年8月13日午前零時,東ドイツは突如,東西ベルリンをつなぐ全ての道路を有刺鉄線で封鎖した。これにより,東西ベルリン間の移動は不可能になり,その2日後にはレンガの壁の建設が始まった。これが「ベルリンの壁」だ。この壁は東西ベルリンの間だけでなく,西ベルリンをぐるりと一周する形で作られ,東ドイツ国民が西ベルリンを通して移住することは不可能になった(ちなみに西ベルリン側からはパスポートがあれば東ベルリンに行けた)

 そしてこの「壁」は当然,そこに暮らしている人たちの家庭や生活を突然分断した。たまたま仕事で東ベルリンに行っていた人は帰れなくなり,近くに住んでいた兄弟や親戚の家の間にも「壁」は作られ,人々は引き裂かれた。


 主人公は東ドイツの水泳自由形のトップスイマーであったハリー。彼の親友のマチス夫妻は封鎖当夜,下水道を通って西ベルリンへの脱出を図るが,マチスの妻カロラ(妊娠中)は脱出できずに捕まり、町巣のみが脱出できた。ハリーは数日後,偽パスポートを使って脱出に成功する。しかしハリーの最愛の妹ロッテは夫と娘とともに東ベルリンに残っていた。

 そこでハリーとマチスはロッテ一家とカロラの脱出計画を練る。「壁」近くの家を借りてその地下室に深さ5メートルの穴を掘り,そこから145メートルに及ぶトンネルを掘り,東ベルリンの廃工場の地下に到達し,脱出しようという計画だった。そして,同じく家族を東ベルリンに残したままの2人も加わり,4人でのトンネル掘りが始まった。

 しかし,使える道具はスコップだけで、人力のみでのトンネル堀りは遅々として進まない。途中で仲間が増えたが,仲間が増えるということは秘密を保つことが難しくなることも意味していた。東ドイツのスパイが潜入している可能性があったからだ。

 そして同時に東ドイツの側でも,有名人であったハリーの妹のロッテにも監視の目が光るようになってきた。一方、捕らえられたカロラは出産したが,赤ん坊と一緒に暮らしたいならロッテに近づき脱出計画を聞き出せ,と協力を強制されていた。カロラに選択の余地はなかった。

 トンネルは8ヶ月かけてついにトンネルは目的の145メートルまであとわずかになった。しかし,東ベルリンに暮らす家族や恋人に脱出決行の正確な日時とトンネルの入り口の場所を伝えなければいけない。そのためには誰かが東ベルリンに侵入し,彼らと直接接触しなければいけない。もちろん、東ドイツ当局が脱出を見逃すはずはなく、西ベルリンに知人のいる市民は常に監視下に置かれていた。

 そしてついに脱出の日が来る。彼らは危険を承知で「壁」に近いカフェに集まってくる。しかしちょうどその頃、メンバーの一人の自宅に東ドイツの秘密警察が大挙して踏み込んでいた。脱出計画はまさに風前に灯火だった。


 とにかく,最初から最後まで余計なエピソードがなく,実際に起きた出来事だけを分かりやすく提示しているのがいい。カメラワークも極めてオーソドックスなら、事実を淡々と描いていく手法もケレン味がない。だからこそ、事実のみが持つ迫力の凄みが伝わってくるのだ。特に,最後の脱出シーンの緊迫感は凄まじいばかりで,たとえ結果がわかっていても手に汗を握る緊張の連続だ。

 登場人物も魅力的だ。どんな問題が起きてもそれに立ち向かおうとし,危機的状況でも諦めずに頭脳をフル回転させるハリー,東ベルリンに残した妻が当局に寝返ったことを知って苦悩するマチス,兄が必ず救ってくれることを確信しながらも当局に重用される夫と間で板挟みになるロッテ,夫との間にできた子供を守るために夫を裏切らなければならなくなって苦悩するカロラ,戦争で片足を失い異国で根無し草のように暮らしながら東ベルリン市民の脱出に手を貸すアメリカ人など,全ての登場人物がリアルに描かれている。だからこそ、どの登場人物にも自然に感情移入ができるのだ。


 とりわけ忘れられないのは,トンネル掘りに参加した唯一の女性(恋人と「壁」で離れ離れになっている)の恋人が有刺鉄線を乗り越えようとしたところで警備兵に銃撃され,それでも必死にはいずりながら壁に向かい,「壁」を隔てて恋人が向かい合ったところで絶命するシーンだ。厚さわずか10センチの壁が人を隔離する残酷さが見事に暴き出している。そして,彼を撃ち殺す兵士の姿も印象的だ。彼は命令に従って「壁」を越えようとする人間を撃ち殺すのだが,実際に撃ってしまった後,彼は動転する。撃たれてもまだ向こう側に行こうとする人間を見てどうしていいかわからなくなり、パニック寸前だ。「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」と大声で脅すが,相手は重傷を負いながらも止まろうとしない。しかも「壁」の向こう側からはその男を助け出そうとして手が差し伸べられている。

 「壁」を守る東側の兵士も普通の人間だったのだ、この若者に人殺しを命じたのは誰なのか,この若者に他の選択肢はあったのかと,見るものに鋭く問いかけてくる。恐らくこの場面は,この映画の白眉だろう。


 2009年の時点では,20世紀の共産革命,共産主義国家とは何だったのかと思ってしまう。あれは一体何だったのだろうか。

 私は1957年生まれだ。全共闘の世代は10年ほど上の世代で,「安保反対」のデモはテレビで見た記憶はあるが,それはあくまでも「テレビの世界」であり、私が高校に入学した頃(昭和40年代後半)には、学生紛争はすでに昔話だった。大学に入学した頃,まだキャンパスには革マル派や中核派の文字のある立て看板はあったが,自分たちとは無関係のものだった。共産主義や社会主義の知識は持っていたが,それらに対して特別な思い入れもないし,だからといって資本主義を積極的に支持するというわけでもなく,周囲の友人たちのほとんどは政治から距離を置いていた。

 そういう私にとって共産主義とは,主張していることはわかるが,不自然なものに感じていた。ソ連や東ドイツのように国民を監視していると伝えられていたからだ。国民を監視しなければ体制が維持できないとしたら,その体制はそもそも不自然であり,不自然だからこそ無理しないといけないのだろうと思っていた。

 また,共産党政権の国や共産党が強い国のすべてが,その前まで帝政,絶対王政国家の国がほとんどで,民主主義国家でなかったという事実も気になっていた。私の目には,皇帝や王様の代わりに共産党がおさまっただけじゃないかと映ったのだ。

 そして20世紀後半,相次いで共産主義国家は崩壊し,ヨーロッパ各国の共産党も衰退していった。共産党が主導する国家はいくつかあるが、北朝鮮に至っては「共産主義でありながら世襲性」という自己矛盾の道を平気で歩んでいるし,中国は共産党主導でありながら資本主義経済を導入するという危うい隘路を進んでいるように見える。そして、彼らの着地点はまだ見えていない。


 そして、永遠に崩れないはずの「ベルリンの壁」も、1989年11月に呆気なく崩壊した。崩壊してみたら「壁」はただのコンクリートの壁に過ぎなかった。瓦解した「壁」はただのゴミの山になった。

 21世紀の最初の10年がそろそろ経過しようとしている。20世紀に何が起きたのか、それはなぜ起こったのかを客観的に分析できるようになるまで、あと何年必要なのだろうか。

(2009/02/19)

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