新しい創傷治療:フィクサー MICHAEL CLAYTON

《フィクサー MICHAEL CLAYTON》★★★ (2007年,アメリカ)


 巨大農薬メーカーの闇を描いた社会派作品であり,2006年だったか7年だったかのアカデミー賞で作品賞,監督賞,脚本賞を含む7部門 にノミネートされ,出演しているティルダ・スウィントンが助演女優賞を受賞している。実際見てみると,これはアカデミー賞向きの映画だなと思うし,もしかしたらアカデミー賞狙いで作られた映画ではないかと感じた。

 確かに,利潤を追求する巨大メーカーの危険性はよく描かれているし,それを追う二人の男の姿も魅力的だ。ストーリーもよく練られている方だと思うし,映像も美しい。

 面白い映画であることは否定しないが,すばらしい映画かというとそうでもないような気がする。あのシーンの意味は,とか,あの人物の行動はあれしか選択肢がなかったのか,とか,あのシーンは本当に必要だったのか,とか,考え始めるといくらでも穴があるからだ。印象的なシーンは幾つもあるのに,そういうシーンに限って必然性がなかったりするのだ。社会正義を追求する本格派映画なら,もっと丁寧に作って欲しいのだ。


 とりあえず,内容はこんな感じ。

 ニューヨークの大手法律事務所に勤めるマイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)が主人公だ(映画の原題は彼の名前からとっている)。彼は45歳くらいで元々は弁護士だったが,18年前から,事務所が表に出せない案件を「裏」で解決する「掃除屋(フィクサー)」として働いている。しかし,18年働いているのに共同経営者にもなれず,弁護士に戻るタイミングも失い,妻とは離婚し,おまけに従兄弟の投資話に出資して大損し,ヤバい連中から借金返済を迫られている。しかも,法律事務所自体が経営が危ないらしく,買収話まで持ち上がっている。中年マイケルは公私ともにテンパっているのだ。

 そんなある日,巨大農薬会社に対する健康被害に関する集団訴訟で農薬会社側の弁護団を率いる担当弁護士の同僚アーサー(トム・ウィルキンソン)がとんでもないことをしでかした,と連絡が入る。原告団との協議中,いきなり服を脱ぎだして裸になり,原告団の一人の若い女性に「君が好きだ」と迫ったのだという。当然,マイケルにこの事件のもみ消しと事態の収拾の命令が下る。

 しかし,事件を調べていくうちにマイケルは,販売している農薬の危険性に関する内部文書をアーサーが入手し,会社の弁護を続けることに良心の呵責を感じ,あの奇行に走ったことを知る。一方,農薬会社の辣腕弁護士のカレン(ティルダ・スウィントン)も会社の命令と真実の間で悩んでいた。

 そして,アーサー殺害の命令が出され,刺客の手はマイケルにも迫っていたのだった・・・というような,絵に描いたような社会派サスペンス映画だ。


 まず,映画の流れというか,ストーリーがわかりにくい。冒頭,アーサーの何やら意味ありげなモノローグで始まり,すぐにカードの賭博に興じるマイケルの携帯電話に「裏の仕事」の依頼が入り,どっかの有力者の交通事故もみ消しのシーンになり,すぐにマイケルが車を走らせるシーンになり,車を降りるとそこに3頭の馬がいて,いきなり彼の車が爆破炎上・・・と続くのだ。そしていきなり,「その4日前」と表示され,時間が巻き戻される。要するに,事件の結末を先に見せておいて,なぜそうなったのかを後から解決していく,という手法なのだが,これがまるっきり効いていない。

 確かに見終わってみると,そうか,冒頭のあのシーンはこういう意味だったのか,このシーンはこういう意味だったのかとわかるのだが,ただ単にわかっただけで,それが映画全体の感動とか驚きとかに繋がらないのだ。これだったら,アーサーのモノローグだけそのままにして,4日前の出来事から順序よく映し出すべきだったと思う。これでは単に,作り手側の自己満足であり,単なる趣味の押しつけである。


 ジョージ・クルーニーは渋くて格好いいが,彼が演じるマイケルは格好よくない。「フィクサー」というタイトルから,政治の黒幕とか闇将軍とか,そういうのを勝手に連想していたら,全く違うのである。交通事故のもみ消しとか,訴訟の取り消しを金で依頼するとか,なんだかいきなりスケールダウンなのだ(ま,勝手に想像した方が悪いんだけど)
 おまけに,18年間もそういう仕事をしているのに大した給料をもらっている感じでもない(だから,従兄弟の出資話に投資したわけだ)。普通ならそういう汚れ仕事を18年もしていれば,有力者とのコネもできるだろうし,もっと有利な職場に移るのも簡単だと思うのだが,マイケルはそうでないようだ。
 つまり,弁護士としてもフィクサーとしても二流だったから出世もできなかった,としか思えないのである。彼について上司は「彼は奇跡の仕事師,伝説の掃除屋」みたいな紹介をするんだけど,それって誇大表示じゃないですか? 「奇跡の仕事師」ならそれ相応の報酬を出してやれよ。

 アーサーも行動もよく考えると意味不明。もちろん,農薬会社の有害性を認める内部文書を手に入れてしまい,そういう会社を俺は弁護をしなければいけないのか,と葛藤するのはいいとしても,いきなり服を脱ぐか? 後半,原告団の若い女性に恋しちゃったことが明らかになるが,それならなおさら,和解協議の場で服を脱ぐ必要はないだろう。服を脱ぐなら別の場所だろ!
 つまり,「会社の秘密を知ってしまった」と言うことと,「原告の女性に好意を持ってしまった」というのと,「公の場で裸になった」という行動の間に全く関連性が感じられないのだ。さらに,孫ほども歳の離れた女性との愛を本気で考えていたのか,相手の女性がどう思っているのかも,映画を見る限りよくわからない。

 アーサーが入手した秘密文書を大量に製本してもらうというのもどうかと思う。さっさとスキャンしてPDFファイルにし,自分が脱いだシーンを撮影しておいて,その動画と一緒にYouTubeにでも投稿すれば,あっと言う間に世界中に知らせることができるからだ(2006年にはYouTubeはなかったかもしれないけど,ネットにばらまく手段はいくらでもあった)。あるいは,農薬会社にメールでPDFファイルを送りつけ,「金を払わなければ,世界中のサーバにばらまくぞ」って脅しをかけるという手もあったな。何で,こんな簡単な手を思いつかなかったんだろうか。


 そして,この映画で助演女優賞を獲得したティルダ・スウィントンも実は大した演技をしているわけではない。彼女が演じるカレンは,農薬会社側の弁護士で,常に自信満々に交渉に当たっているが,実は自分の仕事に疑問を感じていて悩んでいた・・・という役柄である。しかし,印象に残っているのは例の「脇汗」のシーンだけで,その他は印象は薄い。こういう悩みは仕事をしている人なら誰でも持っているわけで,彼女の仕事特有というわけではない。そんなにストレスになっているんなら,その会社を辞めちゃったらいいのに,と言いたくなる。そして,人に嘘をつかなくていい仕事に就いたらいいだけじゃん,とスクリーン上の彼女の悩むシーンを見るたびに文句を言いたくなる。
 「大企業の弁護士というと,血も涙もないように思われるけど,実はそうじゃないのよ」ということを言いたくて彼女を登場させたんだろうか。
 しかもこのスウィントンという女優さん,美人は美人なんだけど,人間的魅力に欠けるんだよね。なんでこの程度の演技でアカデミー賞? というのがこの映画最大のミステリーのような気がする。

 最後にマイケルがカレンに一芝居打って,不正したことを口走らせ,それを録音して証拠とし・・・となるんだけど,このシーンにしたって,カレンが最後まで「それって何の話でしょう? 全く思い当たりませんわ。お引き取りください」って突っぱねたら,マイケルはどうするつもりだったんだろうか。だって,カレンがストレスを受けて仕事をしていることはマイケルは知らないわけだし,この時点ではカレンがどっちに転ぶかは不明なのだ。うまく自白してくれたからよかったが,ちょっとこれは都合よすぎ。


 疑問と言えば,例の馬のシーン。なぜあそこでマイケルが車を降りたのかがよくわからないのだ。しかもカーナビにも道が載っていないような辺鄙な場所である。なぜあそこで都合よく降りたんだろうか。馬とマイケルの関係もよくわからんし・・・。

 さらに,アーサーをあれほど手際よく殺した刺客2人組(このシーンは凄い。靴と靴下を脱がせ,爪の下に注射するのだが,なるほど,ここなら注射痕は見つからないだろう)なのに,マイケルを殺すのになぜあんなに手間のかかる方法を選んだのだろうか。車ごと爆破したら必ず警察が動くはず。それなら,街の中で射殺して強盗の仕業に見せかけた方が簡単だろう。何しろ舞台はニューヨークだし・・・。

 訳がわからないと言えば,事件の鍵を握る例の赤い表紙の本。マイケルの別れた息子がアーサーに電話をかけるシーンがあり,息子との会話を思いだしたマイケルがアーサーの部屋で本を見つけ・・・という重要な小道具なのだが,なぜマイケルの息子が夜にアーサーに電話をかけているのか,二人はどんな関係なのかも全く説明なし。事件解決の鍵を握る小道具なんだから,もっと丁寧に説明してくれないと困るのだ。

 それと,エンドロールでマイケルがタクシーに乗り込み,運転手に5000ドルを渡して「これで行けるところまで」と告げ,タクシーが走るシーンで終わるのだが,そのタクシーの後ろをずっと同じタクシーが付けてくるように見えるのだ。私はてっきり,全てが解決したと思ったら,後ろのタクシーからいきなり銃弾が! というシーンで終わるのかと思って見ていたが,全然違っていた。それならなぜ,あのタクシーが付いてくる? 意味のないシーン,入れるなよ!


 とまぁ,全面辛口モードになってしまった。良心的に作られた社会派映画として見てみると,細部の作りが甘いし,細部にこだわるあまり,全体のバランスが余りにも悪すぎるからだ。アメリカで大ヒットした作品であり,ジョージ・クルーニーが「私はこの映画に出演するために生きてきた」みたいなことを言っていたんで期待してみた分,ガッカリ感もまた強いのである。

(2009/06/05)

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