新しい創傷治療:ウォーター・パニック in L.A.

《ウォーター・パニック in L.A.》★★(2006年,アメリカ)


 もしも水道の水が飲めなくなったらどうなるのか,何が起こるのかという真面目な社会派パニック映画なのですが,無茶苦茶つまらなかったです。低予算だから仕方なかったんだよね,という作り手側の言い訳はよく伝わってくるのですが(オイオイ),パニック映画ならもうちょっと緊迫感を出せよと言いたくなりますね。上映時間が75分足らずと短かったため,十分にパニックになった人々を描けなかったんだよ,というつもりなんでしょうが,それにしてもロサンゼルスのインド人社会の宗教的(?)儀式を延々と映したりして,バランスがすごく悪いんですよ。これじゃ一体,パニック映画を作りたかったのか,人種差別問題を描きたかったのか,多文化の共存が描きたかったのか,全くわかりません。


 舞台はもちろんロサンゼルス。この大都市が水源としているダムに何者かがウイルスをばらまいたらしく,水道の水を飲んだ人に病気が発生し,次第に死者が増えていきます。州政府は何者かによるテロと断定し,水道の水を飲まないように,水道の水を使わないようにという通達を出します。

 それをラジオやテレビで知りロスを抜け出して父親の住む町に行こうとする若者とその友人,街でスーパーマーケットを経営するインド人の青年とその母親,インド人青年の恋人である白人女性,州兵である軍曹と彼の妻と幼い子供,彼らが主要登場人物であり,彼らの行動を並列的に描いていきます。

 水が飲めなくなってから2日目,スーパーでは強奪事件が起き,ダムをパトロールしている州兵は釣り人をテロリストの疑いで逮捕するようになり,軍曹たちは飲料水を盗む若者たちに遭遇して彼らを撃ち殺してしまいます。そして3日目,水を求めて町中をさまっている二人組の若者の一人がついに銃を片手にインド人経営のスーパーに押し入り,たまたまそこに軍曹の妻と娘も巻き込まれ・・・という映画です。


 普通なら「水道の水が飲めない」というのは生死の問題ですから,ロスの街中で水争奪戦が起こったり,市民が暴徒化するんだろう,とか,州兵が大規模に召集されてロスを封鎖するんじゃないだろうか,とか,飲料水を運ぶ軍の車両がさらにテロの標的になり壊滅的な状況になる,とか,いろいろ考えますよね。それなら面白い映画になりそうな気がするんですが,この映画はそういう方向には全然進みません。上述の数組の人間たちの様子を淡々と描いていくだけです。多少緊迫した雰囲気はありますが,これなら全然余裕じゃん,という感じです。水が飲めなくなったらこんなもんじゃ済まないだろうとツッコミが入りまくりです。こんなに余裕しゃくしゃく,微温湯的なパニック映画も久しぶりです。

 もちろん,軍が水を配り,それに人が群がる様子は映し出されますが,「一人,ペットボトル1本だけ」というのにみんなお行儀よく水を受け取っていてパニックのパの字も見あたりません。それどころか,例のインド人母の自宅ではみんな集まって儀式をしている始末で,しかもそれが延々と続きます。ここだけみていると,この映画はロスにおけるインド人コミュニティを描いたドキュメンタリー映画にしか見えません。


 若者二人組も二日目の晩に乱闘騒ぎを起こしますが,水が飲めないからではなく,単に酔っぱらって乱闘になっただけのようだし,翌日,「俺の母親は俺が原因で自殺したんだ。だから,俺をマザコンって呼ぶんじゃない!」というシーンは完全に余計。

 おまけに,ラストでテロリストが逮捕されますが,ふつうのアメリカ白人の単独犯で,何のために事件を起こしたのかも不明。ここで突然,「犯人逮捕」と言われても困るんだけどなぁ。逮捕するんなら,その前にFBIによる捜査の様子とか描いてくれないと見ている方が困るんですけど・・・。


 75分と短い映画なのに,なんでこんなにダラダラ感が強いんでしょうか。多分,中心になる登場人物がいないためでしょうね。三組の人間にだけ焦点を均等に合わせているため,どうしても「半径10メートル以内の出来事」を描いているだけに見え,「水道の水が飲めない」という大事件の割にはロスの街全体の様子が全く描かれていないのが最大の欠点でしょう。全体像がまるっきり見えてこないから,これで「ロスはパニック」と言われても困ります。

 もちろん,低予算のためにロケの場所も限られるし,人件費も削りまくるしかなかったんでしょうが,それならそれで,「水道水が突然飲めなくなった」という状況はそのままにして,舞台をどこかの密室にして,そこから動けなくなった人間が追いつめられていく様子を描く映画にしたら,もっと緊迫感に富んだものになったはずです。このあたりは,映画の作り方が下手だなぁと思いますね。

(2010/06/04)

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