新しい創傷治療:ザ・クリーナー 消された殺人

《ザ・クリーナー 消された殺人》★★★(2007年,アメリカ)


 「ラスト6分40秒、この罠は見抜けない!」というのが謳い文句のサスペンス映画なのだが,悲しいことにその「罠」が明らかになると「オイオイ,それが理由かよ!」と脱力してしまった。この程度の真相を明かすために90分間引っ張ってきたのかよ,と文句を言いたくなる。竜頭蛇尾とはこのことだろう。

 多分,この映画の監督は最初からシリーズ化を狙っていたんじゃないかと思われる。だから,シリーズの中でこれから説明されるべき色々なエピソード(例:主人公の妻の死の裏事情,その犯人の獄中での不可解な死,その死にはどうやら警察組織が絡んでいるらしい・・・など)を随所に散りばめたのではないだろうか。そのため,一つの独立した映画として鑑賞すると,ストーリーの本筋と関係の無いエピソードの描写が多すぎて散漫な印象が強くなってしまったと思われる。

 それと,DVDのジャケットが最悪。これを見ると,[左端のお姉さん=サミュエル・ジョンソン],[真ん中の黒人=エド・ハリス],[右の白人おじさん=エヴァ・メンデス]と思わないだろうか? もちろん,左端のお姉さんはエヴァ・メンデスなのだが,なんで名前と顔を一致させなかったのだろうか。配給会社は最後の詰めが甘いぞ。


 不慮の事故で妻を失った元警官のトム(サミュエル・L・ジョンソン)は14歳の娘ローズと二人暮らしで,特殊業務を請け負う清掃会社を経営していた。殺人事件や事故が起きた部屋に残された血糊や汚物や臭気を除去してきれいにする清掃会社である。

 そしていつものように,殺人事件の現場の清掃の仕事が舞い込み,トムは無人の大邸宅のリビングルームに残された血糊や肉片をいつもと変わらず淡々ときれいにしていった。しかし,部屋の鍵を家人に返せなかったため(無人だったから当たり前である),翌日,トムはその家を再び訪れたが,出迎えたその家の住人アン(エヴァ・メンデス)は清掃を依頼したこともないし,それどころか,自宅で殺人事件が起きたことすら知らないのだ。

 そしてテレビで,アンの夫で実業家のジョン・ノーカットが突然失踪したというニュースが流れる。実はジョンは,警察を舞台にした大規模な贈収賄事件の証人として大陪審で証言する予定だったのだ。トムはそこで,自分が「証人の口封じの証拠隠滅」のお先棒を担がされたことを知る。このままでは自分が容疑者となってしまうと悟ったトムは,警察時代の同僚である刑事(エド・ハリス)に事情を打ち明け,彼と連絡をとりつつ事件の真相を探ろうとする・・・というサスペンス映画である。


 最初の30分間はほぼ完璧である。何より,殺人事件現場の死臭と死体の痕跡を消す「クリーナー」という仕事を淡々とこなしていくトムの姿が最高に格好いい。その手際の良さはまさにプロフェッショナルという感じだ。そして,殺人事件の多い社会ではこういう仕事をする人間が必要とされることもよくわかる。

 「これはもしかしたら,最初からシリーズ化を狙っていたのではないか?」と書いたが,この「クリーナー」という仕事の性格から,「掃除をしていたサミュエル・ジョンソンが警察が見逃していた証拠を探し当てる」とか,「痕跡を消すためのノウハウを少しずつ明らかにしていく」とか,いくらでも話を続けられるはずだ。要するに「家政婦は見ていた」ならぬ「クリーナーは見ていた」シリーズである。その意味では,「クリーナー」という面白い職業(?)によく目をつけたものだと感心したくらいだ。


 そして,映画の後半は「誰がノーカット氏を殺したのか?」という謎解き部分となるが,ここが問題だ。主要な登場人物が少なく(トムとトムの娘,ノーカットの妻アン,かつての同僚の刑事,その同僚とウマが合わない嫌味な刑事),この中に真犯人がいることが明らかだからだ。主人公のトムと彼の娘が犯人ということはありえないから,犯人は残りの3人に絞られる。この中で「一番怪しい奴は実は犯人ではない」というサスペンス映画の鉄板の定石があるから〇〇は犯人ではないはずだ。となると,犯人は2人のうちのどちらかになるが,犯行に直結するような動機が最後の最後になるまで明かされないのだ(後から見直すと、犯人が最初に登場するあたりでこの「動機」をほのめかす言葉はさりげなく登場するが、あまりにもさりげなさ過ぎて気が付きようがないと思う)。これでは,観客側は推理のしようがないのである。

 そういうわけで,最後の6分になって初めて「殺人の理由」が明らかにされるのだが,その理由がなんともトホホなのだ。これでアンの旦那を殺すか? この理由で殺人を犯すか? 普通はしないと思うぞ。「クリーナー・シリーズ」の一つとしてならこういう理由での殺人もありと思うが,単一作品でこの理由付けはないと思う。

 それと,この理由を正当化するためには,エヴァ・メンデスとエド・ハリスでは年齢差がありすぎてリアリティがない。少なくとも,エヴァがファザコンで自分の父親くらいの年齢の男にしか魅力を感じなかった,なんていう説明は必要だったと思う(・・・とさり気なくネタばれしときます)


 というわけで,説明し過ぎの部分(トムと娘の関係の描写)と,説明なさ過ぎの部分が混在している映画である。公開する前にもう一度全体を見直して、全体のバランスを調整すべきだったと思う。

(2010/11/30)

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