新しい創傷治療:バティニョールおじさん

《バティニョールおじさん "MONSIEUR BATIGNOLE"★★★★★(2002年,フランス)


 実にいい映画であり感動作。第二次大戦中のドイツ占領下のフランスで暮らす小市民(時代の流れに押し流されるだけで主義も主張もない)の中年男を主人公とする作品なのだが,愛と涙と冒険の物語なのだ。面倒な争いごとがいやで,人と競争することが嫌いで,妻からガミガミと言われては馬鹿にされている禿のメタボ体型の中年おっさんが,行きがかり上しょうがなくてユダヤ人の子供3人を抱えて必死の逃避行をし,最後に溜まりに溜まった怒りを爆発させるシーンは痛快で感動的! 冴えないメタボおっちゃんの勇気が神々しいばかりだ。そして,スイス国境を越えるシーンは美しく爽快だが,テロップで流されるその後の彼らの人生は深くて苦い。

 フランス映画の素晴らしさと面白さを存分に味わえる名品である。


 ナチス・ドイツ占領下のパリで精肉店を営む平凡な中年男,それがバティニョール(ジェラール・ジュノ)だ。口やかましく夫の不満ばかりもらす妻,才気に富む活発な娘,そして娘の婚約者のピエール=ジャンと平凡に暮らしていた。ちなみに,ピエール=ジャンはドイツ軍に上手に取り入ることで出世を願っている劇作家である。

 しかし,1942年7月,親ドイツ政策をとるビシー政権はユダヤ人と共産主義者の一斉検挙に踏み切った。バティニョールのアパートの隣に住む裕福な外科医バーンスタインは身の危険を感じて密かにスイスに脱出する計画を立てていたが,ピエール=ジャンは警察に彼らがユダヤ人であると密告し,バーンスタイン一家は脱出寸前に逮捕され,強制連行されてしまう。

 主のいなくなったユダヤ人の住居はフランス警察が押収し,次々に家財道具が運びされていった。そしてドイツ軍の協力者だった目端の利くピエール=ジャンはバティニョール一家に隣の空き家に住むように進言する。そしてピエール=ジャンの口添えでバティニョールはドイツ軍将校に肉と総菜を配達する仕事を手にする。やがて,バーンスタインのアパートに移り住んだバティニョールの新居で,軍協力者を交えてのパーティーが開かれた。

 その時,家の呼び鈴が鳴る。バティニョールが出てみるとバーンスタイン家の12歳の次男シモンがポツンと立っていた。そして彼は「おじさん,ここは僕の家だよ。パパとママはまだ帰っていないの?」と言う。面倒なことに巻き込まれるのが何よりいやなバティニョールはシモンを屋根裏部屋に連れていき,ここから一歩も出るなと命じた。少年は家族と一緒に列車に乗せられたが,父親の機転で脱走し,3日間歩き続けてパリに帰ってきたのだ。バティニョールは図らずもシモンを匿うこととなり,家族に隠れて食事や飲み物を運んで世話を続けることにした。

 その後,「屋根裏部屋から音がするみたい」と家族が不審に思ったことからシモンを地下室に移すが,翌日,地下室には2人の女の子が増えていた。シモンの従姉妹のサラとギラだった。彼女たちもまた,家族が強制連行される際に何とか逃げ出し,親切な隣人に匿われていたのだった。

 家族に隠して子供3人を地下室に匿うのはさすがに不可能だ。だが子供たちを安全なスイスに逃がすためには,それなりの資金と逃亡を手伝う仲介人が必要だ。何とか仲介人の目処が立ち,明日脱出すると地下室の子供たちに告げたその時,彼の家の電話が鳴る。ピエール=ジャンが電話をとるとそれは軍司令部からのもので,バティニョールにすぐ出頭しろ,という内容だった。そしてピエール=ジャンは強引に地下室に入ってくるが,そこで彼は3人のユダヤ人の子供を見てしまい・・・という映画である。


 フランス映画ではナチス・ドイツ占領下のフランスの舞台にした作品がいくつもある。これまで紹介したものとしては《ピエロの赤い鼻》がそうだ。その他にも,ドイツ軍にテロを仕掛けるレジスタンスを描いたものもあるし,ドイツ軍協力者の戦後の悲惨な末路を描いたものもある。フランスにとっては「そういえば70年前にこんなこともあったよね」では済ませられない痛恨の歴史であり記憶なのだろうと思う。だからこそ,繰り返し繰り返し,この時代を舞台にした映画が作られるのだろう。

 そういう作品群の中で,この《バティニョールおじさん》の主人公は抵抗者でもなければ積極的な協力者というわけでもない。もめ事が嫌いで厄介ごとには関わりたくなくて,政治的な行動も嫌いで,とにかく平々凡々とその日その日を暮らしていくことで必死だ。同時にバティニョールは第一次大戦では前線で銃を持ってドイツ軍に立ち向かい,当然のこととして祖国フランスを心の底から愛している。だから,ドイツ軍におべっかを使ってまで儲けようとは思わないが,ピエール=ジャンの仲介であればドイツ軍相手に商売することも特に厭わないし,それを疑問に思っている様子もない。いわば,いつの時代にもどこにも普通にいる等身大の人間であり,サイレント・マジョリティを代表するような人間だ。

 現在の私たちの目からするとドイツ軍に取り入って出世を望むピエール=ジャンはとても愚かだし,バティニョールがドイツ軍に接近するのも後々危険になる行為だから危なっかしく見える。だがそれは,1945年にナチスドイツが崩壊することを知っているから言えるようなもので,後出しジャンケンに過ぎないのである。
 もしもナチス・ドイツが1945年に敗北しなかったら,あるいは別の形で戦争が終結していたら,ピエール=ジャンは間違いなく大儲けしただろうし,逆に1943年にナチスが崩壊したら彼は同胞から裏切り者としてリンチを受けて殺されていたかもしれない。すべては結果論なのである。時代がどっちに転がっていくかは全く予測つかない以上,一日ごとの情勢の変化を読んで,もっとも安全そうな方向を選択するしかないのである。結果的に最悪の選択であっても,それを選んだ時点では最善の選択だったということはよくあることなのだ。だから私には,ピエール=ジャンの行動もバティニョールの行動も理解できるし非難しようとは思わない。


 そういうサイレント・マジョリティたる小市民の前に一人のユダヤ人少年が出現する。まさに小市民にとっては厄介の種であり招かざる客だ。恐らくピエール=ジャンだったら速攻で警察を呼んだはずだ。しかし,バティニョールは子供を警察に突き出すことはしない。バティニョールも彼の娘も,サラとギラを匿っていた女性も,国境近くで暮らす未亡人も,子供を警察に突き出すなんて人間がすることではないと思っているからだ。だから,自分の身に危険が及ぶことはわかっていても子供を守ろうとしたのだろう。いくらドイツに占領されていたとしても,心まで彼らに売り渡したわけではないのだ。それが人間として自然な心境だろう。

 国境近くの農場で彼らの脱出を手伝う未亡人には二人の息子がいるが,この長男がまたなんとも人間臭い。まだ20歳くらいだが,レジスタンスに参加していて弟に「俺はレジスタンスの闘士で,機関樹もロケット砲も手に入れた。戦車だってある」と威張っていたが,実は全て嘘だったのだ。弟が兄に「シモンが連れて行かれる。早く助けて! 戦車を持っているんでしょ?」といわれて,実は持っていないことを白状する。恐らく,「レジスタンスの闘士」というのだって怪しい。多分,レジスタンス組織のパシリ程度だろう。もしもピエール=ジャンがこの村に生まれていたら「俺はレジスタンスの闘士で・・・」と威張っていたはずだ。

 そんな日和見主義者で無抵抗主義者でヘタレのバティニョールが,行きがかりから子供たちの脱出を企てる。最初は仲介者に金を渡してそれでおしまいにするつもりだったが,途中から自分で行くしかないと覚悟を決める。流され続けて生きてきたオッサンが突然,「真っ当な方向に流され」てしまう。そして覚悟を決めてからは後ろを振り返ることなく前だけ見て突っ走る。お上の言いなりに生きてきた風采の上がらない小太りオッサンが,警察署長に正面を向いて啖呵を切り胸を張る。「俺はこれまで真っ当に働いて生きてきた。そんな俺にお前が何か言えるのか。このクズ野郎!」と。それまで抑えに抑えてきた怒りが彼を英雄にする。勇者の魂が降臨したかのようなその勇姿に胸が熱くなる。


 それにしても,シモン役の少年が舌を巻くほどうまい。恐ろしく頭が切れ,大人相手に堂々と振る舞い,相手をよく観察している。したたかな12歳だ。おまけにすでに4ヶ国語を操り,バイオリンもうまいときている。ユダヤ人,恐るべし! しかし,こいつがまた空気を読まない勝手な行動ばかりして,ガキそのものなのだ。すごくいいセリフを言った直後に「でも,喉乾いた」,「食べるものないの?」と愚痴ばかり言うのだ。こんな聡明で利発で子供丸出しの少年を警察に突き出すなんて,やはりできないよなぁ。


 第2次大戦中のドイツ占領下のフランスを描いた映画,というとなんだか見る前から気分が重くなってしまうが,これはそんなことはない。全編に上品なユーモアが溢れ,ストーリーのテンポは快調そのもの,スリリングなシーンとお笑いシーンの交代もバランスが良く見事で,最高に楽しい映画だ。そして,結末に向かってどんどん物語は高揚し,涙と感動のエンディングまで間然とする所がない。まさしく,本物の傑作である。

(2011/09/28)

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