新しい創傷治療:スプライス

《スプライス》★★★(2008年,カナダ/フランス)


 基本的にはとてもよくできているクリーチャー系SFホラー映画。だけど、いろんな要素を詰め込み過ぎちゃって、しかもその要素が「ヲタク君の妄想系」なため、なんだか哲学的に見えるストーリーが、単なるゲームの中での設定っぽくて、「だからどうした」という感じなんですよ。一言で言えば「内容が深そうに見えて、実は底が浅いんだよね」という感じですね。

 だから、見終わった後に何か残るでもないし、感動するわけでもないし、せめてスタイリッシュな映像と懲りに凝った設定だけは褒めとくかな、というところかな。

 ちなみに、監督はあの《Cube》で華々しいデビューを飾ったヴィンチェンゾ・ナタリ。才能は有り余るほど持っている人だと思いますが、足りないのは実世界での生活体験と、実社会での苦労かな?


 クライブ(エイドリアン・ブロディ)とエルサ(サラ・ポーリー)は恋人同士の科学者で遺伝子操作のプロ。二人はある研究所に勤務していて、様々な生物のDNAを切り張り(=スプライス)して新種の生物を作る実験をしている。そこで二人は巨大ナメクジのような人口生命体を生み出すことに成功し、「ジンジャー&ブレッド」と命名する。

 会社はその人口生命体の作る物質の中から、様々な病気を治すタンパク質を見つけようとして出資していたが、ジンジャー&ブレッドに人間の遺伝子を組み込もうというエルサの提案は拒否される。余りに危険すぎるからだ。

 だが、人口生命誕生に有頂天のカップルは、新たに人間の女性から提供された遺伝子を切り刻んで組み込む実験を秘密裏に続け、ついに実験は成功し、新たな生命が生まれてしまう。それは巨大なオタマジャクシのような形をしていた。

 しかしその生命体は急速に成長し、「一日で一年分成長」し、どんどん形を変えていった。そして後肢が生えて歩けるようになり、次に小さな前肢が生え、人間のような形の生物に進化していった。

 人間の言葉は発しないが高い知能を示す新種の生物に、エルサはDren(逆から読むとNerd、つまりヲタク)と名付け、その飼育にのめり込んでいく。

 そして、研究所地下室での飼育の限界を知った二人は、エルサが生まれ育った家(今は無人)の納屋にDrenを連れて行き、そこで成長を見守ることにする。しかし、Drenは成熟した女性の形態をとるようになり、ある日・・・という映画だ。


 この映画についてのネットにあるレビューを幾つか読んでみたが、「こんなに気まずい気持ちにさせる映画って何?」というのがあった。まさにこれは「気まずさで一杯映画」なのだ。その気まずさは「できれば見ないで済ませたかったモノを見てしまった気まずさ」であり、例を挙げると、恋人が鼻毛を抜いているのを見ちゃったとか、両親のエッチを見ちゃったとか、アダルトビデオショップで父親(あるいは息子)と鉢合わせしたとか、そういう類の気まずさだ。もちろん、お互い人間なんだから鼻毛も抜くし、エッチもするんだけど、よりにもよって・・・という場合があるのです。
 この映画の作り手は、そのあたりの「気まずさ」というか、普通の人の感性と自分の感性との間に距離があることに気が付いていないようです。


 形成外科医で体表先天異常を専門にしている人間からすると、Drenの造形はレッドカードものですよ。多分、子宮内の人間の変化についての知識をベースに作ったと思われますが、途中のDrenの顔は正中顔面裂そのものです。実際にこういう患者さんを治療する側からすると、幼いDrenの顔を見たとたんにいたたまれなくなります。もちろん、異形人間が登場するホラー映画にはよく、正中顔面裂と思われる人物(?)が登場しますが、これの映画ではそれが大写しになり、しかも何度も繰り返し登場するため、いたたまれなさと気まずさを覚えてしまいます。実際にこういう患者さんもいるわけですから、この造形はちょっと無神経すぎます。


 あと、Drenを育てようとするエルサの言動がすごく嫌。もちろん、一種の母性本能から「娘を守りたい」という気持ちになっている、という設定なんですが、自分勝手に暴走して実験を続け、してはいけない実験で新たな生命体を作り上げたという「反則」をしているのに、なんだかんだと屁理屈をこねてはクライブを黙らせるんですよ。その際の「だって、こんな可愛いのに殺せっていうの?」とか「じゃあ、どうしろっていうの?」と、都合が悪くなると感情むき出しで押し通そうとする言い方が、見ていて嫌になります。

 あと、「どう見ても異形顔のDren」にひらひらワンピースを着せるエルサの感覚も私にはわかりません(・・・ま、一種の「児童虐待」なんだろうけどね)

 対するクライブ君も優柔不断というか、肝心なところではエルサの言いなりになっているくせに、都合が悪くなると「だってあのとき、君はこんなことを言ったじゃないか」的な逃げを言うのも何だかなぁ・・・。もちろん、クライブ君の気持ちはよくわかるけどさ。

 あと、この映画で必ず問題になる「近親相姦」問題。もちろん、Drenが厳密な意味での娘かというとそうとも言い切れないため、映画監督としては「これは近親相姦に見えますが、実は違うんですよ」的ないいわけを考えていて、これが一種の「保険」になっているわけですが、これは確信犯でしょう。おまけに、「新種生物は途中で性転換する」という設定まであるもんだから、Drenは最後の法でDren@男に変身し、これが・・・となっちゃわけで、もうここまでくると、単なるナタリ監督のヲタク趣味に過ぎないと思います。もちろん、趣味といっても悪趣味方面ですけどね。


 というわけで、なにやら深刻そうなテーマを扱っているようなんだけど,よく考えてみると底が浅い,という印象です。映像のセンスの良さとか展開のテンポの良さとか,映画監督としては有能な人だと思うんだけどねぇ。

(2012/10/18)

Top Page