『ニワトリ 愛を独り占めにした鳥』★★(遠藤秀紀,光文社新書)


 私の元には光文社の担当編集者から毎月のように,その月に出版された光文社新書がすべて届けられる。ほとんどは私の指向,好みに合わないため,タイトルを見ただけで手に取ることはないが,それでも月に1冊くらいは面白そうなものがある。これはそういった一冊である。

 なぜこの本を手に取ったかというと,もちろん,生物学の分野の本だという理由もあるが,ニワトリだけで新書一冊分の原稿用紙をどうやって埋めるつもりなんだろうか,どうやってページを文字で埋めているんだろうか,という「本の書き手」としての興味が強かったからだ。著者略歴をみると,以前紹介した『人体 失敗の進化史』(光文社新書)を書いた動物解剖学の専門家である。もちろん,ニワトリの解剖だけで専門書は書けるが,一般向けの新書となるとそうはいかないはずだ。一般の読者がそれに興味を持つとは到底考えられないからだ。

 というわけで読んでみたが,予想を遙かに超える面白さだった。地球に誕生したホモ・サピエンスという霊長類はどのようにして野生動物を家畜としてきたのか,何のために家畜を必要としたのか,そもそもなぜその動物が選ばれたのかという謎が,見事に説明されていくのだ。ニワトリというちょっと(?)地味な家畜に焦点を当て,「愛」という言葉にこだわり続けてここまで面白い本を書き上げたことは,やはり凄いと思う。


 まず,ニワトリについての数字に驚かされ,自分たちはこの鳥について何一つ知らずに生活していることを思い知らされる。

 たとえば,日本で飼育されているニワトリは3億羽である。3億と言えば日本の総人口の3倍だ。いったい日本のどこにそんな数のニワトリが飼われているのだろうか。

 あるいは,鶏肉の国内消費量は年間200万トンだが,これはなんと,牛肉の1.5倍に相当する。1億人が1年間で200万トンといえば,1人年間20キロである。要するに,3日に1度は鶏肉を200グラム食べない限り,消費できない量である。私には絶対不可能な量だが,あなたはどうだろうか。一体,どこの誰がそんなに鶏肉を食べているんだろうか。

 さらに,鶏卵の生産量は250万トンである。1億人で250万トンといえば,一人当たり年間25キロであり,卵一個70グラムとして350個である。つまり,毎日欠かさず1個の卵を食べ続けない限り,「年間25キロの卵」は消費できないのだ。少なくとも私はそんなに卵を食べている覚えはないし,あなたも恐らくそうだと思う。「茹で卵好きタレントの坂東さん」なら屁でもない量だろうが,私には不可能だ。

 実は,この鶏卵は卵焼きやゆで卵や卵かけご飯として消費されているわけではないのだ。カップ麺の具として,ふりかけとして,ラーメンの麺やハンバーグのつなぎとして,マヨネーズとして,そしてクッキーやケーキなど多種多様なお菓子の材料として使われているのだ。スーパーマーケットの食品コーナーに並んでいるものの成分表を見てほしい。卵を全く含まない加工食品を探す方が一苦労のはずだ。要するに,鶏肉も鶏卵も様々に姿を変え,私たちに意識させることなくいつの間にか口に入っている。それが現代日本人の「食」なのだ。


 そして,卵を生むニワトリと肉を食べるニワトリは全く別物である。前者が白色レグホンであり,後者はブロイラーだ。

 1羽の白色レグホン羽1年間で生む卵の数は290個,つまり,ほぼ毎日卵を生むのだ。しかし考えてみてほしい。毎日卵を生む生物って他にいるだろうか。カラスやハトが毎日卵を生んだらどうなるだろうか。そもそも生物が残す子孫の数は,数が減らない程度で十分ではないだろうか。毎日卵を生まなければ白色レグホンという生物は絶滅するとでも言うのだろうか。しかも,体重2キロに過ぎない1羽の白色レグホンが生涯に生む卵の総量は18キロである。これは生物としては異形のモンスターである。

 一般に鳥という生物は非常に長命である。野生のオウムの寿命は80年,アホウドリは150年といわれている。ニワトリもその例外でなく,飼育すれば15〜20年生きる生物らしい。しかし,白色レグホンは生後2年で殺され,産業廃棄物として焼却される。しかし,その時点ではまだ10年以上卵を生み続けてくれるにも関わらず,一羽の例外もなく償却されるのだ。

 一方のブロイラーは,生後8週目で2.8キロまで急成長するが,それからきっかり50日後に殺され,食肉加工上に送られる運命だ。なぜ,15年生きる生物を4ヶ月以内に殺さなければいけないのだろうか。もちろんそれには理由がある。経済効率というやつだ。


 だが,これらは本書のほんの端緒に過ぎない。本書のテーマは「家畜という動物の誕生の謎」なのである。

 以前紹介した『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)という本は,「なぜ古代の4大文明はこの4カ所でしか誕生しなかったのか? なぜ,他の場所で文明が発祥しなかったのか? なぜ,人類誕生の地であるアフリカ大地溝帯は文明発祥の地にならなかったのか」という巨大な謎に迫る素晴らしい本だった。その謎解きで重要だったのが穀物と家畜の存在だったことはこの本を読んだ人なら覚えていると思う。
 一方,本書も家畜の発端を扱っているが,なぜ人間は動物を飼わなければいけなかったのか,なぜ飼おうとしたのかという問題を,人間の心理面から深く追求していくのだ。


 世界各地で飼育されている様々なニワトリのDNAを調べると,それは一つの種類の野鳥に行き着き,その鳥がすべてのニワトリの先祖であったことがわかっている。それがミャンマーの森に住むセキショクヤケイ(赤色野鶏)という鳥だ。つまり,白色レグホンもチャボも名古屋コーチンも比内鶏も尾長鶏もブロイラーも,すべてこの野鳥から分家したものなのだ。

 だが本書によると,このセキショクヤケイはおよそ家畜にできるものではないらしい。卵は年に2回,合計10個生む程度だし,体重も700グラムとハシブトガラスと同じくらいであり,食べられる肉はそれほど多くないはずだ。また,縄張り意識が非常に強く,雄は縄張りに入ってきた他の雄を追い出そうとする。これではケージどころか庭で飼うことすら不可能だ。また,卵を生んだセキショクヤケイのメスは抱卵と雛の世話に強い執着を見せるという。この点で,卵を生んだ途端にその卵のことを忘れて次の卵を生む白色レグホンの雌とは全く違っている。

 もちろん,「オスは縄張り意識が強く,メスは抱卵と雛の世話に没頭する」というのは野鳥では当たり前の性質であり(縄張り意識もなく産んだ卵を抱卵もしない鳥はとっくの昔に滅びているはずだ),普遍的な性質である。要するに,セキショクヤケイと他の無数の野鳥を分ける性質は何一つ見いだせないのだ。ではなぜ,8000年前の人類はカラスでもツグミでもヒヨドリでもなく,セキショクヤケイを選んだのだろうか。おまけに,飼いにくく卵も生まないセキショクヤケイを苦労して飼育し始めた時点では,5000年後に肉も美味く卵を毎日生む鳥に変身することはわからないし,たとえ5000年後にニワトリとして変身するとしても,それは5000年前にセキショクヤケイを飼い始める動機にはなりえないのだ。この鳥を飼うことで何らかのメリットが無ければ,飼いにくい鳥を飼うなんて面倒なことは誰もしなかったはずだ。それは8000年前も現在も同じはずだ。


 考えてみるとわかるが,人類誕生以前に「家畜という動物」はいなかった。いたのは野生動物のみである。その数ある野生動物の中からイノシシ一種を選んで飼育してブタという家畜を,オーロックス一種を選んでウシという家畜を,モウコノウマ(蒙古野馬)からウマという家畜を,オオカミを選んでイヌという家畜を,リビアヤマネコを選んでネコという家畜を,そしてセキショクヤケイを選んでニワトリという家畜を作ったのだ。

 ではなぜ,シマウマでなくモウコノウマだったのだろうか。なぜバイソンでなくオーロックスなのだろうか。なぜシマウマやバイソンは家畜にならなかったのだろうか。古代の人類たちは何を判断基準にしてこれらの野獣を選んだのだろうか。調べてみるとわかるが,イノシシも野生のウマもセキショクヤケイも気性が荒く,そのままではとても飼い慣らせるものではないからだ。おまけに,長く飼い続けておけば気性が大人しくなるという保証もないし,10年飼い続けても人に馴れない可能性だってあるのだ。実際,ウマとシマウマは似たようなものだが,シマウマはどのように工夫しても家畜化できないらしいのだ(その理由も本書に書いてある)。であれば余計に,「なぜモウコノウマだったのか,モウコノウマでなければいけない理由は何だったのか」という疑問が生じてくるはずだ。


 本書によると,実はセキショクヤケイは卵目的・肉目当てで飼い始められたものではないらしい。この気難しい野鳥を飼い始めた理由は食用以外にあったのだ。そして,食用以外の目的があったからこそ,飼いにくい性質を持つ野鳥を根気強く,何世代にも渡って愛情を注ぎ,徐々に飼い慣らしていったのだ。それが何だったのか,知りたい人は本書を読んで欲しい。おそらく,納得できる答えが書かれているはずだ。そしてそれこそが,本書のサブタイトルにある「愛」の本当の意味なのである。

 『銃・病原菌・鉄』でもこの家畜の問題は取り上げられていたが,両者の視点は全く異なっているため,併せて読むとさらに面白いと思う。

(2010/03/24)

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