本当は間違いばかりの「戦国史の常識」★★★


 日本の歴史といえばNHKの大河ドラマであり,大河ドラマの舞台といえば戦国時代か幕末が多い。だが,大河ドラマが歴史を正しく捉えているかといえば,どうもそうではないらしい。多くの場合,大河ドラマは歴史上の人物を主人公にした小説をベースにしているが,その小説は必ずしも史実に忠実に書かれていないからだ。

 正しくない理由は幾つかある。1つは,その小説がベースにした資料の問題だ。例えば,1959年に偶然発見された「武功夜話」という文書は堺屋太一や津本陽が歴史物小説を書く際に参考にしたことで有名になったが,本書でも言及されているように第一級の資料とは言いがたく,全面的に信頼できるものではないらしい(ちなみに,最も信頼の置ける歴史的資料とは,他人に読まれることを意図せずに書いた日記や借金の証文,家計簿などだ)。つまり,両氏の小説は本来「武功夜話を参考にして書いたフィクション」とワンセットで捉えるべきなのだが,いつの間にか小説として「武功夜話」と無関係に読まれるようになり,いつの間にかそれらに書かれたことは「歴史的事実」と考えられてしまう。

 さらに,作家の一方的な思い込みや好みが,あたかも普遍的事実のように捉えられることも珍しくない。まして,その作家が司馬遼太郎ともなると内容は無批判に正しいものと捉えられてしまう。その代表例が織田信長と坂本龍馬らしい。いずれも司馬遼太郎好みの人物であり,彼は信長と竜馬をことあるごとに「新しい時代を開いた英傑」と持ち上げた。その結果この20年間,「大好きな歴史上の人物」のアンケートでは,常にこの二人がトップを争っている。しかし,昭和50年頃まで,日本人が尊敬する歴史上の人物といえば豊臣秀吉や西郷隆盛であり,信長も竜馬も人気は低かったのだ。

 なぜ司馬遼太郎が信長と竜馬を持ち上げたかというと,彼の歴史観(=日本の歴史の中心は天皇ではない)に都合がいい人物だったからだ。つまり,自分の歴史観の正当性を主張するための手段としてこの二人を選んだと考えるべきだ。逆に,この二人を持ち上げるために彼らと対立した人物は低く評価されることにもなるわけだ。

 もちろん,司馬遼太郎の作品は小説でありフィクションなのだから何をどう書こうと彼の自由だが,読み手は司馬遼太郎があまりにもビッグネームのため,彼の小説を「歴史的事実を正確にわかりやすく描いた歴史書」として読んでしまったところに問題がある。


 そういう意味で本書は非常に面白い。膨大な第一級の資料を読み解き,さらに,資料が不足する部分では合理的な解釈を加えることで,「戦国時代の常識」を片っ端から一刀両断していくのだ。常識の嘘を暴いていこうとする気迫が文章に漲っていて,読んでいて心地よい。

 例えば,織田信長はもちろん政治的天才だったが,彼が天下を取れたのは単に京都に近い尾張が拠点だったからだと本書は説明する。これは要するに兵站線(=武器や食料の運搬輸送路)の長さの問題である。兵站線が伸びるにつれ必要物資が最前線に届きにくくなり,兵站線自体が敵の格好の攻撃対象になるからだ。つまり,信長が関東や東北の支配者だったら,京都まで伸びる兵站線はとても維持できないのである。

 更に一般的な解釈と異なり,信長は将軍義昭と最後は戦ったが,その後も信長は義昭の京都復帰を望んでいたし,信長が義昭からの管領や副将軍の役職提示を拒絶したのも,単に本拠地を離れて京都に移ることを危険と判断したためらしい。


 秀吉関連の「常識の嘘」も数多い。例えば,大河ドラマ『江』は「秀吉はお市の方に懸想をしていて・・・」と説明していたらしいが,そもそも二人が出会ったことがないと本書は一蹴している。更に,淀殿を側室にしたのも,織田家の血を引く秀勝が早世してしまったために他の選択肢がなかったための結果だという。織田家の平社員から雇われ社長に出世した秀吉は,織田家の正統の後継者としての「しるし」を何より必要としたのだろう。

 さらに「秀吉は清和源氏でなかったため征夷大将軍になれず,仕方なく関白になった」というのも間違いだという。清和源氏でない征夷大将軍の例はいくらでもあったからだ。血筋の制約が極めて強かったのは摂関であり,征夷大将軍も太政大臣も摂関に比べれば血統の制約は緩かったという。

 そして,秀吉の朝鮮出兵も従来の「家臣に与える領土が日本になくなったから」という理由ではなかったようだ。何しろ信長がすでに「国内を平定したら対外進出」と考えていて,秀吉は信長の路線継承をしたに過ぎないようだ。なぜかというと,世界は既に大航海時代であり,日本はそれと無縁では生きていけないとわかっていたからだ。そして,自由交易の障害となるのが中国だったわけだ。秀吉の誤算は,日本海に兵站線を確保できず,制海権を握れなかったことにある。海軍と陸軍は異なった論理で動かさなければいけなかったのに,秀吉は陸軍軍人であり,陸軍の発想しかできなかったのだ。


 伊達政宗による支倉常長のスペイン使節団も大航海時代を見抜いてのものであり,西日本でなく東北から出発する地理的必然性があったのだ。正宗の唯一の誤算は,スペイン宮廷が一枚岩でなかったことだけであり,正宗の判断ミスではないようだ。


 しかし,徳川幕府はそのような世界情勢を全く無視し,鎖国に方針転換する。戦国時代が終わったために軍事支出を減らすことが可能になり,米中心の農本主義的経済による内向き経済でも国家を運営できると判断したからだ。そして日本は世界の変化から無縁の独自路線を歩むが,これはまさに現在の北朝鮮を彷彿とさせる国家運営であり,それが260年も続いたわけだ。経済発展がないため国民全体の生活は向上せずに貧しいままに置かれ,社会構造が変化しないように身分の固定を強いられた。それが江戸時代の真の姿だ,と本書は喝破する。

 本書でも指摘しているが,江戸末期の黒船襲来時,一歩間違えば日本は植民地化されても不思議なかった。何しろ,火薬という物質を花火に利用することしか思いつかないのが日本と中国,一方,その火薬をもとに強力な大砲を作ったのが欧米だ。技術革新を拒否した花火の文化と,絶えざる技術革新を求めた大砲の文化がぶつかれば,花火に勝ち目がないのは明らかだ。日本が植民地化されなかったのは多分,西欧にとって清朝中国の方が「よりおいしい獲物」だっただけのことだろう。日本はそれを見て危機感を抱き,開国に舵を切るだけの時間的猶予があっただけではないかと思う。僅かなタイミングのズレで,その後の国の運命が大きく変化していた可能性は高いと思う。

(2012/05/07)

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