卑弥呼は何を食べていたか★★(廣野 卓,新潮新書)


 はっきり言えば,私は卑弥呼が何を食べていたとか,飛鳥時代以前の大王の食卓には何が並んでいたかとか,長屋王の豪勢な食事内容など,王侯貴族の食事には全く興味がない。興味があるのは一般庶民・農民が日常的に何を食べていたかだ。人類の絶対多数である「ごく普通の人」がどういうものを食べ,どういう仕事をし,どういう毎日を送っていたかを知りたいのだ。

 しかし,王侯貴族の食事内容は様々な公的文書や日記,書簡などにデータが残されていて,書籍も多数書かれているが,「名もなき人々の食事」となるとほとんどまとまったデータがない。それらについての情報は,歴史書の目立たない片隅や,雑談風に書き加えられたエピソードに断片的に見つかるだけだ(だから,大多数の読者はそれを見逃している)。その意味で,本書は貴重な一冊である。断片的とは言え,古墳時代は飛鳥時代の庶民の食生活についてのデータが(さり気なく)書かれているからだ。ましてや,古代日本の権力者や朝廷の料理については微に入り細を穿つように詳しくデータが挙げられていて,それらを再現した料理の味まで一部言及されているので,これらに興味がある人なら,手に取ってみて損はないと思う。


 それとは別に,糖質セイゲニストの立場から本書のデータや記述を読むと,これがまた面白いのである。本書の著者はもちろん糖質制限なんて知らないし,「日本人にとって主食とはコメ」という常識を大前提に書いている。その結果,著者が文章に込めた意図とは全く違った文脈で文章が読めてしまったりするのだ(・・・こんなヘソ曲がりな読者はあまりいないだろうが・・・)

 たとえば,『正倉院文書』には東大寺造営のために集められた工人・役夫たちに支給された食費の出納帳が残されている。庶民の食に関する当時の第一級の資料であろう。これによると,

役夫に支給された食品はコメ・塩・ワカメだけ,鋳造工に支給されたのはコメと4種類の調味料(塩,醤,巣,糖醤)と海藻のワカメとアラメだけ
 
 と記載されているらしい。これはどう考えても極端なまでのタンパク質不足の食事である。こんな食事で働かされたら体も壊すだろうなと思うし,当時の大貴族である長屋王の豪華絢爛たる食事(・・・と言っても干し物とナマモノ主体だけどね)と比べると,とんでもない貧富の差であることは否定しがたい事実だ。


 しかし,当時の工人や役夫は「コメと塩だけの食事」を食べて「なんて惨めだろう」と悲嘆にくれていたのだろうか。もしかしたら,「コメを食えるなんて夢みたい」と欣喜雀躍していたのではないだろうか。

 何しろコメは当時の庶民の食品ではなかったのだ。彼らはわずかな量のコメを雑穀と野草で増量した「糧飯(かてめし)」の形でしか食べていないのだ。しかもコメの食味の良さは他の雑穀とは比較にならないのである。当時の庶民にとって「コメだけの飯」は夢でしか出会えない存在だ。それが,東大寺建立に参加しただけで「コメだけ」食えるのだ。

 つまり,雑穀なしのコメと塩だけの食事は「夢にまで見た憧れの美味」だったはずだ。恐らく彼らは「コメと塩をワカメだけの食事なんて」と憤慨して食べたのではなく,「コメと塩だけで腹一杯なんて夢でも見ているんだろうか!」と感謝感激して食べていたと思う。


 何しろ本書によると,

「日本ではつい80年前まで,地域によっては雑穀や堅果類がコメと主穀の座を分け合っていた」
 
 のである。「すべての日本人(=庶民)」が「三食,白米を腹一杯食べる」ようになったのは,実は1960年代になってからなのだ。

 また,弥生時代の穀物出土状況に関するデータも興味深い。「弥生時代に稲作が全国で盛んに行われた」のは事実だが,この時代でもイネは2/3を占めるのみで他の雑穀が1/3を占めている。関東ローム層のようにもともと稲作に不向きの土壌が広がる地域では,イネの割合はさらに低下するわけで,イネは(納税作物として)必要な穀物だが,唯一の穀物でもなければ絶対的優位に立っていた穀物でもなかったと,本書では説明する。

 ところが本書の著者は,「日本の庶民は実は米をそれほど食べていなかった」と書いているのに,なぜか「コメ信仰とコメ神話」という常識に囚われていて,それを基準に論を組み立てている。「日本人と言えばコメ」という思い込みが,「情報とデータから演繹的に得られるはずの結論」をねじ曲げてしまった。


 その典型が,本書の最後の方にある

「コメに変わって主食になり得る雑穀や堅果類には,コメを凌ぐ栄養価の高いものが少なくない。堅果類の中でも炭水化物が60〜70%のトチの実とシイの実はコメに匹敵。コメを食べられないという観念的な貧しさは感じたとしても,栄養バランスは決して貧しくない」
 
 という文章だ。要するに「コメは炭水化物が多いカロリーに優れた素晴らしい食品である」というのを大前提にしていて,そのため 「古代の人達はコメを十分に食べられなかったから,仕方なしに栄養価(=炭水化物)の少ないドングリを食べざるを得なかった。なんて可哀想な貧しい時代だったのだろうか」 と書いたのだと思う。要するに,[米が食べられない]=[貧しい食事]という日本人特有の思い込みを,あたかも普遍的事実だと勘違いしてしまった。その結果が上述の文章であろう。

 しかし,私たち糖質セイゲニストは既に,日本人はコメを食べなくても生きていけるし,それどころか,コメ(=糖質)を食べないほうがはるかに健康になることを知っている。つまり,堅果類と海産物,小動物を食べていた縄文時代のほうが栄養学的に優れていて健康で,コメを中心にした弥生時代以降の食事のほうがはるかに栄養不足で不健康なのだ。

 そういう視点から「卑弥呼の食卓」を再現・考察してみたら,さらに面白い本が作れるんじゃないだろうか,なんて思ってしまった。


 そのほかにも,それぞれの時代における堅果類の種類の推移のデータも興味深いし,それ以上に勉強になったのは,ドングリのシブ抜きに関する知識だ。最終氷期が終わって日本の森林は針葉樹林から広葉樹林(=ドングリの森)に変化したことはよく知られているが,ドングリがたわわに実っているからといってすぐにドングリが食料になったわけではないのだ。

 ドングリを食料にするためにはまず石臼を発明しなければならないし,石臼を作ってドングリを粉にできたとしても,さらにシブ抜きという複雑な技術を開発する必要があったのだ。古代の人々がドングリを見つけてそれを食料にするまでには,乗り越えるべきハードルはいくつもあったし,それは決して容易な道ではなかったのだ。

(2013/04/11)

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