『海浜棒球始末記』(椎名誠,文春文庫)


 今でこそ椎名誠と言えば作家,エッセイストとして押しも押されぬ存在だが,私が椎名の名前を知ったのは,まだ彼が作家になる前からだった。ある書店で『本の雑誌』という変な表紙の雑誌を見つけ(「本の雑誌」という真面目なタイトルと似ても似つかわしくないおかしな絵が描いてあった。さわのひとしの異常画だった),ぱらぱら立ち読みしたらあまりの面白さにレジに直行して購入し,むさぼるように読んでしまった。様々なジャンルの本について,これは昼飯を抜いても買って読め,だけどこれはクズ本,こっちはさらにひどいウンコ本,と読み手個人の好き嫌いで本をメッタ切りするそのスタイルは衝撃的だった。それが『本の雑誌 第26号』との出会いだった。その本屋には『本の雑誌』のバックナンバーが少し置いてあり,全て買い込んでしまった(ちなみに,入手できた最も古いのは創刊第11号だった)

 その衝撃の雑誌の編集長が椎名誠であり,当時の彼は会社勤めをしながら文章を書いていた。しかし,20代初めの私は彼の独特の文体の眼の付け所のよさにしびれ,彼の大ファンになった。手当たり次第に彼の本(『さらば国分寺書店のオババ』など)を買い,彼がエッセイを書いている雑誌を見ては買い込み(当時,雑誌『ブルータス』にエッセイを書いていた),そして『本の雑誌』を毎号買った。


 今でこそ,この雑誌は書評誌として不動の地位を占めているが,当時はいつ出版されるか誰にも判らない「不定期」雑誌だった。隔月間,つまり2ヶ月に一度の出版をうたっているのに,それが守られる事はほとんどなかった。最も少ない時で年3回の発行しかできない年もあったはずだ。ヤケクソのように「本の雑誌は発行予定をうたわない」という宣伝(?)を載せた号もあった。

 それでも,この雑誌の愛読者達は,前の号がでて2ヶ月目になるとそわそわして毎日のように書店に顔を出しては落胆して帰る,という生活を送っていた。私もそうだった。そして,「もう出ないんじゃないの? つぶれたんじゃないの?」と不安になってきたある日,すまないねぇ,なんて顔をして雑誌コーナーに並んだ『本の雑誌』を見つけると,もう嬉しくなり,4ヶ月待たされた恨みなんかすっかりと忘れてしまったものだった。

 そういえば,椎名が「本の雑誌社」から出版した本の第1号である『活字中毒者地獄の味噌蔵』も,出版が遅れに遅れた本だった。『本の雑誌』に出版予告が毎号のように掲載されているのに,いつまで経っても本が出ない。「次こそは絶対に出します」と書いておきながら,まだ出ない。「今度こそ嘘はつかない」と書いておきながら,それでも出ない。しまいには,出版予告すら姿を消してしまった。お詫びだけまとめて本にしたらいいじゃないの,なんて読者からの投書があったっけ。
 この『味噌蔵』が出版されたのは,なんと最初の「出版予告」から1年半後だった。


 椎名の本で一番好きなのが,『哀愁の街に霧がふるのだ』シリーズと『わしらは怪しい探検隊』シリーズである。実際には,『哀愁』の延長線上,と言うか同じ登場人物達の野外でのバカ行動を書いたのが『探検隊』であるが,特に最初の『探検隊』は何度読んでもおかしい。無人島に行って焚き火をしてドンチャン騒ぎをするというだけのエッセイ(?)なのに,それがムチャクチャ面白い。徹底してバカな事しか書いていないのに,なぜかしみじみとした読後感を残す。それが作家としての椎名の力量だろうと思う。

 今回紹介する『海辺棒球始末記』はこれらのシリーズに含めるべきだろう。椎名をはじめとして,カヌーの野田知佑,居酒屋店主の大田トクヤなど,お馴染みの面々が登場する。もう50代なかばを超えたおっさんたちが活躍しちゃうのだ。


 事の発端は,奄美大島を訪れた椎名が,地元の漁師達が海浜でしている野球を目にしたことだった。長靴をはいたおっさんたちが流木と思われるバットでボールを打っているだけなんだけど,そのボールの何だか変な動きをしているのだ。鋭い打球が飛ぶ事もあるが,フライになるとヘナヘナと風に飛ばされているのだ。

 「あんちゃんもやらないか」と誘われた椎名は,そのボールがソフトボール大で非常に軽くて硬く,真中に穴があいていることを知る。中空だったから変な動きをしたのだ。それは昔,漁に使われていて,いまでも台湾とか中国で使われているものらしく,時々,浜に打ち上げられていると言う。それが「浮き球」との出会いだった。

 この浮き球をもらって本土に戻った椎名は,宴会仲間,仕事仲間たちに「一緒に野球やろうぜ」と持ちかける。野球と言っても小人数でもできる昔懐かしい三角ベースである。皆,はじめはバカにするのだが,実際にその浮き球でプレーすると本気になり,魅力に取りつかれてしまう。

 バットの真芯にあたると硬球なみの金属音を残して飛んでいくのに,ちょっとフライになると風にふらふらゆらゆら,どこに落ちるかは風まかせ。ゴロもまともに転がらない。だから子供でも女性でも元甲子園球児でも誰でも楽しめる。しかも,どんなに力のあるバッターでもそんなに飛ばせないから広い野球場も要らない。三角ベースだから1チーム5人いれば何とかなる。


 そんな「浮き球三角ベース」が椎名の仲間たちを中心に口コミで広がっていく。俺もチームを作った,こっちにもチームがあると言う事になり,以前,映画の撮影に使った福島の奥会津にある廃校グランドで「第1回 浮き球三角ベース全国大会」が開催される。もちろん,野球も楽しいが,その後の宴会も楽しい。試合後は参加者全員でビール狂宴で大騒ぎ!

 こういうチームが全国各地に作られ,互いに連絡を取る必要が出てきて,連絡事務局が作られる。こういうことになると,いつも会社などで事務仕事をしているおっさんたちばかりだから仕事が速い。あっという間に「全日本浮き球三角ベースボール連盟」が設立され,理事会が立ち上げられ(当然,理事長は椎名だ),全国統一ルールが作られ,会則が決まる。ホームページhttp://www.ukidama.comを立ち上げるやつもいれば,機関紙『浮き球スポーツ』を作るのもお手のものだ。大会があれば優勝旗も必要だからそれをデザインして作っちゃうやつもいる。

 冗談で始めた「浮き球三角ベース」なのに,みんなで真面目に遊んじゃうから,ここまでやっちゃう。この真面目さというか真剣さがいい。どうせ遊ぶなら真剣に遊んだ方が面白い。


 現在でも「浮き球リーグ(ウ・リーグ)」は続いていて,全国5リーグに54チームが登録され,各地リーグで優勝を争い,それぞれの優勝チームが集まって優勝決定をしているそうだ。

 本書でも触れられているが,「ウ・リーグ」を通じて知りあった男女が結婚することになり,全国大会後の宴会で結婚報告があったそうだが,参加者に結婚式のアドバイザーがいて,新婦に内緒でウェディングドレスを持参し,宴会の時に着せて皆で祝ったというエピソードが泣かせる(ちなみに新郎はジャージ姿だった)。

 『本の雑誌』も『浮き球三角ベース』もそうだが,最初は趣味や遊びで始めたことなのに,周囲の人間がどんどんその魅力に引き寄せられ,活動がどんどん広がっていくと言うのは素晴らしいと思う。


 それにしても椎名誠は今年で60歳である。体力とパワーがすごいのである。まさに,「不良爺さん」「体力爺さん」にまっしぐらである。

(2004/08/10)

 

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