『健康で長持ちの家が一番』(大宮健司,日経BP)


 著者の大宮氏はイザットハウスという外断熱住宅だけを作っている会社の社長さんであり,最近,何度かメールのやり取りをしている。詳しくは彼のサイト「住まい造りのサイエンス」をご覧いただきたいが,この本,そしてサイトに中に示されている大宮氏の考え方というか発想法に強く共感を覚える。その論の進め方は極めて真っ当であり,そこで導き出される結論は,常識を全面的に覆すものなのである。読んで納得の内容であり,論理の展開の仕方は他人と思えないくらいである。


 著者の発想は,まず,日本の風土の特徴を正しく認識し,一方で理想的な住宅に求められるものは何かを設定する。その上で最善の結果を得るためにはどうしたらいいかを考えるのだ。


 日本の風土気候を一言でいえば「夏は亜熱帯気候(=高温多湿),冬は寒くて乾燥」である。全世界的に見ても,これほど季節による気候の変動幅が大きいところは珍しいらしい。

 もちろん,この気候的特性は大昔からそうだったはずだ。当然,日本人はその気候に合った住宅を作って住んできた。その住宅設計の基本は徒然草にも書かれているように「家のつくりやうは夏をむねとすべし,冬はいかなるところにも住まる」,つまり,蒸し暑い夏に合わせた住居作りがよく,冬の寒さは我慢しよう,根性で乗り切ろうという発想だ。
 何しろ雪が降っている時に寒稽古をして「精神を鍛える」のが伝統となっている国民性である。夏の暑さは耐え難いけれど,冬の寒さは「心頭滅却」しちゃうのである。

 だから,夏はなるべく快適に過ごせるように風通しをよくしたのだ。おまけにこの国は島国で,外敵の侵入がほとんどないという,極めて特異な国である。だから住まいも「外敵の侵入を防ぐ」という発想が欠如していたから隙間だらけであり,風は通り放題だった。
 そのため冬は隙間風は吹き込むし,部屋を暖めてもすぐに熱は逃げてしまう。だから「家屋全体を暖かくする」という発想がなく,火鉢とか囲炉裏という「その周囲だけちょっと暖かい」暖房しか発達しなかった。火に当たっている顔や手は暖かいけれど,背中は寒いという住居になった。この「風通しが家の基本」という意識は日本人の意識の深層にこびりついているのである。


 しかし,戦後(湾岸戦争でもイラク戦争でもばら戦争でもなく,第二次大戦後である・・・って断らなければ意味が通じない世代が生まれつつあるんだろうな),暖房器具はどんどん普及して,冬も快適な生活がおくれるように考えが変わってきた。ところが,肝心の家の作り方が昔のままの発想を引きずっているらしいのである。基本的に「風通しがよくないのはよい家じゃない」という発想があるんだな。

 じゃあ,風通しを考えないで闇雲に密封するといいかというと,今度は冬の結露が問題になる。この結露が大問題! 日本の家屋が20年で資産価値を失うのは,結露が家を腐らせてしまうからなのだ。
 おまけに,冬の寒さをしのいでくれるはずの断熱材が,間違って使われていて,これがまた結露生産装置と化しているのだという。


 このように見てくると,日本の住宅には問題が山積みなのである。ところが日本人は,「この国は高温多湿だから家が長持ちしないのは仕方ないんですね」と最初から諦めてしまうのである(このあたりは,「傷はガーゼで覆うのが当たり前だから,ガーゼを剥がす時に痛いのは我慢,我慢」というのに似ているな)


 もちろん,理想的な住環境とは,夏は涼しくて冬は暖かく,冬は結露の心配がなく,換気は十分確保でき,しかも外の騒音は防げるというものである。日本の風土気候を踏まえて,しかもこれらの理想的条件に合致した家を作れるかというと,それが作れるのである。
 それを実現させているのが大宮氏の仕事らしい。

 例えば結露の問題一つをとっても,そもそも水蒸気とは何かから考え直すのが大宮流である。つまり,水蒸気の物理的特性を前提にしてそれを防ぐためにはどうしなければいけないのか,と発想するのだ。
 彼は決して,「風通しがよければ結露しないはず。結露があるのは風通しが悪いためのはず」という「○○のはず」という考え方に逃げないのである。


 もちろん,このような発想を突き詰めれば,従来からの住宅建設の常識,日本人の意識にこびりついている常識と直接ぶつかる事になる。そんな時,この著者は常識の方が間違っているのなら常識を捨て去ってしまえ,と考えるのである。

 そして,それ以外の様々な住宅についての問題点を一つ一つ洗い出し,その解決法を理論的に考え,演繹するのである。


 従来の常識を論理的に否定する本(考え方)に出会えると,すごく嬉しくなってしまう。

(2003/12/01)

 

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