『病原体から見た人間』 (益田昭吾,ちくま新書)


 病原体とは何か,病原体と病原性を持たない細菌の違いは何なのか,そもそも病気とは何なのかという医学の本質に鋭く踏み込んだ好著である。私を含め,おそらく大多数の医者にとって「目からうろこ」本だと思う。だが,全面的に褒めるかというと,ちょっとなぁ,という気もする。前半の病原性の本質についての部分は文句なしに面白いし,病原体とその環境の関係は深く考えさせるものがあり,この前半だけなら手放しで賞賛する。


 しかし,病原性を持つということと,人間に自我意識を持つことの対比から,人間の知能や自我意識の根本に迫ろうとする後半部分は,なにやら勇み足のようなものを感じるのである。この部分は多分,万人を納得させるための何かが不足している。確かに,「宿主(=環境)に働きかけて宿主そのものを変えてしまう寄生体」という細菌とファージのアナロジーからすれば,知能は人体に寄生した寄生体ということになるし,自我意識がなぜ生まれたのかというあたりの説明としても非常に面白いことは認める。だがそれはあくまでも,「このアナロジーが成立していると仮定すれば」という限定つきであり,本書の後半部分は,一つの仮定に基づく推論(もちろんそれは魅力的な推論だが)を長々と展開したものに過ぎないような気がするのだ。

 それと,全体を通じて文章の流れというか文体にリズムがいまいちよくない。文章の流れが単調で起伏がないため,畳み掛けてくるような迫力がないのである。おそらくこの著者の方は,綿密な思考を順を追って積み重ねていくのが得意な方と思われ,何度も同じ文章が繰り返されるのもそのためだろうと思う。だがそのために,文章の推進力が欠けてしまったようだ。多分これは,著者の責任というより,編集者の責任だと思う。そのあたりがとても惜しい気がする。


 で,大絶賛の前半部分について。

 どんな生物にも生活する環境がある。皮膚常在菌にとって皮膚が唯一の生活環境だし,大腸菌にとっては大腸が唯一安定して生存できる環境だ。だから,基本的に常在している環境(人体)に対しては細菌は病原性を持たない。皮膚常在菌が皮膚に病気を起こして破壊してしまえば,自分自身が死んでしまうからだ。皮膚に皮膚常在菌が病気を起こすのは,乗っているいかだを燃料にして燃やしているようなものだ。

 そういう観点からすると,病気を起こして宿主を殺してしまう病原体というのは極めて異常である。宿主が死んでしまったら自分も生存できなくなるからだ。それは単なる自殺行為であり,生物としてはあるまじき行動様式である。それならなぜ,病原体は宿主に病気を起こすのだろうか。

 その疑問に明確に答えるのが本書である。著者は,「常在性=生物が環境の復元力を損なうことなく安定して存在する性質」「病原性=生物が環境の復元力を超えて増殖してしまう性質」と説明している。これは細菌だけでなく,他のあらゆる生物にも見られる現象だ。例えば,「沖に浮かぶ島の緑が鹿に食べ尽くされようとしている」という場合,その島にとって鹿は病原体である。「燃料とするために木を切り尽くし,土地が痩せて耕作できなくなって住めなくなった」という場合には,その土地にとって人間が病原体となる。


 なぜ病原性を持つ細菌が登場するかといえば,それは,その細菌が生息する環境が本来の常在している環境でないためらしい。要するに,住む場所を失い,彷徨して暴走している状態が病原菌なのだ。狂犬病ウイルスが人間を殺してしまうのは,人間が本来の「環境」でないからだ。実際,狂犬病ウイルスは本来の宿主に対しては狂犬病は起こさないのだ。

 では,病原性を持たない細菌が病原性を持つようになる引き金は誰が引いているのか。それがバクテリオファージであり,プラスミドだ。例えば,ジフテリア菌はもともと人間の咽頭粘膜の常在菌であって,病原性を持っていなかったらしい。しかし,ファージが持ち込んだ遺伝子と,もともとジフテリアがもっていて働いていなかった毒素遺伝子が密接につながっていて,ファージの宿主であるジフテリア菌が毒素を産生してしまうらしい。つまり,ジフテリアという病気の本体はファージである。

 ジフテリアにとってはファージ遺伝子は自分の役に立たない余計物であり,その複写には菌自分のエネルギーが使われるのだから,むしろ邪魔者である。だから,ファージは自分がジフテリア菌内部に存在する意味を宿主に認めてもらわなければいけない。それが毒素産生だ,と本書では説明している。このあたりの詳細な論証はとても面白い。

 そのほか,黄色ブドウ球菌が病原性を有する原因,ボツリヌス菌や破傷風菌があれほど強力な毒素を発揮している理由などを「病原体側の論理」で明らかにしていく。このあたりの発想は,医者には絶対にないものだと思う。また,人を本来の環境とする結核菌の戦略とか,ペスト菌にとって人間の肺ペスト大流行は無意味な現象とか,どれも納得させられるものばかりだった。


 だが,本書を読み終えてもまだわからない点が残っている。病原性発現にバクテリオファージやプラスミドが関与しているのはわかったとしても,一部の細菌が病原性を持ち,その他が持っていない理由である。例えば本書でたびたび取り上げられるジフテリア菌だ。本来,ヒトの咽頭常在菌だったというが,咽頭常在菌はほかにも沢山いる。その中で,なぜジフテリア菌だけが毒性を持ってしまったのだろうか。もちろん,バクテリオファージとの相互作用などがあるのだろうし,もともと毒素遺伝子を持っていたということもあるのだろうが,このあたりについてはよくわからなかった。

 さらに,ヒト咽頭常在菌であるジフテリア菌がいつの時点で毒性を持つようになったのかもよくわからない。人類発祥の700万年前から毒性ジフテリアが常在してきたのか,それともある時点で突然毒性を持ったのだろうか。もしもそうだとしたら,それは一部の人間の咽頭で始まったのか,一部の地域で始まったのだろうか。そして,どのようにして人類全体に広まったのだろうか。このあたりはどうなっているのだろうか。


 それにしても,常在菌と宿主との巧妙な共生関係はいつ,どのようにして始まったのだろうか。

 哺乳類が地球上に誕生した時点ですでに,皮膚常在菌との共生関係は成立していたのだろうか。爬虫類の皮膚には常在菌がいるのだろうか。哺乳類は出産時に母親から子供に皮膚常在菌のおすそ分けという感じで皮膚常在菌が引き継がれるが,卵で生まれる爬虫類の場合はどうなんだろうか。子育てをする鳥類の場合は母鳥から雛への常在菌の引き渡しが起こると思うが,子育てをしない爬虫類ではどうなるのだろうか。そういえば,両生類の体表はどうなっているのだろうか。常在菌がいるのだろうか。いるとすれば,大問題となっているツボカビ感染との関係はどうなっているのだろうか。

 常在菌との共生,考えれば考えるほど面白い問題である。

(2007/08/15)

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