《キャスト・アウェイ》 (2000年,アメリカ)


 ううむ,困った映画である。ある一点を除けば,極めて良質の感動的なサバイバル映画にして,大人の恋愛映画だからだ。その一点さえ気にならなければ,泣ける場面は幾つもあるし,映画史に残るであろう美しいシーンだって幾つもある。特に,最後の主人公と恋人の会話は抑制が効いていて,まさに大人のための映画となっている。144分と長大な映画だが,それを全く感じさせない構成は見事だ。

 問題は二つの企業(フェデックスとウィルソン)の名前が出すぎること。というか,フェデックス(FedEx,世界最大の貨物宅配便みたいなことをしている会社。英語でfedexは「何かを宅配便で送る」という意味で通じるほど,世界の流通業界に影響を与えた企業らしい)に関してはPR映画スレスレである。そのあたりが気になりだすと,とたんに舞台裏が透けて見える気分になってしまう。ここがこの映画最大の弱点というか欠点だ。

 何しろ映画冒頭から,「フェデックスはお客様の大切な荷物を扱っているのだ。一分たりとも遅れてはいけないのだ」なんてセリフで始まるのである。途中でも「フェデックスがお届けに参りました!」なんてセリフも飛び交うのである。これは要するに,感動的な日本映画の中で,「ヤ○ト運輸はお客様を大切にしています」とか,「ヤ○ト運輸がお届けに参りました!」と連呼しているようなものである。ヤ○ト運輸やフェデックスが何なのかを知らなければ気にならないのだろうが,それを知っている身にとってはかなり辛いものがある。


 しかしその弱点を補って余りあるのが,主演のトム・ハンクスの迫真の名演,そしてロバート・ゼメキス監督の見事な演出だ(ちなみにこの二人は《フォレスト・ガンプ》の主演と監督ですね)。なんとこの映画のために,ハンクスは映画撮影を途中で1年間中断し,25kg(!)の減量に成功してから撮影を再開したそうだ。あっぱれな役者魂である。

 これは基本的には素晴らしい映画だと思う。何度繰り返してみても,あのサバイバルシーンには圧倒されると思う。それだけに,あの企業名連呼が恨めしい。スポンサー料をたくさん出してもらったんだね,それじゃしょうがないね,という舞台裏を見てしまったのが悔しい。


 さて,主人公はフェデックス社の社員のチャック。恋人のケリーに結婚を申し込んだばかりだ。その彼が乗った南米行きのフェデックスの貨物飛行機が嵐に巻き込まれ,太平洋の真ん中で墜落してしまう(ここはかなりの迫力だった)。何とかゴムボートに乗り込み,荒れ狂う波に翻弄され,奇跡的に一つの島に流れ着く。そこは周囲に島影一つ見えない絶海の孤島,無人島だった。そしてこの時から,彼の4年に及ぶたった一人きりのサバイバル生活が幕を開ける。

 もちろん彼にはサバイバルの技術も知識もない。島に自生しているヤシの実が落ちているのを見つけ,そのヤシの実の中身が飲めることは知識として知っていても,どうしたらあの固い殻が割れるかは知らないし,道具もない。岩にヤシの実を投げつけ,石で潰そうとしても割れない。なんとかようやく殻を割り,中身が飲めるかと思ったら手が滑って中身をばら撒いてしまう。そんな彼の姿がリアルに描かれていて,見ていて思わずチャックを応援してしまうのは,画像にウソがないからだろうと思う。

 陸地や海の中を歩こうと思っても,靴がないから素足で歩くことになる。当然,岩で足を切り,血だらけになる。それでも歩かなければ生きていけないから,何かの葉とぼろきれで足を覆い,紐で縛り付けて歩く工夫をする。原初的「傷のドレッシング」ってこんな感じだったんだろうな。

 この島から脱出しようとゴムボートを漕ぎ出すが,島を取り巻いているサンゴ礁で大きな波が生じ,そこをどうしても越えられない。そればかりか,海に投げ出され,サンゴで背中や手足を切ってしまう。海中は血だらけになる。観客にもチャックの痛みが伝わってくるシーンだ。


 数日後,海岸にフェデックスの荷物(もちろん,飛行機に積まれていた荷物だ)が幾つか打ち上げられる。季節はちょうどクリスマスなので,それらはクリスマス・プレゼントとして発送されたものばかりだった。中身はVHSテープ,スケート靴,バスケットボール,レースふりふりの女性服,そんなものばかりだ。一見すると,生きていくのに何の役にも立ちそうにもないものばかりだ。しかし彼は,スケート靴の歯を刃物として使い,レースの服で魚を捕まえる網を作り,VHSテープを紐代わりにする。この工夫する姿が感動的だ。しかし彼は,一つだけ荷物を開けず,それを大事にしまっておく。

 極め付けが一つのバスケットボールだ。火を熾そうとしてうまくいかず,癇癪を起こしてボールを投げつけるが,そこでボールに付いた手掌の血痕が人間の顔に見えてきて,目と口を書き,それにウィルソンという名前をつけるのだ(スポーツ用品の大手,ウィルソンという商標がボールに書かれていたから,そう命名した)

 彼は常にウィルソンに話しかけ,恋人ケリーの写真(ケリーからプレゼントされた懐中時計の裏蓋が彼女の写真になっている)を見ることで精神の安定を保ち続ける。この島での一人だけのサバイバルシーンは90分に及び,チャック一人のシーンが延々と続くが,ウィルソンを登場させたおかげである種の「会話」が成立している。この設定は見事である(・・・ウィルソンという名前を除けば・・・)。チャックのモノローグだけだったら,これほどの説得力ある映像にはならなかったと思う。


 チャックが火を熾そうと試みるシーンも極めてリアルだ。「木の棒を木の板に錐のようにもみこむ」という「常識的」な方法を試みるが,全く駄目。何度やってもうまくいかない。それどころか手のひらは血だらけになってしまう。しかし,火がなければ飢えてしまう。せっかく取れた魚やカニが食べられない(いくらなんでも,生魚をウロコもとらずにそのまま食べるのは,刺身好きの日本人にだって不可能だ。ウソだと思ったら,釣った魚をそのまま食べてみたらいい)。そして,何度も失敗し,工夫を重ねてようやく火が熾る。このシーンは本当に感動的。このシーンは掛け値なしにすごい。

 ちなみに,この島のシーンでは音楽は一切使われていない。風の音,波の音が聞こえるだけである。彼の孤独な4年間の生活がひしひしと伝わってくる。このあたりの演出も見事である。


 4年間で彼は海の風向きが変わる時期があることを知る。その時,あのサンゴ礁の波濤も少し大人しくなるようだ。彼は脱出を決意し,筏を組み,風向きが変わったその日,海に漕ぎ出す・・・ウィルソンと懐中時計を積み込んで・・・。何とかサンゴ礁を脱出したもの,そこは太平洋のど真ん中。そこで嵐にあい,筏は波に翻弄され,少しずつ壊れていく。

 何とか嵐が収まり,チャックはボロボロの筏の上でウトウトする。その時,バスケットボールのウィルソンが波にさらわれて流されてしまう。それに気がつき,ウィルソンを救うために(!),チャックは海に飛び込み,必死の形相で泳ぐ。しかし,潮の流れが速く,ウィルソンとの距離は開くばかり。ウィルソンといっても,たかがバスケットボールである。だが,ここでウィルソンを失ってしまうと,本当に一人ぼっちになってしまう。語りかけ,勇気を与えてくれる友達がいなくなってしまう。チャックは必死で泳ぐ,泳ぐ,泳ぐ・・・。しかし,無情にも距離はどんどん離れていく。もう追いつけないとわかった時,チャックは「私を許してくれ,ウィルソン!」と叫ぶ。この叫びはあまりにも悲痛だ。

 そして数日後,彼はタンカーに救助され,4年ぶりに夢にまで見たアメリカに帰国できる。


 しかし帰国後の彼には,さらに過酷な運命が待っていた。彼は死んだものと考えられ,墓も作られていた。ケリーは結婚し,子供までできていた。フェデックス社は社長自ら登場して,チャック生還のパーティーを開いてくれる。昔の仕事仲間たちが集まってくれるが,パーティーがお開きになると,アメフトの試合やミュージカルのことなどを話しながら,一人,また一人といなくなり,結局彼は一人ぼっちになる。必死の思いで4年間一人で生き延び,死を覚悟して筏をこぎ出したというのに,そこには彼の居場所はなかったのである。4年間,彼の支えだったケリーすら来てくれなかった。

 パーティー会場で一人残される彼の姿に涙しない者はいないだろう。


 そして,かつての恋人,ケリーの自宅を訪ねる。そこで感情を抑えて昔のことなどを語り合う二人が切ない。そして,かつてのチャックの車(ケリーが二人の思い出のために保存してくれていた)に一人乗り込み,チャックは彼女の家を出る。走り去る車を見てケリーは思わず彼の名前を叫び,土砂降りの中に走り出し,車を追う。雨中で抱き合う二人。しかし,チャックはケリーを諭し,彼女を家に送る。甘く切なく悲しいシーンだ。そして,ケリーの家で彼女の夫に,4年間,何を思って生きてきたか,何が心の支えだったかを切々と語る。

「4年間,ケリーが心の支えだった。ケリーのおかげで生き延びられた。だから感謝している。しかし,帰ってきてケリーを失ってしまった。もう,何を支えにして生きていけばいいのかわからない。しかし,それでも私は生きていくしかない。島でそうしてきたように生きていくしかない。太陽が昇れば一日が始まる。だから私は,息を吸って生きていくしかないんだ」・・・と。
 まさに心に残る感動的名場面である。

 そしてラスト。あの,無人島で大事にしまっておいた一つの荷物を受取人に配達するために,彼は車を走らせ,その家に向かう。見渡す限り地平線の,広大な平野の中の十字路に立ちつくすチャックの姿が,絶海の孤島での彼の姿に重なる。


 このストーリー要約を書いているだけで目頭が熱くなり,さまざまなシーンが脳裏に蘇る。唯一邪魔なのがフェデックス社とウィルソン社だ。これらなしで映画を作り直して欲しいとすら思う。そうしたら,この映画は映画史上に残る傑作になっていたんじゃないだろうか。

 あ〜あ,フェデックスとウィルソンがうざい!

(2006/08/03)


 というような感想を書きましたが,その後,「アメリカ映画では天使の象徴(=羽など)が映ったら,それは天使の映画なんだよ」という知識を得たため(詳しくは,2007年1月7日の更新履歴をどうぞ),この映画をちょっと見直してみました。すると,全く意味不明だったシーンの意味がわかってきました。

 まず,冒頭と最後でDick Bettinaという家(?)が登場します。この家,入り口のところから羽の飾りがいろんなところにあります。そして,荷物をフェデックスに頼むのですが,箱には2枚の羽のマークが書かれていて,しかも工場でオブジェみたいなのを作っているお姉さんは巨大な白い羽を作成中で,おまけに,「今日はピンクの羽の気分ね」とか言っています。
 つまりこの時点でアメリカ人にとっては「この映画は天使が主人公を守ってくれる映画か,天使が主人公の映画なんだな」と察しがつく仕掛けになっているようです。

 そして,チャックが島で幾つかのフェデックスの荷物を手に入れますが,最後まで明けなかった小包にはまさにその「羽2枚」マークがついています。おまけに,チャックはその羽マークを丁寧に何度もなぞります。要するに,何度も繰り返して「この映画は天使の映画なんだよ」とメッセージを発しているわけですね。

 そして最後,そのDick Bettinaを出たチャックは十字路でどっちに行こうか迷いますが,そのとき,小型のトラックみたいな車が止まり,中から女性が出てきて,道を教えます。この女性はすぐに走り去るんですが,トラックの後ろにはまたもや例の「羽2枚マーク」が! ・・・ってことは,チャックには守護天使がついているわけで,彼がどこに行こうと大丈夫,という結末になるのかな? 別に彼の行く末を観客が心配してやる必要はなさそうです。

(2007/01/09)

 

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