飢饉 −飢えと食の日本史−(菊池勇夫 集英社新書)
これも私にとっては「目ウロコ本」。超お薦め!
「コメ(作物)が取れないから飢饉になった」とばかり私は思っていたが,実はそうじゃなかったのね。江戸時代の天明,天宝などの大飢饉では,確かに平年よりコメの作柄は悪かったが,コメはちゃんと収穫できていたし,飢えて人が死ぬほどではなかったらしい。
しかしそれにもかかわらず,現実に多数の人間が餓死した。弘前藩では天明の大飢饉で,なんと農民・町民の1/3が餓死したといわれている。

要するに,「コメは取れていたのに住民は餓死した」のがこれら,江戸時代の飢饉の実体だった。
収穫されたコメはどこに消えたかというと,行き先は江戸であり大阪。
要するに,収穫したコメを大消費地の江戸・大阪に送って現金に換え,その金で江戸屋敷の生活を維持し,商人への借金を払っていたのである。
例えば仙台藩の実生産高は100万石を超えていたらしいが,その台所事情は,幕府への手伝普請(てつだいぶしん)などの負担で莫大な借金をかかえる貧乏藩だったのだ。そのため,取れたコメは全て江戸に運び,金に替え,借金を返すしかなかったわけだ。
住民の3人に1人が餓死した,といわれる弘前藩だが,その同じ年,江戸に40万俵のコメを売っていたのもそういう理由による。

要するに,「地方でコメを作って江戸で消費する」というシステムができ,それを支える全国的な流通システムが完成した時,ちょっとした不作が壊滅的な飢饉をもたらしたのだ。
さらに,コメを作る農民だって現金収入が必要なため,より高く売れる,「味が良いコメ,収穫が速いコメ(早稲),収穫が遅いコメ(晩稲)」を好んで作るようになる。しかしこれらは通常,冷害に弱い品種が多く,冷夏になるとあっけなく全滅した。
ここでも,貨幣経済が津々浦々を支配してしまった社会の弱点が見えてくる。
何のことはない,地域社会で生産したものを地域内で消費していた社会であれば,多少の冷害,不作があっても餓死者が出るような飢饉にはならなかったのだ。

現代の社会は食料の生産地と消費地が全く分離している。同じ国内で分離しているのならまだしも,大豆や小麦,トウモロコシはアメリカ,エビは東南アジア,マグロは南太平洋産と,世界的に分離している。世界的な流通網の発達から,この傾向はさらに進むはずだ。
江戸時代の飢饉の実体と知るにつれ,これがいかに危うい状態かがわかってくる。アメリカが進める「地球規模での経済のグローバル化」がどれほど危険なことかが見えてくる。 繁栄を謳歌している現代日本であるが,江戸時代の飢饉をもたらしたシステムと,実は似通っているのかもしれない。

 

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