『はじめての<超ひも理論> −宇宙・力・時間の謎を解く−』(川合光,講談社現代新書)


 以前から気になっていたのが「超ひも理論」だ。この理論が一番最初に提唱されたのが1980年代だったと思う。その頃,新しもの好きの私はすぐにその解説書を手に取ったが,その頃は何がなんだかわからなかった。その後,他の本を読むのが忙しくなり,気にはなっていたが本格的に学ぶ機会はなかった。

 そんな折,たまたま一日暇になった時に本屋さんで見つけ,一日で読破してしまったのが本書だ。面白かったし,わかりやすい良書だと思う。いい時期に,いい本に出会えたと思う。


 「超ひも理論」とは何かといえば,私の解釈では(違っているかも知れないけど),あまりに複雑になった基本粒子を一元的に説明できないか,なんとか説明したい,ということから生まれた理論じゃないかと思う。物理学も数学もシンプルなものを求めるし,シンプルであるはずなのだ。それが物理や数学の美学だと思う。

 20世紀初めまでの素粒子理論はシンプルだった。原子核のまわりを電子の雲が確率分布に従って回り,原子核は陽子と中性子が詰まっているだけだった。誰にでも理解できるシンプルさだった。しかしその後,高速サイクロトロンでの実験が進むにつれ,陽子も中性子も電子も基本粒子ではないことがわかってしまった。新たに基本粒子となったのがクォークとレプトンである(・・・間違っていたらゴメン)

 ここで,クオークやレプトンが1種類か2種類だったらよかったのに,実験すればするほど,基本粒子の種類は増えていった。レプトン(軽い粒子)にはニュートリノやミューオン,タウ粒子があり,クォークはアップとダウン,チャームとストレンジ,トップとボトムの3世代6種類のクォークに分けられることがわかったのである(・・・これで正しいですよね)。


 私は1980年頃(だったと思うが),「クォークとは何か」とかいう入門書(多分,ブルーバックスだったと思う)を読んだと記憶しているが,チャームとストレンジのあたりで投げ出したんじゃなかったろうか。「○○は△だ」という説明ばかり続いていたため,「なぜ,○○は△なのか?」という疑問を解決してくれないために,理解するのを諦めてしまったのだろう。

 あの頃漠然と,「基本粒子がこんなに雑多なのはおかしい。多分,基本粒子は一つくらいで,見る角度によって違った形に見えているだけ何じゃないの?」と想像していたが,今回,この「超ひも理論」を知り,それがあながち間違いでなかったことがわかり,ちょっと嬉しかった。要するに,一つの三角柱を投影図で見ると,三角形にも長方形にも,五角形にも見えるようなものである。投影図が何種類あっても,大元は一つなのでが,投影図だけ見ていても何がなんだかよく判らないのである。


 というわけで「超ひも理論」。これは要するに,クォークとかレプトンより小さな「ひも」があって,それが線状の紐になったりループになったりして,持っているエネルギーにより回転したり振動したりするが,その状態を外から見たものが他種類のクォークとレプトンだ,ということだろうと思う(違っていたらごめんなさい)。要するに,「ひも」を想定することで,混乱していた「物質の基本粒子」が一元的に説明できるようになったわけだ。

 それさえ決まってしまえば,あとはその「ひも」の存在を数学で合理的に説明できるかどうかになってしまう。10次元の「紐」だろうが,26次元の「ひも」だろうがそれは問題ではない。それは数学的処理の問題だ。現実に10次元があるかどうかは問題ではなくなる。

 「超ひも理論」の魅力は,極微の世界(素粒子の構造)と,極大の世界(宇宙の誕生と根源)を一元的に説明できるところにある。宇宙の構造を探っていったら,いつのまにか物質の根元の問題も説明できた,という面白さがある。特殊を追求して普遍に至る,という科学の醍醐味がある。そのような「科学の王道」をなぞっているからこそ,「超ひも理論」は魅力的なのだ。重力と他の3つの力(電磁力,強い相互作用,弱い相互作用)を統一に説明し,力とは何か,重力とは何か,時間とは何か,という地の根源に迫る様はスリリングですらある。


 科学や物理が好きな大学生,宇宙論や素粒子論が好きな高校生,「知的大風呂敷」を広げたい社会人は,是非この本を読んで欲しい。

(2006/04/17)

 

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