始祖鳥記(飯嶋和一著,小学館)
江戸時代は天明の頃,備前岡山に腕のいい建具屋がいた。まだ二十代だったが銭でなく銀で支払いを受け,その腕は備前で3本の指に入るほどであり,学問と美の素養に優れ,豪商にも一目置かれる存在だった。その名は紙屋幸吉。
 しかし,建具師として有名になるにつれ,彼は一方で凧作りに熱中し始める。様々な形の凧を作り,よく揚るようにいろいろな工夫をするうち,彼は一つの奇妙な思いに心を奪われる。この凧に乗って空を飛べないだろうか・・・と。
 彼は種々の鳥を捕まえては解剖し,鳥の羽の面積と体重の間に一定の法則があることを見出す。同時に鳥の体の構造を学び,鳥が空を飛ぶための体を持っているから飛べることに気づき,どんなに工夫した翼を腕につけたところで,人間の力ではばたいても飛べはしない,という結論に達する。
 人間が空を舞えるとしたらそれは,凧を背負い,風に乗って滑空することだけだ。あとは思い切って宙に身を投げ出せるかどうかだけだ。
 そして彼はついに,空き蔵の屋根から凧を背負って飛び降り,見事,川を越え,葦原に降り立つことに成功する。時に1785年。人類が初めて空を飛んだ瞬間だった。

 しかしその頃,備前の城下には,奇妙な噂が立ち始める。畳何畳もある巨大な翼を持つ真っ黒な鳥が,夜な夜な,空を飛び回っているという噂だった。そしていつしか,それが伝説の怪鳥「鵺(ヌエ)」だと人々は噂した。
 鵺は古来より,支配権力が腐敗するときに登場してきた鳥であり,それは瑞兆とされてきた。
 そして,いつの間にか,その巨大な鵺は城下を飛び回っては「イツマデ,イツマデ」と鳴いているという話になった。

 時は天明時代。言うまでもなく「天明の大飢饉」の真っ最中。備前に飢餓はなかったが,民の暮らしを無視し,武士の都合で有力な商人だけのさばらせている藩の政治には,不満が爆発寸前だった。あの怪鳥は「イツマデ,イツマデ」,つまり「いつまでこんな政治が続くのだ,いつまでお前たちは我慢しようというのだ」と鳴いている。藩に直接抗議する手段を持たないものたちにとって,この鵺の鳴き声は,自分たちの声だった。

 江戸時代には何度か「飢饉」が繰り返されたが,それは,単に作物が取れないための飢饉ではなかった。江戸時代の飢饉は,各藩で取れた米や作物を大消費地である江戸(食物生産能力のない人工都市だった)に送り,幕藩体制を維持しようという幕府の政策がそもそもの原因だった。
 弘前藩では領民の3人に1人が餓死したと言われたが,死ぬのは民百姓ばかりであり,藩士で飢えて死んだものは皆無だった。そして,この年,弘前藩から江戸に廻米された米は40万俵にも達した。
 飢餓のなかった藩でも,事情は同じ。この体制が続く限り,飢えはいつ自分たちの身に降りかかるかわからない。この現実に目を瞑っていられるのはよほどの馬鹿だ。あの鵺だって「イツマデ,イツマデ」と鳴いているではないか。

 そして,空飛ぶ建具師は捕らえられる。池田藩としては,これ以上不穏な噂が広がるのは避けなければいけない。そして,取調べを受け,幸吉が単に空を飛ぼうとしただけであり,鵺の真似をして「イツマデ」と藩を指弾したわけでないことはわかったが,世を騒がした罪で,財産を没収され,備前岡山を追放される。
 紙屋幸吉が牢屋から出された時,道は群集で埋め尽くされていた。この腐りきった世の中で,勇敢にも空を飛び,鵺として悪政を糾弾した英雄を一目見るために,人々は集まってきた。「天晴れ紙屋」の声が道々に溢れ,幸吉を姿を見て,皆喝采した。
 その後,羽をつけた建具師が空を飛び,命をかけて池田藩を糾弾し,捕らえられた,という噂は備前だけでなく全国津々浦々を駆け巡ることになる。建具師はそれため処刑された,という尾鰭を伴って・・・。

 所は移って下総行徳。塩問屋,巴屋伊兵衛は憤っていた。
 天明三年の飢饉は未曾有のものだった。一見それは,天災による凶作が原因のように見える。しかし,南部藩,弘前藩は餓死者の山と言うのに,江戸や大阪は米で溢れていた。何もかも,糞侍(ぶさ)どもの悪政の結果だ。
 しかも幕府は,大坂(当時の表記)から廻送されている下り塩の扱いすべてを江戸の四軒の問屋で独占させ,塩の値段を安定させる政策にでた。ところがその四軒問屋の塩は粗悪であり,値段は安くなかった。もちろん,糞侍どもが四軒問屋と結託していることは明らかだった。塩は日々の生活に欠かせない。
 このままでは行徳の地廻り塩問屋はつぶされるのを待つばかりだ。このままでは,いつ飢饉が己の身に降りかかるか知れたものではない。何とかして,糞侍どもに一矢を報いてやらねばならない。何かするとすれば今しかない。今行動しなければ,自分だけでなく,この行徳の地は座して死を待つしかない。

 そこで伊兵衛はウルトラCを思いつく。
 この行徳は非常時に江戸城に塩を送るため,塩田として保護されてきた。地方から塩を買い込んでも,通常は四軒問屋を通さなければいけないが,江戸城に送る御用塩,という御旗を立てた船なら,直接行徳に乗り付けられるはずだ。それを元に,十分精製した塩(古積塩)を十分に作れば,粗悪な下り塩は駆逐できるはずだ。これなら法に触れず,精製塩の原料を入手できる。
 唯一の問題は,どこから原料塩を手に入れるか・・・。四軒問屋と仲買たちは尾張に至るまでの買積船を抑えている。それより西国の塩田となると,航海の難所,遠州灘を越えなければいけない。あの遠州灘を越えられる船乗りはほとんどいない。
 彼は,東海道をたどり,京,大坂を歩き回ったが,こんな危ない話に応じる廻船問屋はいなかった。

 そして巴屋は摂州兵庫に行き着き,巨大な帆柱をもつ,新造の弁財船に出会い,その船の船頭・福部屋源太郎,楫取(かじとり)杢平と知遇を得る。意志の強さと知性,行動力を感じさせる源太郎に,塩問屋伊兵衛は全てを打ち明けるが,源太郎は伊兵衛の話すこの途方もない計画に,まだ半信半疑だった。そんなことはできそうにもなかった。
 出立の朝,伊兵衛は源太郎に三百両もの為替手形を渡し,この船の帆柱にふさわしい丈夫な帆を買って欲しいと話す。塩の買い付けのために持ってきた金だが,それには利用できないことは源太郎の説明で理解できた。無駄にするくらいなら,この立派な船のために有効に使って欲しいと・・・。

 だが,行徳に戻った伊兵衛の敵は,江戸の四軒問屋ではなかった。同じ行徳の地の塩問屋たちだった。四軒問屋の前でなすすべもなく立ち尽くしているくせに,上質の古積塩を売ってただ一人儲けている巴屋を敵とみなしての攻撃だった。行徳の地が生き延びるため,という自分の思いをなぜ理解してもらえないのか,伊兵衛は苦しみ,こんな馬鹿どもは勝手につぶれてしまえ,塩は四軒問屋から仕入れてやる,とまで思い詰めていた。
 そんな伊兵衛の耳に,備前の空飛ぶ建具師の噂が聞こえてくる。銀払いの建具師といえば掛け軸の表装でもして豪商や大名に取り入れば一生安楽に暮らせるはずだ。その建具師が鵺のような翼を作り,夜毎に空を飛んでは藩の悪政を指弾したと言う。

 世の中には凄いやつがいる。見上げた根性の男がいる。
 それに比べて自分はなんとふがいないことか。思慮の浅い他の行徳塩問屋を恨んでどうする。自分の敵は御公儀そのものでないか。原料塩がなければ作らなければいいだけのことだ。糞侍どもと結託した四軒問屋を儲けさせるのは本末転倒だ。

 そして,決断のつかない福部屋源太郎にも,「イツマデ,イツマデ」と藩を批判した空飛ぶ建具師の話が伝わってくる。聞けば岡山城下の三十前の建具師ということだ。空を飛べる建具師など,この国全てを見渡してもそういるものではない。もしかしたら,幼馴染の幸吉ではないか。あいつなら,やってのけるだろう。こんなとんでもないことをやれるとしたら,幸吉だけだ。
 あいつが空を飛んでいると言うのに,俺は一体何をしているのか。丈夫な帆は手に入れた。遠州灘を乗り切れる楫取もいる。あとは俺が塩を買い込み,船出するだけだ。公儀とぶつかったならそのときだ。幸吉の次は俺が飛び出す番だ。
 伊兵衛が提案し,源太郎が実現させた江戸打越の塩の大量輸送により,行徳は古積塩の産地として蘇り,四軒問屋が仕切る粗悪な下り塩は次第に駆逐されていった。
 そして,この源太郎の江戸打越輸送に尾州知多廻船世話人が賛同し,源太郎が開発した新たな江戸直輸送ルートとして,知多特産の木綿が運ばれるようになった。そしてそれは,塩と木綿以外の商品の輸送にも使われ,それらはやがて,特定の問屋に便宜を図るしか能のない公儀の経済政策を根源から揺るがすものとして,次第に拡大していった。

 備前岡山を所払いとなった建具師幸吉は,一時,源太郎の船に乗り込み,水夫として働くが,やがて船を降りて駿河府中に落ち着き,時計修理師,入れ歯作りで暮らしを立てることになる。町の暮らしに適応し,平凡な町民として目立たなく暮らし,余生を送る・・・はずだった。

 しかしそんな生活が幸吉には息苦しかった。ある夜,彼は不意に目覚める。  死はやがて自分に訪れる。源太郎の弁財船で外洋を航海している時,死は常に生の隣り合わせであることは,ごく自然な感覚だった。船の生活では竜神が目覚める時,人間なんて呆気なく消えてしまう存在だった。
 死んでしまえば,全てが消えてしまう。平凡な町民としての生活,入れ歯作りとしての安定した生活にしがみついたところで,それは,うたかたではないか。自分はあまりに詰まらぬことを気にかけすぎた。
 竜神が目覚める前に,自分には遣り残したことが一つだけある。

 幸吉は人間の体重で空を飛ぶには,十分な面積の凧を背に,十分な高さの崖から強い風を受けて飛び立つことが必要なことを知っていた。
 文化元年(1804年)元旦の夕刻,1本の骨が十六尺という巨大な凧を背負った幸吉は二十丈(60メートル)の崖に向かった立っていた。彼は風を待っている。次第に風が強くなる。その風に向かって幸吉は走り出し,宙に飛び出し,風に身を任せる。

 この小説の作者,飯嶋さんは山形県出身。3年に一度くらいのゆったりしたテンポで,重厚な長編小説を発表している。決して売れっ子の作家ではない。
 しかし,以前紹介したこの作家の『雷電本紀』でわかるとおり,志を貫き,不屈の信念を持った人物を描かせた時,この人の右に出る小説家はほとんどいない。

(2001/04/09)

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