『もやしもん』(石川雅之,講談社イブニングKC)


 最近ずっと,人間と細菌 −同じ生態系で生きているという発想−というように,細菌と共存,共生,競合という関係で人間の存在を見直してみよう,という方向に考えが進んでいる。細菌を完全に排除することはできないし,むしろ排除することでとんでもないトラブルが起きのである。細菌が生きられない環境では人間も生きられないのである。

 そういう意味で今回は,この『もやしもん』という漫画を取り上げてみる。これは以前紹介した『カビの常識 人間の非常識』『人体常在菌のはなし −美人は菌でつくられる−』と並ぶ良書である。医学書だけを読んでいては絶対にわからない「細菌と人間の相互関係」については,これらを読めばよくわかるようになる。少なくとも,医学書より数段深い知識が得られるはずだ。
 「バイキンがいない環境にしないから傷が化膿する,病気になる」なんて不潔恐怖症医者,清潔馬鹿看護師になりたくなければ,院内感染対策マニュアルなんて読む前に,この3冊を読み,細菌に関する常識を学ぶべきだと思う。

 ちなみにこの漫画は現在でも,雑誌『イブニング』に連載されていて,2005年秋に第2巻が発刊されるらしい。


 「もやし」とは酒を醸造するのに必要な種麹のことをいう。その種麹屋の息子が主人公だ。彼にはちょっとした能力がある。細菌が見えて,素手で掴めるのだ。そして小さい頃から彼は,いろいろな細菌と遊んできた。そんな彼の友人が,造り酒屋の跡取り息子。彼には細菌は見えないが,そういう親友の能力を介して,細菌の世界を身近に感じている。この二人が都内の農業大学に入学するところから物語は始まる。

 そういう主人公の目には,細菌はそれぞれ個性を持ったものであり,漫画の中では細菌の種類ごとに姿かたちを違えて描かれているが,それがどれもこれも可愛いのだ。細菌は最近で一生懸命に生きているんだな,というのがその表情からよくわかる。

 何しろこの漫画では,細菌も登場人物(?)扱いである。普通,連載漫画というと,最初の何ページかの右端に「主な登場人物」が紹介されているはずだが,ここに可愛い顔つきで〔カンジダ:特殊でもなんでもなく,あなたのとなりにもいるのです〕とか〔クラドスポリウム:クーラーに棲んでスイッチオンを待ってます〕なんていう風に紹介されるのである。その紹介の仕方がまた,愛情一杯なのである。


 そしてこの本では,それぞれの細菌について詳しく説明されるのだが,それぞれの細菌に最適の環境があってこその繁殖であることが,何度も説かれている。

 たとえば,日本酒つくりの失敗の原因の一つに,「火落ち」という現象がある。これは腐造とも呼ばれているが,要するに,作っている最中の日本酒の中に「火落ち菌(L.Fructivorans)」が増殖してしまう現象だ。だから,造り酒屋からは悪魔の如く嫌われている細菌でもある。

 しかし,この「火落ち菌」は乳酸菌の一種であり,コウジカビ(言うまでもなく,日本酒つくりの基本となる細菌)が生成するメバロン酸という物質を栄養源として育つ菌なのである。だから,コウジカビを使用する日本酒つくりでは,火落ちはある意味,避けられない現象である。よほどうまく温度管理をするなどして,火落ち菌が増えないように調節するしかないのである。

 ところが,古来から日本人は,火落ち菌をうまく押さえ込む方法を考え出していた。酒(基本的に酸性)に木灰(アルカリ性)を入れることで中和し,火落ち菌が増殖できない環境を作ってやる方法である。火落ち菌は全て殺すべきだ,と発想しては駄目なのだ。
 そして,この「木灰中和法」と説明する大学教授は次のように説明する。

結論としては「火落ち菌」の完全に撃退法なんてのは存在しないといっても過言ではないが,予防することは可能だ。
まァ,「火落ち菌」も乳酸菌の一種として,自然界に存在するものだから,それだけを撃退するというのも難しい。逆に近年,「火落ち菌」の有効活用として,乳酸を抽出する研究が進められている。
というわけらしい。「自然界に存在するものだから,悪い菌だからといって撃退することは不可能だ」という考えは,極めて自然であり,当然である。むしろ,「悪玉菌,善玉菌」と善悪二元論で細菌にレッテルを貼るほうが,発想として狂っているのだ。


 コウジカビは人間に役立とうとして米を発酵させているわけでもないし,火落ち菌は杜氏を困らせてやろうとして酒の中に入り込んでいるわけでもない。コウジカビの好物があって増殖するのに最適の環境があるから,勝手に増えては勝手に酒を分解し,勝手にアルコールを排泄しているだけのことだ。コウジカビも火落ち菌も,よりよい環境を求めて空中を漂い,たまたま条件に合うところに降り立ったものが増え,それぞれが生きるために一生懸命になっているだけのことである。


 その意味で,日本酒つくりを説明している部分なんて最高に面白いし,示唆に富んでいる。

  1. 最初,米を蒸してそれに麹をまぶし,容器に入れてふたをするところから,日本酒つくりは始まる。この時点では,米の表面にはいろんな細菌がゴチャゴチャいて,それぞれ「これはすっぱくしてやろう」とか「いや,甘くしてやりたい」なんて勝手に騒いでいる。
  2. しかし,温度を低く保つと,乳酸菌だけが元気になる。「寒いのへっちゃら! 君たち,何で遊ばないの?」とほかの細菌も声をかけるんだけど,そいつらは寒いからいなくなっちゃう。
  3. そこで温度を上げると,乳酸菌が「熱いのは苦手。じゃあね」といなくなり,眠っていたオリゼー菌がデンプンの糖化を始める。そしてこいつらがデンプンを食べてはブドウ糖を排泄し,その「ブドウ糖ウンコ」を酵母が食べて,アルコールというウンコを排泄する。

 どの細菌も,生きるのに一生懸命なんだけど,たまたま条件があった(人間がいい条件を作ってくれた)時に,その細菌本来の「物質を取り入れてエネルギーを作り,ウンコを出し」ていたに過ぎないのである。


 そして,巻末の3ページの「おまけ」がまた素晴らしい。

「細菌の本音は,他の菌を滅ぼしてもいいから自分たちだけは栄えたい。だから,細菌が二種類以上いればいさかいが起こるのは自然の摂理」
「しかし,たくさんの種類の菌がいるのにいさかいなく共存しているところがあり,それは【お花畑】と呼ばれている。それが腸内フローラ(腸常在菌叢)である」
「菌たちは腸内で集団を作り,秩序を持って生活している。この平和を守る唯一の方法は,あなた自身が健康であることだ。細菌たちだって腸の中に入って,争いのないお花畑で暮らしたいのだ」
という部分である。

 この部分だけでも,この本を読む価値があると思う。こういう事実を知っただけで,健康とか体についての見方が変わるはずだ。こんな基本的なことも知らずに治療したり,健康について論じるのはとても怖いことだと思う。


 それにしても,「細菌が見えちゃう」主人公が病院に行ったとき,病室内のあまりの細菌の多さに悶絶してしまうシーンには笑ってしまった。

(2005/06/21)


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