「あっかんべエ 一休」(坂口 尚,講談社漫画文庫)
 「あっかんべエ 一休」(坂口 尚,講談社漫画文庫)はとてつもない名著である。1998年中で,私が読んだ多くの本の中で,もっとも感動的な一冊であり,何度繰り返し読んでも,驚きを新たにしてくれる一冊である。と言っても,これは哲学書でも,宗教書でもない。漫画である。しかしそれは,もっとも平易に,そして,もっとも思索的に書かれた哲学書であり,宗教書である。

 作者,坂口 尚氏は1946年の生まれ,1995年に亡くなった。この作品は「コミック・アフタヌーン」誌に1994年6月号から96年1月号に掲載されたものであり,1996年,日本漫画家協会賞優秀賞を受賞している。いわば,辞世の句,白鳥の歌のような感慨を持って書き進められたかのように,どの一コマにも,峻厳な力と集中力が迸っている。傑作のみが持ち得る,絶対的な存在感を持っている。

 素材はもちろん,あの「一休さん」。昔話やアニメで有名な,とんち坊主のことだ。しかし,この一休さんは,実在の人物である。1394年に生まれ,1481年,88歳で生涯を閉じた禅僧である。この時期,世は戦乱に明け暮れた南北朝時代であった。父は第100代天皇,後小松天皇だった(つまり南朝方)が,北朝の天下であったため,身の危険を案じ,母は天皇のもとを離れ,そして一休も母から離れて仏門に入る事になる。アニメの中の一休さんが,母を慕うのは故なき事ではなかったのだ。

 当時はまさに戦乱と下克上の世界であった。生き抜くためにどんな手段を用いても,生を全うする事が難しい世界であった。宗教とて例外ではない。宗教人も生き延びねばならない。僧侶と言えども,宗教を生業としてでも生き延びねばならなかった。生き延びるためには,権力におもね,にじり寄り,利用し,弱いものを踏みにじり,利用し,食い物にしなければいけない。まさに,光と陰,聖と俗,善と悪,生と死,浄と濁,それらが一瞬のうちに交錯し,その立場を交替していた時代だった。

そういう時代に一休宗純は生を受け,僧門に入った。世俗の欲を断ち切り,仏の教えを追求するはずの僧侶が,実は権勢欲・物欲・金銭欲・性欲にまみれている事を知り,仏教が単なる金もうけの手段に使われている事を知った彼は,それを潔しとはしなかった。寺を飛び出した彼は,野山を放浪し,住処に執着せず,破れ放題の法衣を荒縄で縛り,髪も髭も伸ばし放題の「風狂」の生活をおくる。彼はお経を唱えて御布施を頂くのでなく,薪割りや水汲みなどの労働によって生活の糧を求めた。乞われるままに歌を詠み,問答を挑まれれば,当意即妙,軽快洒脱にして融通無碍の回答をした。形に囚われない,自由闊達な僧侶であった。

 坂口氏の漫画には,そのような一休宗純禅師の生身の姿が描かれている。いわば,等身大の一休さんがいる。そして,巨大にして強靭な,真の一休さんの姿がそこにある。世俗の別に拘らぬ,おおらかにして峻厳な一休さんがいる。

 恐らく,一休禅師に関しては,数え切れないほど多くの解説書,評伝が書かれてきたのだろうと思う。この漫画以上に優れたものも多かったのかもしれない。ただ不幸にして,今までそれらは私の目に触れなかった。そして,たまたまこの漫画が私の目にとまっただけなのだろうと思う。

 だが,出会いの形がどうであれ,この一代の巨人の生涯に触れられただけで,私はそれを僥倖とする。そして,それだけの価値がある書である。漫画だからと言って,この作品を遠ざけている人がいたら,それは不幸だ。

 不幸も幸福も,安寧も焦燥も,疑心も信頼も,全ては心のうちにある。そういう事実を,もっとも平易な言葉で伝えてくれるのが,この「あっかんべエ,一休」である。

(1998/11/03)

 


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