『皮膚は考える』(傳田光洋,岩波科学ライブラリー112)


 皮膚は外胚葉由来の器官である。医療関係者なら誰でも知っている事実である。そして,脊椎動物にはもう一つ外胚葉由来の器官がある。中枢神経系と末梢神経系だ。これも周知の事実である。

 ところが,同じ外胚葉由来なのに両者はまったく別物として扱われている。神経は神経,皮膚は皮膚であり,共通点があるかどうかも問題にはされてこなかった。皮膚科の教科書にも脳外科の教科書にも,「皮膚と中枢神経は外胚葉由来」と書かれているが,記述はそこでお終いだ。皮膚科と脳外科は完全に隔絶した別個の診療科だからだ。
 だから,「皮膚も神経も外胚葉由来」というのは知識として知っているが,それに意味があるとは誰も考えない。皮膚と神経が外胚葉由来というのは,単なる偶然だと思ってしまう。


 「皮膚と中枢神経系はともに外胚葉由来」という誰もが知っていて,誰もが無視している事実を愚直に追及している研究者がいる。それが本書の著者である。いろいろな事情があったらしいが,大学の研究室を離れて化粧品メーカーの研究部門に入り,そこでコツコツと基礎実験を重ねている研究者である。
 そういう研究者が,それまで皮膚科学にも神経学の教科書にも書かれていない新事実を発見したのだ。それが,表皮ケラチノサイトに存在する情報伝達物質の受容体である。

 しかし,本書に示されている「表皮に神経組織にあるのと同じ情報伝達物質受容体がある」という研究内容を国内の皮膚科雑誌に投稿しても受領されない。この研究結果が何を意味するか,皮膚科雑誌は理解できなかったためらしい。
 ちなみに,日本の学会雑誌からは拒否されても,海外での評価は高く,海外の学会から招待講演をよく行っているそうだ。

 医学がどんどん細分化され,蛸壺化しているため,複数の分野にまたがる発想を受け入れる下地が失われてしまったのがその原因だろうと思われる。これは医学にとっても不幸な事態だと思う。


 皮膚とは何か。医学の常識からいえば,防御器官であり排泄器官であって,それ以上でもそれ以下でもないと医学教育は教えてくれる。要するに,大切な内蔵や筋肉を包む袋であり,せいぜい,汗を出すくらいの働きしかないというわけだ。

 ところが本書は,膨大な証拠を提示して,「皮膚は単なる袋ではない。皮膚は神経系や循環系と離れた独自の機構を持っている。表皮のケラチノサイトに神経伝達物質の受容体があるのは皮膚自体が高度な情報処理システムを供えた高度な臓器であるからだ」ということを明らかにしている。これまで不当に扱われてきた皮膚という臓器の復権といってもいいだろう。


 合目的的に考えれば,生体の最外層を覆う表皮は一番最初に外界からの刺激(情報)を受けるわけだから,当然,表皮そのものに情報受容体があり,その刺激(情報)に対応して自立的に行動を起こす能力を備えていることは不思議なことではない。むしろ,外界からの刺激(情報)を直接受け取り,それに対応して必要な行動を起こす「情報処理システム」は,中枢神経系を持たない生命システムにおいては,生命維持に必須のものだろう。

 そして,生命進化の過程でより高度な情報処理システムである神経系を構築しようとしたとき,それをゼロから組み立てるのでなく,既に自立的の情報処理システムを有している表皮(=外胚葉)を拝借して,表皮を素材として新たな神経系を構築するのは極めて合理的だし,何より手っ取り早い。
 実際,無から作るのでなく,すでにあるものを利用して新しい組織や器官を作るのは,生命進化の歴史では普遍的に観察される現象らしい。

 「皮膚も神経も外胚葉」という真の意味はここにあるのではないだろうか。単なる山勘だが,私はそう考えている。


 本書では,ケラチノサイトがL-ドーパ,ドーパミン,エピネフリンなどの神経伝達物質カテコールアミンを合成・分解し,βエンドルフィンの合成すら行っていることを示しているし,神経末端に存在するイオンチャネル受容体がケラチノサイトにも存在し,それが受容体として正常に機能していることを示している。何れも,本書の著者による見事な発見である。要するに,表皮は外部からの刺激を,神経を介さなくても受容し,反応していたのだ。

 この部分を読んで,私は以前から疑問に思っていたことがようやく理解できた。1度熱傷の痛みがワセリンを塗布した食品包装用ラップやハイドロコロイド被覆材で鎮まるという現象である。表皮が損傷されて神経末端が顔を出している創であれば,そこを密封して乾燥を防ぐことで痛みが抑えられることは理解できるが,発赤がある程度の1度熱傷では神経末端は創面に露出していないからである。それなのに,ワセリンを塗布したラップで覆うだけで痛みが劇的に治まるのだ。この現象を目にするたびに,私は不思議に思ってきた。

 しかし,表皮自体がさまざまな刺激に対する受容体を有しているのであれば,角層が傷ついた皮膚を覆ってやれば表皮の痛み受容体に対する刺激は減少し,痛みがなくなるのは不思議でも何でもなくなる。

 そしてこの「表皮自体に痛み受容体がある」ということは,ラップによる熱傷治療が鎮痛のためにもっとも効果があることを,間接的に証明していると思う。


 ここまででも十分に感動的な書だが,本書の白眉はこの先にある。針灸の経絡に対する考察である。実は私には,経絡の研究に個人的な思い出があるのだ。

 学部1年生だった私は,なぜか解剖学教室に出入りするようになり,そこで,一人の針灸の先生と出会った。彼は鍼灸の経絡(鍼灸の経穴と経穴をつないだ線)を解剖学的に確かめようと,経絡とされる部位の標本を作っては電子顕微鏡で覗く日々を送っていた。その研究をちょっと手伝ったことがあるのだ。そこで,いわゆる「ツボ」に相当する部位は,神経や血管が筋膜を貫く部位と一致することが高いことを見出したが,その「ツボ」を継ぐ経絡に相当する解剖学的構造はまったく発見できなかった。これは現在でも同じだと思う。

 そこで本書の著者は,経絡とは電気の通りやすい部分ではないかと推論している。そして,皮膚や皮下組織の電気抵抗から考えて,角層でもなく真皮でもなく脂肪組織でもなく,表皮と神経と血管径を介する電気的性質を有する経路が「経絡」なのだと提唱する。要するに,経絡とは,部位ごとに最も電気抵抗が少ない部分(あるときは表皮,あるときは血管表面・・・)を継いだものであるという考えである。

 要するに,皮膚が情報管理システムとして機能しているのだから,その情報の流れとしての道筋が存在するのは不思議ではないし,それが経絡なのではないかという仮説を提唱しているのだ。この仮説が正しいとすれば,経絡に相当する解剖学的構造がない理由も説明できるし,ツボ(経穴)を刺激することで中枢神経系にその情報が伝わるメカニズムも説明できるようになる。


 科学の魅力には二つあると思う。一つは理路整然とした完璧な証明,そしてもう一つが,まだ説明できていない複数の事実を包括的に説明する仮説の提唱である。本書の魅力はまさにここにある。だから,本書こそ科学の堂々たる王道だと思うのだ。
 逆に言えば,大胆かつ包括的な仮説を認めなくなった時,その科学分野は老成から老衰に移行しているといえるのではないだろうか。


 このように本書では,皮膚そのものが自立性を持っている情報処理システムそのものであることを精緻な理論と詳細なデータで明らかにしている。そして本書では示されていないが,現実の皮膚では,このシステムに恐らく皮膚常在菌が絡んでいるだろうし,もしかしたら,生態系である皮膚とその住人である皮膚常在菌の間で,情報のやり取りもあるのではないかと予想される。
 つまり,本書の「自立系としての皮膚」という知見と,「生態系としての皮膚を維持しよう」とする皮膚常在菌の知見が組み合わさったとき,さらに包括的な知の地平が切り開かれていくような気がするのだ。要するに「皮膚の大統一理論」である。そして,これが明らかになったときに,皮膚という「未知の臓器・未知の大陸」の全てが明らかにされるのではないだろうか。


 なお,本書では繰り返し,「角層欠損モデルを空気を通さないフィルムで覆うと,角層の再生が妨げられる」ことが示されているが,これはあくまでも「角層欠損の再生」での話であって,私たちが日々直面している「表皮欠損,真皮欠損,皮膚軟部組織欠損での皮膚再生」とは別物であることには注意して欲しい。

(2007/09/19)

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