《シービスケット》 (2003年,アメリカ)


 またも映画で泣いた。新幹線の車中でこの映画を見たが,隣の席に人が座っていたのが恨めしかった。この人さえいなければ,あたり構わず泣けたのに・・・。特にラストのシーンでは拭いても拭いても涙が溢れてきた。「シービスケット,お前はこの試合で勝たなくたっていいんだ。そんなに頑張らなくたっていいんだ。とにかく最後まで無事に走ってくれ。それでみんなは満足なんだ。負けたって誰もお前を責めたりしない。だから,何とか無事に走り終えてくれ!」。そう祈りながら映画を見ていた。走り始めたシービスケットの姿を見るだけで,もう胸が熱くなっていた。そして,懸命に疾走する姿を見たとき,もう,涙を抑えられなかった。これはそういう映画である。


 舞台は20世紀初頭,大恐慌時代のアメリカ西部。そう,以前に紹介した《シンデレラマン》,そして『遙かなるセントラルパーク』と同じ時代の物語であり,実話を元にしている。

 主な登場人物は3人。まず,シービスケットの馬主になるのは自動車のディーラーとして大成功した人物だが,最愛の息子を自動車事故で失い,そのため妻ともうまくいかなくなり,妻は彼の元を去っている。
 シービスケットの調教師となるのは,「怪我をしただけで馬を殺すなんて可哀想だ。もう一度走らせることができるのに」と考えている調教師としては風変わりな男。
 そして,シービスケットの騎手は大恐慌という時代の犠牲者の一人。彼は誕生日に子供に馬をプレゼントするほどの財力と深い教養を持った両親に大切に育てられていたが,両親が破産し,生活のために競馬場に預けられてしまう。生活のためにボクシングの試合に出て,片目がほとんど見えない。

 そして馬のシービスケット。彼は優秀な血筋に生まれたが,体高が150センチと小さかった(ちなみに他の競走馬は180センチくらいである)。チビの馬としてろくな調教も受けず,ただ走らされていたため,すっかりひねくれ,暴れてばかりいる。誰も彼を競走馬としては扱っていない。おまけに脚に怪我をしている。

 しかし,その負けん気の強い顔つきの馬に,二人の男が惹かれ,彼らが馬主と調教師となる。そして厩舎にいていつも喧嘩ばかりしている大柄な騎手の姿が,人を寄せ付けないシービスケットの姿と重なって見え,彼をシービスケットの騎手として指名する。さまざまな不幸にあえぐ男たちは,シービスケットと出会うことで立ち直っていく。


 それまでの扱いですっかり変な癖が付いてしまったシービスケットの訓練は,野山を自由に走らせることから始まる。そしてそれを通して,シービスケットは走る喜びを取り戻す。騎手とも心が通じ合い,潜在する爆発的走力が解き放たれる日がついにやって来る。初めの試合こそ負けたが,その後は連戦連勝街道を突っ走る。

 小さい姿で懸命に走るシービスケットに,大恐慌で打ちひしがれた庶民たちが熱狂する。何しろ走っているのは頭一つ分も小さいチビの馬なのだ。しかも一度怪我をしている馬だ。通常なら怪我をした時点で銃殺されるはずだ。しかし,シービスケットは復活し,他の大きな馬たちを圧倒して疾走しているではないか。馬主はインタビューを受けて,「一度失敗したからと言ってそれで力がないと決め付け,チャンスを与えないのはおかしい。失敗したら再チャレンジすればいいだけだ」と答える。
 「人生のリターンマッチ」という時代の思いを背に,シービスケットは大地を驀進する。やがてシービスケットは時代の希望となる。


 そして,東部一の名馬と歌われたサラブレッドとの一対一のマッチレースが組まれる。そこでは東部名門の伝統と,新興西部の意地がぶつかり合う。しかしレースの数日前,騎手は他の馬の騎乗を頼まれ,そこで事故に遭い,右下腿を複雑骨折してしまう。当時の医学水準では,歩けるようにするのが精一杯で,乗馬は絶対に無理である。彼は医師に,貴紙を諦めるように宣告される。

 そして,このレースが終わった後のシービスケットにも悲劇が訪れる。慢性疲労から脚の靭帯を切ってしまうのだ。添え木があてられるが,歩くことすらおぼつかなくなる。
 普通ならこれでお終いだ。騎手は下腿の複雑骨折,馬は脚の靱帯損傷だ。騎手は引退,馬は薬殺だろう。

 しかし,それでも騎手は諦めない。松葉杖で歩けるようになった頃,シービスケットをゆっくりと歩かせ始める。自分の脚の具合を確かめるように,シービスケットの脚の様子を観察し,それに応じるように,シービスケットもゆっくり,ゆっくりと歩き始める。人生のリターンマッチに再度挑戦するように,二人はゆっくりと歩き出す。お互いをいたわるように歩みを進める。そして半年後,あの感動のクライマックスを迎える。天馬空を駈けるが如く,シービスケットは復活する。


 この映画で何よりいいのは,馬が走るシーン,レースのシーンに嘘がないことだろう。さまざまなカメラ・アングルを駆使して,馬が疾走する迫力を見事に描いている。このシーンが本物だからこそ,レースシーンでの感動が生まれるのだ。映画館の大画面で見たら,どれほどの大迫力だったろうか。


 「人生には失敗はつきものだ。失敗することは悪いことではない。だが,失敗したからと言って再チャレンジしないことが駄目なのだ。失敗した人間から再チャレンジのチャンスを奪ってはいけないのだ。失敗から学べばいいのだ」というこの映画のメッセージは,見るものに勇気を与えてくれるはずだ。

 映画の中で「不況から脱出できた理由はフーバーダムの建設でもなければ,ニューディール政策でもなかった。大型公共事業でもなければ,政府の失業対策でもなかった。一人一人が,失敗や敗北からでも立ち直れることを知ったからだった」というようなナレーションがあった。
 確かに歴史の教科書には,1920年代からの大恐慌からアメリカ経済が復活したのはニューディール政策などがあったため,と記載されているが,それだけで立ち直れたというのは政治の役割をあまりに過大評価しているのかもしれない。そんな気がする。


 何度も繰り返して見たい映画が,また一つ増えた。

(2006/08/07)

 

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