『上がれ! 空き缶衛星』(川島レイ,新潮社)


 以前にも書いたが,子供の成長物語というやつに滅法弱い。これが,次から次へとふりかかる難問に仲間たちが力を合わせて立ち向かい,ついに問題を解決し,それを通じてたくましく成長した,なんて内容だったら,読んでいる途中から涙でページがかすんで困ってしまう。

 これもそういう一冊だ。東京大学と東京工業大学の学生たちが1年かけて,ジュース缶サイズの人工衛星(CanSatという)を打ち上げるというプロジェクトに取り組んだ,涙と感動の実話である。まさにそれは,「友情・努力・勝利」という少年ジャンプ顔負けの世界そのものである。


 事の起こりは1998年,ハワイで開催された「大学宇宙システム・シンポジウム」で,スタンフォード大学の教授がCanSatというプロジェクトを提唱した事に始まる。要するに「ジュースの空き缶で人工衛星を作り,それをロケットに積み込んで打ち上げようぜ」という途方もない計画だ。なぜ途方もないかというと,人工衛星を作るのはNASAでも宇宙開発事業団でもなく,大学の研究室(もちろん,宇宙工学などを専門に研究している)とそこに出入りしている大学院生と学生なのだ。

 この計画に日米の幾つかの大学が名乗りを挙げた。日本では上記の東大と東工大である。しかも来年までにはロケットで打ち上げようね,という期限も決められている。何が何でも,それまでにロケット打ち上げの際の加速度にも耐える強度を持ち,何がしかの機能を発揮する人工衛星を組みたてなければいけない。

 まさに,「どこにもない,誰も作ったことのない人工衛星」を,学生が作り上げるのだ。しかも,使える金は1000ドルまでと上限が決まっている。これで,そこらで売っている部品を組み立てるのだ。まさに難問山積みである。
 いわば,手術室で手術をしているのを見た事がある,と言う程度の学生が,肝移植を実際に行い成功させるのに等しい


 人工衛星とは何だろうか。基本的には,電源と通信機能とコンピュータが搭載されていればいいらしい。これを軌道に打ち上げ(打ち上げるロケットは商業ロケットを使用する),地上と交信できれば,もうそれは立派な人工衛星となる。

 実際には,打ち上げ用のロケットの手配がつかなかったために,アメリカのアマチュア・ロケット打ち上げ同好会のロケットに積み込む事になり,衛星軌道への打ち上げは断念することになるが,それでも地上4000メートルまで打ち上げられるし,打ち上げ時の加速度は9Gを超える。「電子部品をちょっとくっつけてみました」程度ではぶっ飛んでしまうのである。


 東大の研究室でこのプロジェクトに参加した学生たち,実は,ハンダ付けをする電子工作で遊んだやつがいない。製品としてのパソコンはいつも使っているが,自分で回路を組みたてたことがない(オイオイ,工学部だぜ)。しかし,部品は空き缶に組み込まなければいけないし,予算だって10万円足らずである。売っているパソコンを使うわけにはいかないのである。

 つまり,自分達で部品を調達し,それをハンダ付けしないとどうしようもないのだ。彼らは秋葉原に向かい,それまで行ったこともないディープなジャンクショップで何とか部品を買い(普通だったらここまででめげてしまうよね),慣れない手つきでハンダ付けを始める。


 そうやって失敗の連続から実際のものづくりのノウハウを学び,工夫を積み重ね,試行錯誤の中から,いろいろな事を体で学んでいく。いくら理論でわかっていても,それを実際に作るというのは話が別なのだ。「理論的には動くはず」と「実際に故障なく動く」の間には,マリアナ海溝より深い裂け目があるのだ。

 そして最後の数ヶ月間,彼らは土日も休日も返上し,夏休みも返上し,研究室に何日も泊まり込み,徹夜を続けながら,幾多の困難を乗り越え,不可能を可能にして,ついに3基の人工衛星を完成させる。打ち上げのショックにも耐える強度を持ち,4000メートルの高さから撮影した画像を地上に送り,地上との交信機能を持った人工衛星である。

 そして1999年,ネバダ州の砂漠でCanSatが実際に打ち上げられ,見事に成功する。まさに手に汗握る瞬間である。学生たちの緊張感,緊迫感は想像しただけで胸が痛くなる。


 そしてこの年,更に高度な機能を持つキューブサット(10センチ角に全て納める)が提案されると,これも翌2003年6月に完成させて打ち上げに成功させてしまうのだ。その翌年にはついに本当の衛星軌道に打ち上げ,本物の衛星にしてしまうのである。この学生たちの作った高機能・超小型人工衛星は,世界中の宇宙開発の専門家たちも舌を巻く出来だったという。そして,そういう彼らの知識と技術は次々と後輩たちに引き継がれていくのだ。

 こういう学生たちがいるのは素晴らしい。こういう凄い若いやつらがいるだけで,この国はまだまだ捨てたもんじゃないと思う。「ものづくり日本」の魂は,ちゃんと受け継がれている。


 本書で,私がとても好きな一節を引用させて頂く。

ノウハウは伝えていきやすい。伝えにくいのは,技術そのものである。人は,成功への道筋を話したがるし,聞きたがる。でも,その成功への道の裏には,失敗が恐ろしく沢山あるわけで,応用が効くようになるのは成功体験ではなくて,失敗体験によるところが大きい。トライ・アンド・エラーの過程を経る中で,一つの事を何度も深く考える機会を持つ。その積み重ねが「技術」という言葉で示されるものなのだ。
コロンブスの卵の「見つけ方」が技術なのであって,コロンブスの卵の「作り方」は技術ではない。そんなものをいくら知っていても,新しい難問がでてきた時に,自分で考えて工夫する「技術」を持っていなければ,先へは進めない。技術は頭だけでなく,五感を使い,体で覚えていくものでもあった。

 上記の「ノウハウと技術」の違いは,いつも実感している。よく「傷をきれいに縫うためにはどういう糸で塗ったらいいの?」とか,「どの被覆材を使えばきれいに治るの?」とか,「酸性水が有効でないなら,カテキンはどうですか?」と質問を受ける。どれもこれも「ノウハウ」を聞きたがっている質問だ。

別の言い方をすると「特効薬はどれですか?」という思想に通じる質問の仕方だし,さらに言葉を変えると「どこにコロンブスの卵が落ちているんですか?」という質問だと思う。
 実はコロンブスの卵はどこにでも落ちているのである。だけど,「コロンブスの卵はどこにあるの?」と思っているうちは,どこにあるかわからない。「これがコロンブスの卵だろうか」と拾い上げて見て初めて,それがコロンブスの卵かどうかわかるのだ。

 恐らく,「どの糸で縫ったらきれいに縫えますか?」と質問しているうちは,きれいには縫えないだろうと思う。治療は「ノウハウ」ではなく「技術」だからだ。

 講演会で質問を受けるが,どれもこれも「ノウハウ」についてばかりだ。こういう質問ばかりだと次第に苛ついてくることが多いが,この本を読んでその理由がよくわかった。


 それと,こういうと方もないプロジェクトが成功するかどうかは,指導者(指導教官)の性格によるところが大きい事もよくわかる。指導教官が慎重派で冒険を嫌い,何事も小さくきれいにまとめようとするタイプだったら,恐らくこのプロジェクトは頓挫しただろう。

 しかし,東大の指導教官は親分肌と言うか,行け行けドンドンタイプと言うか,「悩んでもしょうがないからまず手を動かしてみようや」型の行動派だった(・・・というか,慎重派タイプだったら,こんな破天荒なプロジェクトに手を出したりしないだろうな)。前代未聞の試みを成功させるには,アジテーターであり理想家であり闘士であるタイプが先頭にいないと,途中で尻すぼみになってしまう。
 要するに,常識的なことをやろうとするなら「慎重派」タイプが先頭でもいいが,常識を打ち破ろうとするなら「武闘派」が先頭で旗を振っていないと駄目なんだ,ってことだな。


 それにしても,中学生や高校生だったら,がこれを読んでいると自分もこういうプロジェクトに加わりたくなって来るんじゃないだろうか。そして,『ドラゴン桜』を読みながら,来年,東大理科一類を狙ってみようか,という気になってくるんじゃないだろうか。

(2004/10/04)

 

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