『物理学者はマルがお好き』(ローレンス・M・クラウス,ハヤカワ文庫)


 医学論文と言うと,実験の説明が長々と書いてあって,統計処理の方法があって統計処理された結果が書かれていて,過去の論文にある実験データがうんざりするほど書かれていて,「考察」の9割以上が過去のデータと他人の言葉の引用だったりする。引用文献が数ページにわたる事も珍しくない。医学論文にとって「考察とは過去を引用すること」という不文律があるらしい。

 こういう論文を読むと,この著者は一体,これほど膨大な英文の論文を読破して理解するのに,どれほどの時間がかかったのだろうか,と驚いてしまう。私の英語力なら一生かかっても読みきれない数の文献を一つの論文で引用している先生をみると,これはもうスーパーマンとしか思えない。きっと,日本語を読むより速く,英語の論文が読めて,内容が瞬時のうちに理解できるんだろうな。うらやましい限りである。
 私はよく知らないのだが,医学論文には「他人の文献の引用をしないといけない」決まりがあって,引用文献の数を競っているのかもしれない。引用文献が多ければ多いほど,立派な論文らしい。引用文献が多いほど内容が確かな論文らしい。

 でもって,その長大な論文で何を言いたいのかを読むと,これが何だかよくわからないことが多い。多分私の読解力が不足しているためなんだろうが,その実験で何が言えて何が言えないのか,何がわかって何がわからなかったのかが,よく判らないのである。いくら論文を読んでも,奥歯にも前歯にも八重歯にも物が挟まっているような感じなのである。
 読解力がないというのは悲しいものである。


 こういう時は何だか無償に数学とか物理学の本(と言っても入門書程度だけどさ)が読みたくなる。これらを読むと,どのページを見ても不明瞭な部分は皆無だ。論理の展開は明晰で無理がなく,思考は厳密でありながら軽やかであり,論理が積み重ねられる様は爽快ですらある。そこには医学論文によくある「100例で比較対照実験して有意差が得られた」なんて言う曖昧さは全くない。

 私にとって物理学書や数学書は,解毒剤みたいなものらしい。


 と言うわけで読んだのが本書『物理学者はマルがお好き -牛を球とみなして始める物理学的発想法-』である。本のタイトルは,冒頭に書かれている著者がよく使うジョークから取られているのだが,このジョークが秀逸である。同じ牛を見た時の,経済学者と心理学者と物理学者の違いがよくわかる。これを読むだけでも得した気分になってしまうよ。

 本書で取り上げられているのは,ガリレオやニュートンの古典力学,マックスウェルの電磁理論,相対性理論,量子力学,そして1980年代の素粒子理論まで及ぶが,一貫しているのは物理学者の発想と,それを支える数学的処理の厳密さである。著者の説明も理路整然として,豊富な具体的比喩を交えてわかりやすく,ここ数年で読んだ物理学の説明書としては出色のできである。恐らく,物理学の法則にでなく,それを生みだした物理学者の発想法を説明しているため,結果として物理法則自体が自然にわかってしまうのだろう。名著とはこういう本を言うのである。


 まず感動するのが,物理学における基本となる理論の少なさだ。要するに,どんな最新理論であっても,それは既にわかっている既存の簡単なモデルを使って説明される。その簡単なモデルはさらに簡単なモデルから証明されていて,結局,厳密に解ける事がわかっている問題のタイプは,せいぜい,片手で数えられるくらいらしい。そして,その片手で数えられる理論を,使いまわして使いまわすのが正しい物理学の態度なのである。

 このあたり,数個の事実を元に2冊の本を書き,インターネットサイトを作っている人間にとってはすごく嬉しくなってしまう。「同じような事を書いているだけじゃないの」なんて悪口を言ってもらっては困るのである。私の方法論は,物理学的に正しいのだ(・・・自信ないけど・・・)


 そしてさらに重要なのは,「まずはじめに,関係ないことは全部切り捨てろ!」という考え方。目の前にいる牛をまず「球」とみなし,それから牛同士の相互作用やら,運動様式を解析するのが物理学である(本書のタイトルはここから来ている)
 牛は球じゃないとか,足があるとか,頭があるとか,角があるとか,そういうのを一切切り捨て,球にする事で運動の本質が見えてくるのである。そしてその後に少しずつ,現実の牛の形にモデルを近づければいいだけである。

 こういうのを読むと,こっちは健康人の外傷治療について説明しているのに,いきなり,重症免疫不全患者の外傷でも消毒しないのか,と文句を言ってくる医者たちに本書を読むように言いたくなってくるね。こちらは,最も一般的な患者の治療についてまず改革しようと提案しているだけなのに,いきなり個別の極端な病態の患者を問題にしてつっかかってくるのだ。多分,こういう医者は物理学者には向いていないな


 そして,素粒子物理学に見られる対称性の美しさ。微細に探れば探るほど,そこには美しく単純な対象性が現れる。それはまさしく「美の極致」である。


 本書ではいろいろな物理学者が取り上げられているが,読み終えてもっとも印象に残ったのは,実はガリレオ・ガリレイである。彼の発想の素晴らしさ,物事の本質を見ぬく目の確かさと鋭敏さ,深い洞察力には脱帽である。

 例えば彼は,落下する物体のスピードが増す事(=加速度運動する事)を思考実験で証明するのだが,その証明法が何ともシンプルで文句の付けようのないものだ。今だったら,落下する物体をビデオで撮影するとか,スピードガンで撮影するとかだろうが,もちろん16世紀のガリレオにはそんなものはない。あなたならどうやって証明するだろうか。多分,とんでもなく難しいと思う。
 これをガリレオはわずかの言葉で証明してしまうのだ。

 あるいは,物質は重さによらず同じ速度で落下する事の証明。これもガリレオは実にエレガントに,わずか数行の文章の思考実験で証明するのである。ガリレオの証明法を読んだとき,本当に鳥肌が立ってしまった。
 これらの証明法を読むと,真の天才とはどういう存在かがよくわかる。


 こういう本を読むと,医学で言う「証明法」がいかにダサくて,スマートさに欠け,厳密さに欠けていて・・・・・・・。数を集めて証明するなんざ,多数決で決めるホームルームか,といいたくなってくるぞ。

(2004/05/31)

 

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