『中春 こまわり君』,そして『光る風』(筑摩文庫 上下巻)


 「ビッグコミック」2004年1月10日号で,あの「こまわり君」が復活した。その名も『中春こまわり君』。30年ほど前,良識ある大人たちの顰蹙を買いまくっていた人気連載漫画だ。当時の私はあまり好きじゃなかったけど,破壊的なお下劣ギャグには無茶苦茶なパワーが溢れていた事は確かだった。

 今回は,「青年向け漫画雑誌」,というよりはすっかり「中年向け漫画誌」になってしまったビッグコミックへの短期集中連載であり,あれから23年後の38歳のこまわり君(会社員をしているんだって)が描かれている。

 ちなみに作者の山上たつひこは現在,山上龍彦の名前で小説の世界に転じている。今回の「こまわり君」も“作画協力”として江口寿史,泉晴紀,田村信の名前が並んでいるのが目に付く。江口寿史の名前にはびっくりするね。


 さて今回,この『こまわり君』は山上たつひこの大傑作『光る風』への導入役である。『中春 こまわり君』の中に『光る風』の一節が登場するからだ。よくぞこの作品をの登場させてくれたと思う。『光る風』は私にとっては忘れようにも忘れられない衝撃的作品なのである。

 以下,この作品について書いてみるが,何しろ35年前にマガジンで読み,その後,単行本を見つけて読んだきりなので(最後に読んだのも20年以上前だと思う),細部については思い違いやら記憶違いやらがあると思うが,それはご容赦頂きたい。


 さて,知る人ぞ知る『光る風』。おそらく,1970年代に小年マガジンを読んでいた人しか知らないであろう幻の名作だ。山上たつひこの事実上のメジャーデビュー作だったと思う。調べてみると1970年にマガジンで連載が始まっている。私は当時中学1年生のはず。あの頃のマガジンはもちろん,『あしたのジョー』『巨人の星』という2枚看板が健在だったけれど,少年向け漫画とともに異様に中身の濃い深刻な漫画も連載されていた(真崎守の実験的作品なんかも掲載されていたと思う)。あの頃はまだ「青年向け漫画雑誌」というジャンルの雑誌がなかったため,対象とする読者層も広かったのだろう。

 『光る風』は日本が再軍備して軍事国家にひた走る「近未来の日本」を描いた物語だ。「国防隊」という「日本の国土と国益を守るための組織」が,日本の安全を守るために他国に派遣するシーンもあったはずだ。まさにこのシーンは20年後,湾岸戦争でペルシャ湾に自衛隊が派遣されることで現実のものとなった。そして今,もう一度そのシーンが繰り返されようとしているのだ。優れた作品は時に恐ろしいほどの先見性を発揮するが,まさにこの『光る風』もその一つだと思う。


 この作品は,先天異常の子供が多発するために閉鎖された村の,祭の様子から始まる。政府は原因不明で調査中を繰り返すだけだったが,実は新型兵器による影響だった(放射能とかそういうのが原因だったかな?)。だから国と軍は,その地域の住民を島に移住させ,外部との連絡を絶ち,外部に情報が漏れないように図った。「なかったこと」にしようというわけだ。その事実を知ってしまったのが高校生の主人公とその仲間たちだった。

 主人公の父親は「国のために国民が血を流すのは当然。日本の平和のために軍事力は必要だ」と考えている愛国者だ。国のする事は全て正しいと考え,国の平和を保つための軍事力は増強すべきと考えている。そして,主人公の兄は国防大学を優秀な成績で卒業し,エリート軍人への道を歩み始めたばかりだ。

 一方,高校生の主人公は教師の影響などから,『国の平和を守るために軍事力を増強させるのはおかしい』と考え始めていて,親と対立し,親子の縁を切られ家を追い出されてしまう。


 そんな「国を愛する」ことにかけては人後に落ちない一家に残酷な知らせがもたらされる。自慢の長男が,新型兵器の実験中の事故で両手足を付け根から切断される羽目になってしまったのだ。愛する国のために手足を奪われた長男は,「日本国万歳」と叫びながら池に飛び込み,自殺する。

 息子の無残な死体を見た母親は「国のため,国のためと言っておきながら,国に子供を殺されてだけじゃないの! 子どもを殺した国を,あなたは愛するの?」と夫を非難する。父親は妻を日本刀で切り殺し,自分も切腹して自殺を図る。その頃家に到着した国防隊は「わざわざ殺す手間が省けてよかった」と家に放火し,両親と長男の焼死体は「国家への反逆者」という理由で晒し物にされる。


 自宅から辛くも抜け出した主人公は軍と警察から追われる身となるが,ついに捕まってしまう。しかし,収容所のトイレ(当然,くみ取り式トイレだ)の便槽が下水に繋がっていることを発見し,糞の中を潜って脱出に成功する(このシーンは身の毛がよだつほど迫真的で,本当に凄まじい)

 何とか収容所から逃れ,かつての恋人と再会し,わずかな平穏の日々を過ごしたのもつかの間,二人は憲兵に見つかってしまう。まさに絶体絶命のその時,東京を未曾有の大地震が襲い,首都は壊滅する。

 連載の最後の週は,主人公が廃人のようにさまよう姿で始まる。彼は何か丸いものを抱いて歩いているが,よろけた瞬間にその丸いものが地面に落ちる。それは焼け焦げてミイラのようになった恋人の頭だった。彼はその頭を新聞紙に丁寧に包み,両腕で抱きしめては,またよろめくように歩いていく。彼の歩いていく先には風が吹いているだけで,何もない。

 何とも凄まじく,凄惨で衝撃的な終末だった。悲劇という言葉が意味を失うほどの虚無感だった。1970年頃の「少年マガジン」には,こんな漫画が掲載されていたのだ。


 そしてこの終わり方が何とも不自然だった事は,当時の私も気がついていた。無理矢理終らせたような感じだったのは明らかだった。出版社(あるいは漫画家)に圧力がかかり,急遽,連載が中断されたのではないか,という噂も当時流れていたと記憶している。そんな噂が実にリアルに感じられる終り方だった。

 その後,漫画家山上たつひこはしばらく作品を発表しなくなるが,『光る風』の最終回から4年後,『こまわり君』で漫画界に突如として再登場する。それは,あの『光る風』を知っている人間にとっては信じられない変貌ぶりだった。ギャグ漫画とは言うものの徹底的に露悪趣味であり,ことさらに破壊的だった。その頃,『新喜劇体系』も青年誌での連載が始まったと記憶しているが,こちらもぶっ飛んだエロ漫画だった。

 そう言えば当時,山上たつひこは「ある組織」に拉致されて精神破壊薬を打たれておかしくなり,『こまわり君』を書いたのだと言う噂も流れていたと思う。多分,4年前の事を覚えている人間は,この噂を心のどこかで信じていたんじゃないだろうか。彼の作風の変化はそれほどの豹変ぶりだったのだ。


 戦争は悲惨だ,国家権力なんて碌なもんじゃない,「国を愛せよ」という連中には用心しろ・・・という事を強烈に教えてくれたのは,実はこの『光る風』である。国の言う事をおとなしく聞いているうちにとんでもない事態になっても文句が言えない事,そしてそうなった時,逃げ出すには糞の海の中を泳いで逃げるしかない事を,私はこの作品で教えてもらった。

 なお,これを書いている時点で,この『光る風』は筑摩文庫から上下2巻で出版されているようである。

(2003/12/29)

 

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