『リサイクル幻想』(武田武彦,文春新書)


 これは非常に示唆に富む面白い本である。何より,物事の本質にズバリと切り込む作者の姿勢に共感を覚えてしまう。以前からなんとなく違和感を感じてきた「リサイクルが全て」の風潮を,真正面からぶった切るその論理の展開力は見事であり,感動的である。


 現在,地球環境を守るために「地球に優しいリサイクル社会を」作るのが急務とされ,リサイクルさえできれば環境問題が解決すると考えられている。だから日本全国津々浦々でペットボトルやアルミ缶を捨てずに集め,燃えるゴミとプラスティックゴミを分けて収集しているわけである。もちろん私も,松本市の指定のゴミ袋で燃えるゴミとプラスティックゴミを分けて出しているわけである。

 ところがこれが科学的根拠のない,感情的・感覚的な考えに過ぎないらしいのだ。その点を工学を専門とする著者は鋭く指摘しているのだ。


 例えばペットボトル。皆さん,ペットボトルは別のゴミと分けて分別してますよね。常識ですよね。もちろん私もそうしています。
 さて,石油から直接ペットボトルを作ろうとすると,原料やらエネルギーやらで1本あたり40グラムの石油が必要である。ところが,使用済みのペットボトルを集めてリサイクルしてペットボトルを作ろうとすると,理想的な条件(つまり非現実的な条件ということだな)でも150グラムの石油を消費してしまうのだ。つまり,ペットボトルのリサイクルをすればするほど,石油の消費量が増加する事になる。環境にちっとも優しくないのが「ペットボトルのリサイクル」なのである。

 これはペットボトルに限った事でなく,その他のリサイクルでも見られる現象らしい。つまり,ゴミの中から目的とするものを選別するのに必要なエネルギー,レッテルなどの「不純物」を剥がす手間,それを処理工場に持ち込むのに要する費用(エネルギー)・・・など,諸々の作業がエネルギー(つまり石油だな)を消費し,さらに手間と時間がかかるのである。リサイクルには余計なエネルギーと労力がかかり,リサイクルするのは単純に焼却するより,環境への負荷となり,地球環境を悪化させるのである。要するに,リサイクルすればそれで解決,ってなことにはならないのである。


 なんでこうなるかというと,「工業製品は劣化する運命にある」からであり,「混ざったものから欲しい成分を分離するのは大変」だからだ。
 例えばパソコン。買った時は真っ白だったのに1年もするともう黄ばんでいるはずだ。これが紫外線による劣化だ。だから,このパソコンの筐体のプラスティックを溶かしたとしても,真っ白なパソコン筐体は作れない。もしもパソコン筐体のプラスティックをリサイクルしてパソコン筐体として生まれ変わらせようとするなら,買ったばかりの新品を廃棄してそれをリサイクルする以外に方法はない。

 「劣化したプラスティックなら,溶かして固めて公園のベンチでも作ればいいじゃないか」という意見もありそうだが,これをすると,日本中がベンチで埋まってしまうのだ。要するにいくらリサイクル品だといっても,需要のないものを作っても意味がないのである。これは単なるゴミを作っているのと同じで,これは環境に負荷を与えるものでしかない。

 そしてこれは他の部品についても言える。コンピュータのCPUにはいろいろな有用な希少元素が含まれているが,製品となったCPUからそれを別々に取りだすのは,金に糸目をつけなければ可能らしいが,常識的には不可能である。
 海水中には金が含まれていて,世界中の海水から金が抽出できたら莫大な量になるのは事実だとしても,そうやって金を抽出するのにかかる費用はその金の合計の値段より高いのである。だから誰も「海水から金を取り出して大儲け」できないのである。
 「混ざったものから分離」するのがいかに大変かは,これだけでもわかると思う。

 つまりこれは「熱力学第2法則」と基本的に同じだな。


 そして著者は,工業用に使われている物質の分子構造から,リサイクルできるものは金属とガラスだけ,という結論を導き出す(このあたりの論理の展開は非常に面白い)
 金属,特には江戸時代から非常によくリサイクルされ,無駄なく使われてきた元素である。これは極めて広範に使われてきたために,リサイクル用に集めるのが簡単だということと,鉄が他の元素と混ぜて使われなかったということとともに,空気中ではすぐに酸素と結びついて安定した酸化鉄になるために深部の鉄が劣化から守られた,という理由があるのだという。だから,壊れた馬の蹄鉄を集めて溶かして他の鉄製品(鉄鍋とか)にリサイクルできたのだ。

 ところが現代ではそういかない。完全にリサイクルしようとして廃棄された鉄製品を広く集めれば集めるほど,いろいろな用途に加工された鉄まで集まってしまい,不純物の銅を含む鉄までリサイクル工場に運ばれてしまうのだ。動を含む鉄と含まない鉄を事前に分別するのは不可能である。
 ところが現在の技術では,この銅を除去する技術は確立していないのである。鉄に0.4%の銅が含まれていると,それだけで鉄としての品質はガタ落ちなのである。要するに,完璧に鉄をリサイクルしようとして廃棄された鉄製品を集めると鉄のリサイクルは破綻する,という根本的矛盾が露呈するのである。


 とまぁ,このような事実をベースにして著者は,地球規模全体の100年後の世界を視野に入れて,「何が何でもリサイクル」「リサイクルさえできれば環境問題は解決」なんて言う「リサイクル原理主義」を否定して,科学的根拠のある「循環型社会」のあり方を提案するのである。
 例えばプラスティックは燃焼すると高い熱量を出すため,埋めたりせずにすべて燃やして発電に使い,その電力を利用した方がはるかに環境に優しいのである(もちろん,プラスティック燃焼とダイオキシンの関係についても明確に述べられている)

 最後の方で展開される「循環型社会」の根底には東洋的哲学が流れていて,それが著者の考えのバックボーンになっているのだが,これが地球全体を数十億年規模で眺める視点を生み出しているのである。

(2003/11/17)

 

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