『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 -フェルマーの最終定理が解けるまで-』(アミール・アクゼル 早川書房)
いやはや,本当に面白かった。文句なしに,一押し,熱血感動本です。
 もちろん,「フェルマーの最終定理」というのは,あの,17世紀のアマチュア数学者,フェルマーが証明なしに残した「定理」です。わずか1行で表すことが出来る,非常にシンプルな問題。しかし,これが超絶的・悶絶的難問だったのです。何しろ,過去300年間にわたり,ありとあらゆる数学者たちの挑戦を退け,証明される事を拒みつづけてきたのですから・・・。
 本の内容? 告白すると,数学的な解説について行けたのは,1/3くらいまででした。あとは,楕円関数やら,保型関数やら,有理係数やらが登場しますが,私にとっては古代ゲルマン語で書かれた神話みたいなもので,全く,チンプンカンプン。
 でも,面白いんですよ,この本。この世紀を超えた超難問に挑戦してきた数学者たちの熱い思い,思考の自在さと厳密さ,想像力の限りを尽くした論理の展開,それらが非常にスリリングで,もう,ページをめくるのももどかしいくらいでした。まさにこれは,最高の知性による,最も偉大な冒険小説です。

 それにしても,なんと単純にして,美しい「定理」なのだろうか。「フェルマーの最終定理」は,きわめて簡単だ。その意味しているところは,中学生にだってわかる。
 しかし,この単純な数式が,300年間に渡り,あらゆる数学者の頭を悩ませつづけてきたのです。そう,単純にして,最も美しく,最も残酷な数式です。

 この本は,フェルマーの最終定理を軸に,古代から現代に至る数論の世界を見事に眼前に蘇らせます。上記の数式で,n=2 の場合,それは誰でも知っている「ピタゴラスの定理」です。その起源とも言うべき,紀元前2000年のバビロニアの数学から紐解き,古代ギリシャ,古代ローマを経て,アラビアン・ナイトの世界に飛び,フィボナッチ数列と黄金分割で遊び,やがて,ガウス,ガロアといった19世紀の巨人たちに話が及びます。
 エヴァリスト・ガロア。フランツ・リストと同じ年に生まれた奇跡の天才。同時代,誰にも理解されず,わずか21歳で決闘で死んだ悲劇の天才。決闘前夜,残された数時間のうちに,彼の得た,すべての数学理論を纏め上げ,友人に託したガロア。まさに,この数時間で書かれた文章に,その後の数論発展のあらゆる萌芽が含まれていた。最も凝集され,最も濃密な,その数時間に思いをはせる時,心を打たれない者はいないと思う。
 そして,「最終定理」を証明する上で,最も重要な役割を果たした二人の日本人数学者,谷山,志村について詳しく取り上げられているのも嬉しい。1950年,戦火の余燼くすぶる日本に登場したこの数学者は,やはり早すぎた天才の一人だった。

 そして,10歳の頃から,「フェルマーの最終定理」に心奪われていたアンドリュー・ワイルズの登場。彼は6年の隠遁生活のすべてをフェルマーの最終定理証明に費やす。彼は数論だけでなく,代数学,幾何学,解析学などあらゆる手段を用い,過去のあらゆる理論を取り入れて,全力でその証明に挑戦する。
 そして,1993年6月23日,ワイルズは,フェルマーの最終定理を解決したように見えた。過去300年間にわたり,難攻不落であった難問の解決は,一大センセーションであった。
 だが,その証明の一箇所に穴が見つかる。それは,その証明全体を無に帰する,深い穴だった。それを解決できなければ,フェルマーの最終定理の証明にはならない。ワイルズはその「穴」を埋めるべく奮闘する。しかし,その「穴」はあまりに深く,問題の根本にくいこんでいた。それは,解決不能に思われていた。
 彼は,ほとんど諦めかけていたが,諦める前に,なぜ,自分が間違っていたのかだけは確かめようとした。自分自身の間違いの原因だけははっきりさせないと,決着がつかない。それが,前進するための,足掛かりだ。
 そして,凄まじいばかりの集中力で自分の論理を問い詰める。

 そのとき,奇跡的瞬間が訪れる。神はワイルズに降臨する。
 不意に彼に天啓が訪れたのだ。彼は一瞬にして,自分がどこで間違っていたのかを理解し,それを解決する方法を知る。あまりに美しく,単純で,エレガントな解決法だったため,彼は涙を押さえきれなかった。この場面は限りなく美しい。限りなく感動的だ。まさに,至純の,至福の時だっただろうと思う。
 その証明法を,世界中の数学者が検討したが,それは非のつけ所の無い,一点の曇りもない見事なまでの証明法であった。

 考えてみたら,数学というのは不思議な世界だ。2乗してマイナスになる数,という,現実にはありえない数(虚数)を想定し,それを元に,数直線を複素平面に拡大した。これはまさに,思考実験の世界だろうと思う。しかし,その後,流体力学にしろ,量子力学にしろ,この複素平面,複素空間での関数の振るまいが,現実の物理現象の記載に,なくてはならないものになった。
 人間の想像力の極北といわんばかりの数論の世界が,その論理化・抽象化の果てに,現実の世界の極微,極大の様子を最も自然に記載できる,というのは,純粋に感動するしかない。

(1999/10/15)

 

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