初秋
 成長物語,というのに滅法弱い。この欄で取り上げた小説の多くはそういうジャンルの物である(例:「監督」「マンハッタン物語」「はるかなるセントラルパーク」)。まして,子供が成長する様子を描いた小説となると,もう駄目。少し読んでは胸が熱くなり,ページをめくっては目頭が湿っぽくなってしまう。
 R.B.パーカーの「スペンサー・シリーズ」(早川文庫)は,ある時期までは新作が出るたびに買っていたシリーズ物である(過去完了形であることが,ファンとしては実に悲しい)。「ユダの羊」でこの私立探偵に出会った訳だが,長いこと,もっとも気になる小説であった。
 これは,一作ごとに登場人物たちが歳を取り,人間関係が変化して行く,という連作小説であり,シリーズの私立探偵物としてはかなり特異な構造を持っているといえる。
 その中で,最も緊迫度が高かったのが第5作目の「レイチェル・ウォレスを探せ」と第10作目の「告別」だとおもう。そして,もっとも叙情的な作品が,この第7作目に当たる「初秋」。この作品はまさに,一人の少年の感動的な成長物語である。

 私立探偵スペンサーは,子供を無断で連れ出した別居中の亭主から,子供を連れ戻して欲しい,という仕事を要請される。子供は程なく見つかるが,調べて行くうちに,母親も父親もそれぞれ愛人を作り,子供には何の興味を持たないくせに,離婚調停が自分に有利になるようにと,子供を必要としていたことが分かって行く。
 どちらの親も,真っ当な意味での親ではない。どちらかに引き取らせるのは,彼の倫理観が許さない。かといって子供はまだ14歳。
 この,マッチョで多弁でビール好きの探偵は,決断し,少年ポールに説明する。  「お前の親はどちらも糞みたいな物だ。どちらにも,お前を育てようと言う意志がない。お前は自分がどうすべきか決めなければいけない。俺は,お前がそれを決められるよう,手助けをしたい・・・」

 痩せこけた少年ポールは,一日中テレビにかじりつき,何かしたい,という要求さえ持っていない。自分の着る服さえ,自分では決められない。この両親にしてこの子あり。
 スペンサーは考える,この子にとって必要な物は何なのかを。
 ポールに欠けている物は,自分自身に対する誇りだ。自分がかけがえのない存在だと言う自覚だ。夢を持つことを誇りにする矜持だ。
 ポールにとって,今はまだ初秋だ。しかし,いずれ冬が来る。厳冬が訪れる。冬が来る前に,ポールはそれらを学ばねばならない。学ばなければ,彼は自立した人間として生き延びられない。残された時間は,そう多くはない・・・。

 スペンサーはポールを山荘に連れて行き,そこでランニングを教え,ボクシングを教える。こんな事,なんの役に立つの,というポールの問いに対し,彼は答える。「何が得意かでなく,得意な物が何かある,と言うのが重要なのだ。俺はお前に数学も音楽も教えられない。しかし,ボクシングの事,体を使うことなら教えられる。得意が物が一つあれば,自分自身に自信が持てる・・・・」と。
 そして,二人で一夏かかって,丸木小屋を作ろうと提案する。自分の力で,何かを作る喜びを教えるために。

 当初反発していたポールも,次第に心を開いて行く。この探偵は,自分を厄介物,余計物でなく,一人の人間として扱い,尊重し,敬意を払い,責任ある存在として扱ってくれている。
 自分が信頼され,期待され,任されたと自覚した瞬間,子供は大人への一歩を踏み出す。ポールは恐る恐るその一歩を踏み出し,その足取りは次第に,確固たるものに変わる。来るべき冬に向かい,彼は自ら,進むべき方向を見据え,スペンサーに自分の将来の希望を伝える。自分に翼がある事すら知らなかったひな鳥が,いつのまにか,巣立つ日が来たのだ。

 スペンサー自身,早くに父親を亡くしている。父の記憶はおぼろげだ。結婚もしていないし,子供を持ったこともない。そんな私立探偵が,いつしか,父親の視点でポールを見ている。一夏で,肩幅が広くなり,筋肉がつき,身のこなしが軽やかになったポールを見て,子供ってこんなに成長が速いものなのかと,驚くさまは,子供を持った人なら誰しも共感することだろう。

 完成した山小屋で,スペンサーはポールと祝杯をあげる。成長した子供を祝福し,大人になった子供を旅立たせるために・・・。

 このあと,ポールはこのシリーズの重要な登場人物となる。「父親」スペンサーに反発し,助け,協力する一人前の男として成長する。あの頼りなかった少年が,時を経て,腕太く,肩幅広い青年に変貌を遂げたのだ。

(1999/01/25)

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