湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)の説明 −人力車と自動車−


 「傷は乾かさない,消毒はしなくていい(しない方がいい)と,医者(あるいは目上の看護師)に説明しても全く相手にしてもらえず,理解して貰えません。何かいい方法がありますか?」という相談もよく受ける。同じような悩みを抱える看護師,医師も多いと思うので,ちょっとアドバイス。

 こういう新しい知識を説明する時に「こっちの方が科学的(医学的)に正しいから」とか「新しい理論だから」と始めるのは一番まずいやり方だ。それまでのやり方を変えようと言う時に,「あんたのやり方は間違っているから,正しい方法にしましょう」と言われれば,だれだってカチンと来るし,人によっては意固地になるだけだろう。つまり,正しさを全面に出すのは戦略的にまずいやり方だ。

 しかもまずい事に(?),傷は消毒してガーゼをあてていても(いつかは)治ってしまう。つまり「消毒してガーゼ」の医師や看護師にその方法は間違っていると言っても「今までこの方法で治ってきたし,何の不都合もない。何で今更変える必要があるのだ」と反論されるのが関の山だ。
 こういう考えを論破するのはかなり大変だろう。


 これはちょうど,人力車しか知らない明治初期の人間に,車が便利だから人力車から車に替えましょう,といっているようなものだ。人力車しか知らない人に人力車よりいい方法があると説明したって,わかってもらえるだろうか?

 恐らく彼は言うだろう,「人力車は駕籠より便利で速いし,もちろん歩くよりも速くて疲れない。こんな便利なものがあるか。それが不便な乗り物だなんて信じられない。お前は嘘を言っている」と・・・。

 つまり,人力車しか知らなければ人力車で十分便利だし,不満に思う事もないだろう。不満がないのに別のものに替える必要はない。


 だがしかし,これはあくまでも人力車しか知らない時だけだ。こういう人間に車が走っているところを見せ,実際に乗せたらどうだろうか。多分,人力車の方が便利だとは二度と言わないし,人力車の方がいいとは言わないだろう。

 こういう風に喩えては失礼かもしれないが,「消毒してガーゼをあてて現実に傷が治っているのだから,それでいいではないか」と考えている医師・看護師は要するに,人力車しか知らない明治初期の日本人と同じなのである(ううむ,我ながら失礼な喩えである)。人力車(=消毒とガーゼ)しか知らないから,あるいは他にもっと速い乗り物がある事は知らないから,人力車で十分に満足しているだけなのである。比較対照がなければ,人はそれに満足したままだ。

 つまり,人力車しか知らない人にいきなり「人力車は遅いし不便だし,自動車が普及すれば忘れられる存在です。だから人力車を止めましょう」と説得しても無駄である。

 ましてや,人力車時代の人にいきなり,車の構造を説明したり,エンジンの構造を説明しても理解してもらえないのは当たり前だ。要するにこれが「創傷治癒のメカニズム」とか「消毒薬の組織傷害性」を論拠に「人力車医者」を説得するのに相当する。当然,説明するだけ無駄である。
 人力車医者に車(=湿潤療法(うるおい療法,閉鎖療法)の威力をわかってもらうには,車の構造でなく,実際の走るスピードを見せつけるしかない。そうやって世の中には人力車より速い乗り物があり,スピード以外の点でももっと便利だと理解してもらえるはずだ。
 車の構造を説明するのはその後でいいのだ。


 新しい治療法の有用性を理解して貰うには,具体的な治療法のメリット,効果を見せるしかない。理論的背景はその次でいい。とにかく具体的な成果を提示することだ。遠回りのようで実はこれが一番近道だ。

 全てそうだと思うが,物事は正しいから普及するわけではない。便利であり,メリットがあるから普及するのだ。理論的な説明が十分でなくても,実際の生活に役立つのであればそれは必ず普及する。逆に,いくら正しい理論に基づいていても,それが実際上のメリットを有しなければ普及させる事は難しい。

(2002/10/21)

左側にフレームが表示されない場合は,ここをクリックしてください