腎不全の治療を例にとると


 例えば,「腎不全は腎移植,腹膜透析,人工透析で治療する」というのは現時点では正しい治療方針である(・・・と思う・・・自信ないけど)。だから,そのように医学部で学生に教育し,腎不全を扱う診療かで研修すれば,それが繰り返し教え込まれる。その結果としてこの治療を継承する医者が次々と生み出される。一方,この治療方針のための医療器具や機械,医薬品も開発されて販売されることになる。もちろん,腎不全関連の学会ともなれば,これらの業者はさまざまなかたちで協力を申し出るだろう。同時に,新しい薬剤の開発で研究する医者もいれば,新型の治療機器について発表する研究者もいるだろう。

 この治療が正しいことを教育するシステムがあり,治療器具や薬剤で治療を後押しして利益を得る業者もそれを支えるという意味で,これは見事なパラダイムである。パラダイムというのが大袈裟なら,ミニパラダイムと言い換えてもいい。要するにこれは「治療方針が正しいことを前提にして成立している運命共同体」なのである。


 ところが,上記の腎不全の治療が未来永劫正しいものかというと,そうではないだろう。もっと優れた治療が開発される時が来るかもしれないからだ(クローンで腎臓を作っちゃえ,とか,完全埋込型人工腎臓とかね)。そしてその時,現在の腎不全の治療はすべて過去のものとなり,腎不全の教科書はすべて書き直され,旧来の教科書は廃棄される。そして,上述の「腎不全治療運命共同体」は崩壊する。

 まさに,パラダイムシフトそのものである。


 これは腎不全に限ったことでないことは誰にでも判ることだろう。糖尿病治療もミニパラダイムだし,高血圧治療もミニパラダイム,乳癌治療もミニパラダイムなら褥創治療もミニパラダイムである。つまり医学とは,このような「ミニパラダイム」の集合体なのである。

(2007/01/29)