正しいからパラダイムになったのではない,皆が信じたからパラダイムになったのだ


 パラダイムとなる「物の見方や捉え方」は,実は正しいかどうかは問われない(問われにくい)のが特徴だ。それが科学的に正しいかどうかは問題ではなく,「(なんとなく)多くの人が正しいと感じている」事が必要なのだ。一旦,大多数の人間が正しいと感じてしまえば,それに疑問を持つことは正しくないことになり,場合によっては疑問を持つこと自体がタブーにすらなる。


 それはさておいて,パラダイムの基本となる考え方・捉え方は単なる思いつきのこともあれば,科学的思考の結果に生み出されたものもある。問題なのは,一旦パラダイムとして確立してしまうと両者の区別がつかないことだ。
 天動説も,地動説も,二酸化炭素排出増加による地球温暖化も,男女共同参画による少子化対策も,江戸時代は士農工商の封建社会だったという考えも,パラダイムであるという点では差がないのである。ただなんとなく,正しいと信じられているだけであって,それが本当に正しいかどうかが問われることは滅多にないのである。これらは,何となく皆が正しいと根拠もなく感じているからこそ,時代を支配するパラダイムとなるのである。
 ちなみに,上記の5つのパラダイムのうち,科学的に正しさが証明されているのは1つ,ほぼ正しいのが1つ,そして間違ったパラダイムであることが証明されているのが3つある。


 なぜ,その時代の圧倒的多数の人間がその考えを信じるのだろうか。そこには,教育と産業が絡んでくる。

(2007/01/24)