【チェルノブイリ原発事故で最大の被害をもたらしたのは放射能ではない】
 Yahoo!ニュースの『「原発避難で自殺」遺族が東電提訴へ』という記事を読んでいて見つけたのが,このニューズウィークの1月5日付の記事。なんでこんな重要な記事を見をとしていたんでしょうか。

 記事をまとめると次のようになります。
  • チェルノブイリ事故で急性放射線障害での死者は28人。それ以外に2010年までに22人が死亡し,直接の死者は50人。
  • 放射能に汚染された牛乳を飲んだ子供が5000人にのぼり、そのうち9人が死亡(10シーベルトという高濃度の汚染である。ちなみに人間の致死量は7シーベルト前後)
  • その後の53万人の疫学調査では小児甲状腺癌以外の癌は増えていない。当初の「4000人以上が被曝による癌を発症する」という予測は完全に間違っていた。
  • 自己後にロシアの平均寿命は7歳下がったが,被爆地より遠い地域でのストレスによる心疾患の増加による死亡が原因。
  • 基準値としてセシウム137の汚染度を過剰に厳重に設定したため,自然放射線量より低い地域が法的に被災地に含まれることになってしまった。
  • 年間5ミリシーベルトを基準に政府が住民に退去命令を出した結果,20万人が家を失い,1250人がストレスで自殺し,10万人以上が妊娠中絶した。
  • 「事故対策の最終目的は放射能を減らすことではなく、人々の被害を減らすことである。微量の放射線にこだわって、これ以上彼らを隔離したままにすることは人道上ゆるされない」

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 昨日は[3.11]一周年ということで,終日,[3.11]絡みの番組ばかり放送されていて,終日,「絆」が連呼されていた。
 一応,私は被災地側の人間なのであえて書くが,こういう番組は被災地では流さなくていいと思う。だってそれは現実の姿だから。あえてテレビの映像としてみるまでもなく,一歩,家の外に出ればそこにある風景だ。だから,何もテレビで見るまでもない。あの津波の様子をテレビで見て懐かしがったり嬉しくなったりする人間は被災地には一人もいない。もう二度と見たくないと思うだけだ。
 こういう[3.11]回想・追悼番組は被災地以外で放送すべきだと思う。被災地以外の人間にとっては,[3.11]なんてもう忘却の彼方だろうし,テレビカメラを向けられたら「絆の大切さを知りました。頑張ってください」と答えればいいだけだ。そういう人達にこそ,あの津波の映像を繰り返し見てほしいし,瓦礫がいまだに巨大な壁のように積み重なっていることを知って欲しい。これが現実であり,復興という言葉の虚しさだ。被災地以外の人間がそれを最確認するための番組ではないのか。
 「絆ごっこ」はもう沢山だ。「絆を人文字で描いてみました」なんてパフォーマンスはしてくれなくていいから,あの瓦礫の処理を受け入れてほしい。それが嫌なら「絆は大切だが自分の街で瓦礫を処理は嫌」とはっきり言ってほしい。

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【ノストラダムスとは訳が違う地震予測続発で大混乱! 「首都直下4年以内に7割」に翻弄される東京人の今】
 記事で紹介されている地震発生の予測値をまとめると次のようになります。

 「4年で70%」といえばかなりヤバイ気がするけど,「30年で70%」となると30年以内に私自身が死んでいるであろう確率はほぼ100%でしょうから,多分セーフです。
 しかも,30年間にわたって「明日にでも起きる」と言われてきた東海地震は一度も起きていないのに,誰も起こると考えていなかった新潟や神戸では大地震が起きています。「ヤバい首都圏から逃げ出そうと考えていますが,どこが安全なの」と言われても,地震学者の誰も答えられないはずです。

 私は2度ほど大地震に遭遇しましたが,そこでわかったことです。

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【4年以内にM7級70%試算,精度低い】
 「4年以内に70%は精度が低いけど,30年以内の70%は精度が高い」というのがお国の調査委員会の見解だそうですが,目くそ鼻くそ,五十歩百歩の議論じゃないでしょうか。地震発生確率を算出する数式自体の精度に問題があるからです。
 地震予知とは要するに「過去を分析して未来を予測する」という学問であり,この発想は古代の占星術と全く同じです。この方法論が有効なのは「対象とする自然現象が頻繁に起きている」,「その現象の再現性が極めて高い」,「その現象が発生するメカニズムがほとんど解明されている」場合だけだと思いますが,地震はどの条件も満たしていません。
 もちろん,過去の自民党政権,民主党政権のデータを分析すれば「野田政権が2012年の年末まで続く可能性は〇〇%」という予測は数字で出せますが,これに科学的根拠がないことは明らかです。要するに,地震予測ってこの程度の精度じゃないかと思います。

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【首都圏M7級地震,京大は「5年以内に28%」】
 先日,東京大学は「4年以内に70%」と発表したばかりですが,今度は京都大学です。そのうち大阪大学が「6年以内に58.3%」とか発表するのかな?

 記事に「余震活動の減り方の計算式や,規模が大きい地震ほど発生頻度が低いという法則を組み合わせて,統計的に求めた」とありますが,ここに最大の問題があるのです。要するにこの考え方は「過去に起きた出来事と同じことが未来にも起こる。未来に起こることは過去の延長線上である。だから過去を分析すれば未来が予測できる」という考えを根底にしていますが,これはおかしいと思います。これじゃまるで,「惑星の過去の動きを分析すれば未来の惑星の動きが予言でき,未来の出来事もわかる」という占星術と同レベルですよ。

 地震は破壊現象です。破壊現象は再現性がありません。再現性がないから予測が成り立ちません。破壊現象で唯一再現性があるのは,破壊されるものが同じで,破壊する力が同じ場合のみですが,地震の場合には「破壊されるもの」が過去と同一かどうかもわからないし,「破壊する力」も過去と同じかどうかわかりません。つまり,未来に起こる地震は予測できません。

 いずれにしても地震は必ず起こります。ただ,それが今日なのか10年後なのか100年後なのか,どこで起こるのか,どのくらいの規模なのかがわからないだけです。
 鐘と手間隙をかけて「予知ごっこ」をしても意味がないと思いますよ。

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【<太平洋プレート>内部で力の向き変化 大地震発生しやすく】
 記事の中の図と説明文を読むとなんとなく理解できた気になります。要するに「太平洋プレートの地震震源となる断層には引き裂くような力が加わっていて,3.11大地震発生前と真逆になった」ということのようですが,私には全く理解できません。上部プレートを太平洋側(図の右側)に引っ張る力源が何か,説明されていないからです。
 だって,定説である「プレートテクトニクスによるプレート移動説」では,「次から次へと太平洋プレートが日本列島に押し寄せてきて北米プレートの下に潜り込み,その歪みで地震が起こる」というのが日本の地震学の大前提だったからです。もしもこの説が正しいなら「上部プレートを太平洋側(図の右側)に引っ張る力」は存在しないはずです。
 この記事によると「3.11後,上部プレートに掛かる力が正反対の方向になったことが観測された」とさりげなく(?)書いていますが,これってもしかしたらトンデモないことじゃないですか? もしもこれが本当に正しいなら,「太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込んでいる」という説明図そのものを書き換える必要があるし,場合によってはプレート移動説そのものが間違っていると考えるべきじゃないかと思います。
 そういうところには全く手を付けず,「観測データではこうなっていて,力の方向が逆になっていました」という説明を理解しろと言われても,私には納得できません。

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【太平洋沿岸M9.0で震源域想定】
 専門家の先生たちが集まって,日本列島の全海岸線の1/3でマグニチュード9.0の大地震が起こる可能性がある,という想定を公表したんだそうです。もうここまで来たら「全海岸線の1/3」なんてケチなことは言わず,「日本列島の全海岸線でM9.0の地震が起こる可能性がある」と「想定」したほうがいいと思います。そうすれば,絶対に当たります。ハズレ無しで,100%当たる「想定」です。
 ここまで大雑把な「想定」でいいなら楽なもんですよ。「日本人の9割は90歳までに死亡する確率が高い」という想定もありだし,「日本人の8割は急性上気道炎に罹患するおそれがある」という想定だってありです。「人間は130歳までに死ぬ確率はほぼ100%である」という予想だって立てられます。

 しかも,「東日本大震災で,およそ1100年前の貞観地震の津波の痕跡を対策に生かしきれなかった反省に立ち」ということらしいですが,これってムチャクチャなことを言ってませんか? 地質学的には「たった1100年前」でしょうが,貞観地震が起きたのは西暦で言えば869年,つまり平安時代前期です。平安前期の記録を生かして21世紀の対策を考えろ,なんてバカじゃないっすか?
 しかも,きっちりと1100年ごとに大地震が起こるなら「対策を取る」ことは可能ですが,実際には地震の周期は1100年だったり,1395年だったり,817年だったりするわけで,人間サイドからすると「あてにならない大雑把な周期」で起きます。だから,「前回の地震からもうそろそろ1100年だから,津波を防ぐためにでかい堤防を作った方がいい」と考えて堤防を作り始めても,地震が1100年でなく1098年目に発生したら間に合わないし,1200年目に発生したら,せっかく作った堤防はもう壊れていて津波は防げません。

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【乾燥シイタケからセシウム 群馬,出荷自粛・自主回収】
 こういうニュースを見るたびに,「そのシイタケ,私食べますから下さい」と言っちゃいます。セシウムを体内に取り込んだとしてガンが発生するのは20年後でしょうから,私の場合75歳です。つまり,セシウムを取り込んだためのガンなのか,自然発生したガンなのかはわかりません。たとえ,セシウムによる癌だったとしても,同年代の男性の3人に1人はがんで死亡するのですから,セシウムが原因かどうかはどうでも良くなります。それに第一,20年後には同年代の男性の半分はもう死んでるかボケてますから・・・。

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【M9級予知できず…研究者反省“経験則に依存”】
 科学とは本来,「再現性のある現象」を対象に研究するものです。「蛹から蝶が生まれる」現象はほとんど確実に再現性があり(例外は蛹が寄生虫などで死んでいる場合),「夏至のあとは日が短くなる」現象も100%の確率で再現性があり,「質量保存則」は1万回実験を繰り返しても再現性があります。そういう「再現性のある現象」について研究し,その背景にある基本原理を解明することが科学と言えます。
 その意味で,地震学は科学といえるかというと,私はこれまで何度も書いたように,地震学は科学ではないと考えます。再現性が極めて低い現象を研究対象にしているからです。
 しかも,地震学の盤石の基本理論であるプレートテクトニクス理論も実は間違っているという批判すらあります。仮に「プレート移動で起こる地震がある」のを事実として認めたとしても,それ以外のメカニズムで起こる地震があるのかないのか,それすらわかっていません。この状態を生物学に例えると「4本足の生き物」を一緒くたに扱っているようなもので,両生類も哺乳類も同じ生物種として研究しているようなものです。だから,目の前で何かが起きたとしても,それが何なのか,なぜそれが起きたのかがわかりません。これでは科学と呼べません。
 学会では「経験則に依存するしかない地震学には限界が」という声もあったそうですが,経験則しかデータがないのであれば「予知」という言葉を使うべきではありません。「予知」とは高度の再現性が確立している現象にのみ成立するからです。

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【柏の高放射線、市有地すべてで線量測定へ】
 数字は二種類にわかれます。基数と序数です。基数は「物の数,大小,高低などを表す数字」,序数は「順番を表す数字」です。
 基数は「3を4倍すると12」とか,「10cmは5cmの2倍の長さ」とか,「51kgから5kg太ると56kg」というように厳密な大小関係を現します。
 一方の序数は順序を表すものですが大小とは無関係です。富士山の3合目は6合目の2倍高いわけではなく,マラソンの1位は2位の人より2倍速いわけではありません。
 なぜこんなことを書くかというと,放射能を表す「シーベルト」は基数ではなく序数に近い数字だからです。ベクレルは基数ですが,シーベルトは基数ではないのです。シーベルトを出す元になる数式はICRPが決めていますが,その数式に含まれる係数は数年に一度変わります。だから,10年前のシーベルトの値と,今年のシーベルトの値は比較することすらできません。数字を出す数式の係数が違うからです。
 だから,一桁レベルのマイクロシーベルトの大小で一喜一憂するのはおかしいです。そんな厳密な数字ではないのです。「1.25cmと3.00cmでは1.75cm長さが異なる」なんていう数字ではなく,大雑把でどんぶり勘定の数字です。このあたりを無視して,シーベルト値の大小で大騒ぎしても無意味です。マイクロシーベルトのレベルになると,「目安だけどかなり大雑把な目安」程度でしかありません。

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【除染基準値超の放射線量検出=船橋市の公園、土を除去―千葉】
 国の「年間被ばく線量の1ミリシーベルト」という基準が最初にできてしまったため,東日本全土の表皮を剥ぎ取り,山の木を全て伐採しなければいけない事態に陥りました。安全か安全でないかという議論はどっかに行ってしまい,「年間1ミリシーベルト以上か以下か」ということだけになってしまいました。年間1ミリシーベルトが基準として妥当かという議論もありません。
 昨日紹介した記事のように,生物学的・医学的には「月100ミリシーベルト」の基準が妥当です。それより低く基準を設定しても,発がんリスク,健康被害リスクは減らないからです。しかし,国が最初に「年間1ミリシーベルトという非現実的で厳しい基準値」を設定してしまったため,その数値が独り歩きしています。そして,「基準値は絶対に守らなければいけない」という日本人の生真面目さがアダになります。基準値が金科玉条となり,あたかも神のご神託のごとく崇め奉られます。

 一旦,基準値を厳しく設定してしまうと,その後,基準値を緩めることは不可能です。基準値を上げると必ず「健康被害があってもいいのか?」と文句が上がるからです。
 だから通常は基準値は緩めに設定し,それで健康被害が出たら基準値を上げる,というのが常套手段なんですが,今回の福島原発の場合は,想定しうるもっとも厳しい基準を最初に設定してしまったため,その数値にがんじがらめになり,一歩も動けなくなってしまったと思います。

 50年後,人類史上初めて「低線量長期被曝による健康被害の有無」が統計分析に耐える数値となって出るでしょう。その結果,「現実的に守るべき基準値」が明らかになります。少量の放射線量まで生真面目に測定し,それによる影響を50年間を追跡するという貴重な基礎データをとってくれた生真面目な日本人に対し,世界中の研究者が感謝するでしょう。

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【日本の「被曝限度」は厳しすぎる 私が「月間100ミリシーベルト」を許容する理由】
 日経BPのインタビュー記事ですが,私が日頃放射能について考えていることに極めて近く,全面的に賛成します。もちろん,放射能恐怖症の方,放射能は極微量でも許すマジという主義の人,放射能は微量でも健康被害があると信じている人にとっては,理解し難く許しがたい暴論でしょうが,科学的に理知的に物を考えるとはこういうことだ,というお手本のような論理の組み立て方は読んでいて気持ちがいいです。    ⇒『放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか

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【<日本地震学会>「反省」シンポ 地震学者に限界 3割「役に立ってない」】
 本来の学問は「役に立っているか?」という疑問すら浮かびません。役に立つ,立たないという次元とは別の存在だからです。役に立とうが立つまいが,真理の探求が科学ですから。
 しかし,地震学は自らを「地震予知」という言葉とセットで宣伝(?)してきた過去があります。地震学には実利があると宣伝して多額の予算を獲得してきました。だから,「役に立っているのか?」が問われる事になったのでしょう。「蓄積データが少ないから実際の役に立っていない」という意見が53%を占めているそうですが,蓄積データを集めるためにもっと予算を回せ,と考えているのでしょうか。
 私は,蓄積データの多寡の問題ではなく,そもそも予測できるのか,という所が問題だと思っています。「過去のデータを集積して未来を予測する」という地震学会の方法論自体に無理があると思います。原因と結果で言えば,地震は原因でなく結果です。地下深部での「何かの変化」があり,その結果として地震が起きます。だから,「結果である地震」をいくら分析してもあまり意味がありません。
 これは肺炎を考えるとわかります。肺炎の原因は細菌,結果が発熱や咳です。では,発熱や咳のパターンを分析すれば肺炎の予後がわかるかというと,そういうことはありません。原因がわからずに結果だけ分析しても意味がありません。地震学がやろうとしていることはまさにこれと同じです。
 現状の「原因不明のまま結果だけ分析する学問」のままであれば地震が国未来はありません。現状のままでは地震学は真の科学とは呼べまないと思います

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【震災、人口減少で加速する東京集中 大都市「東京」は東日本をどう支えるべきか】
 私の生まれ育った秋田の田舎町にたまに帰って驚くのは,とにかく子供がいないことです。実家のある町内会は最年少が65歳くらいだそうで,産業がないため外部からの人間の流入はありません。その結果,町内会の平均年齢は年々上がるばかりで20年後には町内会そのものが自然消滅するだろうなと予想されます。生まれ故郷の町全体もそうでしょう。
 今回の地震+津波被害を受けた三陸海岸沿いの町の多くも同様で,震災前から「人口が少なく超高齢化」していました。つまり,地震と津波がなくても20年後,30年後には町として維持できるかできないかのギリギリの状態になっていたはずです。要するに,少子高齢化のために限界集落予備軍です。このような町を果たして「元通りの町(=限界集落予備軍)に戻す」ことは正しいことなのか,可能なことなのか,どこかで結論を出さないといけないはずです。

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【「仮定の計算」と釈明 10m超の津波で東電「公表に値するとは考えず」】
 この記事が出た時点では,原子力保安院は「そういう仮定の計算があるんだったら,もっと早く知らせてほしかった」と言っているが,これは明らかにおかしい。これはいわば,典型的な後出しジャンケン的な言い草である。
 では、東京電力から10メートルを超す津波の危険性あり,という連絡が仮に保安院に入ったとして、保安院はそれでどうしただろうか。10メートル以上という前代未聞の津波の存在を信じて,いつ来るとも知れない津波に備えて福島原発を停止させただろうか?
 それは無理だと思う。こんな不確かな予測を元に原子力発電所を止めるなんて馬鹿な行為は誰もしないと思う。今回はたまたま,10メートル津波が襲ったから「ほら,見たことか」と非難されただけのことで,福島の海岸に10メートルを超す津波が押し寄せると言ったら,[3.11]以前の福島県民の全ては「寝言は寝てから言ってね」と一笑に付したはずだ。
 10メートルを超す津波の危険性を想定するのは簡単だ。それこそ,隕石が落ちてきて頭を直撃する危険性だって算出できるし、動物園から逃げたライオンに襲われて死ぬ確率だって出せる。
 では、「動物園からライオンが逃げ出す確率はゼロではありません。だから逃げ出したライオンを捕らえる予算を計上すべきです」という提案が県議会に出されたらあなたはどう思うだろうか。バカも休み休み言え、と思わないだろうか。むしろ,「上野動物園のゾウが逃げ出してアメ横を破壊する危険性があるので,ゾウを捕まえる予算を台東区は計上すべきだ」という提案があったら,区民全体が法案成立に反対するはずだ。
 要するに,「3.11」以前の日本では,福島の海岸に10メートルを超す津波が押し寄せるなんて限りなくお伽話に近い予測だったと思う。それは原子力保安院にとっても同じだと思う。
 後出しジャンケンでいいなら何だって言える。(2011/08/26)

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【はたして放射能汚染地域は除染すれば住めるのか? 国は避難期間を明示し、移住による生活・コミュニティの再建を】
 「ダイアモンド・オンライン」の記事です。このような,放射能の土壌汚染問題,人体への健康被害問題の記事を見ない日はありません。そこでは必ず「▲▲シーベルト検出されているから非常に危険」というようにシーベルト値とともに説明されています。そして,放射能汚染がある地域ではシーベルト値の変動に一喜一憂しています。
 しかし,これは極めて非科学的という指摘をいただきました。いつもメールのやりとりをしている福島県在住の生物の先生からです。私も確認作業をしているところですが,彼の指摘はまず間違いないところでしょう。ちょっと引用させて頂きます。

 シーベルトは極めて恣意的な単位です。シーベルトという単位は,グレイという放射線のエネルギー吸収量の単位に、「これくらいが妥当じゃないか」というICRPなどが決めた係数をかけて出します。
 何か客観的に測定できる係数をかけるなら話はわかるんですが、あくまで人体に対する放射線の影響度を疫学的なデータから「推測される」係数をかけて、物理単位にするわけで,科学的には無茶苦茶恣意的です。ついでに言えば、放射線の種類によっても、新たに修正係数をかけなければなりません。ガンマ線、ベータ線は×1、アルファ線は×20。その20倍にした根拠は「まぁ,20でいいかな」でして,すべてがそんな調子です。こんないいかげんなSI組み立て単位はないです。
 もし、ICRPかなんかで「ううん、やっぱりそんなに影響ないみたいだなあ」と将来決議されたら、また係数が変わるんですよ(実際、係数はこの20年くらいで結構変わっている)。で、こんな恣意的な単位を使って、その値の大小で避難を決定したり、許容量を設定だったりしていいものかという疑問が生じるわけです。もちろん元がグレイですから、大雑把な傾向はつかめるとは思うのですが、はっきりいって数マイクロのレベルでどうこう言う単位ではないように思えてきました。
 以前私は,世論調査のサンプル数はすごくいい加減な式が根拠であることを指摘しましたが,この「世論調査の数式」は厳密なように見えて,実は係数が恣意的で,はっきり言ってどんなサンプル数も導き出せるどんぶり勘定数式なんですね。どうやら,シーベルト値もかなりいい加減などんぶり勘定のようです。少なくとも「1mSvをわずかでも上回ってもいけない」とか「基準値を上回っているからこの牛肉は危険」とかいう議論は成立しないのは確実です。
 これを動物に例えると,動物ごとに体重と体長は正確な値としてわかります。これが「グレイ」。しかし,体重と体長では「どのくらい危険か」はわかりません。私たちが知りたいのは重さでなく,「どのくらい危険か」だからです。そこで,危険係数という数値を決め,動物ごとに「ライオンは20,ツキノワグマは15,アライグマは5,リスは1」というふうに決めて,体重にその危険係数をかけて「動物の危険度」を出すわけね。これが「シーベルト」。そして,この「危険係数」を専門家と称する方々が話し合いで変更したりするんだけど,なぜその値にしたのかがよくわかりません。
 こう考えると,シーベルト値がどのくらいどんぶり勘定かわかりますよね。少なくとも,ガイガーカウンターで毎日測定し,「1マイクロシーベルト上がった,2マイクロシーベルト下がった」と一喜一憂するのは多分ナンセンスです。
 果たして,こんな恣意的・政治的に決まった数字を根拠に話を進めていいのか,というのが上記の生物の先生の意見です。ううむ,鋭い!

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【巨大津波、三陸で6千年に6回か…地層に痕跡】
 「マグニチュード(M)9級の巨大地震が1000年に1回の頻度で繰り返し起きていた可能性を示すもので、国や自治体の防災計画の見直しに役立ちそうだ」ということですが,この記事を書いた記者は本気でこう考えているんでしょうか。だって,6000年に6回ということは1000年に1度ですよ。次に起こる可能性があるのは西暦3011年ころの31世紀です(もちろん確率的には,この瞬間に超大型地震が起こるかもしれないけど・・・)。31世紀にそもそも日本という国があるのか,地球に人間は生存しているのか,それすらわからないのに,「西暦3011年に向けて地震と津波の大作を決めましょう」なんて意味がありません。「1000年前に起きた地震を根拠に,1000年間地震対策をしましょう」なんてお伽話ですってば。

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 肉牛・野菜セシウム汚染問題だが,基準値を超える値だ,○○シーベルトだ,と報道するのは意味がないような気がする。具体的にどのくらい危ないのか,という情報がないからだ。
 例えば「この牛肉を毎日1キロ,10年間食べ続けた場合のガン発生率は,1日10本のタバコを10年間吸ったガン発生率より低いです」とか,「この腐葉土で育てた野菜を毎日1キロ,10年間食べ続けた場合の死亡率は,毎日お酒1合を10年間のみ続けた場合の死亡率と同じ」とか,そういう風に伝えるなら意味がある。放射能がゼロにできないことが明らかになった以上,それがどの程度危険なのかが必要な情報だからだ。
 その牛肉を食べたらすぐに死ぬのか死なないのか,ガンができるのかできないのか,できるとしたら何年後なのか,それはどのくらいの確率なのか,そういう情報が必要だと思う。
 人間の死因が放射能だけだったら放射能の数値に一喜一憂するのは意味があるし,ガン発生の原因が放射能だけだったら放射能だけを遠ざけることに意味がある。しかし,人間の死因は放射能だけでないし,放射能だけが発ガン性を持つわけでもない。放射能は一つの原因にすぎないのだ。
 だから,放射能を100%シャットアウトしたとしても人間はガンになるし,癌にならなくても他の原因で死ぬことがある。他に多くの死因があり,多くの発ガン性物質があるからだ。(2011/08/04)

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 18:50頃,茨城のNHKでは毎日,「県内各地の放射線量」を報じています。県内のすべての市の放射線量を「〇〇市では0.18,▲▲市では0.17」という具合に放送していますが,これって意味があるんだろうかと思います。なぜかというと,その数値の意味が誰もわからないからです。
 これがもし,「明日の最高気温は33℃」といえばどのくらいの暑さかはわかるし,「常磐線が2時間遅れた」といえばどのくらい遅れたかわかります。温度や時間は具体的に体感している数字だからです。しかし,放射線量を0.18μSvだ,0.10μSvだと言われてもその数値だけでは危険なのか安全なのかがわからないのです。
 ではどうしたらいいのか。私なら,「茨城県内各地の放射線量」と同時に北海道とか近畿とか九州とか,ラジウム温泉とかラドン温泉とか,日本各地の自然放射線の数値と並べて報道します。そうすれば,その値が他の地域に比べて極端に高いのか,それほどでもないかがわかるからです。それによって,数字が具体的なものとして初めて実感できます。
 要するに,「理解できない,実感できない」数字の羅列は情報とは呼べません。それを情報とするためには伝える側に工夫が必要です。

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【チェルノブイリのいま 死の森か,エデンの園か】
 先日紹介したこの記事ですが,それに対しある方から「チェルノブイリ事故前の自然環境と比較しての研究ではないため,これだけでは自然が回復したという結論は出ないのではないか」,という非常に鋭いご指摘をいただきました。非常に多くのことを指摘する疑問だと思います。

 私は次のように考えます。

 まず,チェルノブイリ事故直前のチェルノブイリ原子力発電所周囲の自然環境ですが,そもそも原子力発電所は自然を大規模に破壊して作っているため,事故前の原発周辺の生態系は極めて小規模だったはずです。これは,日本の原子力発電所近辺の生態系を見ればわかります。原発周辺部は元々,「人間の手が入っていない原初の状態」ではないのです。憶測で言えば,現在のチェルノブイリ発電所周囲の自然環境は少なくとも,「原発事故直前の原発周囲の自然環境」よりは豊かなはずです。
 さらに私は,福島原発周辺部の陸地と海域の自然は,今後数十年でチェルノブイリと同じ経過をたどって回復するのではないかと考えています。この時,「どの時点の自然と比較して回復したと言えるのか?」というのは実はあまり意味がありません。なぜかというと,原発事故前の原発周辺の自然に戻せばいいのか,原発建設前の状態ならいいのか,江戸時代の自然に戻せばいいのか,縄文時代の生態系に戻せばいいのか,それとも日本列島に人類が出現する以前の状態に戻すべきなのか・・・と,「戻すべき基準」はあってないようなものだからです。つまり,「〇〇の状態に比べて回復したといえる」という基準そのものがないのです。
 そしてさらに私は,生態系は事故前の生態系の状態に戻らなくてもいいと思っています。生態系というのは環境によってどんどん変化していき,生物種はめまぐるしく変化していくからです。だから,チェルノブイリ事故後の現場周辺の生態系は,事故前の生態系とは全く別物で,放射能に強い種類の生物が優勢種となり,弱いものは生存できていないはずです。しかし,放射能が弱くなるにつれて,「放射能の影響を受け易い生物」が次第に増えていきます。そして,時間の経過と共に生態系を構成する生物種はどんどん変化していきます。
 重要なのは,現在のチェルノブイリ事故後にできた森と草原に多種多様な動植や微生物が生きていて,独自の生態系を作っているという紛れもない事実です。チェルノブイリ原発から放出された想像を絶する放射性物質を物ともせず,新たに豊穣な生態系が形成されたのです。
 もちろん,こんなことを書くと「人間と動物を一緒にしては困る。動物は動物,人間は人間だ。問題は,福島原発事故で放出された放射線による健康被害だ」と非難轟々でしょうが,私は動物や植物が復活したという事実に希望を持ちます。彼らが持っている「損傷されたDNAを修復する能力」は私たちも持つ生命体普遍の能力だからです。(2011/07/04)

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【チェルノブイリのいま  死の森か,エデンの園か】
 先日紹介した記事の最終回です。長期間に渡る低レベル放射能被曝で生物に何が起こるかについて詳細な分析ですが,動物間の種差が大きく,例えば小麦と大豆でも全く異なっていて,DNA損傷を早期に修復して何事もなかったかのように育つ大豆がある一方,小麦は最初の突然変異を今も引きずっていて,25年経っても遺伝子の不安定が見られるそうです。そして,放射能に対する反応は小麦から大豆のライン上のどこに位置するかは生物種によって異なっていて,ホモ・サピエンスもその例外ではありません。
 ホモ・サピエンスが,チェルノブイリの原野で数を増やし我が世の春を謳歌しているモウコノウマやヘラジカと同じなのか,あるいは小麦と同じ反応を引きずるのか,誰にも分かっていません。

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【チェルノブイリのいま  死の森か,エデンの園か】
 4回シリーズの3回目までしか公開されていませんが,あのチェルノブイリ事故から25年経った原子炉周辺地域が今どうなっているのかを報告する非常に読み応えのある長大な記事です。かつて共同研究をしていた二人の研究者の一方は,いまだに甚大な被害が残っていて生態系は破壊されたままだと発表し,もう一方は,豊かな生態系が戻り,人間が住まなくなったために動物の楽園になっているという研究結果を発表しています。要するに,同じ現象を見ていてもそれぞれの立場や思惑により全く相反する結果が導けるのです。
 第4回目の記事が待ち遠しい連載ですが,私は長崎や広島が原爆の被災から程なく復活し,緑豊かな自然に囲まれた大都市に生まれ変わったことからすれば,チェルノブイリも同じではないかと考えたいです(・・・もちろん,根拠レスですが)

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【安全の必要十分条件は何か】
 極めて真っ当で科学的な分析と提言です。非常にいい記事です。
 年間20mSvにすべきとか,20キロ圏か30キロ圏かというようなどんぶり勘定的議論を積み重ねても意味がありません。20mSvなら危険で19mSvなら安全ということもないし,19kmなら危険で20.1kmなら安全ということもないからです。こういうどんぶり勘定の数字をいくら出されても,不安は解消できません。
 私の考え方はいつものようにシンプルです。[これ以上なら絶対危険。これ以上なら絶対に健康被害がある]というSv値の上限値と,[これ以下なら絶対に安全で健康被害もない]という下限値を出します。そして,その中間の値については[年間〇〇Svなら癌発生率が○%増加する],[〇〇Svという数値は秋田県の玉川温泉の年間被爆量と同じ],[〇〇Svはこのラドン温泉の被爆量と同じ],[〇〇Svはイランのラムサールの年間被爆量と同じ]・・・という具合に具体的な数値で示します。さらに[喫煙による癌発生増加率]とか[運転中に携帯電話をかけて交通事故を起こす確率]とか,日常的に遭遇する様々なリスクの数字も具体的に示します。
 そうすれば,[この放射線量は喫煙による癌発生と同程度],[玉川温泉近くで暮らすよりは安全],[高速道路を運転するリスクより危険]というように放射能のリスクが具体的に分かります。あとは,個々の人間が自分の脳味噌で判断すればいいだけです。喫煙より安全なら安心して住めるという人もいるし,喫煙と同じ危険性なら怖くて住めないという人もいるでしょう。それぞれが,自分の価値判断をもとに判断し,行動すればいいのです。
 なぜかというと,人間の死因は癌だけではないし,癌の原因は放射能だけでもないからです。癌は死因のごく一部だし,放射能は癌発生の原因のごく一部です。だから,放射能だけを別格扱いで怖がってもしょうがないと思うのです。
 健康で長生きすることを最終目的にするなら,その阻害因子は放射能だけでなく喫煙も肥満も阻害因子です。運転することも自転車に乗ることも阻害因子だし,山菜採りで山に行ってクマやオオスズメバチに遭遇するのも,海水浴に行ってカツオノエボシが目の前に漂っているのも阻害因子です。だから,それらの危険度と放射能の危険度を同じスケールで論じない限り意味が無いと思います。

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 さて,今回の東京電力と政府の「メルトダウン隠し」ですが,結果論かもしれませんが,3月15日か16日に「メルトダウンが起きている!」と報道されなくてよかったと思っています。
 もしも3月15日に報道されたら,東北全域,関東全域がパニック状態になり,西日本に逃げようとする人で収拾がつかなくなっていたはずです。なぜかというと,3月15日の時点でメルトダウンについて正確な知識を持っている人はほとんどいなかったからです(少なくとも私はあの時点では「メルトダウン=チャイナ・シンドローム」という知識しかありませんでした)。3月15日に突然「メルトダウン」という言葉が報道されたら,「メルトダウンでは関東全体も危ない。すぐに逃げ出さないと大量の放射能を浴びて被曝死する」というデマがあっという間に広まり,絶対にパニック状態だったと想像されます。
 3月15日の石岡といえば,ようやく病院に電気が復旧したものの,まだ水道は復活していませんでした。ガソリンは手に入らず,コンビニは開いているものの食品棚は空っぽでした。しかもあの頃は日本全体で食品買いだめ,電池買いだめ,ガソリン買いだめが起きていて,心理的に非常に不安な時期でした。そういう時に,「メルトダウンに対しては打つ手が無い。メルトダウンでは福島は全滅,関東全域で人が住めなくなる」という話がマスコミとネットに流れたら何が起こるか,想像したくもありません。
 良くも悪くも「放射能慣れ・原発事故慣れ」してしまった5月中旬だからこそ,メルトダウンという言葉が出てきてもパニックは起きていないのではないかと思います。東京電力と政府が「すべての情報を公開します。メルトダウンです」と3月15日に発表していたら,被災地の人間は間違いなく,心が折れていたでしょう。

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【広瀬隆 特別インタビュー 「浜岡原発全面停止」以降の課題】
 反原発の騎手,広瀬隆さんのインタビューです。相変わらず,強引に論を展開しています。例えば

「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ないので,余裕をもって乗り切れます。だから何を騒ぐのかというのが第一の疑問です」
と言い切っていますが,この根拠はどこにあるのでしょうか? ちなみに昨年の気象庁による長期予報は最初は冷夏の予想で,その後,例年通りの暑さになると大幅修正し,実際にはあの猛暑でした。そして,気象庁の今年の長期予報は「例年通りの暑さ」ですから,「気象庁が冷夏といえば猛暑だったから,猛暑と言ってる今年は冷夏に決まっている」となる可能性はありますけどね。
 その他にも,事実と仮定(例:石油も天然ガスも安定して供給され潤沢に使える・・・はず)をゴチャマゼにして論を進めている部分もあります。全体的に「原子力にはとことん厳しく,反原発にはとことん甘い」インタビュー記事でした。(2011/05/11)

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【玉川温泉ラジウム岩盤力】
 こちらは下記の「北投石」の産地,玉川温泉です。なんとこちらは5.256マイクロSv/hrです。つまり,24時間で126マイクロSv,365日では46ミリSv!! すごい! (4/15)

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 いつもの福島の生物の先生からのメールで,「秋田県玉川温泉の幻の北投石」という商品が売られていることを教えていただきました。何しろ堂々と「なお弊社製品につきましては,秋田命泉玉川の鉱石・北投石共に現在報道されている放射線とは全く違うもので,石から出る放射線は天然が生み出した身体に良いもので安心してお使い頂いて下さい」って銘記してあるんですよ。これほど堂々と嘘を書いているのもすごいな。「天然の放射線だから安全」って「天然のフグ毒だから安全」というのと同じですよね。もちろん,世の中には「自然のもの,天然のものは安全」と信じ込んでいるお馬鹿さんが多いから,こういうインチキがまかり通るんだな。「バカを相手にタダ同然のものを高い値段で売る」のがインチキ商売の鉄則ですから,インチキ商売の基本に忠実と言えますね。
 ちなみに,この北投石は4.59マイクロSv/hrという放射線を放っています。つまり,24時間では110.16マイクロSv,1年間では40.208ミリSv! これがどのくらいの量かというと,原子力安全委員会が避難するかどうかの目安とした年間20ミリSvをはるかに超える量です。ちなみに,無人の街となった福島県浪江町での累積放射線量は16ミリSvです。
 ・・・ということは,この「北投石」を購入した人の周囲20キロ以内に住む人は直ちに避難するか屋内退避しないとヤバイということになります。
 避難するかどうかはさておき,原子力安全委員会などは「北投石」を購入した人の健康被害の有無を直ちに調べるべきです。そうすれば,「微量で持続的な被爆」の貴重な人体実験データとなるからです。それにより「年間40ミリSvは危険か安全か」がわかるはずです。これは貴重なデータになると思いますよ。 (4/15)

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 電気って便利なんだけどすごく不便なエネルギーだなとつくづく思う。今日使わなかった電力を翌日まわす,ということができないからだ。これが灯油やガソリンだったら,きょう使わなかった分は明日使えるが,電気の場合,「昼に節電した分を夜に使う」ことはできないし,「今年の夏の電力不足に備えて,今のうちから節電して貯めておく」ことはできないのだ。夏は夏で節電しないといけないし,冬は冬で節電するしかない。電気は使わなかった分は無駄に捨てられるだけだ。要するにこれは「寝溜め,食い溜めはできない」のと同じである。
 電気を簡単に貯めておける技術があれば問題は簡単に解決する。家庭で使う1週間分の電力を灯油缶くらいのボックスに入れておけて,いつでも自由に使えるようになったらエネルギー問題は一挙に解決だ。原子力発電所は要らなくなるし,節電した分は翌日の余裕に回せるようになる。
 人間が電気を使い始めて200年くらい経つのに,これだけができていない。(3/29)

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 3月24日のこのコーナーで「ベクレルとシーベルト」について書きましたが,「ピアノ馬鹿」時代からの知人から,こんな風に例えては,とメールをいただきました。

そしてピアノ曲は次のように分類できます。
  1. ベクレル値もシーベルト値も低い ⇒バイエル練習曲集
  2. ベクレル値は高いがシーベルト値は低い ⇒バダジェフスカの「乙女の祈り」
  3. ベクレル値は低いがシーベルト値が高い ⇒「ゴドフスキーが左手用に編曲したショパンのエチュード Op.25-4」
  4. ベクレル値もシーベルト値も高い ⇒ソラブジの曲
 ううむ。ピアノ馬鹿にしか通用しない例えだな。(3/27)

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 昨日から騒動が続いている「浄水場から基準値以上の放射性物質が・・・」問題だが,スーパーでミネラルウォーターを大量に買い込んでいる人がテレビのインタビューに,「健康を守るためですから安全な水を選びます」という風に答えていた。体に悪いものは入れたくない,健康に悪いものは全て排除したい,という考えはわかるが,これを突き詰めると最後は「健康を守るためなら死んでも構わない。体に悪い物を体に入れるくらいなら餓死した方がマシ」というあたりに行き着いてしまうんじゃないだろうか。
 水道から基準の2倍のヨウ素131が・・・といったところで普通の水で倍に薄めたら基準値以下になるわけだし,茨城産のホウレン草から基準以上のヨウ素131が・・・といったところで,ホウレン草を洗面器一杯分食うわけでもない。放射能の害は放射性物質の濃度の問題でなく摂取量(と蓄積量)の問題である。ましてや大人がいくら食べようと短期的には何の害もないし,たとえ数十年後に病気になったとしてもその頃には自然死している人が圧倒的多数である。

 ちなみに,
北京のスーパーの店頭からニンニクが姿を消し,ニンニクの奪い合いになっているという噂もある。「ニンニク=毒消し」⇒「放射能の毒も消す」と考えて,日本の放射能にニンニクで対抗しよう,と考えているらしい。その北京から100キロ離れた村の深刻な環境汚染は気にせず,2000キロ離れた福島からの放射能を恐れているらしい。日本で起きている農産物+水道水パニックと中国のニンニクパニック,実は五十歩百歩じゃないかと思う。(3/24)

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 日本から外国人が続々と逃げ出しています。「何だよ,お前らだけさっさと逃げ出して」という気もしますが,これって何かに似ているなと思ったら,現在のリビアの状況と多分同じでしょう(・・・多分,だけどね)
 正確なことはわかりませんが,恐らくリビアでは在留邦人を含め多くの外国人が脱出しているはずです。極めて危険な状況だからです。危険な状況だから逃げ出す,という意味では,日本から在留外国人が逃げ出すのは同じです。

 しかし,リビアにいる人間が全員避難しているかというとそうではなく,リビア人はリビア国内の移動はしても,リビア国内に留まっているはずです。そして,彼らは可能な限りリビア国内で生きて行くことを選択するはずです。これは,成田空港,関西国際空港から外国人が続々と脱出しているのに,私たち日本人はこれまでと変わらずに職場に出勤して,いつも通りに仕事をしているのと同じです。
 では,日本脱出する外国人は危険を察知して逃げ出しているのに,日本から逃げ出さない日本人は危険を察知できない鈍感人間だから逃げ出さないのか・・・というとそうではないでしょう。同様に,リビア国内に留まっているリビア人は危険でないと判断したからリビアから脱出しないわけではありません。
 日本(あるいはリビア)から脱出している人たちは「簡単に逃げ出せる人,脱出先の当てがある人」です。皮膚の細菌で言えば(人間を細菌にたとえてすまん!),常在菌(=皮膚の上でしか生活できない)が日本人(リビア人),通過菌(=皮膚が本来の生存の場ではない)は日本やリビアに暮らす外国人です。だから,通過菌は本来の生存場所でないから簡単に脱出できます。脱出することによるリスクと脱出しないで留まることによるリスクを秤にかけて前者を選んだわけですが,通過菌にとっては前者のリスクはほぼゼロだからです。

 現在,福島県から住民の脱出が続いていますが,脱出できたから安心かというとそうではないはずです。むしろ,「住居はどうなる,仕事はあるのか,子供の学校はどうなるのか・・・」と不安だらけでしょう。進むも地獄,止まるも地獄という状況です。つまり,被災地に留まるリスク,被災地から脱出してそれまでの生活を捨てるリスクのどちらを選ぶかという二者択一ですが,どちらのリスクの大きさもはどうなんでしょうか。いずれにしても,リスク・ゼロという選択肢はありません。(3/23)

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【福島原発風評被害とヒロシマ】
 私の本の挿絵を書いてくれているイラストレーター,CHIMAさんの旦那様のブログ。ご両親が爆心地から1.8kmという至近距離で被爆されたそうですが,ご両親ともに長寿で元気なんだそうです。そして,広島の原爆による惨状が分かってから「広島には今後100年は人も住めず,草木も生えないだろう」と言われていましたが,その予想も見事に外れました。

 知人から教えてもらったデータです。

 要するに,人間にしろ動植物にしろ,放射線被曝によるDNA損傷を修復する能力を持っていて,その修復能力は非常に頑強であり,その修復能力を上回って被爆した場合にのみ障害が発生する・・・というだけのことです。(3/22)

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 先週金曜日午後の地震は凄まじかったです。私は地震発生の1時間前に石岡駅に到着て午後の診察を初めて数人というところで,地震が発生。このくらいなら大丈夫かなと思って悠然と構えていたら,どんどん揺れが大きくなり,しかもいつまでたっても治まりません。皆で病院の外に避難しましたが,時間を置かずに何度か余震が続きました。
 結局,石岡市はその直後から停電と断水になり現在も続いています。アパート一人暮らしの私は真っ暗なアパートに戻ってもどうしようもないので,病院に寝泊りしています。病院なら非常用電源がまだ死んでいないし,何とかネットも使えるからです。
 それにしても,災害発生からまだ2晩が過ぎたところですが,もう何日も経っているような錯覚にとらわれます。
 せめて電気と水道だけでも復旧して欲しいです。

 ちなみに,病院には医者も看護師もたくさんいるのですが,何しろ電気と水道が来ていないため,できることは限られています。「上から物が落ちてきて頭に当たったんです。心配なので検査してください」という患者さんが多いですが,レントゲンが撮れないと説明してもなかなか納得してくれない人がいます。「ここに明かりが付いているからレントゲンくらい撮れるだろう」と思われちゃうんですね。
 改めて,電気と水道をふんだんに使うことで成り立っているのが現代の病院なんだなぁ,と思い知らされています。

 同じ大地震と言っても,阪神淡路と今回の地震+津波ではちょっと様相が異なるかもしれません。
 阪神淡路は狭い面積に集中的に被害がありましたが,今回の地震+津波は極めて広い範囲に起きていて,しかも東北地方の太平洋側で人口が集中しているのは仙台と盛岡だけで,それ以外は 「広い面積に少人数ずつパラパラと分散」 です。
 つまり,仙台と盛岡に災害拠点を設けたとしても,そこと末端の各被災地を繋ぐ交通手段も移動手段もありません。救援の医者が災害拠点となる病院に集まったとしても,肝心の患者がその拠点病院にたどり着けてないはずです。阪神淡路は被災範囲が狭いために歩いても病院に受診できましたが,今回の震災ではそれは無理です。

 また,各被災地(例:陸前高田,南三陸町)にしても「広い面積にパラパラ人が住んでいる」ことは変わりありません。つまり,各被災地の病院に応援医師が辿りつけたとしても,そこに医療を必要とする患者が集まっているわけではないはずです。要するに,救援物資や救援医療チームを拠点に集中的に投資しても効果はあまり高くないかもしれません。
 多分,これが宮城,岩手の被災地の問題点でしょう。

 とりあえず,水と電気と食料さえあれば健康人が病気になることは滅多にありませんが,この3つが「広い地域に分散している今回の地震の各被災地」にないものです。何はなくても,まずこの3つが欲しいです。(3/13)

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