肺炎の常識が皮膚に当てはまらない理由


 肺炎などの深部臓器感染と,皮膚の傷(熱傷や褥瘡や挫創)の感染は全く別物だということに,ふと気がついた。だから,深部臓器感染で効果のあった予防法・治療法が,皮膚の傷の感染には全く役立たないのではないだろうか。これは,肺などの深部臓器と皮膚の根本的な違いによるものだ。肺は基本的に無菌の臓器だが,皮膚は基本的に細菌がいる臓器であり,皮膚の傷も必ず細菌がいるからだ。


 肺炎の場合は

〔病原菌が肺に侵入〕⇒〔肺実質の破壊〕⇒〔肺炎の発症〕
というステップを踏んでいるような気がする。だから,細菌を抗生剤を殺せば「細菌のいない肺=正常の肺」となって肺炎は治まる。また,「肺への細菌侵入を防ぐ」ことが肺炎の予防になる。

 一方,皮膚の傷には必ず細菌が定着する。だから皮膚の傷は細菌がいる状態が正常であり,「無菌の皮膚の傷」は絶対にあり得ない状況である。だから,皮膚の傷の場合は多分

〔皮膚に傷ができる〕⇒〔細菌が定着〕⇒〔何らかの原因で組織をさらに破壊(?)〕⇒〔蜂窩織炎が発症〕
という段階を踏んでいるはずだ。ここで重要なのは
〔皮膚に病原菌が定着〕⇒〔細菌が皮膚を破壊〕⇒〔蜂窩織炎が発症〕
ではないことだ。皮膚が正常であれば病原菌は皮膚に定着できないため,それらが定着するためには皮膚は損傷されていなければいけないのだ。

 だから,炎症症状(疼痛と発赤)がある傷に対して抗生剤を投与しても,一時的に「細菌のいない傷」になるだけで「(傷のない)正常の皮膚」に戻るわけではない。傷が治らない限り,その傷はすぐに元の状態,つまり「細菌がいる傷」に戻ってしまう。
 このあたりが,肺炎との根本的な違いだ。肺の場合は細菌を殺してしまえば,「元の無菌の肺」に戻り正常な状態となるからだ。


 別の言い方をすれば,肺炎の場合は「細菌のいない肺」をベースラインにして治療法を組み立てていけばいいが,皮膚の傷の感染の場合は「細菌がいる皮膚の傷」を基準にして考えなければいけないのだ。つまり,肺炎の治療の論理を皮膚の傷の感染に当てはめても意味がないことになる(これが,肺炎の専門家を主体とする院内感染対策の限界である)
 これをたとえて言えば,ラテン語の文法で日本語を文法を理解するようなものであり,本質的に無理があるのだ。言語体系が異なる言語には全く異なるアプローチが必要になるように,肺炎と皮膚の傷の感染では全く異なったアプローチが必要となるのだ。

 このように考えると,皮膚の傷(熱傷創,挫創,褥瘡など)では細菌を除去するだけでは状態は改善せず,そもそも細菌の除去を治療のゴールにしてはいけないことは明らかだろう。
 私はこれまでことあるごとに,日本熱傷学会の「熱傷診療ガイドライン(2009)」や日本褥瘡学会の「褥瘡治療ガイドライン(2009)」を批判しているが,その理由の一つは,両学会のガイドラインともに創感染に対する考え方が根本から間違っているからだ。

(2010/10/25)