『類人猿を直立させた小さな骨』(アーロン・G・フィラー,東洋経済新報社)


 好きな本か嫌いな本かでは,もちろん好きなこれは好きな本だ。いい本か悪い本かといえばもちろんいい本だ。私がこれまで知らなかったことをたくさん教えてくれる本だし,いろいろな新しい視点を教えてくれた本でもある。現在私が考えている様々な問題について,解決の糸口になるかもしれないことを教えてくれている本でもある。

 特に,「ヒトはなぜ直立歩行をしたのか」について,これまでさまざまな理論が提案されてきたが,本書は全く新しい説明をしているのだ。これが非常に面白い。特に直立歩行について脊椎外科医として類人猿の脊椎を分析し,2100万年前の地層から発掘された類人猿の脊椎から「これは直立姿勢しかできない脊椎だ」と看破する部分はスリリングだ。この部分は凡百の「人類発生の謎解明」本を遙かに凌駕していると思う。

 しかし,この本全体を超オススメ本,大絶賛本とするには何かが欠けている。私がこれまで「これは超オススメ本!」と紹介してきた作品が持っている圧倒的な説得力に,今一歩及ばないのだ。それが何かは,最後にまとめてみようと思う。

 ちなみに私は遺伝学方面はあまり詳しくないため,用語の使い方などでおかしな部分があったり,解釈が間違っている部分があるかもしれない。おかしな部分があったらどんどん指摘していただけたら幸いである。


 自然を観察するとき,二つの様式がある。違いを見つける方法と,類似点を見つける方法だ。本書が紹介するのは,「生命体は反復する基本ユニット(モジュールという)からできているのではないか」という考えであり,後者の見方を追求したものだ。そしてその起源は19世紀の大詩人ゲーテ,そして彼とほぼ同時大の生物学者ジョフロワなのだ。そして二人の発想の原点はいずれもラヴォアジェの元素の発見にあった。

 優れた自然観察者でもあったゲーテは,同時代のラヴォアジェの発見に触発され,全ての動物にも元素のような最小単位があり,その組み合わせで作られているのではないかと考えたのだ。そして彼は動物の体を観察することで,脊椎がその最小単位であり,動物の体は脊椎が連続するパターンから作られているのではないか,という考えに到達し,これは彼の『イタリア紀行』などに書かれている。しかし,この考えは当時の生物学の考えから大きく外れていて,科学者たちは完全に無視した。

 1822年,ジョフロワは「節足動物を脊椎動物に含めてよいのではないか」という説を発表する。もちろん,奇想天外な考えである。そもそも節足動物は前口動物(最初に口ができて二次的に肛門ができる),脊椎動物は新口動物(最初に肛門ができてその後に口ができる)であり,この違いは動物を大きく二つに分ける最も重要な違いだったからだ。そして何より,節足動物では神経索は体の前方(腹側),消化管は後方(背側)を走るが,脊椎動物はその逆であり,体の基本構造が異なっているのである。

 それに対してジョフロワはボディプランをいう観点から,「脊椎動物は単に節足動物をひっくり返しただけで作れる」と指摘し,さらに,脊椎動物で「右の脳が左半身を支配し,延髄で交差する」という現象がこの考えできれいに説明できることを示した。ちなみに,この「延髄の交差」を説明できる理論は,現在でもこのジョフロワのものだけらしい。彼の説は極めて魅力的だったが,具体的な裏付けは何一つなく,彼の考えはその後100年以上にわたって忘れられることになる。


 だが,意外なところからゲーテとジョフロワの考えに光が当たる。Hox遺伝子の発見だ。これはショウジョウバエで最初に見つかり,その後,マウス,人間からも発見された遺伝子で,種差によらずその基本構造はきわめて類似していた。この遺伝子は胚の初期の体節組立を指示する遺伝子だった(ちなみにこのホメオボックス遺伝子は,コンピュータのプログラムのサブルーチン呼び出しのようなもので,DNAの別の場所にすでに存在する一組のサブシステムにスイッチを入れる役割をしているらしい)

 これらから著者は,「無脊椎動物からどのようにして脊椎動物が生まれたのか」を説明する。このような体の構造を根本から変えるような変化は,突然変異と自然淘汰から説明することは不可能だ。著者はこれに対し,「ボディプランを根本から変える体節構造の変化が最初に起こり,それは一世代で完了する。それに対し,生存に有利か不利かという淘汰が働き,淘汰されない個体で染色体種形成というメカニズムが働き,やがて種として分離する」というシナリオを提案している。

 さらに,カンブリア紀の大爆発についても,なぜその時期に一挙に様々な種が作られたのかについても,当時の海での特定の金属イオンの濃度が関与しているのでは,という説明があって面白かった(もちろん,環境の金属イオンがそのまま細胞内に反映されるわけがないので,このあたりにはさらに緻密な考察が必要であることは言うまでもない)


 そしてさらに本書は,人類直立の問題を扱う。事の発端はアフリカで発見された1個の腰椎だった。それは2100万年前の猿の骨と考えられていたが,その骨を詳しく調べた筆者は,腰椎横突起や茎状突起の茎状から,それが直立歩行のための構造であることに気がつく。骨の突起は筋や靱帯の付着部分であり,筋や靱帯の走行を分析すると直立姿勢以外には力学的に安定しなかったからだ。このあたりは脊椎外科,脊髄外科の専門医としての著者の面目躍如であり,これまでの類人猿,猿人研究で見落とされてきた面である。また,椎体の形状も水平位では安定せず,直立してこその安定する構造だった。

 直立に関する著者の考えるシナリオは次のようになるようだ。2100万年前,東アフリカで大型類人猿の一部に突然変異が起こり,それは新しいタイプのボディプランであり,腰椎横突起,腰椎茎状突起,靱帯配置の再編成を一挙にもたらした。このため,長くて柔軟な腰椎が形成されたが,そのため水平姿勢では移動が難しくなり,直立歩行以外には適しない突然変異だった。このため,オランウータンやゴリラ,チンパンジーは腰椎の数を減らすなどの対処をして,元通りの水平移動に戻った。そのような対処をしなかった類人猿は直立を続けたが,従来の姿勢をとる類人猿より活動性の点で不利なため,狭いニッチで細々と生活していた。しかし,環境の変化が起き,立場が逆転した・・・というものだ。

 この人類直立の謎解きは非常に面白いし,少なくとも,「四足歩行していた類人猿が次第に背を起こして歩くようになり,ついには直立した」なんていうおとぎ話よりは,「まず最初に直立するしかない体ができてしまい,大多数はその変化を放棄したが,変わり者の少数がその変化を我慢して受け入れ・・・」という方が,はるかにありうる話だと思う。少なくとも腰椎の形状の分析から,体の姿勢から運動様式まで推論する部分は極めて説得力に富んでいる。


 では,本書の問題はどこにあるのか。それは,形態を決めるサブルーチン遺伝子の突然変異と,その結果としての具体的な形態の変化が,本書を読んでも直接イメージできない点にある。もしかしたらそれは遺伝学では常識なのかもしれないが,少なくとも本書をいくら読んでも,「無籍椎動物をひっくり返すと脊椎動物」という大転換が具体的なイメージとして浮かんでこないのだ。要するに,「原因⇒結果」をつなぐ道筋が連続しておらず,ところどころに論理の飛躍があるように感じられるのだ。

 本書では「形態を決める遺伝子群が一挙に変化する」ことが説明されているし,それが「体節の順序と位置を決める遺伝子に支配されている」ことも説明されている。そして,その結果として「無脊椎動物から脊椎動物が一世代で生まれた」ことも示されている。そして確かにこの世には脊椎動物がいる。これだけで,脊椎動物の発生が理解できる人はいるのかもしれないが,私はこれだけでは納得できないのだ。

 この感覚,料理に例えるとわかってもらえるだろうか。これは要するに,「オムレツとは卵から作る料理だ。卵とは雌の鶏が産み落とすもので,中に卵黄と卵白が入っている」という説明があって,「そしてこれが作ったオムレツだ」と完成品のオムレツを見せられても,それではオムレツが作れないのと同じだ。原理は示されているが,具体的な料理法と手順が抜け落ちているからだ。

 生命の進化は極めて具体的な現象だと思う。だから,極めて具体的に説明されている「腰椎横突起の形から直立歩行を結論する」部分は,強い説得力を持っている。であれば,その腰椎横突起がどのように胚で形成されたのかも,具体的な形で提示してほしいのである。

 同様に,染色体種形成での変異遺伝子の短期間での定着も確かに興味深いのだが,説明そのものはかなり強引だし,これですべてが説明できるのかは極めて疑問だ。


 そのほか,この考えの先達として19世紀のジョフロワを取り上げ賞賛するのは当然だが,20世紀後半に発見された遺伝学的事実の説明の際にも,ジョフロワの論文を引用するのはやりすぎではないだろうか。確かにジョフロワは不遇の大天才だと思うが,何から何まで彼の論文に沿って説明するのは,時間軸を混乱させるだけだと思うし,説明をわかりにくくするだけのような気がする。これでは,「19世紀の忘れられた天才を発掘するために書いた本」になってしまう。

 同様に,事あるごとに19世紀の生物学の歴史を辿って考え方の変遷を説明している。これは恐らく,「この考え方は実は100年以上前からあったもので,実は普遍的な考え方ではないか」ということを強調するための戦略と思われるが,それが多すぎるために「この本は昔の考えの焼き直しなの?」という感想を持たせるだけのような気がする。このあたりは著者の責任というよりは,恐らく編集者の問題だと思う。


 本書の著者が述べている進化の道筋,つまり,「まず最初に形態の変化が起き,それに対して淘汰圧がかかる。形態の変化は一挙に短期間に起こる」という方向性は,恐らく正しいと思うし,このような考えでなければ「無脊椎動物から脊椎動物が進化」級の大変化は説明できないと思う。だからこそ余計に,緻密な論理の積み重ねが要求されるだ。本書を読んだ人すべてが納得し,疑問を差し挟む余地がないものであるべきなのだ。ないものねだりかも知れないが,壮大な試論であればあるほど,圧倒的な読後感が欲しいのだ。

(2009/01/06)