『プリンキピアを読む ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?』(和田純夫,講談社ブルーバックス)


 アイザック・ニュートンが1687年に出版した "Philosophiae Naturalis Principia Mathematica(『自然哲学の数学的原理』,通称『プリンキピア』)" により科学は新世紀を迎える。この書でニュートンは「万有引力の法則」「運動の法則」を証明し,恒星とその周りを回る惑星,さらにその周囲を回る衛星が同じ原理で動いていて,そればかりか同じ原理が地球上の物質にも作用していることを鮮やかに立証した。

 しかもこの『プリンキピア』が提唱したのはそれだけではない。全く新しい「物の考え方」を確立したことが素晴らしいのだ。では,ニュートンが提示した「ものの考え方」とは何か。それは,宇宙に存在する物体の動きは厳密に数学によって記述でき,数学で記述できない運動は存在しないという事実であり,複雑怪奇に見える惑星や衛星の動きが,実は単純な幾つかの数学的原理に支配されていることを示したのだ。

 もちろん,ニュートンは17世紀人であり,神の実在を信じていた。事実『プリンキピア』の最後には「神は君主としてすべてを統治する。神は仮想上の存在ではなく,実体的にも普遍的にも存在する」と書いているし,錬金術に熱中したことも事実だ。そういう17世紀の常識にもどっぷり浸かりきっていたはずの人間が,天体と運動に関する精緻な理論体系をゼロから構築して完成させたのである。


 しかも『プリンキピア』で扱っている問題は惑星や衛星の運動だけではない。地球が完全な球ではないこと,自転軸の運動(歳差運動),潮汐力,さらには水や空気の抵抗を受けた場合の運動についてまで広く論じているのだ。まさに,運動に関する森羅万象が彼の研究対象であったことがわかる。

 そして,その完成度が半端ではないのだ。『プリンキピア』で解説されている地球や月の自転軸の動き,月の軌道面と地球の公転軌道面の傾き,彗星の軌道計算などについては,本書の著者(素粒子物理学の専門家にして宇宙論の研究者)は「現代の天体力学の教科書でも論じられる問題であり,専門家でなければ理解は容易ではない」と述べているのである。やはり,尋常ならざる天才である。


 ニュートンがこの書を出版した1687年,日本や世界はどういう出来事があったか,少しだけ寄り道してみよう。

 日本では1687年,第5代征夷大将軍の綱吉が「生類憐れみの令」を発布している。井原西鶴が『好色一代男』を発表したのが1682年であり,松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴って「奥の細道」に旅立ったのが1689年である。一方,クラシック音楽関係で言えば,1681年にテレマン,1683年にラモー,1685年にバッハとヘンデルとドメニコ・スカルラッティが生まれている。また,「パッヘルベルのカノン」は1687年頃作曲されている。

 要するに,バロック音楽の巨匠たちが相次いで生まれた頃,そして,「生類憐れみの令」と同年に発表されたのが『プリンキピア』なのである。


 そういう歴史的名著であるが,現代の専門家にとってはかなりの難物らしい。ラテン語で書かれていることもあるが,証明の方法がまるっきり違っているからだ。今日の天体力学では運動はすべて微積分の数式で解説されるが,『プリンキピア』は徹頭徹尾,幾何学なのである。一部で微積分の考えは持ち込まれているが,「比が一定の値が持つ図形を極限まで小さくすると・・・」というような用い方に限られ,その他の大部分は純粋に幾何学的証明なのである。

 実際,「力が向心力ならば面積速度は一定」であり,「逆に面積速度が一定なら向心力を受けている運動である」ことを手始めに,ケプラーの3法則を証明し,軌道自体が回転する運動まで証明するのだが,そのほとんどは三角形の相似やピタゴラスの定理など,恐らく中学生でもかなりの部分が理解できそうな感じなのである。それで「月は地球に向かって落下運動を続けている」ことを証明し,さらに「運動する複数の物体の動き(=3体問題)」まで解き明かそうとするのだ。

 しかも,慣性の法則や作用反作用の法則と基礎的幾何学をもとにして簡単な運動公理を示し,その公理を元に次第に複雑な運動について説明し,ついには「地球の周りを回っている月に太陽の重力はどう作用するか」まで解き明かすのである。その手際の良さと論理の積み重ねには舌を巻くしかない。公理や公準から定理を導き出すさまは,まさに科学の王道といった感じだ。

 そして,「万有引力の法則」を完璧な物にしようというニュートンの執念がこれまた凄まじいのだ。「これは万有引力の法則が完璧でないという証拠だ」と反対者たちが持ち出してくることが予想される「重箱の隅をつつくような」問題に対してまで,先手を打って『プリンキピア』で証明しているのだ。反論するならしてみろ,さあ,かかってこい,と仁王立ちしているかのようだ。


 もちろん,今日的な目から見れば,『プリンキピア』の内容は「ニュートン力学」ではなく「ニュートンの力学」である。今なら,ニュートン力学を学ぶなら書店に並んでいる力学の教科書で学んだ方が遙かに理解しやすい。ニュートン力学を学ぶためには本書を読む必要はないと言える。

 しかし,先人の残したわずかなデータを元に,鋭い洞察力と数学的才能を武器に,複雑な天体の動きを含むすべての物体の運動を解き明かそうとする発想に直に触れられるのは本書しかないのだ。以前紹介した本にも書かれていたように,ガリレオはストップウォッチも写真もビデオもないのに,落下運動が等加速度運動であることを見事な実験で証明しているし,メンデルは修道院の小さな裏庭と一冊のノートだけで遺伝の法則を発見した。手段の制限が発想の豊かさをもたらして観察眼を研ぎ澄まし,そして深い洞察を生み出したのだろう。

 その意味で,『プリンキピア』はまさに天才ニュートンの並外れた発想と想像力が一杯詰まっている宝の山である。今日,私たちがこの書を紐解く意義はここにあると思う。

(2009/06/10)