『ピアノの誕生』(講談社選書メチエ,1995年)


 私がまだ真面目に(?)ピアノサイトを運営していた頃(もう10年以上前だよ),何度も読み返した本がこれ。ピアノと言う楽器の誕生,発展の様子を,当時の社会情勢の変化,科学技術の進化,政治情勢,さらには西洋文化の変遷など,様々な面から分析した本である。その後,同じような本は出されたかもしれないが,私にとっては忘れられない一冊であり,ピアノと言う一つの「モノ」を軸にするとこういう風に歴史が見えてくるのかと感心した本なので,ちょっと古い本だが紹介させていただこうと思う。


 ピアノは楽器界では新参者だ。ヴァイオリンは16世紀に完成し(ストラディヴァリ,ガルネリ,アマティなど),いまだにそれらの音色の秘密は謎のままである。また,クラリネットなどの木管楽器やホルンなどの金管楽器も19世紀には完成して現在の形になり,その後は大きな変化はもたらされていない。しかし18世紀初頭に誕生したピアノは現在でも改良が続けられていて,現在のコンサートグランドよりもさらに音のよいピアノが作られ(形は当然,グランドピアノと似ても似つかないものになっている),新しい可能性が常に追求されている楽器なのだ。そういうピアノの歴史を,18世紀初頭から20世紀中ごろまでの欧米の歴史と重ね合わせて開設しているのが本書である。

 本書は「戦争と革命が発展をうながす」,「産業の楽器」,「ヴィルトゥオーソの時代」,「ピアノという夢」,「ピアノ狂騒曲」と5つの章に分けてピアノを様々な面から分析するが,個人的に一番興味を持ったのは最初の2つの章だった。


 ピアノが産声を上げたのは1709年で,クラヴィコード(水平に張った弦を下から突き上げて音を出す)やハープシコード(弦を弾いて音を出す)のように鍵盤を持った楽器の一つとして考案された。前二者と異なっているのは「弦を上から叩く」ことであり,発明当初は優れた楽器としては考えられていなかった。
 しかし,指で押す鍵盤と弦を叩くハンマーをつなぐ機構に絶え間ない改良が加えられ,18世紀の後半,ロンドンで「イギリス・アクション」が誕生し,同じ頃大陸では「ウィーン・アクション」が別個に考案される。前者は重厚で大きな響きを生み出して鍵盤は重く,後者は軽くて軽快で鍵盤は浅く,作曲家たちはそれぞれのアクションにあった曲を生み出していく。そして,フランス革命でフランスを逃れたピアノ製造家のエラートはイギリスにわたり,イギリス・アクションを元に「ダブル・エスケープメント」という革命をもたらす。鍵盤が完全に戻りきらないポジションからでもまた打鍵できる機能であり,これにより,急速な同音連打が可能になった。リストは当初,ウィーン・アクションのピアノを使っていたが,その後,エラールピアノの熱心な愛好者となり,『ラ・カンパネラ』や『ハンガリー狂詩曲第13番』のフリスカなど,ダブル・エスケープメント機能を最大限に発揮させる曲を作っていった。

 そして,1848年に相次いでヨーロッパで起こった2月革命,3月革命がピアノの運命を大きく変える。革命に加担した自由思想家でありピアノ製造者でもあったシュタインヴェグが革命鎮圧後の難を逃れて渡米し,ニューヨークでピアノ製造を始めたのだ。この時,現在でもピアノの最高峰としてたたえられ,多くのピアニストを魅了しているスタインウェイが誕生する。そしてその数年後,ヴェヒシュタイン,ブリュートナーも相次いで新作ピアノを発表し,ピアノは空前の開発競争時代に突入する。

 スタインウェイは優れた音響学者でもあり,当時の優れた物理学者との親交も深い科学者だった。その冷徹な科学者の頭脳とわずかな音の違いを聞き分ける類まれな耳が究極のフレーム構造,音響板の構造,調弦方法を生み出し,彼が作り出したピアノの基本構造は現在でもほとんど変わっていない。それほど優れたピアノ製造家だった。


 そしてここに,イギリスに端を発する産業革命とその後の技術革命がかかわってくる。

 もともとピアノは木製楽器,つまり家具職人が作るものであり,チェンバロやクラヴィコード同様,小さな部屋で少数の人間を相手に演奏されるための楽器だった。もちろん当時は,今で言う「聴衆」ではなく,王侯貴族,その後は文化的パトロンが聞き手だった。木製楽器であるため,弦の張力には限界があり大きな音は出なかったが,貴族もパトロンもそれで不満はなかった。

 その後,イギリス・アクションのピアノが発明され,高度な演奏技巧を持つヴィルトゥオーソたちが登場するようになり,オーケストラと丁々発止の華麗な演奏を聞かせるピアノ協奏曲が好まれるようになると,ピアノの音量の不足は明らかなものとなった。そして同時に,市民革命を経て貴族やパトロンが衰退して一般市民が音楽を聴くようになると,「安い入場料で多数の聴衆」を入れる必要が生じ,コンサートホールは次第に大きくなっていく。大きな音が出るピアノはぜひとも必要だった。
 そして1823年,アメリカのチッカリング社は鋼鉄フレームのピアノを展覧会に出展し,強靱で光り輝く張りのある音は聴衆を魅了する。ここで,オーケストラにも負けない絢爛豪華な大音量,人間業と思われない高速で繊細なパッセージ,そして夢幻的・幻想的な響きを生み出すソステヌート・ペダルの全てを備えたピアノという新時代の楽器が生まれ,それはスタインウェイにより完成した。同時にそれは,聴衆の好み,そして音楽の流行をも変えて行った。


 だが,イギリスのピアノメーカーはその流れについていけなかった。「ピアノは熟練した家具職人が手作りで作るもの」という「常識」にイギリスの職人たちが最後までこだわり,木工職人の名誉にかけて金属を使用することを忌み嫌ったためらしい。しかし,彼らの作る木製ピアノはもはや,市場の消費者には受け入れられなかった。その後,イギリスのピアノメーカーは次々にチェンバロ作成に向かって行った。

 一方,アメリカのピアノは次々と技術革新を加えていき,19世紀後半,ピアノは博覧会の花形商品となり,先進国の主要な輸出産業となった。ピアノ製造には高度で精巧な加工技術が必要であり,それを可能にする産業基盤が備わっていることを示すのに絶好のものだったからだ。


 と,この本について紹介しようとすると,まだまだ続くのである。例えばこんな具合だ。

など,どれもこれも興味深いエピソードが満載だ。なぜショパンの作品1がピアノソナタだったのか,それを知りたければ本書を読めば疑問氷解だ。


 いずれにしても,ピアノという一つの楽器を通して近代ヨーロッパの歴史をも詳説する筆者の力量が素晴らしい。

(2009/07/27)






































































第一章 戦争と革命が発展をうながす


第二章 産業の楽器


第三章 ヴィルトゥオーソの時代


第四章 ピアノという夢


第五章 ピアノ狂騒曲