『印象派で「近代」を読む』★★(中野京子,NHK出版新書)


 「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉がある。要するに,歌にはその時代の人々の好みや考え方が反映し,逆に流行する歌により世の中もまた影響を受けていく」ということだろう。もちろんこれは歌や音楽に限ったことではなく,絵画も小説も彫刻も演劇も世の中の影響を受けて作られ,それらが映し出す世の中の諸相が今度は社会全体を少しずつ変えていく。芸術作品は人間が作り出すものである以上,社会とは無縁ではありえないからだ。そして特に,絵画と小説は世の中の動きを敏感に察知し,変化を克明に写し取っていく。

 そして,さまざまな西洋絵画を通じて,その絵が書かれた時代の雰囲気と人々のものの考え方を見事に描き出していく名手がいる。中野京子だ。これまでこのサイトでも以前,『「怖い絵」で人間を読む』を紹介したが,他の彼女の本も含めどれもこれも見事な分析と流麗な筆致で,読者の眼前にその絵が書かれた時代をリアルに再現していく。このような分野の本を書かせたら,他に追随を許さない書き手の一人であり,「中野京子にハズレなし」である。

 そしてこれもそんな中野京子の一冊である。ここで彼女が対象にしているのは19世紀後半のフランスに突如として出現し,一世を風靡し,その後の絵画の流れを一気に変えてしまった「印象派絵画」であり,その印象派を生み出した「近代」とはどういう時代だったのかについて克明に描出していく。


 モネが「印象 ー日の出」という絵画を発表した時,絵画評論家たちは「これは一体何を描いたのか?」,「描きかけの壁紙だってこれよりは完成度が高い」とクソミソにけなしたことは有名だ。だが,私たちの目からするとこの絵は美しい名画である。なぜそれを当時の評論家たちは「描きかけの壁紙以下」と酷評したのだろうか。

 それは,この絵がありとあらゆる「絵画の決まりごと,ルール」を一切合切無視したからだ。それまで,絵画とは「遠近法で奥行を表現し」,「明暗をくっきり対比させ」,「聖書や神話に題材を取り」,「何かの物語を絵によって表現する」ものだったのだ。それをモネたちは「遠近法を無視して平板に表現」,「明暗の対比なし」,「聖書・神話と無関係の目の前の風景を描く」,「物語性なし」という絵を書いたのだ。要するに全面否定,真逆である。
 これは例えてみれば,「会席料理をお箸でいただくのが常識」の和食の世界に,「手づかみOK,ハンバーガーもフライドポテトも出しちゃう」和食店をいきなり作ったようなものである。だから評論家たちは「こんなモノ,絵画とは呼べぬわ! ルールも知らぬ愚か者めが! 主を呼べ!」と海原雄山のように激怒したわけだ。

 だが,不思議に思わないだろうか。絵なんて好き勝手書けばいいし,ルールがある方がおかしい・・・と。ルールがある方がおかしくないか?


 実は,「絵なんて描きたいように自由に書けばいいんだ」というのは19世紀後半以降の人間の考え方なのである。その前の時代では,絵画は書き方のルールを教わってそれに従って描くもの,神話や聖書をテーマにして描くものだったのだ。そうである以上,神話や聖書の物語を知らなければ理解しようがないし,登場人物を区別する約束事(これアトリビュートと呼ぶ),例えば,林檎を持っている裸のおねえさんはヴィーナス,鍵を持っているヒゲの爺さんは聖ペテロ,白いユリを持っている美しい女性は聖母マリアということを知らなければ,その絵が誰を描いた絵画なのかは知りようがないのである。

 もちろん,その「絵画のルール」が作られた時代には,そのルールは社会の常識であり,暗黙の了解事項だったが,時代が下るにつれて「社会の常識」が次第に変化してしまうため,昔の絵画を鑑賞するためには「絵画のルール」を教える教育が必要になる。もちろん,絵描きとして生活するためにはそのルールを教わる必要もある。
 フランスの場合,その教育機関が美術学校であり,その約束事を守った絵を展示するのがフランス官展であり,官展が年に一度主催するサロンに入選することが画家への唯一の道だったのだ。

 このような「フランス絵画界のルール」を真っ向から拒否・否定したのがモネたち印象派だったのだ。だからこそ,フランス官展のお偉方はルールを無視した若者たちを激しく徹底的に糾弾したのだ。こういう連中を認めたら絵画界の秩序が崩壊してしまうからだ。まさにモネたち一派は絵筆を持った破壊者だったのである。


 一方,一般の人達は,このモネの,「デッサン力もなく,何が描かれているのかよくわからない,塗り残しのある絵」を見てどう感じたのか。もちろん最初は訳がわからず,どう判断していいかもわからず,戸惑ってしまった。実際,「無名会第一回展」の観客は1日100人程度と,官展のサロンの観客の1/100以下だった。
 だが,もともとが自然の様子を描いた作品だから「何が描かれているかわからない絵」ではないし,たとえ奇抜でも見ているうちに奇抜さに慣れてくるし,慣れてくればいいところも見えてくる。そして何より,絵が明るくて気軽に見れるのがいい。絵が暗くて重厚で物語が一杯に詰まっている官展の絵は見ているだけで疲れるが,モネの絵には鼻歌交じりで見られる気安さがある。
 そして,印象派の絵は次第に一般大衆の間に受け入れられていく。近代の大衆社会は,難解なものより単純なもの,晦渋なものより平易なもの,学習が必要なものより不要な物を選んだのだ。


 そして,まだ山のものとも海のものともしれない印象派絵画を買い集めたフランス人画商が破産の危機に瀕したことから,一発逆転をかけてアメリカで展覧会を開き,これが大成功をおさめたというのだから,歴史は面白い。なぜかというと,アメリカでは美術館建設がブームになったが,肝心の展示する作品がなかったのだ。アメリカには絵画の伝統も文化もなく,画家もまだ育っていなかった。そこで,憧れのフランス文化の最新絵画として印象派絵画を新興美術館は競って購入したらしい(・・・フランスの歴史的名画は高くて買えないが,印象派ならそこそこの値段で買えるし・・)
 かくして印象派はアメリカで大勝利を収め,フランスに凱旋帰国することになり,本国でも絵の値段はうなぎのぼりとなった。

 とは言っても,印象派絵画がフランスに莫大な富をもたらすことになったこの時期においても,フランス官展と美術学校の教授たちは「こんな汚らわしいものは絵画とは呼べぬわ!」と否定し,政府に働きかけて印象派の絵を美術館から排除するように進言していたのだ。


 このあたりは、「まだ非力でちっぽけな印象派は主流派に追いやられてフランスを脱出し,アメリカという荒野を目指すしかなかった。しかし,その荒野で彼らは強大無比なモンスターに生まれ変わってしまった」という物語に置き換えることができるかもしれない。

 この辺の事情は次のように考えると分かりやすいかもしれない。例えば,法隆寺を見せて「日本の寺院とはこういうものだ。日本の寺院はこういうふうに作らなければいけない」と説明するのは正しい。しかし,法隆寺を見せて「建物とはこういうものをいう。建物を作るなら法隆寺に似せて作らないといけない」と説明したら,それは間違いになる。「法隆寺=寺院」は正しいが「法隆寺=建物」ではないからだ。
 同様に,フランス料理を「これがフランス料理だ」というのは正しいが,「これが正しい料理だ。これ以外の料理はありえない」といったら間違いになる。この「フランス料理」を「古典絵画」に置き換えると,フランス官展のお偉方の思考パターンになる。

 ちなみに,「フランス料理」を「従来の熱傷治療」とか「日本褥瘡学会のガイドライン」に置き換えることも可能のような気がするが,気のせいかもしれない。


 このようなフランス美術界の動きを見るだけで,パラダイムシフトの渦中ではどんなことが起こるのかを私たちは読み取ることができる。

  • 全く新しい発想(=印象派)は権威(サロン,官展,美術学校)からは生まれない。
  • 権威を否定する発想は権威からは生まれない。
  • 新しい発想を権威は受け入れず,強圧的な態度で押し潰そうとする。
  • 新しい発想が勝利を収めて世の中が変わっても,権威側はそれを認めようとせず,最後まで自らの権威にしがみつこうとする。


 ・・・と書いてみたが,これで全体の1/10くらいの紹介にもなっていないのである。

 例えば,印象派が刻々と変化する自然の光の一瞬をキャンバスに描けるようになった背景には,工業化と技術革新があった。その一つが「チューブ入り絵具」の開発の歴史であり,携帯可能な小型絵具箱とイーゼルへの工夫である。これらにより画家たちは史上始めて,屋外で絵を完成させることが可能になった(・・・それ以前の時代では,絵具は画家の工房で作っていたが,すぐに乾燥して使えなくなるため,工房から離れて絵を描くことは不可能だった)

 そして同時に,カメラの開発も絵画に大きな影響を及ぼす。何しろ「見たまんまに描く」ことが肖像画家の専売特許だったのに,カメラははるかに正確に早く安く肖像写真を作ってしまったのだ。このため肖像画家は失業の憂き目に会い,それを受けて有名な画家アングルは政府に「写真禁止令」を要請したという。発想が姑息であり,時代の変化についていけない旧世代の大家の哀れさを感じてしまう。
 だが一方で,「写真は既に存在し,それは認めざるをえない」と考えた画家たちは,「写真にはない絵画の価値」を真剣に模索するようになり,絵画の新しい技法を生み出す契機になった。


 さらに本書で素晴らしいところは,巻末に14人の印象派画家のプロフィールと歴史年表があり,さらに,本書に登場する印象派以外の画家たちのプロフィールまでがまとめられていることだ。つまり,絵画の歴史にあまり詳しくない読者でも,本書さえあれば他に参考図書は不要であり,一冊の本として完結しているのだ。これは素晴らしい配慮だと思う。そして,同種のタイプの本はこれを見習って欲しいと思う。


 本書を読み通してみて感じ取れるのは,産業革命以降の工業の発達と都市開発,そして国家の経済発展により一般市民の経済活動の底上げと生活習慣の変化がおこり,やがてそれは市民の行動様式と考え方を変え,やがて文化全体が変化していくという,近代以降の社会のダイナミズムとエネルギーだ。その中には光もあれば影の部分もあり,一時的流行に終わったものもあれば,その後の絵画に続く源流となったものもある。まさに絵画を知ることは歴史を知ることなのだ。


 このように優れた本であるが,欠点が一つある。文体が統一されていないことだ。具体的に言うと「です・ます調」の文章と「だ・である調」の文章が混在しているのだ。さらに,読点と句読点の間違いもあるし,漢字のご変換(例:「写す」と「映す」)もある。一言で言えば,校正を十分にしていないのだ。

 その理由は,本書は2010年に横浜美術館で中野京子さんが行った講演「ドガの時代」を書き下ろしたものだからだ。つまり,ベースは書き言葉でなく話し言葉なのである。話し言葉がベースのため,本書は基本的に「です・ます調」だが,講演の話の勢いによっては「だ・である調」になったり,体言止めになったりする。もちろん,実際に講演を聞いている場合にはそれは不自然ではないのだが,そのまま文章にしてしまってはいけないのだ。

 もちろん,中野京子ほどの書き手がそれを知らないはずはない。自分で自分の文章を通読すれば絶対に気づくはずのミスであり,気付かないような鈍感な人ではないはずだ。彼女の文章を非常に高く評価してきただけに,この件だけは残念だった。他の作家ならこの程度の「文章の瑕」は見逃すのにやぶさかではないが,中野京子の本ではこの「瑕」はあってはならないものだと思う。

(2011/06/28)