ドングリと文明★★★


 この本はオークを心から愛するオークヲタクが,オークについて多くを語りたくて書いた本である。皆が何気なく使っているもの,あまりにもありふれていて見逃しているものの多くに,実はオークと深い関連があることに気付いて欲しくて書いた本である。多くのオークへの愛に満ち溢れた本なのだ。

 そして,オークを巡る知識が広大無辺で,しかも個々の知識の一つ一つが深いのである。その博覧強記ぶりには舌を巻くしかない。それは,狩猟採取時代の祖先たちの食糧としてのオークの話に始まり,ストーンヘンジとオーク,木炭の材料としてのオーク,その木炭に支えられた鉄文明,オーク材で作られたバイキング船の構造,ウエストミンスターホールの奇跡の木組み,オークの虫こぶとダ・ヴィンチのインク,革なめし職人とオーク,7つの海を征服したオーク製軍艦・・・という具合に,話題は縦横無尽に過去と現在を駆け巡るし,最後の章では植物としてのオークの特性,根の特性などが語られ,エッフェル塔とオークという意表をつく組み合わせで終わっている。例えば,ウエストミンスターホールの木組みの見事さや,バイキング船を作った船大工の技術の素晴らしさなど,それだけでも感動モノである。


 そういう,非常に間口が広くしかも奥行きが深い良書であるが,私は主に【第1部 ドングリ文化】の部分を興味深く読んだ。糖質制限について考える時どうしても,原初のホモ・サピエンスは何を食べていたのか,それをどうやって食べていたのか,という問題にぶつかってしまい,そこを解決しない限り先に進めないからだ。そういう点で本書は,実に多くのことを教えてくれ,方向性を示唆してくれる。


 著者はまず,旧約聖書の創世記の「木の実」に関する記述に着目し,ヘシオドスなどの古代ギリシアの詩人の作品に頻繁に「ドングリ」が登場することを指摘する。それらの詩歌は繰り返し,ドングリがもたらす豊穣を賛美しているのだ。

 そして著者はマンハッタンにあるコリアン・マーケットを訪れ,そこでドングリの粉やそれで作ったゼリーが売られているのを見つけて購入し,実際に調理して食べてみる。そこで彼は幾つかのことを発見する。

  • ドングリ粉のお粥は全く味がなく,それだけでは食えたものではない。
  • しかし,さまざまな味付けをすると食べ続けることは可能。
  • しかもちょっとしか食べていないのに腹持ちがとてもよく空腹感がない。
 
 ドングリで作ったパンは小麦で作ったパンとは全く違った食べ物で,何ヶ月も保存が効き,少量でも満腹するため持ち運びに便利で,体力がつく食べ物だったのだ。


 そういう自分自身の体験をもとに,彼は「人間(=住居と衣服と主食の自給ができるようになったホモ・サピエンス)」の登場は,オークの森を背景にした褶曲山地帯であろうと考える。何しろオークの生産力は抜群に高いのだ。高地のオークの森は1000人規模の集落を養うことができ,人々は数週間で数年分のドングリを収穫でき,しかもドングリは長期保存ができる食材なのである。小麦を収穫する労働力の1/10で同じ量のドングリが集められたのだ。

 つまり,「豊かであまり働かなくてもいいドングリ文化」に対し,農耕文化とは「ハードな労働をしないと食べられない文化」なのだ。農耕が始まって人間は豊かな生活ができるようになり,人口も増えた・・・というのは,どうやらお伽話らしいのである。

 いずれにしても,「ドングリ文化」を想定することで「狩猟採集・遊動生活」から「狩猟採取・定住生活」に移行したメカニズムを説明するのに無理がない仮説だと思う。同様の変化は日本の縄文時代の遺跡でも確認されている


 ではなぜ人間は農耕をするようになったのか。それはヤギやヒツジの家畜化が絡んでいたと著者は考える。ヤギやヒツジを捕まえて殺すのは簡単だが,難点は肉が長期保存できず,すぐに腐ってしまうことだ。腐らせないためにはどうしたらいいか。その解決手段が家畜化であり,それはドングリがあったからこそ可能だったのだ。このような「野生動物の家畜化メカニズム」は非常にスムーズで納得できるものだ。

 だが,順調に見えた定住生活は2つの壁にぶつかる。気候の寒冷化と環境の劣化だ。

 それを解決するために,オークの森づたいに移住する人が現れる。そして彼らは肥沃な三日月地帯にぶつかり,そこで一面のエンマーコムギの草原に出会う。彼らはその小麦を自分たちの食用でなく,家畜の餌として利用し始める。

 そして一部の人間は,オークの森から離れ小麦も生えていない川べりで小麦の栽培を始め,それは大成功する。「不毛の地を豊かな耕作地にする」灌漑農業の始まりであり,それは人類文明史上の革命だった。このスポット灌漑の技術はこの地域に瞬く間に広まったが,狭い土地で多人数を養える量の小麦が収穫できるようになったため,人々は狭い範囲に高密度で暮らせるようになり,それはやがて「都市」になった。そして,その農地と灌漑設備を守るために都市は城壁で囲まれるようになり,そこに「都市国家」が生まれた。それがアッシリア文明,バビロニア文明,アッカド文明,シュメール文明だ。

 灌漑の技術により狭い耕地面積で大量の小麦が収穫できるようになり,より多くの人間を養えるようになったことはまさに革命だったが,同時にそれは諸刃の刃でもあった。土地の所有と水の管理をめぐって権力者と非支配者という階層が生まれ,当初順調だった灌漑は塩害を引き起こしてコムギが育たなくなったからだ。その結果,オークの森ではほとんどなかった「飢餓」が日常の恐怖をもたらした。その恐怖を振り払うために,人間は以前より長時間の重労働をしなければ食べていけなくなった。


 イランのザグロス山脈はファータイル・クレセントの中心地で,1万年前には鬱蒼と茂るオークの森だった。当時の人々は数週間働くだけで,1年分のドングリとピスタチオを収穫できたが,現在,この地に暮らす人々は1万年前の祖先たちが得ていたカロリーより少ない小麦を収穫するために,祖先の100倍の重労働を余儀なくされているそうだ。オークは既に姿を消し,表土を失った土地は荒廃している。

 それはまさに,エデンの園そのもののオークの森(そこでは人間は労働せずに生きていけた)で,神に禁じられていた穀物という「知恵の実」を食べてしまったために人間はエデンの園を追放され,その結果,激しい労働をしなければ生きていけない境遇になった,という旧約聖書の記述に奇妙に重なってくるのだ。

(2012/08/06)