食と文化の謎 "Good To Eat"★★★(マーヴィン・ハリス,岩波現代文庫)


 なぜ,こんな面白い本があることにこれまで気が付かなかったんだろうか(ちなみに日本での出版は1988年)。様々な宗教の食のタブーから,昆虫食,ペットは食材か,さらには人肉食(カンニバリズム)までを,膨大なデータを元に縦横無尽に語っているからだ。しかも,論理は透徹していて単純明快。食人も昆虫食も豚肉忌避も,たった一つのルールで説明してしまうのだ。これが面白くないわけがない。

 しかも,論証の仕方がこれまた私好みだ。テーマ(例:豚肉忌避,昆虫食)についてのデータをまず集め,それらに関連する生物進化の歴史と人類文化史の変遷を語り,それらを基にしてテーマに関与する因子を分析し,各因子ごとに「もしもこれが成立するとしたら,どういう条件が必要になるか?」と分析していくのだ。その手法はまさに数学の証明と同じであり,徹頭徹尾,科学的だ。しかも,自分の立てた仮定に対しても常に懐疑的であり,どこかに論理の穴がないかを常に見つけようとしている姿勢が、文章から読みとれる。まさに科学者に見本である。


 例えば、イスラム教が豚をタブーとした理由を説明する章では、イスラム教成立以前の時代の豚の扱われ方、豚の原産地の気候、豚の生物学と生態学、家畜としての豚の価値、豚を家畜とできる人間社会側の条件などを詳細に分析する。そしてその上で、イスラム教が誕生した時代の気候と地理的条件から、この地で豚を飼って食べる「コスト・ベネフィット」を分析し、なぜこの宗教が豚をタブーにしたか,タブーとするしかなかったのかを理路整然と見事に説明する。その手際たるや,脱帽だ。

 そして彼にとっては,牛も馬も犬も昆虫も人間も違いはない。食べることによって得られる栄養価,育てるために必要な食物の成分と量,食材を食料に変化させるのに要する手間とエネルギー,他の食材の入手の難易度との比較・・・などを冷静に分析し,それが食材として成立するための条件を割り出していく。
 なるほど,人間の死体は栄養学的に優れたタンパク源だが,人間を日常的な狩猟対象にするのは難しい。自分と獲物(=人間)で戦闘能力も知恵も互角だからだ。戦闘能力が高くても知恵がない,あるいは知恵があっても戦闘能力が低ければ獲物になるが,この場合は全く互角なのだ。となると,カンニバリズムが行われている地域社会には、社会側にこそ特殊な条件が備わっていたことになる。それが何かをハリスは鋭く抉りだしていく。そして、社会側の条件が変化したとき、カンニバリズムは行われなくなり、タブーになった。カンニバリズムを続けるコストがベネフィットを上回ったからだ。この部分の分析と論証は、身の毛がよだつほど見事で冷静だ。

 そして同様に,なぜ中国では犬を食肉の対象としているのか,なぜアメリカでは馬肉と羊肉を食べないのか,なぜ欧米人に昆虫食を蛇蝎の如く忌み嫌うのか,なぜ古代イスラエルの民はラクダを食用としなかったのかが,極めて明確に示される。著者マーヴィン・ハリスの博識と論理の展開力と力技には感動してしまう


 そして同時に,本書を読むと「原著を読む/原典にあたる」ことがなぜ重要かがよくわかる。

 思い起こせば,本書で展開されている「なぜイスラム教は豚肉を忌避するのか,なぜヒンズー教は牛を神聖視するのか」についての本書の論証は,別の本で取り上げられていて,私にとってはむしろ既知の知識だった。それらは恐らく,このハリスの本の引用,孫引き本だったのだろう。

 では,それらの引用本,孫引き本さえ読んでいれば,原著(=本書)は読む必要がないのだろうか。

 もちろん,そんなことはない。原著・原典と引用・孫引きは似て非なるものだ。引用や孫引きはどうしたって原典は越えられないし、情報密度は原典以下でしかないからだ。引用本を読めば,「ハリスはカンニバリズムについて科学的・経済学的な観点から肯定した」 程度に考えるはずだ。しかし,本書を読むとハリスは恐ろしいほど周到に論を張り巡らせていることがわかる。彼はカンニバリズムに科学を持ち込むために,過剰なまでに証拠固めをし,あらゆる可能性について熟考し,論理の穴を埋め,どんな批判にも耐えられる強度に高めてから本書を書いたのだと思う。

 だから本書のカンニバリズムを論じた章は先駆者としての気概が満ちているとともに,先駆者しか感じ得ない深い苦悩も文章の端々から読み取れてしまう。追随者はすべての不都合と責任を先駆者に押し付けることができるが,先駆者には押し付ける相手がいない。だから,あらゆる不都合と責任を自分一人で背負い込むしかない。
 先駆者とは要するに,あらゆる責任を一人で背負う覚悟ができた人間だ。引用者,孫引き者,追随者とは最初から覚悟が違うのだ。だから,先駆者の書いた原著には過剰なまでに書き込みと考察が溢れかえっている。ありとあらゆる可能性に言及している。本書が文字で埋め尽くされている理由はそれだろう。

 だが,引用者や孫引き者にはそのあたりはわからない。なぜこんなにゴチャゴチャと書いているのかわからないから,結論部分の上澄みだけ掬って引用する。その結果,引用文,孫引き文は 「確かな事実」 が書かれているが,先駆者の苦悩に満ちた思考過程をすっ飛ばして結論だけ引用するため,どうしても薄っぺらで深みがないものになる。引用本,孫引き本の限界はこれだ。


 本書に対してはほぼ手放し絶賛状態だが,一冊の本としては,全体の構成をもうちょっと工夫して欲しかった。著者のマーヴィン・ハリスはすでに鬼籍に入っているため,今更注文をつけても遅いが,一つ一つの章を更に細分化すべきだったと思う。具体的に言えば,内容ごとに小見出しをつけて【第1章 第1項】,【第1章 第2項】というようにアウトラインを明確にすべきだろう。本書はそういう体裁をとっていないため,全体の論理構造が掴みにくくなってしまったと思う。これは科学系学術書としては致命的な欠点だ。

 端倪すべからざる,とは本書を指す言葉だが,同時に本書は「画竜点睛を欠いて」しまったと思う。それが返す返すも惜しい。

(2013/01/10)